双極の理創造   作:シモツキ

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第百七十一話 三者三様のチョコレート

 霊装者の力は、とにかく身体を虐めて、何度も何度も反復練習をすれば高まるってものじゃない。勿論それが無駄って事じゃなく、前者はともかく後者は必要な訓練ではあるが…それはあくまで技術だとか身体に覚え込ませるだとかの領域であって、霊力…言うなれば超常の力そのものの向上に直結するものではない。

 詳しい事は知らないが、嘗ての俺の時代じゃ霊力そのものの鍛え方に対する明確な答えは出ていなかったし、妃乃が言うには今もあまり変わっていないらしい。体力と同じように日々大きく消耗する事で高まっていくという意見もあれば、元々霊力という才能の上限は決まっていて、日々の鍛錬はその才能を少しずつ解放しているだけに過ぎないなんて意見もあるし、中には心の強さが霊力に関係してくる…なんて説もあるんだとか。ただまあ何にせよ、最初に挙げた技術やら何やら…即ち『戦闘能力』の向上を図る中で、大概の人は霊力方面も向上していく傾向があるから、一つ目の意見が割と有力だったりする。

 結局のところ、勉強や運動と同じように努力すればそれなりに力はつくし、何もしなきゃ多分何も変わらないって事だろう。だが…俺の場合はどうなんだろうか。かなり特殊な経緯を持っている、知識や経験、それにある程度は直感的な部分は引き継ぐ形で持ち合わせていて、けれど才能の部分はリセットされた…というか別物になっている俺の場合、普通に鍛えて普通の効果が出るのだろうか。…そんな事を思う、今日この頃。

 

「ふぁぁ…はー、今日も眠かった」

 

 本日最後の授業が終わり、空気の緩んだクラス内。俺も一つ欠伸をした後に身体をぐっと伸ばし、教科書や筆記用具を鞄へと入れていく。

 

「眠かった?何度も寝たの間違いじゃなくて?」

「失礼な。何度もじゃねぇよ、何度かだよ」

「よくもまぁ平然と……というか、今の川柳でも意識した?」

「だとしたら、字余り気になるし風情も何もない川柳だな」

 

 何言ってんだか…という表情で話し掛けてくる御道を一蹴し、忘れ物がないか机の中を覗く俺。てか、冬場の教室は暖房が効いている場合暖かい上換気もおそろかになりがちだから、眠くなるのはある意味仕方ないと思うんだよな。夏場の水泳後の授業と同じで。

 

「失礼な 何度もじゃねぇよ 何度かだよ…うーん、何度もではなく 何度かだ…の方が字余り減って締まりも良くなるか…?」

「どうでもいい事考えてんなぁ……」

 

 授業で頭を散々使っただろうにまだそんな事を考える余裕があるらしい御道を半眼で見ながら、俺は帰り支度を終わらせる。

 それから約十分。担任が来てHRも終わり、各々部活へ向かったり帰路へ着いたりで教室内から去っていく。当然俺も帰る為に、鞄を持って教室を出る。

 

(さて、今日の夕飯は…うん、塩味のあるものの方が良いだろうな……ん?)

 

 夕飯の事を考えながら廊下を歩いていると、ある程度したところで後ろから声をかけられる。

 聞き覚えがあるなと思って振り返ると、俺を呼び止めたのは一人の女子。と言っても妃乃じゃないし、緋奈でもない。

 

「千嵜くん、今から帰るの?」

「…そうだが?」

「そっか、じゃあはい。千嵜くん、甘い物苦手じゃなかったよね?」

 

 端的に言うなら、彼女はクラスメイト。一つ付け加えるなら、文化祭で同じ調理担当を担った女子の一人。そして、たった今差し出されたのは…小さな袋に入ったチョコレート。

 

「……えっ?」

「えっ、って…まさか、今日が何の日か知らないの…?」

「い、いやそれは知ってるが…俺にか…?」

「それ、疑う余地ある…?」

「…誰かに渡してほしい、とか……」

「いやいやいや……」

 

 ちょっと…いやかなり意外な展開に俺が困惑していると、彼女は何とも怪訝そうな顔に。いや確かに、そんな微妙な空気になる事間違いなしな行為をする奴が実際にいるとは思えないが…それにしたって、俺に…?

