双極の理創造   作:シモツキ

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第十九話 日常を奪うもの

「はぁっ…はぁっ……ッ…!」

 

息を切らしながら、街の中を走る。ランニングコースや河川敷ならともかく、繁華街のど真ん中をスポーツにはとても適さない格好で全力疾走なんてするもんだから、俺は通行客から思いっきり奇異の目で見られてる訳だが……そんな事は気にしていられない。そんな事は、どうでもいい。

 

(俺の霊力貯蔵と身体付加限界は…駄目だ、まるで分からねぇ…!)

 

こうして走る分には一般男子高校生の域を出ない程度の速度しか出ないが、もし霊装者としての力を使ったのなら、漫画やアニメのヒーローや忍者の様に家屋の屋根を跳んで移動する事が出来る。…だが、今の俺は霊装者としての能力を分かっていない。検査でパラメーター化こそしてもらったものの、どれ位使ったら底をつくかやどれだけ付加に身体が対応出来るかは、実際に何度も使ってみなければ…訓練をしなければ分かったりはしない。

そんな状態で霊力を使おうものならどこで枯渇するか分からず、どこで活動限界になってしまうかも分からない。それを考えると、どんなに焦っていたとしても霊装者の力を使う訳にはいかなかった。

 

(結局、時宮の方が正しかったって事かよ…)

 

時宮は所属をする事を、しないでも最低限訓練だけはしておく事を俺へと勧めていた。それを俺は類は友を呼ぶの考えで否定したが…こうなってしまえばもうあの時の選択を後悔する思いしか抱かない。…典型的な、後悔先に立たず…って奴だ。

体力の事も考えずに走っているせいで、肺が辛い。この辛さは暫く前…時宮が霊装者である事を知った日にも感じた事だが、今はそれとは比べ物にならない位に辛い。それは、あの時より長く走っているから?……いいや違う。辛いのは、緋奈が狙われてるかもしれないからに他ならない。

 

「……っ…まだ大丈夫、まだ大丈夫な筈だ…!」

 

自分自身へ言い聞かせる様に、そう呟く。今のところ魔物は移動を続けている様で、それはつまり捕食には至っていない事を意味する。まだ緋奈に接近出来てないのか、逃げる緋奈を追いかけているのか、それとも…またも俺の勘違いで、緋奈は全く狙われていないのかは分からないが、それでも最悪の事態にはなっていないと思えるだけで俺は膝を突かずにいられた。……それが、いつまで続くかは分からないが。

走って、走って、走る。一目散に、脇目も振らず、ただひとえに緋奈の無事を祈って走る。そして……遂に俺は家へと到着した。

 

「……ッ!緋奈ぁッ!」

 

もたれかかる様に玄関の扉を開き、愛する妹の名前を叫ぶ。ここまで大きな声で緋奈を呼んだのは、生まれて初めてかもしれない。

今日の朝も、今と同じ様にここで緋奈を待っていた。だが、今の俺はその時とは比べ物にならない程に動揺し、焦燥感を抱いていた。

呼んでから一秒。緋奈からの反応はない。俺はそれ位普通だと自分を落ち着かせる。

呼んでから二秒。緋奈からの反応はない。俺は反応出来ない状態にあるんじゃないかと思う気持ちを必死に殺す。

呼んでから三秒。緋奈からの反応はない。俺は寝てるとかヘッドホン付けてるとかで耳に届いてないだけだ、と自分が安心出来る理由をとにかく思い浮かべる。

四秒、五秒、六秒…十秒、二十秒、三十秒…。実際は一分にも満たない、でも俺にとっては何分にも何十分にも感じる時間が流れて、それで俺は耐えきれなくなってまた緋奈の名を────

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただい……あれ?お兄ちゃんもう帰ったの?」

 

──後ろから、玄関扉の方から、声が聞こえた。そう、それは紛れもない、間違えようのない……

 

「緋奈っ!!」

「わ、わわっ!?お兄ちゃん!?」

 

振り向き、手を伸ばし、抱き寄せる。その存在を確かめる様に、無くしたくない思いをぶつける様に、緋奈を力強く抱き締める。…良かった…良かった……っ!

