双極の理創造   作:シモツキ

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第九十八話 二人で望む、二人の未来

ラフィーネさんの刃から、俺を守る形で割って入ったフォリンさん。彼女のおかげで俺は助かった。けど、それは本来フォリンさんが望む形じゃなかった事。俺はフォリンさんから助けを求められたのに……逆に、助けられてしまった。

 

「……フォリン…」

「…ラフィーネ……」

 

顔を上げた俺の目の前で、ラフィーネさんとフォリンさん…姉妹の二人が対峙する。二人が互いに相手の名前を呼んだのは…ほぼ同時。

 

「…退いて、フォリン」

「嫌です。それは出来ません」

 

ちらりと俺の方へ視線を一度向けた後ラフィーネさんが発した言葉を、フォリンさんは真っ向から拒絶。ラフィーネさんはフォリンさんへ刃…二振りのナイフを向けてはいなくて、フォリンさんも武器を手にしてはいない。…けれど、そこにあるのは剣呑な雰囲気。普段の仲の良さは……微塵もない。

 

「わたしはフォリンと敵対なんてしたくない。だから退いて」

「私もです、ラフィーネ。…だから、ここは退けません」

「…どういう事?」

「顕人さんは、私の味方だからです。顕人さんは、私の味方になってくれた人で…ラフィーネの味方でもあるからです」

 

静かに、一見冷静に聞こえる声音で話すロサイアーズ姉妹。なぜという問いに対し、フォリンさんは俺が味方だからとはっきり返す。その瞬間、ぴくりと動いたのはラフィーネさんの眉。

 

「それは違う。顕人は敵じゃないかもしれない。でも、フォリンは顕人に惑わされてる。フォリンをフォリンじゃなくしてる。…そんな人は、わたしの味方なんかじゃない」

「私は惑わされてなんかいません。顕人さんに助けを求めたのも、ラフィーネに暗殺放棄を提案したのも、私の意思です」

「フォリンはそう思っているだけ。わたしには分かる」

「…勘違いしているのは、ラフィーネの方です」

 

剣呑な雰囲気は、少しずつ険悪な雰囲気へと変わっていく。フォリンさんの背後にいる俺は確認出来ないけど、きっと二人の視線は今ぶつかり合っているんだと思う。

 

「…………」

「…考え直してくれませんか、ラフィーネ。…おかしいですよ、私達がこんな衝突するなんて……」

「うん、おかしい。だけどこれは大切な事。幾らフォリンが嫌でも……フォリンを穢す奴を、わたしは許せない」

「……っ…だから…だからなんでそうなるんですか…そんなに私が騙されてるように見えるんですか?そんな私が──」

「見えた。見えたから、そう思ったから…わたしは言ってる」

「……っ!」

 

俺がフォリンさんに悪影響を与え、その結果今の状況となっている。そんな認識を疑わないラフィーネさんに、フォリンさんが段々声へ感情を孕ませながら反論するも……それを押し潰すように、ぴしゃりとラフィーネさんは言い放った。

それがフォリンさんを思っての言葉だったのは、俺にも伝わっている。俺に伝わってるんだから、フォリンさんに伝わっていない筈がない。けど…伝わったからって、理解し合える訳じゃない。

 

「フォリン、今はそうは思えないかもしれない。でもわたしを信じて。フォリンはそんな子じゃない。フォリンは……」

「…私は…私はラフィーネの相棒じゃないんですか…?」

「え……?」

 

俯き、目を伏せたままそう言ってフォリンさんの言葉に、ラフィーネさんは目を丸くする。そんな事、訊かれるなんて思ってもみなかったとばかりに、その表情へ驚きを表す。

 

「ラフィーネが私の事を思ってくれているのは分かります…私は妹ですから、姉のラフィーネが心配するのも分かります……けれど、私はラフィーネの相棒でしょう…?」

「それは…うん、勿論そう。そんなの、確認なんてしなくても……」

「だったら…だったらなんでそんなに私を下に見た事を言うんですかッ!どうして私が騙されてるって、悪影響を受けたって決め付けるんですかッ!私の話なんて聞いていないのにッ!」