 

「ええ、っと…つまりこれは、俺が貰っていいと…?」

「な、なんかさっきから失礼じゃない…?」

「う…それはすまん…確かに超失礼だわ……」

「もー…。…あ、因みに義理だよ?でも頑張って作ったから、今度感想聞かせてね」

「お、おう…ありがとな…」

 

 義理と強調しつつもにこりと笑って彼女は立ち去り、その場に一人残る俺。念の為もう一回見てみるが…やはりこれはチョコレート以外の何物でもない。つまり、俺は2月14日…即ちバレンタインデーにクラスメイトの女子からチョコを貰ったという事になる。

 

「…マジか……」

 

 状況を再認識し、今一度驚く俺。文化祭以降、彼女とは何だかんだでちょこちょこ話してる(正しくは向こうから話しかけてきてくれてる、だが…)し、その時点でも物好きなもんだと思っていたが…まさか、義理とはいえチョコレートをくれるとは。この俺に、緋奈以外でくれる女子が存在したとは。

 

(…って、これは流石に悪いな…わざわざ作ってくれたんだから、んな卑屈な事考えずに感謝しねぇと……)

 

 割と本気で「え、何故…?」と思ってる俺だが、何であろうと彼女はくれたんだ。ならそれは、素直に感謝し喜ぶべきだ。それが、人の厚意を無下にしないって事だ。

 

「うん?なんだ、まだいたんだ千嵜……って、それは…」

「チョコだが?」

「…驚いた…なんだ、案外千嵜もやるじゃん」

「おう、さらっと失礼だな」

 

 そこで現れた御道の無礼発言に言葉を返しつつ、俺は袋を鞄の中へ。

 はっきり言って、まだ困惑してる。渡す相手間違えたと言われても、多分納得出来る気がする。それ位、俺にとって今さっき起こった出来事は意外なもので…それでもまぁ…こうして貰えると、悪い気はしないよな。

 

 

 

 

 帰宅をすると、もう緋奈は帰っていた。だからと言って別にどうだって事はなく、いつもの通りに俺は過ごそうとして……

 

(…うん、駄目だ。やっぱちょっとそわそわする…!)

 

 無理だった。俺はどっちかって言うと何かあっても平然としていられるタイプなつもりでいたが、もう全然無理だった。

 と、言ってもよく分からないだろうから、端的に説明すると…恐らく今日は、というか例年通りなら、緋奈はチョコレートをくれる。だってバレンタインデーだから。でもいつくれるから毎年まちまちで、しかも何だかんだ言ったって俺も男な訳だから、チョコ待ちというのは落ち着かない。加えて下校前になんと一つ貰えたから、余計に今日という日を意識してしまう。

 

「あ、お兄ちゃん」

「うぉっ、おう。なんだ緋奈」

「さっき回覧板回ってきたよ。一応目を通しておいたけど、お兄ちゃんも見ておく?」

「あ、か、回覧板か…そうだな、俺も見ておこうかな……」

 

 家に帰ってから十分弱。リビングのソファに深く座り込んだところで声をかけられた俺は努めて自然な態度を取(ろうとす)るも、いざ出てきた話題は全く関係性がないもの。それに内心俺は落胆してしまい……次の瞬間、くすりとした笑い声が聞こえてくる。

 

「お兄ちゃん、もしかして今期待してた?」

「う…さ、さぁて、何の事やら……」

「別に誤魔化さなくたって良いのに…」

 

 俺の反応を見て、更ににやっと笑う緋奈。確かに緋奈の言う通り、こういう時は下手に誤魔化すより堂々と肯定して話の主導権を掴んだ方が、結果的には恥ずかしい思いをしなくて済む場合が多いんだが…誤魔化したいという思いがあると、分かっていても中々出来ない。

