双極の理創造   作:シモツキ

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第百三十六話 思い出の料理

 料理は愛情だと言う。最高の隠し味は、愛だって言う。…それは何も間違っていない。気持ちの効果云々とかじゃなく、料理に愛を込めるような相手なら、美味しいと思ってほしいと思うのが当然だし、そうなれば自然と一つ一つの行程への集中力が増したり、美味しくなるような工夫が増えたりして、料理としての『質』が上がるんだから。

 だが、それはあくまで元から普通に料理を…手慣れていようと、レシピを見ながらであろうと、とにかく最低限の質を確保した料理を作れる奴ならって話。土台ってかベースとなる部分がなくちゃどんなに愛があっても美味い料理にはまずならないし、愛だけで乗り越えようなんざ以ての外。つまり、何が言いたいかっつーと……

 

「緋奈、愛は最後の一押しなんだ。まずはそれを覚えておいてくれ」

「あ、うん…」

 

 俺は今から、緋奈の無自覚料理下手を克服させようってこった。

 

「…こほん。で、今日の夕飯だが…どうして生姜焼きにしようと思ったんだ?」

「え?だって、お兄ちゃん豚肉の生姜焼き好きでしょ?」

「そりゃ、好きだが……」

「だよね。…折角お兄ちゃんと作るんだもん、ならお兄ちゃんの好きな食べ物にしようかなって」

「緋奈……」

 

 そう言って緋奈は、ちょっと照れた笑みを俺に見せてくれる。…くぅ、緋奈…愛は最後の一押しだって、今言ったばかりだってのに…もう目一杯どころか溢れ出すレベルで込めてくれるじゃねぇか…!

 

「…お兄ちゃん、キッチンでこんな幸せな気持ちなったの、きっと初めてだよ……」

「もう、お兄ちゃんってば大袈裟なんだから…」

 

 なんかもう、早速涙とか出てきそうな心境の俺。そこから俺は心のままに緋奈を抱き締めようとして……

 

「……いや、早々に何を始めてるのよ貴方は…」

 

……邪魔が入った。兄妹水入らずの空間に、心ない横槍を入れられてしまった。…ちっ……。

 

「ちょっ!何よ邪魔って!何舌打ちしてくれてんのよ!私は悠耶が言うからわざわざやる事の調整してまで時間を空けたんだけど!?」

「あーすまんすまん。つい本音が出ちまったんだ」

「へぇ…本音、ねぇ……」

「おう本音…ってうぉぉっ!?それ肉を叩くやつじゃねぇか!わぁぁすまん!今のは冗談だ!謝る!だからその物騒な物は降ろせって!」

 

 冗談半分で妃乃を邪魔者扱いしてみたら、妃乃はおもむろに右手を持ち上げ……その手にあったのは、まさかのミートハンマー。怖っ!てか、いつの間にミートハンマー取り出したんだよ!それ即座に取れるような位置には置いてない物だぞ!?

 

「ふん、私は即刻戻ってもいいのよ?」

「ほんとすまん…さっきのは出来心だったんだ……」

 

 とにかく謝り倒す事で、取り敢えず俺のミンチ化は回避成功。…まさか地の文読まれるとは…。

 

「ったく…ほら、始めるわよ」

「お、おう…つっても折角の機会なんだ。ここは緋奈がメインを任せて、俺達は手伝う…って形にしようぜ?」

「わたしが…?」

「嫌か?」

「ううん。お兄ちゃんがそう言うなら頑張るよ」

 

 それから気を取り直した俺は、提案しつつ妃乃に目配せ。それを受け取った妃乃は頷き、緋奈も了承してくれる。

 そう、今夜の料理はただ作りゃいいって訳じゃない。むしろ、その料理を通して緋奈の料理技術の向上を図る事こそが、真の目的に他ならない。

 

「よっし、じゃあまずは…買い物からだな」

『食材買ってなかったの!?』

「…緋奈、妃乃、ナイス突っ込み」

「お、驚かさないでよお兄ちゃん…良かった、ちゃんと食材ある……」

 

 景気良く始めようと思ってボケを一つ放ってみると、二人の突っ込みは完全にシンクロ。…いやぁ、この調子なら上手くいくような気がしてきたぞ。

 

「えっと、じゃあまずは……」

 

 冷蔵庫から食材を取り出した緋奈は、手を洗って調理開始。今日の夕飯は生姜焼きに加え、付け合わせの野菜に味噌汁と白米という、まあ所謂生姜焼き定食っぽいラインナップ。白米は炊くだけだし、野菜も切るだけだから…気を付けるべきは、残りの二品。

