流れるように、激流のように、息つく間もなく繰り出される刃の乱撃。青く輝く、二振りのナイフ。見切れなどしないそれを、後退しながら全神経を集中し……何とか、凌ぐ。
「…ッ、ぐ……ッ!」
右からの斬撃を、霊力で編まれた剣で阻む。左からの追撃を、霊力を込めた短刀でギリギリ逸らす。何とかなったと思った次の瞬間には、阻んでいた筈の刃が手首の捻りで剣を超えて俺に迫り……咄嗟に俺は、その場でブリッジ。
「ぬぉぉ…ッ!」
上体を思いっ切り逸らす事で、紙一重の回避に俺は成功。そこから勢いのまま、思い付いた事を即実行する形でバク転に派生してみるも…右手で片手剣、左手で短刀を持ったままの状態でやった事もないバク転が上手く出来る筈もなく、俺はそのまま跳べずに転倒。びたーん!…と、顔から足まで揃って床に打ち付けてしまった。
「〜〜〜〜ッッ!?」
想定していなかった激痛と痺れに、うつ伏せとなりながら悶絶する俺。そして、それを最後に……訓練を目的とした模擬戦は、終了する。
「…顕人、大丈夫?」
「あ、あんまり大丈夫じゃない…」
「そう…」
上から下まで一気に強打という、経験した事のない事故(自爆)で俺が立ち上がれずにいると、模擬戦を受けてくれた相手…ラフィーネさんが声をかけてくる。
その声に反応して顔だけ上げると、ラフィーネさんは俺の前でしゃがんでいた。…うん、この位置でその格好は不味いよラフィーネさん…何が不味いとは言わないけど……。
「痛た…そのままやられるよりはマシなんだろうけど、回避後の動きでミスってこれじゃ世話ないよね…。…模擬戦やってみて、どうだった…?」
「ん…良い運動になった」
「い、いやそうじゃなくて…綾袮さーん、フォリンさーん……」
俺の動きは、という主語を付けなかった俺も悪いとはいえ、返ってきたのはまさかの感想。これを真面目な顔で言っているラフィーネさんは、ほんと天然というか純朴で……っていうか、俺は必死そのものだったのに、ラフィーネさんにとって今の模擬戦はまだ『良い運動』レベルなのか…。
「はいはーい。まあ、前より良い動きになってると思うよ?近接戦での判断力も向上してる感じがあるし。でもやっぱり、顕人君は近接戦向いてないよね。不向きって事じゃなくて、長所を活かせないって意味だけど」
「それは分かってる。でも、接近戦の心得自体は身に付けておくべきでしょ?」
「そうですね。ですが顕人さん、射手にとってはまず近付かせない、近接戦に持ち込ませない事の方が大切ですよ」
「う、うん…それも分かってる……」
流石はやる時はやる綾袮さんと、基本はしっかりしてるフォリンさんと言うべきか、今度こそちゃんとした答えが返ってくる。…いやまぁ、ラフィーネさんだってちゃんと答えてはくれたんだろうけども…。
「んー…いっつも言ってるけど、自分から射撃捨てて近接戦かけに行くのだけは駄目だからね?不意打ちとしてやるなら、状況次第で有効に働くと思うから絶対駄目とは言わないけど」
「不意打ち、か…うん、きちんと覚えておくよ」
「宜しい。じゃ、今日はこの位にしておこっか」
「そうだね…って、うぉっ…鼻血出てきた……」
「え、何か変な妄想でもしてたの?」
「違うわ!普通にぶつけたからに決まってるでしょうがッ!さっき俺が転倒するのを見てたよねぇ!?」
フォリンさんからティッシュを受け取った俺は、鼻を拭きつつ皆と共にトレーニングルームを後にする。鼻血はすぐに止まってくれたからまぁいいとして、向かう先は装備の保管室。…うー…まだちょっと身体痛い……。
(これでよし、っと。近接武器だけだと、片付けも大分楽だなぁ……)
「それでよ……って、んん?」
「……?」
仕舞い終わったその瞬間、出入り口の方から聞こえてきた会話の声。ちらりとそちらを見てみると、その声の主……たった今入ってきた二人と、もろに目が合ってしまう。
「…あ、えっと……」
「…えぇと、お前…御道……顕、人…だったっけ…?」
