「……あ」
「あら、奇遇ね」
リサとアキラが準備運動を始めた頃。
建物の外で、二人の女性が互いの顔を見て足を止めていた。
「なんだか意外ですね。湊先輩がこういうところにくるなんて」
「私だって、音楽ばかりだけの女じゃないわ。つまらない女、なんて言われたくないもの」
「アハハ、その件はアイツが失礼しました。ああ見えて結構気が強くて」
「ああ見えて、というか、見た目通りに思えるけど」
腰に手を当てて笑う巴と、口元に手を当ててくすりと笑う友希那。性格の出る笑いを溢した二人は、連れ添って建物の中へと足を踏み入れる。
イベントホールでは会話がままならないと、二人は少し離れた通路にある休憩所へと向かい、そこにあるベンチへと腰かけた。
「――ところで、貴女は彼と付き合っていたりするのかしら?」
「ぶふっ」
すぐそばにある自販機にて購入した飲み物を口に含んだところで、予想外の人物から予想外の質問が飛んで、巴は軽く噴き出してしまう。
あら、ごめんなさい、と優雅に差し出されたハンカチを受け取り、口元を拭きながら気持ちを落ち着けている巴を見て、友希那は、へぇ、と腕を組んだ。
「その反応を見る限り、やっぱりそうなのね」
「ど、どうしたんですかいきなり」
「いえ、特に意味はないのだけれど。何となく……そう、何となく、ね」
表情を崩さずに言う友希那の意図が読み取れず、ただただ困惑するばかりの巴。
リサやあこにからかわれるのはすっかり慣れてしまった巴だが、流石に真面目な顔で問われてしまうと少し動揺してしまう。
こんな時、アキラなら『何か問題でも?』と平気で返してしまうのだろう。こういう時ばかりは、あの豪胆さが羨ましく思えてしまう巴だった。
「じゃあ、今日は彼のことを応援に?」
「どちらかといえば、あこの方がメインですかね」
「あら」
巴の言葉に、キョトンとした表情を見せる友希那。こういう表情は年相応なんだな、とどこか安心する巴に、友希那が意外そうな顔をして組んでいた腕をほどいた。
まぁ、巴も勿論アキラを応援したい気持ちはある。あるのだが、彼の……彼女としては、少しばかりひっかかるモノがあるのも事実なのだ。
「アタシだって、その……彼氏が、他の女の子と仲良くしてるとこ見るのはイヤですから。それが、今井先輩であっても」
「……そういうこと。何となくだけど、彼はそういうところ、疎そうではあるわね」
「疎いというか、切り替えが利きすぎるんですよ、アイツ」
特に、ダンスに関して言えば、アキラは異性との垣根が異様に低くなる、と巴は常々思ってきている。
普段から親しい間柄のあこやリサに関しては、多少身体が触れても特に何も言わないし気にしない彼だが、それでもある一線を越えることはない。
あこに関しては飛び付き飛び付かれが挨拶みたいなものなので例外として、リサが相手だと必要以上の接触はしない。リサからからかい混じりで腕に抱き着いてみても直ぐに振り払うし、露出が多い時は露骨に顔を逸らすのがアキラという人間だ。
しかし、これが一度ダンスという世界に入ってしまえば、際どい衣装だろうが目を逸らすこともなく、振り付けならば平気で自分からパートナーを抱き寄せる。
本人が言うには、
『恥じらいとかあったらダンスやってられねぇよ』
とのこと。
曰く、なんであれ人に見せる目的でダンスをするのであれば、それは顕示欲に他ならない。顕示欲の敵である恥じらいなんて捨てるのが当たり前、そもそもが必要のないものだとアキラは巴へと言ったことがあった。
確か、それを聞いたのは、初めてアキラとリサが組んで踊っているのを見たその日の夜だったと巴は記憶している。
「今思えば、もうその頃から嫉妬してたのかも知れませんね。一年も前の話ですけど」
たはは、と恥ずかしそうに笑う巴の姿に、今まで持っていた巴へのイメージを大幅に修正していく友希那。
そもそも、巴と友希那は同じ学校に通っているだけの間柄であって、そこまで親しくもない。
リサや、彼女の妹であるあこからたまに話を聞くぐらいのものであって、直接二人で話すのは、思い返しても今が初めてだ。
そんな友希那が持っていた印象といえば、良く言えば姉御肌。言い方を変えるならば、男らしい。そのぐらいの、話せば直ぐにわかるくらいのものでしかない。気っ風の良い性格は彼女の大きな魅力であるが、それは彼女の持つ一側面でしかなかったと思い知る。
「今の貴女、とっても魅力的だわ」
「うぇ!? な、何を……」
突然の褒め言葉。しかも目の前にいるのは、あまり人を褒めるようなことはしないと思っていた人である。
巴は頬を染めながら、恥じらいから視線を外してしまう。
が、友希那は淡々と、
「純然たる事実を言っただけ。恋は人を美しくする、なんて俗っぽいと思ってたけど、目の当たりにすると信じざるを得ないわね」