 

(…つっても、生姜焼きも味噌汁もそこまで複雑な料理じゃないんだよな…レシピ通りに作れば、多少味付けをミスってもそこそこな味にはなるだろうし……)

 

 食材を洗い、包丁で切る緋奈を見ながら、俺は頭の中で二品のレシピを確認。どっちも…特に味噌汁はよく作るからレシピなんてもう長い間見てない気がするが、多分俺の作り方は一般的なものから然程離れてはいないと思う。

 料理が下手な奴はレシピを軽んじてる場合も結構あるが、レシピってのは即ち、料理の設計図。それも現代で知れ渡ってるレシピは多くの人の経験や試行錯誤によって洗練されてきたものなんだから、ぶっちゃけ美味しく作りたいならレシピ通りにやるのが一番。より個人個人の好みに合わせるだとか、好きな食材を組み込みたいとかならアレンジをする意味もあるが、そうじゃないならそのままやった方が懐にも優しいと俺は思う。そして、緋奈はレシピを蔑ろにして、オリジナリティという名の軽率な判断をしてしまうような性格じゃないと思うんだが……なら何故美味しくならないのだろうか。

 

「…って、それを確かめる為のこれなんだよな……」

「…何か言った?」

「いや、何でもない。それと緋奈、切るサイズは大体で大丈夫だぞ?」

「え、でも大きさが違うと、火の通りも変わっちゃうよね?」

「だから、ある程度合ってれば…って事だ。手を抜けるところは抜いてもいいのが、家の料理だしな」

 

 見るからにサイズを統一しようとしてる緋奈に対して、さらっと助言。毎日細かいところまで気にして料理なんてやってらんない…ってのは、多くの主婦(又は主夫)が思ってるんじゃねぇかな。

 

「…ここまでは、普通…ね」

「あぁ。けど当たり前っちゃ当たり前だな。まだ食材切っただけなんだから」

 

 俺の助言を受け、少しだけ緋奈のペースの上がったところで、妃乃が小声で話しかけてくる。…そう、ここまでは普通なんだ。だがまだまだ始まったばかりだし、気を抜けるような段階でもない。

 

「ふぅ…次はタレだね。お兄ちゃん、みりん取ってくれる?」

「あいよ。妃乃、キリン撮ってきてくれるか?」

「そういうしょうもないギャグはいいから…はい緋奈ちゃん、ボール」

「ありがとうございます、妃乃さん」

 

 切る行程を済ませた緋奈は、続いて生姜焼きのタレ作りに。ついでに味噌汁の準備も進めている辺り、緋奈は出来る限り同時進行…という基本もしっかり分かっている様子。

 

(つか、生姜焼きが好きなんてよく覚えてたなぁ……)

 

 思い返せば、昔はこれが好きだのこれは嫌いだの色々言ってた気もするが、ここ最近で生姜焼きが好きだと言った覚えはない。という事は、両親が生きていた頃に言ったような事を緋奈は覚えていた訳で、これまた俺としてはじーんとくる。……まぁ、身も蓋もない事を言っちまうと、生姜焼き以外も唐揚げだとか角煮だとか、肉料理なら大概好きなんだがな…。

 

「……え、緋奈ちゃんまだ砂糖入れるの?」

「へ?…駄目ですか?」

 

 と思っていたところで、不意に妃乃がストップをかける。その理由は砂糖の量で、対する緋奈は怪訝な顔。…しまった、思い出振り返ってたせいで注意力散漫になってたか…。

 

「駄目っていうか…これ以上入れたら甘くなり過ぎない?緋奈ちゃんは甘みが強い方が好みなの?」

「いや、そういう訳じゃないですけど……お兄ちゃん、入れ過ぎかな…?」

「…まぁ、今ので十分だと思うぞ」

「そっか…うーん、なら入れ過ぎだったのかなぁ……」

 

 うっかりしていた俺ではあるが、確かに砂糖はもう十分入っている筈。そう考えて妃乃に賛同すると、緋奈は小首を傾げながらも砂糖の投入をそこで止めた。…が、顔付きを見るにイマイチ釈然とはしていないらしい。

 

「ここまで調子良かったのに、急に砂糖の過剰投入しかけたわね…レシピの分量読み間違えたのかしら……」

「そう…じゃないか?いや、今のだけじゃ断定は出来ないが……」

 

