夕暮れに燃える赤い色   作:風神莉亜

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九話:カプチーノ、チノ

「ん……」

 

 薄暗い部屋の中、横になったまま瞼の上がりきらない目を擦りながら、何やら胸の上に重たいものを感じるアキラ。

 視線を向けないままに手をそこにやると、ふわふわとした手触り。次いで、ざらざらと湿った何かが指を舐め、小さく、にゃあと鳴き声が聞こえてくる。

「チノか……おはよう」

 

 胸の上で箱座りをしていた猫――チノと呼ばれた猫は、じっとアキラの顔を眺めたままに動かない。

 いつものことなので、抱き上げて横にずらしてから起き上がる。くわぁっ、と大きな欠伸をするチノにつられて欠伸をしながらも、朝日を遮っていたカーテンを開け放った。

 

 

「ほれ」

 

 朝食の準備を片手間に、チノの飲み水とキャットフードを皿に盛って置いてやる。

 アキラの足元をうろうろしていたチノは、そちらにおとなしく向かって水を飲み始めた。

 それを確認してから、アキラも朝食を取り始める。チノのおかげか普段より早く目覚めたので、いつもよりも余裕がある時間帯だ。

 

「ん。もういいのか」

 

 ドライフードを食べるカリカリ音が消え、ソファに座るアキラの横へと寝そべるチノ。膝の上に乗らないのは、まだアキラが朝食を食べているからなのか。

 

「食ったらブラシかけてやるからな」

 

 そんなアキラの言葉に、チノはそのふわふわの尻尾を軽く動かした。

 

 

 

 

「おはよ」

「おう、おはよう」

「お? 珍しいな、チノじゃないか」

 

 登校し始める三十分程前には、巴が家にやってくる。

 恋人関係になってから一週間、以前はそうでもなかったのが、あれから毎日こうして朝には顔を出すようになった彼女。

 そんな彼女を出迎えるアキラの足元には、ふわふわとした物体がまとわりついていた。

 巴が手を伸ばすと、特に逃げるわけでもなくされるがままに撫でられる。

 

「あんまり降りてこないのにな」

「慣れたんだろ。お前には元々ちょくちょく顔出してたし」

 

 リビングに戻ると、座り込んだアキラの膝上にすぐさま陣取るチノ。撫でろと言わんばかりのリラックス体勢に、そのふわふわの身体に手を這わせながら、適当にテレビのチャンネルを回す。

 アキラの家で飼っているこの猫。バーマンという大きめの、それでいて体毛の多い種類である。カプチーノみたいな色をしているので、アキラは安直にチノと名付けている。年は四歳でメス、利口で大人しい猫だ。

 アキラの両親が海外に行く際に、一人では寂しかろうと買い与えた猫であり、恐らくはアキラの人格形成に一役買っているであろう存在でもある。

 基本的に、アキラが居ないとき、もしくはアキラ以外の客人が家に来ている時は、人前に姿を現さない。二階にある、日当たりの良いチノ用と化している部屋にいるか、バルコニーにて日向ぼっこをしているのが常である。

 時折、外から確認出来る、リビングにある大きな出窓にて寝そべっている姿も確認出来るが、そんなことはレア中のレアであり。

 そんなものだから、アキラが猫を飼っていることを知っているのは、宇田川家の人間くらいのもので。ここ最近練習でアキラの家に訪れているリサにも、チノの存在は知られていない。

 昔から知っている巴には、姿を見られてもどこ吹く風とその場に留まり続けるチノだが、これがあこになると一目散に二階へと消えていくのだから、結構な人見知りである。

 ごく稀に初対面でも何故か逃げないこともあるが、その時にチノが何を考えているのかはわからない。

 賢く利口ではあるが、猫なので基本は気まぐれなんだろうな、とアキラは気にしてはいないのだが。

 

「品種的には人懐っこいはずなんだけどなぁ」

「アキラには懐いてるし、いいじゃないか」

「まぁそれはそれで優越感あるしいいけど」

 

