双極の理創造   作:シモツキ

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第百五十八話 心の向く先

 考えてみれば、自分も随分と変わったなと思う。人は日々変わるものだけど、同時にそう簡単には変わらない事も沢山あって、少なくとも去年の私ならクリスマスイブの時間を空ける為に仕事を調整するなんて事はしなかった。

 勿論、去年まではクリスマスイブと言っても別段何かをする訳じゃなかったから、というのもある。あってもせいぜい毎年せがんでくる綾袮と軽いプレゼント交換をする位で、私にとってクリスマスイブは『世間ではイベントとして扱われている日』位の認識でしかなかった。

 だけど、今年は違う。今年はパーティーをしていて、今年のクリスマスイブは私にとって、『楽しみな日』だった。誘われて…というか緋奈ちゃんが提案してくれなければ多分そうはならなかったし、逆に去年までだって誰かに誘われれば参加していた可能性もあるけど、現実として去年までのクリスマスイブと、今年のクリスマスイブは違っていて、私は確かに変わっている。今の生活をする中で、ここに住むようになった事で、悠耶と霊装者として出会った事で、私はどんどん変わってきている。そしてそれを、わたしは──。

 

 

 

 

「あれ?依未ちゃんと悠耶は?」

 

 綾袮から送られてきた、いかにも楽しそうなパーティー写真を携帯で見ていた私。そこでリビングの扉が開いて、中に入ってきたのは緋奈ちゃん一人。

 

「今はお兄ちゃんが、隣の部屋を寝られる状態にしてる最中ですよ」

「あ、そうなの。悠耶って、割と面倒見がいいわよね…」

「それはまあ、ずっとわたしを見てきてくれたお兄ちゃんですから」

 

 思い浮かぶのは、文句を言いつつもしっかり準備をしてあげている悠耶の姿。その光景に軽く苦笑いをしていると、緋奈ちゃんはさらりとそんな事を口に。…悠耶は分かり易くシスコンだけど、緋奈ちゃんも地味にブラコンの気があるのよね…。

 

「…まぁ、何にせよ…楽しいわね、今日は」

「はい。わたしもここまで盛り上がるとは思ってませんでしたし、結構ドキドキもしました」

「ドキドキ?…あぁ、確かに言われてみるとそういう場面も多かったわね…ふふっ」

 

 今日一日の事を思い返すと、自然に零れる小さな笑い。それは私が、本当に楽しんでいたんだって証明で…こんな時間を過ごさせてくれた緋奈ちゃんには感謝しかない。

 

「…ほんと、やって良かったって思えるパーティーになったと思います。いや勿論、わたしは提案しただけですけど…」

「しただけ、って事はないわよ。何をするにも最初の一歩が一番肝心で、緋奈ちゃんはその一歩目を担ってくれたんだもの」

「…そうですか?」

「そうよ。だからありがとね、緋奈ちゃん」

 

 そんな事を言われるとは思っていなかったとばかりの表情をする緋奈ちゃんに、私ははっきりと感謝を伝える。伝えたいと思ったから、抱いた気持ちをそのまま告げる。すると緋奈ちゃんはわたしをじっと見つめた後、神妙な顔になって……

 

「…妃乃さん。もう一度、聞かせて下さい。妃乃さんは…お兄ちゃんを、どう思っていますか?」

 

 パーティーの提案よりも少し前にした話を、今一度口にした。

 今、それを訊く意図は分からない。でも緋奈ちゃんの顔は真面目そのもの。だから私も今一度、しっかりと考えて…答えを口にする。

 

「…今も、あの時と同じように思ってるわ。どうと思うところも多いけど…それでも悠耶は、強くて凄い人だって」

「…本当ですか?」

「本当よ。それに悠耶が強い事は、緋奈ちゃんだってよーく知ってるでしょ?」

「…そうですね。えぇ、はい。お兄ちゃんの強さ、凄さは妃乃さんよりも知っているつもりです。…じゃあ、その…お兄ちゃんの事、大切な相手だとは…思って、いますか?」

「へ?…た、大切……?」

「大切、です」

「……そ、そうね…大切だとも、思ってるわ…」

 

 こういう話は気恥ずかしくもあるけど、だからって適当な事を言うのは緋奈ちゃんにも悠耶にも不誠実だし、緋奈ちゃんが茶化したりする子じゃない事は知っている。

 そんな思いではっきりと私が答えると、緋奈ちゃんは続けてもう一つ言う。それは答えるとなると一つ目以上に恥ずかしくなる問いだったけれど、緋奈ちゃんの真剣さは本当に伝わってきて…その問いにもまた、私は答えた。少しばかり、頬が熱くなるのを感じながら。

