双極の理創造   作:シモツキ

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第百十話 家族の仲直り

双統殿は、霊源協会の総本山。その左右の屋敷の最上階は、時宮と宮空それぞれのプライベートフロア…要は、実家になっている。

一般の霊装者は入る事すら出来ない、双統殿の中でもかなり未知のエリア。そこに今、俺はいる。

 

「…さ、ここよ」

 

ここまで案内してくれたのは、途中で電話を代わった妃乃。エレベーター前で待っていた俺は妃乃に案内され…ある部屋の前に立っていた。

 

「……一応言っとくけど、あんまり中をじろじろ見ないでよね?最近は殆ど使ってないとはいえ、ここは私の部屋なんだから」

「お、おう…」

 

そう言って部屋の扉に手をかける妃乃。…言われなきゃそもそもじろじろ見ようなんて思わねぇよ…とは思ったが、俺だってそう言いたくなる女心位は流石に理解出来る。…それに今は、状況が状況だしな…。

そんな事を考えている内に、妃乃はゆっくりと扉を開けた。当たり前と言えば当たり前だが、見るからに上流階級っぽい妃乃の部屋はうちの部屋よりずっと広く、こうして妃乃が戻った際の事を想定してか、掃除や手入れも行き届いている。そして、その部屋の一角…これまた高そうな椅子に緋奈は座っていて……俺と目が合った瞬間、ぴくんと肩を震わせた。

 

「お、お兄ちゃん……」

「緋奈……あ、あのな緋奈。俺は…」

「ごめんなさいっ!」

「へ……?」

 

さっき喧嘩した仲なだけに、気不味い雰囲気となる俺達。それでも先に何か言うべきは自分だと思った俺は、一歩前に出つつ口を開き……次の瞬間、がたんと椅子を鳴らして立ち上がった緋奈が謝った。

この件に関して、悪いのは間違いなく自分の方だ。…そう思っていた俺にとってそれは予想外の展開。だから俺は固まってしまい、その間に緋奈は次なる言葉を紡ぐ。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいお兄ちゃん!わたしが馬鹿だった、わたしがちゃんと言わなかったから、わたしが秘密にしたからあんな事になったんだよね!お兄ちゃんはわたしの事を大事に大事に思ってくれてたのに、それをわたしは全然知らなかったから、だからあんなに怒ったんだよね!?」

「いや、ちょっ…待て緋奈、別に緋奈が謝る事は……」

「あるよ!だってわたしお兄ちゃんを怒らせちゃったんだもん!お兄ちゃんを嫌な気持ちにしちゃったんだもん!ずっとずっとお兄ちゃんはわたしの為に色々してくれたのに、わたしを守ってくれてきたのに、そんなのお兄ちゃんにわたし…わたし……」

 

矢継ぎ早に話す緋奈の目には、みるみるうちに涙が溜まっていく。そんな様子に俺が呆気に取られる中、緋奈の言葉は続く。

 

「ごめんなさい、本当にごめんなさいお兄ちゃん…!わたしもうこんな事しないから、お兄ちゃんに嫌な思いさせたり我が儘言ったりしないから…!だから、だからお願いお兄ちゃん…!わたしを、わたしを……っ!」

「……──っ!もういい、もういい緋奈…!」

 

最初緋奈は、単に動揺しているだけに見えた。だが、段々と緋奈の様子が変わっていって……気付けば俺は、緋奈を抱き締めていた。

無意識だったが、理由は分かる。それは緋奈が、あの時と…両親を失った時と、同じ取り乱し方をしていたから。

 

「……大丈夫だ、俺は緋奈を嫌わねぇよ。誰がこんな可愛い妹を嫌うもんか」

「で、でもわたし……」

「喧嘩する程仲が良いって言うし、昔はよく…って程じゃないが、そこそこ喧嘩したりもしただろ?だから今日は久し振りに、昔みたいに喧嘩したってだけだ。不安にならなくたっていい」

「…ほんとに…?ほんとにわたしの事、嫌いにならない…?」

「本当だ。嫌いどころか、今だって緋奈の事は大好きだよ。何せ俺には勿体ない位、可愛くて最高の妹なんだからな」

 