まるで興味深い事象を観察した後のように、うんうんと頷いている。
巴は赤い顔のまま、少し伏し目がちに彼女へと視線を向けて、多少失礼かと思いつつも、感じたことを口にした。
「……湊先輩、少し変わりました?」
「どうかしら。私としては、変わったつもりはないのだけれど」
言いながら、友希那は思う。それでも何か変わったとするならば、それはきっと幼馴染のせいなのだろう。おかげ、だと少し悔しい気がしないでもないので、
「そろそろ始まる時間ですね」
「そうね……こうして見る側に立つのも久しぶりだわ」
時間を確認した巴の言葉に立ち上がり、イベントホールへと向かって歩きだす友希那。
それに少し遅れる形で隣に並んだ巴は、ふと前方に立っている女性の姿が目に入り、
「あ、れ」
「あの人は……まさか」
何故あの人がここに居るのか。
いいや、彼女の予定こそわからないので、居てもおかしくはない。おかしくはないのだが、あまりにも唐突過ぎる。
もしかしたら他人の空似かも、と目を擦った巴だったが、パタパタとどこか可愛らしく手を振られてしまっては、本人だと思わざるを得なかった。
顔に手を当てて項垂れる巴の横で、友希那もまた驚きで目を見開いたままに動かない。
取り敢えず、巴が今一番聞きたいことは。
「アキラは知ってるんですか……?」
女性は、いたずらっ子のような幼い笑みを見せて、人差し指を口に当てるのだった。
「なーんか、嫌な予感がするんだよなぁ」
「なにさ、いきなり」
「いや、なんつーか、こう……背中がむず痒いっていうか」
「……この辺?」
「そういう意味じゃねぇけど……もう少し上」
予選が始まってしばらくした頃。
出番を控えた二人は、今まさに行われているバトルを見ながら、そんなゆるいやり取りをしていた。
とはいえ、嫌な予感という言葉は本当のようで、アキラはしきりにギャラリーの中を見渡しては眉間にシワを寄せている。
「本当に見にきてんのかな」
「う~ん……。巴は来てもおかしくないんだけど、あの友希那がねぇ」
「まぁ、来てたとして多分前までは来ない……」
「……? 見付けたの? どこどこ」
ある一方向を見て急に固まったアキラの肩を揺さぶり、どこだどこだと訴えかけるリサ。
何やら硬い顔のまま指でその方向を指したアキラの横顔を怪訝そうに眺めたリサだったが、直ぐにその指が指す方向に目を向けると、確かにそこに、目立つ頭が二つ並んでいた。
「おー、本当に見に来てくれてる! あれ、でもあの人誰だろ……なんか巴が苦笑いしてるけど」
「気のせいだろ。気のせいにしとけ。昨日の今日でいきなりこっちに来る訳ない」
「……何の話?」
「見なかったことにする。……うん、あれが本物でもそっくりさんでもどうでもいい。そういうことにしとく」
「だから、何の話を……って、ちょっとちょっと」
「出番だ、早く行くぞ」
「わかってる、わかってるからそんなぐいぐい引っ張らないでよ~!」
言葉通り、ぐいぐいとリサの手首を掴んで引っ張っていくアキラ。微妙にあの女性の姿が頭に引っ掛かり、会ったこともないのにどこか見覚えがあるんだよなぁ、と思案しながらも、サークルの中へと足を踏み入れるリサ。
「予選落ちは勘弁だ。大人げなくいかせてもらうか」
「ふふん、いいんじゃない? ほら、あっちだってやる気満々って顔してる」
ざわざわと、前バトルの熱気が冷めやらぬ中で、リサが両手を腰に当てながら言った。
正面に現れた相手は、歓声を受けながら片や元気に、片や物静かに佇んでいる。
「……うん?」
その片方――一ノ瀬一花の姿を確認したアキラは、ふとその姿を見て眉を潜めた。
あこの隣で静かに佇む彼女の顔。フェイスペイントで、左目の下に青いハートから滴が落ちるものが描かれている。そして、ゆったりとしたシャツに、一部太ももが露出しているガーターデニム。更には、青髪。
強烈な既視感を感じて、アキラは一度視線を外して後ろを向いた。そこには、かつてのチームメイトが片膝で座り込んでいる。
「健吾。あの青髪、もしかして」
「おう。うちのチーム所属だ。よく気付いたな」
「今気づいた」
「お前に憧れてうちに入ったらしいが、ちょうど入れ替わる形になっちまってたな。責任もって全力でぶつかってやれ」
「…………」
どん、ど胸をどつかれたアキラは、多少唇を尖らせながらも振り返る。彼女の視線は、変わらず自分へと注がれたままだ。
MCが場を盛り上げていたようだが、アキラの耳には全く入っていない。予想外の観客といい、目の前の相手といい、気を裂かれることが多すぎる。
「妙なドラマはいらねぇんだけどなぁ」
「?」
ぼやいたアキラと、そんな彼を不思議そうに覗きこむリサ。
バトルが始まる。曲が流れ、元気に飛び出してきたあこを見て、アキラはリサの背中を軽く叩いて、自分は一歩下がるのだった。