双極の理創造   作:シモツキ

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第二百三話 戻ってきた日々

 富士の再調査では、最終的に幾つかの成果が上がった。一つ目は、地下の最深部で発見した霊晶真石を確保出来た事。最高の質を持った武器を作る上で必要となる素材、それ自体が宝として扱われるのに相応しいだけの価値を持っている(らしい)存在を確保出来たというのは、それだけでもかなりの成果と呼べるんだろう。

 二つ目は、魔人の撃破。これは論ずるまでもない成果であり、散り際にあの地下の情報を奴の仲間へと送り届けらられた可能性もあるが…それならそれで、それを踏まえた対策が講じられる。少なくとも、知らぬ間に情報が流れていたとなるよりはずっといい。

 そして何より、聖宝の存在。まだ不確定の要素も多い、可能性の域を出ない存在だが…ひょっとすると、近い内…何十年何百年先ではなく、もっとずっと前に再びそれが現れるかもしれないという可能性は、ただそれだけの情報でも、大きな価値が…いや、意味があるんじゃないかと思う。得られた成果が、今後どんな結果に繋がるのかは分からないが…調べなきゃ良かった、なんて事にはならないだろう。…俺の参加した、本来の調査作戦の様に。

 

「…びみょーに、久し振りな気がするんだよなぁ……」

 

 作戦が終わり、事後のあれやこれやも済み、俺はこれまでの学校生活に戻る事となった。

 実際の日数で言えば、夏休みは勿論の事、冬休みよりも任務に費やした時間は短い。だが出来事の濃密さは圧倒的であり、それがある分そこそこ長い期間学校を休んでいた…そんな感覚が、俺にはある。

 とはいえ別に、だからってどうこうする訳じゃない。だから俺は呟くだけ呟いてからクラスの扉を開け、その中へ。

 

「…ん、千嵜おはよ」

「ああ、おはようさん」

 

 ある程度中に入って進んだところで、先に来ていた御道から声をかけられる。それはなんて事ない、普段通りの挨拶で……

 

(……ん?)

 

 だが俺は、それに何となく違和感を覚えた。具体的に、何かが変…って訳じゃない。新鮮さを感じる程任務が長かった訳じゃないから、それも違う。けど確かに、何かがしらに対して俺は違和感を抱き……でもそれが、何なのかは全くの謎。

 

「……?千嵜?」

「…や、何でもない」

「あ、そう。何でもないって割には変な顔してたけど…体調が悪いとかじゃないんだよな?」

「そういう訳じゃねぇよ。体調は至って健康だ」

「じゃ、あれか?ヘンナカオスキーにでも目覚めたとか?」

「なんだその奇妙な化石集めるのが趣味みたいな名前は…ってあぁッ!?」

 

 訳の分からない事を言い出す御道。まあ一応こういうネタなんだろうなと分かった俺は、呆れつつもそれに突っ込んで…って……

 

「え、な、何……?」

「御道が、朝からボケてきた…だと……!?」

「…それ!?突然驚いたと思ったら、そんな事!?いや俺だって、朝からボケる時位あると思うんだけど!?」

 

 馬鹿な、そんな事が…!?…みたいな感じの反応を、オーバーな位のリアクションで見せてやると、御道もまた食い気味前のめりで返してくる。これぞ御道と言わんばかりに、がっつり突っ込みで応えてくる。…ふーむ…この無駄に全力な突っ込みは、確かにいつもの御道だな…てか、言われてみりゃ確かに、御堂だって偶には朝からボケるか…。

 

「紛らわしいなぁ…」

「何がだよ…こっちからすれば、紛らわしいところかひたすらに意味不明だからな…?」

 

 勘弁してくれ…的視線を御道から受けるがそれはさらりと軽く流し、結局何へどう違和感を抱いたのか考える。

…が、さっぱり分からない。至っていつも通りな御道の、どこが変だったのか分かりゃしない。…となると、気のせいだったのかねぇ…そうは思わないんだが……。

 

「…そういや、調査の件…結果やら何やらを、御道は聞いたのか?」

「え?…うん、まあね。綾袮達も、千嵜や妃乃さんも…皆無事で良かったよ」

「…御道……」

 

