夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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二十一話:ピンチヒッター

「お待たせ致しました。どうぞごゆっくり」

 

 注文の品であるショートケーキ、そして紅茶を二人分女性客へと届ける青年。

 どこか無愛想にも見える彼だったが、去り際にふわりとした笑みを浮かべてカウンター裏へと消えていく。

 その後ろ姿を女性客達はしばらく見送った後に、近場にいたもう一人の店員に話しかけた。

 

「新しい人よね?」

「はい! とっても頼りになる方ですよ!」

 

 女性店員――羽沢つぐみは笑顔で返す。心底そう考えているのがわかるくらいの真っ直ぐなその笑みに、女性客もつられて笑顔を返す。

 その会話が聞こえていた話題の青年――アキラは、ぽりぽりと頬を掻いた後に、洗い物に取りかかるのだった。

 

 

 

 

「今日もお疲れ様でした」

「お疲れ。つぐみは凄いな。毎日これやってる訳だろ」

「そんなぁ。アキラさんだって、まだ三日目なのに要領良くてすごいです」

「これでも緊張し通しなんだけどな」

「またまたぁ」

 

 時刻は午後九時過ぎ。羽沢珈琲店の終業時刻を過ぎた店の中で、私服姿に戻ったアキラが店の紅茶を楽しんでいる。その真向かいに座るつぐみは店の制服のままだったが、纏う雰囲気はリラックスした自然体のもの。

 それを何の気なしに眺めながら、男と二人きりなんだから少しは危機感を持て、という注意をしようかしまいか悩むアキラ。

 

「でも、まさか本当に受けてくれるなんて思いませんでした」

「まぁ、バイト自体は初めてじゃないし。この店にも世話にもなってるしな。俺程度で助けになるならやれることはやるさ」

 

 こうやってバイト代の他に紅茶も飲ませてくれるしな、と笑うアキラの顔を楽しそうに眺めるつぐみ。closeの看板がかかった店の中では、営業中とはまた違った緩やかな時間が流れている。

 そこに、アキラにバイトを頼み込んだ張本人である店主がやってきた。

 

「今日もお疲れ様。いや本当に助かってるよ」

「まだ大した働きは出来てない気もしますけど」

「いやいや、謙遜も過ぎれば嫌みになるよ。君の働きはそれぐらい立派なものだ」

「そうですよー。ほら、胸張ってください」

「って言われてもな。ただ注文取ってそれ届けて、片付けて。しかもそれ全部つぐみの劣化版みたいなレベルだし」

 

 テーブルの下で足を組み、頬杖をついてそんなことを言うアキラ。実際、アキラのバイト経験は体力仕事ばかりだったのでこういう接客業のノウハウは無いに等しい。つぐみにマニュアル的な教えを受けてなんとなく形にしてはいるものの、彼女のように来た人に元気を与えるような接客など望むべくもない。そうアキラは自己を評価していた。

 が、それは他の二人から見れば低すぎる自己評価と言わざるを得ない。

 多少無愛想なのは仕方ないにしても、その分時折浮かべる(本人が言うには)営業スマイルを際立たせているし、接客も経験していないとは思えないほど丁寧なものだ。

 また、その紅茶の知識を活かしてメニューに悩む客にはお節介にならない程度に注文を促すことも出来る。このデザートにはこの紅茶、こんな気分ならこの紅茶、という風に自然に売り込みをかけているのだ。

 実際、アキラがバイトに入ってから目に見えて、と言うほどではないにしろ売上は確実に伸びている。この調子なら彼目当てのリピーターなんてのも出てくるのでは、と店主は目論んでいたりした。

 

「けどまぁ、よくこの仕事量を数日とはいえこなしてたもんだな」

「あ、あはは……確かにちょっと大変ではあったかな……」

 

 アキラが羽沢珈琲店でバイトをすることになった理由。それは純粋に人手不足からのヘルプである。

 もといた従業員が事故により出勤出来なくなったことに加え、雇っていたバイトがやめてしまったことにより人手不足に陥った羽沢珈琲店。地元では人気の店なので、従業員が減っても客が減るわけでもなし。数日営業して無理を悟った店主は、ひとまずの希望としてアキラにバイトの話を持ちかけたのだ。

