双極の理創造   作:シモツキ

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第百一話 長い夜は明けて

確信があった訳じゃない。綾袮さんならもしかしたら、綾袮さんならきっととは思っていたけど、博打も博打、大博打の賭けだった。

助けてもらうつもりで動いていた訳じゃない。頼りにはしていたけど、最も状況を打破してくれそうな可能性だとは考えていたけど、俺は俺自身の力で切り抜けようとしていた。不可能だとしても、そのつもりだった。

けど、俺がどんな事を思い、どんな考えだったとしても、一つの明確にして絶対な事実がある。覆りようのない、真実がある。──俺は、この瞬間…俺を敵と認識したゼリアさんの一撃の前に殺されていたであろう俺は、綾袮さんに……助けられた。

 

「……貴女は…」

「久し振りだね。BORGの秘書…さんッ!」

 

放たれた矢の如く俺と俺へ接近していたゼリアさんの間に割って入った綾袮さんは、紅い霊力の収束剣を天之尾羽張で受け止めた。俺には見えなかったその攻撃を、真正面から防いでいる。

 

「……ち…ッ!」

「……っ!」

 

刀と剣がせめぎ合う数瞬の後、二人は互いに斬り払うように離れ…次の瞬間、常人には視認がほぼ不可能な速度での戦闘が始まった。あの日の魔王戦にも匹敵する、次元の違うレベルの戦い。俺が入ったら…いや、入る事も敵わないような激戦。刹那の間に仕掛け、防ぎ、避けて、次の行動に移る…そんな戦闘が続くのかと俺は思い……その思考に反して、激突は十秒にも満たない時間で終わりを迎えた。

 

「…お久し振りですね、宮空綾袮さん。ご健在のようで何よりです」

 

空中で分かれ、距離を取るように勢いよく着地した二人。綾袮さんは着地後俺の目の前でその勢いを殺し切り、距離以外は最初の衝突と同じような立ち位置へと戻る。

 

「何より、ねぇ…それより驚いちゃったよ。貴女が霊装者で、しかもこんなに強いだなんて」

「それはお互い様です。元々貴女の実力は知っていましたが、やはり流石は宮空の人間なのですね」

 

俺や姉妹には目をくれずに構え直した綾袮さんと、構えはせずとも臨戦態勢は維持したままのゼリアさんが言葉を交わす。二人共、言葉の上では落ち着いているけど…恐らく内心では全力で戦術パターンの検索を行い、同時に相手の隙を伺っているのだろう。

 

「…しかし、何故貴女がここに?戦闘音を聞きつけてやってきたと?」

「ううん、違うよ。…顕人君が、並々ならぬ状況に陥っているって教えてくれたからね」

「……彼が、ですか…?」

 

ここまで綾袮さんを見ていた視線が、その綾袮さんの言葉によって俺の方へと向けられる。視線に籠っているのは、いつの間にそんな事を…という疑問の感情。

 

「分からない?まぁ、分からないよね。だってわたしも全貌を理解してる訳じゃないし」

「…………」

「だから、分かる事だけ教えてあげる。…わたしの携帯にね、顕人君からの電話があったんだよ。それも無言電話っていう、礼儀を大切にする顕人君ならまずやらないような行為がね。で、変に思って部屋に行ってみたら顕人君はいないし、やっぱり電話に返答はない。そうなったら……」

「…由々しき事態が起こったと判断し捜索開始。その結果ここで発見したという訳ですか。……まさか、こんなにも早く想定外の事をされるとは…」

 

俺へと向けられた目が、ほんの少しだけど細められる。それは、やってくれたな、と言わんばかりに。

そう、俺は二人の戦意を削ぎ切る為にゼリアさんに使われる直前、綾袮さんへと連絡をかけようとしていた。けれどゼリアさんに気付かれず電話出来るような状況じゃなかったし、文章を送るのだって同じ事。だから俺は電話をかけるだけに留め、実質的な無言電話を行った。綾袮さんなら、これを切っ掛けに気付いてくれるだろうと思って。…そして、その判断は正しかった。

 