 

「…こ、こほん。けど、なんでまたそんな話を?もしやまた何か不安でもあるの?」

「いえ、そうじゃなくて…その……」

「……?」

 

 取り敢えず質問に答えた私は、今度はこっちの質問を口に。すると緋奈ちゃんはまず否定した後、私からは表情が見えない方向へと顔を向けて…それからまた、私の方に。

 再び浮かんでいる真面目な顔。それに私が内心身構える中…緋奈ちゃんは、言う。

 

「今の話…お兄ちゃんにも、伝えてあげてくれませんか…?」

「うぇ…っ!?い、今のって……」

「分かってます、わたしが凄く無理なお願いをしてるって事は。…でも、お兄ちゃん言ってたんです…お兄ちゃんも、妃乃さんの事は凄いって言ってたんです。その妃乃さんに、クリスマスイブに、妃乃さんからの気持ちを知ったらきっと…それを切っ掛けにもっと自分を振り返ってくれて、見つめ直してくれて……それでお兄ちゃんの不安な部分が、ちょっとでも変わるんじゃないかって……」

 

 話す内容は同じでも、本人の前とそれ以外とじゃ全然違う。本人の前じゃなくても恥ずかしいのに、本人の前で言うなんて、出来る事ならしたくはない。

 でもそれに理解を示しながらも、緋奈ちゃんは声に感情を籠らせて言う。それが、私が伝える事が、悠耶を変える事になるかもしれない、と。

 緋奈ちゃんは不安と言った。でもこれは、危うい部分と言い換えても良いと思う。…悠耶には、そういう部分があるから。私もそんな危うさには不安を感じていて…もし何とかする事が出来るのなら、私だってそうしたいから。

 

「…そういう事ね。そういう事なら……えぇ、分かったわ緋奈ちゃん。上手くいくかは分からないけど…やるだけやってみるわ」

「……すみません、妃乃さん」

「いいのよ、緋奈ちゃんの気持ちは分かるし」

「…そういう事じゃないんです。それにわたしは…妃乃さんが思っているような人間でもありませんから…」

「え…?それって、どういう……」

 

 真摯な緋奈ちゃんからのお願いに、しっかりと一つ頷いた私。けど返答の謝罪に気にしないでという旨の言葉を返すと、何故か緋奈ちゃんは影のある表情になって……でもその直後に依未ちゃんと悠耶が戻ってきた事で、私はその意味を聞けず終いだった。

 

 

 

 

 一泊とはいえ、人を泊めるんだったら家主として適当な事は出来ない。それに何かあったら困るという事もあって自室の隣を即席の客間とした俺は、依未と共にリビングへと戻ってきた。

 で、その数分後。風呂の順番を決めたところで、俺は緋奈からある事を頼まれる。

 

「…買い物?今からか?」

「ごめんね。でも女の子は色々と必要になるって事は、お兄ちゃんも分かるでしょ?」

 

 その内容は依未の為に何やら買ってきてほしいというもので、ふと見てみれば依未がこちらへちらちらと視線を送っている。分かるでしょ?…って言われてもあんまり分からないが…ここは頷いておこう、うん。

 

「あ、あぁ…けどそれ、俺でいいのか?そういう事なら、妃乃の方が良いんじゃないか?」

「お兄ちゃん…こんな時間に、妃乃さんを一人で行かせる気?」

「あー…了解、行ってくる」

「お願いね、お兄ちゃん。はいこれ上着」

 

 納得の理由を返された俺は、もう一度頷きお願いに同意。緋奈から上着を受け取って…って、準備良いなぁ…。

 

「妃乃さんも、お願いします」

「任せて。緋奈ちゃんも、私達が出てる間依未ちゃんを頼むわね」

「ひ、妃乃様…いやまぁ、ご尤もではありますけど……」

「何かあればすぐ電話しろよ…っとそうだ、携帯をテーブルに置きっ放しに……」

「なってたから、上着のポケットに入れておいたよ」

「緋奈…ほんと気が回る妹だよ、緋奈は……」

 

 気配りばっちりでほんと俺の妹なのか時々疑わしくなる緋奈にしみじみとした思いを抱きながら、俺と妃乃は玄関へ。

 

