双極の理創造   作:シモツキ

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第五十五話 不器用な感謝、無情の結末

あの時…魔人から選択を迫られた時、俺は本当に取り引きを受け入れる事も考えていた。自分の命ではなく、妃乃の命がかかっているのだから、『一か八か』だとか『可能性があるならそれに賭けたい』なんて考えは間違っていると思ったから。例え妃乃が支配されたままだとしても、命を落とす事に比べれば…と思っていたから。

だが皮肉にも、俺に決意をさせたのは魔人の言葉だった。俺にとっても妃乃にとっても幸せな答えは、魔人の取り引きに乗った先にはない。恩人であり今や家族も同然な妃乃に、自由と失う代わりの命の保証なんかをさせて満足な訳がない。魔人に支配され、俺に従属するような日々は、例え命と引き換えであっても妃乃が望むとは思えない。性格が合わなくて…でも偶に一致する俺と妃乃にとって、妥協した結末が幸せである筈がない。……そう思ったから、俺は危険を冒した。危険を冒してでも、本当の妃乃を助け出そうと思った。そして今、妃乃と共に立つ俺は…そうして良かったと、心より思っている。

 

「…もう、戦えるって事でいいんだよな?」

「勿論。悠弥こそ、まだいける?」

「ったりめーだ。流石にこいつ一丁じゃ心許ないがな」

「じゃ、まずは武器を回収しなさい。必要なら援護するわ」

 

肩口を押さえ絶叫する魔人を尻目に、俺と妃乃は打ち合わせ…と、いうよりはお互いの調子を確認する。表情には出さないし、出す気もないが…その時俺は、妃乃の無事に心から安堵していた。

 

「ぐっ…あ、ぁ……馬鹿な…私が、この私が…こんな傷を、人間に付けられた…?」

 

右腕を失うという大怪我を負っていても、魔人は魔人。功を焦れば後悔するという意識の下、拳銃と大槍をそれぞれ向けると……対する魔人はひとしきり絶叫した後、何やらぶつぶつと呻いていた。顔こそ見えないものの…その態度や声音に、これまでの余裕や不快さは欠片も感じない。

 

「…これは現実か…?本当に起こっている出来事なのか…?……本当だというのなら、馬鹿馬鹿しい…あぁ、なんてあってはならない出来事だというんだ…」

「…哀れね。けど、容赦なんてするんじゃないわよ?」

「容赦?あいつのどこに情けをかける要素があると?」

 

慢心はしていない。仮にも妃乃を策に嵌めた奴なのだから。嘲りもしない。相手に余裕がある状態ならともかく、今嘲る程俺は性格が捻じ曲がっちゃいないから。…だが俺も妃乃も、ほんの少し気分が高揚していた。やっとこいつを倒せる、という気持ちが精神を高揚させていた。

俺は視線を落とした武器に移す。まずは武器…最低限光実どちらかの刀を回収して、妃乃を支援して、魔人にトドメを刺す。

 

(そんで、まだ支配下っぽいあの四人を必要なら保護して、その後妃乃と帰って…それでやっと終わるんだ。まだまだ油断するんじゃねぇぞ俺…)

 

脚に力を込め、妃乃と目を合わせる。交わらせた視線で互いの意思を確認し、再び魔人に目を戻す事で自分達の感覚が導いたタイミングが正しいのだと確信し、二人同時に床を蹴る……その直前だった。

 

「……ふっ…ふふ…はは、ははははははははははっ!ははははははははっ!!」

「んな……ッ!?」

「こ、壊れた…?」

 

突如笑い出す魔人。楽しげでもなく、愉快そうでもなく、しかし声を響かせ笑う魔人。妃乃が反射的に発した『壊れた』という言葉は的を得ていて、左手を顔に当ててよろめきながら笑うその姿は、正に狂った機械の様だった。

 