「…じゃ、そっちの質問に答えたんだから、今度はわたしの質問に答えてよ。…どうして貴女がここにいるの?日本に来るのは知っていたけど、ここに来る理由はないよね?」

「諸事情です。私は秘書として、多岐に渡る業務を請け負っておりますので」

「ふぅん…なら、その業務ってものの中には……顕人君を殺そうとする事も入ってる訳?」

 

ここまで刃を交えていた時は強めの声音となっていたものの、概ね普段通りだった綾袮さんの声。……それが、この瞬間一気に冷たく威圧的なものとなった。…その声音を、俺は前にも聞いた事がある。それは、妃乃さんを狙っていた手負いの魔人を討伐した時とほぼ同じ声。

 

「…それについては、回答を控えさせて頂きます」

「いいの?答えないなら、答えられない理由があるからって解釈するよ?」

「えぇ、構いません。元々言葉など、受け取る相手の解釈次第のものですから」

「冷静だね。そう答えるよう指示されたからなのか、それともどうとでもなると思ってるのか…まぁ、どっちでもいいや」

 

既にゼリアさんの目線は綾袮さんの方へと戻り、二人の視線が再びぶつかる。先程のそれは、相手を倒す為の駆け引きだった。でも今の激突は、別のもの。霊源協会とBORG、それぞれの中核を担う人としての駆け引きが、二人の間で行われている。

 

「…そこを退いて頂けますか?私はラフィーネ・ロサイアーズとフォリン・ロサイアーズに用があるのです」

「それは出来ないかな。一時的とはいえうちの管理下に入ってる二人をこんな状況で渡す訳にはいかないし、二人にも色々訊く必要がありそうだからね」

「…退いて頂けないのなら、先程の続きをする事となるかもしれないとしても、ですか?」

「勿論」

 

問いに対する肯定に、俺の中で一層の緊張が走る。…結局、やっぱり…戦いでしか、解決しないのか……?

 

「……私に、勝つおつもりで?」

「どうだろうね。けど、そっちこそ退いた方がいいんじゃない?まさかわたしが何も考えず、誰にも言わずに一人で突っ込んで来たと思ってるの?」

「…………」

「…………」

 

綾袮さんの言葉を最後に、二人の会話は終了する。直接的な事は言わず、敢えて示唆するに留めた綾袮さんの言葉によって生まれた、無言の駆け引き。

二人の放つ覇気で一秒が五秒にも十秒にも感じる時間の中、無言の時間が続く。そして……

 

「…いいでしょう、ここは退かせて頂きます」

「そう。だったらわたしも追撃はしないでおくから、早く帰ってくれないかな?」

「えぇ、そうするとしましょう」

 

剣呑な雰囲気を霧散させ、ゼリアさんは刀身を消した霊力剣を腰のユニットへと格納した。対する綾袮さんも構えを解き、追撃の意思がない事を証明する。

 

「…ですが、ラフィーネ・ロサイアーズ、フォリン・ロサイアーズ。貴女方を何もせず放逐するつもりなど、私にも代表にもありません。よって、二人はその事をゆめゆめ忘れないようにする事です」

『…………』

「では、ご機嫌よう宮空綾袮さん、それに…御道顕人。もし機会があるのであれば、またお会いする事もあるでしょう」

 

徹頭徹尾丁寧な、されと今となってはある種の威圧感すら感じさせるゼリアさんの言葉。それは去り際でも変わらず、俺達の反応や返答も待つ事はせずに飛翔し彼女は夜空へ消えていった。そうしてゼリアさんが完全に見えなくなったところで、張りっ放しだった緊張の糸が漸く解ける。

 

「……っ…」

「……ふーっ…」

 

緊張と一緒に腰も抜けてしまったのか、すとんとその場に座り込んでしまう俺。ほぼ同時にラフィーネさんとフォリンさんも身体を支えていた腕から力が抜け、綾袮さんすら心底疲れたような溜め息を漏らす。

 

「…綾袮、さん…その、助かっ……」

「助かった……じゃないよッ!馬鹿じゃないの!?」

 