 膝に感じる重量感に心地好さを感じつつ、その豊かな毛並みに指を通す。細やかな毛が指の間を走り、知らず知らずのうちに笑みが溢れているアキラ。

 普段あまり笑わないアキラの安らかな笑顔に、頬杖をついてその横顔を眺める巴。

 羨ましいような、嬉しいような。そんな何とも言えない感情を抱えていると、チノが此方をじぃっと見つめていることに気づいて。

 

「わっ」

「はは、珍しい」

 

 のそり、とアキラの膝から巴の膝の上へと移動して、我が物顔で身体を丸めてしまうチノ。

 こんなことは初めてだな、と思いつつ、恐る恐るその身体を撫でてみる巴。

 

「丁度良い、着替えてくる」

「あ、あぁ」

 

 自室に消えるアキラ。

 普段なら必ずその足元に付いていくチノが、ちらりと目を開いてそれを確認しただけで、膝の上からどく気配がない。

 

「認めてくれてたりするのか?」

 

 そんな巴の言葉に、チノは大きく欠伸を返すだけだった。

 

 

 

 

 

「今日は休みにする」

『休み? イベントまで一週間切ったのに』

「だからだよ。二週間ぶっ通しで練習するつもりは端からない」

『んー……』

「そもそも、俺はともかくお前の疲れが気になる。たまにはダンスからもバンドからも離れて休むのも必要だぞ」

『……わかった。今日は大人しく早く帰るよ』

「遊ぶなとまでは言ってねぇけど。ほどほどにリフレッシュするんだな」

『りょーかい。あ、それとひとつだけ』

「?」

 

 昼休みにて、適当に購買で昼食を終えたアキラは、リサに休みを告げる為に電話をかけていた。

 微妙に難色を示すリサを納得させ、通話を終えようとしたところで、リサがアキラを言葉で引き留める。

 窓枠に肘をついて眉を潜めたアキラに、リサは多少申し訳無さそうに。

 

『あのね、前に話した幼なじみなんだけど……』

「あぁ、それがどうかしたか?」

『なんて言えばいいのかなぁ……その、アキラ先輩を疑ってるって言えばいいのか』

「疑われるようなことは……あぁ、いや。なんとなくわかった」

 

 別に悪いことも怪しいこともしてねぇだろ、と一瞬思ったものの。

 よくよく考えてみれば、その幼なじみがリサの行動を知っているとして。彼女からしてみれば、見知らぬ男の家に毎晩幼なじみが出入りしているのだ。

 

「毎晩毎晩男の家に出入りしてるのが不安なわけだ」

『察しが良くて助かるわぁ……。あこもアキラ先輩なら心配ないって言ってくれてるんだけど、友希那ってば自分の目で見なきゃ安心出来ないって』

「お母さんか何かか」

 

 言いながら、けれどその幼なじみの言い分もわからなくもないな、なんて思うアキラ。

 もし、自分の立場なら――巴が、見知らぬ男性の家に毎日出入りしていたとして。アキラは自分を自制出来る自信等欠片もない。まかり間違えば殴り込んでいる可能性もあり、そんな自分の姿があっさり想像出来た辺りで、彼はその考えを打ち切った。

 

『もしかしたら、今日辺り会いに行く、なんてこともあるかもしれないかな』

「それ自体は別に構わんが……」

 

 頭にちらつくのは、当然ながら巴の姿だ。あまり頻繁に別の女性と会っていては、彼女も面白くないだろう。

 そもそもリサを毎日家に招いているのも、口にはしないがきっと不満はあるであろうことを考えると、連絡くらいはしておかないといけないだろう。

 そんなアキラの悩みを知ってか知らずか、リサは先程よりも申し訳無さそうに、

 

『一目見れば友希那も納得するだろうし、面倒かもだけど、そういうことで。あ、巴にもこっちから言っておくからさ』

「気遣いどうも。頭には入れておくよ」

 