「嗚呼、よくもまぁこの私に対してここまでしてくれたものだよ…君達人間程度の存在が、私にこの仕打ちとは分不相応にも程があるじゃあないか…」

「ふん、何を言い出すかと思えば…最後までその考えを曲げない事だけは評価出来るわね」

「傲慢が身を滅ぼす良い例だな。反面教師としてよく覚えておくか」

「…ふふふ、そうだ…そうやって減らず口を叩いてもらわなくては困る…今更殊勝になられても興醒めだからねぇ…」

 

指の間から見える魔人の瞳は、双眸共血走り瞳孔が開いている。片腕を失ったばかりなのだから当然と言えば当然だが、その正気を失ったような形相には、嫌な空気を感じ得ない。

 

「先程君達を殺そうとしたけど…あれは撤回するよ。殺すだけじゃ生温過ぎる。敢えて生かし、私の道具として君達の守るべきものへの災厄とさせなければ、絶望と死への渇望の中で永遠と生かし続けなければ、君達が負うべき報いに釣り合わないからね…はは、その時の姿が目に浮かぶようだよ……」

「そらご大層なこって。どっからそんだけ言い切る自信が出てくるんだか」

「ほんとに哀れね、可哀想に思えてくるわ。…その身体でやるのは無理よ、現実を受け入れなさい」

「その気持ちには及ばないよ…そして、この身体についてはその通りだ。……だから、こうするのさッ!はははははッ!」

『……っ!』

 

手を勢いよく顔から離した魔人。その瞬間手の裏に見えたのは、ほんの小さな…しかし行程を見ておらずとも分かる程に凝縮された、靄の塊。俺と妃乃がそれの精製を悟られないようにする為額に当てていたのだと気付いた時、球体の塊は腕の動きに合わせて既に放たれていた。

それが強力な一撃だと感じ取った俺と妃乃は、即座に回避。だが、球体が向かった先は……俺達のいる方向ではない。

 

「なッ!?天井が…!」

「野郎、端から逃げるつもりでいやがったな…ッ!」

 

虚を突かれた事、既に回避行動を取ってしまっていた事が災いして、まんまと天井の破壊を許してしまう。瓦解する音と煙が立ち込める中、魔人の声が部屋に響く。

 

「逃げる?いいや、君達に猶予を与えるだけさ。君達は万全の状態で、完膚無きまで叩き潰すと決めたのだからね。自分達が犯した愚かな過ちを悔やみ、再び私が現れるその時まで震えながら待つがいい!はははははは!ははははははははっ!!」

 

初めは鮮明に聞こえていた笑い声が、次第に小さくなっていく。魔人が逃げる事は分かっていた俺達は、すぐに瓦礫へと登ったが……

 

「……後、一歩だったのに…!」

 

──妃乃の一振りで晴れた部屋に、魔人の姿はもうなかった。

 

 

 

 

追い詰めた魔人に逃げられた事を悔しがる妃乃だったが、その心を落ち着けたのは倒れた四人の女性の姿だった。俺は勿論妃乃の方も追撃より四人の安全確保を優先し、一先ずは更なる天井の崩壊を危惧して四人を別の部屋へ運搬。その後俺は手放したままの武器を回収する為部屋に戻る。

 

「ぶっ潰れてたらショックだな…」

「確か潰れてなかったと思うわよ、確かね」

「だと良いんだが……お、その通りだった」

 

部屋に入り、武器が無事である事を視認した俺はすぐに回収。所詮武器は武器だが…どんな道具でも使い続けてりゃ愛着が湧くからな。後理由はどうあれ武器を全部おじゃんにしたとなれば、協会にいい顔はされねぇだろうし。

 

「ふぅ、これで良し…と」

「なら、行くわよ」

「行くって…まさか、追撃にか?」

「当たり前じゃない。あの四人は支配から解除されてるみたいだから救急車呼べば大丈夫だと思うし、あいつを放っておく訳にはいかないでしょ。だから一刻も…早、く……」

「そりゃそうだが……うん?」

「……あ、あれ…身体が…」

「妃乃?…おい妃乃!?」

 

