Beautiful Charmingへ自由に惹かれて   作:まなぶおじさん

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自由に、惹かれあった

 眠れない。

 夕飯はしっかりとったし、明日のデートの為の事前準備も整えたし、明日着ていく服も決めたし、気分転換にテレビも点けたし、一年前の映画である「恋愛小説」を見て半泣きになったし、そのまま早寝を決行したし、後は眠るだけだ。

 ――なのに、目が冴えに冴えている。意識が、明確に形となっている。

 原因なんて、分かっている。明日の事を考えすぎて、緊張しすぎているせいだ。

 私はべつに、遠足前になると眠れないタイプ、でない。戦車道全国大会前ですら、「明日の為に寝るか」と言って、本当に横になれてしまう。

 ベッドの中で、私はため息をつく。

 なるほど。メグミの言う通り、私は可愛い子なのかもしれない。恋愛の一つをしたくらいで、こんなにも気持ちが左右されてしまうなんて。

 

 考え事をすれば、眠気が来るかもしれない。

 ――明日は、西区アパートの出入り口で待ち合わせとなっている。後は湖へ行ってバードウォッチングを堪能して、昼になれば手作り弁当を交換しあって、次にペットショップに来店してはセキセイインコを見学する。最後に適当な買い物をしてデートはおしまい。だいたいのプランはこうだ。

 

 けれど、私には秘密任務が課せられている。

 白岩に、いつ告白をするか。

 

 このミッションがついて離れないせいで、私の目はギンギラしてしまっているのだろう。

 けれど、そんなのは当たり前だった。何せ告白だ、一世一代の大勝負だ。したこともされたこともないからこそ、「いつすればいい」が頭から離れない。

 頭を左右に振るう。

 出会い頭に告白してしまうか、歩いている最中に告げてしまうか、こういうのは別れ際に漏らすべきか――想像しただけで、体温が上がっていく。どうしようどうしようと戸惑う。

 

 もうわやな心境だったが、一つだけ、確信がある。

 これほどまで悩めるということは、それだけ、彼のことが好きだという証拠にも繋がっている。「ごめん」に対する恐怖心を抱けば抱くだけ、「どれだけ好きなんだか」という天邪鬼が沸いて出てくる。

 ――こんな想いを抱けただけでも、十分だ。

 首を左右に振るう。

 いや、満足してはいけない。想いを言葉にして、それを白岩へ伝えなければいけない。

 言わなければいけないことを言えないまま、疎遠になってしまうなんて、そんなの心底嫌だった。

 

 目をつぶる。

 告白はする、問題は内容だ。何て言おうかな、ストレートに「あなたが好きです!」か。或いは履修者らしく、「私と一緒に、これからも戦車道を歩んでください」か。それとも白岩の名前込みで「白岩……好きです! 大好きなの!」か。

 クサ過ぎて、両足がばたばた泳ぐ。

 しかし次から次へと、告白パターンがタケノコのように生えてくる。白岩は鳥が好きだから、鳥を交えたような告白が一番なのだろうか。けれど鳥をテーマにした告白ってなんだろう、少し考えてみたがまるで思い浮かばない。もうちょっと勉強す、

 

 ぐう。

 

―――

 

 午前8時。

 寝てたんだなーと目を覚まして、三度ほど持ち物チェックを繰り返し、手作り弁当を作っては軽く朝飯をとっていってきます。

 日頃の行いが良かったのか、今日の気温は快適そのもので、空も朝っぱらから青い。後はそのまま、乗り慣れたエレベーターで一階まで降りて、見慣れた男めがけ手で挨拶を交わす。

 

「おはよう」

「おはよう」

 

 デートといえども、調子はそう変わらない。初対面の男じゃあるまいし、変に緊張する必要なんてまるでないのだ。

 ファッションだってそうだ。バードウォッチングを行うということで、動きやすい格好を選択してみたが、雰囲気はいつもとほぼ変わらない。私はデニムジャケットにブラウス、スキニーデニムに赤フレームの伊達眼鏡でキメてみた。もちろん全てがBC社、贔屓万々歳である。

 対する白岩も、すっかり見慣れたBCスタイルを着こなしている。今日は青色でまとめているようで、今日という日と合致していると思う。

 

 両肩をすくめ、私は何となく、こう質問した。

 

「眠れた?」

「ぜんぜん」

「あ、やっぱり?」

「寝ちゃってたけどね」

 

 まるきり同じか。親近感と安心感を抱いて、指さして笑ってしまう。

 

「――デートなんて初めてだなあ」

「俺も俺も。いやーまさか、こんなことになるなんてなあ」

「長かった気がするねー」

「ホントな」

 

 出会いとは、本当に理不尽なものだと思う。

 親から「いい人できた?」と言われなければ、友人が幸せになっていかなければ、一人で飲んだくれていなければ、今頃は白岩と出会えなかったに違いない。ロマンチックのカケラも感じられない出会い方をしてしまったが、今となってはまるで良い思い出だ。

 

「それじゃあ……湖だっけ? そこで鳥を眺めるんだよね」

「まあね。にしてもアズミがねえ、まさかバードウォッチングに目覚めるなんて」

「あんたのせいよ」

「マジか」

「マジマジ」

 

 鞄から、双眼鏡を取り出す。戦車道では長らく世話にさせて貰っている一品だから、信頼性は抜群だ。

 日を浴び、雨に打たれ、風に煽られたものだから、若干ながら色褪せてはいる。けれど、この双眼鏡以外を使うつもりはない。

 

「気合入ってるねえ。あ、虫よけは持った?」

「持った」

「十分。それじゃ、行きますか」

「ええ」

 

 大学へ行くノリで、西区アパートの自動ドアを潜り抜ける。平日だろうと休日だろうと、辿る道はやっぱりここなんだなあと、なんとなく思う。

 今日も元気な日光を浴びながらで、私は、隣に歩く白岩の手を見つめる。

 ――きょう告白するんだから、手のひとつは握りたいよね。

 唾を飲み込む、あたりを見渡す。犬の散歩をしている主婦や、通勤中らしきスーツ姿の男、二両のマウンテンバイクとすれ違ったが、どの人物とも関わったことはない。手を繋ごうが、無関心で済まされるだろう。

 ああもうと、首を左右に振るう。ええいままよと、己が手を動かして白岩の手とごっつんこした。痛かった。

 

「あ」

「あ」

 

 足が止まる、見つめあう。

 互いの手を覗ってみたが、白岩が、私めがけ手を伸ばしていた。この時点ではろくすっぽ判断もつかなかったが、理性が「握ろうとしたんだろ」と声をかけてきた瞬間――私の顔なんて、真っ赤になるしかなかった。

 

「あ、あの、えと」

「あ、えー、なんか悪い」

「わ、悪くないよ?」

「そ、そうなの? じゃ、じゃあ」

 

 何も悪いことなんかないので、ぎこちなく、手を繋ぎ合うことになった。

 

 丸く収まりなんてしない、視線なんて合わせていられない。親友だろうが恋人だろうが、このトシで異性と手を繋ぎ合うなんて恥ずかしいに決まっている。「いつもの調子」なんてものは、こうもあっさりすっ飛んでいってしまった。

 

「――ア、アズミ」

「あ、うん」

「その、迷惑だったら、離してもいいから」

「あ、はい」

 

