夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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十一話:そんな君だから

 家を出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 羽沢珈琲店で軽食がてらに紅茶を楽しんだ後は、いつものようにアキラの家にてまったりと過ごす。そんなこんなで気が付けば、結構な時間になってしまったのだ。

 巴は気にするなと言うが、流石に夜の女の一人歩きはいただけない。

 人目が無いのを良いことに、腕を組んで肩を寄せあって歩く。会話はとりとめのないもので、それでも構わない。こうして二人きりでいられる時間が大切なんだと、口にはせずともお互いがそう想っていた。

 

「さ、着いたぞ」

「あぁ、ありがとう」

 

 巴の家の前までたどり着いた二人は、一度顔を見合わせる。今日一日で、この距離感にもすっかり慣れてしまったな、と。これから離れなければいけないことに名残惜しさを感じながらもアキラは思う。

 

「すっかり遅くなっちまったな。連絡はしてあるんだろ?」

「勿論。さっきもう一回電話した時も――えっと。まぁ、とにかく大丈夫さ」

「……?」

「とにかく大丈夫なの!」

「ま、待った待った。どこまで連れていくつもりだ」

 

 果たして電話にて何があったのか、アキラにはちんぷんかんぷんではあったが、何故か腕を組んだままに玄関へと向かおうとする巴を止める。

 それで幾分か冷静になったのか、「そ、そうか。そうだよな」と立ち止まった巴だったが、頭の中では母親との電話での会話が巡り回っていた。

 

 

 

 ――――

「あ、母さん? 今から帰るよ」

『あらそう? 晩御飯は?』

「アキラと一緒に食べた。もしかして、準備してくれてた?」

『明日のお父さんのお弁当にするから大丈夫。それより……』

「? それより、なに?」

『これからは一度帰って着替えてからの方がいいんじゃない? 制服だとほら、シワになっちゃうじゃない』

「え? 別にそんな汚れるようなこと……」

『あぁ、巴が上なら関係ないか』

「待って母さん。何の話してるの」

『何のって、そんなの決まって……え? あこにはまだちょっと早い話。そうねぇ……って、なにお父さん泣いてるのよ。花嫁姿が待ち遠しくて? 今から泣いてたら貴方脱水症状で死んじゃうわよ。もう、お酒飲んだら本当に涙脆くなるんだから……』

「母さん? ちょっと」

『あらごめんなさい。でも、そういうことはきっちりしなさいよ。お母さんアキラ君を信用してるから、禁止にはしないわ。でもちゃんと着けるもの着けること。あ、もう暗いから送ってもらいなさいよー』

「お母さん!?」

 ――――

 

 

 

「どうした、急に固まって」

「い、いや、何でもない。何でもないぞ」

「どう見たって何でもなくは無いんだが。まぁ、そろそろ家入れよ」

 

 言いながらやんわりと、絡んでいた腕をアキラからほどく。

 そうだな、と赤くなっていた頬を少し抑えて、それとは別に少しだけわいてきた寂しさをごまかすように、巴はアキラに向き直って笑顔を見せた。

 けれど、アキラはその笑顔の裏にある寂しさをしっかりと見抜いていて。

 少し周りを見渡して、次に宇田川家の窓を軽く確認してから、巴へと一歩近付いた。

 

「あ、アキラ?」

「あんまりガラじゃあない気もするけど」

 

 言いながら、巴の頬へと右手を添える。手から伝わる体温を感じながら、自分のそれよりも少しだけ高い位置にある唇を見据え、

 

「っ――」

 

 軽く、唇を触れあわせる。

 抵抗か戸惑いか、咄嗟に動き出した巴の右手を左手で掴んで抑えたまま、数秒程のキスだった。

 息を飲んだのがダイレクトに伝わるのを感じたアキラは、唇を離すとポンと彼女の肩を押す。

 街灯に照らされた彼女の顔は、多少の暗がりでもはっきりとわかるくらいに赤く染まっていて。驚きに手が口元に添えられたまま、押されたことで後ずさった。

 

「さよならのキス……だと寂しいか。明日会うまでの駄賃代わり、みたいなもんか?」

「……お前は、本当に」

「なんてな。ただしたいからしただけ」

 

