夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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リハビリがてらに軽く一本。


十九話:気の抜けた先に

「んー……」

「ず、随分お疲れなんですね……」

「……明さんのこんな姿初めて見るかも」

「二人とも、そんなにジロジロ見るものではないよ」

 

 羽沢珈琲店、そのカウンターにて片肘をつき、半分落ちた瞼をゆっくり動かしながら力無い声を漏らすアキラ。

 そんな彼を、この店の娘である羽沢つぐみと、そのバンドメンバー上原ひまりが物珍しげにテーブル席から眺め、更にそんな二人をつぐみの父であり店主の男が苦笑しながらたしなめる。

 全く覇気の無い姿と声であったが、一応その声は聞こえていたらしい。アキラは緩慢な動作で振り返ると、二人へと視線を向けた。

 

「別に疲れてる訳じゃないぞ。ただやる気が出ないだけだ」

「やる気って、何の?」

「いろいろ」

 

 ひまりの問いに短くそう返したアキラは、また背を向けて同じような体勢に戻る。と、そこで店には新たな客が訪れた事を示す鐘の音が鳴り響いた。

 赤い長髪を靡かせながら店内に足を踏み入れた彼女は、彼の背中を見てクスクスと笑った後に、その右隣の椅子へと腰かけた。

 

「まーだ黄昏てる。カッコ悪いぞ」

「カッコ悪くて結構だ」

「冗談だって。いつも通りカッコいいカッコいい」

「どの辺りがいつも通りなのか教えて欲しいもんだな」

 

 背中をパンパン叩かれながら、それでも眠たい顔のままで巴を横目で捉えるアキラ。その顔は既に店主の羽沢へと向いていて、簡単な注文を済ませているところだった。

 注文を聞いていたつぐみがパタパタとカウンターの奥へと消えていき、ひまりが巴とは反対側、アキラの隣へと席を移す。

 

「巴~、明さんどうしちゃったのさ?」

「ん……まぁ、原因はこれだな」

 

 巴は少しだけ身を乗り出すと、頬杖をつく逆の手、つまり右手をその手に持って軽く揺らした。その手首には頑丈にテーピングが施されており、全く力が入っていないであろうにも関わらず、手首から先は固定されていて動かない。

 気怠げそうに軽く掴まれた手を振り払ったアキラは、随分温くなった紅茶を口にする。

 

「何をするにも不自由なもんでな。どうにもやる気がでん」

「というよりは、好きに紅茶を淹れられないのがストレスなんだろ?」

「おや、ウチの紅茶じゃ不満かな?」

「だったら毎日晩まで入り浸ったりしませんよ……」

「ふふ、すっかり常連さんですもんね。私は嬉しいですよ?」

「つぐ、その言い方だと巴が嫉妬しちゃうよ?」

「アタシはそこまで心狭くないぞ」

「どの口が言うんだろうな……」

「え、明さん。それってもしかして」

「おいやめろ。変なこと言うんじゃないぞ」

「えっと、巴ちゃん。大丈夫だからね?」

「つぐ、それはどういう意味なんだ……?」

 

 ピークタイムを過ぎた羽沢珈琲店。どこか緩い雰囲気のまま、少し騒がしい時間は過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした、早く口開けろよ」

「……これ、まだ続けるのか?」

 

 場所が代わり、アキラの家。

 夜になり夕食の場にて、二人は隣り合って食事を取っているの、だが。

 

「もう何日もやってきたことじゃないか」

「いや……フォークとかスプーンとかなら左手で」

()だ」

「嫌だってお前」

 

 スプーンを持ったまま、身体をアキラへと寄せていく巴。

 つまり、利き手が使えないアキラに代わり、巴が食事の面倒を見ている、俗に言うはい、あーん、というやつなのだが。

 

「こういう時でもないとさせてくれないじゃないか」

「いや、まぁ……」

 

 こんな恥ずかしい真似、平時であればさせることはまずない。からかう目的であれば逆にやることはあるかもしれないが、やられるのは色々と、というよりは、普通に恥ずかしい。

 これが始まったのは、あのダンスイベントが終わったその翌日から。

 一人で夕飯を取ろうとして左手で四苦八苦していた所を、何やら決意に溢れた顔をした巴が家を訪れたその瞬間から始まったのだ。

 その日から一週間。この通り今でも巴は夕飯時、休日ならば三食隙あらば甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 

