双極の理創造   作:シモツキ

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第百五十九話 この想いに誓って

 明かりを消し、カーテンも閉め、そのカーテンの隙間から僅かに射し込む月明かり以外は何の光源もない、殆ど真っ暗な部屋。その中で、横になった俺の傍らに、寄り添うようにして佇む緋奈。一瞬どきりとするような、そして実際、どこか幻惑的にも思える雰囲気の中、緋奈は微笑みながら俺を見ている。

 

「びっくりさせちゃってごめんね。あぁ、勿論まだ朝じゃないよ?」

 

 妹とはいえ、緋奈が勝手に俺の部屋へと入った事には変わりない。しかも雰囲気からして、何か事情があって俺を呼びにきた…とかでもない様子。にも関わらず、緋奈に悪びれる、或いは慌てる気配はなく、それどころか妙な落ち着きと共に俺へと微笑み続けている。

 

(…なん、だ…?緋奈、だよ…な……?)

 

 一見、ここにいるのは緋奈。それはよく見たら違う…とかではなく、正真正銘緋奈で間違いない。この俺が、緋奈かどうかを見極められない訳がないんだから。

 だが、何か違う。何かがおかしい。間違いなく緋奈だが、今いるのはまるで俺が知らない緋奈のような……

 

「……っ!?」

「あ、気付いた?…悪いけど、ちょっとだけ縛らせてもらったよ」

 

 訳が分からないながらも、一先ず起き上がろうとした俺。だが腕が持ち上がらない。それどころか、腕が頭の上から動かない。

 

「な……っ!?」

「それもごめんね。勿論、お兄ちゃんの事は信じてるけど…わたしも今日だけは、これだけは…絶対に、失敗出来ないから」

 

 縄か何かで両手首を縛られ、ベットに固定されている。そう気付いた瞬間背筋を駆け上る悪寒と、目を見開く俺を前にふっと真面目な顔をする緋奈。

 寝込みを襲われる。こう表現するといかがわしい事を連想する奴も多いと思うが、俺の場合まず頭によぎるのは……暗殺。

 

「…緋奈…まさか……」

「……?…あ、もしかしてわたしがお兄ちゃんを殺しにきた…って思ってる?」

「…違う、のか…?」

「違うよ?もう、そんな訳ないでしょお兄ちゃん。わたしはたとえお兄ちゃんに殺されそうになったとしても、お兄ちゃんを殺さなきゃ自分が死ぬってなったとしても、お兄ちゃんを殺したりなんかしないよ?」

 

 浮かんでくるのは、最悪の思考。緋奈が本当は何らかの理由で俺を殺そうとしていて、これまでその機会を伺っていたんだという想像。これまでの緋奈の言動は、全て演技だったんじゃないかという可能性。だがそれは、すぐに緋奈自身が否定した。嘘だとは微塵も思えない声音で、平然と言い切った。

 けれど安心は出来ない。むしろ不可解さは増してすらいる。暗殺でないというなら、一体何が理由で緋奈はここにいて、こんな事をしているのか。

 

「…何か、不満があるのか…?それとも、どうしても伝えたい…今じゃなきゃ駄目な、大切な事があるのか…?」

「…流石だね、お兄ちゃん。それは、当たらずとも遠からずかな」

「……っ…だったらこんなの必要ないだろ…。緋奈の話ならいつだって、幾らだって聞く。聞かない訳ないじゃないか。だから……」

 

 こんな事をするなんて、只事じゃない。切羽詰まった何かを緋奈が抱えてるのかもしれない。そしてそうなら、俺は放っておけない。

 そんな思いで緋奈を見つめ、その思いを緋奈へと伝えようとする俺。だが緋奈は、人差し指を俺の唇へと当てる事によって俺の言葉を断ち切り、俺の耳元へと顔を寄せて……言う。

 

「…ねぇ、お兄ちゃん…キス、しよ?」

「──っっ!?」

 

 その声が聞こえた瞬間、俺は頭が真っ白になった。あまりにも唐突過ぎて、あまりにも非現実過ぎて…何も言葉を返せなかった。

 その俺の反応を心を知ってか知らずか、ゆっくりと顔を上げた緋奈は、俺を見下ろしながら…蠱惑的に、再び微笑む。

 

