双極の理創造   作:シモツキ

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第九十七話 貴女を守る為ならば

あれからフォリンさんは、堰を切ったように涙を流し続けた。時間にすれば、それはせいぜい十数分。長年姉を思い続けていた事からすれば、本当に短い、僅かな時間で……それでも涙を拭いた後のフォリンさんは、小さな笑顔と、何としてもラフィーネさんの心を守ろうとする決意が表情に浮かんでいた。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ……」

「着きましたか、顕人さん」

「もうすぐ、着くよ…着くけど…さぁ……」

 

それから数十分程した今、俺は林のある地点に極力音を立てず全力で向かうという、地味に苦労する行動をしていた。理由は勿論、任務を……綾袮さんを暗殺しようとするラフィーネさんを止める為。

林から綾袮さんの使う部屋へと侵入し、可能なら寝ている綾袮さんをラフィーネさんが一撃で、それが無理なら別地点で狙撃(こっちが本来の戦い方で、連射性の高い両手火器を使う戦い方はフェイクなんだって事はついさっき知った。…本来の戦い方じゃなくても、あんなに強いんだよね…)を行うフォリンさんと連携して仕留めるというのが、元々の作戦。そしてラフィーネさんはもう移動してしまったらしいから、俺は可能なら行動開始前に、それが無理でも侵入前に止めるしかない。

じゃあ、何で俺はこんなに息が切れているか。それは……

 

「…時間にはさ、気を付けようよ……」

「すみません…本当にその件は返す言葉がないです……」

 

…フォリンさんが時間に気付いた時には、もう余裕なんて微塵もなくなっていたから。確かにフォリンさんの当初のプラン(俺を身体で釣って聞いてもらうつもりだったとか)からは大きく離れてしまったんだから仕方ないといえば仕方ないけど、それで負担を強いられちゃ溜まったもんじゃない。…まぁ、俺が真意に気付いてからの話は、時間をかけるだけの価値があるものだったと思うけど。

 

「…ラフィーネさんは…?」

「今探している最中です…が、ラフィーネが理由もなく作戦とは違う動きをするなんて事はありません。なので先程伝えた場所にまだいる筈です」

「…もう行く?」

「待って下さい。万一の事がありますから、私がラフィーネを見つけるまでは……」

 

携帯を耳に当てたまま、フォリンさんへ指示を仰ぐ。要は説得なんだから、その点においては早く行くに越した事ないんだけど…今のラフィーネさんの意識は暗殺者状態。そこは俺がのこのこ出て行ったら、何が起こるか分からない。

だから俺は、フォリンさんからライフルを一丁渡されていた。使ってほしくはないけど、自衛も出来ずに傷付く事の方が嫌だから、と。

 

「……ラフィーネからの通信がありました。一度こちらは切らせてもらいます」

 

言葉の途切れた数秒後、フォリンさんはそう言って一方的に通話を切った。多分、ゆっくり俺の了承を得てから切るなんてしてたらラフィーネさんに変に思われるから、ってのが理由だと思う。

 

(…ラフィーネさん……)

 

まだラフィーネさんの姿は見えない。見えないから、どんな表情をしているのかも分からない。だけどこれから俺は、暗殺をしようとする彼女と対面する事になる。そう思うだけで……正直、冷や汗が止まらなかった。

 

 

 

 

「フォリン、準備は出来た?」

「はい。もうスコープ越しに見えています」

 

インカムから聞こえる姉の声に、携帯をしまったフォリンは返答。

彼女の言葉は概ね間違っていない。既に組み立てた狙撃銃を寝そべった体勢で構え、スコープで目標の位置を視認している。だが唯一違うのは、その目標が綾袮ではなくラフィーネである事。そして勿論、彼女の狙いは殺す事ではなく、守る事。

 

「なら、開始時刻と同時にわたしは突入する。…大丈夫。フォリンが綾袮を撃たなくても済むよう、わたしが絶対に決めるから」

「…無理、しないで下さいね。私はラフィーネの相棒なんですから」

「分かってる。無理はしないから安心して」

 