抱き締め、頭を撫でながら、俺は語りかけるように言った。緋奈に泣いてほしくない、安心してほしいという思いを込めて。するとその思いは伝わったのか、少しずつ緋奈から悲痛な雰囲気は消えていって…俺の胸の中で、小さくこくんと頷いた。……嘘偽りはない。誰が何と言おうと…緋奈は俺の、最高の妹だ。

 

「……ありがと、お兄ちゃん…」

「礼には及ばねぇよ。俺はやりたい事をやっただねだからな」

「…そっか……えへへ…」

「……流石は兄ね。私が緋奈ちゃんを宥めた時は、この何倍もかかって、それでもまだ俯いてたのに…」

「私が…って、あぁ……」

 

笑みを浮かべてくれた緋奈の頭を軽くぽんぽんと叩くと、後ろから聞こえた妃乃の声。その言葉で俺は、俺が立ち去った後も緋奈が取り乱していた事、それを妃乃が宥めてくれていた事を理解し……今だな、と思った。

緋奈から離れ、二人に一度ずつ目を合わせる俺。それから俺は姿勢を正し……頭を下げる。

 

「……二人共、さっきはすまなかった。緋奈にも妃乃にも、俺は身勝手で心無い事を言っちまった。それに緋奈の気持ちを踏み躙って、妃乃には迷惑もかけて……本当に、本当に悪かった」

「…悠耶……」

「お兄ちゃん……」

 

謝って、言葉を下げて、二人に反省の意思を伝える。…言いながら、さっきの事を振り返って…思った。なんて俺は、自分勝手だったんだろうと。緋奈の事を思ってるなんて言いつつ自分の思いを押し付けて、妃乃には釈明のしようもない悪態を吐いて、本当にさっきの俺はどうしようもなかった。

だからこれは、けじめでもある。許されるだのこれからの俺達だの以前に、きちんとやっておかなくちゃいけない行為。

 

「許してくれ、なんて都合の良い事は言わない。何を言ってくれたって構わない。…俺は、最低な奴だった」

「…………」

「……頭を上げてよ、お兄ちゃん」

 

頭を下げたまま、十数秒。実際よりもずっと長く感じる時間が流れ……先に声を発したのは、緋奈だった。その言葉に促され、ゆっくりと頭を上げると……緋奈は、優しく俺に微笑んでいた。

 

「わたしは怒ってないし、お兄ちゃんを責めたりもしないよ。…確かに、さっきは色々言われてショックもあったけど…お兄ちゃんがわたしを思ってくれてる事は、ずっと分かってたもん」

「……っ…悪い、緋奈…本当に、悪かった…」

「だから怒ってないって。もう…そんな顔を見たくて言ったんじゃないのに…」

 

緋奈の言葉に、息を飲む。俺は散々好き勝手言ったのに、緋奈の気持ちなんか考えていなかったのに、なのに緋奈は『俺が緋奈を思っていたから』という理由で許してくれた。…そんな妹にあんな言い方をしてしまったのかと、俺は改めて罪悪感に襲われ…いつの間にか、また酷い顔になっていたようだった。

軽く頬を叩き、歪んでいた表情を一度リセット。緋奈は俺に負い目を感じてほしくなくて、だからああ言ったんだ。だったら…酷い顔なんて、してる訳にはいかねぇよ…。

 

「……ありがとな、緋奈…」

「さっきのお返しだよ。…妃乃さん、お願いです。お兄ちゃんは、許してくれなんて言わない…って言いましたけど、お兄ちゃんを許してあげて下さい」

「へっ?ひ、緋奈ちゃん?」

「…緋奈……」

「お兄ちゃんは悪くない、なんて言いません。だってお兄ちゃんが妃乃さんに言ったのは、本当に酷い言葉でしたから。でも、お兄ちゃんは……」

「…カッとなって、つい言っちゃっただけでしょ?…分かってるわよ、そんなの」

 

そうして緋奈は、俺の為に頭を下げてくれた。俺も妃乃も驚く中、緋奈は俺の側に立ってくれて……途中で緋奈の言葉を引き継ぐように、右手を腰に当てた妃乃が言った。

 

「正直、あれは不愉快だったわ。私からすれば悠耶は一方的に緋奈ちゃんの事を決め付けてるように見えたし、それを制止しただけでなんでこんな事言われなきゃいけないんだって」

