夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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二話:笑い声に波打つ紅茶

「へぇー。紅茶もいけるもんだねー」

「飲みにくかったら砂糖でも入れればいい。まぁ、甘いパンと合わせるんだったら、ストレートの方が良いとは思うが」

「ミルクティーも美味しいよ! はぁ~、巴は毎日これを味わってたなんて……やっぱりズルい!」

「毎日でもないし、巴はあんまりミルクティーは飲まないな。好きなのはディンブラだったか?」

「あぁ。スッキリしててアタシはあれが気に入ってる。今時期は採れないんだったか?」

「採れるのは一年中採れるらしいがな。年明けから三月辺りまでが特に物が良いみたいだ」

「この紅茶って、名前はなんて言うんですか?」

「別に珍しいもんじゃないぞ。ストレートがダージリン。ミルクティーがウバって名前。ついでに言うと、よく聞くアールグレイって言うのは、茶葉にベルガモットってやつで香りが付いたやつだな。次の機会があれば飲ませてやるよ」

「ベルガモット……?」

「ミカンみたいな柑橘系の果物。因みに、アールグレイはベルガモットだけど、レディグレイなんてものもある。こっちはレモンピールやらオレンジピールやら、何種類か入ってるな」

 

 結局そのままお茶会に参加することになったアキラは、五人から次々飛ぶ紅茶の質問に淀みなく答えていく。ダージリンもウバのミルクティーも一杯ずつ口にしており、その際にガッカリされない程度には美味しく入れられているのを確認済みである。

 顔には出していないつもりの彼であったが、内心皆の反応に胸を撫で下ろしていたのを見抜かれたか、巴にニヤニヤされたのは意図的に無視してある。

 

「それにしても、トモちんとアッキーはどんな関係なの?」

「うん? アタシとアキラは親同士仲が良くてさ。小さな頃から割りとよく遊んだりしてたんだ。学校は今まで全部違ったけど、不思議と顔を合わせなくなることはなかったな」

「不思議でもないだろ。あれだけ互いの家に行き来してりゃあ、嫌でも顔合わすわ」

 

 アキラの言葉通り、一月と空けずに交互にお互いの家を訪れては夜中まで酒を飲みながら語り合う親に付き合っていれば、学校が違おうがそんなことは関係なかった。勿論、アキラ、巴共にそれに付いていかずに家に残ることもありはしたが、翌月には向こうが自分の家にやってくるのでそこで顔を合わせることになる。

 更に言えば、互いのどちらかが欠けた状態で集まりに参加すると、親同士で盛り上がってしまって子供の自分が暇をすることになる。それがわかっていたので二人ともなるべくそれには参加することにしていたのだ。巴には妹がいたので然程困りはしなかったが、アキラが一人になった時が大変だった。主に、酔っぱらいの絡み的な意味で。

 余談だが、モカのアッキー呼ばわりは特に突っ込まずにスルーである。元より好きに呼べと言ったのはアキラの方であるし、文句を付ける程のものでもない。

 

「まぁ、それも俺が高校に入るまでのことだったけども」

「んー? どういうこと?」

「あぁ、別に会わなくなったわけじゃなくてな。……んー。青葉は不思議に思わないか? 割にデカイ家ではあるけど、親の姿がまるっきり見えないだろ」

「あー、お仕事かと思ってたし。でも、そう言うってことは」

「そ。見えないんじゃなくて、実際にこの家にはいないわけだ。何を隠そう両親は海外勤務でな。一軒家を放置すんのもどうかってことで、俺が管理ついでに一人で暮らしてるわけ」

 

 じゃなきゃ、こんな気軽にお前らを招けねぇよ。アキラはそう言って、モカから手渡されたパンを一口かじる。

 実のところ、アキラの両親は自分達の一人息子を一緒に連れていくつもりだった。が、本人から日本に残りたいと言われてしまい、当時は少し揉めていた時期だった。

 いくらかしっかりしていたとはいえ、まだ高校にも入っていない子供だ。手放しで、しかも何かあってもどうにも出来ない程に離れた場所に置いていくのは、親として不安以外の何物でもない。

 しかし息子の意志も尊重してやりたい気持ちもあり、アキラの言葉通り自分達の暮らしてきたマイホームを手放すのも惜しい。そこで、断腸の思いで、ひとつ条件を出して決断した。

 その条件に深く関わる巴は、紅茶をすする彼をにこやかに見つめながら口を開く。

 

「アタシも驚いたよ。てっきりお前はついていくもんだとばかり思ってた」

「……まぁ、俺の我が儘でお前には面倒な思いはさせちまってたな」

「そんなことないさ。お陰で、アタシは好きな時に紅茶が飲めたし。……あぁ、アタシを紅茶好きにさせた責任ぐらいはあるかもな」

 