声は静かで、響きはまるで感情がないよう。だがフォリンには伝わっていた。ラフィーネの優しさが、自分を思ってくれる姉の愛が。…だからこそ彼女は切なくなる。こんなにも優しく、元々は感情表現も豊かだった姉に、暗殺者としての生き方が染み付いてしまった事が。

だが、今のフォリンは違う。今の彼女には事情を知った上で協力してくれる相手が、か細いながらも信じられる希望がそこにはいる。

 

「……フォリン、成功したらその時はお願い」

「えぇ。偶々居合わせたラフィーネが、善戦するも手傷を負わされ犯人に逃げられた…そう見えるように私が撃ちます」

「うん。…必ず、成功させる」

 

自らへの鼓舞か、それとも自分へ言い聞かせたのか。その言葉を最後にして、ラフィーネはフォリンとの通信を終えた。自分がフォリンを守るのだという、大切な妹への思いを秘めて。

通信が切れてから、フォリンは深呼吸を一つ。これから自分が行おうとしているのは、行ってもらおうとしているのは、大事な姉と信頼する相手のどちらも傷付くかもしれない事。そしてもしそうなりかけた場合、止められるのは自分しかいない。…そんな事実を彼女は受け止め、逸らす事なくはっきりと見据え……顕人へと、連絡をかける。

 

「……顕人さん、ラフィーネを…私の姉を……お願いします」

 

 

 

 

それなりに開けた、林の中のある一角。そこに、ラフィーネさんはいた。佇むように、その中心に立っていた。

 

「……っ…!?…顕、人……?」

 

近付く俺の存在を視認した瞬間、ラフィーネさんは目を見開いた。今目にした光景が信じられない、とばかりの表情で。

 

「…こんばんは、ラフィーネさん」

「…………」

 

木々の間から出た俺は、静かにラフィーネさんへ呼び掛ける。武器は全て縮小したまま。だって俺がこれからするのは、戦いじゃなくて話し合いなんだから。

 

「…どうして、ここにいるの……」

「ちょっと、ね。ラフィーネさんこそ、どうしてここに?」

「……散歩。眠れなかったから」

 

訊くまでもない質問だけど、俺は言う。ラフィーネさんは、数瞬黙った後に散歩と返答。…やっぱり、返ってきたのは嘘だった。

 

「そっか。じゃあ、俺も一緒に居ていい?」

「…用事は?」

「大丈夫だよ、心配してくれなくても」

「…………」

 

ラフィーネさんから、疑念混じりの視線を向けられる。でも、そりゃあそうだろう。ラフィーネさんからすれば俺の登場はあまりにも悪いタイミングで、しかも俺は曖昧な返答しかしてないんだから。

それから数秒、ラフィーネさんは沈黙。俺も追加の言葉をかける事はせず、風の音と虫の鳴き声だけが聞こえ……ラフィーネさんは、目を閉じた。何かを切り替えるように閉じて、開いて、言う。

 

「…顕人、何も言わずに戻って」

「…どうして?」

「それも含めて、何も言わずに戻って。…お願い、だから」

 

真剣に、俺だけを見てラフィーネさんが口にした言葉。その言葉からは、素直に聞き入れてほしいという願いと……俺ならきっと、こんな言い方でも聞き入れてくれるという思いが伝わってきた。

もし俺の勘違いじゃないのなら、それは俺に対する信頼の証。それ程までに信頼してくれているのなら勿論嬉しいし、何も知らなければ「今度話してよ?」とでも言って部屋へ戻っていたと思う。

だけど今の俺は違う。今は、今だけは…その信頼を台無しにする事になったとしても……その言葉は、聞き入れられない。

 

「……それは、今からラフィーネさんが…綾袮さんを、傷付けるから?」

「──ッ!?…どうして、それを…知ってるの……ッ!」

 

俺は言った。何も知らない芝居を止めて、核心へ至る一言を口にした。……その瞬間、ラフィーネさんの雰囲気が豹変する。

 

「……教えてくれたんだよ、フォリンさんが」

「フォリンが…?……冗談は止めて、わたしは真面目に訊いてるの」

 

ギロリと俺を睨め付けるラフィーネさんの視線にヒヤリとするも、何とか平然を装って更に一言。するとラフィーネさんはまるで信じていない様子で、冷たい声をぶつけてくる。…その言葉からは、フォリンさんへの信頼が伝わってきた。フォリンさんが言う訳ないという、俺に向けた以上の信頼が。