一度は沈静化していた魔人への怒りを再燃焼させ、瞳にその炎を灯した妃乃。だが、次の瞬間妃乃はぐらついた。そこへ慌てて駆け寄り支える俺。

 

「どうした!?まさかまだ身体が自由じゃねぇのか!?」

「……ううん、大丈夫…勝手に動くとか、そういう事じゃないの…」

「なら、何が…?」

「…ちょっと、身体に無理させ過ぎちゃったみたい…」

 

数秒前とは打って変わって情けなそうな表情を浮かべる妃乃は、支配を力尽くの方法で打ち破った事を口にした。普段の戦闘でかける何倍もの霊力を、一気に流し込む。そんな行為を機械でやればショートしてしまうように、人の身体だってそれで無事で済む訳がない。

 

「なんちゅう無茶するんだよ…馬鹿じゃないのか…?」

「あ、貴方に馬鹿とは言われたくないわよ!っていうか悠弥を助ける為にやったんだけど!?」

「だから俺に賞賛しろと?」

「そうじゃないけど……分かってるわよ、私だって無茶な行為なのは…」

 

普段の調子で怒ってくるなら俺も毒を吐けるものの、殊勝な態度をされてしまえば言葉を返せない。…それに、妃乃の言う通りこれは俺を助ける為にやってくれたんだよな…なら手段はどうあれ、感謝しないのは間違ってる。

 

「…すまん。それと助かった」

「う…急に態度変わるんじゃないわよ……」

「それは妃乃もだろうが…」

「別に私は…と、とにかく追わないと…!」

「いや無茶を重ねる気かよ…」

 

幸い立っていられない程の負担ではなかったらしいが…どうもそれが妃乃の闘志を後押ししてしまっているらしい。…安易に自分に甘い選択をしない、ってのは立派だが、それが無茶に繋がってんなら問題だな…。

 

「ちょっと全身が疲労してるだけよ、まだ戦えるわ…!」

「万全じゃない状況で魔人と戦うのは、どんな理由があろうと失策だ。…そうじゃないのかよ?」

「…それは…でも、追わないと……」

「…どうせあの傷だ、暫くは人を害するような事はしねぇよ。それに、ここへ辿り着くまでに俺は宗元さんの力を借りたんだ。宗元さんなら起きてる事を推測してもう部隊を展開してるだろうから、その部隊が遭遇すれば処理してくれるだろうよ」

「そうなの……え?…お、お祖父様に…?」

 

何としても奴を仕留めたい、仕留めておきたい…そう思う気持ちは分かる。だからこそ妃乃が安心出来るような言葉を言ったつもりなんだが……うん?どういう訳か妃乃は顔色を悪くして動揺してるぞ…?

 

「…なんか、不味い事言ったか…?」

「いや、その…お祖父様の力を借りたって事は、私の独自行動も知られたって事よね…?」

「そりゃ、まあ…完全にじゃないだろうが、妃乃が独自になんかしてたって事は察しただろうが…」

「……怒られる、絶対怒られる、絶対絶対怒られる…」

「え、ちょっ…妃乃さん…?」

 

怒られる怒られると呟きながらぷるぷる震える妃乃は、これまで見た事のないような状態だった。……う、うん…宗元さんに何度も怒られた経験のある俺としては滅茶苦茶分かるし、妃乃は性格的に怒られ慣れてない(怒られるような言動をしてない)のも大きいんだろうが…それにしたって、こんな状況でこんな姿見せるかね…。

 

「……天之瓊矛、やっぱりこれはまだ私には早かったのね…」

「そこまで!?そこまで落ち込むか普通!?いや返上しろとまでは言われないと思うぞ!?」

「……そう…?」

「どんだけショック受けてんだ…宗元さんの懐の深さ、知らないなんて事はないだろ?」

「…そうね…取り乱したわ、忘れて頂戴…」

 

見苦しいところを見せた。そう言いたげな様子の妃乃に首肯し、一先ず妃乃も落ち着きを取り戻す。…忘れられるかどうかは…まぁ、この際脇に置いておこう。

 

