──信じたくなかった。俺の勘違いか、思い違いだと思いたかった。折角今日は穏やかな気分だったのに、この場に緋奈がいればもっと良いんだよな…なんて思ってたのに、よりにもよってこんな日にこんな事が起こるなんて…と。
だが、どんなに信じたくなくても、俺は見て見ぬ振りなんて出来ない。そんな選択肢は、両親が死んだあの日から一瞬たりとも存在していない。俺にとって緋奈は大切な家族で、何が何でも守らなきゃいけない俺の妹。だから、俺がやる事なんて……決まってる。
「……これで…妃乃、おい妃乃…!」
衝動的に飛び出しそうになる俺の身体を必死に理性で抑え込み、緋奈へあるメッセージを送る。その返信を待つ間に、俺は寝ている妃乃の肩を揺さぶる。少々乱暴な手付きだが、いまはそんなの気にしてられない。
「……ん、っ…なによぉ……」
「妃乃、緋奈が大変なんだ…ッ!」
「ふぇ……?緋奈ちゃん…?」
数秒後、寝惚け眼でゆっくりと頭を上げた妃乃の前へ、猫…いいや、魔物の写った携帯を見せる。妃乃は俺の言葉を聞いた時点じゃぼけーっとしていたが……携帯を見た瞬間、一気に意識が覚醒した。
と、同時に送られてくる緋奈からの返信。書いてあるのは『いいけど、何かあったの?』というもので、俺の『今から電話で話したい。絶対に出てくれ』というメッセージに対しては至って普通の答えと言える。
「…悠耶、焦っちゃ駄目よ」
「分かってる…」
返信を受けて早速電話をかける俺。もし魔物が襲うタイミングを伺っているのなら、俺が下手な事を言って緋奈を動揺させるなんて以ての外。言葉にも、声音にも、最新の注意を払わなきゃいけない。
「…もしもし?どうかしたのお兄ちゃん。何か用事?」
「あ、あぁ…悪いな、急に電話をかけて…。……可愛い猫が、いたもんだな」
「でしょ?ふふっ、ちょっと変わってるけど可愛いよね」
落ち着け落ち着けと心の中で言い聞かせつつ、通じた電話で話し始める。
一先ず最初は他愛ない、且つ違和感のない話題を選択。一刻も早く本題に入りたいところだが…その気持ちを抑えなければ、最悪の結末を迎えてしまう。
「だよ、な……その猫は、今どこにいるんだ…?」
「え?わたしの隣で丸くなってるよ」
「隣…?…っていうと、緋奈は…公園かどこかにいるのか…?」
「うん、えっとね……」
務めて普段の俺を装いつつ、会話の中で必要な情報を引き出していく。
緋奈が口にしたのは、なんと前に俺が妃乃と話した公園だった。嫌な偶然だとは思うものの、場所としては好都合。俺は公園の名前を繰り返す形で、妃乃に緋奈の場所を伝達する。
「…私が先行するわ。悠耶、貴方は歩いて来なさい。理由は分かるわね?」
すれ違う様にして俺の耳元へ顔を寄せた妃乃が、肩に手を置きつつ俺に対してそう投げかけてくる。
もし走れば風を切る音や走る音、何より荒い息が緋奈へと伝わり悪い方へ転がりかねない。…妃乃が言っているのはそういう事で、そんな事は百も承知。分かっているからこそ、俺は妃乃を起こしたのだから。
「……助けるわよ、緋奈ちゃんを」
(…おう)
そう言って妃乃は部屋を出た。俺も緋奈との会話を続けつつ、早歩きで玄関に移動し外に出る。その時点で、妃乃の姿はもう見えない。
「…緋奈、撫でるのは構わないが気を付けろよ?人と動物ったって、見知らぬ相手に触られてる事には変わらないんだからな」
「あ、うん。…この子、何で尻尾が二本あるんだろうね。遺伝子の異常…にしては、どっちも動きが変だったりはしないし」
「そりゃ…あー……猫又なんじゃね…?」
「え、妖怪だったの…?」