 

「嘘じゃないよ、ラフィーネさん。…信じられないなら、フォリンさんに訊いてみて」

「……フォリン、問題が起きた。理由は分からないけど、顕人がここに……」

 

僅かな逡巡の後、インカムで連絡を取るラフィーネさん。やはりフォリンさんを信じているようで、「教えたの?」という文言はなく……ラフィーネさんの言葉は、途中で途切れた。……多分、言ったんだろう。それは自分が教えたからだと、フォリンさんが。

 

「…フォ、リン……?何を、言って…るの……?」

 

それから聞こえてきたのは、呆然としたラフィーネさんの声だった。俺が姿を現した時以上の、自分の信じる道の根幹が揺らいだかのような、乾いた声をラフィーネさんは漏らす。

 

「…分かったでしょ、ラフィーネさん。俺は嘘なんか言ってないよ。勿論、フォリンさんもね」

「…顕人は黙ってて…フォリン、どういう事…どうして、どうしてなの……」

「ラフィーネさん、それは……」

「顕人には訊いててないッ!」

「……っ!」

 

呆然としたままのラフィーネさんへ声をかけるも、ラフィーネさんは俺なんて眼中にない様子で理由を求める。そして、そこへ口を挟むように俺が言おうとした瞬間……彼女の怒号が、耳に響いた。

初めてだった。ラフィーネさんの怒りを目の当たりにするもの、大声を出すのも。拒絶の視線を向けてくるラフィーネさんの姿を見ていると、色々知れたと思っていたラフィーネさんの人間性を、まだ俺は一面しか知らなかったのだと思わせられる。

 

「…悪いけど、訊かれてなくても俺は言うよ。フォリンさんと、約束したからね」

「約束……?」

「うん、言われたんだよ。ラフィーネさんを、止めてほしいって」

 

だけど俺は臆さない。この程度じゃ動じない…って事はないけど、日和るつもりなんか毛頭ない。

 

「…聞いたよ、ラフィーネさん。任務の事も、これまでの経緯の事も……ラフィーネさんが、どれだけ苦しい目に遭ってきたかも」

「……っ…それが、何……?」

「それは全部、フォリンさんの為だったんでしょ?フォリンさんが苦しまなくて済むよう、一緒に過ごせるよう、出来る事をしてきたんだよね?違う?」

 

俺へと向けられていた鋭い目付きは、俺の言葉で一瞬揺らぐ。それはラフィーネさんにとって快くない記憶の話だからかもしれないし、それも知っているのかという驚きかもしれない。

目付きの揺らいだラフィーネさんへ向けて、俺は言葉を畳み掛ける。訴えるのは、理論ではなく心と感情。その為に俺は訊いて、彼女は沈黙。…けどその沈黙は、肯定も同然のもの。

 

「そのフォリンさんが言ってるんだよ。これ以上ラフィーネさんの心が傷付いてほしくないって。ラフィーネさんがフォリンさんを思ってるように、フォリンさんもラフィーネさんを思ってるんだよ」

「…わたしは、傷付いてなんかいない……」

「でも、フォリンさんにはそう見えた。任務の放棄を提案する程に、ラフィーネさんを心配してるんだよ。…それに、俺だってそうだ。俺は聞いただけだし、偉そうな事は言えないけど…それでも俺は、綾袮さんを手にかけてほしくないと思ってる」

「…そんなの言われるまでもない。顕人がそういうのは、当然の……」

「違うよラフィーネさん。綾袮さんの為ってのも確かにあるけど……それだけじゃないんだ。俺はラフィーネさんに、仲良くなれた人に…そんな辛い殺しをしてほしくないんだよ」

 

ラフィーネさんは、望んでいないのかもしれない。フォリンさんを守れるのなら、例えこのまま突き進もうと…と思っているのかもしれない。

だけどそれをフォリンさんは望んでいない。だから俺は言葉を続ける。ここには、ラフィーネさんに傷付いてほしくないと心から思っている人が、少なくとも二人はいるんだから。

 

