夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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過去回。


三十話:過去の傷

 それは、全くの偶然だった。

 

「……?」

 

 普段ならまず通ることのない、賑わう本通りからは数本外れた裏通り。店の換気扇や通風口から流れる生ぬるい風が吹く、コンクリートの鈍色ばかりが目立つ廃れた通りだ。

 そこを歩いていたアキラは、機械の騒音に紛れて何かが聞こえたような気がして足を止めていた。

 暫くそのまま動きを止めて、

 

「やだ―――か―――けて!」

「……気のせいじゃねぇな」

 

 確かに聞こえた女の声に、少しだけ顔を引き吊らせたアキラだったが、直ぐに声がした方向に当てをつけて走り出す。

 そう距離は遠くない。こんな廃れた人気のない場所で聞こえてきたのは女の叫ぶ声だ。それも聞き間違えでなければ、助けを求めるような内容だったと走りながらアキラは考える。

 勘違いならそれでも良い。しかし、ここで自分が行かないことで嫌な結果になってしまったならば。――そんな目覚めの悪いことはない。

 

 

 

 

「……おい。何やってんだよてめぇら」

 

 そして、その判断は正しかった。

 一際人気のない路地裏、三方向を建物に囲まれた袋小路にいたのは、三人の男と、そして。

 

「むーっ! ――っ!」

 

 三人がかりで手足を封じられ、口元にガムテープを貼られた一人の女。

 男達は見つかることすらも予想していなかったのか、突然現れたアキラに視線を向けるばかりで固まったまま動かない――ようにも見える。

 

「…………」

 

 およそ数秒。恐らくは、アキラも男達も次に起こす行動は同じものに決まったらしい。

 一人、また一人と立ち上がり、剣呑な空気を醸し出し始める。

 押さえ付けられていた女は解放されたが、彼女の背中は壁で後ろには逃げられない。彼女だけを逃がすような真似は出来そうになかった。

 

(警察……仲間……どっちも呼ばせてはくれなさそうだな。失敗した、先に呼ぶべきだったか)

 

 ポケットに突っ込んでいた手。携帯を掴んでいたそれを仕方なしに離し、代わりに軽く拳を握り込んだアキラは、三人を睥睨すると、

 

「おい、ピンク髪」

「……!?」

「助けた方が良いか? いいなら、少しだけ目ぇ閉じてて、耳ふさいでろ。ちっと、女に見せるにはショッキングな絵になるからな」

 

 一瞬だけ柔らかく微笑みを向けられた女は、見知らぬ彼のその言葉が不思議と簡単に受け入れられた。今まさに男性への恐怖で動けなくなってしまっているというのに、信じてもいいような気がすると思えたのだ。

 

 そして、女が両手で耳を塞ぎ、曲げた膝に顔を埋めたその姿を見たアキラは、覚悟を決めてポケットから両手を解放する。

 少しだけおどけた声で、

 

「大人しく捕まるつもりがあるんなら、今からでも遅くはないんだが」

 

 そんな言葉への返事は、顔面に迫る拳であって。

 

「あっそ」

 

 予想通りの肉体言語での返事を鼻で笑ったアキラは、それをかわすと相手の土手っ腹に前蹴りを打ち込んだ。

 そこから、一対三の殴り合いが始まりを告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……けっ、割りに合わねぇな」

 

 ――数分後。

 

 人数の不利を腕っぷしと父親直伝の喧嘩スキルで辛くも勝利を掴んでいたアキラは、壁に寄りかかりながら血混じりの唾を吐き捨てた。脇腹を抑えた彼は、しかし全く衰えない鋭い目付きで彼等を見下す。

 地面に呻き声を上げながら転がる三人の男の顔を改めて確認して、やっぱり見間違いではないと男達の素性をひとつ確定させた。

 

「あそこもろくでもねぇのチームに入れたもんだな」

 

 わざと聞こえるように呟いたアキラを、苦しげに声を漏らしながらも睨み付ける男達。

 それらを真正面から受け止めながら、イラついてるのはこっちの方だと言わんばかりに目を開き吊り上げるアキラ。

 

 ――そこで、新たな人物が現れる。

 

「ひまりっ! ここにいるのかっ!?」

 

 赤い髪を靡かせながら。息を切らした彼女はようやくその場にたどり着いた。

 