 

「しかし、放課後からこの時間までフルで入ってくれるのは有難いことこの上ないけれど……本当に平気かい?」

 

 店のピークタイムは夕暮れから。それまでは店主と他にいる従業員で回すことが出来るものの、ピークタイムはどうしてもホールの人間が足りなくなる。

 基本二人体制で回していたホールがつぐみ一人になり、彼女の負担が大きくなりすぎていた。そこに入ったアキラの予想外に大きな戦力は店主としても、娘の父親としても喜ばしいことではあるが、それで彼ばかりに無理をさせるのも間違っている。そんな想いから出た言葉だったのだが、当の本人は紅茶を楽しみながらどこ吹く風といった風情。

 

「家にいても紅茶触ってますし。帰ってから全く時間がなくなる訳でもないから、平気です」

「……助けて貰っておいて何だが、無理な時は無理と言ってくれて構わないからね」

「無理は禁物、ですよ!」

 

 追ってかけられたつぐみの言葉にさてどう返してやろうかと紅茶を飲んでいたアキラだったが、不意になる着信音に意識を奪われる。

 自分ではない。なら、とつぐみに視線を向けると、ちょうど彼女が私のだ、と携帯を取り出していたところだった。それを耳に当てる姿を見てから、さてそろそろ帰りますかね、と身体を伸ばした瞬間、

 

「もしもし、巴ちゃん?」

「む」

 

 その体勢のままに再度つぐみへと視線を向けた。

 何故に今時間に電話。単に用事でもあるのか、もしくは俺の様子でも聞くために電話をかけてきたのか。後者の可能性が高いな、と再度頬杖をつくアキラ。

 

「うん。いるよ。……えっ? ううん、とんでもない! すっごく頼りになるよ!」

 

 今のは、アキラが迷惑かけてないか、とでも聞いたのだろう。アキラは、何となく電話の向こうにいるのであろう巴の言動予想を続ける。

 

「そうなんだ。この時間までいてくれて……うん。感謝感謝、だね」

 

 今さっきまで店の手伝いだったのか? 辺りだろうか。良い線言ってる気がする、とアキラはカップを揺らして紅茶を波打たせた。

 次辺り、悪いけど、代わってくれるか? がくる気がするな、と次の予想を先に済ませてそれに口をつける。

 

「うん、わかった。今代わるね……アキラさん。巴ちゃんです」

「だろうと思ったわ」

 

 巴検定一級から初段に昇格。二段から先はあこを含めた巴の行動を読まなければ。

 そんなくだらないことを考えながら手渡された携帯を耳に当てると、

 

『浮気は許さないからな』

「……流石にそれは予想してなかった」

『あっはっは! 冗談だよ、冗談』

 

 スピーカー越しに楽しげな笑い声が鼓膜に響き、色々と苦い表情をしつつアキラが溜め息をついた。

 

「俺に初段は早かったか……降格だな、残念」

『? 何の話してるんだ?』

「巴検定。さっき初段に上がったつもりだったけど今しがた一級に落とされた。どうしてくれる」

『そんな意味不明で理不尽な言いがかり初めて聞いたよ……。てかなんだ、アタシの検定かそれ』

「他に何がある」

『それならアタシが段位くれてやるよ。五段でも六段でも持っていけ』

「残念ながら二段からはあこという不確定要素が混じってくるからな。お前の独断で上げることはできん」

『あこを不純物扱いするな!』んー? お姉ちゃん呼んだー?』いや、呼んだわけじゃないんだけどな……』

「じゃ、俺これから帰るから」

『え、ちょっと、待』

 

 良い感じに会話が入り乱れたところで、およそ自分勝手なタイミングでアキラが通話を終了させる。

 はい、と携帯を手渡されたつぐみは苦笑いしており、どうやらなんとなくだが、勝手にアキラが通話を終了させたのがわかったらしい。

 

「巴ちゃん、怒りますよ?」

「それならそれで俺に電話かけ直してくるだろ」

 

 直後に、アキラのポケットから着信音とバイブレーションが響く。

 

「……こんな風にな」

 

 ちょっぴりおどけて言って見せたアキラに、つぐみはクスクスと笑っていた。

 

 


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