少しの間、沈黙が部屋に訪れる。
ひまりの言葉、そしてその表情や雰囲気から、どうやら誤魔化しや茶化しはお呼びじゃなさそうだな、と嘆息するアキラ。
他の誰かに言われたならば適当に流すところだが、他でもない当事者のひとりであるひまりからの言葉である。無下に返す訳にもいかず、しかしあまり口にはしたくない内容にどうしたものかと溜め息をついてから一口紅茶を口にして舌を湿らせた。
「……それは、お前からの質問か? それとも、そいつからの伝言なのか」
「どっちも、ですかね。私、明さんのダンスも好きですから……その、私が言えたことじゃないのかも知れないですけど」
言いながら視線を斜め下に逃がしたひまりは、しかし直ぐにアキラの目を真っ直ぐに見つめ直す。
「明さんがチームに戻らない理由があの事なら、もういいんじゃないのかなって」
「…………」
「リーダーだって人も、自分達のせいで明さんが辞めちゃったことを気にしてます。だから」
ひまりの言葉を聞きながら、アキラはソファの背もたれに身体を預けて腕を組んだ。
確かに、アキラがチームを抜けた原因はLiar styleとの揉め事が原因なのは間違いない。もっと言うならば、チームどころか当時は完全にダンスそのものから離れるつもりだったのだ。それだけの事件と言えたし、周りへの迷惑を考えるとけじめをつけるならばそれが落とし所だとアキラは考えていた。
「……って言ってもな。自分で起こした揉め事が原因で、自分勝手にチーム抜けてだ。今更どんな顔して戻ればいいのかもわかんねぇし……。そもそも、俺自身そこまでチームに戻りたい訳でもない」
「…………」
「そりゃあ、grand slamを立ち上げた一人でもあるし、それなりに責任持ってチームを引っ張ってはいたさ。でも今じゃ、踊りたい時に踊る今のスタンスに馴染んじまってる」
アキラがダンスを始めたのは小学校に通っていた頃。そもそもが身体を動かすのが大好きな活発少年だったのもあり、ピアノ以外の何かをやりたいと手を出したのがブレイクダンスだった。そうして中学に入る頃にブレイクダンスチームgrand slamを結成。アキラがチームを抜けることになる去年まで、チームの顔として活動し続けていた。
それまではそれが当たり前であったし、責任感もあった。しかし、チームを抜けた今となっては。
「悪い意味で自由に慣れちまったのかな。チームに戻ると、窮屈に感じそうで怖いのもある」
好きな時に、好きに踊る。チームにいた時とそれは変わらないはずなのに、今の気楽さに慣れてしまったアキラにはそう考えてしまう。
ダンスそのものは大好きだが、そこには以前ほど熱が無い。その熱が戻らない限り、チームに戻っても周りの足を引っ張るだけな気がしてならないのだ。
「皆がそれを望んでいても、ですか?」
「周りの意見は正直どうでもいいんだ。俺が本気で戻りたいと思ってたら、言われるまでもなく戻ろうとしてるさ」
「……じゃあ」
「今は少なくとも戻るつもりはない。誰に何言われようとも、これは俺の意思の問題だしな」
この話はこれで終わりだと言わんばかりに言葉を打ち切ったアキラは、そこから口を閉じてしまう。その様子に、ひまりはそれ以上話を掘り下げることは叶わなかった。
「なぁ」
「ん?」
その日の夜。
彼にしては珍しく、ボケッとした表情でテレビを眺めていたアキラに巴が声をかけた。視線は向けずに声だけを返した彼に、巴はごく軽い口調で問いかける。
「考えてること、当ててやろうか」
「別に何にも考えてねぇけど」
「それはそれで正解なんだろうけどさ。……昼間のことが引っ掛かって、何にも考えられないんだろ?」
正確に今の心中を言い当てられたアキラは、察しが良すぎるのも考えものだと溜め息をつく。横目で巴の顔を見ると、仕方のない奴だと言わんばかりに困ったように笑う彼女の顔が彼の目に写っていた。
「俺の返事は変わらないぞ」
「わかってるよ。人に言われて意見変えるような人間じゃないのは昔から知ってる。……けど」
「けど?」
歯切れの悪い言葉に、また視線をテレビに戻して耳だけを傾ける。少しの間が空いた後に、巴はこう続けた。
「戻りたい想いはあるんだろ?」
「…………」
「ひまりに言った言葉に嘘は無いんだろうけど、ちょっと引っ掛かってさ。どうにも、アタシにはお前が気持ちを抑えてるように見えるんだ」
「……どうしてそう思う」
「正解はひまりが言ってたんじゃないのか。つまり、お前はまだ引きずってるんだよ、あの時のこと」
その声に、アキラはテレビを消して目を閉じてしまう。
剥き出しの心、その自分でも見えづらい核の部分に直接触れられたかのような違和感、そして嫌悪感。言ったのが巴でなければ、不快を迷わず前面に打ち出しているであろうその言葉。
それを迷いなくぶつけてきたのが彼女だからこそ、彼はひまりにも言わなかった本音を漏らすことが出来る。
「仕方ねぇだろ。本当にどの面下げて戻れってんだ。大事な大会の前に、チームの中心にいたヤツが暴力事件の警察沙汰だ。その結果が入院した挙げ句の停学で、大会出場は流れに流れた。迷惑なんてもんじゃない」
「お前がああしなきゃひまりは酷い目に遭ってた。それこそ、仕方なかったんだ。だからひまりも」
「あぁ仕方なかった。あの場にいたのは俺だけだ。警察なんて呼んでる暇もなかった。全員ぶちのめして動けなくするぐらいしかやれることがなかった。今でも俺はそう思ってるし、後悔なんてしてない」
「それでいいだろ。アタシだってあいつらのことは今でも許しちゃいないし、お前がやりすぎだって言いたい訳でもない。ただ、いつまでもとらわれてたってしょうがないだろ?」
「……それでもだ。俺がもっと上手く動けてたなら、チームに変なレッテルが貼られることはなかった。もっと高いところに行けるチャンスを、俺が全部潰しちまったんだ」
「……当時はそうだったかもしれないけど。一年経ったんだ。誤解だってもう広まってるじゃないか。それに、チームメイトはお前が悪くないのを知ってる」
「だろうな。おかげで、俺は今でもダンスを続けられてる。……だからこそ、俺は皆に合わせる顔がない。……頼む。今日はもう、この話はしないでくれ」
「アキラ」
「らしくねぇのはわかってる。けど、混乱してんのか、考えがまとまらないんだよ。俺は今でもチームに戻りたいのか、自分でどう思ってんのかもわからなくなってきた。……どうしたいのか、自分でもわかんねぇんだ」
ついに項垂れてしまったアキラに、巴はそれ以上何かを問いかけることをしなかった。
導くことはしない。悩む彼を慰めることもしない。本当は直ぐにでもその手に触れて励ましてやりたいところを、彼女は拳を握って押し止めていた。
その日の夜は、二人が恋人になってから、一際重い雰囲気になってしまうのだった。