「…フォ、リン……?」

 

悲しそうに、本心を求めるように発せられた、フォリンさんの声。それを聞いたラフィーネさんは、そのままの表情でフォリンさんの問いに肯定しかけて……次の瞬間、フォリンさんの感情が爆発した。

 

「私だって必死に考えたんです!考えて、悩んで、それで顕人さんに助けを求めたんです!これは私の意思なんです!なのにそれを、あんなに軽く否定して、私を窘めようとして……私はラフィーネの部下なんかじゃありませんッ!馬鹿にしないで下さいラフィーネッ!」

「ち、違う…違うフォリン…そうじゃない、そうじゃないの…わたしはフォリンを否定なんて…馬鹿になんて……」

 

肩を震わせ感情を叩き付けるフォリンさんに、ラフィーネさんは動揺し切った顔でおろおろとするばかり。俺が目の前に現れた時とは比較にならない、先程の怒りを露わにした時と同じかそれ以上に表情を崩したラフィーネさん。そんなラフィーネさんの様子が見えていないのか、フォリンさんの言葉は止まらない。

 

「ラフィーネの考えを私に押し付けないて下さいッ!普段は私に任せてる癖に、黙ってる癖に、なんで私が必死の思いで選んだ事は否定するんですかッ!なら、もっと前から言ってくれればよかったじゃないですか!フォリンはわたしの思った通りにしていればいいって!そうすれば…そう言ってくれれば…私だって…私…だって……」

「……っ!な、泣かないでフォリン…違う、違うから…!わたしはフォリンが大切なの、フォリンが大切なだけなの…だ、だから…だから……」

 

堰を切ったように怒りが、悲しみが流れ出る。その感情を吐き出した後、フォリンさんは膝を突き、声も弱々しく萎んでいく。そして顔を覆った両手の隙間から溢れたのは、一粒の涙。

その涙を見た瞬間、怒りも、暗殺者としての冷たさも、それまでラフィーネさんが放っていた雰囲気の殆どが完全に消滅した。後に残ったのは、フォリンさんに涙を流させてしまったという動揺だけ。

 

(……あぁ、何やってんだろうな…俺)

 

悲しみに涙を流すフォリンさんと、今にも泣き出してしまいそうなラフィーネさん。姉を思って自分の持つあらゆるものを犠牲にしようとした妹と、妹の事を思い続け、今も妹の事を第一に考えている姉。どっちも悪くないのに、どっちも相手を大切に思っているのに、どちらも悲しみと後悔に打ちひしがれている。

俺はそうならないようにする為、ここにいる筈なのに。フォリンさんから涙ながらに託されて、ラフィーネさんにも一緒にいられて楽しかったと言ってもらえたのに、何もしてない。それどころか状況を悪化させてしまっている。嗚呼、情けない。情けなくて情けなくて、自分が嫌になってくる。…けど…だけど…だからこそ……

 

(自己嫌悪なんてしてる…場合じゃない……ッ!)

 

両手を握り締め、立ち上がる。服に付いた土や葉は無視して、俺は静かに立ち上がる。

失敗した。俺は失敗して、フォリンさんに思いに応えられなかった。だけどまだ終わってない。万事尽くしてそれでも駄目だった訳でも、もう暗殺が終了した訳でもない。ならまだ諦めるには早過ぎる。…いや、早いとか遅いとかじゃなくて……俺はこのまま終わらせるなんて、したくない…ッ!

 

「……ラフィーネさん」

「…顕、人…わたし…わたし……」

 

立ち上がった俺は、まずラフィーネさんに声をかける。二人の間に割って入る形となった俺へ、ラフィーネさんが向けてきたのは縋るような目。どうしたらいいか分からないという、助けを求める瞳。

図々しいな、とも思う。誤解で殺そうとしておいて、よくそんな目を向けられるなって思いは確かにある。だけど、そんなのは些末事。そんな感情、どうだっていい。

 

「…聞いてあげなよ、ちゃんと思いを」

 

ラフィーネさんの正面に立って、ラフィーネさんの目を見て言う。え?…と驚きを見せるラフィーネさんへ、俺は言葉を続ける。

 