「お兄ちゃんは、するのとされるのどっちがいい?わたしはどっちでもお兄ちゃんとなら嫌じゃないけど、やっぱり男らしくて頼りになるお兄ちゃんだから、されるよりする方が……」

「ま…待て…待てよ緋奈…!…本気で、言ってるのか…?」

「…冗談で、こんな事言うと思う?」

 

 ほんのりと頬を染め、自分の妹が発しているとは思えない言葉を並べ立てる緋奈に、混乱の増す俺の頭。

 冗談ならばタチが悪過ぎる。けれど冗談なら良かった、冗談であってほしかった。だがそんな俺の僅かな願いも緋奈の返しで打ち砕かれ、明らかに異常な事を言っているにも関わらず落ち着いている今の緋奈は…いっそ不気味。

 

「…どうして、そんな事……」

「…忘れちゃったの?妃乃さんが出来ない事をわたしが出来たら、凄いと思ってくれる?…ってわたしが訊いたら、お兄ちゃんそうだなって言ってくれたよね?」

「妃乃…?なんで、今それが出てくるんだ…?」

「……気付いてないんだ…酷いよね、お兄ちゃん…お兄ちゃんはわたしのお兄ちゃんなのに…お兄ちゃんは、ずっとわたしのお兄ちゃんだったのに…」

 

 分からなくなる一方の俺が訊き返すと、緋奈の表情は暗く変わる。そのまま小声で、独り言のように緋奈は呟き…それからまた、その瞳を俺に合わせる。

 

「…お兄ちゃん。妃乃さんにとって、お兄ちゃんは特別な存在だよ?わたし、妃乃さんの事自体は好きだし、尊敬もしてるから勝手に色々話す事はしないけど…妃乃さんにとってお兄ちゃんが特別なのは間違いない。…だからね、色々用意して、絶好のシチュエーションも作って、試したんだ。妃乃さんが、どうするかを。どこまで出来るかを」

「試した…?試したって、何を……」

「よく思い出してみて。今日は色々あったよね?妃乃さんとは勿論、依未さんともドキドキする事、何回もあったよね?それって、全部偶然?」

「…偶然も何も、それは実際そう……」

 

 そうだ、と言い切りかけて、俺は止まる。確かに色々あった。ハプニングだって一度や二度じゃない。…けど、果たしてそれは偶然だろうか。本当に偶然だけで起こったのだろうか。

 いや、違う。例えば番犬ゲームで依未は俺に乗っかる形となったが、それは間違いなく偶然だが……思い返せば、妃乃が言っていた。提案したのは緋奈だったと。

 それだけじゃない。その後のツイスターゲームもやろうとしたのは緋奈だ。俺に依未を泊めるという選択肢を提示してくれたのも緋奈で、俺と妃乃が買い物にという体で話を進めたのも緋奈。そして何より、そもそもの話として…クリスマスパーティーを言い出したのだって、緋奈だったじゃないか。…つまり、緋奈は…平然を装って、さも自然な雰囲気と流れで……

 

「…幾つも種を…何かが起こりそうな切っ掛けを、緋奈が蒔いていた……?」

「そういう事。わたしに物事を思い通りに進める力なんてないけど…沢山蒔けば、『結果的に』上手くいく物事も二つや三つ出てくるよね?」

 

 あっさりと言ってのける緋奈に対し、俺が抱いた思いは戦慄。

 用意された切っ掛けは、別に特別なものじゃない。誰だって出来る。けれどそれを幾つも用意し、気取られないよう自然に提示し、更には状況に合わせて新たな切っ掛けまでも作るとなれば話は別。…それを何のボロも出さず、俺にも妃乃にも依未にも気付かせないなんて……普通じゃない。

 だが、それだけじゃなかった。俺が真に戦慄したのは…そこから先。

 

「でもまさか、あんなに雰囲気が出来上がってのに有耶無耶になっちゃうなんてね…公園でのやり取りは、わたしも少し…ううん、かなり焦っちゃった」

「公園…?…待てよ、どうして緋奈がそれを……」

「携帯。ずっと通話状態のままなの、気付かなかった?」

「な……ッ!?」

 