 それでも、

 白岩の指が、私の手に絡んでくる。私も、同じようにして応える。何故かと言われれば、私は、間違いなく白岩のことが好きだからだ。

 ――気まずいような、そうでないような、虫の音だけが聞こえてくる時間が過ぎていく。駅からはそう離れていないはずなのに、今日ばかりは遠くに思える。日頃から何か悪いことでもしていたらしいのか、世界が意地悪をけしかけていた。

 左右を見る。真正面を見たきりの白岩と、住宅地に敷かれた道路と、色とりどりの一軒家しか目に入らない。何か話題を、己が頭の中からひねり出さなければ――

 

「し、白岩」

「うん?」

「えっと、サークル活動ってさ、土曜だっけ?」

「ああ、まあね」

「ということは、邪魔しちゃったかな。土曜日に約束を取り付けるなんて」

 

 白岩が、「ぜんぜん」と首を振って、

 

「むしろメンバーどもがさ、『はよ行けカップル』って煽ってくるんだよ。あとは『死ね』とか『クソが』とか、松木からは『アズミさんに迷惑をかけちゃダメよ』とか、祝いの言葉を沢山もらった」

「あ、そうなんだ」

 

 散々な言い様に、笑い声が漏れてしまう。仲が良い事はいいことだ。

 

「じゃあ私も、白岩に迷惑をかけないようにがんばりますかっ」

「期待するー」

 

 その時、ポケットからバイブレーションが伝わってきた。メールか何かかと思い、手を伸ばそうとして、携帯がまた震える。この時点で嫌な予感がして、携帯を引っこ抜いて、「新着メールが3件届いています」のお知らせ。

 その場で立ち止まり、苦笑いをこぼしながらで「ごめんね」と白岩に伝える。次に携帯へ目を向けて、「送信者:メグミ」の文字に対して舌打ちした。

 

送信者:メグミ 受信者:アズミ

『今日はデートだね! 骨は拾ってあげるッ!(^^)』→返信→『ありがとう! 今日の枕元は期待しててね!(^.^)』

 

 バイブレーション。

 

送信者:ルミ 受信者:アズミ

『今デートしてる? 私の分まで幸せになってこいよー。くたばれー』→返信→『60年後に期待しててね』

 

 バイブレーション。

 

送信者:シノザキ 受信者:アズミ

『しねー!( ;∀;)』→返信→『いきる(*^^)v』

 

 バイブレーション

 

送信者:島田隊長 受信者:アズミ

『今日だよね? その、頑張って!』→たいちょぉ→『はい。必ず、告白します』

 

 携帯の電源を切る。

 

「友人から?」

 

 爽やかに笑えたと思う、

 

「ええ。みんな、あなたと同じように祝ってくれたわ」

 

 察してくれたのか、白岩は「そっか」と微笑みかけてくれた。

 

 ↓

 

 数十分かけて移動して、ようやく駅から降り立つ。長らく西区に住み込んでいたつもりだが、この地域を見るのは生まれて初めてだった。

 確かに、スーパーや住宅地などは普通に建っている。けれど隅々まで開発はされていないらしくて、少し歩けば草むらが、更に歩けば得体のしれない森が、更に移動すれば何もない野原が、白岩の手に導かれれば、

 

 嘘みたいに広がる湖が、私の前にあらわれた。

 

 今日も、恐らくは明日も青く透き通っている湖が、私の眼にそっと浸透する。湖の周囲だけが澄み切っているのか、高くそびえる山が幻のように見えた。

 湖の周囲には、まるで建築物が存在しない。その代わりとして草むらが控えめに生い茂っていて、湖へ寄り添うように木と木が立っている。その枝には、色とりどりの鳥が好きに生きていた。

 

 人は――居る。その事実に、ほっと息がもれる。

 私と白岩だけだったら、この場所に一生取り残されるはずだったのではないだろうか。

 酔ってるな、私。

 

「……きれいな場所ね」

「だろ」

「こんなところが、あったのね」

「少し歩くと、こういう場所は沢山あるもんさ。……さて」

 

 虫よけスプレーを吹かしながらで、私は白岩の説明を耳にする。

 ここ「東区湖」は、その豊富な水源と、飛び交う虫の多さから、小鳥が寄りやすいのだという。基本的な観察スポットは、湖の上、湖周辺に生えている木の枝なんだとか。

 つづけて白岩が、「あれ見て」と湖へ指差し、私の両目もそれに従う。湖の中心には、一本の木が生えているだけの小島が浮いている。

 サークル曰く「聖域」とのことだが、あそこには高確率で鳥が止まっているのだという。水に囲まれてもいれば、人の手も届きにくいだろうから、とのこと。

 それを聞いて、やっぱり動物は動物、人は人なんだなあと、らしくないことを思う。ここ最近は鳥と遊んでいただけに、なおのこと実感する。

 

「さて――鳥は、基本的には鳴き声で場所を推測するんだけれど……ほら、あの木」

「早速いましたなー」

「でしょ。ここは初心者向けでね、新人が入ったらまずはここに案内してる」

「へー、配慮してるねー」

 

 白岩が「当然さ」と微笑んで、

 

「ここは開かれた場所だから、迷ったりもしない。水源地帯だから、鳥もよく見受けられるしね」

「うんうん」

「双眼鏡は、基本的には見つけた後に覗くものなんだ。肉眼の方が、視野は広いから」

「あ、その理屈はすぐわかった」

「戦車?」

「戦車」

 

 私と白岩が、ほぼ同時に笑い飛ばす。

 

 初心者向けスポットらしく、「同業者」もちらほら見受けられる。中には釣りをしているおじさんおばさんおねーさんにーさんもいて、いい感じに賑やかだ。

 口元が曲がる。

 休日という空気もあいまってか、先ほどから気分がいい。手を繋げた高揚感も、あるからかもしれない。バードウォッチャー達のひそひそ声を聞いて、なんとなく「いいものだなあ」と思う。どこか祭りの会場めいた雰囲気を覚えて、体中から体力が湧き出てきた。

 

 私も双眼鏡を手にして、まずは湖の上を眺めてみる。湖には灰色をした鳥が二、三匹ほど浮いていて、私はあれなにーと指さす。間もなく、白岩が「カイツブリかなー」と応えてくれた。

 流れゆくカイツブリを目にして、なんとなく羨ましいと思う。あそこにいるカイツブリは、七面倒くさい人間社会とは無縁に生きているはずだ。鳥界隈にもいろいろあるだろうが、嫌なことがあれば、羽ばたいてすっきり忘れられるに違いあるまい。

 来世になったら、鳥になることにしよう。

 そんな支離滅裂な思考をしていると、一匹のカイツブリと目が合った。まさかねと手を振ってみると、カイツブリが羽ばたいてみせたのだ。

 

「――アズミ」

「ん」

「ペットショップの店員に、ならない?」

「あー、いいかも」

 

 へらへら笑う。もしもプロになれなかったら、そういった道を歩むのも良いかもしれない。

 

 ――数分が経過して、一通り湖の上は眺めてみせた。カモやカイツブリといった鳥たちを見て、「ああなりたいなあ」と何度思ったことか。

 次は、「聖域」の木を観察してみることにする。まずは肉眼で様子見してみたのだが、さすがは聖域、すぐにでも鳥たちの姿を視認できた。

 双眼鏡越しから、鳥の姿を観察してみる。

 聖域の地には、白と黒の小鳥たちが気ままに歩行している。横から「あれはセキレイですなー」の声、「あれがセキレイかー」と応える私。改めて双眼鏡で見てみると、小鳥の目は以外にも大きい。それでいて、跳ねるように移動するさまが、私の心をつかんで離さない。