「…………」

「…でも、さっきの貴方の謝罪からは反省が伝わってきた。形だけじゃない、心からの思いが籠った謝罪だったと思ってるし、私に反省してる相手を罵るような趣味はないわ。…だから、聞かせなさい悠耶。これから貴方が、どうするのかを。許すかどうかは、それ次第よ」

 

…どうするのかを話せ。それが、妃乃の答えだった。緋奈の様に無条件で許してくれる訳じゃなく、俺の意思を拒絶する訳でもない、妃乃らしい答えと言葉。……まだ期待、してくれてるんだな…こんな俺でも、妃乃は…。

 

「…分かった。緋奈…話してくれないか。緋奈は、どう思っているのかを。どうしたいのかを」

「…うん」

 

俺は緋奈へと向き直り、訊く。俺が無視し続けてきた、緋奈の気持ちを。それを聞いた緋奈は…ゆっくりと頷く。

 

「わたしは、お兄ちゃんの…二人の力になりたいの。二人のお荷物にはなりたくないの。だから、確かめたかった。自分を自分で守れる力が、わたしにあるのかどうかを」

「じゃあ…さっき言ってた言葉に、嘘偽りはないんだな」

「ないよ。これはわたしの、大事な気持ちだから」

 

真っ直ぐな声と、真っ直ぐな瞳。思い付きや一時の興味なんかじゃない、確固たる思いに基づいた意思。

確かにそれは、さっきも言っていた事だった。俺はさっきも、緋奈の意思を聞いていた。…けれどあの時、俺は耳で聞いていても…耳を傾けては、いなかった。

 

「…妃乃は、これを聞いた上で協力したんだな?」

「そうよ。無下に出来ないだけの意思を感じたし、本人が気になってるなら確かめておいた方が間違った判断をしなくて済むと思ったから、私はここに連れてきたの。…でも、それを貴方に言わなかった事は私の過ちよ。だからそれは謝るわ。…ごめんなさい、悠耶」

「いや、それはもう気にして…なくはねぇけど、理解は出来るからいい。俺に言ったら、確かめるどころじゃなくなるって判断したんだろ?」

 

俺が推測を口にすると、妃乃は首肯。やっぱり俺の反対を考えての行動だったらしい。

だったら俺は、それを真っ向からは否定しない。…判断自体は、間違っちゃいないしな。

 

「…………」

「…お兄ちゃん…?」

「……緋奈の気持ちは分かった。妃乃が緋奈の思いを汲んでるって事も理解した。けど、それでも……俺としては、緋奈が霊装者になる事を反対したい」

「……っ…」

 

怒鳴り、押し付けた事への負い目はある。自分が悪かったって思ってる。だが俺は、それでも俺は、はっきりと緋奈の気持ちに反対した。俺だって、生半可な気持ちで緋奈が霊装者になる事を嫌がっていた訳じゃないんだから。

押し付けず、ちゃんと緋奈の思いも聞くと俺は決めた。ここで何も言わずに、緋奈のやりたい通りにしてやれば丸く収まるって事も分かってる。…でも、そうじゃない。俺が見付けたいのは、全員が納得出来る答えであって……今俺が俺の気持ちを蔑ろにしたら、結局何も変わらない。俺が俺の意見を押し付けるか、俺が緋奈の意見を俺自身に押し付けるかの違いでしかない。

 

「…だよね…お兄ちゃんの気持ちは、分かってる……」

 

俺の反対に息を飲んだ緋奈だったが、今度はちゃんと受け止めてくれた。受け入れた訳じゃないが、受け止めてはくれた。

互いに相手の思いは受け止めた。だからこれから選ぶべき行為は三つ。俺が緋奈の思いを尊重するか、緋奈が俺の思いを尊重するか、或いは…お互い納得出来る第三の答えを、見付け出すか。

 

「…逃げる術を覚える、ってのじゃ駄目なのか?何も向かっていくだけが戦いじゃねぇし、逃げる事も自衛の一つだ。…緋奈は、別に戦いたい訳じゃないんだろ?」

「それは、そうだけど…魔物っていうのは、普通の人間が逃げようと思って逃げ切れるような相手なの?」

「…大半は難しいな。でも霊力で強化された身体能力なら話は別だ。出来る事なら、霊力の使い方を緋奈が知るのも避けたいが……全部駄目って言ってたら、いつまで経っても平行線だからな。…それなら、どうだ?」