「え?あ…そう、だけど…(うん?この二人…見覚えがあるような……)」
目が合ったのは、多分同年代の男二人。ばっちり目が合ってしまった気不味さから何か言おうとした俺だけど、二人の内の片方がそれより先に俺の名前を呼んでくる。
名前を呼ばれた俺は、当然戸惑った。あれ、俺はこの人と知り合いだったっけ?…と。でも、よく見るとこの二人とはどこかで会ったような気がして……気付く。あぁそうだ、この二人は…合宿的訓練の時、俺が最初に行った部屋で会った二人じゃないか。
「…夏ぶり?」
「そうなるな…訓練終わりなのか?」
「そう。…そっちもこれから訓練を?」
「まぁな」
やはり彼等はあの時の二人。どうも片方は人見知りなのか、それとも俺達二人で問題なく会話が成立してるから黙っているのかは分からないものの、もう片方の彼とだけで会話しているのもあの時と同じ。…ほんと、偶然は案外起こるもんだよなぁ…まあここは普通に使われてる部屋だし、現実的に起こり得る偶然でもあるけど…。
「そっか、じゃあ頑張って」
「うーい。…あぁそうだ、聞いたぜ?春先の魔王戦に参加しただけじゃなく、最近は魔人の討伐もしたんだろ?」
「あ、あー…まぁ、一応は……(その魔人、実は今こっち見てるんだけどね…)」
「はー、いいよなそういう機会に遭遇出来て。…いや、俺だって実力を付ければ自然と機会も寄ってくるか…うん、そうだよな…!」
耳が早いのか、それとも慧瑠の件はもう周知の事実なのか、どうやら二人は俺が討伐した(って事になっている)のは知っている模様。そして俺は羨望の視線を向けられて……正直ちょっと、困った。
だって、別に俺はどっちも倒した訳じゃないから。魔王戦は役に立てたかどうか今でも不安だし、慧瑠の方は全く逆の事が真実だし…ましてやそれをまだそこまで交流のある訳じゃない相手に言われると言うのは、中々反応に困るものだった。
……でも、分かる。羨ましいと思う気持ちは、俺も分かる。それと同じ、こういう世界への憧れが…俺の元々の原動力だから。
「って訳で、じゃあな。機会があれば、いつか一緒に戦おうぜ?」
「…おう、お互い頑張ろうか」
俺は帰る為、二人は訓練を始める為、各々ここでする事を済ませた事で会話も終了。保管庫の中を出て、それぞれ違う方向へと歩き出す。
まさか、こういう風に声をかけられるとは。さっき挙げられた二件だったり、ロサイアーズ姉妹との模擬戦だったりで時々俺は注目されるような事もしているものの、やっぱりこうして声をかけられるというのは意外な印象。…でも、別に嫌って訳じゃない。有名になりたくて頑張ってる訳ではないけれど、良い意味で名が知れるというのもそれはそれで……
「よっ、顕人」
「うぉわッ!?…あ、か、上嶋さんですか……」
とかなんとか思ってたら、いきなり声をかけられた。っていうか、いつの間にか前に上嶋さんがいた。
「なんだ、向こうから俺が来たのに気付いてなかったのか?」
「す、すみません…ちょっと考え事をしていたもので……」
「いや、別に良いけどな。…で、最近の調子はどうだ?」
気にすんな、とばかりに軽く肩を竦めた上嶋さんは、俺にどうだと訊いてくる。
さて、これは何に対する「どうだ?」なのか。霊装者としてなのか、学生としてなのか、はてまた深い意味なく言っただけなのか。訊き返せば一発で分かる事だけど……まぁ、別にテストじゃないんだしいいか…。
「それなりに、上手くいってると思います。最近だと、魔人の件もありましたし」
「あー、そうだな。…で、どうなんだ?」
「へ……?いやですから、最近だと魔人の討伐戦にも……」
「出来事や成果の話じゃなくて、こっちの話をしてんだよ。…心の中で、何かがブレちまったりしてないか?」
当たり障りのないよう返した結果、再びほぼ同じ質問が俺に。その意味が分からず、もう一度俺は答えようとして……そこで、上嶋さんは言った。親指で軽く自分の胸を突いた後、真剣さと優しさの籠った視線を俺に向けて。… …ブレちまったりしてないか、か…それなら……