 また明日、と。やることはやったと清々しさすら感じさせる踵の返しかた。

 自由と言うのか、飄々としていると言えばいいのか。とにかく、アキラのこういう行動にはとかく弱い。それを自覚しながらも、それを嬉しく思ってしまう自分がいて。

 

「あぁ、もう!」

 

 頭を振って、悶々とした何かを振り払うように身体を返し、玄関へと手を掛ける。クセになったらどうするんだ、とか、明日の朝にお返しでもしてやろうか、とか考えてしまっている辺り全く振り払えていないのだが、とにかく先程までの寂しさはどこかへ飛んでいってしまったらしい。

 そうして、玄関を開けて入った先には。

 

「あ」

 

 今正にリビングへと突撃します、といった体勢のあこがいて。一瞬、二人の間で時が止まる。

 お互いに何かを言ったわけでもなく、しかし巴の頭は瞬時にあこが何をしようとしているのかを把握、理解した瞬間に、時は再度動き始めた。

 

「お父さんお母さーん! お姉ちゃんとアキ兄が」

「やめてくれあこー!!」

 

 一体どこから、なんて聞いている暇はない。

 とにかく、今は妹の口を塞ぐことが第一。巴の一日は、まだまだ終わりそうになかった。

 

 

 

 

 翌日。いつものように家に訪れた巴と、それを出迎えたアキラは、二人寄り添って登校していた。

 何気無い会話をする中で、ふとアキラの右手首が目に入った巴は、気遣わしげな顔でそれを口にする。

 それに対して、アキラはテーピングで固定されたそれを軽く振りながら問題ないと返した。

 

「そんなに心配そうな顔しなくても、大したことねぇって」

「お前の『大したことない』はあんまり信用出来ないんだよ。ひまりの時だって、後から大変だったじゃないか」

「あれだってお前らが騒ぐから余計話がでかくなっただけだ」

「……余計疑わしくなった。ちょっと貸せ」

 

 鼻を鳴らして言うアキラに、心配そうな顔から疑わしげな顔へと変わった巴が、多少強引に手を取る。

 まじまじと手に取ったその右手を眺める巴に、まぁ好きなだけ確認すればいいさ、とアキラは視線を前へと向けて歩き続けた。

 どうにも疑惑が拭いきれない巴は、軽く手首を小突いてみたり、テーピングで固定された以上にはいかない程度に曲げてみたり。それに対して彼の顔に変化がないか、手首と顔を交互に確認していた。

 それだけなら、問題はなかったかも知れない。問題は、それを歩きながら(・・・・・)行っていたことだ。

 

「っ、巴っ!」

「え……」

 

 前を向いて歩いていたのは、アキラだけ。

 アキラに意識を集中していた巴は、前から来ていた自転車に気付いておらず。アキラの声に反応して前を見たときには、既にそれは目の前に迫っていて――

 

「うわっ……!」

 

 衝撃。

 

 咄嗟に閉じてしまった目。尻餅をついて鞄を取り落とした巴は、しかし自転車が激突してきた割には……と片目を開き、目の前に倒れている二人の男の姿を確認した瞬間に血の気が引いた。

 カラカラと回る自転車のタイヤ。その横で、巴と同じように尻餅をついて頭に手を当てている若い男と、膝をついてうずくまっているアキラがいる。

 見れば、二人は同じ制服を着ている。アキラと同じ高校か、とうっすら考えて、直ぐにそんなことを考えている場合じゃないと立ち上がろうとして。

 

「っ痛ぇな、どこ見て歩いてんだよっ」

「……あぁ?」

 

 自転車でぶつかってきたであろう男の言葉に、低い声が返る。

 うずくまっていたアキラが、顔を上げて男を睨み付けていた。愛想が良いとは言えないものの、普段穏やかなその表情が歪んでいる。つり上がった目に、噛み締めた歯が見える程に引きつった頬。尖った牙を剥き出しにして威嚇している狼のような相貌に、巴は慌てて彼の名を呼ぶ。

 それに反応したのは、アキラ本人ではなく。

 

