双極の理創造   作:シモツキ

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第五十四話 思いはただ一つ

意識だけは残して私を苦しめようと思ったのか、私の精神の掌握は一筋縄ではいかないのか、或いはそもそも精神掌握までは出来ないのか。魔人の策に乗ってしまった私は能力で身体の自由を奪われて…けれど意識は、精神は残ったままだった。

初めは悔しかった。女性四人を助けた事自体は全く後悔していないけど、それでも生殺与奪の全権を魔人に奪われ、立つ事すらままならないのは本当に悔しかった。

次は、情けなかった。来てくれた悠弥に全てを任せるしかない自分が、面倒を見てあげる立場の筈の自分が悠弥に託すしかない事が、霊装者としてあまりにも情けなかった。

悠弥と魔人が言葉を交わす中で、段々と私は自分の身体が自分のものじゃなくなっていく感覚を味わった。それまでは自由に動かせないだけで、確かに自分のものだった筈の身体が、自分自身から引き剥がされていくような感覚は恐ろしくて……私の身体が遂に魔人のものとなった時、私は心を押し潰されそうだった。もしこれで、私のせいで悠弥が命を落とす事となったら。私の手で、多くの人の平和を奪う事となったら。…そんな事になる位なら死んだ方がマシだって、その時私は本気で思っていた。そして今、私は……乱雑な動作で、悠弥の右側に抱かれていた。

 

「…落ち着いて考えたら、テメェ言う通りだったわ。なんで俺がわざわざ重荷を被らにゃならねぇんだよ。俺はこれでも助けに来た身なんだぜ?」

 

冷めきった、不満そうな悠弥の声。その言葉を聞いた瞬間……どくん、と胸が嫌な鼓動を立てた。

 

「やっと気付いたようだね。君に落ち度はなく、お嬢さんの救出をしようと策を練っていたんだろう?ならば君は感謝こそされても、重荷を負わされるいわれなんかないというのが正しい道理さ」

「だよな。ったく…あー、気付いちまったら色々悩んでたのが馬鹿らしく思えてくる…」

「けれど、君は自身が愚かな思考に囚われていた事に気付いた。それは成長と言えるのではないかな?」

「うるせぇよ。愚かな思考ってのは否定しねぇが、テメェを肯定する気になった訳じゃねぇ。勘違いすんな」

 

悠弥のスタンスが変わった事で魔人は余裕綽々の表情を浮かべ、悠弥自身はどこか面倒臭そうな顔をしている。…私は、指先さえ、表情筋さえ動かせないまま、ただその二人のやり取りを見ているだけ。聞いているだけ。

 

「それは失礼したね。…既に答えは出ているようなものだけど、一応きちんと聞いておこうか。少年、君は私との取り引きに応じてくれるのかい?それとも……」

「応じるに決まってんだろ。テメェは安全を、俺は妃乃を手にする為の取り引きに、な」

(……っ!)

 

また、嫌な鼓動が聞こえる。緊張によるものでも、体調不良によるものでもない、けれどそれよりずっと苦しい嫌な鼓動。そして気付けば、悠弥の視線は私へ向いている。

 

「悪く思うなよ、元はと言えば妃乃が一人で突っ走った結果なんだから。…いや、違ぇな……」

 

 

 

 

「あぁ、そうだこれだ…。──感謝しろよ?俺が助けてやったんだからよ」

 

見下ろすように、見下すように……私という人間を踏み躙るような声音で、悠弥は言った。

そして私は気付いた。嫌な鼓動の正体に。私の心の中に渦巻く、やり場のない感情に。

 

(……信じてたのに…貴方の事、信じてたのに…っ!)

 

この苦しさは、悠弥に裏切られた事への辛さだった。悠弥ならこの取り引きを突っ撥ねてくれると思ったから、飲むにしても苦渋の決断として選ぶんだと思ってたから、保身と私に対する支配欲求で魔人と手を組む選択をされた事が悲しく、苦しかった。

 

「私は嬉しいよ。君が賢い選択をしてくれた事がね」

「俺は自分の心に準じただけだ。テメェと同じようにな」

 

それまで鮮明に聞こえていた悠弥と魔人のやり取りが、今は頭に入ってこない。裏切られたという思いに私の心が占領されて、全然話を理解出来ない。

最初の頃、私はあまり悠弥を信用していなかった。初めから強い思いのある人だとは思ってたけど、身勝手で適当な人間だって印象も強かった。でも、何度もやり取りをして、その胸の内を聞いて、一緒に生活する事になって…そうして悠弥の人となりをより知っていく中で、少しずつ私は悠弥を信用し、信頼するようになった。勝手なところも適当なところも間違いなくあるけど、家族思いで他人思い、不器用無愛想だけど見返りなしに誰かを慮れる…そんな人なんだって、私は本気で信じていた。……なのに…なのに…っ!

