「魔人、ねぇ……」
千嵜家での会議を終えて数十分後。話に付き合わせたお礼、という事で茶菓子を貰った後に俺と綾袮さんは帰路についた。
「なぁに顕人君、魔人と遭遇してみたいの?」
「別に?……あーいやでも、ちょっと興味はあるかも…」
中々首尾良く進まなかった会議は、最終的に千嵜の仮説である『絶命回避系の能力を魔人によって付加された』という結論で決着がついた。…といっても確証が取れた訳ではないから、まずは魔人の出現情報と過去に魔物に能力を付加させた前例があったかどうかを協会へ確認する…って形で閉会したんだけどね。
「…悠弥君の家でも言ったけど、もし遭遇したら逃げなきゃ駄目だよ?もし仲間がいて、勝てる見込みがあるとかならまだしも、今の顕人君一人じゃ絶対勝てないもん」
「心配しなくても大丈夫だよ。何せ俺は慎重派且つ成果より安全性を重視するタイプだからね」
「え?顕人君が慎重派?臆病の間違いじゃなくて?」
「真剣な事言った次の瞬間にボケるのね…へいへい俺は臆病ですよー」
「全くもう、早く夜一人でお手洗いいけるようにならなきゃ駄目だよ?」
「へーい……ってトイレ位一人でいけるわ!失礼な!」
いきなりボケたりナチュラルにありもしない事言ったり、今日も綾袮さんのおふざけは絶好調だった。…あ、危ねぇ…危うく適当に返して認めてしまうところだった…。
「…ったく…でさ、もし千嵜の仮説通りで、魔人の存在が確認されたら…その時はどうするの?」
「うーん…ま、討伐部隊が編成されるんじゃないかな?一介の魔物と違って、魔人は早急に対応しないとどれだけ被害が出るか分からないからね。で、そうなったらわたしや妃乃に声がかかる可能性もあると思うよ」
「やっぱそっか…もしもそうなったら、その時は頑張って」
「任せてよ。わたしは強いから心配ご無用!戦う事となったらその土産話を持って帰ってあげるね」
そういう台詞は敗北フラグになり兼ねない…一瞬そう思ったが、同時に指摘する事もよりフラグへと繋がりそうに思えた俺は、喉元まできていた言葉を飲み込む。フラグ云々はともかく…綾袮さんの顔には慢心や油断の気配は微塵も感じないし、素人の俺がとやかく言う事ではないかな。
「さて、それじゃ帰る前にスーパー寄るけど…何か夕飯の希望ある?」
「え?なら『フォアグラのキャビア和え〜トリュフを乗せて〜』がいいなー」
「そんな世界三大珍味を混ぜれば絶対美味いもんになるだろう的な発想の料理はしません。てか、一般のスーパーじゃ取り扱ってないから…」
とびきり他愛ない、それこそ同じ家で住んでる者同士っぽい会話をしながら帰る俺達。そんな会話をしている俺達の頭の中では、もう魔人の事は隅へと押しやられているのだった。……別に、この後すぐ大事件が!…的展開がある訳じゃないよ?いや知らないけどね。
*
数日後、協会は俺達が話し合った件をただの妄想ではなく無視出来ない可能性として判断し、早速調査に取り掛かった。……と、言うのは綾袮さんから聞いた話で、俺自身は協会から聞かされていなければその件で何か任務を与えられる事も無かったり…。
「…こういう時、期せずしてその魔人と遭遇する…ってのが定番だと思うんだけどなぁ…」
双統殿の一角、ちょっとした休憩所っぽくなってる場所でソファに座って呟く俺。内容に関わらず、一言二言じゃない独り言してる奴なんて大概アレな人っぽく見える訳だが…誰もいないんだから問題ない。どっちかと言えば、最初の日以降立場や能力からつい自分の事を、主人公かそれに近いメインキャラが如く捉えてしまっている事ののがアレな気がする。
「…ま、それが俺の夢だったし、そもそもその考えでいくと俺より千嵜の方が主人公っぽいんだよね」
実は自分は生まれ変わった人間で、生まれ変わる前は戦争の時代に霊装者として生き抜いた…なんて事を聞いた時、ぶっちゃけ俺は「なんだその漫画か小説みたいな生い立ちは…」と思った。我ながらもう完全にズレている。後、生まれ変わる前の事だから生い立ちって表現するのは変か…。
「……で、まだかねぇ…」
俺がここに来たのは、何やら理由があって呼ばれた為。それについては綾袮さんも知っていて、綾袮さんの案内でここまで来た俺だったが…その綾袮さんは中々戻ってこない。向かった先で関係ない人に呼び止められたり、急に外せない用事が出来たとかならまぁ仕方ないけど……綾袮さんの場合、うっかり俺の事忘れちゃってる可能性があるんだよなぁ…そうだとしたら、こっちから探しにいかないと…