「うー…一層冷え込んでるなぁ……」

「こうも寒いと、戦闘にも少なからず支障が出るのよね…」

「うん、それは分かるが最初に言うのが戦闘への影響って…女子として、それでいいのか…?」

「う…さっさと行くわよさっさと…!」

 

 返す言葉がなかったのか、ずんずんと歩いていってしまう妃乃。その子供っぽい反応に苦笑しつつ、俺もすぐに追って隣へ。

 何を買うかは知らないが、それは妃乃が聞いてるとの事。つまり俺は単なる付き添いで…後は重い物があったら、それを持つって事位かね。

 

「にしても、ほんと寒いなぁ…こりゃ降るんじゃねぇの?」

「雪が?」

「金の雨が」

「いや…やるならやるでちゃんとポーズ取りなさいよ…それじゃよく分からない時のジェスチャーじゃない……」

 

 両腕を軽く開きながら一言で返すと、妃乃からは半眼での呆れ突っ込みが返ってくる。…伝わるのね……。

 で、それから十数分後。店に着き、待機を命じられた俺がボケーっと待っていると、買い物を終えた妃乃が戻ってくる。

 

「うーぃ、店に入る時の犬感覚で待たされてた悠耶ですよー」

「何拗ねてるのよ…一緒に来たかった訳?店内の女性から変な目で見られる事になるかもしれないのに?」

「いや、うん…それは勘弁…」

 

 よく考えたら酷い扱いだよなぁと思って不満っぽい声を出してみたら、ぐうの音も出ない返しをされてただただ普通の反応をするしかないという結果に。…なんか最近、妃乃が俺の弄りやボケに慣れてきたせいか反撃受ける機会多くなった気がするな…俺ももっと捻ったり予想の外を突いたりしねぇと……。

 

「…こほん。んで、何を買った…かを訊いちゃ妃乃だけに話した意味がないな。重くはないか?」

「ありがと、でも軽いから大丈夫よ。うっかり中が見えちゃった、ってなっても困るし」

「まぁ、それもそうだな。…んじゃ、帰るか」

 

 他に買う予定の物はなく、店内は温かいとはいえ、今は真冬の夜。遅くなれば更に冷える訳で、となればまったりしている理由もない。という訳で俺達は外に出て、当然行きと同じ道を通って家へ向かう。

 

(……ん?)

 

 だがそれから暫くしたところで、俺は違和感を抱いた。さっきから無言の妃乃に、何か変だな…と感じた。

 何も俺と妃乃はべたべたするような関係じゃないし、生活する中で無言の時間ってのもそれなりにある。けれど何というか、今の無言は特に話す事がないから生まれる結果的なものとは違うような気がして……俺が何かあったのかと訊こうとした直前、妃乃は立ち止まって口を開く。

 

「…ね、ねぇ…ここ、何かと縁のある公園よね……」

「うん?…あー、確かにな……」

 

 ここというのは、今俺達が歩いていた道路に面している公園の事。俺が一度は妃乃からの話を断って、夏休み明けには緋奈が魔物に襲われた…あの公園。

 

「けど、それが何だってんだ?今日は単に通りかかっただけだろ?」

「それは、そう…なんだけど……」

「…何か、あるのか?」

 

 問いに対して妙に歯切れの悪い妃乃。何かあるのか、その思いが強くなった俺は妃乃に向き直ってから改めて訊き…それに妃乃は無言で首肯。話半分で聞くべきような事じゃないと感じた俺は、妃乃を連れ立って公園の中に。

 

「…飲むか?」

「ううん、いいわ…そんなに長く話すつもりはないから……」

 

 自販機の前に立って訊くと、妃乃は首を横に振って否定。だから俺も買うのは止め、少しだけ俯く妃乃を見つめる。

 

「…………」

「…………」

 

 十数秒間の静寂の中、俺は待った。何となくだが、今は妃乃の中にあるのは自分から言い出せないような事じゃない。そう思ったから、俺は妃乃が言い出すまで何も言わなかった。そして俺が見つめる前で、妃乃は顔を上げ……

 

「…悠耶。貴方は…私の事、どう思ってる…?」

「え……?」

 

 緊張の感じられる面持ちで、でも目は逸らす事なく、妃乃は言った。思ってもみない、俺への問いを。

 

「ど…どう、って……」

「…私は貴方の事を、認めてるわ。馬鹿だし、性格も曲がってるし、無茶もするけど…それでも私は、悠耶を凄いと思ってる。だって私は…貴方に、助けられたから。あの時は勿論、普段から些細な事で貴方の手を借りたり、手伝ってもらったりしてるから」