「俺は兄弟も姉妹もいないし、いつも一緒にいる幼馴染なんかもいないから実体験の話なんて出来ない。二人の思いは想像しか出来ないよ。けど、そんな俺でも今のフォリンさんの気持ちは分かる。ラフィーネさんは、分かってる?」

「…ぅ…あ……それ、は…」

 

言葉に詰まるラフィーネさん。…それは予想出来ていた。皮肉にもただ見ていただけの俺は、そのおかげで客観的に二人の気持ちを考えられたから。

 

「…な、なら顕人…フォリンに伝えて…そうじゃないって…わたしはそんなつもりじゃ……」

「違うよラフィーネさん。それは違う。…それじゃ、駄目だよ」

「……っ…ど、どうして…」

「そんなの、フォリンさんが求めてるのはラフィーネさんの言葉だからに決まってるじゃないか。ラフィーネさんが俺よりフォリンさんから真実を求めたように、フォリンさんだってラフィーネさん本人から聞きたいに決まってるよ」

 

伝えるだけなら、俺だって出来る。だけどそれじゃ意味がない。本当に大切なのは言葉じゃなくて、その中に籠る思いだから。言葉は幾らでも飾れるけど、思いはその本人しか込められないから。そして……

 

「で、でも…わたしは……フォリンの気持ちを…」

「…なら、聞いてあげて。いつものラフィーネさんみたいに、さ」

 

俺は言った。ラフィーネさんとフォリンさんが分かり合う為に、思いを伝え合う為に必要だと思う事を。

いつものラフィーネさんは、判断をする時欠かさずフォリンさんの意見を訊いていた。それは確認だったり質問だったりその時々で違うものの、フォリンさんも関わる事にはいつもフォリンさんの言葉を聞いて、その上で決定を下していた。…それは、自分に自信がないからでも、思考を放棄しているからでもない。それは常にフォリンさんを気にかけているからこその行動で、今のラフィーネさんに欠けていた事。言わなくても伝わるなんて傲慢な事を考えず、伝えたい思いはちゃんと言うのが、大切な事。

 

「……けど、それはフォリンさんも同じだよ」

「……っ…」

 

それから俺は振り向いて、片膝を突く。フォリンさんと同じ高さにまで視線を落として、フォリンさんへと語りかける。

 

「…私、も…ですか……?」

「…フォリンさん、分かってるんでしょ?ラフィーネさんは誰よりもフォリンさんの事を思ってくれていて、本当に大事に思っていて、だから守ろうとしてくれてるんだって」

「…………」

「そんなラフィーネさんだからこそ、自分をずっと守ってきてくれた優しい姉だからこそ、フォリンさんはこのまま暗殺者としての道を進んでほしいって言ってたじゃん。…だったら、信じてあげなきゃ駄目だよ。助けてもらった俺が言うべきじゃない事だけどさ…俺よりまずラフィーネさんを信じて、ラフィーネさんの思いに耳を傾けてあげて。ラフィーネさんにとっての一番の味方は、フォリンさん以外にいないんだから」

 

顔を覆っていた両手を降ろし、目尻に涙を浮かべたまま見つめ返してくるフォリンさん。そのフォリンさんへも俺は言った。分かり合う為に必要な、もう一つの事を。

状況的には仕方なかったと思う。既にフォリンさんは説得に失敗していて、フォリンさんにとっての協力者である俺が襲われたんだから、自分の思いは届かないって思ってしまうのも、無理はない。だけどそこで信じるのを止めちゃったら、ラフィーネさんの本心も見えなくなってしまう。信じてほしいならまず相手を信じなくちゃいけなくて……それが出来ない状況だったから、二人の思いはお互いに通じなかった。いつもは交わし合っていた気持ちが、お互い一方通行になってしまっていたんだって、俺は今の二人から感じた。

 

「……フォリン…」

「…ラフィーネ……」

(…分かり合えない訳がないよ。だって二人共、心から相手を大切に思っていて、本気で守りたいって思ってるんだから)

 

フォリンさんがここへ現れた時と同じように、二人は相手の名前を呼ぶ。違うのは、その言葉に籠る感情。それを耳と肌で感じた俺は、静かにその場から身を引く。

 