「…妃乃、動けるか?」

「え、えぇ…大丈夫、支えももう必要ないわ」

「だったら問題ないな。じゃ、帰…あー……」

「……悠弥?」

 

妃乃が無事で、魔人も逃げてしまった以上はもうここに留まる理由はない。見知らぬビルで見知らぬ男女に安否確認されても動揺するだけだろうからと四人の事は救急隊に任せる事に決め、帰ろうとした俺は……そこで気付いた。今の俺と妃乃が抱える、由々しき問題に。

 

「…支えが必要ないって言ったって、いつも通りの動きとはいかないよな?」

「…まぁ、多分…」

「……どうやって緋奈に説明するよ…?」

「あ……」

 

忘れてやがったな…?…とは言わない。だって俺も今さっきまですっかり忘れていたのだから。

 

「…帰ってすぐに部屋へ篭れば……」

「緋奈は絶対心配するだろうな」

「そうよね…悠弥は何か不味かったりしないの?」

「俺は怪我していたとしても服に隠れる部分だろうな。……手首を除けば…」

 

そう言って見せた右手首にあるのは、魔人に握られた生々しい痕。既にもう普段着で長袖を着るような時期ではなく、リストバンドや長手袋もいきなり着けたら変に思われてしまう。…つまり、俺も妃乃も言い訳を考えなければいけないのである。緋奈に霊装者や魔物の事を知られたら、俺がこれまでしてきた事が全て無駄になるのだから。

 

「…私と悠弥で喧嘩した、って事にする?」

「俺が動きに支障が出る程妃乃に暴力を振るったって知ったら、緋奈からの信用が地に堕ちるだろうが…」

「そうね…後考えたら私が悠弥にやられるってのは気に食わないわ」

「えぇー……ま、喧嘩なら俺は顕人としたって事にすりゃいいな。妃乃は…いっそもうちょい大きな怪我をしたって事にしたらどうだ?どうせそれじゃ学校でも誤魔化ししなきゃならねぇだろ?」

「…一理あるわね。それなら帰りに包帯か何かを仕入れないと…」

 

…これでまた一つ、緋奈に嘘を吐く事になる。あの日から少しずつ、何度も何度も重ねてきた嘘を、また一つ。……嘘を吐くのに慣れる事だけは、避けたいな…。

 

「怪我の言い訳はあっても、帰るのが遅くなったら疑われるんだ。包帯購入以外は余計な事せず帰るぞ」

「…そう、ね……」

「家まで結構な距離あるが、飛べるか?不安があるなら俺が……」

「……悠弥」

 

既に大分疲れ、自宅だったらすぐさまベットかソファに寝転がりたい気分だが、どんなに疲れてたって緋奈に疑われるリスクは負いたくない。だが、俺の言葉は…妃乃によって遮られる。

 

「…どうした?」

「…いや、その……」

「その?」

「…えっと、ね…あー…」

「…なんだよ、言いたい事があるならさっさと言え。てかゆっくりしてる場合じゃないって分かってるよな?」

 

妃乃にしては珍しい、歯切れの悪い言葉。人間いつだってはっきり言いたい事を言える訳じゃない、なんて事は分かっちゃいるが、早く帰りたい俺としてはつい急かすような事を言ってしまう。

普段こんな言い方をすれば、妃乃は言い返してくる。そういう良くも悪くも気が強い性格をしているのが妃乃な筈なんだが…今日は違った。

 

「…ごめんなさい。そうよね、話しかけておいてこれじゃ駄目よね…」

「あ…ま、まぁ分かってくれてるならそれでいいんだが…」

「…悠弥が急ぎたいのも、急がなきゃいけないのも分かってるわ。でも…少しだけ、時間をくれない…?もうえっととか言わず、ちゃんと話すから」

「……はいよ」

 

俺にとって緋奈に纏わる事は重要で、こちら側の世界の事を隠すのはその中でも最重要な事柄。…だが、今の妃乃からは真剣さを感じる。真剣に、本気で話したい事があるんだたという思いが伝わってくる。例え重要な事柄があったとしても……今の妃乃の思いを無視しようとは思わない。