 

 急な質問に戸惑う俺の前で、妃乃は続けて言う。自分は、凄いと思っているって。助けられてるって。

 

「…それは…それを言うなら、俺だってそうさ。一番最初に助けられたのは俺の方だし…妃乃がうちにいる事、それ自体が俺や緋奈を助けてくれてるんだからよ…」

「そうね。でもだからって、私の気持ちは変わらない。…言っとくけど…わ、私がこうして面と向かって言うなんて、そうそう無いんだからね…?」

「お、おう…それはそうだろうな……」

「…それはどういう意味よ……」

「い、いや別に深い意味はないけど…」

 

 まさかこんな話になるとは思ってなかったから、まさか妃乃からこんな事を言われるとは思ってもみなかったから、どうにも返しに詰まってしまう俺。一方の妃乃も取り敢えず言う事が終わったからか、黙ってしまって…再び静寂に。

 こういう静寂は気不味い。何かで話を続けたくなる。で、迷った末に俺が口にしたのは…ありきたりな、感謝の言葉。

 

「…え、と…その…ありがと、な。今、妃乃が言ってくれた事は…正直、嬉しかった…」

「…そ、そう……?」

「そりゃ…そうだよ。だって、俺だって……妃乃の事は、凄いって思ってるんだからよ…」

 

 ほんのりと上目遣いで訊いてくる妃乃に、躊躇いながらも俺は返す。感謝から続ける形で、最初の質問…俺が妃乃をどう思っているかって問いに、頬を掻きながらも答える。

 はっきり言って恥ずかしい。これじゃ気不味さと恥ずかしさをトレードしただけ。だが、言い出しちまった以上…半端なところじゃ終われない。

 

「凄いと思ってるし、尊敬もしてる…これまで生まれ変わってからは普通の生活をしてきた俺なんかとは比べ物にならない程の苦労をして、不愉快な世界もきっと見てきて、今だって多くの責任を背負ってるだろうに、そんな事を微塵も感じさせない…俺よりずっと普通の生活もちゃんとしていて、両立させて、どっちも充実させてる…そんなの、凄いに決まってんじゃねぇか。尊敬するに、決まってるじゃないか」

「そ、それは…別に…私一人の力じゃないし、私は時宮の人間である事に誇りを持っているからこそ、大変な事も耐えられたって面もあるし……」

「そういう謙虚で、力も地位もあるのに欠片もそれを鼻にかけないのも尊敬出来る理由の一つだ。実力とか、自分で掴んだものには常に自信を持ってるからこそ、一層それが際立つしな」

「……っ…そ、そんな事まで…?」

「そんな事までだ。けど……ぶっちゃけ、ここまで言った事は全部、二の次三の次の理由だ。一番は…その、何だろうな…自分でも上手く言えないが……俺はさ、信頼してるんだよ。時宮妃乃って人間の全てを」

 

 ほんと、恥ずかしい事を言っている自覚はある。普段なら言えないし、性格がひん曲がってる俺は言える訳がない。…けどそれでも、今は言いたかった。妃乃にありのままの気持ちを伝えられて…あぁ、そうだ。思ったんだ。俺も、その気持ちに応えたいって。俺も俺の気持ちを、伝えたいって。妃乃に…聞いてほしい、って。

 

「普段の妃乃も、戦いの中での妃乃も、どっちも俺は信頼してる。勿論それは宗元さんや時宮家なんか関係なしに、だ」

「…………」

「だから…だから、さ…あー、だから……これは、依未とかにも言える事だけどよ…妃乃と出会えて、こうして一緒に生活出来てる…そういう意味じゃ、俺がまた霊装者になっちまった事も、決して不幸なだけじゃなかったんだって思える…って、いうか……」

 

 重ねる言葉。積み上げていく思い。妃乃へと伝えた、俺の気持ち。それ等は全て、嘘偽りのない本心で、だからこそ止まらなくなっていて……でも最後には、止まる。最後まで行き着けば、次の言葉は出てこなくなる。そして……爆ぜるように、一気に俺の頭の中を占領していくのは…羞恥心。あ、駄目だ…これは駄目だ…マジで、マジでマジでマジで……恥ずかし過ぎるッ!!