「……なんて思ってたら来たよ、噂をすれば影がさすとはよく言ったもの…ん?」
立ち上がろうとした瞬間、廊下の先に見えた綾袮さんの姿。やっと来た…と思って声をかけようとした俺だったが……綾袮さんの後を追う様にして、見知らぬ男性が現れた事で疑問符を浮かべる。
「いやーごめんね顕人君、ついそこそこ仲良い人と出会って話し込んじゃった」
「まさか予想通りの事で時間かかってたとは……えぇと、その人は?」
綾袮さんが連れてきた(っぽい)のは、二十代半ばか後半の、爽やかそう顔出ちの男性。……うん、やっぱり知らない人だ。
「うーん…誰だと思う?」
「え、まさかの質問返し?俺が初めて魔物と遭遇した日に何故か行われたクイズの再来かなにか?」
「あー、そんな事もあったね。ヒントは生粋の日本人って事だよ」
「クイズはあくまでやる気なんだ…てかそれなんのヒントにもなりゃしねぇ……えーっと、大前田勇蔵さん!霊装者歴八年!」
「え、誰それ?」
「この人だよ!?この人の名前と経歴だよ!?日本人って事以外の情報一切無しの中捻り出した適当な設定だよ!?」
「そっかぁ……残念!掠りもしてません!」
「でしょうねッ!」
「ぷっ……はははははっ!いやいやいきなり漫才ですか綾袮様!滅茶苦茶仲良しですね!この羨ましい奴め!」
「は、はい……?」
思いっきり振り回してくる綾袮さんに、最早慣れたやり取りではあるものの再来の気質のせいか乗って突っ込んでしまう俺。その最中早速男性の事を忘れていた訳だが…やり取りがひと段落したところで突然会話に入ってきた。…な、なんという唐突さ…いきなり漫才っぽい会話してる俺と綾袮さんも大概だけど…。
「あ、なんか羨ましがられてるよ顕人君」
「言われなくても分かってるよ…えー、私は御道顕人、この様な身なりですが霊装者をさせて頂いております。失礼でなければ、貴方のお名前を聞かせて頂けないでしょうか?」
「出た、顕人君の慇懃無礼モード」
「慇懃無礼言うな失礼な…」
「丁寧な奴だなぁ……でも第一印象は悪くないな。俺は大前田勇蔵、霊装者歴八年の中堅さ!」
「まさかのドンピシャだった!?嘘ぉ!?」
「そう、真っ赤な嘘さ!」
「でしょうねぇッ!……ドンピシャだったら掠りもしてないなんて言わないもんな、うん…」
この人と出会ってまだ数分足らず。普通ならは第一印象位しか相手を評価する要素がなく、どんな人間なのかは知る由もない。……が、この短いやり取りだけで分かった…この人は、お調子者系の人物だと!…いや、絶対そうでしょ……。
「悪い悪い、さっきの会話聞いてついボケてみたくなってな。…俺は上嶋建、お前と同じ様に高校の時霊装者となった奴だ」
「…今度は本名ですよね…?」
「あぁ本名だよ、上嶋さんでも建先輩でもアニキでも好きに呼んでくれ」
「では上嶋さんで…よ、宜しくお願いします」
「おう、こっちこそ宜しくな」
上嶋さんから差し出された手を握り、俺達は握手。…先程からの威圧を感じない言動といい、握手といい、なんだか取っ付き易そうな人だなぁ…積極的にボケてくる可能性もあるけど。
「…で、綾袮さん。俺が呼ばれた用事ってなんなの?もしや、上嶋さんと何か関係が?」
「ご明察、用事と建さんとは関係あるよ。…一応訊くけど、顕人君って協調性あるよね?」
「これまでの関わりで俺に協調性がないと思った事ある?」
「ないね、じゃあ安心だとして…えーっと、魔人について調査が行われるのはもう知ってるよね?」
「そりゃ勿論」
魔人の調査については他でもない綾袮さんから聞いたんだから、俺が知らない訳がない。それは綾袮さんも分かってるらしく、彼女はだよねぇ…みたいな表情を浮かべながら話を続ける。
「まだ魔人の力についてはよく分かってないし、情報自体が少ないから、調査は慎重且つ広範囲に行わなきゃいけないんだ。で、そうなってくると万が一情報不足な状態で魔人とあっても対処出来る様な人材は、お呼びがかかるの」
「…綾袮さんとか?」
「そうそう。わたしはそういう万が一に備えてほいほいと魔物退治には出向けないの。でも顕人君は違うし、調査に人員を割いてる間だろうが魔物は御構いなしだから、協会としては上司兼護衛のわたしが不在でも顕人君には働いてほしい…と、ここまで言えば分かる?」