 

「…悪いわね、こんな時に…」

「今話したい事なんだろ?…聞くさ、ちゃんと」

 

顔だけでなく扉の方へと向かおうとしていた身体も妃乃に向き直り、妃乃の前へ立つ俺。妃乃の方も意を決した顔を見せ、ゆっくりと語り出す。

 

「……私は今回、反省すべき事ばっかりだったわ」

「…魔人に嵌められた事か?」

「それもだけど、それだけじゃないわ。不用心に捜索をした事、貴方にきちんと話さなかった事、それでいて結局貴方に助けてもらった事…その場その場ではちゃんと考えて、ベストだと思える選択をしたと思ってたけど……こんな結果になっちゃった以上、私が浅はかだったとしか言えないもの」

「…そこまで自分を卑下しなきゃいけない事ではないと思うぞ?妃乃の考えてる事の全てを知ってる訳じゃねぇから、断言は出来ないが…状況的に仕方なかった、って部分もあるんじゃないのか?」

「だとしても、よ。運が悪かったとしても、仕方なかったとしても、私は貴方が助けてくれなきゃ魔人の手駒になっていたし、貴方の命も危険に晒してしまった。…それは弁明のしようがない、事実だから」

 

自分の非を認める事、反省する事は難しい。それを包み隠さず他者に伝える事は、もっと難しい。だからそれが出来るのは凄いと思うが…それが、何だというのだろうか。…いや、貶す意味での「それが何だ」ではなくどういうつもりなんだろうかという意味で…。

 

「…私はあのまま手駒になっててもおかしくなかった。或いは殺されてた可能性だってある。でも、それを悠弥が助けてくれた。……だから、ちゃんと私は貴方にお礼を言わなきゃいけないの。私を救ってくれた、貴方に」

「…………」

 

 

「……え、結論それ?ここまで長い前置きしておいて…結論、それ?」

「な……っ!」

 

これだけ前置きをするのだから、さぞ凄い事を言うのだろう…と無意識に思っていた俺だが……蓋を開けてみれば、何の事はないただの『お礼』らしかった。…礼を述べるのはそりゃ大事だが…えぇー……。

 

「わ、悪い!?悪いっての!?」

「…悪いってか…もっとすんなり言えないのかね…」

「うぐっ…い、いいのよ私が言いたいだけなんだから!悠弥は黙って聞いてなさい!」

「おおぅ…俺こんな高圧的な言い分でお礼言われるの初めてだよ…」

「五月蝿い五月蝿い!文句言うならお礼言わないわよ!?」

「…言わなくていいのか?」

「……それは…」

(口籠ってんじゃねぇか!面倒臭っ!なんか今の妃乃めっちゃ面倒臭っ!)

 

とんでもなく突っ込んでやりたい衝動に駆られたが、思いのままに言ってしまうと絶対もっと面倒臭い事になる。ほんとなんでお礼言われる側がこんなに気を使わにゃならないのか謎だが…ちゃんと聞くって言ったし、な。

 

「…妃乃。さっきも言ったが俺はちゃんと聞く。茶々入れられたと感じたなら謝る。だから……」

「…私も時間取らせておいてほんとにごめんなさい。もうはぐらかさないし、きちんと言う。だから……」

「…おう」

「…………」

 

胸の前で手を握り、目を閉じる妃乃。何も言わず俺も待ち、小さな深呼吸を経て……

 

「──助けてくれて、ありがとう。…その、悠弥が魔人に対して啖呵を切る姿…か、格好良かったわ。だから、ほんとに…ほんとに、ありがとう…っ!」

 

恥ずかしそうに頬を染めて、少しだけ俺を見上げて、やっとの思いで意を決したような瞳で……ようやく妃乃は、妃乃自身が言いたかったというお礼を口にした。それはそこまでしてか、と言いたくなるような様子だったが…同時にそんな姿こそ妃乃らしいなとも思った。……そう、俺が助けたのは…俺が何としても助け出したかった妃乃は、そういう人なんだから。