 

(何でよ…今まで私に見せてきた姿は、全部嘘だったの…っ!?)

 

本人にそれが本心からの言動なのか、と一々訊くような事はした事がないし、そんな事をする人はまずいない。でも、信じるっていうのはそういう事だから。その人の言動を、人となりを見て、感じて勝手に芽生えるものだから。勝手とか押し付けとか、それだけで語れる話じゃないから。

 

(答えてよ…答えてよ悠弥ッ!)

 

悲しさと、切なさと、苦しさの混ざった私の叫び。…でもそれは、心の叫び。身体を支配されて、一文字足りとも発せられない私の声は、悠弥には届かない。悠弥は、答えてくれない。私の思いに、目を向ける事すらしてくれない。

 

「…さ、答えは出たんだ。さっさと支配権を付加してもらおうか」

「勿論…と言いたいところだけど、それなら先に他の武器も手放してくれるかな?」

「……信用、してねぇのかよ」

「後悔はしたくないからね。不安だと言うのなら、君も離脱経路の確保なりなんなりをしてくれて構わないよ?」

「…あ、そ」

 

興味無さげな返答を発しながら、悠弥は武装を解除していく。丸腰で魔人に立ち向かうのは自殺行為も同然で、それをなんの躊躇いもなく行うという事は……私を解放する気なんて、微塵もないという事。

 

(……どうしてよ…だったらなんで、これまであんな姿を見せてきたのよ…)

 

怒りの感情は、燃え上がらなかった。確かに怒りも感じていたけど、それよりもずっと悲しさや苦しさが上回っていた。……こんな形で、信じていた相手に裏切られる辛さなんて、知りたくなかった。

 

「ほらよ、これで満足か?」

「あぁ、満足さ。……君がすべき事は、分かっているね?」

「テメェに手を出さず、倒したっつー報告をすりゃいいんだろ?」

「そう、その通りだ。…さてと、そちらが要件を飲んでくれたんだから、私も果たすべき事を果たそうか」

 

そう言って魔人は私と悠弥の前へ。悠弥は何もせず、私は何も出来ずに魔人の接近を許し、魔人は翳した手から闇色の靄を私の顔へとまとわりつかせた。

気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。靄に入り込まれるような、何かを組み替えられるような、不快で底冷えのする気持ち悪さが、私の身体の中を駆け巡る。この感覚が嫌で、この感覚から解放されたくて、必死の思いで悠弥に視線を送るけど……悠弥の目は、ただぼーっと私に起こる光景を見ているだけ。ここに来てくれた時の、感情が燃え盛るような瞳は……もう無い。

 

(…全部、嘘だったのね…全部、全部……)

 

靄が私にまとわりついていた時間がどれ位だったのかは、分からない。ただ気付けば靄が消えていて、魔人の顔がすぐ近くにあった。魔人は私の耳元で囁く。

 

「…お嬢さん。お嬢さんがこれから従うべき相手が誰なのかは…分かるね?」

 

そう言われた途端、自分にとって重要な部分が完全に組み替わった感覚を覚える。そしてそれが何なのかも、分かっている。聞きたくなくたって、理解したくなくたって、悠弥と魔人のやり取りの中で教えられてしまったから。

 

「…そんだけで変わるのか?」

「変わっているさ。信じられないなら、何か命令してみるといい」

「まぁそうだな。なら…妃乃、跪け」

(……っ…嫌っ…!)