いつになく疲労を感じさせる、綾袮さんの背中。そんな綾袮さんにまず言うべきはお礼の言葉だと思い、そのままの姿勢で言いかけた俺。けれど、次の瞬間物凄い剣幕で振り返った綾袮さんによって俺の言葉は封殺される。

 

「あ……いや、その…」

「馬鹿じゃないの、っていうか馬鹿だよ!?多分今日の顕人君は霊装者になって以降最大の愚行をしてるからね!?力にも目覚めてないのに魔物と戦おうとしたのと同じ位馬鹿だし、何も知らない訳じゃない分今日の方がもっと酷いから!顕人君はそれを分かってるの!?」

「……ごめん、綾袮さん…」

 

怒涛の勢いでぶつけられた怒りの言葉は、怒りの感情は、俺の予想を遥かに超えるものだった。愚かな事をしてるという自覚はあったけど、ここまで怒られるとは思わなかった。…だから、という訳じゃないけど…俺は言いかけだったお礼を一度引っ込め、代わりに謝罪の言葉を口にする。

 

「…それは、何に対する謝罪なの?」

「全部だよ。愚行をしたって事に対しても、綾袮さんに心配かけたって事に対しても……俺が今日取った行動を、顧みる事はあっても間違った行いだとは思っていない事に対しても、全部」

「…そっか…なら、もっと強くならなきゃいけないね。単純な戦闘能力も、戦術眼も、交渉術も…片っ端から鍛えていかなきゃ、顧みる事も出来なくなるから」

「…分かってる」

「うん、なら宜しい!」

 

何に対してという問いに対し、俺は正直な思いを口にした。三つ目は言わない方が良いと分かっていても、俺はきちんと言いたいと思った。綾袮さんにも、俺自身にも、その場凌ぎの嘘なんて吐きたくなかったから。

そんな俺の返答を聞いた綾袮さんは、怒るでも呆れるでもなく、俺をここまで導いてくれた霊装者として言葉を返してくれた。そしてそれに俺が首肯すると、ぱっと綾袮さんの表情は綻んだ。

 

「色々言ったけど、わたしはよくやったとも思ってるからね顕人君!愚行とはいえあの状況で一歩も引かずにいられるなんて大したものだし、わたしの心理を読み切っての無言電話なんてほんとに凄いもん!よくこんなの思い付けたね!」

「はは…無言電話は消去法で出来る事探した結果偶々思い付いただけだから、褒められるようなものじゃないよ……ってか、全然増援来ないけど…もしや…」

「あ、うん。あれは嘘だよ。わたし誰にも言わずに飛び出してきちゃったし」

 

あっけらかんとハッタリであった事を公言する綾袮さんに、薄々予想していたとはいえ俺は一瞬言葉を失ってしまう。…あの状況下で、あんな自然に綾袮さんはハッタリを言えるのか…。

 

「…やっぱり、凄いのは綾袮さんの方だよ。嘘もそうだけど、無言電話からここまで推理出来るのも凄いし…何より、二人でも歯が立たなかったゼリアさんと互角に戦うなんて…」

「いやぁ、そう言われると照れるなぁ……と言いたいところだけど、戦闘に関しては多分互角じゃない…かな」

「え……?」

 

改めて綾袮さんの偉大さを感じていた俺だけど、俺の言葉に彼女は表情を曇らせる。普段なら子供っぽく喜ぶような事を言ったのに、まるで綾袮さんは嬉しそうじゃない。

 

「だって、あの秘書さんまだ余裕がある感じだったんだもん。確かに形の上では互角かもだったけど…わたしは殺す気で、じゃなきゃ勝てないって意識で戦ってたんだよ?片や余力有り、片や手加減ゼロの勝負を、互角って言えると思う?」

「それは……」

「…悔しいけど、あの人はわたしや妃乃より…わたしが知るどの霊装者より強いよ。多分、魔王と同格…ううん、もしかしたらそれ以上かもしれない位に…ね」

 