 

「……次また機会があったら、その時はもうちょっとスマートに言おうな」

「うん……って、何で上から目線なのよ!というか次またって何よ!私はもうこんなヘマはしない──」

 

 

 

 

「…それと、俺も妃乃を助けられてよかったよ。だから……ありがとな、妃乃」

「……──っ!」

 

なんだか俺の中の安堵の気持ちを触発され、つい普段なら気恥ずかしくて言えないような台詞を言ってしまう。言った直後にそれを弄られるのでは、と思った俺だが……妃乃はといえば、何故か顔を真っ赤にしていた。…よく分からない奴だな……。

 

「あー…礼は今言った訳だし、もういいんだよな?」

「…………」

「……妃乃、聞いてる?ってか聞こえてる?」

「ふぇっ!?あ、え、えぇ聞いてるわよ聞いてる!も、もう結構よ!」

「なんだその慌てよう…じゃ、帰ろうぜ」

「そ、そうね!じゃあ真ん中は瓦礫で出辛いから両脇の…」

 

暫し顔真っ赤のまま硬直していた妃乃は、今度はあからさまにあたふたする始末。しかも何故か妃乃が向かったのは……窓の方。

 

「いやいやいやいや!?え、まさか窓から出てく気!?そんな無作法スタイルで帰る気!?俺そこまで急げとは言わんぞ!?」

「あっ……いやっ、その、これは違っ……」

「……?」

「…う、うぅぅ……悠弥の馬鹿ぁっ!」

「えぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

謂れのない暴言を吐きながら廊下へと走り去る妃乃に、もう驚く事しか出来ない俺。しかもその後救急車を呼びつつビルを降りていくと、全力疾走は普通にキツかったのか一階の階段を降りた所で妃乃は壁に手を付いていた。……なんかもう、ギャグである。

 

「……ったく…手助け必要か?」

「い、要らない…私は貴方を待ってあげてただけなんだからね…!」

「待つならそもそも一人で行くなよ…」

 

そうしてやっと俺達はビルを後にし、空を飛んで自宅へと帰る。全くもって予想もしなかった形で魔人と戦う事になった今日だったが、終わってみれば俺も妃乃も無事。相当の苦労をする事となった一日だったが……何も失わずに済んだというだけで、良かったと思える俺だった。

 

(…にしても、ほんとさっきの妃乃はなんだったんだか……顔真っ赤にしてる姿も、慌てふためく様子も…ちょっと可愛かったけど、さ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

……因みにその後、緋奈に何も伝えてないどころか任されていた夕飯の支度もしてない事に気付いて俺は滅茶苦茶慌てる訳だが…その時の話はまぁ、機会があったら…な。

 

 

 

 

夜の帳が下り、元々少ない人気が更になくなった街外れ。その中をふらついた足つきで歩く、一つの影。

 

「覚えているがいい…そして後悔しているといい…この私をこれ程までに侮辱し、私の逆鱗に触れた事を……」

 

自身を傷付け、疑わなかった圧倒的優位を叩き潰した二人の霊装者。その両者へ呪詛を吐くその影は、戦場であったビルより離脱した魔人に他ならない。

失った片腕を庇い、腕と胴の痛みに顔をしかめる魔人。だが、顔をしかめていながらも、その表情から笑みは消えていない。

 

「…今回は所詮まぐれの結果…生態系において下位の存在が、極稀に上位の存在に一矢報いるのと同じ事が起きただけさ…。…そう、これは一度きりの出来事。次は、次なんてものは……」

 

己の力を、強さを疑わない魔人の笑み。……だが、その笑みと言葉は、夜空より降り注いだ二条の光芒によって奪われる。

 

「…何……!?」

 

反射的に見上げた魔人が目にしたのは、今し方光芒を発生させたと思しき二門の砲を構えた少年の姿。自らの進路を阻んだその少年に対し、魔人は口を開きかけたが……すぐに気付く。光芒の消えた道の先に、大太刀を携えた少女が立っている事に。