 

一つ、妥協した案を口にする俺。前の俺ならそれも嫌だったが、既に二度魔物に襲われ、霊装者の事も知ってしまった以上、もう緋奈は完全に無関係な人間とは言えない。皮肉にもそうなった事で求めるもののレベルを下げられた俺だが……それに異を唱えたのは、緋奈ではなく妃乃だった。

 

「…それは、賛同出来ないわ。……いいわよね?私も口を出して」

「勿論だ。妃乃の意見も、聞かせてくれ」

「分かったわ。…悠耶が言ってるのは、霊装者の技術や知識を限定的に教えるって事でしょ?…それは一番危険よ。だって、限定的にでも知っていれば、『それを使って…』って思っちゃうのが人だもの」

「緋奈が逃げずに戦おうとするって事か?緋奈はそんなに短絡的じゃ……」

「短絡的じゃない事は知ってるわ。でも万が一の時、それも逃げる術しか知らない時に襲われて、落ち着いた判断が出来ると思う?咄嗟に戦う事が選択肢に上がっちゃう事が、ないって言える?」

「…それは……」

 

妃乃にそう訊かれ、俺は言葉に詰まってしまう。半ば無意識に緋奈を見ると、緋奈は首を横に振っていた。多分それは、俺の意見を下げさせる為ではなく……本当に自分自身でも「ない」と言い切るだけの自信がない、という事だろう。

 

「…お兄ちゃん、約束じゃ…駄目かな?襲われても、絶対に自衛以上の事はしない。どうしようもない時以外は、お兄ちゃんと妃乃さんを頼りにする…って事じゃ、駄目?」

「……なら、緋奈は誰かが自分と一緒に襲われた時、自分だけを守る事が出来るか?」

「え?…それ、って……」

「…言い方は悪いが、見捨てられるかって事だ」

「…………」

 

トーンを落とした俺の言葉に、緋奈は目を見開いて言葉を失う。…俺は、言葉を続ける。

 

「…意地の悪い事言ってごめんな。でも緋奈なら、もしそうなった時…その人の事も守ろうとするだろ?そうしたら緋奈の危険は跳ね上がる。緋奈は負わなくていい危険まで背負う事になるんだよ。……俺だって、緋奈さえ助かれば…とまでは思ってねぇよ。でも、一番大切なのは緋奈だ。だから緋奈に、自分を守る以上の危険は負ってほしくない」

「…そういう言い方は、ズルいよ…」

「ズルくたって構わねぇよ、それ位俺にとって緋奈は大切なんだからな」

 

これが緋奈の情に訴えかける…いや、拒否したら兄に悪い…と思わせるような言い方だってのはよく分かってる。だがそれでも緋奈を守れるなら、それで緋奈を危険から遠ざけられるのなら……

 

(…いや、感情的になるな俺。今の時点でも、またちょっと緋奈の気持ちを封殺しようとしてるじゃねぇか。押し付けるな、押し付ける事が目的じゃねぇ……)

「…あー…えっと、悠耶…それについて、身も蓋もない事言っていい…?」

「…何だ?」

「…もしそういう状況になったら、まず狙われるのは緋奈ちゃんの方だと思うわよ…?戦闘能力のない霊装者なんて、魔物からすれば恰好の獲物なんだから…」

「あ……」

 

自身へ言い聞かせようとする中で発された妃乃の言葉により、俺は言葉を失ってしまった。重要なのはそこじゃねぇ…とは言わない。俺の意見としては然程重要じゃなくとも、緋奈を説得する為の言葉としては、そこを無視していい訳がないんだから。

 

「…悪ぃ緋奈、今のは…じゃねぇな、今のも俺が間違ってた……」

「う、ううん。…あの、お兄ちゃん。魔物って、霊装者じゃなきゃ対処出来ないの?」

「…それは、霊装者とは別の手段なら…って事か?」

「そういう事」

「だったら、そりゃ難しいな。一応霊力のない攻撃でも無効化はされないが、それで倒そうとなると馬鹿みたいな威力が必要になる。それこそ、個人が使えるような武器じゃ不可能な程の威力が、な」