 色々あるだろうけれど、頑張って生きて欲しいと思う。願わくば、鳥としての幸せを見つけて欲しいと想う。だから私は、手を軽く振るってみせて、一羽のセキレイがこちらへ飛んできた。

 

 慈悲なくズームアップされるセキレイを前にして、情けない声が漏れた。釣り人の一人が、「突撃か!?」と驚く。敵意をかってしまったのかと、両腕で顔を庇い、衝撃に備、

 肩に感触が伝わってきて、まさかと、自分の右肩を覗いてみる。そして予想通り、セキレイが私の肩にお邪魔していたのだ。

 

「アズミ」

「な、なに?」

 

 誤魔化すように、あえて気の抜けた笑みを浮かばせる。

 ――何が嬉しいのやら、白岩は「いいなー」と声に出して、

 

「やっぱりさ、素質、あるみたいだね」

「……なんでだろうね?」

「そりゃあ、まあ、アズミが魅力的だからじゃない?」

「馬鹿言わないでよ」

 

 口では軽く、心臓は重苦しく動揺する。

 いつもの調子でああ言ったのか、それとも白岩なりのアプローチなのか、いくら考えても見当がつかない。

 

「そ、それよりもほら、聖域のあれ、あれは何かな?」

 

 聖域に生えている木の枝を、私は必至こいて覗き込む。

 枝の上には、水色がかった鳥、セキレイ、そしてツグミが悠々と止まっている。中には、餌を取り合う二羽もいた。

 

「あの水色は?」

「カワセミ」

「ほおー」

 

 やっぱり、バードウォッチャーなんだなと改めて思う。鳥が好きでなければ、こうも簡単に答えられはしないだろう。

 戦車道にしても、同じことだからだ。

 

「みんな、可愛くて綺麗ね」

「な、鳥っていいだろ」

「うん」

「――まあ、この場所で一番綺麗なのはアズミだけどね」

 

 考えるよりも先に、「ばかっ」と叫んだと思う。白岩ときたら「悪い悪い」と謝ってきて、私はつい「謝らなくていいっ」とかなんとか言ってしまった。

 ほら見なさい、先ほどの釣り人が「楽しそうですね」と言ってきたじゃないか。連れの男も、なんだか笑ってるし。

 

「……白岩」

「何?」

「さっきの、冗談?」

「まさか」

「へー……ありがと」

 

 こうしたやりとりも、いつの間にか交わすようになってきた気がする。だからこそ、本気で口説かれたのか、いつもの調子で評価されたに過ぎないのか、よくわからない。

 口元をへの字に曲げながらで、ふたたび木の枝に集中する。

 

 まずはツグミの姿が目に入るが、ツグミはその場から動こうとはしない。木の枝の上で、ずっとずっと何処かを見つめているだけだ。

 つぎにカワセミだが、なかなか活発な性格らしく、木の枝の上を移動したり、別の枝めがけ小さく飛んだりもする。着地に満足したのか、誇るように羽ばたいてみせた。

 更にはセキレイを眺めてみる。セキレイの周囲に虫がぶんぶん飛んでいるのだが、当のセキレイは無関心そうにぼうっとしている。心が広いなあと思っていると、セキレイは「いつの間にか」クチバシを上下に動かしていた。

 「へ」と声に出してしまった。改めてセキレイのことを凝視していると、あの動きは――トンカツを食っているメグミそのものの動きだった。

 そうか、とって食ってしまったのか。そりゃそうだよね。

 

 大自然の厳しさを実感しつつ、私は鳥から鳥へと視線に移していく。途中、白岩が「どうだい?」と聞いてきたが、私は双眼鏡を手離さないまま、

 

「これは、癖になる」

「お、そうかい?」

「ええ。鳥にも、色々な生き方があるのね」

「だね。こうして見てみると、やっぱり性格ってのはあると思うよ」

「そっか。……観察って、奥深いね。楽しいとか、そういうのもひっくるめて」

「奥深いけれど、過干渉さえしなければ、誰にでも楽しめる趣味だとは思うけどね」

「なるほどね。……肩に乗ったセキレイがここにいますけど」

「それはしゃーない」

 

 仕方がないよねと、私は、おどけるように手のひらを傾ける。

 そうしてふたたび、白岩は双眼鏡を片手に鳥たちを眺め出した。ごく冷静な素振りで。

 

 白岩は生粋の観察好きだから、これまでも様々な鳥たちを見届けてきたのだろう。その中には良い思い出も、中には見たくもない場面を見てしまったのかもしれない。

 それらを含めて、白岩は今もバードウォッチャーを続けている。決して干渉せず、助けもせず、代わりに自然の流れを拝見するに値した、そんな男として生きている。

 

 それを考えると、私の知っている白岩って、「例外」そのものだったんだと思う。

 私の跳躍を願う感想文、私の為の黄文字、勝っても負けても称賛――何もかもが、過干渉だった。ぜんぶ、私のことばっかりだった。

 

 私のために、バードウォッチャーとしての協定を破るなんて。ずるいなあ。

 

「……白岩」

「ん?」

 

 観察者の横顔を、そっと覗う。

 

「その……あなたのお陰で、隊長に勝てた。ありがとう、すっごく感謝してる」

「どしたの急に」

「いえ。ここ、いい場所だから。なんとなく、ね」

「へえ。……でもまあ、俺のレポートを読んでくれて、改善を体現したのは、間違いなくアズミさ。だから、この勝利はアズミのものでいい」

「それは違うと思う」

「そうかい?」

「ええ」

 

 白岩が、私のことだけを見る。

 

「……じゃあ、二人で羽ばたけた、ということで」

「うん」

 

 決めた。このデート中に、絶対に告白しよう。

 

 肩の上に乗ったセキレイが、笛のように鳴いた。たぶん、応援してくれたのだと思う。

 

 ↓

 

 その後も、バードウォッチングは続いた。大人しい鳥、あちこちを散歩する鳥、飛び立っていく鳥、悠然と湖を泳ぐ鳥と、色々な存在を観察できたと思う。

 私は携帯で、白岩はカメラを用いて、鳥たちの姿を写真の一枚に収めていく。ついでにセキレイと私のコンビも撮られて、「やめてよー」と白岩の肩をはたいたりもした。

 そうしていれば腹が鳴って、私と白岩は手作り弁当を交換しあう。白岩からのメニューは、履修者大好き目玉焼きハンバーグ。私からの献立は、隊長が好きな目玉焼きハンバーグ。かぶったねえと、互いに笑い合ったのは記憶に新しい。

 

 二人と一羽で弁当を堪能した後は、もう少しだけバードウォッチングを楽しむことにした。こうして見ているだけなのに、鳥たちはありとあらゆる姿を見せてくれる。

 だから私は、嘘偽りなく、「やってみようかな、バードウォッチング」と言ってみた。

 すると白岩は、「いいんじゃないかな。道具とか、教えるよ」と、快く歓迎してくれた。

 数日後になれば、また、彼の隣でバードウォッチングをこなしているのだろうか。それは、私次第だ。

 

 

 バードウォッチングを終えた後は、電車に乗ってふるさとの東区へ戻る。あっという間に都会の匂いがやってきて、背筋を伸ばしながらで安心感を覚える。

 そしてそのまま、約束通り、ペットショップへお邪魔して――

 

「へえ、綺麗な鳥ってけっこうかかると思ってたんだけれど、八千円くらいなんだ」

「アズミが見ているインコは、人向けに飼育されたやつだね」

「うーん、雛から買うのも良いけど……難しそう」

「アズミならいけると思うけどね、真面目だし」

「そっかな」

 