 そう言って通話を終え、アキラはひとつ息をつくと、またすぐ別の人間に電話をかける。

 

「……あぁ、巴? ちょっと話があってな」

 

 

 

 

 

 時は過ぎ、放課後。

 何の連絡も無かったにしろ、今日は真っ直ぐ帰った方がいいな、と予感に従って家路についていたアキラは、家の通りに差し掛かったところで、見慣れない人物が家の前に立っていることに気が付いた。

 紫がかった銀髪。腰まで伸びたそれを風に揺らしながら、姿勢良く立っているその姿に、不覚ながらも一瞬目を奪われる。

 羽丘の制服を身に付けた彼女を、アキラはあれが件の幼なじみであろうと推測し、

 

「……ねこ」

「家の猫に何か?」

「っ!?」

 

 何やらとろけた声で放たれたひらがな二文字に気を削がれながらも、それを切っ掛けに声をかける。

 身体を跳ねさせてアキラに反応した彼女――(みなと)友希那(ゆきな)は、彼を見定めるような、厳しい瞳を彼に向けた。

 

「貴方が、リサの」

「そう言うってことは、今井の幼なじみってのはアンタのことだな」

 

 玄関の鍵を開けながら言うアキラは、背中に視線を受けながら、そのまま扉を開け放ち。

 

「まぁ、上がれよ。一目見ただけで納得するほど単純でもねぇだろ

「…………」

「警戒するぐらいなら一人で来るんじゃなかったな。立ち話なんてする気はねぇし」

 

 言いながら、足を踏み入れたところで、チノがアキラの身体を駆け上がり、肩から下げているエナメルバッグの上にその身を落ち着ける。

 にゃあ、と鳴くその頭を軽く撫でながら、変わらず視線を向けてくる――微妙にその先がずれているような気もするが――友希那へと振り返った。

 あわよくば帰ってくんねぇかな、なんて期待を込めながら。

 

「……失礼、するわ」

 

 凛とした声で、此方へと歩いてくる彼女に溜息をついて、彼女が家に入ったところで玄関を閉めた。

 

 

 靴を脱いで、リビングへと向かう。その後ろをついてくる友希那へと、ソファに座るように進め、アキラは自室に荷物を置いて、そのままダイニングキッチンへと足を進めた。

 ふと、初対面の人間がいるのに、チノが変わらず足元にいることに気づいて。

 

「珍しいな」

「……?」

「ああ、アンタじゃない。この猫の話」

 

 流れる手付きで紅茶を入れる準備をしながら、足元をうろうろするチノを踏まないように気を付ける。

 

「何か飲むか」

「……遠慮しておくわ」

「そうかい、と」

 

 どうにも警戒され過ぎだな、と。

 そう思うと同時に、ソファに座っている彼女に対し、相性は良くねぇな、と自分との評価を下すアキラ。蘭とは同族的な意味で反発しそうであったが、友希那とは真っ正面から対立してしまいそうな雰囲気がある。

 元より自分を取り繕うつもりのないアキラである。下手をすれば、安心させるどころか、その真逆の結果にもなりかねない。

 そんな未来がちらほら頭にちらついたところで、ポケットのスマホが震えた。画面に表示された名前に、これはいいとすぐに耳に当てた。

 

『先輩! もしかしてだけど――』

「そのまさかだよ。来れるなら来い」

『もう来てる! おじゃまします!』

 

 早ぇな、と突っ込む前に、玄関の開く音。

 びくりとしたチノを抱き抱えると同時に、肩で息をするリサと、同じように息を乱した巴がリビングに駆け込んでくる。

 

「リサ?」

「もう、友希那ってば……! 行くなら一緒にって言ったじゃん!」

「それは……」

「あんまり騒がしくすんなよ。チノが怯える」

「あ、ご、ごめん。先輩猫飼ってたんだ」

「いいから座って落ち着けよ。巴、パス」

「ん? あぁ。二階に行かせればいいのか?」

「そのつもりならとっくに暴れて二階に逃げてるよ。座って動かないようなら好きにさせてやれ」

 