 親友から届いた不可解なメール。他の誰が連絡しても返らない返事。不安になって彼女の家に行ってみればそこにはおらず、人伝に聞いて道を辿れば途中で途切れてしまう。

 途方にくれかけた彼女に届いたのは、親友の母親からのGPSの座標情報だった。明らかに人気のない不自然な場所から動いていないという。まず間違いなく、女が一人で留まるような場所ではない。何かに巻き込まれていると考えるのが妥当だった。

 そうしてたどり着いたその場所で、彼女は予想以上の惨状に目を見開くことになった。

 

 アスファルトに転がり呻く三人の男。

 

 壁に寄りかかり、満身創痍ながらも現れた彼女に驚いた様子の幼なじみ。

 

 しかし何よりもこの場で優先するべきは――奥でうずくまっている彼女の友人、上原ひまり、その人だった。

 顔を上げさせ、口のテープを優しく剥いだ彼女は、その顔を両手で包んで自分と目線を合わせるように覗きこむ。

 

「ひまり」

「……とも、え?」

「あぁっ。無事だったか? 怪我はないか?」

「――――う、うぅ~……! 怖かったよ巴ぇ……!」

「良かった……もう大丈夫だから、な。よくメール送ってくれたよ、本当」

 

 緊張の糸が切れ、すがりつくひまりを抱き止める彼女――宇田川巴は、心底安心して息を吐く。次いで、彼女の身体に怪我がないか確認しはじめた。

 一通り確認する中で、目立つようなものが無かったことに安堵はしたものの、胸元は無理やり脱がされそうになったのだろう。ボタンは外れ大きくはだけて、その下にある下着が見え隠れしてしまっている。

 男達がひまりに何をしようとしていたのか。それを考えてしまった巴は、激しい怒りを胸の内に芽生えさせて。

 

 

 ――その、無防備な背中に、悪意が迫る。

 

「巴ッ!」

「えっ」

 

 その結果は、彼女の反射神経の賜物か。もしくは偶然の産物か。

 アキラの叫びに反応した巴は、振り向き様に見えた銀色の線を目に捉えた瞬間にそれから逃れようとして、足に力が入らずに体勢を崩したのだ。

 その結果が、

 

「っ!」

「巴っ!?」

 

 ひまりの悲鳴。

 巴の頬からじわりと血が滲み、やがて流れ始める。

 体勢を崩したのが好を奏していた。男が容赦なく振るったナイフの軌道は、巴が反射的に動こうとした線上に振るわれていたのだ。

 

 もし動けていたならば――大惨事になっていたことを理解して巴が身体を震わせて、頬に手を添える。

 

 ここで黙っていられないのは、アキラだった。

 彼とて無傷な訳がない。三人、大人と言ってもいい男を相手にして、殴られ蹴られで身体のダメージは相当なもののはず。

 しかし、目の前で密かに想いを寄せている女に傷を付けられたその事実が、瞬間で彼の頭を沸騰させた。

 

「――くたばれ」

 

 グシャ、と嫌に鈍い音が響いた。

 

 性懲りもなく巴へと襲いかかろうとしていた男の顔面に、アキラの蹴りがめり込んでいる。

 何の遠慮もなく振り抜かれた爪先は、何本かの歯と鼻の骨を砕き、男の意識を刈り取った。

 素人目に見ても危険だとわかる倒れ方をした男の身体を尚も踏みつけたアキラは、残る男二人へと視線を向ける。

 その視線に、先程までとは明らかに違うものを感じた二人は、言うことの聞かない足で立ち上がり、背中を向けて走り始める。それが逃走だと頭で理解し、逃がすかと足を踏み出したところで、

 

「……っ」

 

 アキラが立ち止まるのと、

 

「動くなぁ! 警察だ! こら、どこに行く!」

 

 警官が駆けつけたのは、ほぼ同時。

 振り向いたアキラは、巴へと視線を向ける。

 

「お前か?」

「あぁ。念のために、ぐらいだったんだけど……正解だったな」

「大正解だよ。花丸くれてやる」

「……色々、聞きたいことあるんだけどさ。とにかく、アキラがひまりを守ってくれてたってことでいいんだよな。ありがとう」

「……ただ怖がらせただけかもな。その子が落ち着いたら謝っといてくれ。今はまだ、落ち着く暇もないだろうからな、その子も、俺も」

 

 そう言って、アキラはその場に座り込む。

 そのすぐそばには、ピクリともしない無惨な男の姿。

 

 ――正当防衛って、どこまで通用するんだろうな。

 

 そんなことを考えながら、アキラは逃げ出した男二人を確保したらしい警官が近づいてくるのを、ただ待つのだった。

 

 

 

 


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