 ところどころに配置されているガラスケースには、色とりどりのセキセイインコが元気いっぱいに動き回っている。その見た目はもちろんのこと、悪意が感じられない瞳、勇ましくも無垢そうな足、楽しむように跳ねる歩き方に、私はすっかり目を回していた。

 

「どうする? 今日、飼う?」

「いえ、予算が整ってから飼うわ」

「てことは、俺のソラにもようやく春が来るんだなぁ」

「そういうことね」

 

 たくさんのセキセイインコに注目されながら、私は小さくため息をついて、

 

「――ソラ君が先になっちゃったか、ご結婚」

「悔しいなー」

「ねー。……あのさ、結婚といえば、さ」

「ああ」

 

 私の隣には、至近距離には、セキセイインコのことをじいっと見つめている白岩がいる。傍から見ればカップルだ。

 

「あなた、将来はどう考えてる?」

「そっだなー……まあ、生きていけるだけの金を稼げて? 休日になったら鳥を見て?」

「ふむふむ」

 

 ここで、白岩の言葉が止まる。ちらりと横顔を覗ってみたが、心なしか、その顔は赤く染まっているように見えた。

 

「――誰かと、結婚、したいかな」

 

 私の思考がつまづく。

 セキセイインコたちは、今もなお私のことを見つめてばかりだ。白岩が隣にいるというのに、一羽として白岩に注目していない。

 それだけの瞳に捉えられて、逃げるように視線を逸らしてしまう。はやく言えと迫られているようで、もう少しで夜だぞと警告されているみたいで、そんな妄想で頭がいっぱいになる。

 

「アズミ?」

 

 声をかけられて、私は慌てて目を覚ます。呼ばれるがままに白岩の方へ向けば、白岩の、深刻そうな表情とぶつかった。

 

「どした? なんか、具合が悪そうだったけれども」

「え……あ、ううん、なんでもないなんでもない」

「そう? ならいいけど」

「うんうん元気元気。……あ、でさ、白岩」

「ん?」

「その――どういう人と結婚したいんだっけ? 前にも聞いた気がするけど」

「え、あー、カッコ良い女性がいい、かな?」

「ああ、そうだったそうだった。でもいいんじゃない? ここ最近の白岩はカッチョいいし、お似合いお似合い」

「おお、そうかそうか。……ま、これからもさ、俺は自分を磨いていくよ。格好ってのは、大事なところだから」

 

 だね、私は頷く。

 ――私は戦車道でも、ファッションでも、カッコ良さを重きに置いたつもりだ。ファッション方面では一度たりとも否定されたことはなかったし、戦車道においても、

 

 ――さっきのね、あのね、なまらかっこよかった!

 

 他でもない、尊敬している人から、こう言われた。

 だから私は、世間一般で言うカッコ良い人になれた、のだと思う。はたして白岩の範疇に踏み込めているかは不明だが、最低限のラインは突破出来たと思う。

 

「――で、アズミはどうなの? 将来」

「私? 私はー、やっぱり戦車道の世界選手になることかな」

「やっぱか」

「やっぱね。たぶん、そればっかりに集中してると思う」

「プロいね」

「でしょー。……後は、まあ、あれね。結婚できるものなら、してみたい」

 

 そして、白岩と同じ望みへ着地する。

 皆が皆、そうでないことは分かっているけれど。それでもやっぱり、好きな人と結ばれたいのは、普遍的な希望だと私は強く思う。

 

「……結婚、か」

 

 白岩の目線が、そっとガラスケースへ移る。

 

「アズミは確か、癒してくれる人が好きなんだっけ?」

「う、うん」

「癒しって、どういう人?」

 

 その質問をされて、瞬時に回答が浮かんだ。

 その質問をされて、瞬時に発音が落ち込む。

 だって、「そのまんま」だから。口にした時点で、恥ずかしさのあまりに死んでしまうだろうから。

 私も、ガラスケースへ逃避する。たくさんの鳥たちから、黙って見つめられた。

 

 ――私は、成せる女だぞ。隊長を越えようとして、ほんとうに超えられたオンナだぞ。プロを目指すからには、幾千もの困難を乗り越えていける程の根性が、度胸が必要になってくるんだぞ。

 告白よりワンランク下のことも言えないで、プロになれると思っているのかアズミ。心の癒しなくして、今更生きていけるのか、私――

 深呼吸。

 

「癒しっていうのは」

「ふむ」

「料理が出来て、気遣いができて、いつでもどこでも、私を支えてくれるような人、かな」

 

 世界一、簡単な問題を回答した。

 だからか、達成感は抱けない。爆発的な緊張感と、恥じらいを覚えるだけだった。

 

「――そうなんだ」

 

 白岩の、納得するような声色。

 

「っかそか、なるほどね。いやありがとう、いいことを聞けたよ」

「へえ。いいこと、なんだ?」

「ああ。アズミ、思った以上に可愛いんだな」

 

 絶対に、顔が真っ赤になったと思う。

 

「……うるさい」

 

 ふてくされながら、髪をいじりながら、心が躍りながら、私はセキセイインコたちのことをじいっと見つめた。

 インコは、私と白岩のことを眺めている。

 

 ↓

 

 黄色いメスのインコを買うわ、今度。

 白岩にそう告げた後で、私たちは適当にショッピングを楽しんだ。主に服装周りを見て回ったのだが、私も白岩も真っ先にBC系列のコーナーへ突撃して、あれ着たいこれ着たいアズミこれ着て白岩こそ着てよとモメにモメた。

 その活気に店員さんも引き寄せられて、「いらっしゃいま、まあ! 我がBC社の服を」「ええ、母校でして」「そうでしたか! ほんとうにお似合いですよ! ……そんなお客様には、これがお似合いかと!」と服を薦められ、ノリやすい私はつい指先を伸ばそうとしたが――検討してみますと、にっこりお茶を濁した。

 ここで予算を使っては、インコや、鳥かごなどが買えなくなってしまうから。

 

 その代わりに、白岩が「おすすめはどれですか?」と助け船を出してくれた。白岩もBC社の服を着こなしているからか、店員さんも大喜びで「これはどうですか? 今、流行っていまして」と、次から次へとトップスを提示してきたものだ。

 白岩は「そっだなー」と悩んで、一番安いモデルに対して「これください」「ありがとうございます」。

 

 気を遣わせて、ごめんね

 え? いやあ、気に入った服だったし。気にしないで

 

 ――告白しないと。

 

 ↓

 

 そうして、何度決意しただろう。

 気づけば、空模様は夕暮れ時に染まっていた。色々なことがありすぎて、いつの間に、とすら思った。

 暗い――それだけなのに、「今日はもうだめか」とすら思う。夜といえば良い雰囲気、良い雰囲気といえば恋の場面であるはずなのに、私の勇気は一向に沸いて出てくれない。

 白岩とともに、家である西区アパートまで足を進めていく。口では「今日は楽しかったわね」と言っているくせに、手を繋ぎ合っているのに、心中は落胆ばっかりだ。

 

 たぶん、「いつも通り」に過ごしていったからだと思う。

 白岩とおしゃべりをするのも、表情をころころ変えるのも、鳥と遊ぶのも、服装であれやこれや言い合うのも、ぜんぶがいつも通りだった。

 それほどまで、白岩との距離は近すぎた。それ故に、きっかけというものを掴めずにいた。順調に事が運びすぎて、ある一種のムードが生じなかったのだ。

 近すぎるというのも、考え物だな――そうして、西区アパートの出入り口にまで差し掛かってしまって、今日はこれでおしまいかあと思っていると、

 