「……ごめんなさい、ラフィーネ…私ラフィーネに、酷い事を言いました…」

「ううん。…謝らなきゃいけないのは、わたしの方。わたし、フォリンを嫌な気持ちにさせちゃったから…」

 

申し訳なさそうに謝るフォリンさんは伏し目がちになり、ラフィーネさんはその言葉をふるふると首を振って否定。それから数秒間、互いに何も言わない沈黙が続いて……ラフィーネさんが、口を開く。

 

「…聞かせて、フォリン。どうして、わたしを止めようとしたのか」

「…はい。聞いて下さい、ラフィーネ。私の、思いを」

 

膝を折り、フォリンさんと同じように地面へ膝を突けて側に寄るラフィーネさん。求められたフォリンさんはこくんと頷いて、二人の瞳が向かう合う。

 

「…私は、ラフィーネに幸せでいてほしいんです。笑顔でいてほしいんです。これまでずっと私を守ってくれた、私を思ってくれた、大切な姉のラフィーネに」

「…だから、止めようとしたの?このままじゃ、わたしが幸せになれないから、って」

 

再びフォリンさんはこくりと頷く。質問が続かなかったって事は……多分、ラフィーネさんも思ってはいたんだと思う。今自分やフォリンさんが歩んでいる道の先にあるのは、決して幸せなんかじゃないんだって。

理由を聞いたラフィーネさんは、フォリンさんを見つめたまま、また沈黙。その顔には、何となくだけど理由を好意的に受け入れたような雰囲気があって……けれどラフィーネさんが返したのは、フォリンさんが望んだのとは違う言葉。

 

「…ありがとう、フォリン。フォリンがわたしの幸せを思ってくれてたのは、嬉しい。本当に嬉しい。…でも、駄目」

「……っ…どうして、ですか…?」

「止めても、わたし達の生活は明るくなんてならない。この役目を止める事なんて許される訳がないし、逃げたらきっと刺客が来る。…わたし達の存在も、わたし達の知っている事も、あの人達には不都合だから」

「…今のままなら、まだ失敗さえしなければ死ななくて済む…そういう、事ですか…?」

「そういう事。わたしは処分される位なら、使い潰される方がいい。…そっちなら、まだ頑張れば潰れる事は避けられるから」

 

怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ諦めた表情で、ラフィーネさんは言った。フォリンさんの言葉を否定した。…今進んでいる道の先に幸せがない事は分かってる、なんてレベルじゃなかった。ラフィーネさんは進もうと、歩みを止めようと、道半ばで倒れようと、どうやったって暗闇しかない事を分かってて……それでも『まだマシ』という理由で、今の道を歩き続けている。

聞いた瞬間、俺はそう思った。…だけど、それは大間違いだった。一瞬言葉を失ったフォリンさんに彼女が向けたのは…穏やかな笑み。

 

「…それに、フォリンは一つ勘違いしてる」

「勘違い…?」

「うん。だってわたしは……幸せだから。フォリンが側にいてくれて、フォリンが元気でいてくれて…フォリンがわたしの事を、こんなにも思ってくれてる。それだけでわたしは十分だって思える位……わたしは、幸せ」

「ら、ラフィーネ…それは…それは……」

 

──穏やかで、優し気で、そして何より儚げな笑顔。嘘偽りなんて微塵も感じられない、本当にそれで、それだけで幸せだって伝わってくるラフィーネさんの微笑み。

嗚呼、なんとそれは美しい事か。美なんてよく分からない俺でも、フォリンさんを思い、こんな些細で小さな幸せで満足するラフィーネさんの心は、本当に美しいと思う。

……けど、それは…言ったじゃないか……それじゃ、それだけじゃ……

 

 

 

 

「──納得出来ねぇよッ!それがラフィーネさんの幸せだなんて、ラフィーネさんの幸せがそこで終わりだなんて……俺は納得出来ないッ!」

「……っ!?」

「…あ、顕人…さん……?」

「……あ…」

 