 その瞬間、明らかになる携帯の謎。寝る前は、記憶違いか何かだと片付けてしまったが…緋奈の言う通り、ずっと通話状態で開いていたのなら、残量が減っているのも当然の話。

 最早説明されるまでもない。緋奈は置きっ放しだった俺の携帯を通話状態にしたんだ。それをバレないようにする為の策として、上着へと携帯を入れ、その上着を俺に渡してきたんだ。そうして俺と妃乃のやり取りを盗聴し…恐らくは、俺が風呂に入っている間に通話履歴を消去した。…今この瞬間に至るまで、微塵も俺に気付かせないまま。

 

「これに関しては、本当に謝らなきゃいけないよね。ごめんなさい、お兄ちゃん」

「……なんで、だよ…」

「え?」

「なんで、そこまで手の込んだ事をしてんだよ…!そこまでして、そうまで試して、緋奈は何を…」

「──示すんだよ。お兄ちゃんは、わたしのお兄ちゃんだって事を」

 

 両頬へと手を当てられ、一気に近付けられる顔。吐息がかかり合うような距離で、それを気にも留めずに緋奈は続ける。その瞳に浮かんでいるのは……歪んだ光。

 

「妃乃さんは、結局最後の一歩を踏み出せなかった。それが踏み出せなかったのか、わたしの見当違いだったのかは分からないけど……わたしは違うよ、お兄ちゃん。わたしは、妃乃さんとは違う」

「……っ、待て…待てって緋奈…!」

「ねぇ、見て。わたしを見て。わたしは躊躇わないよ、踏み出せるよ?お兄ちゃんなら、お兄ちゃんが見ていてくれるなら、わたしは何だって……」

「待てって…言ってるだろ……ッ!」

 

 逃さないよう俺の両頬に手を当てたまま、更に近付く緋奈の顔。降りてくる緋奈の唇。

 避けられない、振りほどきようもない。でも駄目だ。だからってこのまま許してしまう事だけは、絶対にしちゃいけない。その思いで俺は心を鬼にし……ヘッドバット。軽くだが、額を緋奈の鼻へとぶつける。

 

「ふきゃっ……!」

「…悪い、緋奈…でも、頼む…冷静になってくれ……」

「…冷静……?」

「あぁそうだ。おかしいだろ…そもそも話が、一番根っこの部分が見えねぇよ…俺は緋奈の兄貴だ。それはいつだって変わらねぇし、兄である事を止めた事なんざ一度もねぇ。…そうだろ?緋奈。確かに、小学生の頃に比べりゃべたべたする事も増えたし、それが嫌だってならこれからは気を付けるが……俺はずっと、緋奈のお兄ちゃんとして変わらずにいただろ?」

 

 鼻を押さえる緋奈を見つめながら、俺は訴えかける。緋奈なら誤魔化さず、真摯な言葉をぶつければ、きっと分かってくれるから。俺と緋奈との間にある、兄妹の絆はそれ程のものだと思っているから。

 そうだ、俺が…兄の俺が動揺してどうする。兄なら、緋奈が安心出来るようにしていなくちゃ駄目だろうが。それに緋奈は素直で、俺よりもずっと立派な人間だ。だからきっと、俺が真摯に話せば、緋奈の事を信じて伝えれば、緋奈は俺の言葉を分かってくれ──

 

「……違うじゃん…」

「え……?」

「そんな事、ないじゃん…お兄ちゃんは…お兄ちゃんは、変わっちゃったじゃんッ!」

「……っ!?」

 

 そんな俺の、そう思っていた俺の心へと叩き付けられる、緋奈の怒号。それまではずっと、何かおかしくとも穏やかだった緋奈の雰囲気が、その瞬間からまるで別人かと思う程に豹変する。

 

「変わったよ、変わったよお兄ちゃんはッ!でも、最初はそれでもいいかなって思ってた!何もかも、何一つ変わらずにいられる訳がないもん!お兄ちゃんが明るくなって、人の輪を広げられているなら、それは妹としても嬉しいもんっ!でもわたしは信じてた!どんなに沢山の事が変わっても、一番大事なところは…家族を一番に思ってくれる心だけは変わらないって!あの時みたいに、わたしの側にいてくれるって!」