 

がくん、と落ちる私の身体。片脚は膝を付き、もう片方は膝立ちという、言われた通り跪きの体勢になる。悠弥に命令されて、対等な立場だと思ってきた相手に跪くよう命令をされて…私は今、床に膝を付けている。従者の様に、下僕の様に。

 

「…やっぱ、ぶっ飛んでやがんなテメェの力は。この力で他の霊装者や魔人も支配下においてやろうとは思わねぇのかよ」

「実際にやったのは今日が初めてだけど、前々から同類や霊装者には効き辛いような気がしていたからね。それに、この力は戦闘能力に直結はしてくれない。…私は堅実に、安全性を重視して立ち回りたいんだよ」

「安全性っつーなら、もっと人里離れた場所を根城にするこったな。…立てよ妃乃」

 

手を握られて…なんて優しいものじゃなく、二の腕を掴まれ引っ張り上げられるように立たされる私。そのまま私は腰に手を回され、再び抱き寄せられる。

 

「…安心しろよ、妃乃。別に俺は妃乃をいいように使ってやろうとは思ってねぇ。俺は今の日常を気に入ってるし、それを守る為には妃乃にもこれまで通りに生活してもらわなきゃ困るからな」

「…………」

「だがまぁ、折角の降って湧いた幸運なんだ……偶には相手、してもらうぜ?」

 

そう言って悠弥は下卑た笑みを浮かべ、私の羽織りの内側へと手を這わせてくる。その時初めて感じる、女性としての恐怖。

 

(嫌…もう嫌…どうして、どうしてこんな事になるのよ…私は貴方との毎日が、嫌いじゃなかったのに……!)

 

指を這わされ、身体を弄られる感覚を服の上から感じる。雑で、何かを探すような指の動きは気持ち悪くて、でも胸や腰回りに触れた時は不快感とは別の感覚が私の頭を刺激して……どうしようもなく、辛かった。

千嵜家で、悠弥と緋奈ちゃんと共に過ごす日々。それは元々任務として仕方なく始めた事で、これから苦労の毎日が始まるんだと思っていた。…けれど、二人共家事をちゃんとする人だったから、蓋を開けてみれば一人暮らしの時より何かと楽で、思わぬ発見をする事も多々あった。それに何より、私の事をちゃんと同じ家に住む家族として接してくれる二人との日々は、楽しかった。……でももう、この日常は帰ってこない。魔人に…悠弥自身に奪われた日常はもう取り戻せなくて……私がこれから歩むのは、偽りの日々。

 

「全く、人というのは浅ましいな…君がお嬢さんと何しようが勝手だけど、見苦しい姿は見せないでくれないかな」

「そりゃ悪かったな。ま、ともかく取り引きは完遂か」

「いいや、まだ完遂はしていないよ。君が偽の報告を済ませるその時まではね」

「あぁ、分かってるよ」

 

羽織りの中を手で弄りながら、冷めた声音で言葉を返す。そして悠弥は……左手を魔人へ差し出した。

 

「……何のつもりだい?」

「握手だよ握手。どうせ俺とテメェが会うのはこれきりになるんだから、握手位はしておこうや」

「…君は、私と対等な立場になったつもりなのかな?」

「対等じゃなくたって握手はするだろ。ま、別に嫌ならいいけどな」

「……ふっ、まあいいさ。賢明な判断をして正解だったね、少年」

 

笑み浮かべる…というよりどこか鼻で笑うような素振りの末、魔人は悠弥の手を握る。

信じていた相手と、確実に討ってやろうと思っていた敵が、握手をしている。私を卑劣な策で嵌めて自由を奪った魔人と、私を都合良い存在としか見ていない悠弥が、さぞ満足そうに手を握っている。……だけどもう、どうでもよかった。

 

(…人間、打ちのめされるとこんな気分になるのね…もういっそ、悠弥に全部委ねちゃう方が楽かも……)

 

耐えて起死回生のチャンスを待とうだとか、悠弥を正気に戻そうだとか、そういう気持ちはもう消えかかっていた。時宮家としての誇りだとか、私の守りたいものへの思いだとかはまだあったけど、もう諦めかけていた。…ごめんなさい、お母様、お父様達…ごめんなさい、綾袮……。

 

「私の邪魔をしない限りは、君の今後に幸ある事を祈ろう。それと折角お嬢さんをあげたんだ、有意義に使ってくれ給え」

「そりゃどーも。……あー、一つ言い忘れるところだったわ」

「言い忘れ?」

「あぁ。俺はテメェと違って……」

 

這っていた手は、いつの間にか止まっていた。それを私が何となく感じる中、魔人が言い忘れという言葉に眉を軽く動かす中、悠弥はゆっくりと…でも無駄のない動きで腕を私の羽織りの中から抜いて……

 

 

 

 

 

 

 

 

「──女の子はちゃんと自分の力で落としたい質なんだよ、クソ野郎」

 

────乾いた銃声が、部屋の中に響いた。

 

 

 

 

何が起きたのか分からない。それが、魔人の表情に現れていた感情だった。

 