それから綾袮さんが言ったのは、俺にとって衝撃以外の何物でもない事実。俺相手じゃまず戦いにすらならなかったゼリアさんが、綾袮さんと刃を交えた時には落ち着き払った表情が崩れ、小さくだけど舌打ちもしていた。…けれどその綾袮さんですら、ゼリアさんには届かないという。綾袮さんと妃乃さんが連携しても押し切れない魔王よりも、強いかもしれないと言う。……それは最早、格が違うなんてものじゃない。俺にとっては雲の上の綾袮さんより上なんて…想像すらも出来ない領域。

 

「…は、は…見えなかったのは、何も物理的な動きだけじゃなかったって訳か……」

「……改めて分かったでしょ?自分のやった事が、どれだけ無茶苦茶なものだったかが」

「…うん…けど、それでも俺は……」

「分かってる。…それでいいと思うよ。それが、顕人君の成長や強さに繋がるなら」

 

乾いた笑いが出る程に、俺は実力差を分かっていなかった。今やっと、正しく自分の愚かさを理解出来た。…だけど、俺の思いは変わらない。思いの根源はそんなところにないんだから、どれだけの実力差だろうと変わりはしない。

そして、俺は感謝もしなきゃいけない。怒りつつもこんな俺の思いを認め、肯定してくれる綾袮さんの優しさに。

 

「…さて、と…戻ろっか、顕人君。でも、その前に…戻る前に、二人とも話をした方がいいんじゃない?」

「…なら、そうさせてもらうよ」

 

綾袮さんの言葉を受けて、俺は振り返る。俺の後ろには、俺が会話している合間に立ち上がっていたラフィーネさんと、フォリンさんが立っている。

言われなくたって、二人と話をするつもりだった。そのつもりだったけど、綾袮さんとの会話も適当にしちゃいけないものだったし、勝手な啖呵を切って戦おうとした事もあって、振り向き辛いって気持ちも俺の中には確かにあった、…でも、話さなきゃいけないし…話したいって、俺は思う。

 

「……顕人…」

「顕人さん…」

 

振り向いた俺を、二人の瞳が見つめている。色々な思いが混じり合っている事が見て取れる、複雑そうな二人の瞳。俺だって沢山言いたい事があるんだから、二人にだって同じ位……いや、俺以上に沢山の思いを抱いている筈。

 

「…ラフィーネさん、フォリンさん、俺は──」

 

だから言おう、そして聞こう。俺の気持ちを、二人の気持ちを。どんな形であれ、脅威を乗り切った今はそれが出来るんだから。もう二人は、前に進む事が出来るんだから。

そう思って、その思いで、俺は口を開く。口を開いて、話そうとする。だけど……

 

(───あ、れ…?)

 

ぐにゃりと歪み、傾く視界。一気に身体の力が抜けて、自分でもよく分からないまま倒れてしまう。

ぼやける視界の中で二人が目を見開き、二人と綾袮さんが俺を呼ぶ声が聞こえてくる。けど三人共近くにいる筈なのに、その声は遠い。言葉を返そうにも口が、身体が動かない。そうしている内に意識が段々と遠くなっていって…………俺は、気を失った。

 

 

 

 

目が覚めた時、俺は知らない場所にいた。見覚えのない天井に、怠く重い身体に、どうも違和感がある呼吸器。それに、寝起きだからか頭が凄くぼーっとしている。

 

(……今、何日の何曜日だっけ…?)

 

頭がぼーっとし過ぎていて、今がいつなのか全然分からない。確か夏休みだった気がするけど、それもイマイチ確証が持てない。…というか、寝起きなのに眠い。寝足りない感じの眠気じゃなくて、疲れた後みたいに眠い。…寝てたんだから、疲れてる訳ないのに…でもまぁいいか…起きる気力もないし、もう少し寝て……

 

「……おはよ、顕人君」

 

その時、綾袮さんの声が聞こえた。俺の起床に気付いたらしい、綾袮さんからの挨拶が。

 

「…おは、よ……うぇ…?」

 

今正に二度寝するところの俺だったけど、無視は極力したくない。という訳で俺は重たい身体をゆっくりと起こし……かけて、気付いた。俺の寝ているベットの周りには計器っぽい機会があって、俺は酸素マスクを着けていて、薄緑の服を着ている事に。…これ、って……