 

「く、苦しい苦しい!それになんかべたべたする!お兄ちゃん!?お兄さん!?悠弥さぁぁぁぁん!?」

「……っ…わ、悪い…」

「ぷはっ…!……な、なんなの急に…」

 

真っ赤な顔で目を白黒させながらもがく緋奈の悲鳴で我に返った俺は緋奈を離す。……やっちまったな、こりゃ…。

 

「…えーと、だな…」

「…………」

「……よ、欲情した…と、か…?」

「…それでいいの……?」

「い、いや良くないです…嘘です…」

 

真実は話せず、その為なら多少変な勘違いされてもやむなしとは思うものの…流石にこれは不味過ぎる。我ながら、色々とテンパり過ぎであった。

 

「じゃあ、改めて…急になんなの?」

「…まぁ、その、何つーか……ヒナハカエルノガオソカッタンダナ-」

「誤魔化した!?びっくりする程違和感を感じる声音で話を逸らそうとした!?何これわたし見た事ない!」

「ど、どーだ!こんなのそうそう見られないぞ!」

「それはそうだろうね!『嘘が下手な人』って演技だとしてもここまでバレバレにはならないからね!……汗もびっしょりかいてるし、今のお兄ちゃん相当ヤバいよ…?」

「う、うん…確かに今の俺はかなりヤバいかもしれない…」

「着替えてちょっと寝た方がいいよ、ほんとに…」

 

俺は緋奈が心配で心配でしょうがなかったのに、結果ヤバい人みたいになってしまった。……が、なんだかんだ誤魔化せたぞ!緋奈からの心象が恐らくえらい事になってるが、まあ目的は果たせたぜ!よっしゃ!

なんだかんだで落ち着いた俺が改めて話を聞くと、緋奈は俺と別れた後少し寄り道をしていたらしい。確かにそれなら全力疾走していた俺の方が先に帰ってもおかしくないし、真っ直ぐ帰れとも言っていない(そもそも理由も言わずに予定を切り上げた)んだから寄り道を咎める事は出来ない。というか、緋奈の無事に心から安堵してる今の俺は多少の理不尽なら笑顔で許してしまいそうな気すらした。

 

「じゃあ、お兄ちゃんは休んでるんだよ?わたしはちょっとスーパー行ってくるから」

「おう…ってスーパー?」

「だって今、冷蔵庫の中にお粥向けな食材あんまりないでしょ?」

「あぁ、そういう…ほんとさっきから悪いな」

「気にしないで、困った時はお互い様なんだから」

 

くたくたな俺とは対照的に、緋奈は軽やかな足取りで買い物の用意を済ます。そうして再び玄関に来た緋奈とすれ違う俺。……ん?お前の妹料理下手じゃなかったのかって?緋奈にご飯作ってもらうのは勘弁だって言ってなかったかって?……ふっ、それも気にならない位今の俺の精神は穏やかなのさ。…まあ、理性的な部分が「絶対夕飯の時に後悔するぞ!今ならまだ間に合う!止めろ!」とか言ってるから、心の中でも何割かは反対派なんだけどな。

 

「それじゃ、また行ってきます」

「行ってらっしゃい、急がなくていいからな」

 

買い物バックを持って出ていく緋奈を見送る。その瞬間に寒気を感じ、それが汗で濡れた服によって身体が冷えたせいだと気付き、俺は苦笑しながら着替える為に自室へ……

 

 

 

 

 

 

 

 

────ぞくり、と胸中を…そして背中を悪寒が駆け上った。

一瞬俺は、訳が分からなかった。俺も緋奈も無事なのに、一体何故こんな感覚を身体が感じているのか、と。だが…次の瞬間に、思い出した。緋奈の危機はあくまで想定される結果の一つであり、不快感の原因はまだ撃破どころか目視すらしていないのだという事を。

 

「……ーーッ!」

 

床を蹴り、閉まりかけていた玄関扉を殴る様な勢いで開く。

嗚呼、なんて俺は馬鹿なのか。俺は緋奈の身を案じるあまり、魔物の存在を完全に忘れていた。緋奈の無事が確認出来たらすぐに緋奈を逃がすか魔物を倒すかするべきだったのに、安心感を享受してしまっていた。元霊装者でありながら、時宮にデカい口叩いておきながら、自身の探知能力がまだまだ頼りないレベルである事を失念してしまっていた。注意が完全に逸れて上手く探知出来なくなっていたのを、魔物の危機が去ったと勘違いしてしまっていた。だから────機会を伺っていた魔物の接近を、完全に許してしまった。

 

「緋奈あぁぁぁぁああああああッ!!」

 

扉を開けるとそこには、乱暴に開かれた扉の音と俺の叫びにびくりと肩を震わせる緋奈…………そして、向かいの家の屋根に今にも飛びかからんという体勢をとっている魔物の姿。──次の瞬間、その魔物が飛び上がった。