「…大丈夫です、上嶋さん。あれから色々あって、思う事も沢山ありましたが……強くなれてるって、俺は思います。…自画自賛かもしれませんけど、ね」
「そうか……へっ、いいじゃねぇか自画自賛。自分を強く持ててる、自分の中の柱に自信が持ててるってのは、大切な事だと俺は思うぜ」
ほんの少しだけ頬を緩めて、自分の言葉に力を込めて、俺は言う。俺はあの時より…上嶋さんに自分の命を大切にしろって言われたあの時よりも、きっと力も心も強くなれてるって。
真っ当に、真っ直ぐに伸びているとまでは言えない。俺の在り方は、心の向いている方向は、一般的な霊装者のそれとは違うだろうし、協会に対しても少し思うようになったけど……それでも俺は、進んでる。前かどうかは分からないけれど、俺が望む方向へと。
そしてそれを聞いた上嶋さんは、にやりと笑って俺の言葉を…自画自賛を、肯定してくれた。今日も変わらない、大人というより兄貴分って感じの笑みで。
「…ありがとうございます、上嶋さん」
「おう。でも強さってのは、硬さだけじゃなくて柔軟性も必要だぞ?ほら、五重塔ってあるだろ?」
「あぁ……地震に強い塔って言われると、正直某国民的ゲームを連想しますよね」
「あ…顕人お前、俺が後で言おうとしてたネタの先回りをするんじゃねぇよ……」
「えぇ…それは知りませんよ……」
そんな事言われても…的な文句をつけられ俺が半眼で返すと、上嶋さんは再び笑って「まぁいいさ」と言ってくる。
それから俺達は二言三言雑談を交わし、上嶋さんがこれから用事があるとの事でこの場を去る。…用事あるなら、そもそも俺に話しかけてる場合じゃなかったんじゃ…?
(…なんて、ね。用事がある上で、わざわざ上嶋さんは声をかけてくれたんだから…心配をかけないよう、しっかりしないと)
こうやって言えば、上嶋さんは「なんとなく声をかけただけだ」とでも言うと思うけど…分かる。上嶋さんは、そういう人だから。綾袮さんであったり、綾袮さんのご両親であったり…俺の周りには、俺を気に掛けてくれる人が数多くいるから。
心配をかけない為には、危ない事をしないのが一番。でも常に安全な戦いが出来るなんて訳ないし、俺が俺の思いを貫くのなら、これからも危険な目に遭う事はきっとある。だったら、やっぱり……危ない事が起きても乗り切れるよう、生きて思いを果たせるよう…頑張らなくちゃ、いけないよな。
*
人間誰しも、息抜きは必要なもの。気持ちを張り詰めていれば、張り詰める事に慣れていれば、そういう状態でいる限りは高いパフォーマンスを発揮する事が出来るけれど、ずっと張り詰め続けられる訳がない。そんな事しようとしても、殆どの人はどこかで緩んでしまうものだし…緩むどころか、大切な時に切れてしまう事もある。そして切れてしまった場合、持ち直すのは容易じゃない。
だからこそ、息抜きは大切。重要な時に、最後まで気持ちを張り詰めていられるよう、緩急つけておく事が体調管理。つまり…私が今している事も、いざという時への備えと言っても過言じゃない。……筈。
「〜〜♪」
買ったばかりのあるセットを手に、お店の中から出る私。気分は高揚してるけれど、視線はしっかり周辺を警戒。近くに知人がいない事を確認してから、私は家に向かって歩き出す。
(ポーク南蛮バーガーなんて、ここのお店はほんと新商品開発に意欲的よね。時々迷走してる感もあるけど、このスタンスには敬意を表したいわ…♪)
私の手元、カモフラージュ用のバックへ入れた紙袋の中に入っているのは、他でもないハンバーガーセット。私の密かな楽しみである、ジャンクフードの王道とでも言うべき料理。
無論、栄養の観点で言えばジャンクフードは優れてるとは言えないし、時宮の人間である私がジャンクフード全般を好んでいるなんて、我ながらちょっと変わってる…って自覚もある。…けど、仕方のない事よね。だって…本当に、ジャンクフードが好きなんだものっ!
