夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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十二話:安い嘘

 イベントを翌日に控えた、最後の練習。

 いくつかのルーティーンの仕上げを終え、アキラは汗を拭いながらリサへと視線を向けた。

 彼女もまた同じように汗を拭いながら、後ろで結い上げていた髪の毛をばさりと下ろす。髪型が変わるだけでガラリと印象が変わるのだから、女というのは不思議なもんだな、と呑気なことを考えていると、

 

「右手、平気?」

 

 突然、リサからアキラへとそんな問いが飛んだ。

 内心でドキリとしながら、そして努めて平常心を装いながら、右手を二、三度握りしめ、軽く手首を回す。

 今は、痛くない。

 

「問題ないな。多少の無茶なら利きそうだ」

「出来るなら無茶はしてほしくないんだけど。……本当に?」

「本当だって。お前も巴も心配性だな」

「だって、アキラ先輩隠すの上手だから。もう一回聞くよ? 本当に大丈夫? ……もし無理して大怪我なんかしたら、悲しい思いするの巴なんだからね?」

「お前は違うのか、寂しいもんだな」

「…………」

「冗談だよ。とにかく今は問題ないんだ、明日どうなるかなんてやってみなきゃわからんし、今から気にしたってどうにもならねぇだろ」

 

 軽口を吐くと、そういうのいらない、と言わんばかりの顔を向けられたので、仕方なく真面目に返す。嘘はついてないぞ、と心の中で呟きながら、ではあったが。

 そんなアキラに、リサは腰に手を当ててため息をつくと、上半身を倒してずいっとアキラへと詰め寄ると、指先で彼の胸元を突いた。

 

「アタシの為に、とか考えてるんだったら。それを理由に無茶するのだけは止めて。……最後のイベントだけど。いいや、最後のイベントだから、アタシは先輩と出られるだけでも、それで充分なの」

「…………」

「図星だった?」

 

 真面目な顔から一転、小悪魔のような笑みを浮かべて、つんつん胸元をつついてくるリサ。

 アキラは一瞬困ったように眉を下げて。

 しかしすぐに、はん、と鼻で笑ってその手を軽くはねのけた。

 身体を曲げたままのリサの横を通りすぎ、スタスタと出口の扉に向かって歩きだして、

 

「自意識過剰だな。俺がそんな人間に見えるか?」

 

 プラプラと右手を振りながら、そのままスタジオから出ていってしまった。

 残されたリサは、しばらくアキラが出ていった扉を見つめ、ポツリと小さく呟く。

 

「見えるから、心配なんじゃん」

 

 

 

 

 

 シャワーを浴びに行ったリサの戻りを待ちながら、アキラはいつものように紅茶の準備を進めていた。

 その顔はいつもと変わらない、ように見える。基本的に表情の変化が多少乏しい彼は、他人が居ようが一人だろうがそれは同じである。

 が、ここに巴が、もしくは彼の両親がいたならば、その些細な変化に気付いていただろう。

 

「痛み止め、もう切れたか……?」

 

 リサよりも先にシャワーを浴びたアキラは、その際にしっかり巻き直したテーピングの上から手首をさする。

 顔を歪める程ではないが、なんでもない日常の動きで鈍い痛みが走る。腫れはないので骨に異常はないのだろうが、捻挫ぐらいはしているのだろう。

 練習前に飲んだ痛み止めが効いて、リサをごまかすことは出来た。しかし、明日のイベントを最後まで勝ち抜いた場合、確実に右手首は途中で悲鳴を上げるだろう。リサの言うとおり、下手をすれば大怪我にも繋がりかねないのは確かだ。

 しかし、アキラはそれを打ち明けるつもりはなかった。彼からしてみればそれは当然の判断であり、意地でもある。

 そもそも、スポーツには多少の怪我など付き物だ。この程度で弱音を吐くつもりは更々ない、とここまで練習を重ねてきている。

 明日一日持てばそれでいい。多少悪化したとしても、イベントが終わってしまえば、無理をする理由は無くなるのだから。

 

「ふー、さっぱりしたー」

「お疲れ。適当に座って寛いでろ」

「はーい。テレビつけていい?」

「好きにしろ」

 

 しっかりと身だしなみを整えて現れたリサが、ソファにポフンと座り込みながらリモコンを操作する。

 しばらく適当にチャンネルを回していた彼女だったが、あ、と声を出してとある局で止めた。その声に反応して顔を上げたアキラは、テレビに映し出されたニュースを見て、わずかにその目を見開く。

 字幕には、『世界的ピアニスト、日本での公演を無事終える』の文。ニュースキャスターが喋る中で、その講演の様子がVTRで流されていた。

 ピアニストの名は、二階堂(にかいどう)美空(みそら)。日本が誇る天才ピアニストだ。二日間の公演を終えた彼女が、にこやかに礼をする姿を最後に画面が切り替わった。彼女を賞賛する様々な声がテレビから流れる中で、リサがぽつりと呟く。