 

「え────?」

 

霊力を全身に駆け巡らせ、刹那の間に緋奈の前へと躍り出る俺。それは間一髪の出来事で……緋奈の戸惑った様な声が聞こえたのと、魔物の体当たりを受けて緋奈諸共家の中へ吹っ飛ばされたのはほぼ同時だった。

 

「ぐっ……!」

 

直撃を受けた俺は廊下の壁へ背中を、俺に押される形で吹っ飛んだ緋奈は少しズレて頭をそれぞれ強打する。

どすん、という衝撃と共に背中が痺れ、肺の中の空気も一気に吐き出された事で一瞬呼吸が出来なくなった。……が、俺は床に落ちると同時に壁を拳で叩き、全力の意思の力で即座に起き上がる。

 

「緋奈!無事か、緋奈ッ!」

 

俺の横に倒れている緋奈の肩を抱き、上半身を起き上がらせる。別に魔物の事をまた忘れた訳ではない。ただ、今は魔物の事なんかより緋奈の安否の方がずっと大事だった。

 

「…あ…ぅ…おにい、ちゃ……」

「ごめん…ごめんな緋奈、怖い思いをさせて…痛い思いをさせて…」

「……っ…ぅ…」

「でも、大丈夫だ…俺が守る。何があろうと、絶対に緋奈は俺が守る。だから安心しろ、緋奈…!」

「……う、ん…」

 

頭を強打したからか、焦点の定まらない目で俺を見る緋奈。そんな緋奈の手を握り、俺の思いの丈そのままの言葉をぶつけると……緋奈は安心した様な笑みを浮かべ、目を閉じた。…でも、大丈夫。脈はあるし、呼吸も聞こえる。緋奈は気絶しただけ。

 

「…………」

 

ゆっくりと緋奈を寝かせ、立ち上がる。その場で振り向き、手脚の生えた魚の様な魔物を睨め付ける。

 

「……テメェにとっちゃ緋奈は沢山いる獲物の一つにしか過ぎねぇんだろうな。俺だって食べ物一つ一つに思いを馳せる事なんてしねぇし、別段それをとやかく言うつもりはねぇよ」

 

魔物は何も返さない。魚型故に声帯が無いのか、俺の言葉を理解してないのか、端から会話なんてする気がないのか、返さない理由は分からないが…そんな事はどうだっていい。

 

「…けどな、俺にとっちゃ緋奈は特別なんだよ。唯一無二の存在で、俺に残った最後の家族で、大事な大事な妹なんだ。だから────」

 

 

 

 

 

 

「テメェはぶっ殺すッ!死んじまえこのッ!塵屑がぁぁぁぁああああああああッ!!」

 

怒号をあげると同時に隠し持っていたナイフを抜き放ち、床を蹴る。一足飛びに魔物へと肉薄し、逆手持ちのナイフを振り上げた。

その瞬間、俺の突撃に反応して後退しようとした魔物。だが俺は魔物の鰓蓋らしき部分を左手で引っ掴んで後退を阻止。そのまま頭部へナイフを突き立て……ようとするが、後退する魔物を力技で止めたせいで俺自身も体勢が崩れてナイフは魔物の顔を掠めるに留まってしまった。

 

「ち……ッ!」

 

魔物はナイフが逸れた事を確認すると即座に攻撃に移行。それを俺は手を離して回避し、再度ナイフで刺突。しかし今度は魔物が真上に跳んだせいで完全に外れてしまった。

 

(野郎、廊下だったのによく避けるな…!)

 

煮え滾る程に怒りを爆発させている俺だが、目は魔物の動きをつぶさに観察し、頭は戦術パターンの検索を全速力で行なっている。前世で何度も何度も重ねてきた戦いのおかげで、経験のおかげで、感情とは裏腹に俺の思考は冷静そのものだった。

腕による殴打は防御し、頭突きや突進は回避し、側面や背面、上や下など隙が出来る度に俺は違う方向から攻撃を仕掛けた。そんな攻防が何度か続いた後、俺は一つの仮説を思い付く。

 

(恐らく奴の弱点はあの部位で間違いない…後は上手く誘導するだけだな…)

 