 とにかくそんな理由で俺は翻弄されてしまい、心に残る恥ずかしさ。だがそれから緋奈はふっと表情からからかいの色を消し…ぽふりと俺の隣に座り込む。

 

「…なんて、ね。期待も何も、わたし毎年お兄ちゃんにはあげてるもんね」

「そ、そうだな…(落ち着け落ち着け、動揺する事なんてないだろ千嵜悠耶…!)」

「…でもね、今年は一味違うんだよ?」

「…一味違う…?」

 

 にこやかに言葉を続ける緋奈に頷きながら、俺は自分へと言い聞かせる。すると緋奈はそこで、少し得意気な顔となり…その言葉の意味が分からず首を傾げる俺の前へ、差し出される両手。そしてそこに乗っていたのは、綺麗にラッピングされた半透明の小袋。

 

「じゃーん。今年は、手作りチョコレートだよ」

「手作り……え、手作り…!?」

 

 くれる事は分かっていたが、それでも自然と緩む頬。だが次の瞬間…手作りという言葉を頭の中で反芻したところで、俺は戦慄。…て…手作り、だと…!?

 

「……?うん、手作りだけど…もしかしてお兄ちゃん、チョコは市販品の方が好きだった…?」

「い、いやいやそんな訳ないじゃないか!緋奈から初めて手作りのバレンタインチョコを貰って、心が震えていただけさ…!」

「そっか…ふふっ。そう言われると、やっぱり嬉しいね」

 

 つい見せてしまった動揺を誤魔化すべく、それっぽい理由を俺は口に。すると緋奈はにこっと笑って、言葉通りに嬉しそうな顔を俺へと見せてくれる。となれば当然、痛み出すのは俺の心。…ごめんな…騙すような事言っちゃって、ほんとにごめんな…でも、嘘は言ってないんだぞ…?本当に心が震えてはいるんだ…多分、緋奈が思っているのとは違う理由だけど……。

 

「…ね。食べてみて、お兄ちゃん」

「…ぅ…お、おう……」

 

 手作りだからか、受け取った袋を見つめる俺に対して緋奈はそんな事を言ってくる。

 自分の作った料理が、美味しいかどうか。気に入ってくれるかどうか。それは誰だって気になる、自然な事で…心の痛んでいた俺に、それを拒むだけの余力はない。

 

(くっ…だが考えてみろ。緋奈の料理下手は、何もあり得ない物を入れたり、常識が欠落しているが故に発生しているものじゃない。味の濃さなんかは不安だが…これはチョコ。甘くない味付けをしている可能性は低い上、濃い分には全く問題のない食べ物…!つまり、案外悪くない出来になっている事も…十分に、ある……ッ!)

 

 半ば自分へ言い聞かせるように、心の中で並べ立てる希望的観測。どう思おうとチョコレートの味は変わらないが…それでも、こう考えれば少しは気持ちが楽になる。

 そうして俺は意を決し、ゆっくりと開封。中にあるチョコレートの一つを手に取り、不安そうにこちらを見つめる緋奈を見て…俺はチョコを口の中へ。

 

「…………」

「…ど、どう…かな……?」

「…美味い……」

「ほ、ほんと?…良かったぁ……」

 

 目を見開き確認してくる緋奈に向けて、俺は首肯。緋奈が安堵するのを眺めながら、俺自身も内心で安堵。

 今言った事は、嘘じゃない。お世辞でも何でもなく…本当にチョコレートは甘くて美味しかった。

 

「この蕩ける感じ…生チョコレートか…?」

「あ…うん、そうだよ。…やっぱり妃乃さんに見ていてもらって正解だったなぁ……」

「…妃乃に…?(そうか、だから美味いのか…)」

 

 ぽつりと呟かれた言葉、そこに含まれていた名前を聞いて、俺はこのチョコレートが普通に美味しい理由を理解した。確かに妃乃が見ていてくれたのなら、この美味しさも頷ける。…グッジョブ、妃乃。