昼と然程変わらず蒸し暑い外。だがそんな事関係なしに、口の中がカラカラに乾く。緋奈が狙われたのは最悪の事態だと思ったし、実際最悪だったんだが…カラカラの状態でも尚、内心駆け出したい程焦りながらも普通に会話が出来るのは、相手が緋奈だからこそなんだろう。…だがそんなのは、余りにも皮肉過ぎる。
けれどとにかく俺は、妃乃が到着するまで持たせればいい。妃乃の速度なら、もうかなりの距離を進んでいてもおかしくない。…焦らなければ、俺が普通に話していられれば、緋奈を助ける事が出来る。そうだ、俺がすべき事は、ただ緋奈が動揺しないよういつも通りの会話を……
「……あれ?」
「…どうかしたか?」
「うん……猫ちゃん、いなくなっちゃった…」
「は……!?」
──そんな淡い希望を砕くような、緋奈からの言葉。魔物が緋奈の前から消えたという、突然の事態。
もしそれが、逃げたのなら良い。狙いを別の人に変えたというなら、喜んじゃいけないがまだ俺は冷静な状態を取り戻せる。だがもし、様子見から行動に移ったが為に、緋奈の前から消えたのなら……。
「いつの間にいなくなっちゃったんだろう……」
「う、後ろじゃないのか…?」
「後ろ?いないよ?」
「じゃあ上、或いは近くの茂みはどうだ…?とにかく自分にとっての死角を……いや待て、下手に探す素振りを見せるのは…」
「…お兄ちゃん?なんか、ちょっと焦ってない?」
「……っ…!い、いや…そんな事は……」
「そう?ならいいけ……」
焦りと不安が加速し、気付けば俺は『いつも通り』を忘れていた。そしてそれを、緋奈に感じさせてしまった。
嗚呼、それがいけなかったのか。これが引き金になってしまったのか。そう思わせるように、そう後悔させるように……次の瞬間、絶望を呼ぶ悲鳴が聞こえる。
「……──ッ!!緋奈ッ!緋奈ぁああああッ!」
頭が真っ白になった。背筋が凍り付いて、同時に燃え上がるような熱さにも襲われた。…憎悪?違う。後悔?…それも違う。俺の中に駆け巡るのは、ただただひたすらに恐怖だけ。緋奈を失う事への、どうしようもない恐怖の奔流。
俺は叫んだ。周りなんて気にせず、緋奈の名前を。俺は地を蹴った。失いたくないという思いのままに。
「緋奈ッ!緋奈ッ!くそっ、返事してくれ…してくれよ……ッ!」
霊力による身体強化をフル稼働させ、何度も何度も呼びかけながら走る。何でもいい、緋奈の声を聞きたい。緋奈がまだ手の届かない場所に行ってしまった訳じゃないという確証がほしい。…そんな思いで一杯だったから、俺は通話が切れてしまっている事に暫くの間気付かなかった。
切れていると気付いたのは、公園まで後少しとなってから。漸く気付いた俺はより速く走る為に携帯をしまおうとし……そこで電話がかかってきた。タイミングの悪い…!…と思いつつもちらりと画面を見てみると、そこに映っているのは妃乃の名前。
「……ッ!妃乃!緋奈が、緋奈が…ッ!」
「…落ち着きなさい、悠耶。大丈夫、緋奈ちゃんは無事よ。腕を軽く切られてるけど…命に別状はないし、意識もはっきりしてるわ」
もしも通話ではなく直接会っていたのなら、両肩を掴んでいたんじゃないかと思う程の勢いで話す俺に対し、妃乃は宥めるような口調で言った。言ってくれた。──緋奈が、無事だって。
「……そ、っか…あぁ、そっか…そっか…助かった…助かったよ妃乃…妃乃は緋奈の…いや、俺にとっても恩人だ……」
「…えぇ、私も助けられて良かったわ。それにこれは、私だけの力じゃないもの」
「ははっ、そんな事ねぇよ…もしそれが俺を指してるなら、俺のした事なんて些細な事だ。…でも本当に良かった…緋奈は無事、なんだな…」