「アキラっ、て……あ、あ、あのアキラ、先輩!?」

「だったらどうだってんだ」

 

 立ち上がったアキラが、憤りを隠さずに転がっている自転車を蹴り付ける。鈍く、しかしやかましい音を立てて、自転車は地面を削りながら転がった。

 どこか壊れていてもおかしくない威力。その蹴りを目の当たりにした男は、慌てて体勢を整えようとして、しかしすぐにアキラに胸ぐらを掴まれる。ひぅ、と漏れでた声が、彼の心境を物語っていた。

 

「アキラ!」

「テメェ、今なんて言った」

「アキラっ! 駄目だって!」

 

 巴が後ろからアキラの身体を捕まえて、必死に男から引き離そうとする。しかしびくともしないその身体に、巴は内心で驚いていた。自分とアキラとで、こんなにも力の差があるのかと。

 

 ――マズイ、力じゃ絶対止められない……!

 

 そう悟りながら、しかしこのまま見過ごす訳にもいかない。この力で暴れられたら、もし自分にまで流れ弾が飛んできたら。そう考えると背筋が冷える。けれど、止めなければいけない。止めなければ、

 

また(・・)、停学になる……!」

「ひっ……す、すいませんでしたぁっ!?」

 

 漏れでた巴の悲痛な声に、とうとう恐怖を抑えきれなくなった男が、アキラの右手を振り払う。

 もつれた足が絡んで転び、這うようにして自転車までたどり着いた彼は、それを立ち上げてガシャガシャ音を立てながら二人の前から消え去った。

 

 しばらくして、

 

「巴」

「…………」

「おい、巴。放せ」

「……もう、何もしないか?」

「相手がいねぇのに何ができんだよ。もう落ち着いたから」

「本当か? 本当に、本当?」

「本当。だから放せ。苦しい」

「あっ、悪い……」

 

 必死過ぎて、腕がアキラの首に入っていることに気付いた巴は、慌てて彼を解放する。

 やれやれと首を鳴らしたアキラは、振り返って巴の身体を下から上まで眺めると、どこか安心したように息を吐いた。

 その仕草がいつもの彼のそれであることに、巴もまた安心して息を吐き、

 

「って、身体、大丈夫か!? どこか怪我してたり……」

「それはこっちの台詞だよ。俺なら心配いらん。ハンドルが腹に入ったのと、太ももにタイヤの跡がついてるかも、くらいのもんだ」

「そ……っか。なら、うん。アタシも大丈夫。……庇ってくれたんだな。ありがとう」

「どういたしまして。お互い平気ならもう行こうぜ」

 

 ポケットに手を突っ込んで、悠々と前を歩き出したその後ろ姿に、本当に大丈夫そうだな、と胸を撫で下ろす巴。

 スカートを払い、どこもほつれたりしていないのを確認してから、彼の横に駆け足で並んだ。

 

「悪いな。怖かったか」

 

 直後に放たれた言葉が妙に弱々しく聞こえて、巴はアキラの顔を覗き込む。その目は前を向いたまま、けれどどこか悔やんでいるかのように思えて。

 

「怖くないよ。ひまりも、そう言ってただろ」

「そりゃあ、まぁ」

「それに……」

 

 胸の前で腕を組む。隣にいる彼がいつも言うような、こちらをからかうような口調を意識して。

 

「これでもお前の彼女だからな。お前の怖いところも可愛いところも、全部ひっくるめて、アタシはお前が好きなんだ。だから、そんな顔しないでくれ」

 

 言ってから、少し恥ずかしかったかな、と頬が熱くなるのを感じつつ、言ってしまったものは仕方ないと堂々と構える巴。

 そんな彼女に、アキラは少しだけ呆気にとられて。すぐに笑った。

 

「カッコいいな。惚れ直しちまうよ」

「だろ?」

 

 ふふん、と鼻を鳴らす巴。その頭を、わしわしと左手で撫で回しながら、

 

(言えねぇよなぁ)

 

 震える右手を、ポケットの中で握りしめ。

 悟られないように、アキラは微笑み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 




前半と後半の落差。ようやくタグのシリアスを回収しはじめました。
次回更新は日曜日。

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