 

「…けど、緋奈が手作りのチョコレートを作ろうとしてくれた気持ち、それだけ俺を想ってくれてるって事は、味や出来とは関係ないんだもんな。いや、ほんと美味いけど…」

「…お兄ちゃん?え、っと…それは、独り言…?」

「独り言だよ。…手作りのチョコレートを送ってくれて…いつも俺の事を大切に思ってくれて、ありがとな緋奈」

 

 こうして貰えるのは嬉しい。美味しかったのも嬉しい。でも一番嬉しいのは、緋奈の気持ち。緋奈の思い。緋奈の愛。そしてそれを感じた俺は、自然と頬が緩んでいて…感謝の言葉と共に、俺は緋奈の頭を撫でた。

 目を細め、心地好さそうに俺からの手を受け入れる緋奈。愛らしい顔にさらさらの髪と、本当に緋奈は魅力に溢れている。かれこれ十五年以上緋奈とは一緒にいる訳だが、きっと…いや間違いなく、俺はこの魅力に飽きる事なんかないだろう。それ程までに、緋奈は可愛いんだから。

 

(しかしほんと、緋奈は撫で心地が良いんだよな…猫や犬じゃないが、この際顎の裏とかも……)

 

 撫でている内にふっとよぎる、変な欲求。それを特に躊躇いもなく行おうとした俺だったが、その瞬間携帯がメッセージを受信。何だと思って見てみると、送信主は……

 

「…もしかして、依未ちゃん?」

「…そうだが…何で分かったんだ?」

「ちょっとね。…寄り道せず、すぐに行ってあげて。きっと大切な用事だから」

「そ、そうか…じゃあ、行ってくる」

 

 何故かは分からないが、何かを知っている風な緋奈の言葉。その表情は、本当に真剣で…だから俺も気持ちを切り替え、最後にぽんぽんと緋奈の頭を軽く触ってソファから立つ。

 簡素な呼び出しメッセージからは、その内容なんて分からない。けど依未は下らない事で俺を呼んだりしないし、緋奈の言った事もある。だからきっと重要な事なんだろうと思いながら、俺は双統殿へと向かった。

 

 

 

 

「い、いらっしゃい……」

「おう、入るぞ」

 

 言われた通りに真っ直ぐ依未の部屋まで向かった俺は、開けられた扉から部屋の中へ。…今日はいつになく素直に入れてくれるんだな…。

 

「…て、適当に座って……」

「じゃ、そこの棚の上にでも…」

「そ、そういう意味じゃないし…!常識の範囲でだから…!」

 

 探りを入れるようなつもりでボケてみると、返ってきたのは毒なんて殆どない普通の突っ込み。…なんだ…?体調が悪くて呼んだのか…?様子からして、緊急事態って感じでもなさそうだが……。

 

「ほ、ほら…早く座りなさいよ…!…あ、いや…べ、別に立ったままでも良いけど……」

「どっちだよ…てか、俺を呼んだのは……」

「それは今から言うから…!」

 

 どうも落ち着きがないように見える依未。どうしたものかと俺が立ったまま後頭部を掻いていると、依未から感じるそわそわが加速。視線もこっちに合わせてこないし、その様子は緊張しているようにも見える。

 

「…だ、ぁ…その、あれよ……」

「…どれだ…?」

「うっ……だ、だから…ちょ、チョコレート……」

「…チョコレート?」

「……の、賞味期限…そう、賞味期限!さっさと食べないと賞味期限切れそうなチョコがあって、でも今はそういう気分じゃないから、処理を頼もうと思ったの!ほら!」

「え、あ、おぉう……?」

 

 しきりに目を逸らしながら口元をもにょもにょとさせていた依未が、ぼそりと口にしたのはチョコレートという単語。それを俺が聞き返すと、更に依未はもにょもにょとして……かと思えば次の瞬間、今度は打って変わってまくし立てる。