「…緋奈…けど、それは……」

「なのに、なのになのになのにッ!何でお兄ちゃん、妃乃さんの事を話した時、あの笑顔を…わたしにだけしか見せてこなかった、わたしだけの笑顔をしたのッ!?あれは、その思いは、わたしにだけ向けてくれるんじゃなかったの!?ねぇ、ねぇッ!」

 

 ぶつけられるのは、剥き出しの感情。怒りなんてものじゃない、マグマの様に煮え滾る思いが、言葉となって俺を襲う。

 正直、俺は気圧されていた。緋奈の迫力に、見た事のない緋奈の形相に。…緋奈にこんな一面があるなんて…思いもしなかった。

 

「わたしは信じてたのにっ!お兄ちゃんは、お兄ちゃんだけはいなくならないって!約束してくれたからっ、俺は離れないって…いつまでも側にいるって……そう言ったよねぇ…?約束、してくれたよねぇ……?」

「……ッ…言ったよ、約束したよ…だから…」

「…嫌だ…お兄ちゃんまでいなくなるなんて嫌だっ!渡さない、渡さないよお兄ちゃんはっ!妃乃さんにも、依未さんにも、誰にも渡さないッ!ずっと側にいてよ、一緒にいてよっ!じゃなきゃ、じゃなきゃ……わたし…今度こそ…一人に、なっちゃうよぉぉ…っ!わたしを、置いてかないでよお兄ちゃぁん…!」

「…緋、奈……」

 

 俺の肩を掴み、引き裂かんばかりに揺すったかと思えば、ゆらゆらと揺れながら、生気のない声で俺に問いかける。だが俺の答えは聞かずに俺へと再び言葉を叩き付け、けれど今度は事切れたように俯き、俺の胸を叩きながら、震える声で俺へと訴える。その瞳に、その声に、涙の色を滲ませながら。

 そこまで言われて、そこまでの言葉と思いをぶつけられて、漸く分かった。緋奈の根底にあるのは、あの時と…両親を失ったあの時と同じ思いなんだと。悲しみ、恐怖、不安に寂しさ、そういう思いが混ざり合ってぐちゃぐちゃになった感情が、今再び緋奈の心を締め付けているんだと。

 けどそこには二つ、致命的に抜け落ちているものがある。それが抜けたままだから、これまで俺は分からなかったし、緋奈の心へと寄り添えていなかった。…が、その内の一つ…物理的な喪失は、あり得ない。俺は死ぬ訳でもなければ、どこか遠くに行ってしまう訳でもないんだから。そして、もう一つは……

 

「……だからね、お兄ちゃん…これでわたしは、取り戻すの…お兄ちゃんを、お兄ちゃんの心を…わたしだけの、お兄ちゃんの笑顔を……」

「…………」

「大丈夫…お兄ちゃんは、何も気にしなくていいんだよ…だってわたし達は家族だもん…兄妹だもん…だから戻るだけ…これで全部、元通りに……」

 

 また、緋奈の顔が近付いてくる。俺だけを見る、今の俺だけしか見えていないその瞳で、ずっと俺を見つめながら。そして、その瞳の端から、溜めていた涙が一粒落ちる。

 

(──あぁ、やっぱりかよ)

 

 何となく、そんな気がしていた。ずっと違和感あって、何かがおかしいと思っていた。一度俺は、それを俺の知らない緋奈の一面だと、俺が引き出してしまった心の闇だと思っていたが…それは、抱いた違和感の一部でしかなかった。

 もう目前まで迫った緋奈の顔を、瞳をもう一度見る。やはり、緋奈は俺しか見ていない。千嵜悠耶という、千嵜緋奈の『兄』しか見えていない。だから……

 

「……もう、戻らねぇよ。何をしたって、時を超えたって…上書きは出来ても、元通りになんか、ならないんだよ」

「え──?」

 

 俺は、緋奈の両肩を掴んで、横に倒す。そのまま俺自身も回転し…今度は俺が、上になる。

 

「…嘘…どうして……」

「前に話したが、俺も色々経験してきたからな。……甘いんだよ、縛り方が」

 

 自由になった俺の両手を見て、茫然とする緋奈。…もっとちゃんと、俺全体を見ていれば、気付けただろうよ。

 