「なあ、アズミ」

「うん?」

 

 白岩の両足が止まる。私も、それに従う。

 ――白岩から、緊張感めいた何かが生じたと思う。真顔のまま、エレベーターの方を見つめていて、私は黙ってそれを見守るだけ。

 

「――あのさ」

「うん」

 

 あまりにも静かだったから、耳鳴りが生じた。後ろで、自動ドアが閉まる音がする。そのままの時間がほんの少し絶って、カラスの鳴き声が高らかに響いた。

 息をしているはずなのに、無味無臭の味しかしない。白岩は未だに「あのさ」で止まったきりで、私はそれを見ていることしかできない。あと少しで夜が覆おうとしたところで、私たちの背後で、聞き慣れ過ぎた音と振動が、無遠慮に伝わってきた。

 戦車が、通り過ぎていったのだ。

 

「アズミ」

「……うん」

 

 戦車が、白岩の何らかを呼び覚ましたのかもしれない。

 白岩がこちらを見る。いつものように、気楽そうに笑いながら。

 

「今日、俺の部屋で、夕飯をとらないか?」

 

 ↓

 

 こうして私は、333号室まで案内された。白岩が戸を開けると同時に、「オカエリー! シライワー!」の声から迎えられた。

 白岩の部屋へ入って、久々にソラと会う。途端にソラときたら、「アズミ! アイドルアズミ!」と、羽を何度も何度もばたつかせてくれた。かわいいやつ。

 

「悪いね。急に誘っちゃって」

「いいよ、別に。おなじ西区アパートだし、何の問題もないわ」

「だな。思うと、俺ん家は久々だよね」

「ええ。今見ると、なんだかこう、いろいろ違う」

「そうかい?」

 

 そうして白岩は、鞄をベッドの傍らに置いて、ソラのエサと水を取り替えて、次にチャーハンを作り始める。その後ろ姿を見て、なんとなく、主夫だなあと思った。

 部屋を、見渡してみる。

 

「ほんと、料理を作れる男になっちゃったのねえ」

「アズミだってそうだろ?」

「まあね。でも、ホントにあなた、変わった気がする」

「……かもね。アズミと会った時から、色々あったし」

 

 コルクボードには、相変わらず沢山の写真が貼られている。私の記憶が正しければ、以前よりも増えたような。

 

「白岩」

「ん?」

「私と会えて、どうだった?」

「え? そりゃあ、楽しくなったよ」

「へえ、それは嬉しい」

「アズミはどうなんだよ」

「私も、白岩と同じ」

 

 改めて、白岩の部屋を眺めてみる。

 強烈な特徴などは、特には見受けられない。何を基準にしていいのかは分からないが、いたって普通の男の部屋だと思う。

 テーブルの上に手を置いて、「朝食」のことがフラッシュバックする。以前は冷凍食品で腹を満たしていたはずなのに、今の白岩は、腕によりをかけて料理を作っている。

 その変化に、私の口元が曲がる。

 

「あなたがいなかったら、私はきっと、隊長に勝てないままだっただろうなー」

「そうか? アズミは、やればできる子じゃないか」

「そうね。けれど、ひとりふたりっていうじゃない」

「確かに」

 

 チャーハン特有の、脂っぽくも弾むような匂い。

 布団が目に入って、ああやだやだと苦笑してしまう。色々すったもんだはあったが、今となっては良い思い出だ。そう締められるのも、彼が「何もしなかったから」。

 

 次は、ソラへ視線を向ける。エサを勢いよく食っているが、私の視線に気づいたらしく、「アズミー!」と挨拶してくれた。白岩が「あいつめ、喜んでやがる」とぼやく。

 その一声が何だか嬉しくって、「はあい、ソラー。もう少ししたら、いいことあるかもねー」と口にする。ソラが素直に首を傾げ、鳥ってなんて可愛いんだろうと思う。

 

「よし、そろそろ出来るかな」

「さすが。いやあ、これはモテ夫確定ですわ」

「よせよ、俺はそういうのに興味はないから」

「純ね」

「純だからな」

 

 ふと、本棚に目が入る。あそこには確か、鳥関連の本が豊富に取り揃えられていたはずだ。トリだけに。

 本の背中にも、「バードウォッチングバイブル」とか、「全国鳥図鑑」とか、とにかく白岩らしいラインナップがある。後で読ませてもらおうかなと、目で品定めをしていると、

 私の視線が、止まった。違和感が生じて、本能と理性が待ったをかけたから。

 ――戦車、

 

「出来たぞー」

「あ、うん」

 

 ごまかすように、視線を本棚から白岩へ早変わりさせる。

 上手く作れたのだろう。いい顔とともに、出来立てほやほやのチャーハン二人前を運んできてくれた。

 目前に皿を置かれ、チャーハンの匂いが容赦なく私の鼻孔をくすぐる。食欲が暴力的に煽られて、「おお」と声まで出た。白岩は「どーだー」と口元を曲げて、スプーンを私に手渡して、

 

「飲み物も用意してやろう」

「やたー」

「で、何飲む?」

 

 それはもちろん、

 

「赤ワイン! お酒ならなんでもいいけど」

「酒か」

 

 冷蔵庫を開けた白岩が、ぴくりと止まる。何かあったのだろうかと、白岩の背中を覗う。

 

「酒、か」

 

 ――重々しく、白岩が振り向く。

 仕草とは裏腹に、白岩は、にへらと苦笑して、

 

「俺、酒飲めないんだよね」

「あ」

 

 そういう事情持ちだったか。

 ならばと、私は「なんでもいい」と提案しようとして、

 

「アズミ副隊長!」

「あ、はい!」

 

 副隊長と呼ばれ、反射的に姿勢を整えてしまう。

 

「これより自分は、赤ワインをたらふく買ってきます!」

「白岩!? そんな命令は下していない!」

「いえ! 親愛の証として――ぜひとも買わせていただきます! チャーハンはお先にどうぞ! では、Salut(またな)

「白岩ーッ!!」

「ホネハヒロッテヤルゾー!」

 

 イケメン男は、イケメンダッシュとともに、自室から姿を消していった。あとに残るは、ソラとチャーハンと緑茶入りペットボトルと沈黙だけ。

 ――白岩ぁ

 あなた、どこまで私に気を遣ってくれるのよ。白岩と私に後腐れを残さないように、あんなノリまでしでかしちゃって。

 ほんと、イカした男だ。

 心から、そう思う。

 テーブルに肘をついて、ため息をつく。

 白岩のこと、好きなのにな。

 なんで、告白ができないんだろうな。

 好きだから、なんだろな。

 

「アズミ!」

 

 独特の声色が、部屋全体に響いた。

 少しびくついたが、動揺はしない。ここにいるのは私と、

 

「アズミ! ゲンキダセ!」

 

 ソラ、だけだからだ。

 ――心配してくれるというのは、それだけで心身に良い影響を及ぼす。だから私は、にこりと笑えた。

 

「ああ、ありがとうソラ。……あのね、べつに、落ち込んでいるってわけじゃないんだけどさ」

 

 言ってもいいかな、と思う。

 言ってしまうか、と決意する。

 少しでも想いを漏らしてしまえば、この気持ちも少しは軽やかになるだろうから。

 