 ここで初めて、ミスも言えるミスをした緋奈。ここまでは順調だったが故に、俺も妃乃も少しばかり驚いた。……が、普段から料理をしてる訳じゃない以上、経験でミスに気付けないのは仕方ない事。だから妃乃の言う通り、単に何かを読み間違えたか間違って覚えたかのどちらかだろう。

…などと思っていた俺だが、緋奈の次なるミスはなんとその直後。

 

「…ん?待て待て緋奈、みりんもそれ以上入れなくていい。それ以上は変な甘さになっちまうぞ」

「え、あれ?みりんも?…うぅ、ん……」

 

 砂糖に続いて、みりんも危うく過剰投入。…まさか、レシピの分量の部分を一つずつズレた見方しちまったとかなのか…?

 

「…正直、さっきまで下手ってのは悠耶の勘違いで、緋奈ちゃんは普通に作れるんじゃないのかって思ってたけど…勘違いじゃ、ないみたいね……」

「おい…と、言いたいところだが…分かってくれたならまぁいい……」

 

 ミスなんて誰でもするものだし、一度や二度で判断するのは早計というもの。だが、立て続けに間違えたとなれば話が変わってくるし、まだ幾つも行程は残っている。…そう、まだまだ油断は出来ないのだ。料理とは、一つのミスで台無しになる事もあり得るのだから。

 

「〜〜♪…っと、お兄ちゃんちょっとだけお鍋見ててくれる?」

「うん?何かするのか?」

「レシピの確認だよ」

 

 タレを作り終え、味噌汁の方も具材を鍋に入れたところで、緋奈は一度レシピを確認。おたまで楽しそうに鍋をかき回す姿にはぐっとくるものがあったが、それを押し留めてちらりと俺はレシピ…の書かれた本を見る。

 

(…ぱっと見古いが…普通の料理本だな……)

 

 恐らくないだろうとは思っていたが、これにより緋奈の見たレシピが無茶苦茶だったという可能性は消滅。しかしその後、俺と交代した緋奈はやや早いと思えるタイミングで味噌を投入しようとした。これでミスは三回目。

 

「…味噌汁、いい匂いがしてきたわね」

「ですよね。…よし、それじゃあ次は……」

「焼き、だな。早過ぎたら生焼けになるし、遅いと固くなり過ぎるから時間には気を付けろよ?」

 

 そうして生姜焼きの方は、出来を大きく左右する事になる焼きの行程に。どこぞの肉焼きセットと違って実際の料理は時間がかかる分、一瞬どころか五秒十秒タイミングがずれても問題なく完成する(プロの場合は…知らん。俺プロじゃねぇし)んだから、そこまでピリピリする必要はないが…さっきの味噌の件もあるしと、違和感ないよう俺は忠告。

 

「…焼く時って、何かコツはある…?」

「コツは…特にはないな。強いて言えばタレは調理中に混ぜるって事だが、それは分かってるんだろ?」

「うん。後蜂蜜はタレとは別のタイミングで入れるんだよね?」

『え?』

「え?」

 

 くるりと振り返り訊いてくる緋奈。続けて緋奈は確認するように蜂蜜の事を言ってくるが……そこで一瞬会話は停止。…蜂蜜を、別のタイミングで入れる…?

 

「……違うの…?」

「い、や…コクを出す為に蜂蜜を入れるのも良いってのは知ってるけど…別のタイミング…?」

「だよな…緋奈、蜂蜜はタレに混ぜればそれで良いと思うんぞ…?」

「そ、そうなの…?」

 

 あまりにも普通に言うものだから、俺が間違っているのか…?…とも思ったが、妃乃も同意見で一安心。ここまでの事と違って、このミスは味に大きく影響を与えるようなものではないと思うが…何にせよ、やる前に訂正出来たのは良かったと思う。

 

「…え、っと…そろそろ、いい…の、かな…?」

「あー…そうだな、もういいと思うぞ。じゃ、妃乃皿」

「あぁはい、それじゃ野菜も盛り付けちゃうわね」

 

 謎の蜂蜜問答で一層雲行きは怪しくなったものの、その後はミスをする事なく生姜焼きが焼き上がる。……厳密に言うと、今の確認は二度目で、一度目は少し早いタイミングで聞いてきたんだが…多分これはミスって程でもないだろう。そのタイミングでフライパンから出した場合、生姜焼きにしてはレア過ぎる…って出来になりそうなもんだが、多分食べちゃ不味いレベルの生焼けにはなってなかっただろうし。

 