…気付けば俺は、声を上げていた。二人に全て任せるつもりだったのに、思いの丈を叫んでしまった。当然急に、それもかなりの声量で口を挟まれた二人は驚かない訳がなくて、俺も言うつもりじゃなかったから「やってしまった…」という気分に襲われる。

 

「…ご、ごめん…つい……」

「…また言った…またわたしの幸せに文句……」

「あ……さ、さっきもだけど、それは違うんだよ!これは文句じゃなくて……」

「……もっとラフィーネは幸せになっていい。もっと幸せになってほしい。…そういう事ですよね、顕人さん」

 

先程の様に怒りを見せはしないものの、やっぱりこの旨の発言は認められない様子のラフィーネさん。誤解させたままだった事に気付いた俺は、そこですぐ訂正しようとして……フォリンさんが、俺の言葉を引き継いだ。それに俺が呆気に取られる中、フォリンさんは言葉を続ける。

 

「なんで分かったんだ、って顔ですね。…分かりますよ、私だって同じ気持ちですから」

「…フォリンも、同じ気持ち…?」

「はい。…私は、もっとラフィーネに幸せになってほしいんです。もっともっと、昔みたいに笑っていてほしいんです。じゃなきゃ、悲し過ぎるじゃないですか…私を守ってくれたラフィーネが、私を思ってくれているラフィーネが、こんな小さな幸せしか得られないなんて…」

「……それ、は…」

 

俺を見て肩を竦めたフォリンさんは、ラフィーネさんに向き直る。それから思いの丈を伝える彼女は、次第に悲しそうな顔になっていって……その悲しみが、ラフィーネさんに伝わった。…いや、違う…ラフィーネさんが悲しんでいるのは、自分自身の幸せについてじゃない。ラフィーネさんは……フォリンさんを悲しい気持ちにさせてしまった事を、悲しんでいる。

 

「…ラフィーネ。ラフィーネは、私達の両親の姿を覚えていますか?」

「……ぼんやりとだけど、覚えてる」

「そう、ですか…。…私は、覚えてないです…ぼんやりとすら、もう思い出せません…」

「そう、なの…?」

 

フォリンさんの言葉で悲しそうになったラフィーネさんは、更に次の言葉で目を見開く。

日本の学校制度に当て嵌めれば同学年になる二人だけど、11ヶ月分の違いはある。そして二人が孤児になったのが、物心付く前後だったとすれば…ラフィーネさんは覚えてて、フォリンさんは覚えてない事柄があってもおかしくない。

 

「……ラフィーネは言ってましたよね、何もない自分の側に残ってくれたのが私だって。…私だってそれは同じです。誰から生まれたのか、どんな人でどんな性格をしていたのか、それすら分からない私にとって、ラフィーネは…ラフィーネだけが、私の存在を証明してくれる人だったんです。ラフィーネがいなければ、私は自分が誰なのかも分からなかったんです。……私が私でいられるのは、私がフォリン・ロサイアーズなのは…全部ラフィーネの、おかげなんですよ」

 

今のままでも幸せなのだと、そう言った時のラフィーネさんに似た微笑み。諦観の混じっていない、本当に純粋な感謝の笑顔。その目尻の端からは……三度目の、涙が溢れる。

深い深い、ラフィーネさんへの恩と感謝。その思いは、その笑みと涙は……ラフィーネさんの、心を動かす。

 

「…そんなの…そんなの、フォリンだけの思いじゃない…っ!わたしだって、フォリンがいたから、フォリンがずっと側にいてくれたから、わたしはわたしでいられた…っ!どんなに辛くても、苦しくても、フォリンを守れるなら、少しでも幸せでいられるならって思ってた…っ!だから、助けてもらってたのはわたしの方……っ!」

「そんな事ないですよラフィーネ…っ!助けてもらっていたのも、今助けられているのも私ですっ!ラフィーネが私の心の支えになってくれていたから……」

「支えになってくれてたのもフォリンの方…!いつだってフォリンはわたしの心の支えだった…っ!もしフォリンがいなかったら、わたしは……」

「それだって、私も同じですからっ!」

「なら、わたしも同じ…っ!」

 