「わたしねー、あなたの飼い主のことが……ううん、白岩にさ、ほれちゃったんだー」

 

 ソラが、私のことをじいっと見つめている。

 

「ソラ、あなたはいい飼い主に出会えたね。あの人はね、私のことを、たくさん支えてくれたんだよー。そんなイケメンにさ、ホレないはずがないよねー。ファッションセンスもいいしさー」

 

 スプーンを、くるくると回す。

 

「今日さ、デートしたんだけどさ、白岩のこと、ますます好きになっちゃった。でも告白できなかったー、私は臆病でーす」

 

 わざとらしく唇を尖らせて、スプーンを上下にひらひらと動かす。

 ――そして私は、何の意図もなく、なんとなく、こう言った。

 

「白岩は、私のことをどう思ってるのかな。ソラくーん、私はそれを知りたいなー」

 

 白い蛍光灯が照らす部屋の中で、私の言葉が棒読み気味に伝わった。

 頬杖をついて、ソラににこりと笑ってみせて、言ってみて心が穏やかになりつつある頃、

 

「ナア、アズミ。キイテクレヨ」

「え、何なに? 聞くー」

 

 なんだろう、面白い話でも聞かせてくれるのかな。

 私は、そのままの姿勢でいて、

 

「アノサ」

「うん」

「オレサ」

「うんうん」

 

「――オレサ、アズミニヒトメボレシタカモシレナイ」

 

 思わず、笑みが漏れた。

 

「え、マジ? マジで? いやー、それは嬉しいなあ。ありがとう、ソラ君!」

 

 私はにこりと、ソラめがけウインクを送る。この行動に意味があるかは分からないが、好きになってくれた相手に礼は惜しまない。

 そうやって、私は生きてきたつもりだ。戦車道履修者を名乗る者として、恋する女として。

 

「――オレサ」

「うん? なあに?」

 

 今度は、どんなことを言ってくれるのかな。喜色満面の笑みを浮かばせながらで、そう思い、

 

「アズミニホレラレルヨウナ、カッコイイオトコニナル!」

「お、いいねいいね。でもソラは、ソラのままでいいんだよ?」

「ダカラコレカラ、カイモノヲスル!」

「え、鳥が買い物? どゆこと?」

 

 ソラが、ばたばたと羽を羽ばたかせて、私は、「おお」と声を出てしまった。なんだろう、買い物ってどういうことだろう、ペットショップに関することなのかな。

 私が疑問に思う中、ソラは片時も私から目を離さないままで、言った。

 

「ビーシーシャノフクヲカッテ、アズミラシクカッコイイオトコニナル!」

 

 ――え。

 

「タカイケレド、タシカニオレハ、アズミニホレタッ! ダカラ、オレハヤル! バイトモスル!」

 

 戦車道履修者の脳が、瞬く間に「判断」を下す。

 ソラは、セキセイインコだ。セキセイインコは、言われたことしか口にしない。ソラがいま喋っていることは、何者かに告げられた内容の繰り返し。その何者というのは、この部屋の主で、飼い主で、私にとっての救いの主で――

 

「ジャ、カイモノシテクル!」

 

 そして、ソラのオウム返しが終わる。

 この瞬間から、世界中から音が消えたのだと思う。

 私は、縋るように、ソラへ指先を伸ばして、

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

 

 ぴくりと、私の指が留まった。

 そうだ。私が掴むべきは、ソラじゃなくて――

 

「今日サ、アズミト昼飯ヲ食ッタンダ! ナリユキデ、アズミノ友達ト仲良クナレテ嬉シカッタ!」

 

 耳が、慣れたからかもしれない。ソラの言いたいことが、だいぶ伝わってきた。

 

「デモ、戦車道ノ話ヲサレタトキ……正直、ヨク分カラナカッタ! デモ、アレダケ真剣ニ語リアウアズミヲ見テ、ヤッパカッコ良イッテ思ッタ!」

 

 声が漏れる。記憶が、色濃く蘇る。

 やっぱりあの時、白岩は、少しばかり苦しんでいたんだ。

 

「ダカラオレ、戦車道ヲ学ブ! アズミノチカラニナリタイ! ……ミテクレコノ専門書ヲ! 買ッチマッタゼ!」

 

 アズミの理性が弾け、一刻も早く本棚へ視線を移す。

 ――先ほどまで抱いていた違和感は、これだったんだ。「バードウォッチングバイブル」、「全国鳥図鑑」、「初心者向け、インコの飼育マニュアル」、「戦車道基本ルールブック」、「島田流の極意」、「夏はこれで決めろ! 男のコーディネイト」。

 声が出た。

 そんな、そんな、

 私よりも先に、白岩は、こんなにも想いを積み重ねていたなんて。

 

「オレハ応援スルゼ、アズミノ戦車道ヲ!」

 

 ――そっか。

 そっか。

 

 よく、覚えていてくれたね、ソラ。さすが、長年の話し相手だね。

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

「うん」

「ヤッテミルモンダナ! 練習試合、レポートトシテマトメラレタゼ! コレガ結構ウケガ良クテサ――」

 

 それから私は、白岩の嘘偽りない本音に耳を傾けていった。

 友達と言われた時、少しへこんだけれど、絶対に諦めないと誓った事。癒してくれる男が好みだと私が告げた時、料理を覚えて私の腹を満たそうとした事。島田愛里寿を越えたいと語った時、そんな私が格好良いと、これからも応援すると決意した事。私が彼に、好きな人はいるのかと問うた時、恥ずかしさのあまりあやふやに返答し、後悔した事。

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

「うん」

 

 私からお手製弁当を配られた時、半分本気で死んでもいいと思った事。私とインコについて語り合った時、アズミが鳥に興味を持ってくれて、本当に嬉しかった事(この話に関して、ソラは結構羽ばたいてた)。私が隊長へ一撃を当てた時、テンションに任せるがまま、大喜びしていた事。

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

「うん」

 

 ――松木から誘われた時、部室で二人きりになって、最近格好良いよねとか、雰囲気変わったよねとか、そんなことを言われて、いつの間にか「好き」と言われたこと。

 それを、ごめんと、返したこと。

 アズミさんのことが好きなんだねと、松木も知っていた事。

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

「……うん」

 

 私が隊長に勝った時、とにもかくにも祝ったり、鳥かごの鍵を外してソラと踊ったり、もうめちゃくちゃだったらしい事。

 そして、私からデートに誘われた時、

 

 必ず、アズミに告白すると誓った事。

 

「アズミ!」

「うん」

「キレイ! カッコイイ! パーフェクト! ケッシテナイ!」

 

 ――わかった。

 

 金属音とともに、戸が開いた。

 

 ↓

 

「ただいまー」

 

 足を使って靴を脱ぎ、横一列に並べ直す。母から何度も何度も「ごちゃごちゃにしてはいけません」と言われたお陰だ。

 

「いやーお待たせ、ここからコンビニって少し遠くてさあ」

 

 居間に腰かけているアズミめがけ、手で交わす。そのままテーブルの上を見てみると、アズミのチャーハンは一口も手をつけられていない。

 しまったなーと、心の底から思い、

 

「あー……食べづらかったかな? ごめん、勢いでコンビニに行っちまって」

「ううん、ありがとう。あなた、ホントにイケメンなのねえ」

「え、どしたの急に」

 