「さ、こっからは時間との勝負だぞ緋奈。きちんと焼く時間は確保しなきゃ駄目だが、のんびりしてると最初の生姜焼きが冷めるからな」

「だ、だよね。…味噌汁の方は任せてもいい…?」

「任せろ」

 

 流石にうちのフライパンは三人分の生姜焼きを一度に焼ける程大きくない為、緋奈は同じ事をもう一度。二度目ともなると緋奈もスムーズで、テキパキ肉を焼いてくれる。

 そうして生姜焼きを全て焼き終え、味噌汁の方も汁椀によそい、炊き上がった白米も茶碗に入れ……遂に完成。淹れた茶と一緒にリビングへ運び、出来上がった夕食を食卓で囲む。

 

「はふぅ、出来た……」

「だな。お疲れ様、緋奈」

「うん。それじゃあ二人共、召し上がれ」

 

 安心したように吐息を漏らす緋奈の頭に軽く触れ、それから俺は両手を合わせる。

 

(見た目は、何ら問題ない…見てる限り、致命的なミスもなかった…だから、大丈夫だとは思うが……)

 

 夕飯を前に、思い出すのはこれまで緋奈が作った料理。食べられなくはないものの、どれも正直不味かった料理達。だが完成したのだからもう食べない訳にはいかないし、緋奈の悲しむ顔も見たくない。だから俺は大丈夫だ、大丈夫な筈だと自分に言い聞かせ、箸で生姜焼きを摘んで…一口。

 

「…………」

「……どう…?」

「…うん、美味い」

 

 噛み付き、咀嚼し、味わい、飲み込む。完全に喉を通り過ぎた後、俺は小さく頷いて言う。緋奈へ向けて、美味しい…と。

 それは世辞でも気遣いでもない、正直な感想。これまでとは違って……そして、今日見てきた行程からすれば当然のように、緋奈の生姜焼きは美味しかった。

 

「そうね。丁度良い具合に火が通ってるし、味付けもばっちりよ」

「そ、そうですか?…良かったぁ……」

 

 俺と妃乃から美味いと言われ、ほっとした表情を浮かべる緋奈。生姜焼きだけじゃない。味噌汁の方も、濃過ぎず薄過ぎずの丁度良い味になっていた。

 

「緋奈も食べたらどうだ?」

「あ、うん。……わっ、ほんとに美味しい…」

 

 胸を撫で下ろしていた緋奈も、そこで一口。するとすぐに目を丸くして、驚きそのままに呟いていた。

 その後、緋奈は何も言わないままもう一口、更に一口と食を進める。…多分、緋奈は感激してるんじゃないだろうか。俺は口にはしなかったが、緋奈自身は自分が俺程上手く料理を出来ないって自覚をしていたから。

 

「いやぁ、ご飯をふっくら炊けてるし、茶も温度が絶妙だなぁ…」

「いやそれは炊飯器とポットの功績でしょうが…」

「あはは、お兄ちゃんってほんとふざけるの好きだよね」

「ふっ…俺は二人にささやかな笑いを提供したいと思っただけさ」

「…そんな事する性格してないでしょ、貴方は……」

「うん…それはちょっと、お兄ちゃんらしからぬ発言だと思う…」

「えぇー……」

 

 それからは、これと言って特筆する必要もない雑談を交わしながら、三人で夕飯の時間を過ごす。調理中は何かと気の抜けない状態が続いたが、それももう過去の事。何より、無事美味しく完成して良かったと心の中で喜びながら、俺は会議から続く疲労を食事で癒すのだった。

 

 

 

 

 料理は殆ど緋奈がやったんだから、片付けは任せてくれればいい。そう俺は思っていたが、それを伝えると返ってきたのは「料理は片付けまで含めてのものでしょ?」…との言葉。…良い子に育ったよ、ほんと……。

 

「…一先ず、美味しく出来て良かったわね」

 

 言葉通りに食器を洗う緋奈をソファから眺めていると、反対側からソファの背に軽く腰をかけた妃乃がそんな事を言ってくる。

 そんな事、とは言っても、これは結構重要な事。そもそも俺達は、それが目的だったんだから。

 

「あぁ。でもそれはあくまで、俺や妃乃のフォローありきだ」

「えぇ、分かってるわよ。どうも緋奈ちゃん、ちょっとしたミスが多いみたいだし」

「そう、そこなんだよな……」

 