「…俺も、信じてたよ。緋奈はどんどん成長して、どんどんしっかりしてきて、でも俺なんかを慕ってくれる優しい心は変わらないままなんだって」

「…そう、だよ…?わたしは前も、今も、お兄ちゃんの事を……」

「違ぇだろ。…緋奈は何も変わっちゃいなかった。成長はしても、俺を…俺を見る目は、緋奈の中の俺は、あの日から何一つ……これっぽっちも、変わってねぇじゃねぇか」

「…お兄ちゃん……?」

 

 これまで一度たりともする事のなかった、突き放すような言い方。けれど緋奈は理解していない。俺が何を言っているのか、全くもって理解出来ないという顔で、下から俺を見つめている。

 やっと分かった。今日初めて知った。緋奈は、俺に対する表面的な印象や感情こそ、時間の流れと共に更新されているみたいだが…一番根っこの部分は、自分にとっての(千嵜悠耶)は、ずっと変わっていないんだって。真に緋奈が見ているのは、今の俺じゃなく…あの日からずっと、ずっと側にいると言った俺なんだって。

 気付けなかった。或いは、気付こうとしなかった。緋奈との関係が心地良かったから。俺も緋奈も幸せな今が、変わってしまうのが怖かったから。そして何より、緋奈がそう思っている限りは…俺も、『兄』でいられるから。…だけどもう、終わりだ。気付いて、それを口にしたから…もう、元には戻らない。

 

「…さっき、言ったよな緋奈。キス、しようって」

「…うん」

「いいんだな?今ならまだ、冗談だったで済ませる事も出来るぞ」

「冗談なんかじゃないよ…わたしは、お兄ちゃんを…お兄ちゃんが、わたしの側にいてくれるなら……」

「そうか…なら良かった。……正直、俺は…緋奈を、異性としても見ていたからな」

「……ぁ、ぇ…?」

 

 それを言った瞬間、心を締め付けるのは後悔。これは言わないつもりだった。一生言う事なく、俺自身すらも『シスコン』の影に隠す事で誤魔化して終わりにするつもりだった感情。

 だが、言わなくちゃいけない。それが、散々兄だなんだ言ってた癖に緋奈の心の底を理解してやれていなかった俺の責任であり…今の俺を見てもらわなくちゃ、たとえ今この場を何とか収める事は出来ても、いつかまた同じ事が起こる。いつかまた、俺は緋奈を泣かせてしまう。

 

「俺は緋奈を、妹だと思ってる。親父とお袋を、両親だとも思ってる。けど前に言った通り、俺は元々今の時代の人間じゃない。何十年も前に生まれて、今の時代に生まれ変わった人間だ。だから…心のどっかで、ずっと『義理の家族』のようにも感じてたんだよ」

「義、理……?」

「勿論実の家族だとも思ってたがな。でも、緋奈がその気なら俺だってもう気にしねぇよ。…悪いのは、緋奈だからな…」

 

 茫然自失。そんな顔で俺を見つめる緋奈へ吐き捨てるように言いながら、俺は緋奈の太腿へと触れる。

 指先で感じる、滑らかな肌と柔らかい腿の感覚。これまで抱いた事のない背徳感で背中が熱くなって、自然に鼓動が速くなる。……っ…不味いな…これは、予想以上に…。

 

「…ぁ、やっ…お兄、ちゃん……」

「まさか、今更嫌なんて言わないよな?」

「…そ、れは……」

「…ま、嫌なら嫌でもいいけどな。結局自分が求めるばかりで俺の思いに応える気がないってなら、それが緋奈の思う兄妹だってなら、俺は諦めるしかねぇし」

「ち、違う…そんな、事……」

「でも現に、緋奈の中に俺を受け入れられるような気持ちはない。…それが紛れもない事実だろ。ならもう良いじゃねぇか。自分の思いを押し付けるだけの妹に、妹に手ぇ出そうとしてる兄なんて、ある意味お似合いじゃねぇか。だからこれまで通り、互いに勝手に期待して、表面的な仲良し兄妹でもしてようぜ」

 

 脚の付け根、その直前にまで伸びていた指を脚から離して、俺は緋奈の上から降りる。諦めたように、全ての期待を捨てたように。

 そして、ベットからも立ち上がろうとする俺。自分の言葉で、行いで心が荒む中、俺は緋奈から離れようとして……次の瞬間、掴まれる腕。

 