 

「燐子がこの人の大ファンらしいんだよねー」

「りんこ?」

「うん。Roseliaのキーボードの子なんだけど、ピアノ出身でさ。普段はとってもおとなしくて可愛い子でさ」

 

 カチャカチャと、ティーセットを運んできたアキラから紅茶を受け取りながら、リサは続ける。視線はテレビに向いたままだ。画面は、公演を見た客がインタビューを受けている場面に変わっていた。

 

「そんな子が、憧れの人だって珍しく強く言い切るもんだから、アタシもなんだか忘れられなくて。……って、どうかした?」

「いいや」

 

 何となく、本当に何となくアキラの様子が普段と違う気がして、リサはアキラの顔へと視線を移す。が、目を伏せて紅茶を啜る姿はどう見てもいつも通りで。気のせいか、とリサもまた手元の紅茶に口を付ける。が、ここでもうひとつ、頭に引っかかるものがあり。

 

(そういえば、アキラ先輩の名字って……)

 

 そこまで考えて、それこそありえないか、と笑う彼女。その様子をじっと見ていたアキラが怪訝そうに眉を潜めた。

 

「なんだ、一人でニヤニヤして……」

「なんでもないなんでもない。あ、そういえば、衣装見てないよね」

「衣装? いや、確認はしただろ」

「着たとこは見てないでしょ? ね、着替えてきてよ。アタシもここで着替えるから」

 

 実は持ってきてるんだ、とニコニコしながら荷物から服を引っ張りだしているリサに、多少の腰の重さを感じながらも立ち上がるアキラ。

 自分の衣装は自室に置いてある。衣装とはいえ、ダンスをする上でそんなに凝ったものは着られない。とどのつまり普通の服なので、さほど時間は必要ないだろう。

 

「あ、良いって言うまで出てこないでよ」

「はいはい、と」

 

 後ろ手を振ってから、ドアを閉める。

 覗きなんてするタイプではないアキラは、さっさとたたんである衣装を手に取ってベッドに投げ、今着ている服を脱ぎ始めた。

 上半身裸になったところで、なんとなく視線を感じて振り返り、

 

「むふ」

「ふざけんな」

 

 扉を開けて此方を覗いていたリサへと向けて、アキラは脱いだばかりのシャツを全力で投げつけた。

 

 

 

 

 

「いいよー」

 

 着替え終わったアキラより数分遅れて、リサから声が飛んでいく。

 やっとか、とベッドから立ち上がり部屋から出ると、モデル立ちしているリサが彼を出迎えた。どうやらわざわざ髪までおろしたようで、そのままイベントに出られるような格好になっている。

 

「どうよどうよ」

「へぇ」

 

 身体のラインが映えるタイトな黒のシャツには、紫で蝶の意匠が施されている。長袖の指穴カットソー、そして肩がほぼ見えているオフショルダーというデザイン。

 下はこちらも黒のシフォンスカートに深いスリットが入っており、

 

「着てみると割りと大胆だな。踊ったら色々見えるんじゃねぇの」

「大丈夫大丈夫。ちゃんとスパッツ履いてるから。ほら」

「見せなくていい」

 

 スカートをつまんでたくしあげようとしたリサに、咄嗟に顔を背けるアキラ。

 リサはそんなアキラの珍しい反応に目を瞬かせて、スカートをつまんだままに首を傾げる。

 

「見えてもいいように履いてるんだけど」

「今見せなくてもいいだろうが」

「妙なとこで初ってゆうか……ルーティーンとかこれでやったら先輩の前で全開だよ?」

「全開とか言うな。結果的に見えるのと自分から見せるのじゃあ意味が違うだろ」

「……まあ、そういう人だから安心してペア組めるんだけどさ」

 

 ぱさり、とスカートを離した音が耳に届いて、アキラは息を吐いて視線をリサへと戻す。

 何やらその顔はどこか不満げで、そっぽを向いたままに唇を尖らせながら、小さな声でぶつぶつと呟いていた。その内容はアキラには聞き取れなかったのか、彼は改めてリサの姿を眺めるに留める。

 そこに、玄関の扉が開く音。次いで、二人共に聞き慣れた声が聴こえてきた。顔を見合わせ、リビングの扉へ視線を向ける。

 

「アキラ、見てくれ! チノが初めてアタシを出迎えてくれたんだ!」

 

 開いた扉からは、嬉しそうにチノを抱き抱えた巴が現れて。

 

「……ん?」

 

 出迎えた二人の視線を前に、なんだこの空気は、と困惑する羽目になる巴であった。




短いので、次回更新は水曜日。
ほんとはリサがスカートつまんでるとこで巴が来る予定だったけど、色々とこじれるのでボツに。

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