「なんだかすげぇ長かった気がする」
「そう? アタシは結構短かったけどなー」
てくてくと歩いていく二人。
とうとう迎えたイベント当日、それまでの日々を思い返して呟いたアキラの言葉に、頭の後ろで手を組んだリサが返す。アキラにしてみれば、色々あったと言う意味で。リサからしてみれば、充実していたからこその感想である。
かといって、感慨深くそれまでの話をするわけでもなく、他愛ない話を交わしながら目的地に到着する。様々なイベントに使われる、いわゆる多目的ホールと言うべき建物を見上げた二人は、ちらりと横目で互いを確認してからそこに足を踏み入れた。
受付にて出場者の確認を終え、指定された選手控え室の場所を聞き、先に進む。
「思ったよりも集まってんな……ほら」
「ありがと」
既にイベントホールではDJが音楽を流しており、サークルが出来て小さなダンスバトルが始まっていた。
はぐれては大変だ、と手を差し出したアキラのそれを、躊躇いなく掴みとったリサが、そのまま駆け寄り肩を寄せる。
「熱気がすごいね」
「確かに……でもちょっと妙でもある」
「まぁ、そうかも。こんなにギャラリー入るようなイベントだとは思ってなかったよ」
「大物でも来てんのか? いやまさかなぁ」
既にかなりの盛り上がりを見せている会場に、リサとアキラは顔を寄せて話をしながら進んでいく。巴に見られたら文句を言われること受け合いの距離感の二人だが、残念ながら今の二人は全くその辺りを意識していなかった。
やっとのことでたどり着いた控え室は男女で区分けされており、一旦そこで別れる二人。
「イベント開始までまだあるな。着替えたら、ここで待ち合わせでいいか」
「りょーかい。じゃ、またね」
「さて、と」
荷物置き場にバッグを置き、さっさと衣装に着替えてしまったアキラ。黒と灰色のライン、そこに赤の蝶が刻まれたスウェットに、上はこちらも黒を基調とし、紫の蜘蛛の巣がデザインされたシャツ。最後にキャップをかぶってしまえば、それでアキラの着替えは終了である。
適当な壁に腰かけて、今まで巻いていたテーピングを外し、改めてきつめに巻き直す。
その中で、軽く控え室に集まった人間を見渡したアキラは、どうにも参加しているメンツが多いことに気付いた。
ちょくちょく大会やイベントで見る他校の人間や、大学、社会人のダンサーがいるのはわかる。
だが、明らかに初めて見るような人間が大量にいるのは何故か。
まさか隣街から来ているのだろうか、と首をかしげる彼に、一人の男が近寄る。それに気付いたアキラは、キャップのつばを軽く上げて、その人物に笑いかけた。
「よう。お前も出てたのか」
「そいつはこっちの台詞だよ。お前はこういうイベント無視するかと思ってた」
背の高い男だ。アキラとは頭ひとつ以上違う身長を持つその男は、アキラの隣に腰かけると、短く刈り上げられた頭をボリボリと掻いた。
「とーぅ」
その直後に、伸ばしていたアキラの足に滑りながら飛び付いてくる人間も現れる。その顔を見て、驚きに目を見開いたアキラは、その頭を軽く叩きながら口を開いた。
「なんでお前がここにいんだよ」
「出るからに決まってんじゃーん。察しが悪いぞアキラ君」
「いや、お前演劇部……」
「演劇に躍りがないと思ったか! なめるな!」
「いやなめちゃいねぇけど」
足に抱きついたままジタバタする
まさかな、と隣にいる人間に目配せして見れば、彼は指先で自分と暴れる小動物を交互に指して見せた。
「……そのコンビは予想出来なかった」
「安心しろ。俺もそれと組むつもりはなかった」
「なんか馬鹿にしてない!?」
「してなくもない」
「してんのかよ!」
バッ! と顔を上げた彼は、そのままごろりと反転してアキラの脚を枕にしてしまった。
硬い、と呟く、男にはあまり聞こえないソプラノボイスの彼――