 話を変えた俺だったが、返された言葉を聞いたところで、しまったと気付く。

 この話題自体、御道からすれば気分の良いものじゃないだろうなとは思っていた。だが、それ以上に御道は気遣いの出来る人間だという事を留意しておくべきだった。何であれ、自分は力を失ったにも関わらず、同じ場所で俺や綾袮達は同じ目に遭う事なく成果を上げられたとなれば…普通だったら、妬ましいと思ってしまう。

 善悪関係なく、それが人ってもの。その妬みを直接口にはしなくても、抱く位は大概の人がしてしまうもの。だから今のは軽率だった、そう謝ろうとした俺だが……再び気付く。無事で良かった、その言葉を口にした御道の顔には…妬みどころか曇りすら、一切浮かんでいなかった事に。

 

(……っ…何も、妬んでないって事か…?幾ら御道がお人好しだっつっても、それは……)

 

 無事で良かった。その言葉は本当なんだろう。御道ってのは、そういうやつなんだから。けど同時に、御道は霊装者である事に強い思いを抱いていた筈。だったら尚更、妬みの一つや二つ…そう思った俺だったが、本当に御道の浮かべている表情には暗さなんてものはなく、疑うような要素もない。

…凄いな。だとしたら、凄いとしか言いようがない。本当に妬んでないなら、その善良さは尊敬するレベルだし、妬みを隠し切ってるなら、当然それはそれで凄い。んで、結局どうなのか分からねぇなら…凝った事は、するもんじゃねぇな。

 

「……俺、普通にここ怪我してるんだが…?」

「あ…ご、ごめん千嵜…!そういう意味で、無事って言ったんじゃなくて…」

「わぁってるよ。…ま、その上で言ったんだがな」

「タチ悪…っ!」

 

 妬んでないならお門違い。隠してるなら、安易に掘り下げる方がずっと失礼。だから俺は魔人との戦闘の怪我を指差し、茶化して逸らす。

 

「ったく…さっさと荷物を机に入れて、鞄は横に掛けとけっての…!」

「いや元々はそっちから話しかけてきたんだろうが……」

 

 何か最後は八つ当たりの様に投げられた言葉へ今度は俺が突っ込みつつ、言われた通りに俺は鞄の中身を仕舞っていく。

 結局のところ、どっちだったのかは不明。違和感の原因だって、全くもって分からないまま。…だがまあ、今は良しとしよう。分からんものは分からんが…御道そのものは、至って調子良さそうだしな。

 

 

 

 

 恋をすると、世界が色付いて見えると言う。それはまあ、単なる例え話というか、恋の素晴らしさを謳う為の文句だろうけど…気持ち一つで見える景色、そこから感じるものは大きく変わるって事は、割と実際あると思う。

 現に、今の俺がそうだ。霊装者の力を失って以降、俺の目に世界は、どこか色褪せたように見えていた。あった筈の魅力が欠けたように、そんな風に映っていた。けど今は…再び景色が、一つ一つのものが、はっきりと色付いた存在に見える。霊装者の力を、慧瑠を取り戻した今の俺には…そう、感じられる。

 

「御道ー、英表の教科書貸してくんね?」

「あー、はいはい。うちも午後に授業あるから、終わったらすぐ返してよ?」

「御道くーん、次の古文の小テストって何ページからだっけ?」

「え?んーと…44ページからだったかな」

「人気だなぁ御道は。じゃ、俺にもクレジットカード貸してくれ」

「持ってないし持ってても渡さんわ」

 

 移動教室から戻る最中の、休み時間。クラスメイトだったり、隣のクラスの相手だったりと話しながら、俺は自分のクラスへと戻る。

 なんて事ない、というか日本全国でほんとに幾らでもあるような、ありふれたやり取りと時間。けどそれすらも、鮮やかに見える。…まあ、流石にこれはまだ力を取り出してから日が浅く、その興奮の余韻が多少なりとも残ってるからだろうけど…そう見えているのだって、力を取り戻す事が出来たおかげ。

 

「先輩は前から人気ですよねぇ。…よくよく聞いてると、頼み事してくるパターンが多い気もするっすけど」

「それは言わないで…」

 

 実はちょっと気にしてた事をふよふよ浮いてる慧瑠に言われ、軽く肩を落としながら返す俺。…うん、分かっちゃいるよ…?こうやって可能な事なら軽く何でも応えるから、周りからも「頼めば応えてくれる人」って認識になっちゃってるのは…。けどさ、嫌だったり難しくもない事なら、極力応えてあげたいじゃん…。頼んでくる相手だって、別に悪意は抱いてないだろうし……。