「…一時的に綾袮さんの下じゃなく、上嶋さんの下で戦う…って事かな?」
「そういう事だ、んで今日は部隊長として挨拶に来たって訳よ」
綾袮さんから引き継ぐ様にして俺の答えに返答を述べた上嶋さん。上嶋さんの言葉に俺は「はー…」と納得した様な表情を浮かべて首肯する。…こういう時は、きっちりと「分かりました」って言うよりこうやって『そうだったのか』感を醸し出した方が、相手に理解してもらえたと思ってもらえるんだよね。
「…えと、部隊長という事は……」
「実戦の時はお前と俺の他に、数人交えて戦うって事さ。俺の部隊は俺がこんなんだからか部活やサークルみたいな雰囲気だから、あんま臆さなくても大丈夫だぞ」
「そ、それは安心です…今日は早速出るんですか?」
「いいや。綾袮様が言った通り、お前に来てもらうのは綾袮様が動けなくて且つ人手が足りない時だけだからな。ひょっとすると、早々に魔人を撃破出来ちまってこの話は無かった事に…ってなるかもしれないぞ?」
「それは……は、反応に困りますね…」
「だよな。そうなりゃ当然無駄な計らいだったって事になっちまうが、脅威を早めに排除出来るのは良い事に決まってるんだからよ」
現状上嶋さんへは悪い印象がなく、綾袮さん以外と組んで実戦を行うのは俺にとっても良い経験になるとは思うけど…突然そういう話になれば少なからず気が引ける。だから今日は特に何もなく、場合によっては碌に組まずに終わるかも…というのは、正直助かるなぁと俺は思った。
「まぁ、そういう事だから出撃する事になったら失礼な事しちゃ駄目だよ?」
「保護者か!…いやまぁ守ってもらってる部分も少しはあるけど…」
「建さん、顕人君はちょっと危なっかしいところがあるからお願いね。上下関係はきっちり守るタイプで命令違反とかはしないだろうから、さ」
「えぇ、お任せを。こいつは話してて面白い奴ですし、綾袮様の意に反する結果にだけは絶対しないと約束しますよ」
「……いや、あの…なんなのこの保護者同士の会話みたいなの…」
保護者同士による会話というのは、得てして保護される側にとっては気まずいもの。二人共俺の事を思ってくれてるっぽいけど…そんなの気まずさの紛らわしにはならねぇよ!上嶋さんはともかく、綾袮さんに保護者っぽい事言われるのは色々辛いよ!普段はどっちかって言うと俺の方が世話してるんだから!
「わたし達にとってはそういうものなんだよ。っていうか、霊装者としては建さんよりもわたしの方が長いしね」
「流石に宮空家の令嬢には劣りますよ…さて、それじゃ挨拶は出来ましたし俺は行きますね」
「あ…えと、部隊の他の方々は…」
「そいつ等は出撃する時に紹介するさ。部隊っつっても大人数じゃねぇから予め紹介しておく程でもないし、会うにしたって今ここにいない奴もいるからな」
「そ、そうですか…」
「心配なら自己紹介でも考えときな。それと…あんまり畏まらなくてもいいぞ?上下関係は確かに大事だが…あんまりきちんとし過ぎてると、色々息がつまるだろ?」
「それは…まぁ、そうですね」
「おう、だから俺に関しては部隊長じゃなくて先輩位に捉えてくれ。頼むぜ顕人」
その言葉と共に上嶋さんは手を俺の肩に置き、数瞬で離した後に綾袮さんに頭を下げて去っていった。綾袮さんが上嶋さんの後ろ姿に軽く手を振ってるのに気付いた俺は、すぐに彼の背へと頭を下げる。
「…顕人君、建さんについてどう思った?」
「……ありきたりな表現になるけど…気のいいお兄さん、って感じかな」
「だよね。建さんは誰にでもああしてフランクに接する良い人だよ。……まぁ、女としては『うーん…』って思う部分もあるんだけどね」
「…うーんって思う部分?」
「それは本人に聞くか、噂に耳を傾けるかだね」
そういう綾袮さんは、何故か遠くを見る様な目をしていた。……上嶋さんのうーんって思う部分、って一体…。
「さーて、顕人君が呼ばれた理由はこれだけだからもう帰って大丈夫だよ」
「綾袮さんはまだなんかあるの?」
「ちょっとね。もう数十分はわたし帰れないし、待ってなくていいからね?」
「そう?だったら、俺は先に……む、うぅん…?」
「……?」
先に帰る、と言いかけて口ごもる俺。こういう時、待ってると相手に『わざわざ待たせてるんだから、早く済まさなきゃ…』と思わせてしまうから帰ってた方がいいと思ったが……女心的には、むしろ待ってくれてた方が嬉しいんじゃ…?