 アズミからそんなことを言われて、ついついだらしなく破顔してしまう。

 とりあえずはコップをアズミの元へ置いて、レジ袋から二本の赤ワインを取り出す。酒を買ったのなんて初めてだったから、まこと新鮮な購入だった。

 ズバリお目当てだったらしく、アズミが「おおー」と喜ぶ。心の中で、ガッツポーズをとっておいた。

 

「さ、飲みなよ」

「うん。――でもさ、その前に、聞いて欲しいことがあるの」

「え」

 

 アズミの笑みを見て、俺はひどく動揺した。

 その穏やかな表情には、迷いみたいなものがなかったから。間違いなく、俺だけを見据えていたから。

 

「あなたってさ、本当にイケメンだよね」

「な、何どしたの? 赤ワインの礼なら、もう十分だから」

 

 アズミが、首を横に振って、

 

「私に刺激されたんだっけ、ファッション」

「まーね」

「何度も言ってるけど、とてもセンスがあると思うよ。個人的なことだけれど、私がきっかけっていうのも、いいなあって思う」

 

 照れくさそうにしながら、俺は手のひらを左右に動かす。けれどアズミは、平穏な顔のまま、

 

「ね、白岩」

「うん?」

「今まで、ほんとにありがと。私の為に、高い本まで読んで、勉強してくれて」

「え、あ? な、何のことか」

「本棚、見たよ。あんな分厚いの、よく買ったねえ」

「――アズミの影響で、戦車道に興味が沸いたし。古本屋で買ったから、安かったし」

「嘘。2500円はするよね、島田流の極意」

 

 言い訳を遮られて、「う」と声が漏れる。

 ポケットから、携帯を取り出して、

 

「ネットで調べた」

 

 俺はなんとか、笑えていると思う。ヘマなんかは、していないと思う。

 悟られたくなかったのだ。アズミの為に金を使っただなんてバレたら、生真面目なアズミは色々と気遣ってしまうだろうから。

 だからこそ、このテの質問には「ネットで調べた」で返してきた。

 

 ――失敗した。もう少し、部屋に気を遣えば良かった。浮かれ過ぎた。

 

「今まで、私の為に、ここまで頑張ってくれたんだね」

「いや、俺は、好きなことしかしていないから」

「じゃあ、なおさら嬉しいな」

 

 アズミの目と口が、そっと曲がる。

 

「ここまで一緒に歩んできてくれて、本当にありがとう」

「だ、だって、アズミはさ、俺の、おれの、」

 

「――愛してる」

 

 聞こえた、と思う。

 そんなことすら信じられないのは、それを先に言われてしまったから。

 

「好きだよ、白岩」

「……俺、アズミに好かれるようなこと、したかな?」

 

 嬉しさが、完全爆発したからかもしれない。同時に、あまりの恥ずかしさがマグマのように湧いて出たせいかもしれない。

 だから、そんな「言い訳」を口にしてしまったのだ。けれどアズミの笑顔は、そんなことなぞ意に介せず、

 

「とぼけないの。どういう風に歩んできたのか、あなたが一番よく知ってるでしょ?」

「――まあねー……」

「それにね」

 

 アズミが、自分のミディアムヘアを指先でつまむ。ほんの少しだけ、瞳を地に落とした後で、そっとそっと、俺と目が合う。

 

「女の子はね、あなたのような男の人から応援されることが、何のよりの夢なんだから」

 

 ああ。

 感極まって、ニヤケ面のままで、俺は意味なく天井を見つめる。鏡を見たら、さぞかしひどい顔をしているに違いない。

 ――息を吸う。

 アズミは、俺の事を好きだと言ってくれた。ならば俺も、それに応えなければいけない。

 ――息を吐く。

 

「アズミ」

「なーに?」

「その、アズミの告白に便乗するような形になっちゃうけど。俺も、アズミに言わなくちゃいけないことがあるんだ」

「うん」

 

 恐れなんて、アズミの勇気の前に消えた。

 だから俺は、男として応えることしか考えられない――

 

「アズミ。俺は、お前の事が、好きだ」

 

 ようやく、言えた。

 

「初めて会った時から、一目惚れに近い感覚で、アズミのことが好きになってた」

「――そっか、そうだったんだね」

「……なんか、その、悪いね。アズミのような清い理由じゃなく、まずは外見だけで好きになってしまって」

 

 けれどアズミは、苦笑気味に微笑む。

 

「いいじゃない。だって私は、戦車道の看板娘なんですもの。まずは外面が通じなきゃね」

「そっか、そか」

 

 許されたような気がして、もやめいた感覚が薄らいでいく。うつむき、長く長く吐息を漏らして、もう一度だけ「そっか」と口にした。

 

「誰かに惹かれる理由なんて、自由でいいのよ」

 

 苦笑いをこぼしたまま、俺はそっと視線を上げる。

 アズミはやっぱり、年上のお姉さんのように、ゆったりと笑う。

 

「そうやってきっかけが生まれて、少しずつその人のことを知っていって。それでいつかは、心から愛し合うんですもの」

「――そうだね。今となっては、戦車道を歩むアズミのことが、大好きだから」

「ありがとう」

 

 言うべきことを、言い終えた。

 瞬間、重くも心地よい疲労感が、あっという間に全身に回ってきた。

 

「……やっと、言えた」

「……ええ」

「……ごめん、言うのが遅れて。その、ビビっちまって」

「ううん。私もほんとうは、デート中にあなたへ告白するつもりだった。でも、勇気がね……あなたにフラれたりしたら、死んでしまうような気もして」

 

 嘘では、ないのだろう。

 俺も、同じようなことを思っていたから。

 

 ――その時、ソラが羽をばたつかせた。俺もアズミもソラの方へ目が向いたが――その時のアズミは、ソラに対して控えめなピースサインを示していた。

 なんだろうと気にはしたが、すぐに「まあいいや」と投げた。きっと、祝ってくれたに違いない。

 

 なんとなく、己が服を見る。確かに安い出費ではなかったが、こうして着こなせたからこそ、アズミは俺のことを好きになってくれたのだ。

 内面も大事だが、やっぱり外見は整ってナンボだ。その点を尽くしたからこそ、今の自分のことも、前より愛せている。

 

「アズミ」

「うん」

「確かに、こうしてお金はかけちゃったけれど、後悔なんかしてない。楽しかったし、アズミに振り向いてもらえたから」

 

 アズミが、同意してくれるように、頷いた。

 

「……そっかー、あーあ」

 

 今度はアズミが、天井を見上げてみせる。

 

「これは、メグミとルミに悪いことしちゃったかも」

「どうして?」

「だって、さ」

 

 アズミの首が、がくりと落ちる。ほんの少しだけうつむいたままで、ゆっくりと目が合っていって、視線と視線がようやく元通りになって、

 

「世界一格好良い男から、告白されたんだから」

 

 それもそうかと、俺は無責任に笑う。アズミも、開き直ったかのように両肩を震わせた。

 

「オニアイ! オニアイ!」

 

 ――ありがとう、ソラ。お前が言うなら、きっとそうなんだろう。

 

 

 後は、無事平穏に時が過ぎていった。

 「いただきます」と共にチャーハンを食べ始めて、テレビを点けて今日のバラエティ番組を視聴する。見知った芸能人が、「今日のテーマはこれ、今をときめく戦車道!」と大声で告げて、赤ワイン片手に「ほほう」とアズミが前のめりになる。

 ピックアップされたのは、アズミが前に話してくれた「高校生対大学選抜チーム」の試合内容だ。識者曰く「奇跡の一戦」とのことだが、アズミは「頑張りましたけどねー、やっぱりねー」と実に不満たらたらそうだった。最初は「どしたん」と思ったが、テレビから不穏な事情を伝えられ、アズミに対して「頑張ったな」と肩を叩いた。対して、「ありがとー」の声。