 

「顕人君、何落ち込んでるの?」

「うおっ…あ、なんだ綾袮か……」

 

 自分で自分に悲しくなる思考の沼に陥る中、ぴょこんと俺の前に綾袮が登場。ついいつもの調子で綾袮、と呼び捨てにしてしまったけど、一緒に歩いていた面々から離れて自分の席に座ろうとしたところだったから、それに関しては何とかセーフ。…でも、去年からの付き合いって訳だし、いい加減普通に呼び捨てしても大丈夫かな…。

 

「…別に、落ち込んでた訳じゃないよ。ただちょっと、過去の事を振り返って気落ちでしていただけだから」

「うーん、それを落ち込んでるって言うんじゃないのかなぁ…。でもまあ、元気なら良いんだよ。現金があれば何でも出来るって言うしさ」

「それじゃ名言が台無しだよ…」

 

 全くもって支離滅裂な言葉ならともかく、現金があれば…は現代じゃまあまあ合ってるのが余計に悪い。…いや、ボケとしては良いんだろうけど。単純ながらも使い易いボケだろうけど。

 

「…そうだ、綾袮。今の俺って、何か変だったり、何か変わってるって感じたりする?」

「…え?毛先1㎝切った?新しい服を下ろした?」

「俺そんな細かい事を見抜いてほしいようなキャラじゃないし…後これ制服だから、新しいも何もないから……」

 

 それからふと朝の事を思い出した俺は、何かおかしな点があるのだろうかと綾袮に訊く。千嵜以外何もそんな感じの事を言ってきたりはしなかったから、もしや霊装者じゃないと分からない事なのだろうかと考えて、綾袮に訊いてみる。

 でもその結果返ってきたのは、普段と同じ調子のボケ。こういう風にふざけるって事は、まあ恐らく何もおかしな点はなかったって事。となると朝の千㟢の怪訝そうな顔の理由はいよいよ分からなくなるけど…分からないものは仕方ない。

 そして今のやり取りで、綾袮が今の俺の状態に、霊装者の力に気付いていないという事も分かった。これについてはこれまでも、ロサイアーズ姉妹にも自然な感じで確かめているけど、一度も看破されたり何か変に思われたりするような事はなかった。あくまで霊装者としての探知をされていない、平時での状態なら、って話ではあるけど…複数回こうして見られてもやはり気付かれないって事は、あの鎖の力は本物らしい。

 

(持っていなきゃ本当に気付かれないけど、持っていない状態じゃ霊装者の力は使えない…か。…なんかほんとに、変身アイテムみたいだな……)

 

 今は制服の内ポケットに入れてあるあの結晶に一度軽く触れて、それから思う。

 この結晶は霊装者の力を取り戻してくれた訳じゃなく、あくまで適合した相手に霊装者の力を発現させる物質。これを使う事で、これを用いている間だけ、身体には霊力が流れ、霊装者としての能力を行使出来る。一先ず比喩として挙げた『変身アイテム』だけど、ほんとにそんな感じで…そういうのも、個人的には悪くない。

 

「…あ、もしかして友達に貰った香水でも付けたとか?いやぁ、顕人君も遂に洒落っ気が出てきたかぁ…」

「うん、普通に違うから…変な事訊いて悪かったね。それよりそろそろ次の授業始まるよ」

 

 授業を理由に綾袮を自分の席へと帰還させ、俺も意識を切り替える。

 力を取り戻したとはいえ、一先ずは隠す事が最優先。暫くはこれまでのように振る舞う必要がある訳で…藪蛇になるのも馬鹿馬鹿しいし、探りを入れるのは程々にしておこうかね。

 

 

 

 

「…ねっむい……」

 

 学校の授業と、雪山での任務。どっちがより心身に負担の掛かる行為かといえば、そりゃ勿論後者だが…本日の授業を全て終え、帰路に着いている俺は今、昨日までよりずっと眠かった。

 授業を受ける事、やる気も出ない事に長時間向き合い続ける事と、戦闘にもなり得る、否が応でも集中出来る任務とじゃ、強いられる負担の系統は全然違う。眠くなってしまうような状況か、寝てる訳にはいかない状況かの違いもあるが、兎にも角にも超眠い。