 その流れのまま、ボディーブローでもするのかと言いたくなる勢いで突き出されたのは、どうやら背に隠していたらしい袋。そしてその中に入っているのは…チョコラスク。

 

「……っ…!ぁ、やっ…違っ……」

「ん?違うのか?」

「うぁっ、ち、違わないから!…違わ、ない…し……」

 

 びしりと突き出されたところで、途端に崩れる依未の表情。だがそれもすぐまた変わり、変わったと思ったらまたまた目を逸らし……情緒不安定にも程がある。いやほんと、冗談抜きに心配になるレベルで、今の依未は感情のブレが凄まじい。

 

「…えーと、じゃあまあ…頂くぞ?」

「……どうぞ…」

 

 とはいえそれを指摘したところで、恐らく依未は反発するだけ。ならばと俺は袋を受け取り、リボンを解いて口を開ける。

 中のチョコラスクは、ラスクそのものがチョコ味になっているタイプではなく、ラスクをチョコでコーティングしたタイプ。その内一つを手に取り口に放ると、まずはパリッとした食感が、それからチョコ特有の甘みが口に広がる。

 

「…美味いな。味もだが、コーティングも綺麗に出来てるし」

「そ、そう?それは良かっ……じゃない、それなら作った人も喜ぶでしょうね…。ま、まぁどこの誰かは知らないけど…!」

「そうだな」

 

 素直な感想を口にすると、依未はぷいっと腕を組みつつ顔を逸らす。…だが、俺は見逃さなかった。その直前、依未が安堵と喜びの混じった…さっきの緋奈の様な表情を浮かべた事を。

 それから俺は一気に…じゃないが、中に入っていたチョコラスクを全て食し、依未の言う「作った人」を思い浮かべながら食後の挨拶を一言。…さて、これで依未の用事は済んだ訳だが……

 

「依未、まだ何かあるか?」

「…べ、別に……」

「そうか、じゃあ帰るとするよ」

「…うん……」

 

 俺からの言葉に答える依未は、結局殆どずっと俺から目を逸らしたまま。だがそれだけじゃなく、今の依未はどこか残念そうというか、後悔しているような表情で……だから俺は一度背を向けた後、思い出したように振り向いて言う。

 

「…チョコラスク、作ってくれてありがとな」

「えっ……?」

 

 俺が感謝を伝えた瞬間、目を丸くして固まる依未。その反応は、完全に俺が予想していた通りのもので…つい、俺は笑ってしまう。

 

「あ、なっ…何笑ってんのよ…ッ!」

「すまんすまん。依未って、時々物凄く分かり易くなるよな」

「うぐっ…い、いつから気付いてた訳…?」

「いつからも何も、見るからにラッピングがプロのやった感じじゃないからな。それに…これ、緋奈と一緒にやったろ」

「な、何でそこまで…って、あ……」

 

 決して下手てはないとはいえ、完璧ではないのが逆に「頑張ってやってくれた」感を出しているとはいえ、既製品だと偽るには些か杜撰なラッピング。だが、俺の中で確信を得たのはそこではなく……ラッピングに使われた袋とリボン。

 それは、緋奈がくれたチョコレートと同じ物。緋奈と同じ物を使って、しかもプロがやったようには見えないラッピングの仕方となれば…誰だって分かる。

 

「…じゃ、じゃああんた…まさか、あたしの手作りだって分かった上で……」

「ま、そうなるな」

「〜〜〜〜っっ!…う、うぅぅぅううぅぅ〜…っ!」

 

 状況を理解していくにつれて、赤面度合いが増していく依未の頬。声を震わせながら発された問いに対し、俺がさらりと答えると、そこで依未の羞恥心は限界突破し……うーうー唸りながら、クッションに顔を埋めるばかりの状態になってしまった。…小動物感、すっごいな……。

 