 

「……突然何のつもりだい…?」

「その傷痕、妃乃のだよね?…って事は、妃乃が抱えてるものの原因もこいつで間違ってないよね?」

 

少女の言葉に、こくりと頷く少年。二人からすれば何でもない、普段通りのやり取りだが……魔人にとってそれは、自身の問いをわざと無視する悪辣な行為としか見えていなかった。

 

「…質問にはきちんと答えようか、お嬢さん。無関係の君には申し訳ないけど、今の私は非礼を許容してあげるような気分じゃ……いや…」

「…………」

「…その翼に、先程の言葉…あぁ、無関係ではないという事か。…ならば、早く立ち去る事だね。今すぐ私の目の前から消えるというなら、今回だけは見逃してあげようじゃないか…」

 

普段通りに余裕を持った態度を見せているつもりの魔人。しかし結論を急ぐその様は、傷付き普段ならばある筈の余裕を失っている事の裏付けでしかない。しかしそれは魔人と初対面である二人にとっては有益な情報とは言えず……それ以前に、今の少女にとっては意識すらしていない『些末事』だった。

 

「それだけ傷を負ってるって事は、多分妃乃は撃退出来たんだよね。うんうん、それなら一安心ってところかな」

「…もう一度言おうか、お嬢さん。質問にはきちんと……」

「……けど、妃乃を苦しめた事には変わりないよね」

 

それは、普段感情豊かで快活な少女が発したとは思えない程の、冷たい声音。二人が魔人の平時を知らないように、魔人もまた少女の平時を知らない訳だが…その声だけで、魔人の直感は理解した。目の前に立つ少女が、自身に多くの傷を追わせた忌まわしき少女に匹敵する力を有していると。

それと同時に魔人は気付く。彼女の言葉に、不可解な点があると。

 

「…いや、待て…お嬢さん。何故君は奴の言葉が虚言だったと知っている…」

「何故?何故って、そんなの妃乃から聞いたからだよ」

「聞いた?…嘘は頂けないよお嬢さん、君に教える機会なんて一度も……」

 

一度もない、と魔人は言おうとした。彼は常に監視を付けていたのであり、確かにその監視の上で真実を話した事は一度もなかった。…しかし、そこで魔人は思い出す。彼が監視をする中で一度、不可解な通話を行っていた事を。

 

「……まさか、あの時だと言うのか…?あの時、気付いたと…?」

「あの時って言うのがどの時かは知らないけど…多分そうだろうね」

「…馬鹿な…あんな不可解な言葉で理解しただと?そんな事、ある訳が……」

「──あるよ。あの時妃乃は自分の言葉に嘘があるって言ってたもん。…わたしにはそれが分かった。だから今、わたしはここにいる」

 

口調が変わった訳でも、声音が変わった訳でもない。だが気付けば、少女の放つ雰囲気は変わっていた。

ここでもし魔人がプライドを投げ捨て、死に物狂いで逃げる事を選択していれば、僅かではあるものの生き残る可能性があっただろう。だが……即座にその選択をしなかった時点で、魔人の結末は確定していた。

 

「魔人は霊装者の敵。けど魔人や魔物だって生きてるんだし、生きる為に戦ったり殺したりする事自体は否定しないよ。それに関してはわたし達だって同じだしさ」

「侮辱の次は戯論かい?…私も暇じゃないんだ、下らないお喋りをしたいならどこか別のところで……」

 

 

 

 

 

 

「……でも、妃乃を苦しめるような魔人は、生きてる必要もその価値もないよね」

 

月の光に照らされ煌めく、青い瞳と大太刀の刃。地上にありながら月明かりに引けを取らない、蒼き翼。双翼が宙を駆け、その双眸が、その刃が月光を反射し、彼女が闇夜に揺らめく光となった時……天之尾羽張は、振り下ろされていた。そしてこの日……一人の魔人が、討滅された。

 


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