じわりとラフィーネさんの瞳にも涙が浮かび、目を瞑りながら言い切ると同時にその涙が落ちる。それを見て、それを聞いたフォリンさんは強く首を横に振って、自分の方がと言い返す。言い返しにもラフィーネさんが言い返し、またフォリンさんが……と二人の言い合いは続いて、次第に自分の方がという形から自分も同じだという言葉に変わっていく。

涙を流しながら、感情を募らせながら、思いをぶつけ合う二人。普段は多くの言葉を交わさなくても意思疎通が図れる二人が、それでも普段は交わし合えない奥底の気持ち。……それは、思いの全てをぶつけるまで、吐き出し切るまで続いていた。

 

「はぁ…はぁ…絶対、絶対私の方がラフィーネの事を思っているんですから……!」

「それは…幾らフォリンでも…譲れない……」

「…む……」

「…むむ……」

 

 

『……ぷっ…』

 

息を切らしてしまう程に言い合っていた二人は、最終的に軽く頬を膨らませて睨み合う。けれどそこに悪意や敵意なんてない。二人共もう半ばムキになっているだけで……それに気付いたラフィーネさんとフォリンさんは、二人揃って吹き出した。大笑いはしないものの、言い合っていた二人が今は笑みを向け合っている。

 

「…フォリンが、ここまで言うなんて思ってなかった」

「それは私の台詞です。普段は静かなラフィーネが、こんなに言うなんて……ふふっ」

「わたしだって、言う時は言う。…ふふ」

 

一切の気兼ねがない、姉妹二人だけのやり取り。ただ話しているだけなのに、幸せそうな二人の空気。ラフィーネさんの言葉を最後に、数秒間だけどその空気のまま沈黙が訪れて……真剣な顔となったラフィーネさんが、次の言葉を口にした。

 

「…ねぇ、フォリン。もし、わたし達がこのまま進んでいったら……いつか、こんな話も出来なくなるのかな…」

「…そう、思います。このまま進めば…きっといつか、私達は割り切る事も出来なくなる。…ラフィーネは割り切るには優し過ぎますし、私も…そんなに強い心なんて持ってませんから…」

「……でも、死んだらそこで終わり。道がなくちゃ、進む事も出来ない。暗くたって、きっといつか笑えなくなるかもしれなくても…一番大切なのは、少しでも生きられる場所にいる事。……そうすれば、生きていればどこかでフォリンは幸せになれると思うから」

 

……変わらなかった。ラフィーネさんの気持ちは、ラフィーネさんの覚悟は。自分よりもフォリンさんを大切にしているからこそ、自分の不幸を厭わなかった。

固く揺るがない、ラフィーネさんの思い。俺だったら、きっとその心を解かす事なんて出来なかったと思う。…だけど、ここにはもう一人いる。ラフィーネさんにも負けない位強い思いを持つ、ラフィーネさんの妹が。

 

「……無理ですよ、それは」

「…無理……?」

「えぇ。だって……私はラフィーネが幸せじゃなきゃ、幸せになれませんから。妥協した幸せじゃなくて…最高の幸せでラフィーネが笑顔になれなきゃ、私も幸せになれません」

「……それは…その言い方は、ズルい…」

「ラフィーネの為なら、幾らだってズルも反則もしますよ。それに…嘘は、言っていませんから」

 

半端な気持ちじゃ言い返す事も出来そうにない今のラフィーネさんへ、真正面からそう返したフォリンさん。…本当に、本当に…二人は強い。心の強さが、もっとずっと小さい事で悩んだりする俺とは違う。

 

「…じゃあ、フォリンはどうすればいいと思うの?他に道が、あると思っているの?」

「……正直、はっきり見えている訳じゃありません。ちゃんと現実を見ているのは、ラフィーネの方だと思います。…だから、私が言えるのは…絶対にラフィーネと二人で幸せになる、なってみせる事を諦めない…ただ、それだけです」

「…今は気持ちだけって事?」

「否定はしません。でもこの気持ちは絶対に揺るがないと断言出来ますし……ここには、頼らせてくれる人もいますから」

「え……」

 