「…や、だ…待ってよ、待ってよお兄ちゃん……」

「…何だよ。もう、話は……」

「終わってない…終わってないよ…っ!やだ、やだやだ行かないで…っ!わたしもう勝手な事言わない…っ!もっと良い子になるからっ、お兄ちゃんの気持ちも受け入れるからっ、もっともっとお兄ちゃんに良い妹だって思われるようにするからっ…!だから…だからっ…わたしを一人に、しないでよぉぉ……っ!」

 

 終わった。そんな事は言わせないとばかりに俺に縋り付いて、追い詰められた顔で、今にも泣き出してしまいそうな表情で、緋奈は言った。何度も何度も、親に見捨てられる事は怯える子供のように、言われているこっちが切なくなってくる位に、自分の兄を引き止めた。

 それから、緋奈は泣き噦る。嗚咽を漏らして、大粒の涙を流して、言葉にならない声を上げて。あの時と同じように。絶対に、何があっても一生緋奈を守ると誓った、あの日と同じように。だから、だから……

 

「…ばーか。俺が本気で、本心からこんな事言う訳ないだろ……っ!」

 

──だから俺は、緋奈を抱き締める。胸の中に抱き寄せて、両腕を背中に回して、離さないように、離れないように、強く強く。

 

「で、でもっ…だって、お兄ちゃん……」

「ああ、ごめんな…怯えさせちまって、怖がらせちまって、ごめんな緋奈…。でもな、俺はちゃんと知っておきたかったんだ。緋奈が俺をどう思ってるのかを。俺も緋奈に知ってほしいんだ。緋奈をどう思ってるかを。けど…あぁ、くそっ…駄目だ、駄目だなぁ俺は…結局緋奈を、また泣かせちゃったじゃねぇかよ…っ!」

「…っ、ぅ…うぁ、うぁぁ……っ!」

「だけど、だけどな緋奈…どう思ったって良い、どう感じてくれたって良い…緋奈にどう思われようが、俺は心から緋奈を大事に思ってる…っ!諦めるかよ、代わりなんているかよ…こんなに大事だって思える妹は、緋奈以外いる訳ねぇよ…っ!」

「……っっ!お、兄ちゃん…お兄ちゃん、お兄ちゃん…ぅ、あ…うぁああああぁぁっ!うわぁぁぁぁぁぁんっっ!」

 

 恥ずかしいなんて思わない。体裁なんて気にもならない。ただただ今は、俺の気持ちを伝えたい。それだけの思いで、俺は俺の気持ちを吐露し、更に強く抱き締める。俺は緋奈が、大切だから。

 その俺の腕の中で、胸元で、緋奈もまた更に強く泣き濡れる。その声で、涙で胸の中に溜まっていた思い全てを吐き出すように。俺に思いをぶつけるように。…だから俺も、受け止める。緋奈も、緋奈の気持ちも、全部全部。

 ちゃんとした話はしていない。俺も緋奈も、勝手に思惑を巡らせて、勝手にその思いをぶつけただけ。…だがそれでも、通じるものがある。伝わる気持ちがある。俺はそう、信じている。

 

「う、ぅぅ…ぐ、すっ…ひっく……」

 

 そうして、五分か十分か、或いはそれ以上か。緋奈はひたすら泣き続け、俺はその緋奈を抱き締め続け、揺れる感情に触れ合った。涙が枯れて、泣き疲れて、俺の服の背を掴んでいた両手の力が弱くなってきた頃、俺はゆっくりと緋奈の頭を撫でて…静かに訊く。

 

「…少しは、落ち着いたか…?」

「……うん…」

「…もう、涙は出し切ったか…?」

「……多分…」

「そっか…」

 

 服に顔を埋めたままの、くぐもった声。その声で返答を貰った俺は、一度天井を見上げて、小さく息を吐いて……言葉を、続ける。

 

「…さっき言った事は、全部事実だ。俺は緋奈を心から血の繋がった妹だと思ってるが、その裏側で異性として見ている俺もいる。俺があの日以降、色々過剰な事をするようになったのは、緋奈の寂しさを少しでも紛らわせてやろうって思ったのもあるが…異性にはそうそう出来ない、妹だからこそ出来る行為をする事で、俺自身を誤魔化してたんだよ…」