 

「あ、寝てなきゃ駄目だよ。ほら、ゆっくり横になって」

「…病、院……?」

 

綾袮さんが俺の肩と背中に手を置いて寝かせようとする中、俺は頭に浮かんだ言葉をそのまま疑問形で口にする。色々意味が分からないが…多分ここは病院…ってか病室。流石に俺が寝てる間に部屋を模様替えされたとかじゃないと思う。

 

「そうだよ。…もしかして顕人君、何があったか覚えてない?」

「…よく、思い出せない……」

 

反応が思っていたものと違ったからか、少し驚いたような顔を見せる綾袮さん。その綾袮さんに対し、俺は正直に言葉を返す。

 

「そっか……じゃあ、これを言えば思い出すかな?」

「…これ……?」

「……ラフィーネもフォリンも無事だよ、顕人君」

「……?…二人が無事って…一体何……──っ!」

 

僅かな溜めを入れてからの言葉を聞いた俺は、最初その意味が分からず……けれど次の瞬間、二人が無事だという言葉を起点に一気に記憶が蘇る。身体は重いままだけど、頭は一瞬にして覚醒する。

 

「…そう、だ…あれから…あれからどの位経ったの……!?」

「落ち着いて、まだ二日だよ。…いや、厳密にはまだ二日経ってないね。あの時既に日が変わってたし」

「二日……そっか、良かった…」

 

自分が何週間だとか何ヶ月だとかのとんでもない期間寝ていた訳じゃないと分かり、俺は一安心。…いや、それだけじゃない。二人が無事だったって事も、俺の中では強く安心に繋がってる。

 

「…ごめんね、顕人君。わたしあんなに近くにいたのに、実戦経験だって沢山あるのに、顕人君の傷の状態を見誤ってた。一刻も早く運んであげるべきだったのに…」

「…気にしないでよ、綾袮さん…。そりゃ、確かにそうなのかもしれないけど…こんなの綾袮さんの非なんかじゃない」

「だとしても、だよ。常に気配りが出来なきゃ、特に戦場で適切な判断が出来なきゃ、これまでわたしは宮空の人間として何を学んできたんだって話だから」

「…綾袮さん……」

 

怪我をしたのは俺の責任。誰が悪いかと言えば、負わせた側のゼリアさんか、分かってて逃げなかった俺のどちらか。だから非のない綾袮さんは即座に運んでくれた場合プラスであっても、見誤った事がマイナスになる訳ない…俺としてはそう思っていたけど、綾袮さんはそうは思わないらしくて…少しだけ、自責の念を感じさせる顔をしていた。……でも、それも一瞬の事。

 

「…だから、これでおあいこだね。顕人君は馬鹿な事をして、わたしも馬鹿な見誤りをした。おあいこだから……顕人君も、もうあの事は気にしなくていいからね?」

「…そういう事なら、そうさせてもらうよ」

「うん。…あ、でも顧みる事はちゃんとしてよ?」

「勿論。…それで…俺って、完治までどれ位かかるの…?腹部にあんまり感覚がないんだけど…これは、麻酔…?」

 

…この時俺は、上手いと思った。自分の行いを反省した上で、俺に負い目を感じさせず、更に俺にとってはさっきの、現実的には二日弱前の出来事を悪い形で後を引かないように決着付けるなんて、簡単に出来る事じゃない。実際そのおかげで、俺は気が楽になっている。

けど、気が楽になった事で、頭も冷静になった事で、今の俺の状態に、これから俺がどうなるかに意識が向き始める。今のところ、死にそうな感じはないけど…間違いなく俺は、即退院出来る状態でもない。

 

「…それはね…うん、じゃあ本題に入ろっか。まずは質問への回答だけど、感覚がないのは予想通りの麻酔だよ。で、退院は……普通だったら、どんなに早くとも数週間、悪いと一ヶ月以上かかるみたいだね」

「そ、っか……うん?…()()()()()()…?」

 

