夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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勢いがあるうちに。


二十二話:黒歴史とお兄ちゃん

 日曜日。この日は羽沢珈琲店、当然ながら営業日である。基本世間様は休日ということもあり、老若男女問わずに人が訪れこの店が最も繁盛する一週間で最後の日。

 当然、アキラはこの日もバイトに精を出していた。

 つぐみと共にホールを担当し、時には客と他愛のない会話を挟みながら。顔と態度には然程出さないものの、充実してると言ってもいいくらいにはアキラはバイトを楽しんでいる。

 

 そして午前十時を過ぎた頃。またひとつ、来店を告げる鐘の音が響く。アキラとつぐみが同時に反応して、

 

「いらっしゃいませー!」

「いらっしゃいませ」

 

 先につぐみの元気な声が、ワンテンポ遅れてアキラの落ち着いた声が訪れた客を迎え入れた。今まではそれなりに重なっていた二人の声が今回に限ってずれたのは、来店した人物達が見知った顔であったからである。

 

「よう、やってるな」

「お疲れ様。ちゃんとやってる?」

 

 一人は巴。もう一人は、この店の近所にあるパン屋の娘、山吹沙綾である。

 知り合いとはいえ客は客。アキラはとりあえず店員としてこの二人の対応を試みる。

 

「お二人様ですね。テーブル席へどうぞ」

「おぉ……アキラに敬語を使われるなんて」

「フフ、新鮮だね」

「いいから早く座れ。注文取るんだから」

 

 早くも対応が崩れていた。

 

 が、今は客もまばらな時間帯。見苦しくない程度なら口調は元に戻しても構わないだろう。そう思いつつチラリと店主を伺えば、にっこり微笑まれたので問題なしと判断するアキラ。

 二人から注文を聞き、店主に伝えに戻る。

 

「カフェオレにアイスティー。フレンチトーストがふたつです」

「了解。少しくらい話していても構わないよ」

「……まぁ、気が向けば」

 

 そう返事をしたアキラは、空いているテーブルを手際よく片付けていく。食器を運んで、ちょうど洗い物をしていたつぐみの元へと向かうと、小さく溜め息をついてから、

 

「知り合いに働いてるとこ見られるとこそばゆいな」

「あー、ちょっとわかりますよ、その気持ち」

 

 もう私は慣れちゃいました、と笑いながらささっと洗い物を済ませてしまうつぐみは、 すぐに次の仕事に取りかかってしまう。

 その様子を腰に手を当てながら見送ったアキラは、困ったような笑みを見せてから配膳の準備に入るのだった。

 

 

「お待たせ致しました。どうぞごゆっくり」

「どーも。アキラさん、随分手慣れてるんじゃない?」

「……必死に取り繕ってるだけだよ。ようやく慣れてきたところだ」

「コイツはこう見えて社交的ではあるからな。アタシはそんなに意外でもないぜ?」

「やれることやってるだけだ。大層なことは何にもしてない」

 

 先程とは違い、本当に困ったようにそう返すアキラ。本人にしてみればまだまだ慣れないことばかりであり、ついていくのがやっと――とはいかないまでも、余裕綽々とはいっていないのが現状なのである。

 それも仕方なし、アキラにはこの手の経験値が不足しているのは事実。無いよりマシ、程度の経験があるとするならば――

 

「あぁ、それに学祭で喫茶店の真似事もしてたしな」

 

 そういえば、とぽんと手を叩いて放たれた巴の言葉にピタリとアキラの動きが止まる。それを見た巴はニヤリと悪い笑みを浮かべてから、フォークを手にとってそれをふらふら揺らしながら続けた。

 

「それを考えれば、全くの無経験って訳でもないよなぁ」

「……頼むからその話は掘り下げないでくれ」

「あぁ、そういえばやってたね! あれは私も驚いたなぁ」

「沙綾」

「すっごい可愛い子が迎えてくれた、なんて思ってたら、それがまさか」

「沙綾さん」

「ごめん、ごめんって。だから真顔止めて怖いから」

 

 思い出したくもない黒歴史を思わぬところから抉られて、顔から表情が抜け落ちたのはアキラだ。それを見た沙綾はこちらも半ば本気で謝罪してしまう。巴は面白くてたまらないといった風情でくつくつと笑っていた。

 この話題から離れたいアキラが、とにもかくにも話題を変えようと口を開こうとする。が、そんな時ほど思った通りにはいかないものだ。ひょこっとアキラの背中から顔を覗かせたつぐみが、純粋な興味から質問してしまったからだ。

 

「アキラさん、接客業の経験は無いって言ってませんでした?」

 

 顎に人差し指を当てて虚空に視線をさ迷わせるその姿は、わざとであったならばとんだくわせものである。が、つぐみはこんなあざとい仕草でからかいに走るような人間ではないとアキラは知っている。

 が、だからこそ苦しい。今はその純粋な疑問ですらアキラには猛毒となる。苦虫を噛み潰したかのような顔をしながら、どうにか口を開き、

 

「バイトはな。学祭で喫茶店の真似事したことがあったんだよ」

「へぇ……! いいですね、今年もやるんですか?」

「ど、どうだろうな」

「アタシはやってほしいな」

「私も私も」

「お前らな……」

 

 流石に事情を知らないつぐみには強く当たれないアキラに、ここぞとばかりに二人が追い討ちをかける。

 珍しく弱々しく呻いたアキラに、巴がついに吹き出して笑い出した。沙綾もクスクスと笑い、つぐみは取り敢えず浮かべたらしい笑みのままにきょとんとしている。

 

「つぐみ。先に言っとく……。頼むから、この話は深く聞かないでくれな」

「? ……何か、大変な話なんですか?」

「いや、話の種類としてはこのうえなくくだらない話なんだけどよ……」

「よくわかんないけど、アキラさんがそう言うなら聞きません」

「ありがとう。つぐみみたいな妹がいたらなって今本当に思うよ……」

「いっ、妹ですか!?」

「深い意味はないぞ。年的にしっくりくるのが、って話な」

「あこが聞いたら怒るんじゃないか?」

「怒りはしねぇだろ。じゃああこのお姉ちゃんにもなりますねっ! とか深く考えないで終わらせるのが関の山だ」

「うーん……言いそうだな」

「そういえば、あこちゃんも来る予定だったんじゃないの?」

「今日はバンドの人達と集まるんだと」

「あぁ、そういえばあこちゃんもバンド入ったんだもんね」

「まあな。沙綾の方はどうなんだ?」

「私はねー……」

 

「アキラ君、ちょっと」

「あ、はい。今いきます」

 

 他愛のない話から、巴と沙綾は雑談へと突入。アキラも店主に呼ばれてその場を離脱する。

 つぐみはと言えば――

 

「お兄ちゃん……お兄ちゃんかぁ……ふふ」

 

 何やらそんなことを呟きながら、離れたテーブルへと向かうとその上を綺麗に拭き始めるのだった。

 


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