「…………」

「それに…緋奈にしか見せない笑顔を、妃乃の話をしている時にしたってなら…それは、偶然じゃない。妃乃も依未も…今の俺にとっては、大事な存在なんだ。出会えて良かったって思ってる、この繋がりは絶対に失いたくないって思う程の、大切な相手なんだ」

「……っ…じゃあ…やっぱり……」

「でも、だからって緋奈はもういい…なんて訳あるかよ。俺の中で緋奈の価値が落ちたなんて訳ねぇし、そもそも上も下もねぇよ。…親父とお袋は、俺が…どうしてもどうしても欲しかった、ずっと夢見ていた、俺の両親に…俺の家族になってくれたんだ。緋奈も家族に、俺の妹になってくれたんだ。本当に夢みたいな時間をくれて、その上で緋奈は今も俺の側にいてくれている。緋奈が俺や親父達を思ってるのと同じ位、俺も緋奈や親父達の事を思ってるし……最初っからずーっと、緋奈は俺の中でかけがえのない妹なんだよ」

 

 今の俺は千嵜悠耶だが、そうじゃなかった頃の俺もいて、今の人生はそこから続いている、そこからの続きの人生だ。その続きの人生だから、肉親でありながらどこか他人にも思えているんだ。

 これまでなんだかんだ言ってきたが、妃乃や依未も俺にとっては大切な存在だ。死ぬ気はないが、二人の為なら俺は命だって懸けられる。今の俺には、それ位に思える相手なんだ。

 そして何より、俺は三人に感謝している。家族の幸せをくれた三人には、感謝してもし切れないし、この思いは生涯変わる事がないと宣言出来る。

 

(そうだ、これは全部俺の思いだ。この全部の思いがあって、他にも色んな思いを持ってる、それが俺なんだ。今の、千嵜悠耶なんだ)

 

 どうしようもない。だってそれが、偽らざる俺の思いだから。それが俺ってものだから。色んな人に育てられて、鍛えられて、支えられて…それで今の俺があるんだから。

 

「…緋奈。さっきも言ったが、変わったものは元の通りになんか戻らない。俺はいつまでも、あの時の俺じゃいられないし、それは緋奈だって同じ事だ。けどさ、変わる事は失う事じゃないんだよ。緋奈が今も親父とお袋の事を思っているように、俺も家族で過ごした時間を覚えてるように、大切なものは色褪せる事なく残り続けて、柱として今の自分を支えてくれるんだよ」

「支えて…くれる……?」

「少なくとも、俺はそう思ってる。俺自身の中じゃ、そうなってるんだって言える。だからさ、緋奈があの時の俺を求めるなら、俺はそれに答えられないが、あの日から続く…いや、緋奈が俺の妹として生まれた時からずっと続いてる、今も積み重なっていってる、全部ひっくるめた俺を好きになってくれるなら……俺達は絶対、前に進める。唯一無二の兄妹として、進み続けられるし、俺はそうありたいと願ってる。…どうだ?緋奈。緋奈は…どうしたい?」

 

 顔を上げた緋奈に、俺は問う。徹頭徹尾、俺の持論でしかないが…同時に俺が積み重ねてきた俺なりの言葉で、俺だけの思いで、見つめる緋奈へと手を伸ばす。

 後はもう、緋奈次第。掴んでくれるか、背を向けるか、それは緋奈の選ぶべき事で…だがどんな選択をしようと、俺の気持ちは変わらない。緋奈への想いも、俺の中じゃ色褪せない柱なのだから。だから俺は…答えを待つ。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん。わたしはね…お兄ちゃんが、好き」

「……あぁ」

「これは、家族愛だよ。お母さんも、お父さんも大好きで…だけど二人がいなくなっちゃってから、お兄ちゃんがずっと側にいてくれるって言ってくれたあの時から、もっともっとこの気持ちを強く意識するようになったの。兄妹愛とか、家族愛とか、そんな言葉じゃ収まり切らない位、お兄ちゃんが大好きで……だから、怖かった。お母さんとお父さんがいなくなった世界で、残ってくれたお兄ちゃんまで、お兄ちゃんの心までわたしから離れていっちゃうのが…一人になっちゃうのが、怖くて怖くてどうしようもなかった…。…それは、今も同じだよ…」