数週間から一ヶ月以上。人生全体から見ればちっぽけな、けど若者にとってはとてもちっぽけだなんて思えない時間に意気消沈しかける俺。けど、すぐにその前の言葉が気になって訊き返すと…綾袮さんは、こくんと頷き答えてくれた。

 

「そう、普通だったらね。でも、霊装者には外傷を一気に治癒する技術があるんだよ。具体的に言えば、今の顕人君の怪我程度なら経過観察を含めても一週間以内で退院出来る位の技術が、ね」

「わぉ…凄いね霊装者……」

 

治癒能力だったり、超科学による医療マシンだったりと、メインキャラが特殊な組織に所属する作品では特別な医療手段がある場合が多いんだけど…まさかそういうのが霊装者にもあるとは思わなかった。シンプルにびっくりだし…素直にありがたい。……けど、そこでまた一つ疑問が浮かび上がる俺。

 

「…って、あれ…?…あるなら何で俺が意識を失ってる間にやってないの?…本人の同意が必要だとか、莫大な資金がかかるとかなの…?」

「ううん、やってないのはその治癒を受ける側が落ち着いて霊力を操作出来るだけの余裕がなきゃ出来ないからだよ。言い換えるなら、意識のない相手や操作の余裕がない程精神が乱れてる相手なんかには使えない、って訳だね」

「あぁ、そういう…じゃあ…俺はその治癒を受けたいんだけど、一体どうすれば……」

「それを今から説明するから、しっかり聞いてね?難しくはないけど、適当にやったら最悪怪我が悪化しちゃうんだから」

 

そうして俺は、綾袮さんから説明を聞いた。覚える事が増えると大変だろうから、って事で細かい原理なんかは端折られたけど、簡単に言えば外部からの霊力によって身体を活性化させ、急速に回復へと向かわせる…というものらしい。だから自分一人じゃ出来ないし、受ける側より霊力を流す側の方が難しいから出来る人は限られるんだとか。そして俺は説明を聞いた流れのまま……気付いたら、別室で早速治癒を受ける事になっていた。

 

「や、あの…幾ら何でも早急過ぎない…?早く退院したいから助かるけどさ…」

「ならいいじゃん。…それよりここからは集中だよ顕人君。さっきも言ったけど、これは結果に関わらず身体に負担がかかるし、操作を大きく失敗したら逆に身体が傷付いちゃうからね」

「…わ、分かった……では、お願いします…」

 

俺の治癒を行ってくれるのは、綾袮さんと数人の霊装者。気持ちを切り替えた俺が嘆願すると、その人達はこくりと力強く頷いてくれる。

そこからすぐに始まった霊力による治癒。綾袮さんの指示に従って力を抜き、俺の身体へと流れ込んでくる霊力の操作に意識を集める。

 

(……っ…違和感が、凄いな…)

 

違和感というか、異物感。普段俺は霊力を何となくでしか感じていなかったけど、他人の霊力が入り込んで、そこで初めて自分の霊力がどんなものだったのかと理解していく。

 

「状態に合わせてこっちが調整するから、顕人君は焦らず確実にね」

「……うん…」

 

傷は普通の治療で一先ず塞がれているし、そもそも自分の怪我の具合なんてはっきりとは認識出来ないものだから、治癒が上手く進んでいるのかよく分からない。でも綾袮さんも他の人も落ち着いた表情をしているから、俺はそれを信じて集中を続ける。…間違いなく、一番慣れてないのも技量に劣るのも俺なんだから、自分自身の事に専念しないと…。

 

「うんうんいい感じ。後少しだから、頑張って」

 

そうしている内に、そこそこの時間が過ぎた。俺が考えていた以上の時間が経っていて、身体の調子も初めより良くなった……ような気がする。まだ麻酔が効いている訳だから、実際にはどうなのか分からないけど。

そして綾袮さんの言葉通り、その数分後に治癒は終了した。無事に終わったと効いた瞬間俺はほっとして、同時にその瞬間からどっと疲労に襲われた。その時には驚いたものの…後から考えてみれば、ずっと集中し続けてたんだから当然の事。そうして後日、包帯を外された俺の腹部は……無事、綺麗に傷が塞がっているのだった。


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