具体的な案は無くとも、確かな思いがここにある。そう言わんばかりにフォリンさんは言い切って……その視線が、俺へと向いた。ずっと二人の世界にいたフォリンさんが、突然俺に。

驚いた。ここで呼ばれるとは思っていなかったから。俺の出る幕はもうないと思っていたから。でも今、フォリンさんの視線もラフィーネさんの視線も俺に向いている。俺の言葉を待っている。…だったら、俺の返すべき言葉は一つ。

 

「……俺自身は弱いよ。人としても、霊装者としても、二人の足元にも及ばない。…けど、二人が頼ってくれるなら、二人の為なら…出来る事は何だってやるよ。強くなるし、姑息だけど綾袮さんに普段のちょっとした事からつけ込んで、深介さんや紗希さんにも手八丁口八丁で取り入って、二人が幸せでいられる手助けをする。……俺だって、生半可な気持ちでここに立ってる訳じゃない」

 

不明瞭で、実質他力本願で、しかも確実性がない俺の言葉。凡そ頼ってくれた人に言うようなものじゃない、情けない宣言。でも、今の二人に見栄を張りたくはなかった。今の自分が言える事、出来る事を伝えたかった。二人の思いに、きちんと応える為に。

 

「…………」

「…………」

 

俺の言葉を受けて、口を閉ざした二人。内心では何も言わない二人に焦りを感じたけど、言うべき事は言ったんだからと俺も次の言葉を待つ。静かに待って、二人からの視線を受け続けて……最初に聞こえたのは、ラフィーネさんの小さな吐息だった。

 

「…ほんとに姑息。あんまり顕人からそういう発想は聞きたくなかった」

「俺だって積極的にやるつもりはないよ。でも、そうしてでも俺は力になりたい。力になってあげたいんだよ」

「…フォリンにも、あそこまで言うならもう少し先を見越した考えを持っていてほしかった」

「見越してますよ。ラフィーネと一緒に幸せになりたいって事を、心から」

「……フォリンも顕人も、無茶苦茶過ぎる。わたしは真面目に考えてるのに、二人は色々適当過ぎ。そんな事を言われたら、自分があんまりにも馬鹿らしくて……」

 

不満気に、少し怒ったように俺達へ文句を言うラフィーネさん。だけどそれからラフィーネさんは表情を緩ませて……

 

「────わたしだって、そんな未来を…フォリンと一緒に幸せになる未来を、歩みたくなる」

「……っ!ラフィーネさ「ラフィーネっ!」うぉ…っ!?」

 

綻んだ、今度こそ諦めや悲しみのない穏やかな笑み。それを見た俺は衝動的にラフィーネさんの名前を呼んで……それを言い切らない内に、感極まったフォリンさんがラフィーネさんへと抱き着いた。

 

「わっ…ふぉ、フォリン……?」

「なら歩みましょう、歩みましょうラフィーネ…っ!ラフィーネがその気になってくれるなら、きっと幸せになれます…っ!いいえ、なってみせますとも…!」

「い、いや…フォリン、まだわたしは断言した訳じゃ……」

「それでもいいんですっ♪ふふっ、ラフィーネラフィーネ〜♪」

「…もう…フォリンはまだまだ子供なんだから……」

 

また目尻に涙を浮かべて、それでも擦り寄るフォリンさんと、同じく涙を浮かべて困った顔をしながらも頬は緩んだままのラフィーネさん。……その涙が、悲しみではなく嬉しさからきているって事は、俺の心にも伝わっていた。

 

(…これでもう、本当に俺の出る幕はない…かな)

 

二人は、漸く本当の意味で分かり合う事が出来た。同じ未来を目指す、スタートラインに立つ事が出来た。ならもう俺が何かする必要はないし、きっと今は二人だけでいたい筈。そう思って俺は二人に背を向け、この場を去るべく歩き出す……

 

 

 

 

……その時だった。

 

 

 

 

 

 

「──美しい姉妹愛ですね。仲が良くて結構です」

 

空から聞こえた、聞き覚えのない女性の声。落ち着いた、ただそれだけで自信を感じさせる、静かな声。その声に反応して振り返えると、そこにいたのは……紅い光を周囲に放つ、一人の霊装者だった。


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