ぱっちりした二重のつり目、薄い唇に泣き黒子。アキラよりも更に小柄で、なおかつ彼はまた違う種類で線が細い身体を持っており、男の服装をしていても女に見える稀有な存在である。
アキラと同じ学校、クラスに通っており、先程指摘したように演劇部所属の高校生だ。この辺ではちょっとした有名人で、羽丘女子学園との合同演目で色々と伝説を作っている。
昨年の学園祭ではアキラと共に喫茶店をやり、全学年売上ナンバーワンを取っている為に、付随してアキラの存在も知れ渡っている。
……アキラにしてみれば、内容が内容なので全く嬉しくはないのだが。
「にしても、切っ掛けは何だ切っ掛けは」
「元々俺はソロの方で出るつもりだったんだけどよ、真緒が出てみたいってうるさくて」
「だってさー。二人がいる世界を私だけが知らないのは不公平じゃない?」
「知るかよ。そもそもお前踊れんのか」
「それが結構なもんでよ。出来るなら良いぞって言っちまった手前断れなくなってな……」
困ったように言う、アキラの隣に腰かけている男。こちらはアキラとは違う高校ではあるが、真緒と共にアキラとは小学生からの間柄、つまりは幼なじみだ。
彼――
「チームには戻ってこないのか? 皆待ってんだけどな」
「あんないざこざ起こしてどの面下げて戻れんだよ。それに、今みたいに踊りたい時に踊るのが俺には性に合ってるみたいだし」
「あれは完全に向こうが悪い話なんだがな……。ま、ダンス続けてくれてるだけでも嬉しいからいいけど」
「ねー、アキラは誰と組んでんの? やっぱりリサちゃん?」
「正解。さて、着替えたら待ち合わせの予定だからそろそろ行く。俺と当たる前に負けんなよ」
「こっちの台詞だな。けどまぁ、楽しくやろうや」
アキラの言葉に、真緒が頭を上げて体勢を変える。そんな些細な動作にも妙に女っぽさを感じて、本当にこいつは性別を間違えてると思いつつ、二人に別れを告げた。
控え室から出たアキラをリサが出迎えて、適当に開いている場所を探して歩き始める。
「妙に人が多い理由、わかったかも」
「ん?」
空いたスペースにたどり着くと、リサがそんなことを呟いた。その言葉にアキラがリサの方へと視線を向けると、リサは壁に向けてその細い指を向けている。
その方向へと目を向けたアキラは、直ぐになるほどと得心していた。
そこには、このダンスイベントのポスターと、もう一枚ポスターが飾られている。
「ダンスバトルと、バンドイベントの二本立てか。なんで気付かなかったんだろ」
「まぁ、受付も別々だしねー。グリグリ人気だし、ダンス目的の人とバンド目的の人が合わされば、これだけ集まるのも納得出来るよ」
「グリグリ……聞いたことねぇや」
「先輩本当にバンドとか興味ないんだね……」
「そんなことないぞ。最近はちょっとだけ興味ある」
このイベントが終わったら、巴に聞いてAfterglowの練習でも見させて貰おうか、と思っているぐらいには。
アキラがその辺りのことを言葉にすると、リサは目を輝かせてぐいぐいと彼の袖を引く。
何を言おうとしているのかは何となくわかるので、アキラはその頭にぽふっと手を乗せた。わふっ、と目を閉じた彼女に小さく笑って、まぁその内な、と手を離し――
「どーん!」
「うおっ」
背後からの突然の衝撃。バランスを崩しそうになりながらも、踏み出した足で何とか転ぶのだけは回避するアキラ。
その衝撃を与えた犯人は、彼の身体を這うように正面へと回り込んで、ぐりぐりとその頭を胸へと押し付ける。
「リサ姉ばっかりずるい! あこも撫でろー!」
「……背後からの奇襲とは感心しないな」
「ふぇっ? い、
いきなり現れたあこ。そういえばお前もいるんだったな、と内心で呟いたアキラは、珍しくにっこりと彼女へと笑いかける。
そして、いつもならその頭へと乗せられる手が、今回は更にそこから下へ向かって、柔らかそうな頬をぐにぐにとこね始めた。