「ほら、早く」

「…………」

「よしよし。どうせアタシしかいないんだからさ」

 

 お前だから余計に恥ずかしいんだよ、と。優しく引き抜かれるスプーンを見つめながら咀嚼するアキラ。ポーカーフェイスは崩れないが、目の前の彼女の顔を見ることはしない。羞恥から視線は先程からスプーンに固定されたままだ。

 

「動かせるまで、どれくらいだっけ?」

「あと一週間もすれば固定しなくてもすむんじゃねぇかな……むぐ」

「あと一週間か……」

「怪我治るのに残念そうな顔はやめろ」

「お前が元気になるのは当然嬉しいさ。けど」

「……あむ」

「こうして世話を焼けなくなるのは、ちょっと寂しいな」

 

 最早慣れたもの、と次々アキラの口にスプーンを入れていく巴の顔は、その言葉通りほんの少しだけ悲しそうな笑みであり。

 それを視界の端で見たアキラは、まだ差し出されていないおかずが乗ったスプーンを見てから、

 

「うわっ」

 

 それを自分から迎えにいく形で口にすると、そっぽを向いて小さい声で呟いた。

 

「……これでも頼ってるつもりなんだけどな」

「もっと頼って欲しいんだ。アタシも寄りかかってばっかりじゃな」

「今みたいに、か?」

「カップルっぽいだろ?」

「人前で出来れば、な」

「それは勘弁だ。こんな緩い顔人前に出せないさ」

 

 なんだかんだで、恋人らしい甘い空気を作り出す二人であった。

 

 

 

 

 

 それから更に一週間。晴れて右手首がテーピングから解放されたアキラは、自他共に認める常連と化した羽沢珈琲店にて、珍しくafterglowメンバー全員が集まる中で口を開いた、

 

「練習を見せてほしい」

「なんであんたに見せなきゃいけないの」

 

 瞬間に、アキラと蘭の間で視線が交差する。

 姿勢の良い蘭の真っ直ぐな目線。対し、深く椅子に腰かけ、蘭の言葉に反応するように足を組んで顎を引く。睨み上げるような目線である。

 しかし、アキラの人となりがわかってきているメンバーはそこまで不安にはなっていない。巴はむしろ笑っているし、モカはのほほんと蘭を眺めているし、ひまりに至っては新作のケーキに舌包みを打っているしで、ハラハラしているのはつぐみただ一人という状況である。

 そんな訳で、剣呑な雰囲気なのは二人の間のみ。店の中は変わらずゆったりとしたままである。

 

「ただ見学したいだけの話だが。そこまで睨まれることか?」

「邪魔されるのが嫌なだけ。あんたがいて得なことが見当たらない」

「随分な言い様だが……そ」はいはいそこまでな」

「蘭もどーどー」

 

 そこで、アキラには巴が、蘭にはモカが抑えに入った。

 巴がアキラの口を優しく抑えたのを見て、モカも真似して蘭の口元に手を伸ばし、それを避けようとする蘭とで何やらわちゃわちゃしている。

 完全に緩い雰囲気になったところで、ひまりがケーキを完食してから口を開いた。

 

「ついに明さんがafterglowに興味を……よよ」

「ケーキついてんぞ」

「取ってと……と、巴~冗談だよ~……」

「トモちんが怒ると迫力ありますなー」

「やめてくれ、なんでか知らんが大体俺に矛先向くんだから」

「お、怒ってなんかないって! ただ、アタシにもやらないことをひまりにやるのかお前はって……」

「やっぱり俺じゃねえか」

「み、皆? 話が盛大にずれてるけど……」

 

 ぶつかり合うアキラと蘭。引っ掻き回すモカとひまり。アキラが絡むと最近ブレーキが効かなくなる巴。ここで、つぐみの常識人という個性にもなりそうにないものが光る。

 ここから先はそこまで話が拗れることもなく、無事アキラの要望通り次のスタジオ練習を見学することに決まる。

 

 ……余談ではあるが。

 

「ん」

「クリームついてんぞ」

「……ん」

「んだよ。ティッシュなら目の前にあんだろ」

「……んー!」

「あっこのっ! 人の手で拭うんじゃねぇ! ぐりぐりすんなって伸びるだけだろうが!」

 

 そんなやり取りがその日の夜にあったとか、なかったとか。

 


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