「巴、少し走ってるけど」
「あぁ、悪い。少し抑えて、な」
「ううん……いいかもしれない。ちょっとリズム変えてようか」
「ひーちゃーん。誤魔化しはダメだよ~?」
「うぅっ、精進します」
「…………」
afterglowメンバーが音を合わせ、時に提案を、時に注意を仲間内で交わし合う。
自宅にスタジオを持つアキラではあるが、やはりいくつもの楽器が集まる本格的なスタジオは違うな、としきりに頷いていた。
まぁ、もちろんあのスタジオもしっかりポテンシャルを引き出してやれば、負けないものはあるのだが。
「ふぅん……」
スタジオの端にて見学するアキラにとってはあまり縁の無い光景であり、なるほどこうして練習しているのかと感心混じりで観察するには充分なafterglowの練習風景。
特に、巴がこうしてバンドメンバーと、音楽と深く接しているのを目の当たりにするのはこれが初めてと言ってもいい。長い付き合いではあるが、まだまだ知らない部分もあるものだ、とそれらを眺め続ける。
「ん?」
と、そこで一人の人物でアキラの目が止まる。キーボードの前に立つ彼女は、真剣な顔で同じフレーズを繰り返しているところだった。
ふむ、とアキラは顎に手を当てる。ドラムもギターもベースも触ったことがあるだけで素人だが、キーボードだけは彼も心得がある。もちろんベースである技術はピアノであり、彼の母親から叩き込まれたピアノのそれは伊達ではない。恐らくその道を進んでいたならば、輝かしい道を行くことも出来たかもしれない程だ。
――無論、その気が無ければその未来もあり得ない訳だが。
ちらり、と巴と何やら話している蘭に視線を向ける。こちらに一瞥もくれない彼女を確認してから、アキラは座っていた丸椅子から立ち上がり、つぐみの元へと歩を進めた。
ぐるりと迂回してつぐみの背後に回るアキラ。よほど集中しているのか、アキラの存在に全く気付かないつぐみ。その背からスコアを覗き見たアキラは、弾いていたのはこの辺か、と当りをつけてまじまじと見つめた。
「えっ」
そして、つぐみが何度も弾いていた箇所を弾いてみせる。
一通り弾いて、もう一度譜面を見返してから、頭の中で自分とつぐみの音を重ねて考えたアキラは、自分が間違っていないことを確認した上で口を開く。
「うん……。ピアノ出身で合ってるか?」
言われたつぐみはそこでようやく正気に戻り、見開いていた目をパチパチと瞬かせてから口を開いた。
「経験者……ですか?」
「同じくピアノだけどな。キーボードは遊びで触ってるだけ」
答えながら、コードをポロポロ弾いて見せるアキラ。なかなか面白い曲だな、なんて笑みをこぼす彼の顔を、つぐみは瞳を輝かせながら見つめている。
興が乗りそうになるところを、これじゃあ練習邪魔してるだけじゃねえかと思い留まったアキラが身を引く。
「その……少し聞きたいんですけど」
そこで引き留められるように掛けられたつぐみの声に、質問の内容を察したアキラがあえて気軽な口調で答えた
。
「音自体は間違ってないんじゃないか。問題はリズムだな」
「リズム……やっぱり」
「ただでさえやること多いキーボードだからな。完璧にリズム取るとかしんどいだろうけど。ピアノ出身の人間は、他と合わせるっていう意味でのリズム感はあんまり鍛えられてないらしいからな」
言いながら、スコアを手に取ってペラペラとめくるアキラ。何度も捲られた形跡のあるそれを、どこかいとおしげに指で撫でる。
「お前が感じてる違和感の九割はリズムのズレから来てると言っていいんじゃないか。後は……音の強弱や音圧、音作りの領域だろうな。ま、何度も合わせてここっていうポイント掴むしかない。……あぁ、あと」
「は、はい」
「腱鞘炎には気を付けろよ。手の怪我は面倒だからな」
ヒラヒラと包帯が外れて自由の身となった手を振りながらつぐみのそばから離れていくアキラ。
本人からしてみれば、これ以上は本当に練習の邪魔になるだろうという想いから。ついでに言えば、約二名からの視線がそろそろ痛くなってきたから逃げの一手を打ったというのもあった。
……まぁ、だからこそ、その背中に向かうもうひとつの視線に気付かなかったのだが。
その日の夜。
いつものように紅茶を楽しみながら、飼い猫であるチノを膝上で愛でていたアキラだったが。
「…………」
「なんだよ……言いたいことでもあるのか?」
その隣に座る恋人からの視線にとうとう耐えきれなくなり、カップを置いてそちらに顔を向けた。
かれこれ二時間は同じような視線を向けられていたことを思えば、充分に我慢した方であろう。
「……うん。下心は無いみたいだな」
「意味がわからん」
「いやな? 今日のスタジオ練でつぐみとなんかやってただろ?」
「あぁ。助言のようなそうでないようなことは言ったな」
実際、アキラもピアノは弾けてもバンドでのキーボード等やったことが無い。聴いた感じから、母親から聞いた知識を取り敢えずそのままつぐみに伝えただけだ。
もちろんあの程度のことはつぐみとてわかっていただろうし、あの助言に意味があったかと聞かれるとアキラは首を横に振るところである。
なら何故、わざわざあんな真似をしたのかと言えば――
「なんつーのかな。一生懸命さに心打たれたのかね」
「つぐみはいつだって一生懸命だからな。少しそれが心配でもあるんだが」
「後は……」
次いで理由を言おうとして、言い淀むアキラ。
そんなアキラを横からじいっと見つめる巴だったが、その顔は優しい。アキラがつぐみに自分から関わりに言った理由が、彼女にはなんとなくわかっていた。
例え本人がわかっていなくても、長年彼を見てきた彼女にはわかることだってあるのだ。
「……なんだよ」
「なんでもー?」
「ふん」
彼がピアノを引いていた頃の姿を思い返し、それが今のつぐみと雰囲気が瓜二つなのを思い返す。
勿論、性格なんかは丸っきり違うわけだが。
「つぐってるならぬ、あきってた頃だな」
「何の話だよ……」
「いいや。ふふ」
怪訝そうに巴を伺うアキラの横で、頬杖をついてクスクス笑う彼女であった。