 

「ぼーっとしてると電信柱にぶつかるわよ?」

「はた迷惑な電信柱だよな…」

「予想外にも程がある返しがきたわね……」

 

 冗談半分、眠いから適当に答えた半分でふざけた反応を返す俺。まぁ実際には、今にも意識が飛びそうな程眠い訳じゃないから、何かにぶつかるようなヘマは(多分)しない。

 

「お兄ちゃん、そんなに眠いなら今日はわたしが夕飯を変わって「ふんッ!よっしゃあ目が冴えたぜ!」……お、お兄ちゃん…?」

「ふっ…眠くてぼけーっとしながら道路を歩く姿なんて、緋奈のお兄ちゃんとして恥ずかしいからな」

「えぇ……?」

 

 ばしぃっ!…と両手で頬をぶっ叩く事により意識を覚醒させた俺は、怪訝な顔で見てくる緋奈に対し、多分頬が赤くなってるのは無視して澄まし顔で言葉を返す。…喉を殴って咳を誘発させるのも、結構目が覚めるんだよな…咳き込むんじゃ格好悪いから、今回はやらなかったが……。

 

「…全く変わらないわよね、緋奈ちゃんに対する貴方の言動って……」

「そりゃ、緋奈が生まれてからずっとの付き合いなんだぞ?そろそろ二十年弱の関係で出来たものが、一年で変わると思うか?」

「いやまあ、それはそうだけど…」

「…その一年で、わたしもお兄ちゃんもかなり色々変わったと思うけどね」

「…いやまあ、それはそうだが……」

 

 そんな感じのやり取りをしつつ、俺達は帰宅。…なんとなーくまた眠気が戻ってきたし、今日は夕飯の支度まで少し仮眠でもするか…。

 

「…ふぁ、ぁ……」

 

 ソファに深く座り込み、身体を預ける。そのまま目を閉じ力を抜くと、待ってましたとばかりに睡魔が強まり、閉じた瞼を重くされる。

 そこから先の事は、いまいち覚えていない。多分、数分で寝入ってしまったんだろう。あ、やべ、携帯でアラームセットしておかないと…とは思ったが、それすらせずに俺は落ち……しかし結論から言うと、割と早めに目が覚めた。

 

(…ん、ん…?…まだ、数十分か……)

 

 何が理由かは分からないが、数十分で目が覚めた俺。だが目が覚めても目が冴えている訳じゃなく、携帯の時計で時間確認をした俺は今度こそアラームをセットし、もう少し睡眠を取ろうとする。…が、そんな中で聞こえてきたのは、二つの声。

 

「…って感じね。話すのが遅くなっちゃって悪かったわ」

「いえいえ。ほんとにいつもいつも、お疲れ様です」

 

 恐らくは食卓で交わされている会話。話しているのは緋奈と妃乃で、内容も…聞こえてくる言葉からして、任務の顛末。

 であれば別に、聞いている必要もない。何せその任務の場に俺もいたんだから。…と、思っていたが……

 

「…それで、その…話の途中にも出てきましたが、お兄ちゃんって魔人と戦ったんですよね?…やっぱり、無理…してましたか……?」

(……!)

 

 緋奈の口から発されるのは、俺の話。それも魔人の件という、俺が関わってるどころじゃない話について、どうだったのかと妃乃に問う。

 

「そうね…まあ確かに、無理っていうか無茶な選択をしてたとは思うわ。…けど同時に、間違った判断でもなかった。結果論の部分もあるけど、それが魔人の撃破に繋がった訳だし、悠弥自身も私達が間に合わなければ死んでいた…とは限らないもの」

「そう、なんですか…。…お兄ちゃんって、強いんですね」

「…えぇ、強いわ。才能もあるし、技術や経験は言うまでもないし、底力もあるし。…ほんと時々無茶するし、しかもなまじそれを成功させちゃうのが困りものだけど…頼りになるって、私は思ってるわ」

 

 今回の任務の事、そして俺自身を分析し、そうして最後に妃乃は言った。俺が、頼りになると。緋奈も緋奈で、妃乃に対して言ったのは疑問ではなかった。話を聞いた上ではあるものの、俺が強いんだという前提を持っての返答だった。…ふーむ、これはあれだな。

 

(…起きるタイミング、完全に逃したぁぁ……!)