 言いながら、カップを持ち上げてクスリと巴は笑う。何がそんなに楽しいのか、と苦笑したのはアキラの方だ。

 隣合って互いにしかわからない話をされ、唇を尖らせたのはひまりだ。軽く巴の肩を揺さぶりながら、

 

「もう! 二人だけで楽しんじゃダメ! 何かあったなら聞かせてよぉ」

「何をお前はふくれてんだ……別に大した話じゃない。単に、両親から日本に残る為の条件を出されて、それに巴が協力してくれたってだけだ」

「正確には、宇田川家が、だけどな。こいつがちゃんとやってるかどうか、毎日アタシが確認しに行って、それをアタシの親がアキラの親に伝えてたんだ」

「やってることは、夜にふらっときて紅茶飲んで帰ってくだけだったが……。まぁ、そんな訳で、互いの家を行き来するのはそこで終わったわけさ」

 

 手元のパンを完食し、ダージリンへと手を伸ばす。何故かその射線上にパンをねじ込んでくるモカを、というよりはパンを追い払いながら、無事にカップに手を付ける。

 そのモカの横では、何か感心したかのようにつぐみが息を吐いていた。

 

「じゃあ、私達とおんなじ幼なじみなんですね。今まで知り合わなかったのが不思議だなぁ……」

「まぁ、そこはそれ、友達関係にも色々あるだろうし。巴の幼なじみ同士が絶対に仲良くなくちゃいけないわけでもなし。巴が言わなかったのは、単に必要性を感じなかったからだろうし」

「そんなわけじゃ……いや、そうなのかもな。アタシには、どっちと過ごす時間もおんなじくらい大切だったから」

 

 手元の紅茶に視線を落とし、静かに呟く巴。

 何かとその性格から頼られることの多い彼女だが、こうして気心の知れた人間の前では、相応に年頃の女の子だ。

 そして、その姿を長年見てきたアキラには、彼女の内心が何となくだが見てとれる。この場でやるのは少し躊躇いがあったが、彼の手はその躊躇いとは裏腹に動き出した。動いてしまえば、止められない。

 結局、その手のひらは、その目立つ赤い頭の上へと着地していた。

 

「んなっ!?」

 

 反応は、劇的だった。

 まさか、こうして皆のいる前で頭を撫でられるとは思っていなかったのだろう。瞬く間に顔を赤く染めた彼女は、目に見えて動揺――つまり、あたふたしはじめる。

 カップを持っているのではねのけることも出来ず、視線で訴えようにも手の持ち主は肘をついたまま、顔がこちらに向いてすらいない。唇は震えるばかりで満足に動いてくれず、巴に出来ることと言えば、恥ずかしさで潤みそうになる瞳で周りの反応を伺うだけだ。

 

「トモちん顔真っ赤~」

「ほ、ほんとだ。こんな巴ちゃん初めて見たかも……」

「巴~? 口元がにやついてるよ~?」

「こ、ここ、これはひきつってるって言うんだ!」

 

 やっとの思いで口が動き、紅茶が零れそうになりながらカップを置いて、尚もそこにとどまっているアキラの手を勢いそのままはねのける。

 居場所を無くしたその手が、迷った挙げ句に持ち主の膝に落ち着く前に、勢いよく巴はアキラに噛み付いた。

 

「馬鹿! 馬鹿じゃないのか!? こんな、皆の見てる前でなんてこと……!!」

「んだよ……随分な言い種だな。そんな大袈裟なことしてねぇだろ」

「恥ずかしいだろうが! そういうのはアタシ達しかいないときに……大体お前は」

「ほぉ~。聞いたかね、ひまりさんや」

 

 顔を真っ赤にしたままに詰め寄る巴だったが、不意に聞こえてきた声に一瞬動きを止める。止まってしまえば、否応にも自分の失言に気付かされてしまう。

 アキラの肩を揺さぶっていた両手。その体勢のまま、首だけがゆっくりと横へと向いた。それを横目で眺めながら、油の切れた人形みてぇだな、と他人事のような感想を持つアキラ。

 巴の視線の先には、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべているモカと、自分を見て何やら頬を染ながら口元に手を当てているつぐみ。

 つぐみの反応はまだいい。問題なのはモカの方だ。あの笑みは、間違いなく新しいオモチャを見つけたと喜んでいる顔だ。

 

 ――なんとか、なんとか誤魔化せないか。

 