「な……ん、だと…ッ!?」

「何だと?じゃねぇよ」

 

続けざまに銃声が響く。魔人は驚愕に目を見開きながらも退こうとし…しかしその場から離れられない。……魔人の手を、悠弥が離さない。

 

「俺がテメェに従うと思ってたのかよ。俺がそんな粗末な人間に見えたのかよ。だとしたら、腐ってんのは性根だけじゃなかったみたいだな」

 

二発、三発、四発。霊力の込められた銃弾が、魔人の腹部へと……私が斬り裂いた胴体の傷へと撃ち込まれる。

それは、私の銃だった。他の霊装者と同じように主武装を使えなくなった場合の予備として、羽織りの裏に装備しておいた拳銃だった。それを見て私は……全てを理解する。

 

(そう、だったんだ……)

 

無理矢理手を振り払い、靄を纏わせた脚を振り抜く魔人。その蹴撃は魔人そのものの筋力と靄による強化で手負いながらもかなりの威力だったものの、悠弥は私を抱えたまま後ろへ跳んだ事により空を切る。

 

「っと…大丈夫か?妃乃」

「……馬鹿…演技なんて、してんじゃないわよ…」

「うっせ、先に視線は実在しなかったって演技した妃乃には言われたかねぇっての」

 

傷を押さえる魔人へ拳銃を向けながら着地した悠弥は、魔人に警戒しているからか私の方へ目を向けたのは一瞬だけ。…でも、一瞬見えた悠弥の目は…いつもの彼の瞳だった。……私の心の中に立ち込めていた暗雲が、晴れていくのを感じる。

 

「…動けるか?」

「…ごめんなさい、まだちょっと…身体が重いわ…」

「そうか…ならしゃあねぇな。幸いあいつは妃乃の攻撃と今の銃撃で結構な手傷負ってんだ。倒せるかどうかは分からねぇが、最悪でも撃退程度なら……」

 

 

 

 

 

 

「──図に乗るなよ…人間風情がぁッ!」

『な……ッ!?』

 

悠弥の言葉を遮ったのは、他でもない魔人の怒号。反射的に悠弥は引き金を引くも、紙一重で避けた魔人はそのまま突進。私を置き去りに悠弥を壁へと叩き付ける。

 

「あぐッ……!」

「少しこちらが評価してあげた途端にこれか…あぁ、あぁ…なんて不愉快なんだ君達は…ッ!」

「不愉快なのはお互い様、だろうが…!」

 

叩き付けられ肺の空気を悠弥が一気に吐き出す中、手刀に靄を纏わせた魔人が弓を引くように右手を後方へ引き、抜き手を放つ。けれど咄嗟に悠弥は左腕を魔人の前腕にぶつける事で軌道を逸らし、寸前の所で防御。同時に拳銃を向けるけど…手首を掴まれ、砲口は魔人の身体から逸れてしまう。

互いに右腕で相手を狙い、左腕で攻撃を防ぐ悠弥と魔人。言葉の端から感じる感情で、両者の必死さが伝わってくる。

 

「手を退けようか少年…でなければ一撃で仕留められないじゃないか…!」

「テメェこそ手を離せよ…その傷で耐えるのは辛いだろ…!」

「そうだね…だから早く殺さないと…!」

「……っ…ぐッ…!」

「……!悠弥…!」

 

拮抗していたのは数秒の間。それからは一旦悠弥が押して…魔人が逆転。最初の衝撃と一度空気を吐き出してしまった事が足を引っ張っているかのように、少しずつ押されていく。

助けなきゃ、と思った。何年も積み重ねてきた戦闘の勘が、どうすべきかの選択を瞬時に弾き出した。けど……

 

(…身体が、動かない……っ!)

 

それはまるで、神経の大半が寸断されているかのような感覚。銃撃のおかげか身体が自分のものだって感じられる状態までは回復したけど、まだ魔人の影響は受けている。そのせいで今の私は、全力を出すどころかまともに動く事すらままならない。

 

「お嬢さん、少年を片付けた後は君だ…恨むなら、私の気分を害した少年を恨むんだね…!」

「馬鹿言え、テメェは妃乃を殺せねぇし、俺も恨まれる筋合いはねぇっての…!」

 

少しずつ、本当に少しずつだけど魔人の手刀が悠弥の身体に近付いていく。逆に拳銃は、魔人の身体から離されていく。今はまだ押し合いの形になっているけど……このままいけば、殺されるのは間違いなく悠弥。魔人が傷で力尽きる可能性は、とても高いとは思えない。

 

(…考えるのよ私。慌てないで、焦らないで、冷静に考えて突破口を見つけなさい。じゃなきゃ悠弥は……!)