「…っと、浮かれ過ぎるのは禁物ね…前と同じ轍は踏まないようにしないと……」
家の近くにまで来たところで、私は一度深呼吸。人は後少しという状況になると無意識に油断し易くなるものだから、ここで一度気を引き締めておかなきゃいけない。
紙袋は外から見えていない。誰かが付いてきてるって事もない。勿論表情はいつも通り。…よし、これなら仮に家に入った瞬間悠耶や緋奈ちゃんと鉢合わせるような事になったとしても、危なげなく乗り切る事が出来る……
「あ、お帰りなさい妃乃さん」
「わひゃあぁぁっ!?ひ、緋奈ちゃん!?」
「えっ……?」
そう思った正に次の瞬間、突如として聞こえてきた私への声。思わず軽く悲鳴を上げてしまった私が声のした方を急いで見ると、そこには窓を開けた緋奈ちゃんの姿。……な、なんかこれに似たような事…夏にも一度あった気が…。
「…ど、どうかしました…?」
「あ、う、ううん何でもないわ。ただ、急に声がしたから驚いただけよ」
「あ、それはごめんなさい…妃乃さんの姿が見えたので、つい……」
「き、気にしないで。私こそ、変な声出しちゃって悪かったわ…」
それはともかく、重要なのは私の秘密がバレていないかどうか。内心その事に緊張していた私だけど、どうやら見えていたのは私だけの様子。という訳で私は表情と態度を取り繕いつつ、自然に家へと入って自室へ。…せ、セーフ……。
「ひ、緋奈ちゃんにもバレるかと思った…二人との生活は悪くないけど、ほんとこれだけは一人暮らしの方が楽だったわね……」
部屋の中に辿り着いた私は、机にバックを置いて漸く一息。…でも、これで終わりじゃない。というか…ここまでは謂わば準備で、私がしたかったのはここから先。
部屋の鍵を閉めて、バックと共に窓の外からは見えない位置に移動して、遂に私は紙袋を開く。その瞬間私の鼻孔をくすぐるのは、ジャンクフード特有の匂い。
「んっ…はぁ、もう待ちきれないわ……♪」
一度危機に陥った事もあって、私の我慢はもう限界。匂いと立ち昇る温かな空気に促されるように私は紙袋の中身を取り出し、まずはメインのバーガーを手に。
片手で持って、包みを開いて、半分程顔を出したバーガーを口元へ。そして私は味を想像しながら……一口。
「…んーっ♪お肉の柔らかさと濃いめの味付け、それにタルタルソースの適度な酸味…やっぱり今回のバーガーは当たりね…!」
美味しさに思わず頬を緩ませながら、私はもう一口。続けてポテトを一つ摘んで、それも口に。こっちは普通の、食べ慣れた味だけど…だからこそ感じる安心感。
時には大きく、時には小さくバーガーとポテトを食べ進めながら、時々ストローを介してホットティーを嚥下。一人黙々と食事をするのは少し寂しいものだけど、ジャンクフードに関しては別。誰にも邪魔されず、余計なものは一切無しにセットを味わう……はぅ、やっぱりこれが至福ってものよね…。
「…ふぅ…ご馳走様」
十数分後、完食した私は両手を合わせて感謝の一言。少しの間食後の余韻を楽しんで、それからゴミを片付け始めて……そこで私の耳に届いたのはノックの音。
「妃乃さん。ちょっとお時間いいですか?」
「時間?まぁ、別にいいけど……っと、リビングで待っててもらえるかしら?」
「あ、はい」
その音と緋奈ちゃんの声に反応した私は、途中で今入られたら不味い事に気付いてこちらから提案。危ない危ない、仮にゴミは何とかなったとしても、匂いは数秒じゃ消し切れないものね。