 

「う、うんまあその…そういう事だっ!なんかよく分からんくなってきたけど、以上!っていうかうん、いっその事今のは聞かなかった事にしてくれても……」

「……ゆ…悠耶…っ!」

「…ぅ、え……?」

 

 濁流の如く一気に思考を押し流し埋め尽くしていく羞恥心にどうかなりそうだった俺は、もう勢いのまま強引に話を締め、とにかく思い付いた言葉を考えなしに並べ立てた。

 とにかく終わりにしたい。これ以上は本当に顔から火が出てきてしまう。いやほんと、霊力で編まれた炎的な何かが出てくるって!

…と、後から考えれば意味不明としか思えないような思考をしてしまう位にはテンパっていた俺。だがそんな俺の思考は不意に…何かこれまでに感じた事のない雰囲気を見せる妃乃によって、全く意図しない形で切り替わる。

 

「…何よ、それ…こっちから言い出した事で、私はちょっとしか言ってないのに…なんで、そこまで…しかも、信頼してるとか…出会えて良かったなんて…そんな、そんな事言うなんて…ズルいじゃない……」

「…え…い、いや…出会えて良かったとまでは……」

「…違うの……?」

「……ち、違わない…けど…」

 

 胸の前で両手を握った妃乃の、心の内を漏らすような…霊装者ではなく、一人の女の子としか思えない声と表情。それに羞恥心とか混乱なんて忘れた俺が戸惑いながら言葉を返すと、妃乃が浮かべる悲しそうな顔。それは可憐で、思わず見惚れてしまいそうな儚さもあって、俺は捻りもない返しと共に首を振るので精一杯。

 

(……っ…なんだこれ…妃乃って、こんな顔もするのかよ…こんな、こんな……)

 

 どくん、と跳ねる胸。前から妃乃は整った容姿をしているとは思っていたが…今は格好付けてなんかいられない。妃乃が、可愛くて可愛くて仕方ない。俺にとって一番可愛いのは緋奈の筈なのに、その緋奈と同じ位…妃乃の事を、可愛いと思ってしまっている自分がいる。

 そして俺が何も言えなくなる中、妃乃は俺を見つめている。見つめたまま、震える唇をゆっくりと開く。

 

「悠耶…わ、私…貴方を…貴方、と……」

 

 妃乃は今、何か凄く大切な事を言おうとしている気がする。にも関わらず、俺の目は唇を、艶めき柔らかそうなその唇の動きばかりを追ってしまう。

 ただそれでも、俺の耳は…心はちゃんと聞いていた。一言足りとも聞き逃しまいと集中していて、妃乃の声だけが俺の頭の中で響いていて、そんな中で遂に妃乃は、俺と視線を交じらせ合っていた妃乃は……

 

「……つ…す…あ…ぅ、ぁ…ぃ…ぇ…………」

「……ひ、妃乃…?」

「…ぁ…ぉ…あ、ぅ……〜〜〜〜っっ!!?!?」

「はいぃぃッ!?え、ちょっ…妃乃ぉっ!?」

 

 何故か急に、言葉に詰まり…言葉どころか単語にすらなっていない何かを絞り出した末……ぶっ飛んだ。

 

「う、ううぅぅぅぅぅぅぅぅっっ…!!」

「何!?何なの!?えぇぇぇぇッ!?」

 

 一瞬前までの空気感は、クリスマスイブの公園という、俺ですら分かる程に特別感ある雰囲気はどこへやら。その場跳びのバク宙から一切揺れる事なくしゃがみ込んで顔を両手で覆うという、凄いんだか凄くないんだかよく分からない離れ業を見せ、その後くぐもった呻きを上げる。…いや、凄いよ?やった事は間違いなく凄いんだが…凄いって雰囲気が微塵もねぇ……。

 

「おーい、妃乃ー?妃乃さーん?さっきは何を言おうとしていらっしゃったんですかー…?」

「そ、それは…あ、あれよッ!ちょっと早いけど、来年も宜しくって言おうと思ったのッ!」

「あ、あー……え、そんだけ…?」

「そんだけよッ!悪いッ!?」

「いや、悪くないっす…」

 

 顔を覆う手を離したかと思えば、凄まじい迫力でキレてくる妃乃。なんかもう訳が分からな過ぎる俺は、理不尽なキレに言い返す事も出来ず……

 

「じゃ、じゃあ…こっちこそ、ちょっと早いが来年も宜しく…」

「……う、うん…」

 

 同じ家に住んでるのに、なんでクリスマスイブに、しかも寒い公園の中で大晦日みたいな事を言ってるんだろう。……ただただ、そんな思いだけが胸の中に渦巻く俺と妃乃だった。