 

焦燥感を思考で押さえ付けて、頭をフル回転させる。身体が満足に動かない以上、何らかの策でもって悠弥を助けるしかない。言葉で魔人を揺さぶるか、動ける範囲で何かをするか、やるならどんな言葉、どんな行動にするか…そう必死に考える。

……だけどそれは、殆ど意味のない行為。だって、答えは考えるまでもなく分かっているから。

 

(……私が助けるしか、ないの…?)

 

殺意を剥き出しにしている魔人が、適当な言葉で止まる訳がない。今出来る事なんて立つか天之瓊矛を持ち上げるか位で、なんの力にもなりはしない。悠弥を助けるなら……私がこの支配から脱するしか、ない。

 

(……っ…動いてよ…動きなさいよ、私の身体…ッ!)

 

焦りがまた襲ってくる。策を練ったってどうしようもないと認めてしまったから、思考で気持ちを押さえられなくなる。

もし私が脱せなかったら、悠弥を助けられない。ここまで来てくれて、魔人の提案にも乗らず、それどころか乗った演技をしてまで私を助けようとした悠弥を、私のせいで死なせてしまう。私が死ぬのは自分の実力不足だから仕方ないけど…それに悠弥を巻き込んでしまうのだけは、絶対に嫌。…なのに、なのに……っ!

 

(どうして、動かないのよ……ッ!)

 

私が考える間も、思い詰める間も、時間は待ってくれない。……気付けばもう、タイムリミットだった。

 

「く、そが……ッ!」

「よく持ち堪えたじゃないか少年…だけどもう終わりだよ。さぁ…死ねッ!」

「……──ッ!!」

 

悠弥が残った力を振り絞ったかに思えたその瞬間……魔人は、手を引いた。押し合いだった状態から片方が無くなればもう片方は力が一気に解放される訳で、悠弥の左腕は大きく外側へと張り出される。そして再び突き出される魔人の手刀。…今度はもう、悠弥の防御は間に合わない。

絶望しそうだった。悠弥が私に見せていた姿が全部嘘だったと思ったあの時より、全てから目を逸らしたくなった。……でも、私は見た。悠弥の目を…私を信じてくれている、悠弥の瞳を。

 

(……悠弥…貴方は…貴方って人は…本当に、馬鹿なんだから…っ!)

 

──その瞬間、一気に頭の中がクリアになった。クリアになって、気付いた。普通の人に比べて私に支配が効き辛かったのは、私の中の霊力が障害になってるからなんじゃないかって。

それはただの可能性。確定的な要素はない、憶測の想像。でも、やってみる価値は……ううん、例えどんなに可能性が低くたって、私はやりたい。やらなきゃいけない。だって、悠弥は……今も私を信じてくれてるんだから。

全身に霊力を駆け巡らせる。身体強化と同じ要領で、でも普段の強化の何倍何十倍もの霊力を、一気に全身へと叩き込む。途端に負荷に身体が悲鳴を上がるけど……それでも私は流し込む。そして…………

 

「……ッ!いっ……けぇぇぇぇええええええッ!!」

 

私の身体を覆っていた枷が、一瞬で爆ぜるような感覚。それを感じた瞬間、身体が軽くなった。

思いを叫びに乗せながら、翼を広げ、床を蹴る。それは、ほんの僅かな時間。恐らくは私の支配が解けた事で起きた、刹那の様に短な魔人の動揺。けど、それは……私が魔人へ一閃を叩き込むには十分な時間だった。

 

「ぐッ……ぁぁぁぁあぁぁああああッ!!?」

 

振り下ろされた天之瓊矛。私の相棒が斬り裂いたのは、今正に悠弥の心臓を貫こうとしていた、魔人の右腕。魔人の目は宙を舞った自身の右腕を追い……私は悠弥に目を向ける。

 

「……お待たせ、悠弥」

「遅っせぇよ……けど、やっぱ凄いな、妃乃」

 

手を差し出す私。魔人の手から離れ、ちょっと憎たらしい笑みを浮かべながら私の手を握って立ち上がる悠弥。一人で行った私と、どういう方法を使ってかここに辿り着いた悠弥。私達は、短い様な長い様な…自分でもよく分からないそんな時間の末、今……共に立つ。


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