「そっか……」

 

普通に個人が倒せるなら、霊装者なんて必要ねぇしな…と俺は心の中で付け加える。

それから数分。俺も緋奈も意見提案どれも出せず、静かなままの時間が続いた。…が、それも無理のない事。元々対極の考えで妥協出来ないラインも高いんだから、簡単にどちらかが納得、或いは妥協点の発見なんざ出来る訳がない。

 

「…………」

「…………」

「…一先ず、力があるか試すだけ試す…っていうのはどう?それを経る事で考えが変化するかもしれないし、そもそもまともに戦えるだけの才能が無ければ、ここで答えを出す必要はなくなるでしょ?」

「…一理ある、が…結局それって、答えを先延ばしにしてるだけなんじゃないのか?」

「そう言われると…確かに、否定は出来ないけど……」

 

妃乃からも、これだという意見は出てこない。とにかく謝る事、相手の気持ちを受け止めた上で話す事を目的としてた…ってか、それで頭一杯だったから失念してたが……そもそも、簡単に答えの出る問題じゃねぇからさっきみたいな喧嘩になっちまったんだよな…。

 

(…そういう意味じゃ、一先ずって事で妃乃の言う通りにするのも手かもな…ここまできたらもう、何も霊装者絡みの事はさせないなんて現実的でも……)

「……お兄ちゃん、わたし…お兄ちゃんの力になれてる?お荷物じゃない?」

「なれてるしお荷物じゃないぞ。……ん?何だその質問は…」

「あ、即答を超えてもはや無意識なんだ…そこまでわたしを思ってくれてるんだ……そっか、なら…わたしはお兄ちゃんの、言う通りにしよう…かな…」

「えっ……?」

 

そんな中聞こえた、緋奈からの妙な問い。それに俺が反射的に答えると、緋奈は照れ臭そうな顔になって……それから言った。俺の言う通りにしようかな、と。

 

「……どうして、急に…」

「…わたしね、何も分かってないって言葉がずっと残ってたんだ。……その言葉は、事実だから。正しい判断、合理的な判断が出来るのは…お兄ちゃんの、方なんだよね…」

「……それは…」

「だから、いいよ。これまでお兄ちゃんには沢山の事をしてもらってきたし、きっとこれからもお世話になるから…だからこれは、わたしが我慢する。…わたしはお兄ちゃんを、信頼してるから」

「緋奈……」

 

残念そうに、けれどそれでいいんだってばかりの様子で、緋奈は笑みを浮かべる。これまでと同じように、これまで通りの自分でいると、自らの思いをしまい込む。

もしこれが利益を得る為の取り引きなら、願ってもない展開。妥協せず、納得させられるだけの理由もなしに、100%の意見を受け入れてくれると言うのだから。…けど、だけどよ……

 

(……そんな顔されて、そんな事言われて、ならそれで決まりだな…なんて、言える訳ねぇじゃねぇか…!)

 

俺は緋奈に幸せでいてほしい。笑顔でいてほしい。だが、幸せってのは家族が勝手に決め付けるもんじゃねぇって気付かされたし、俺の望む緋奈の笑顔は、こんな無理したものじゃない。

じゃあ、なんで緋奈はこんなにも悲しそうな笑みを浮かべてるんだ?…そんなの、俺に気を遣って、俺の願いを叶える為に自分の思いを引っ込めたからに決まってる。俺は緋奈を守りたいが、平和に暮らしてほしいが……それ以上に、緋奈の心からの笑顔を奪うような兄にはなりたくねぇ……!

 

「……あー、くっそ…止めだ止め!俺はこんな話がしたいんじゃねぇんだよ!なんで緋奈とこんな話しなきゃならねぇんだ!」

「はぁぁ!?い、いや知らないわよ!?…じゃない、知らなくはないけど…急になんなの!?」

「フラストレーションだ!」

「ヒーローネームみたいに言うんじゃないわよ!意味分かんないからね!?」

 

煩雑に頭を掻きながら俺は喚く。…うん、ちょっとすっきりしたな。本当にちょっとだが。

 

「ええっと…お兄ちゃん…?」

「……悪いな緋奈、俺は根本的な事を…一番大切な事を忘れてた」

「大切な事…それ、って……?」

「あぁ、俺は……基本的に緋奈の心からのお願いなら断らないし、全力で叶えてやりたいと思う系のお兄ちゃんだ!」

 