 オーバーヒートしそうな頭を必死に回転させる。が、それも、隣にいるひまりの言葉で即座に無駄な努力に落とされることになる。

 アキラに身体を向けている為に、背を向ける格好になっていたそこを、ひまりは両手でしっかりと肩を掴んでいた。

 振り向くよりも先に、どこかネットりとした口調で、声が聞こえてくる。

 

「『そういうのはアタシ達しかいない時に』……って、どういうことかなー?」

「ひ、ひまり?」

「『アタシ達』って、あたし達のことじゃあないよねー」

「とーもーえー。その後に、なんて続くのかなー?」

 

 ――これはひどい。

 

 事の発端は自分だと自覚しながらも、突如始まった悪乗りに、弾かれた手をさすりながらそう思うアキラ。

 モカのニヤニヤとした笑みに、巴からは見えていないが明らかに楽しんでいる顔のひまり。声色こそ不穏なので、顔が見えない巴からはさぞかし恐ろしく思えるだろう。

 そして、そんな巴の姿がひどく珍しいのだろう。口元を抑えていたつぐみも、だんだんとその口元が緩んできて、

 

「フフ……アハハッ」

「ら、蘭?」

 

 部屋に響いたのは、つぐみの声ではなく、蘭の笑い声だった。

 すっかり情けない声でその名前を呼んだ巴は、そこでようやく体勢を変えて、ひまり達の方へと身体を向ける。

 

「そんな巴、ふふ……初めて見るかも、ふふふ、アハハハっ」

「そ、そんなに笑わなくてもいいだろっ」

「無理、我慢出来ない、あは、アハハハっ」

 

 蘭の笑い声が伝染したように、一人、また一人と笑い始める。最後には巴まで笑い出して、部屋には五人の笑い声が響く。

 そんな光景を眺めながら、アキラは少し温くなった紅茶に口をつけた。

 

 

 

 

「お前のせいだ」

 

 時は過ぎ。

 ソファの背もたれに顔を乗せた巴は、膨れっ面で台所に立つアキラを非難していた。

 当の本人は、素知らぬ顔で洗い物を続けている。

 

「お前のせいだ」

「…………」

「お前のせいだー」

「…………」

「お、ま、え、の、せ、い、だ」

「…………」

「おーまーえーのー」

「しつけぇな。悪かったっつうの」

 

 放っておけば何時までも続きそうだったので、根負けしたアキラが白旗を上げる。ちょうど洗い物も終わり、手を拭いて変わらぬ膨れっ面の巴の元へと向かった。

 隣に腰を下ろすと、巴もまた身体を入れ替えて、座り直すかと思いきや。

 

「お前、言ってることとやってること違うだろ」

「うるさい。好きにさせろ」

 

 そのまま身体を倒し、アキラの膝へとその頭を預ける巴。多少驚いたアキラだったが、ひとつ息をつくとその額へと頭を乗せる。

 

「冷たくて気持ちいいな」

「そうかい」

「……考えても見ろよ。こんなとこ見られたら恥ずかしいに決まってる」

「だから悪かったって」

 

 あの後、他のメンバーが帰るまで、ちょくちょく弄られ続けた巴。ひまりがアキラにまで飛び火させ、二人でいるときの事を聞き出そうとする度に、巴の打撃じみた一撃で口元を抑えられては、その行動でまたしても弄られる。今日ほど空回りした日もそうそうないだろう、とは本人の談だ。

 

「仲、良いんだな」

「あぁ、最高の仲間だよ」

 

 額から頭へと、優しい手付きで撫でられる。巴の目が細くなり、やがてゆっくりとその瞼が閉じられた。

 

「……別に、アキラを紹介したくなかった訳じゃなかったんだ」

 

 かわりに、その小さな口が開かれる。予想していたのでアキラは何も言わずに巴の頭を撫で続けた。

 

「蘭も、ひまりも、モカもつぐも皆、アタシの大切な親友だ。けど、アキラだって」

「わかってるよ。わかってるから、気にしなくていい」

「……そっか」

 

 どこか、無理に吐き出そうとしていた言葉を、先んじて制して黙らせる。巴はそれに小さく返して、自分の腕で顔を隠した。

 返事はもう帰ってこないだろう。そう考えて尚、アキラはもうひとつだけ、言葉を放つ。彼の、偽らざる想い。

 

「お前は、自分の思うままに動けばいいんだ。あいつらは良い仲間なんだなって、実際に見て思ったよ。だから、大切にしろ。何かあったら、皆で頑張れ。……俺の所には、疲れた時に帰ってきてくれれば、充分だよ」

「……うん」

「いい子だ」

 

 からかい気味に放った最後の言葉には、軽く額を指先で弾く返事が返された。

 


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