「依未ー、依未さーん?俺はどうしたらいいんですかねー?」

「うっさい!帰ればいいじゃない!或いは笑えばいいじゃない!見抜かれてる事にも気付かず感情を右往左往させてたあたしを、馬鹿な女だとでも思って笑えば──」

「笑わねぇよ。まあ確かに、嘘に関しちゃ雑だと思うが…俺の為に菓子を作って、それをラッピングまでして、こうして渡してくれた依未の事を、馬鹿な女だなんて思う訳がねぇだろ」

 

 ちょっと弄ってみようか、それともこのまま眺めていようか。そんな事を考える中、不意に依未が言った自虐。それは恐らく、感情が先行していて深く考えてなんかいない発言なんだろうが…それでも俺は、本気の意思を込めて否定した。

 理由はどうあれ、渡すまでの経緯はどうあれ、依未は俺の為に作ってくれたんだ。迷いが躊躇いかは分からないが、その感情を右往左往させてたってのも、その思いがきっと大元にはあるんだ。…だったら俺は、それを否定なんかしないし、否定もさせない。俺の事を思ってくれた依未に、そんな悲しい気持ちになんてなってほしくないんだから。

 

「…間違ってたら悪いけどよ、要は恥ずかしかったんだろ?…そんなの普通じゃねぇか、普段はやらない事なんだから。バレンタインに手作りチョコなんて、気合い入ってますって言ってるようなものなんだから。立場が逆なら、俺だって少しは照れるし、誤魔化したりする事も考える。だから…いいんだよ、気にしなくたって。俺以外見ちゃいねぇし…俺は本気で、依未からの気持ちを嬉しく思ってるんだからよ」

「……馬鹿…そんな事言われたって、恥ずかしいものは恥ずかしいし…」

「それは…まぁ、そうか……」

「…けど、そう言ってくれるのは嬉しい…。…ありがと、悠耶……」

 

 顔を埋めたままの依未の隣に座り、依未の頭を軽く撫でる。緋奈とは違う、緋奈よりも少し小さくて、自然と庇護欲を駆り立てられる…幸せにしてやりたいと本気で思う、依未の事を。

 多分、埋めた顔では口を尖らせているんだろう。だが…俺にはちゃんと聞こえた。くぐもってはいたが…思いの籠った、ありがとうという言葉が。

 

(…こういうとこ、ほんと可愛いよな……)

 

 それから黙り込んだ依未の頭を、俺も暫くの間撫で続けた。顔が見えないから、これをどう思ってるから分からないが…静かに撫でられてるって事は、きっと悪しからず思ってくれてるんだろう。

 

 

 

 

 十数分か、数十分か。俺が頭を撫で続けていた依未は、いつの間にか寝てしまっていた。起こすのは悪いと思った俺は、依未にベットから持ってきた毛布を掛け、書き置きを残して部屋から退室。起きるまで待たなかったのは…何せ依未だ。自分が撫でられている内に寝てしまったなんて気付いたら、一体何をしてくるか分からない。であれば依未的にも、俺がいない方が落ち着く事も出来るだろう。

 廊下を通り、エレベーターに乗り、また歩いて双統殿のを出た時、外はもう暗くなっていた。という訳で、今俺はかなり急ぎめに帰宅中。

 

(やっちまったなぁ…夕飯全然支度してねぇ……)

 

 場合によっちゃ、帰りにスーパーに寄って惣菜か何かを買う方が良いかもしれない。そう考えてながら俺は家周辺の住宅街まで辿り着き…そこで、後ろから声をかけられる。

 

「あれ?悠耶?」

「んぁ?…妃乃か…」

 

 振り向いた先にいたのは、まだブレザー姿の妃乃。…って事は、妃乃も今帰るところなのか…。

 

「…珍しいな。学校で何かしてたのか?」

「ちょっとね。悠耶こそどうしたの?手ぶらって事は、買い物帰りじゃないんでしょ?」

「こっちもちょっと、依未の所にな」

「へぇ…そう、そうなのね」

 

 返ってきた質問に俺が答えると、何やら妃乃はちょっと笑って訳知り顔に。…どゆ事?