「…勝手な事を言わないで…。顕人は、良い人…けど、顕人に何が出来るの?ちょっと聞いただけの、顕人に」

「……出来ないよ、俺には権限なんて言えるものは殆どない…でも、俺は止めたいんだよ。…言ったでしょ、ラフィーネさん。俺はラフィーネさんと話すのが楽しいって」

「それは……」

 

ここまで考え込むように黙る事はあっても口籠る事はなかったラフィーネさんが、そこで初めて言葉を詰まらせる。…その時俺は、良かったって思った。今はそんな事感じてる場合じゃないけど…あの時のラフィーネさんは、間違いなく本心のラフィーネさんだったって分かったから。本当のラフィーネさんが心の奥にあるのなら……可能性は、絶対にある。

 

「…本当にいいの?そりゃ、そうしなきゃいけなかったのかもしれないけど…勝手な事を言うなってのは、その通りだけど……ラフィーネさんは、今のままで満足なの?」

「わたしは、フォリンが守れればそれでいい。…顕人と話すのは、楽しかったけど…それよりもっと、フォリンが大切」

「…それは、妥協じゃないの?例え望むもの全てを手に入れる事は難しくても……フォリンさんさえ守れればなんて、そんなの…俺には幸せに見えないよ…」

「……幸せに、見えない…?」

 

何か一つでも大切なものがあれば、一番大切なものを守れるのなら……そんな言葉は美しく聞こえるし、それが間違っているなんて言うつもりはない。けど…たった一つだけなんて、寂し過ぎる。これは俺が恵まれた環境で育ったから言える、贅沢な事かもしれないけど、人にはもっと幸せがあっていいと思う。

そんな思いで、言った言葉。断言した時のラフィーネさんがどこか痛ましくて、自然と口をついて出た思い。……それが、彼女の中で何かを変えた。先程一瞬見せた怒りの感情が、再びラフィーネさんから滲み出す。

 

「幸せに見えないって言った…?フォリンを守る事が、わたしの一番大切な気持ちが…幸せに、見えないって言ったの…?」

「…ラフィーネさん…?…いや、それは…言ったには言ったけど…少し解釈に語弊が……」

「……取り消して、今の言葉」

 

それは、静かな怒り。荒々しさはない、荒い言葉を使う訳でもない……けれど一気に冷や汗が吹き出すような、内側で濃縮された怒り。取り消せという言葉と共に、ラフィーネさんはこちらへ一歩踏み出してくる。

 

「取り、消す……?」

「フォリンは、わたしの大切な妹。何もないわたしの、沢山のものを無くしたわたしに残った、わたしの隣に残ってくれた、わたしの一番守りたい人」

 

淡々とフォリンさんに対する思いを語るラフィーネさん。淡々と話しているけど、その声からはフォリンさんへの愛情が伝わってくる。それは愛情を籠らせた言葉なのに……ぞくりと怖気が背筋を走る。

 

「だからわたしはフォリンを守りたい。フォリンが元気なら、わたしも元気でいられるから。フォリンが側にいてくれるなら、どんなに苦しくても耐えられるから。フォリンがいるから…わたしもわたしでいる事が出来る。……なのに、顕人は言った…それが幸せに見えないって…フォリンを守る事を、大事な気持ちを…顕人は否定した……ッ!」

「……ッ!」

 

俺へと向けられた瞳が揺れ、静かな怒りははっきりとした怒りへ変貌した。

そんなつもりで言ったんじゃない。ラフィーネさんの思いを否定したつもりなんて、微塵もない。そう頭では分かっているのに、思っていても口に出して伝えなきゃ意味がないって理解しているのに、口から上手く言葉が出ない。……俺はこの時、ラフィーネさんの放つ空気に飲まれていた。

 

「許さない、許さない、許さない…!取り消さないなら、幾ら顕人でも……顕人だからこそ、わたしの思いを、フォリンの事を否定するなら……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さ──」

「……ラフィーネ…さん…?」

 

怒り。強い怒り。許さないという怒り。その思いが口を出て、全身から放たれ空気を支配し、気付けば俺は後退っていた。

何か言わないと、そうじゃないんだと否定しないと、ラフィーネさんの膨れ上がる怒りは止められない。フォリンさんが望んだのとはかけ離れた結果になってしまう。それに俺は焦り、何とか雰囲気に飲まれた自分を引き上げようと気力を振り絞り……けれど次の瞬間、呪詛の様なラフィーネさんの言葉が不意に途切れた。一瞬前まで放たれていた空気も霧散し、ラフィーネさんは言葉が途切れると同時によろよろと後退。