 チノをアキラから受け取り、そのまま抱き抱えてソファに向かう巴。

 手を離せば直ぐに逃げるだろうな、との巴の予想は外れ、チノは朝と同じく巴の膝の上で丸くなった。

 そのままチノを撫でながら、別のソファに並んで座っているリサと友希那を眺める。

 

「まさかホントに一人で行っちゃうなんて。先輩に連絡しといて良かったよ……」

「見定めるだけなら、一人でも充分だわ」

「互いに初対面なんだから、先輩だって身構えちゃうでしょ。それに……」

 

 言葉を切り、ちらりと巴に視線を向けるリサ。その視線で何が言いたいのか理解した巴は、別に気にしないでいい、と軽く首を横に振った。

 前もってアキラが連絡をくれていたので、巴としては今回に関して特に心配はしていない。

 そんな様子の巴に息を吐いたリサが、まぁいいや、と小さく呟いたところで、アキラが紅茶の準備をしにテーブルへとやってきた。

 

「ミルクティーでいいか」

「あ、アタシは大丈夫。友希那もいいよね?」

「私は別に……」

「いいから頂きなって。美味しいんだから」

 

 目を逸らしながら言う友希那に、笑いかけながら薦めるリサ。随分性格の違う幼なじみだな、と思いつつ、巴の膝上にいるチノへと視線を向ける。

 アキラがいることで微妙に身体を起こし気味になったチノの首もとを指でくすぐりつつ、ゴロゴロと喉を鳴らす彼女に柔らかく笑いかけ、

 

「すっかり巴にも懐いたな。良いことだ」

 

 もう少しそこにいろよ、と最後にひと撫でしてから、アキラは再度キッチンへと向かう。

 その一連の流れを見ていたリサが瞬きを数回繰り返した。

 

「猫飼ってるのも知らなかったけど……」

「ふふ。一応、あんな風にも笑うんですよ?」

「なぁに~? 幼なじみの特権、的な? それとも……」

 

 巴の言葉に、何やら余裕のようなものを感じたリサが、ニヤニヤとした笑みを巴に向ける。

 彼女に散々からかわれたので耐性でもついたのか、それともこの一週間ですっかり慣れてしまったのか、巴は笑顔を返すだけ。

 そんな巴を微笑ましく思いながら、でも! といきなり隣にいる友希那の腕を取る。驚いた友希那の視線を華麗にスルーした彼女は、

 

「友希那だって、猫と遊んでる時はスッゴい可愛いんだから!」

「ちょっと、リサ……」

 

 気恥ずかしいのか、その頬を赤く染めながら、その話はやめて、とリサの袖を引く友希那。そんな友希那の姿が意外で、今度は巴がパチパチと瞬きを繰り返すことになった。

 そうこうしているうちに、アキラが準備を終えて戻って来る。

 四人分の紅茶をテキパキと淹れてしまったアキラは、巴の隣に座りこむと、先に一口ミルクティーを口に含んだ。

 次いで、リサが一口飲むと、味の違いに気付いて首を傾げる。

 

「これ、前と違う?」

「あぁ。何の茶葉かわかるか?」

「えぇー、わかるわけ……」

「ディンブラ、だろ? ミルクティーでも美味しいんだな」

「好きなだけあるな。正解」

「好きにさせたのはお前、だけどな」

 

 にっこり笑って言ってくる巴に、む、と一瞬口をつぐむアキラ。慣れたのか開き直ったのか、人前でも言動に遠慮がなくなってきたような気がして、軽く動揺したのをごまかすように軽く膝を叩く。

 それを見たチノがのそのそと移動して、アキラの手に顔を擦り付けてから丸くなった。

 

「……で、どうだい。湊、だったか」

「どう、とは?」

「俺が信頼するに値するか、って話だよ。それを見定める為に来たんだろ」

 