「…俺だってそうだ。緋奈を失う事なんて考えたくないし…そんな世界、絶対に嫌だ」

「…前に、進めるのかな…?わたしの中で、この大切な気持ちが、消えちゃったりしないかな…?」

「大丈夫だ。それは俺が保証する。守ってみせる。…大切な、緋奈の願いならな」

 

 緋奈の言葉は、胸の中へ染み入るようだった。漸く俺は、緋奈の心の底に触れられたような気がした。

 最後に緋奈が言葉へと込めたのは、未来への不安。守ってきたものが壊れてしまうんじゃないかという、進む事への恐れ。だから俺は、言い切った。きっととか、極力とか、そんな言葉は全て捨てて…俺は誓う。兄として、男として、家族として。そして……

 

「…そ、っか…それなら…大切な、お兄ちゃんがそう言ってくれるなら…信じて、みようかな…頑張って、わたしも…進んで、みようかな……」

 

 やっと浮かぶ、見慣れた…いつも俺に元気をくれる、緋奈の笑顔。その瞳の端からは、最後の涙の雫が一粒落ちたが…今はそれも、緋奈の笑顔を…踏み出そうとする緋奈の決意を、強く輝かせているように見える。…あぁ、そうだ。緋奈は掴んでくれたんだ。俺の伸ばした手を、自分の意思で。

 

「…ありがとな、緋奈。ずっと、俺の事を想っていてくれて」

「ううん。お兄ちゃんこそ、ありがとね。ずっとわたしの、側にいてくれて」

「おう。…これからは、一緒に進んでいこうな」

「うん…っ!」

「よし…って、なんだまた泣いてるじゃないか…出し切ったんじゃなかったのか?」

「う…多分、って言ったでしょ……?」

 

 泣き過ぎて腫れてしまった瞳から、それでもまた涙を零す緋奈。肩を竦めながらティッシュを渡すと、緋奈は少し口を尖らせて反論。それ聞いて、「しょうがないなぁ」と俺が苦笑すると、緋奈もまた笑って……今の俺は、断言出来る。たとえ涙で濡れていようと、目が腫れぼったくなっていても……今の緋奈は、最高に可愛いと。

 

「…久し振りに、二人で寝るか?」

「え…?…いいの……?」

「いいのってか…どっちかっつーと、俺が訊いてるんだけどな…」

「そ、そっか…ふふっ、それじゃあ顔だけ洗って……」

「…っとそうだ、緋奈」

「うん?なぁに、お兄ちゃ──」

 

 元気を、笑顔を、繋がりを取り戻した緋奈は、穏やかな笑みを浮かべつつひょいと俺のベットから降りる。だがそこで俺は緋奈を呼び止め、何気なく振り返った緋奈の唇へと顔を寄せ……ほんの一瞬、刹那よりも短い時間…………

 

 

 

 

 

 

「…えっ…ふぇっ……?」

「…クリスマスプレゼントだ。愛してるぞ、緋奈」

 

 目を丸くし、次の瞬間一気に赤面していく緋奈ににやりと笑いつつ、俺は言う。……ごめん親父、お袋…でも俺、絶対に緋奈を幸せにするから。それがどういう形になるかは分からねぇし、緋奈と同じ位妃乃と依未も大切だが…それでも息子として、ちゃんと二人が胸を張れるような生き方をするからよ。

 

「なっ、あ、んにゃっ……!?」

「これはまた想像以上にショートしてるな…もっかい言ってやろうか?」

「い、いいよっ!それはそれで嬉しいけど今は止めてっ!…あ、後…それって、妹として…?それとも……」

「さぁて、それはどうだろうな」

「ちょっ…はぐらかさないでよお兄ちゃんっ!ねぇ!」

 

 テンパった顔で肩を揺すってくる緋奈に対し、俺は涼しい顔。……実際には窓を突き破って庭で転げ回りたい位精神がヤバい事になってるんだが…流石にここは格好付ける。だって俺、格好良いお兄ちゃんだし。

 

 

 そうして、俺達のクリスマスパーティーは…そして、深夜の出来事は幕を閉じた。

 俺は、この日を忘れないだろう。出会えて良かったと心から思える三人と過ごした、愛する妹と共に進む事を誓った、この日の事を。


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