アキラの背中に回されていた手が、バタバタと上下に振られて必死の抵抗を示すも、アキラはニヤニヤとしたまま頬を弄び続けた。
「むぅーっ! 漆黒の堕天使に、えーっと……不敬が過ぎるぞっ!」
「そいつは悪いな堕天使サマ。お詫びの追加だ」
「うわーん! リサ姉、アキ兄が苛めるよぉー!」
「おぉーよしよし。怖かったねぇ」
反省が足りない、と今度は両手で頬を摘まんでやろうとしたアキラから逃げ出し、そのままリサの胸へと飛び込むあこ。それを受け止めたリサが大袈裟にあこの頭を抱いて、よしよしと慰め始めたのを見て、アキラはなんだこの寸劇は、と溜め息をついた。
「んで? 何か用事でもあったのか?」
「ん? んーん、アキ兄が見えたから、つい」
「飛び付いてくんのは条件反射なのか……。パートナーはどうした」
微妙に呆れ気味なアキラの言葉に、あこがリサから離れてキョロキョロと辺りを見回す。
そして、
「……はっ! いっちー置いてきちゃった!?」
「いや……いるけど……」
「うっひゃあ!?」
突然背後から聞こえた声に、リサが跳び跳ねてアキラの腕へと取りすがった。リサが飛び退いたことで、そこにいた彼女の姿が露になる。
まず目に入ったのは、その青い髪。瞳が半分隠れる程の前髪がゆらりと揺れて、その青い瞳がアキラを見据えた。
すらりとした手足。身長は、アキラと同じくらいか、やや低め。色白の肌は儚げと言うよりかは、無機質なものを感じさせる。
そんな彼女の第一印象は、本当にあこと同じ中学生なのか、というものだった。
「なぁんだ、いっちーちゃんとついてきてくれてたんだ」
「あこは元気だから。目、離さないようにしてた」
「えへへ、ごめんごめん」
「大丈夫。気にしてない」
あこが彼女に近寄ると、なおのことその印象は強くなる。ピョコピョコと跳ねるあこのツインテールが余計に彼女を幼く感じ、対する青髪の彼女の物静かな受け答えがそれに拍車をかける。
「……その子がパートナーか? 一応聞くけど、同い年だよな?」
「そうだよ! いっちー、男の人がアキ兄で、女の人がリサ姉って言うの。あこのカッコいい先輩だよっ!」
「そうなんだ。……
ま、一番はお姉ちゃんだけどね! と胸を張るあこを置いてぺこり、と頭を下げる彼女に、つられて頭を下げるアキラとリサ。独特なペースに二人を巻き込んだ一花は、しばらく二人をその髪の奥にある瞳でじいっと見つめ、不意にくるりとを踵を返して歩きだす。
微妙に無視された自覚があるのか、それとももしかしたらいつものことで気にしていないのかはわからないが、あこが慌ててその背中を追いかけた。
「ちょっといっちー、もう行くの?」
「イベントの予選、もう少しで始まるよ。用意、しに行く」
「嘘っ、もうそんな時間!?」
ばっ、とあこが壁掛け時計に目をやり、二人もつられて時間を確認する。予定時刻まで、残り三十分を切っていた。
あこと一花の二人は、アキラ達と違って会場に来たばかりなのだろう。着替えと準備にかかる時間を考えれば、あまり余裕があるとは言えなかった。
「じゃああこ達もう行くね! あ、そういえば」
言うが早いか、一花の背中を追い始めた、かと思いきや直ぐに振り返るあこに、忙しい奴だなと二人は苦笑する。が、次にあこから放たれた言葉は、二人共に予想出外のものだった。
「お姉ちゃんも友希那さんも、イベント見に来るって言ってたよ!」
「あこ、置いてくよ」
「あーん、待っていっちー! じゃ、頑張ろーねっ!」
「は? ちょっと待っ……」
「友希那が!? うっそ!?」
嵐のように去っていったあこ。その方向をしばしじっと見つめていた二人は、やがてどちらからともなく顔を見合わせて。
「……準備運動でもするか」
「……そだね」
下手な所は見せられない、と。気持ち新たに準備運動を始めるのであった。