絶望が霧散し、代わりに安堵が湧き上がる。思わず脱力してよろけてしまい、近くの石垣に手を付いた後再び俺は公園へと向かう。
嗚呼、良かった。本当に良かった。緋奈が生きていてくれて良かった。俺は心からそう思っている。妃乃への感謝も、際限なく膨らんでいる。…だというのに何故か、妃乃の声からはどこか浮かない様子が感じられる。それは一体、何故だろうか。
(…いや、それはまた後でいいか。それより今は緋奈だ。命に別状がないとはいえ、怪我をしたならちゃんと手当てしてやらなきゃな。それで病院に行くような怪我じゃなきゃ、今日の夕飯は緋奈の好きなものにしてやろう。緋奈は不思議に思うだろうが、それでも俺にとっては……)
一気に軽くなった足取りで、俺は最後の角を曲がる。ここを曲がれば公園は目と鼻の先で、緋奈の姿が見える筈。そう、俺の大切な、俺が守りたい、かけがえのない妹の緋奈が…………
「……お兄、ちゃん…?」
「あ……」
──だが、俺は失念していた。状況を楽観的に見過ぎていた。これまで入念に気を付けていたのに、緋奈の安否で頭が一杯となり、完全にそれを忘れていた。
曲がって見えた公園の中。罪悪感に駆られた表情を浮かべる妃乃と、もうその大半が消滅した魔物。そして……何かを知ってしまった緋奈が、そこにいた。
*
緋奈の怪我は、軽傷だった。一般家庭ならかかりつけの医者に行った方がいいのかもしれないが、幸い俺も妃乃も簡単な手当ての心得があり、だから治療は何とかなった。
身体的には勿論精神的にも強い負荷がかかったようで、治療後にすぐ緋奈は寝てしまった。…だから今、リビングにいるのは俺達二人。あの時と…俺が心を決めたあの日と、同じように。
「……ごめんなさい、私がもう少し早く辿り着けていたら…」
「…妃乃のせいじゃねぇよ」
あの時とは逆に、先に謝罪の言葉を口にしたのは妃乃の方。責めるつもりもなきゃ悪いと思ってない俺は否定するが、妃乃は首を横に振る。
「だけど、私は…きっと油断、してたのよ……私は元々、貴方達二人の護衛の為にここにいるのに…」
「だとしても、これは妃乃が手を抜いた結果の事じゃねぇだろ。四六時中緋奈の側にいてくれなんて言ってねぇし…妃乃のおかげで緋奈は死なずに済んだんだ。…これでも感謝、してるんだよ……」
メッセージが来たのは俺の携帯だが、俺一人じゃ絶対に間に合わなかった。妃乃がいたから、緋奈は軽傷で済んだ。それは疑いようのない事実で、公園に到着する前に抱いた感謝も消えていたりはしない。
けど、それでも俺は喜べない。生きていてくれて心から安心したが…一番大事なのは生きてくれている事に決まってるけどよ……
「……くそっ…たった半年弱…半年弱も隠させてくれねぇのかよ…ッ!」
拳を握り締め、怒りと無念で一杯になった思いを吐き捨てる。緋奈がこちらの世界を知らなくて済むよう、普通に生活出来るよう、その為にやってきた事がいとも簡単に瓦解した。…こんなの、やるせない気持ちにならない訳がない。
いや、違う。頑張ったかどうかなんて本当は二の次。隠し通してやれなかった事、見せないでいてやれなかった事が……どうしようもなく腹立たしくて、悲しかった。
「…悠耶にだって、落ち度はなかったわ。…ただ、これは…隠し切れなかったのが、私のせいでもないのなら……」
「…運が悪かった、ってか?不安だった、それだけの事だってか…?」
「……それは…」
「…分かってるさ、そんな事は…。…悪い、棘のある言い方になっちまって……」
妃乃が責められる謂れはないのだからとここまで抑えていたが…それでもやっぱり、こうして八つ当たりしてしまった。…これじゃ、あの時と同じだ。あの時から俺は、まるで成長していない。