 

「あー…それとすまん、今日は夕飯作るの今からなんだ。どうする?スーパーで何か買ってくか?」

「別に遅くなっても構わないわよ。緋奈ちゃんも同じ気持ちだろうし」

「そうか?なら良いんだが……」

 

 そんなやり取りをしながら、家へと向かって俺達は歩く。何の変哲も無い、同じ家に住んでいる者なら普通の会話で……けれどなんだろうか。段々家が近くなるにつれて、妃乃はそわそわとし始める。…あ、これはまさか……

 

「…妃乃、一人で先に帰っても良いぞ」

「え?な、なんでよ…」

「何でって…俺だってそれ位のデリカシーはあるさ。やっぱ、外歩いてると身体が冷えちまうもんな」

「…デリカシー?身体が冷える?貴方、何を言って……って、は、はぁぁッ!?ちょっ、な、何を勘違いしてる訳!?違うわよ、別に催してなんかないわよ馬鹿ッ!」

「えぇぇ!?だ、だって妃乃、さっきからそわそわしてたし……」

 

 俺としては気を遣ったつもりが、結果は何故かキレられる流れに。ボケに対してこういう反応をしてくる事は時々あるし、特に下世話な冗談だった場合は基本こういう憤慨が返ってくる訳だが…今回はほんとにふざける気持ちなんか微塵な訳で、そのまま軽く気圧される俺。一方の妃乃もそう思った理由を聞くと、はっとした顔をした後何とも言えない表情を浮かべて後頭部を掻く。

 

「あー…それは、その……」

「……やっぱり本当は催してて…」

「だからそうじゃないっての!あー、もう!なんで気を伺ってるところで貴方はそういう事言うのかしらね!」

「よく分からないが物凄く理不尽じゃね!?いやほんとよく分からんが、なんで俺文句言われてんの!?」

「五月蝿い五月蝿い、はぁ……っていうかそもそも、相手は悠耶よ…?あの、単なる悠耶なのよ…?それをなんで私は、気を見計らうなんて事を……」

「えーっと…何故にさっきから、妙に一言一言が酷い訳…?妃乃、もしや俺に対して滅茶苦茶怒ってる…?」

「違うから…なんかもう馬鹿らしくなってきたし、ここで良いや…止まって頂戴」

 

 訳が分からな過ぎて変な汗が出てきそうになる中、げんなり顔で妃乃は止まるよう言ってくる。

 それがまた、よく分からない。もう家は目前だってのに、何故ここで止まるのか。止まってそれでどうするのか。俺がそう困惑し、けれど言われた通りに止まると、妃乃はある物を鞄から取り出して…言った。

 

「…はい。今年は色々あって、普段より多く作ったから…貴方にも、一つあげる」

 

 その言葉と共に渡されたのは、リボンで巻かれた赤い小箱。視線で開けても良いと示された俺が、リボンを解いて蓋を開けると、その中に入っていたのは一口ショコラ。

 

「…これは……」

「そうよ、バレンタインのチョコ。…い、言っとくけど他の人にも渡してるから。貴方の為だけに作ったんじゃないんだからね?」

「…って事は、一応作る時点で俺にもくれようとしてたのか?」

「あ……あ、揚げ足取らなくていいから!い、今のは言葉の綾よ言葉の綾!」

「そ、そっすか…ここで食べても?」

「…まぁ、良いけど……」

 

 綺麗に並べられたショコラの横には、プラの小さな二股フォーク。食べる段階の事まで考えてる辺り、本当に妃乃は几帳面というか気が回るというか、それもあって俺は外ながらもここで食べてみようという気分に。

 妃乃からの了承を受けた俺は、フォークでショコラの一つを指して、それを箱から口の中へ。入れた途端にじんわりと甘さが広がり、一口噛めばその甘さは更に広がり、けれどその甘さは決してしつこくない。食感自体も、ふんわりとしていて心地が良く……

 

「…美味しい。凄く、美味しいよ」

「…そう?そう思ってくれたのなら…ちょっと、安心したわ…」

 