ばばん、と真顔且つ全力で俺は宣言。…これに嘘偽りはない。俺は本当に、心から緋奈に対してはそう思っているし、これを曲げるつもりも毛頭ない。

 

「……緋奈ちゃん、貴女のお兄さん…何言ってるの…?」

「え、っと…お兄ちゃんはこういう人なので…はは……」

「…そうだったわね……」

「おいそこ!人の真剣な思いを『アレな人』扱いで返すんじゃねぇ!」

 

……なんか茶化されてしまったが、まぁいい。っていうか、大事なのはこっから先だ。

 

「…ったく…そういう訳だから、俺の事なんか気にすんな緋奈。俺の事も思ってくれるのも嬉しいが…俺は緋奈のしたいようにさせてやる事が、それで緋奈が喜んでくれる事が一番嬉しいんだからな」

「…じゃあ……」

 

少し驚いたような表情を浮かべる緋奈に、俺はこくりと頷いて返す。…この気持ちにも、嘘偽りはない。結局感情的なやり方だが、これまでの話はなんだったんだって感じにはなるが…詰まる所、俺はこんな無茶苦茶な事を言っちまう位、妹が大好きな兄なんだから。

 

「……お兄ちゃん、わたしは…わたしも、自分で自分を守れるようになりたい。何も出来ず、ただ守られてるだけにはなりたくない。だから…その為の力を望んでも、いいかな?」

「…勿論だ。だが…自分で言った『約束」は、絶対に守れよ?」

「お兄ちゃん……うんっ!」

 

笑顔を、今度こそ無理してない笑みを見せてくれた緋奈の頭をくしゃくしゃと撫で、俺も小さく笑みを浮かべる。

分かっている。これは緋奈の危険を増やす行為だと。後悔するかもしれない選択だと。…だが、俺はそれでも緋奈に笑顔でいてほしいんだ。誰かの為じゃなくて、自分の為に笑ってほしいんだ。だから…その為だったら、無茶苦茶の一つや二つ…やってやろうじゃねぇか。

 

「…良かったわね、お互い納得出来る答えを出せて」

「まぁ、な。…もしかすると、これまで以上に負担が増えるかもしれないが……それでもこれまで通り、頼めるか?」

「ふっ、見くびらないで頂戴。私は最初から、降りるつもりなんて欠片もないわよ」

「妃乃さんもありがとうございます…!…あ、それと…お兄ちゃんの事は、許してくれますか…?」

「あー…それは……」

 

腕を組み、俺達よりも落ち着いた笑みを見せている妃乃。そんな妃乃に緋奈は頭を下げ、それから俺の事を訊く。その問いに、俺は「そんな事もあったなぁ…」みたいな態度を取り、でも内心そこそこ気にしながら視線をそちらへ。すると妃乃は最初に少し口籠もり……頬を掻きつつ、言った。

 

「…まぁ、その…悠耶は示すべきものをしっかり示してくれたし…許してあげるわ。…それに、ちょっと前に私も理不尽な暴力を悠耶に払っちゃったし、だからそれとおあいこって事で……」

「おう、ありがとな妃乃」

「……っ…こ、こういう時は茶化しなさいよ…もう……」

「ん?弄ってほしかったのか?」

「なッ、ち、違っ…余計な事は言わなくていいの!そうすれば丸く収まるんだから!」

「えぇー…それを言うなら先に余計な事言ったのは妃乃じゃね…?」

「うっさい!それより話はついたんだから緋奈ちゃんの能力確かめるわよ!」

「へいへい…じゃ、頑張れよ緋奈」

「うん、頑張るねお兄ちゃん!」

 

……そうして俺達の喧嘩と話し合いは終わった。そして、緋奈が霊装者としての第一歩を踏み出す事となった。

それは、あの喧嘩を…いや、篠夜と話すまでは絶対に嫌だと思っていた、そうなるなんて想像もしていなかった展開。だが、その道を進む事で、その道を選ぶ事で、得られたものも確かにある。……そんな事を、テストを行う緋奈と指導する妃乃の姿を見ながら、俺は心の中で思うのだった。


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