 その割には視線がチノを捉えて離そうとしないが、そこを指摘すると話が進まなくなるので、今は取り敢えず置いておく。

 そんなことを考えながら、膝元のチノをゴロゴロ鳴かせるアキラ。友希那はチノとアキラの顔を交互に眺めて、ひとつ息を吐いてからミルクティーを口にした。

 

「……そうね。悪い人じゃなさそうなのは、認めるわ」

 

 でも、と。隣に座るリサの顔を一瞥した彼女は、直ぐにアキラへと視線を戻し、どこか厳しい目付きのままに。

 

「本当は、ダンスなんかにかまけてないで、音楽に集中して貰いたいのが、私の本音。貴方に惑わされてバンド活動に支障が出るなら、私はそれを看過できない」

「ちょっと、友希那!」

「リサは黙ってて」

 

 言葉を挟んだリサに、厳しい目付きのままでそれを切り捨てる。そんな彼女に、アキラは目を伏せて頬を掻いていた。

 一昔前なら、友希那の物言いには真っ正面から食ってかかっていただろう。特に、ダンスなんか、の辺りに気に食わないものがある。

 今までの付き合いで、リサがダンスを楽しんでやっているのを見てきたアキラからすれば、それを全くの無駄だと言わんばかりの友希那の言動が気に入らないのは当たり前だ。

 

「ふん」

 

 ここで自分の気持ちを抑えて穏便に済ませることは簡単である。簡単では、あるのだが――

 

 目を開ければ、多少不安げな巴の視線が自分へと注がれており、それを感じながらも、アキラはあえて。

 

「すると、何だ。お前は今井に、音楽以外に無駄な時間を使って欲しくないと。そういうことか?」

「端的に言って、そうね。私達は頂点を越えて、遥かその向こうの高みを目指している。その為には、一切の無駄を省いて進んでいくしか道はない」

 

 友希那が言い切ったその瞬間、チノがアキラの顔を見上げて、直ぐ様膝から飛び降りてその場から走り去っていく。

 巴はそれを見て額に手を当てて、リサは漂い始めた剣呑な空気に、不安げに二人の顔を交互に見ることしか出来ない。

 そんな空気の中、ついにアキラが口火を切った。

 

「つまんねぇな」

「……何?」

「つまらない、って言ったんだよ」

 

 鼻で笑ってそう告げたアキラの顔は、嘲笑で歪んでいる。対する友希那の顔は、先程よりも増して固いものになり、空気は更に冷たいものへと変化した。

 それでもアキラの態度は崩れない。ソファの肘掛けに頬杖を付いた彼は、友希那を挑発するかのように言葉を紡ぐ。

 

「音楽音楽って、そればっかやってて良い音楽が出来るとでも思ってんのか? ましてやお前らバンドグループ、全員がそんな考えしてんなら尚更だ」

「……それは、私達を侮辱しているのかしら」

「先に馬鹿にしたのはお前の方だぜ? それに、ダンス『なんか』にかまけてる奴の言葉だ、軽く聞き流せば良いじゃねぇか。音楽『なんか』。そんな程度にしか考えてない奴の戯れ言なんだ」

 

 挑発しているとしか思えないアキラの言葉に、みるみるうちに場の空気が冷えていく。

 そうして、どちらも何も言わなくなり、重く冷たい空気のままに時間ばかりが過ぎていく――かのように思えたところで。

 

「……はぁ。やめましょう」

「なんだ、思ったよりも冷静なんだな」

「わざとやっていた人がよく言うわね」

「そいつはお互い様だな」

 

 不意に、緊張が弛緩する。

 先程まで冷戦状態に見えた二人の間にあった空気は、瞬く間に消えてなくなり。

 

「少し、冷めてしまったかしら」

「淹れ直すか?」

「いいえ、充分よ。……悪くないわね」

「そいつはどうも。っと、戻ってきたな」

 

 若干二名が急激な空気の変化に付いていけずに唖然としている中、友希那は自然と紅茶を楽しみだし、アキラはアキラでいつの間にか戻ってきたチノを可愛がり始める。

 そこから数秒経って、ようやく目の前の状況を把握した二人のうち、より唖然としていた片方が、

 