(けど、何の用かしら。内容を言わず、先に空いてるかどうかを訊いたって事は、多少なりとも時間がかかる事なんでしょうけど……)
そんな事を考えながら私はゴミを片付け終え、換気の為に窓を開く。そして部屋を出た後、一度洗面所で手を洗って、緋奈ちゃんの待つリビングへ。
「お待たせ、どうかしたの?」
「え、っと…お兄ちゃんの事、なんですけど……」
「悠耶の?」
「はい。わたし最近のお兄ちゃんについて、ちょっと不安な事があるんですけど…妃乃さんは、今のお兄ちゃんをどう思いますか?」
食卓の椅子に座っていた緋奈ちゃんからの、少し…いや、かなり意外な質問。これが悠耶なら、「何よ藪から棒に…」と返すところだけど…私にとっても緋奈ちゃんはもう、妹みたいなものだものね。
「どう、ね。まぁ、どうかって言われたら……悠耶にちょっと不安を抱くのは、いつもの事じゃない?」
「…そうですか?」
「えぇ。確かに悠耶はだらけてる割に生活面はしっかりしてるし、意外と気遣いも出来る男だけど…感情的になり易い面もあるし、何より『どことなく不安を感じる』…って雰囲気、緋奈ちゃんも感じてない?」
「…それは、まぁ…ありますけど……」
「でしょ?…けど、緋奈ちゃんが言いたいのはそういう事じゃないのよね?」
どことなく不安を感じるなんて失礼な物言いだけど、実際そうなんだから仕方ない。上手く言葉には出来ない不安があるのが、千嵜悠耶なんだから。
でも、緋奈ちゃんが本当に聞きたいのはこういう答えじゃない。それは分かってるから、私は一度間を空けて、ゆっくりと息を吐いて…それから再び、緋奈ちゃんへと目を合わせる。
「…大丈夫よ。緋奈ちゃんには言うまでもないかもしれないけど…悠耶は、強いから」
「…………」
「霊装者としても強いし、人としても強い。周りの事なんてどうでもいい…みたいな感じに振舞ってはいるけど、周りの為に出来る事があるならそれをするのが悠耶だし、あんまり人と付き合うのは上手じゃないみたいだけど、それが必要な時は不器用なりにちゃんとしようとするんだもの。それは普通の事にも思えるけど……強い人間は、得てして心や人としての在り方に強さの根元があるものよ」
人には二つの強さがある。身体…即ち能力の強さと、心の強さ。目に見えて分かるのは能力の強さだけど、力ばかりで心の強さのない人間は、どこかで堕落し潰れていくもの。逆に心の強さがある人間は、努力であったり周りからの助力であったりと何らかの形で、自然と力も身に付ける事が出来ていく。そして悠耶は……間違いなく、その心の強さを持っている。
とはいえ、これだけならまだ悠耶以外だって持っている人はそれなりにいる。つまり、私が悠耶に心の強さがあると思うのは…それ以上の事を、悠耶がこれまでしてきたから。
「…依未ちゃん、いるでしょ?一体何があって、どういう経緯で今に至るのかは知らないけど…彼女は、周りの人全てと距離を置いて、自分で作り出した壁越しにしか人と接していなかったの。いや…今だってそうよ。悠耶がいるからか、ある程度は歩み寄ってくれてるけど…それでもまだ、私や緋奈ちゃんに対しては壁を作って接してる」
「…少しだけど…それは、分かります。…わたしはそれを、遠慮だと思ってましたけど……」