 率直な感想を口にしながら、自然と俺は二つ、三つと食べていた。

 無論、緋奈や依未が作ってくれた物も美味しかった。けれどやはり経験の差か、総合的な美味しさで言えばこのショコラが一番上。この数時間足らずで三種類も食べているのに、まるで飽きたと思わないのもその証左だろう。

 

「ふぅ……って、もうないのか…」

「ぱくぱく食べてたわね…悠耶、甘いの好きだっけ?」

「いや、人並みには好きだが特別好きって訳じゃねぇよ。ただ…これが、気に入っただけだ」

「う…そう言われると、ちょっとむず痒いわね…」

 

 そうして気付けば俺は完食。寒いし一つか二つ食べて残りは家で…と思っていたのに、一つ残らず食べてしまった。

 それはつまり、それだけ美味しかったって事。それと…もしかしたら、妃乃は俺の味の好みをある程度分かっていたのかもしれない。分かってて言わないのか、それとも無意識的に理解はしてるってだけなのかまでは、流石に判別が付かないが。

 

「ま、とにかくご馳走様。ありがとうな。こんな美味しいショコラを作ってくれて」

「えぇ、お粗末様。私も喜んでくれて良かったわ。…け、けどほんとこれは皆にもあげてるものだから!悠耶だけが特別って訳じゃないんだからね!」

「わ、分かってるって……っと、そうだ妃乃。少しいいか?」

「へ?何よ、まだ何か言いたい事が……」

 

 くれた事、美味しかった事、その両方への感謝を乗せて、俺は妃乃へありがとうを伝える。するとそれを聞いた妃乃は、感謝自体は素直に受け止めながらも、再三の如く他の人にも渡してるって事を強調してくる。…案を売る為「貴方だけに」って言うならともかく、何故その逆をこんなにも強調するのだろうか…。

 なんて事も思いながら、俺は緋奈や依未と同様妃乃の頭も優しく撫でて……

 

「なっ…なぁぁ……ッ!?」

「あっ……」

 

…って、何やってんだ俺ぇぇぇぇええええッ!?な、何してんの!?何緋奈や依未と同じ流れで、妃乃の頭まで撫でちゃってんのぉおおおおおおッ!?

 

「あ、あなっ、貴方…わ、私の頭…撫でて……」

「あああすまん!いやっ、これはその、他意があった訳じゃないんだ!ただほんと、ついやっちまったっていうか、そういう流れがあっただけで……ッ!」

「……な…撫でる、なら…先にそう、言いなさいよ…」

「…………へっ…?」

「…ぅ、え…?……あ、ああああぁぁッ!!?」

 

 あまりにもアウト過ぎる、自分で自分が信じられない程の行為に、ぶわっと全身から汗が出てくるのを感じながら必死に弁明を図る俺。だがそんな程度で何とかなる訳がなく、顔を真っ赤に染めた妃乃は唇を震わせ……されどその口から発されたのは、これまた思いもしなかった言葉。その暴言でも非難でもない、消極的ながらも今の俺の行いを肯定するかのような言葉に、今度は俺が固まって……次の瞬間、間近で響く妃乃の困惑したかのような絶叫。

 油断から妃乃の頭を撫でてしまった俺と、それを肯定してしまった妃乃。互いに恥ずかしい、互いにパニクってしまって仕方がない中、心臓の鼓動ばかりがひたすら早くなっていき……そこから先はもう、どう言っていいのか分からないような惨事だった。妃乃への感謝、こうして妃乃もチョコレートを送ってくれたんだという嬉しさなんて、俺の頭からは吹っ飛んでいて、俺も妃乃もまともな思考力なんてこれっぽっちも頭に残っていないのだった。…いやぁ、全く…全然寒くないなーっ!さっきまで寒かったのに、今は滅茶苦茶暑いなー!特に頬の辺りは最早燃えてるんじゃないかと思う程だなー!ほんと、なんでだろうなぁああああぁぁぁぁッ!

 

 

…………はぁ…。


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