……この後は、お互い一回も目を合わせられなかったさ。恥ずかし過ぎて。

 

 

 

 

「はー…つっかれたなぁ……」

 

 家に帰ってから数時間。風呂を済ませ、何となーく四人で駄弁り、これまたいい頃合いかなぁっていうのを何となーく感じ取った俺達はパーティーを終わりにし、今俺がいるのはベットの上。どさりとベットに寝転がってから、自室の天井を眺めて呟く。

 

「いやほんと…俺今日、何度心拍数上がったよ……」

 

 たった一日とは思えない程濃密だった今日の事を振り返りながら、俺は軽く苦笑い。思い返すと……うん、マジで信じられねぇな。実はこれ、全部夢なんじゃね?…なんて、な。

 

(…ったく…ほんと個性的なんだよなぁ、緋奈も妃乃も依未も…)

 

 ついつい寝転がりたくなる程の疲労感。身体的というより、精神面で凄く今日は疲れた。…けど、不満はない。不満どころか、色んな意味でとにかく…本当に本当に充実していて、だからこそ感じる心地良い疲労。

 さっきは口走っちまった形だが…緋奈の兄になれた事、妃乃や依未に出会えた事、それ等全てを俺は良かったって思ってるし、そんな三人と一日楽しく過ごせたんだから、そこに不満なんてある筈もない。…あぁ、そうさ…今日は楽しい、良いクリスマスイブだったよ。

 

「ふぁ、ぁ……」

 

 段々と感じてくる眠気に一つ欠伸をして、起きるかどうかを暫し考え…寝る事に決定。目覚ましをセットすべく、携帯を手に…ってそうだ、上着に入れたまんまだったな…。

 

(…ん?…こんな充電減ってたっけ……?)

 

 仕方なく身体を起こして上着のポケットから携帯を取り出すと、残量は残り三割を切っている。けど確か、前に見た時はまだまだ余裕があった筈で……

 

「…まぁ、いいか…」

 

 でも別に、それは重要な事じゃない。思い違いの可能性があるし、そもそも残量に関しては時々嘘を吐くのが携帯ってもの。だからそれ以上は気にせず俺はアラームをオンにし、部屋の電気を消して、再び仰向けでベットにダイブ。携帯電話を横に置いて、ゆっくりと目を閉じる。

 

(この分じゃ、大晦日や元旦も何かやりそうだなぁ……けどまぁ、そうなったらそうなったで…また楽しむのも、悪くないな…)

 

 前の俺なら頭に浮かぶ事すらなかったような、ある意味普通の高校生っぽい思考。その変化に、そしてそれをどこか期待もしている俺自身にもう一度心の中で苦笑いしながら、俺は眠りに落ちるのだった。

 

 

 

 

…………。

 

………………。

 

……………………。

 

 

 

 

(……っ、ぅ…?)

 

 それから、どれ程したのかは分からない。ただ恐らくはまだ夜、深夜という時間帯で……不意に、俺は目が覚める。それも、偶然ではなく…何かを感じて。

 

「────」

 

 暗くてよくは見えない。けれど感じる。何かがいる。考えるというよりも、直感的な…感覚的な何かで、俺は気付いた。

 

(……ひ、な…?)

 

 寝起き特有の、ぼんやりとした思考の中、そこに…俺以外でベットの上にいる何かに対して、俺は緋奈であるように思った。シルエットというか、なんというか…とにかく、緋奈のような気がした。

 けれどおかしい。俺はリビングで寝てしまった訳じゃないし、ましてやうっかり部屋を間違えた…なんて事もない。そして緋奈も、部屋を間違えるなんてある訳がなく……だけど、だったら今ここにいるのは誰なんだ。なんなんだ。…そんな、不安混じりの疑念の中俺が首を動かし、そちらへ目を凝らしていると……ベットの上にいる誰かも、俺が向けている視線に気付く。そして……

 

「あ、起きた?…おはよう、お兄ちゃん」

 

 聞こえた声。それは幾度となく聞いた、誰よりも耳に馴染んでいる声。…けれどどこか、まるで別人のようにも思える声音。

 見えた顔。俺の脳裏に焼き付いている、何があろうと絶対に忘れる事はないであろう容姿。…だけどその瞬間、一瞬疑ってしまいそうにもなった表情。

 ああ、そうだ。確かにそうだ。意味は分からないが、理由は想像も付かないが、ここにいるのは間違いなく……

 

 

 

 

──俺の妹、今は一人になってしまった最愛の肉親……千嵜緋奈だ。


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