「遠慮…それもあるかもしれないわね。…でも、悠耶に対しては違う。勿論、私も見た事はないから断言は出来ないけど…悠耶に対して見せている態度は、きっと依未ちゃんの素なのよ。何年もの付き合いがある人すら知らない素を、約半年で悠耶は引き出して……いや、違うわね。引き出したんじゃなくて…依未ちゃん自身が、素の自分で触れ合いたいって思ったのよ、きっとね」
半分は想像でしかない。悠耶と依未ちゃんの事なんて、私にはその一部しか知る事は出来ない。でも、その一部ですら分かる。悠耶が依未ちゃんの中の何かを変えて、依未ちゃんもそれを受け入れて、ありのままに悠耶と触れ合う事を選んだんだって。
それに、もう一つある。私が緋奈ちゃんに語れる…悠耶の、強さが。
「…それに、ね…私も一度、助けられたのよ」
「…お兄ちゃんに、ですか…?」
「悠耶によ。…は、恥ずかしいからあまり深くは言わないけど…あの時悠耶は、危険だって分かってた筈なのに、その時自分は危なくも何ともなかったのに、私の為に全力を尽くしてくれた。その上で…最初から最後まで、私を信じてくれていたのよ、悠耶は」
あの時の事は、忘れない。忘れる筈がない。だってあの日は、自分の未熟さが、浅はかさが……悠耶が持つ心の強さが、はっきりと分かった日なんだから。
緋奈ちゃんの前だから言わないけど、悠耶はあの日命を張ってくれた。命懸けで、私を助けてくれた。あの時は見捨てる事だって、魔人の提案を受ける事だって、選択肢としてあった筈なのに……それでも、私を選んでくれた。…だから、あの日から私は疑ってない。悠耶の持つ、心の強さを。私は信じてる。千嵜悠耶という、一人の人間を。
(……って、よく考えたら…な、何を考えてるのよ私はッ!私を選んでくれたって…そ、そんな表現したらまるで違う意味みたいじゃない!うぅ、しかもなんか顔熱いし!な、何なのよもうッ!)
雰囲気というか自分の語りに乗せられて色々考えていた私だけど、何気にかなり恥ずかしい事を思っていると気付いた瞬間一気に頬が熱くなる。口に出してないだけまだマシだけど、それにしたってあまりにも恥ずかしい。恥ずかしいし、しかも何故か恥ずかしさとは違う…自分でも上手く言葉に出来ない気持ちもあって、そんな事を考えてたら段々あの日の記憶すらも鮮明に蘇ってきちゃって、私の脳内は大パニック状態。
そして気付けば、向けられているのは緋奈ちゃんからのこれまで見た事ないような視線。理由は……か、考えるまでもないわよねッ!あーもうっ!
「と、とにかくそういう事だから!悠耶は強い人間だし……それに、凄い人だから!そこは私が保証するわ!だから安心して、緋奈ちゃん!」
「……凄い人、ですか…。…ふふ、そこまで評価してもらえているなら、妹として嬉しいです。それに、参考にもなりました」
「そ、そう?それなら良かったわ。じゃあ話は済んだし、私はこれで……」
「……妃乃さん」
私らしくない、冷静さに欠ける強引な話の締め方だけど、今は頭がパニックを起こしてるんだから仕方ない。というか、このままいたら余計恥ずかしい姿を緋奈ちゃんに見せてしまいそうで、一刻も早く離脱したいというのが私の本心。幸い緋奈ちゃんは納得してくれたみたいだから、私は家に入る直前と同じかそれ以上のテンパりをしながら、慌ただしくリビングを出て……
「…これからも、これまで通りに暮らせるといいですね」
「…そうね。私もそう思うわ」
扉を閉める直前、緋奈ちゃんからのそんな声が聞こえてきて……私は緋奈ちゃんの顔を見ないまま、その場で頷いた。
これからも、こうして生活出来ればいい。愛想とかじゃなく…本当に、心からそう思って。