「……どうする、つもりなの…?」
「どうって…そりゃ……」
複雑そうな顔で、妃乃はそう問いかけてくる。俺は答えようとして…言葉に詰まる。
どうするってのは、これからの事。緋奈に霊装者の事を話すかどうか。これから緋奈にどうしてもらうか。…後者はともかくとして、話すかどうかは後回しになんて出来ない。決断は、緋奈が目を覚ますまでにしなきゃいけない。
(……話したくは、ねぇよ。けど……)
緋奈にはこっちの世界とは無縁の生活をしてもらいたい、という気持ちは今も変わっていない。だが既に、緋奈は見てしまった。触れてしまった。…ならもう、それは叶わないんじゃないか…って思いが、俺の中を渦巻いている。
「……隠したいって言うなら、協力するわ」
「え……?」
話すしか、ないのか。……そう思っていた俺に対し、妃乃が言ったのは逆の言葉。それは想定外の言葉で、俺は思わず顔を上げる。
「幸い…って言うのは不謹慎かもしれないけど、あの魔物を見たのは私達三人だけで、緋奈ちゃんにとって魔物は常識の外、あり得ないって思う存在よ。だから、私達が徹底的に否定して、それっぽい理由を用意出来ればまだ誤魔化せるわ」
「…隠し切れると、思うのか?」
「可能性はゼロじゃないわ。…でも、誤魔化し続けるのは今までよりずっと難しいし、はっきりと見た以上はちょっとでも話す事や返す言葉を間違えれば一気に嘘がバレるかもしれない。それに……二度も隠して、嘘を吐き続けようとして、それでバレたら…私も貴方も、きっと信頼を失う事になるでしょうね…」
それは、筋の通った意見だった。確かに経験したのはあり得ないもので、自分以外はそんなものなかったと言うのであれば、間違っているのは自分なんじゃ…と思ってしまうのも無理はない。
けど、隠し続ける難易度がこれまでより高いというのも頷けるし……何より、緋奈からの信頼を失うという言葉が俺の中に響いていた。
自己犠牲に溢れる創作世界の主人公なら、嫌われてでも妹の為に…とか考えるんだろう。だが……そんなのは、嫌だ。
「……これまではまだ、何とかなった。でも、ここからまた嘘を重ねるんじゃ…無理矢理嘘で塗り固めるんじゃ、これから俺も妃乃も緋奈の前では演技をし続けなきゃいけなくなる。ずっと知らない自分を演じなきゃいけなくなる。……そんなのは、妹の前で演技し続けるなんざ…家族じゃ、ねぇよ…」
「…そう、ね…悠耶の言う通りよ。ここで隠すのは賢明なじゃないし…隠し通せても、何かを失う事になるわ」
俺は言った。それは違うんだと。それじゃ駄目だと。妃乃はそれに頷いた。だから、それが表す事は一つ。悔しいが、悲しいが……俺は覚悟を、決めなきゃいけない。
「……って、簡単に決められるなら苦労はしねぇんだよ…!」
「え、な、何が…?」
「…独り言だ、気にすんな……」
雑に頭を掻きながら肩を落とす。覚悟を決めるなんて口で言うのは簡単だが、言ったり思ったりするだけじゃ何の意味もない。
覚悟ってのはつまり、決断する事。道を選ぶ事。そしてこれから俺が選ばなきゃいけないのは……後戻りの出来ない道。
「…………」
「…何も、言わないわよ。これは貴方が、決める事だから」
黙り込む俺へと投げかけられたのは、そんな言葉。…あぁ、そうだ。これは俺が決めなきゃいけない事。俺が選ばなきゃいけない道。どっちを選ぼうと、その先に何があろうと、俺は俺の意思で選び、正面から受け止める責任がある。それが家族の……兄の務め。
「……緋奈だって、きっと…きっと、受け止められるよな…?」