 

 頭を抱え…るとそれだけで気付かれる可能性があるから、心の中で頭を抱えて叫ぶ俺。…何?お前はそんな事気にするやつだったかって?もっと傍若無人な性格してただろって?…だとしても、気不味い事位あるってーの…!

 

「ふふっ。妃乃さん、一年前に比べるとお兄ちゃんの話をする時、ずっと柔らかい表情をするようになりましたよね」

「へ…?い、いや、そんな事は……」

「ありますよ?」

「……そ、そう…うぅ、緋奈ちゃんが言うなら…そう、なんでしょうね…」

 

 どうも緋奈曰く、妃乃は柔らかい表情をしていたらしい。…ちょっと気になる、気になるがやっぱ恥ずい…!俺の話で妃乃が表情を柔らかくしてたとか考えると、背中がむずむずしてくる…!

 

(くっ…これはあれか…?たった今起きたっぽい演技して、これ以上聞く前に逃げるのが吉か…!?いやでも、それで演技を見抜かれた場合は致命的な……)

「…それで、言うなら…緋奈ちゃんも、まだ……?」

「えぇ、お兄ちゃんの事は大好きですよ?」

(ぐはぁ……っ!)

 

 照れも躊躇いもあったもんじゃない、少なくとも言い淀むような事は一切なかった、緋奈の大好き。それに俺の心は撃ち抜かれ、思わず俺は吐血してしまう。……勿論、心の中で。

…やはり、早期に逃げるべきだった。大好きと言ってもらえるのは嬉しい、嬉しいが…こういう実質盗み聞き状態で聞くのは、色々とアレ過ぎて喜べない。やってしまった感が強過ぎて、喜べないんだよぉぉ…!

 

「…凄いわね、緋奈ちゃん。私、貴女のそういう真っ直ぐで、温和だけど思いは譲らないところ、素敵だって思うわ」

「ありがとうございます、妃乃さん。…でも…これって本当に、素敵な事ですか?自分の大切な思い、負けたくない気持ちを、はっきりと口にする事って…自分が後悔しない為に、必要な事だってわたしは思いますが……」

「……緋奈ちゃん…それ、って…」

「深い意味はないですよ。ただ、わたしは思った事を言っただけです」

「…そっか。そういうとこ、ちょっと悠弥に似ているわ」

「え、そうですか?…えへへ……」

「素直なところは、やっぱり全然似てないけどね」

 

 

「…………」

 

 ヤバいヤバいと思っていたのに、気付けば全然違う雰囲気。恐らくは緋奈が顔を綻ばせた事で、元の雰囲気に戻ったが…多分、緋奈は妃乃の本質、或いは抱いている何かに対して触れた。確信はないが、きっとそういう事で、そしてその触れた部分は……

 

(…いや、余計な詮索だな。こんな状態で聞いて、それで考えるような事じゃねぇよ)

 

 二人の会話は、聞こえている。だがそれは二人の間で交わされている会話であり、俺に向けられたものじゃ…いや、そもそも俺が聞いている事を前提にしたような話じゃない。そしてそれは、言い換えるなら…俺に聞いてほしくない部分だって、あるって事だ。

 こういう状況になっちまったのは、仕方ない。俺だってわざとじゃないし、寝てたとはいえ俺が聞こえる距離で話していた二人にも少なからず落ち度はある。有り体に言ってしまえば、日常で起こり得る事故の範囲で…ならば流してしまうのも一つの手だろう。本来なら聞くつもりのない、相手としても話すつもりのなかった言葉なら…余程悩んでるとかでもない限り、それ一つの正解の筈だ。

 そして幸い、そこで一先ずは俺の話だったり、何か心の中に触れるような話だったりは鳴りを潜め、本当にただの雑談に移行。これならば大丈夫だと思い、完全に目の覚めてしまった俺は今起きた風を装ってソファから身体を起こすのだっ……

 

「…あ、ところで話は変わるんですけど、ちょっとブラの事について訊いても良いですか?」

「えぇ、構わないわよ。何か困ってるの?」

(……おおぅ…)

 

……人間、タイミングが悪い時は本当に悪い。まるで運命が操作されているかのように、重なる事なく連続して不都合が起きてしまう。…それを心から痛感する俺だった…。


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