 同じようにキッチンの緋奈を眺めながら話す妃乃の言葉に、俺は頷く。

 妃乃の言う通り、緋奈はとんでもない調理法をしようとするとか、そもそも入れるべきじゃない物を投入するだとかの、致命的なミスは一つもしていなかった。だが、細かなミスはちらほらとしていた。

 恐らく、これまでもそうだったのだろう。一つ一つはそこまで料理全体の質に影響しないミスを、塵も積もればの要領で複数重ねてしまい、結果不味くなってしまっていたのではないだろうかと、俺は思う。

 

「緋奈は大雑把な性格じゃねぇし、レシピもちゃんと確認してた。だから余計に分からないんだよな…どうして緋奈は、あんなミスを何度も……」

「…………」

「今回だけなら緊張したからって事もあり得るだろうが、これまでの結果から考えて、細かいミスを重ねちまうのは前からだろうし…。……妃乃?」

 

 考えている事を胸の中に留めたら意味がない、と思考をそのまま口にする俺。だがそんな俺に反して、妃乃は何やら黙り込む。見たところ、妃乃も妃乃で何か考えているようではあるが……。

 

「…なんか、引っかかる事でもあるのか?」

「引っかかる…そうね、確かにちょっと引っかかってるものがあるわ。引っかかるというか、気になるというか……」

「…と、言うと?」

「こう…何かを真似てる、又は参考にしてる感じがあったのよ。具体的にどこが、どんな感じにっていうのは上手く言えないんだけど…全体を通して、ぼんやりそんな感じがして……」

「参考に…?」

 

 歯切れの悪い、妃乃の返答。その歯切れの悪さと、自信なさげな声音から、妃乃自身もはっきりと分かっている訳じゃないんだって事が伝わってくる。

 緋奈が何かを真似又は参考にしてるとは、一体どういう事なのか。いや勿論、意味自体は分かる。だが仮にそうだとして、緋奈は何をその対象にしているというのか。何故そんな事をしているのか。そして、それがミスに繋がるのかどうか……

 

(……っ…待て、真似だろうと参考だろうと、それって要は何かを再現しようと…何かと『同じ』料理をしようと、作ろうとしてるって事だよな…?…それって……)

 

 俺の中でも何かに、どこかに緋奈の行為が引っかかり、もう一度俺は考える。何を考えればいいのか、どこを考えればいいのか、それはよく分かっていない筈なのに、俺の思考は何かを思い出そうと回り続ける。

 忘れた事は覚えていて、けど何を忘れたかは分からないから、それを思い出そうとしているような、何とも言い難い感覚の中、考えて、思考して、思って、思い出して……突然闇の中へ光明が差すように、気付く。

 

「……お袋、か…?」

「え……?」

「…そうだ、お袋だ…緋奈が言ってた蜂蜜のタイミングは、昔俺と緋奈が眺めてる時お袋が楽しませようとやってくれたんだ…!」

 

 鮮明に思い出される記憶。呼び起こされる、在りし日の思い出。

 それはなんて事ない、ただのパフォーマンス。肉を焼いてる最中に、高い位置から蜂蜜を回し入れるという、料理的には無意味な行為。でも確かに、あの時お袋はタレの後に蜂蜜を入れていたんだ。…いや、違う…それだけじゃない。

 

「それに、確かお袋が作る生姜焼きは今日作ったのよりタレが甘かった。小さかった俺達の味覚により合う味にしてくれてたんだ。…そうか、だから緋奈も今の俺達からすりゃ『甘過ぎる』タレにしようとしたのか……」

「ちょ、ちょっと待って…!って事は、もしや…緋奈ちゃんが、参考にしてたのは……」

「あぁ、きっと…きっと緋奈が作ろうとしてたのは、お袋の味なんだ……」

 

 次々と、連鎖的に分かっていく。緋奈の作ろうとしていたものが。緋奈のミスが、一見だだのミスに見えていた事が、一体何だったのかが。これなら全て理解出来る、説明が付く。全部全部、もっと子供だった俺と緋奈に合わせた、お袋なりの料理を作ろうとしていたんだって。

 そうした結果、ミスに繋がったのだってそうだ。緋奈は確かにお袋の再現をしようとしているが、それはお袋の残した料理メモを見て…とかじゃない。あくまで料理する姿を見ていた時の思い出と、昔食べた時に感じた味や食感の記憶から、断片的な情報から再現しようとしているに過ぎない。言い換えればそれは中途半端な再現な訳で、料理本に書いてあった「普通のレシピ」へ、中途半端にしか分からない「お袋のレシピ」を、親和性も考えず断片的に組み込んだとしたら……料理全体のバランスのバランスが崩れ、不協和音を奏でてしまってもおかしくはないんだから。そしてそれが、無意識的にやっている事なら…最後の一つ、緋奈自身も納得がいっていなかった事にも合点がいく。