 

「……あぁ、そっか…逆、だったんだ…」

「逆……?(この雰囲気は…怒り…なの、か…?)」

 

呟く様な、ラフィーネさんの声。その中で聞こえた逆という単語に俺は聞き返すも、考えているのは別の事。

今ラフィーネさんは、確かに怒っている。言葉からも雰囲気からも怒りが滲み出ている。けどそこへ更に、何かが混じった。熱く煮え立つような怒りとは違う……もっと冷たい、何かが。

 

「(…って、いや…それより今は……!)…あの…聞いてラフィーネさん、俺は……」

 

何が混じったのかは気になるところ。でも今一番しなきゃいけないのは、俺の発言に対する誤解を解く事。そう思い直した時にはもう言葉が出るようになっていて、違うんだと、そういう否定の意味で言ったんじゃないんだと言おうとした。……その、時だった。

 

「がは……ッ!?」

 

目の前のラフィーネさんの姿がぶれ、次の瞬間腹部に激しくも鈍い痛みが走る。痛みと衝撃で俺の身体はくの字に曲がり、そのまま飛んで背後の木の幹へ激突。その寸前に見えた、俺の腹へと打ち込まれていたのは……ラフィーネさんの突き立てた膝。

 

「……フォリンがどうして顕人に話したのか、気になってた。フォリンがそんな事を勝手にするなんて、おかしいから」

「う、ぐ……ラフィーネ…さん…」

「それに、今日の朝もフォリンは変だった。気持ちは分かるけど、いつものフォリンなら言わないような事を言っていた。…けど、その理由がやっと分かった…」

 

 

「──顕人、フォリンに…何をしたの?」

「……──ッ!」

 

ぶつかった木の幹を背にずり落ちた俺。呼吸を詰まらせながら見上げた俺の目に映ったのは…月明かりに照らされて赤い光を反射する二つの瞳と、蒼い光を放つ二振りの刃。その表情は冷たく、その瞳は凍てつくようで……気付いた。感じていた冷たさは、ラフィーネさんの意識が暗殺者としてのそれに切り替わった事によるものだと。そして、その暗殺者の目が今……俺に向いている。

 

「何を、したって…俺はただ……」

「言わなくていい。訊いたけど、訊いてないから。訊くつもりがないから」

 

俺に言葉を言い切らせずに、またラフィーネさんは一歩前へ。まだ俺とラフィーネさんの間には、多少の距離がある。でも多少程度の距離なんて、彼女にとっては何の障害にもなりはしない。

 

「……さようなら、顕人。顕人が寂しいと言ってくれたのは嬉しかった。顕人といるのは楽しかった。だから、貴方の事は…忘れない」

 

それは、別れの言葉。これから別れるって時に言う、相手へ送る言葉。

あまり遠くない内に、ラフィーネさんとフォリンさんは帰ってしまう。だけど、今送られたのは、その時の為の言葉じゃない。今この瞬間に送られたのは……死に行く者への、手向けの言葉。

俺だって、いざとなれば戦うつもりはあった。攻撃はせずとも、防戦位はしようと思っていた。今だって、その気はある。…でも、間に合わない。俺とラフィーネさんの力量差があって、且つラフィーネさんが暗殺者だと言うのなら……間に合う筈がない。

ゆらりと揺れる、ラフィーネさんの身体。前に揺れ、地を蹴り、蒼の刃がその手で踊る。そして、刃は真っ直ぐに俺へと迫り…………

 

「ラフィーネッ!駄目ぇぇぇぇええええええッ!!」

「……ッ!?」

 

半ば抱かれるようにしてその場から突き飛ばされる俺。地面を擦り、先程とは別の痛みが走って……でも、それだけの事。俺は刃に斬られる事なく……生きている。

俺はゆっくりと顔を上げる。そこにいたのは、俺の前に、ラフィーネさんの前に立っていたのは……フォリンさんだった。


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