「ちょ、ちょっとちょっと。なにこれ」

「どうかした?」

「どうもこうもないって! アタシは二人がケンカするんじゃないかってハラハラして……」

「ま、そうなるわな」

 

 リサの言葉に、つらっとした顔でそう返す二人。

 え、えぇ? とそんな二人を見て動揺を隠せないリサを横目で見つつ、巴は溜息をつきながらアキラへと顔を向けた。

 

「で、どういうことなんだ?」

「どういうことかって言われると、だな……」

 

 どう説明したものか、と友希那へと視線を向けるアキラだったが、彼女は彼女でリサに問い詰められているようで。そのクールな表情を微妙に崩しながら、彼女もまたアキラへと視線を向けている。

 ここは年上が言うべきか、と頬を掻いたアキラは、取り敢えずざっくりと今のやり取りを説明することにした。

 

「早い話が、互いにカマ掛け合ってたってことだ」

「カマ?」

「そ。ダンスやってる人間に、わざわざそれを貶すようなこと言わねぇだろ? そもそも幼なじみである今井がダンスやってんのに。もっと言うなら」

 

 あちらは既に説明を終えたらしい二人に視線を向ける。

 と言っても、聞こえてきた会話は、単に試してみただけよ、との一言だけだったのだが。

 

「音楽に集中して欲しい、ってのは本音だとしてもだ。本当にダンスを辞めて貰いたいなら、イベントになんか許可出さねぇだろ。ましてや自由参加だしな」

 

 今井に言ってあこに言わねぇのも変だし、と続け、なるほどと巴が納得したところで、友希那が立ち上がる。

 見れば、カップは既に空になっており。

 

「取り敢えず、リサも信頼してるみたいだし、今回の件に関しては何も言わないことにするわ。でも」

 

 去り際に、一度振り向いた彼女は、会った時と同じ目付きを彼に向けると。

 

「リサに怪我なんかさせたら、許さないから」

 

 そう言い放って、彼女は玄関から外へと出ていってしまう。ご馳走さまくらい言ってけよなぁ、とぼやくアキラは、けれど然程気にした風でもなくカップを回収。

 慌てたように立ち上がったリサが、友希那を追いかけようとして、

 

「ちょっと友希那、待ってってば! ごめん、先輩! また明日から宜しくね! あとご馳走さまっ」

 

 ばたばたと騒がしく去っていくリサの後ろ姿を見送りながら、はいはい、と空いたカップを片付け始める。

 既に巴の膝上へと移動していたチノを、彼女は抱き上げて顔を近づけると、

 

「騒がしいにゃあ。な、チノ?」

 

 アキラは手元のカップを落としそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

「もう、友希那ってば。聞いてる?」

「聞いてるわよ。今日のリサ、そればっかりね」

「誰が言わせてるのさっ」

 

 わかりやすく憤慨している幼なじみの姿に、悪かったわよ、と小さく笑いながら返す彼女。

 全くもう、と小さく肩を落としたリサは、けれどすぐに気持ちを切り替えたようで。

 

「でもさ、なんで友希那は、先輩がわざとやってるってわかったの?」

「あぁ……それはね」

 

 友希那は一度振り返り、アキラの家をしばし眺める。

 初めて訪れた、訳ではない(・・・・・)

 彼とは初対面ではあるが、友希那は彼のこと自体は知っていた。一人で訪れたのも、リサのこととは関係なく、彼の人となりを確認してみたかったから。

 

「……友希那? 忘れ物でもした?」

「いいえ」

 

 リサの言葉に、再び前を向いて歩き出す。

 ちょっと、と後ろから聞こえる幼なじみの声を聞きながら、友希那は小さく呟いた。

 

あの人(・・・)の子供が音楽『なんて』とか、言うはずないじゃない」

 

 




次回更新は日曜日。

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