 

「……緋奈…」

「え?あ、ちょっ……悠耶…?」

 

 胸の中に込み上げる思いで、俺は立ち上がる。特に何かを考えている訳じゃない。ただ、その一心だけでキッチンへと向かい……俺は緋奈を、抱き締める。

 

「あ、お兄ちゃん手伝いも要らな…ひゃわぁっ!?お、お兄ちゃん!?」

「…すまん、緋奈…どうしても今は、こうしたかったんだ……」

「発情!?おおおお兄ちゃん!?お兄ちゃん大丈夫!?」

「大丈夫だ、だから…もう少しだけ緋奈を、緋奈の思いを感じさせてくれ……」

「……もう、お兄ちゃん…急にやられたら、びっくりするよ…」

 

 後ろから抱き締めた事で、危うく拭いていた皿を落としかけた緋奈。だがその数秒後、俺の思いが伝わったかのように緋奈はゆっくりと皿と布巾を降ろし、優しい声で回した俺の腕に触れる。

 昔食べた味を再現しようとするのは、お袋の味を作ろうとするのは、そんなに珍しい事でもないだろう。俺だって、それを目指して料理をする事が多々ある。

 けれどきっと、いや間違いなく、緋奈は意識せずにそれをやっているんだ。家族を大切にする緋奈の思いが、緋奈にそうさせていたんだ。…そう思うだけで、その思いを感じるだけで、俺は胸が一杯になった。色々な気持ちで一杯になったし……守りたいと、絶対に失いたくないと、無くすものかと、思い誓った。緋奈は、緋奈が家族との絆を守るのなら……その緋奈を守るのが、兄である俺の役目…いいや、千㟢悠耶のしたい事なんだから。

 

 

 

 

 おもむろに立ち上がった悠耶は、緋奈ちゃんの下に向かって、緋奈ちゃんを抱き締めた。緋奈ちゃんも驚いてはいたけど、すぐに悠耶を受け入れた。…それは一見すれば、仲睦まじい兄妹の姿。

 

「…………」

 

 実際、二人の仲が良いのは間違いない。姉妹も兄弟もいない私の考えは想像の域を出ないけれど、二人は『過ぎる』が付く程仲が良い。正直、人によっては付き合ってるんじゃないかと思っちゃう位に、二人は強い絆で結ばれている。……だけど、今日私は緋奈ちゃんの料理を見て、そこにあった「気になる事」の正体が分かって、抱き締める悠耶と受け入れる緋奈ちゃんを目にして……違和感が、生まれた。

 

(…緋奈ちゃん、貴女は…どうして、そこまで悠耶を……)

 

 悠耶が緋奈ちゃんを大切にしているのは分かる。緋奈ちゃんは本当に良い子だし、悠耶は望みがあってこの時代に生まれ変わった霊装者なんだから。…けれど、緋奈ちゃんの方はどうかと思うと……正直、腑に落ちないって私は感じている。

 別に、悠耶に魅力がないって言う訳じゃない。…恥ずかしいけど、誰に言うでもなく否定したくはあるんだけど……悠耶にだって魅力が、異性として良いと思える部分がある。状況が状況だったとはいえ、私を魔人から助けてくれた時は……本当に本当に、格好良かった。

 だけどそれは、普段悠耶が見せない部分。日常の中じゃ中々見えてこない悠耶の一面で、戦いの中じゃ頼れても、いつもの悠耶は頼れるような兄ではない…ように、私の目には映ってる。なのに緋奈ちゃんは、最初から悠耶と仲が良かった。悠耶のそんな一面なんて、殆ど見る機会がなかった筈なのに、それでも今と変わらず仲が良かった。勿論、緋奈ちゃんは生まれてからずっと悠耶と一緒にいる訳で、それなら非常時の悠耶を見る事だってあるだろうし、私が知らない部分に魅力を感じているのかもしれないけど……

 

「…仲の良い、家族思いで兄妹思いの兄と妹…本当にただ、それだけの事なの……?」

 

 余計なお世話かもしれない。考え過ぎかもしれない。或いは、まだまだ私は二人の事を理解し切れてないだけって事も十分あり得る。…けれど、それでも…それでも私は、気付けば抱いた違和感をぽつりと小さく呟いていた。


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