「…そんなの、私に聞くまでもないでしょ。だって悠耶は、ずっと緋奈ちゃんの兄だったんだから」
「…分かってるよ、その上で訊いたんだ。けど、そうだな……その通りだ」
妃乃は気を遣えないのか、それとも遠回しに「貴方の思う通りにすればいい」と言ってくれたのか。…どっちかは分からないが、その言葉は俺の背中を押した。……だから俺は、立ち上がる。
「…俺は今まで、何も知らない緋奈を、何も知らないまま守ろうと思ってた。知らないままでいてほしいと思ってた。…けどもう、知らないままでってのは叶わねぇ」
「…………」
「…だけど、それでも俺は緋奈を守る。緋奈の日常は、誰にも奪わせたりなんてしない。……例え話したとしても、これだけは変わらねぇよ」
…これが、俺の意思。俺の覚悟。それを口にしたのは、妃乃の前で言ったのは、これまで俺に力を貸してきてくれた妃乃への義理で……頼みでもある。
「…図々しい頼みだってのは分かってる。まだ付き合わせるのかって言われても仕方ねぇ。…でも、それでも妃乃……」
「……いいわよ、最後まで言わなくて。ここまできたら一連托生…って訳じゃないけど…これからも私は、力を貸すから」
「…恩に着るよ、妃乃」
頭を下げるより前に、ゆっくりと頷いた妃乃。俺の思いを察し、迷う事なく求めに応じてくれた、今の千嵜家のもう一人の住人。……あぁ、やっぱり…やっぱり頼もしいな、妃乃は。
(…けど、全部は頼れねぇ。俺と妃乃は対等だからこそ、妃乃に任せちゃいけない事もある)
そんな妃乃に頷きを返し、俺はリビングを後にする。向かう先は……緋奈の部屋。
「…入るぞ、緋奈」
ノックをし、数秒待ってから声をかけて中に入る。恐らくまだ寝ているだろうし、起きるまで待つつもりだったが……予想に反して、緋奈は起きていた。ベットの上で、ただ静かに包帯の巻かれた腕を見つめて。
「…あ、お兄ちゃん……」
「…起きてたのか」
やや遅れ気味に俺の存在に気付いた緋奈は、いつも通りの様子。少しばかりぼんやりしている気もするが、動揺していたり強いショックを受けていたりする様子はない。
「…………」
その時一瞬、隠せるんじゃ…という思いに駆られた。もしかしたら、魔物の事を夢だと思ってくれるんじゃないか…と。緋奈にとっての幸せは、やはり知らない事ではないかと。
…けどそれは、都合のいい考え方だ。可能性はゼロじゃないが、俺はその可能性を信じようとしてる訳じゃない。その可能性に甘えて、事なかれで済まそうとしているだけ。そして、それじゃ駄目な事は…もう分かっている。
「…お兄ちゃん?」
「…腕、大丈夫か?」
「あ…うん。動かすとちょっと痛いけど、大丈夫だよ」
「そっか…。……ごめんな、緋奈」
「え…?ご、ごめんって…もしかして、怪我の事?だったら別にお兄ちゃんは何も……」
「いいや、違うんだ緋奈。俺が謝ってるのはそれだけじゃないし…関係が、あるんだ」
ベットの前で片膝を突き、緋奈より少しだけ低い視線で俺は話す。立ったままでいないのは、威圧感を与えない為。椅子やベットに座らなかったのは…緋奈に対する、俺の負い目。
俺の言葉の意味が分からない、という顔で緋奈は俺を見つめている。曇りのない、俺を心から信頼してくれている……俺が今まで、嘘を吐き続けていた緋奈の瞳。
その瞳に、俺はこれから向き合う。望まない形で訪れた、緋奈に真実を話す瞬間。ならばせめて、話す事で少しでも良くなる何かがある事を願って──俺は言う。
「……ずっと、黙ってた事があるんだ。──聞いてくれるか?駄目なお兄ちゃんが、これまで緋奈に隠していた…本当の事を」