蹴り付け…ると見せかけて足を思い切り後ろに振るい、その勢いを利用して距離を取る俺。俺を追う様に魔物が前進した瞬間、再度俺は後ろに跳び……壁に、激突した。

その瞬間、魔物は頭から突っ込む様に俺へと飛び込んでくる。壁への激突を俺のミスと判断し、絶好のチャンスと言わんばかりに飛び込んでくる魔物。ぶつかった衝撃で揺れる視界の中でそんな魔物の動きを確認した俺は…勝利を確信した。

 

「馬鹿が…低脳なのはテメェだけなんだよッ!」

 

壁を手で押すと同時に床から脚を離し、身体を屈めた俺。結果俺は床へと滑り込む様な動きになり…俺の上半身へと向かってきていた魔物とは上下ですれ違う形となった。そして俺はその状態から、魔物の腹に向かってナイフを突き立す。

ナイフは持つ俺と刺されている魔物のそれぞれの運動エネルギーを受け、両者の動きに連動して魔物の腹を捌いていく。魔物は魚に手と脚が生えた様な、所謂前後に長い体型をしていた。だからこそ、魔物は真上と真下…特に真下への視界が殆ど効いておらず、俺の攻撃をもろに受けてしまったのだった。

 

「……死ね、化け物が」

 

腹から尾びれ近くまで一気に捌かれた魔物は、壁にぶつかりぼとりと落ちる。その魔物の顔の前まで移動し……一突き。今度こそ頭にナイフを突き刺して…それでお終い。

 

「…………」

 

何の達成感もない。撃破の喜びなんて欠片も感じない。緋奈を無事守れた事には僅かながら安心したけど…それよりも今は、緋奈にこちらの世界を見せてしまった後悔の方がずっと強かった。

緋奈を守りたくて、今の日々をこれからも送りたくて背を向けたのに、こんなにも早くそれは潰れてしまった。何かを失った訳でもなければ今後も襲われる確率が高い訳でもないが、それでもただただやるせなくて仕方がない。

 

「……時宮に、礼を言っとかねぇとな…」

 

もし時宮がナイフを渡してくれなければ、ここでの勝利はなかった。時宮が身を案じてくれなければ、俺も緋奈も死んでた可能性が本当にある。……くそ、やっぱり俺の考えは浅はかだってのかよ…やっぱり俺は、普通の生活なんて──

 

「…………は?」

 

押し退ける様な衝撃を受けて、俺はよろける。驚きに目を瞬かせる俺の横を、頭にナイフが刺さったままの魔物が駆け抜ける。……訳が、分からなかった。

 

(は?いや……は?あいつ、生きてたのか?腹掻っ捌かれて、その上で頭刺されてんだぞ?……それでも、生きてるってのか…?)

 

人の常識が通用しない、超常の存在である魔物。だがそんな魔物でも致命傷を受ければ死ぬ(消える)し、動物っぽい外見の魔物であれば大概頭部や胸部を狙えば致命傷を負わせられる。……にも関わらず、この魔物は生きていた。僅かに息があるとかのレベルではなく、確かに動いていた。

殺した筈の魔物が生きている事に呆気にとられていた俺。しかし魔物は俺も緋奈も狙う事はなく、玄関の方へと向かっていった。

 

「……っ、逃げる気か…!」

 

この状況で外へ向かうとなれば、逃走以外あり得ない。逃げたところで命が持つのかどうか怪しいが、まあ確かにここにいるのと逃げるのとなら後者の方が生き延びられる可能性があるのは事実。そしてそう俺が思っている間にも魔物は進み、開きっぱなしの扉を通って外へと飛び出す。

……だが、結果から言えば魔物が生き延びる事はなかった。魔物は、外へと飛び出した次の瞬間には空からの一閃を受け…息絶えた。

 

「悠弥!緋奈ちゃん!無事!?」

 

魔物が地に伏したのも束の間、蒼の翼と共に少女が降り立ち声を張る。噂をすればなんとやら、それは……時宮妃乃その人だった。

 

「……時、宮…」

「…無事、みたいね…よかった……」

「……よくなんか、あるもんかよ…」

「…そう、よね…ごめんなさい…」

 

俺の姿を見て、安堵の表情を浮かべた妃乃。妃乃の様子からして急いで来てくれた様だし、先の通り俺は妃乃に感謝しなければならない。……けれど、俺の口から出たのは嫌味だった。

妃乃の表情は、俺の言葉を受けて安堵のものから申し訳なさそうなものへと変わる。…妃乃を責めるつもりはない。悪感情だって抱いてない。けれど、でも……

 

「……遅いんだよ、馬鹿…」

 

────今の俺は、それしか言えなかった。


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