(…どっちだ…待つのと帰るの、どっちが綾袮さんの意に添うんだ…?)
急に黙ってどうしたんだろう…と表情に出ている綾袮さんに顔を覗き込まれながら考える。綾袮さんならどっちを選択しようが怒ったり困ったりはしないだろうけど…同居してる以上不満を持たせてしまうのは宜しくないし、何より気になってしまって安易に選べない。や、やっぱり綾袮さんもレディーなんだから待つべきか?それとも綾袮さんは待ってる人を気にしちゃうタイプか?…う、うぅむ…………分からん!
「……待ってた方がいい?」
「え?…うーん…先に帰ってていいよ?どうせ顕人君暇になっちゃうでしょ?」
「そ、そう…分かった、なら先に帰るよ」
「あ、うん……何考えてたの?」
「何でもないよ、何でも…」
結局、俺は普通に訊いてしまった。スマート且つスピーディーにベストな回答を導く…とは正反対の、思考を諦めての質問。…でも、不味い選択をしてしまうよりは素直に訊いた方が賢明だよね。
と、いう事で一足先に俺は家へ。
*
それから数日、綾袮さんは出かける(というか職務にあたる)事が多くなった。例の会議の際、綾袮さんはある程度の魔人であれば一人でも倒せる…と言っていたからイマイチ『強大な存在!』って感じを持っていなかったが……協会の動きから考えると、やっぱり魔人というのは強いらしい。……綾袮さんって、ほんと強いんだなぁ…。
「…てか、課題大丈夫なのか…?」
視線を窓の外から課題プリントに戻しつつも、頭の中でプリントの内容は蚊帳の外。元々課題にやる気を見せない綾袮さんは、こうなるとほんとに課題をやらない…というかやれない様な気がする。…かくいう俺もやらなきゃいけないからやってるってスタンスだが…学生として学校に通ってる以上、やっぱり課題は極力提出出来る状態にして提出するべきじゃないだろうか。
「…って、保護者か俺は……」
そんな事より俺自身の課題だ課題…と、軽く頭を振って思考を切り替える。上嶋さんとの会話の時子供扱いされた反撃として、課題の件で保護者ぶってやろう…というのも思い付きはしたが、なんか面倒そうなので止めておく。
「…………」
日本語の利点の一つとして、全く勉強してなくても中国語(の文章)をある程度は理解出来る…というのがあるらしい。文法は違えど漢字という共通点があるし、まぁ理屈的には納得出来るが……実のところ分かった『つもりになれる』だけで、実際にはある程度どころか平仮名と片仮名しか知らない子供が漢字交じりの文章を読むのと大差ないレベルでしか理解出来てないんじゃないだろうか。少なくとも、日本人が思っている以上に日本語と中国語には隔たりがあると唱えたい。……なんて俺が思ってるのは、その課題というのが漢文だからである。どう考えたって勉強せずに漢文理解出来る訳ねーじゃん、漢文と現代の中国語を同列に扱うのは間違ってる気もするけど。
「はぁ、現代文は楽なのにどうして古文漢文になると難しいのか…ってそれは当たり前か。……っと、もしもし…?」
ぶつくさと愚痴を言っていたところで鳴った携帯電話。一体誰からだと思って着信画面を見ると、そこには見慣れぬ番号と未登録の文字。相手が分からない事に若干の不安を抱いたものの…居留守を使ったらそれはそれで後味悪いし、何か重要な電話だったら…と考えると、やはり出ない訳にはいかない。そう思って少し用心しながら電話を受けると……
「よ、顕人。元気してるか?」
「…上嶋さん?」
聞こえてきたのは、上嶋さんの声だった。…あれ、でも俺番号教えてないよな…?
「…綾袮さんから番号聞いたんですか?」
「察しがいいな、そういうこった」
「やっぱりですか…教えるなら俺にも一言言ってくれればいいのに…」
「はは、綾袮様はそういうお茶目なところがあるからいいんじゃないか」
「あれをお茶目と言いますか…」
余程器が大きいのか、それとも上嶋さんが綾袮さんの全容を知らないだけなのか…まぁどっちにせよ、俺にはお茶目で片付けられるレベルじゃないと思うね。
「…それで、急にどうしたんですか?」
「急に電話をかけたんだ、それだけで分かるだろ?」
「え?……あー…マジですか?」
「マジだ、なんか不味かったか?」
「いや大丈夫です、了解しました」
「おう、んじゃ……出撃だ、頼むぜ?」
……と、いう事で出撃要請を受理した俺は協会へ。結果、一度も上嶋さんと出撃せずに魔人騒動終了…なんて事にはならずに、俺は初めて綾袮さん以外と共闘する事になるのだった。……課題の残りは、帰ってからやるか…。