 

 続けて、番組からは「日本戦車道、世界へ羽ばたく日!」と大々的に宣伝された。俺はアズミの方を見たが、「負けるつもりはないわー」と赤ワインを一杯。流石だなと苦笑してしまいながらも、「これからも応援する」と誓い、アズミも「ありがとー」と親指を立ててくれた。

 友人同士のようなやりとりが、今となってはとても愛おしい。恋人同士になろうとも、変に硬くならないあたりが、実に俺とアズミらしいというのか。

 そんな光景をじっと見つめていたらしいソラが、「オニアイ! オニアイ!」と何度も煽ってきた。こいつぅと憎まれ口を叩き、アズミがえへへと笑いかける。

 

 ――夜もそろそろ更けてきた。

 互いにチャーハンを完食し終え、アズミはワインを一本ほど飲み干した。続けて二本目に襲い掛かろうとしたが、あまりにも顔が真っ赤だったので「明日、明日な!」とストップさせたのは良い思い出だ。

 テレビを消して、食器諸々を洗いながらで、

 

「今日は、本当にありがとう」

「……うん」

「明日からは……このままでいいよな。この方が、俺ららしいし」

「そだね」

 

 皿に洗剤をかけて、少し力みながらで汚れを落としていく。

 

「こんな時間だし、そろそろ帰るかい? あ、ナンバーはちゃんと覚えてる?」

「……うん」

「なら安心だな」

 

 笑う。これで忘れてしまっていたら、俺はまたしても、絨毯で眠ることになっていただろう。

 ――皿を洗い終える。コップめがけスポンジを突っ込み、おんどりゃあと洗浄する。

 

「俺のことはいいから、今日はもう帰っていいよ」

 

 間。

 

「アズミ?」

 

 コップを洗い終える、すべての食器が綺麗になる。

 返事が返ってこない。それだけで不安に陥り、首を振り向かせてみれば――地面に両手を預けたアズミが、眠そうな目で、俺のことを子供のように見上げていた。

 

「アズ、ミ」

「――くれないんだ」

「え?」

 

 まばたきが生じた。

 

「なにもして、くれないんだ」

 

 俺は多分、この時の為に生き永らえてきたのだと思う。

 きっとそうだ、そういうことなのだ。だって俺が、いま、そう決めたから。

 そっと、姿勢を低くする。

 海面のように光るアズミの目が、俺の本能を惑わしてくれる。羽のように揺れるアズミの髪が、俺の理性を乱そうとする。宝石のように艶めくアズミの唇が、俺の恋心を燃え上がらせる。

 こんなにも美しい人が、俺と結ばれたなんて――夢とは、もう思わない。これからも俺は、この現実世界で、アズミの心を癒していくと決めたから。

 

「アズミ」

 

 アズミの両肩を掴む、アズミの体が怖がる。大丈夫だよと微笑んで、アズミも「うん」と返してくれて、そのまま――

 

――

 

 朝の訪れを肌で感じ取ったあと、ベッドの上で、俺は怠惰に目を覚ました。記憶が正しければ、俺はアズミと一緒に眠ったはずだ。

 

 カーテンが閉じられているせいか、自室は青く薄暗い。いつもなら真っ先に朝日を出迎えるところだが、まずはアズミの寝顔を見てみたい。

 おそるおそるアズミを覗う。

 

 ――寝息を立てながら、穏やかにアズミは眠っていた。

 

 アズミの寝顔を確認すると同時に、ベッドから這い出る。先日は外を歩き回ったし、今日は部屋の中でごろごろしてみようか、アズミと一緒に。

 ――アズミとキスはしたが、それ以上のことはまだしてはいない。そういうのは、晴れて「結ばれてから」だ。

 けれど、一緒に寝泊まりするぐらいは、いいだろう?

 

 さて。

 音を立てながら、ワンルームマンションのカーテンを開ける。途端に真っ白い日光が浴びせられ、目と意識が眩みそうになった。セロトニンが充填されていくのを実感する。スズメの鳴き声を聞いて、俺の口元が少しだけ釣り上がる。

 今日もいい天気だなあ。そう思いながら、俺は「朝だぞー」と鳥かごのカバーを外してやる。早速とばかりにセキセイインコことソラが「オハヨー!」と挨拶をしてくれた。年がら年中話し相手になってくれる、とても頼れる相棒だ。

 よし。

 後は顔を洗って、歯磨きをして、朝飯を作れば、ひと段落がつく。しかも今日は日曜日というわけで、テンションも気分も心地よく安定しているのだった。

 

 けれど、俺も人並みに「敏感」だったらしい。

 

 確信をもって、背中から「変化」を感じた。

 両肩でひと呼吸して、なんとなくじれったく、首だけを振り向かせて、

 

 ベッドで眠っていたはずの、アズミとやっぱり目が合った。

 アズミとお見合いになって、俺は笑えたはずだ。

 インコのソラが、今日も元気よくオハヨーと挨拶をした。

 

「おはよう、白岩」

「おはよう、アズミ」

 

 朝日を浴び、髪を揺らして、アズミはいつものように微笑む。

 

―――

 

「で? アズミ殿はまーた白岩とイチャイチャっすか」

 

 食堂の椅子に座り、最初に声を出したのはメグミだった。やる気なく、トンカツが咀嚼されていく。

 

 戦車道を歩み終えて、シャワーをひと浴びした後は、必ずお腹が鳴って食堂へひとっ飛びする。これも、戦車道における必然の一つだった。

 今日も戦車道講座があるから、たくさん食べて、体力を身につけなくてはいけない。アズミのように、背を伸ばしたいし。

 

「らしいよ、今日はアズミお手製のお弁当があるから、食堂には寄らないんですって」

「ほーん」

「で、ここ最近はバードウォッチングのサークルにも入ったようで。インコも飼い始めて、順調みたいね順調」

「ああ、これは絶交ね」

 

 ルミが苦笑いして、メグミは破棄無くぶーたれる。対して私は、それに口出しはしない。

 二人が結ばれたと知った時、ルミとメグミは軽やかにハイタッチを交わしていたから。私も、ほっと胸をなでおろしていた。

 

「最近は遠慮なく手まで繋ぎ合うようになって、チーム全体がきゃーきゃー言うとりますわ」

「あったりまえでしょ。副官にカレシよカレシ、そりゃあ注目の的になるわね」

「……どきどきするよね、ああいうの」

 

 ルミもメグミも、私の言い分に頷いてくれた。

 メグミがトンカツを飲み込み、眉をハの字に曲げながらで味噌汁に口をつける。一方のルミは、シナモンをかじり終えた後で、鞄から一冊の雑誌を取り出してきた。

 

「あ、今月号」

「そ。インタビュー見てよ、早速浮かれてるから」

「みせて」

 

 表紙はやっぱり、敬礼をとったアズミだ。パンツァージャケットを着こなし、履修者らしく自信満々に笑むその姿は、「いつもの」アズミとほぼ変わらない。

 ルミの手で、月間戦車道のページが軽やかにめくられていく。その間にも戦車の紹介写真、試合の一場面、役員のインタビューなどが流されていって、

 

「あった。どお? 幸せそーな顔してるでしょ」

 

 これまでのアズミの写真といえば、爽やか一色だったり、自信に満ち溢れた表情をしていたりして、常に前向きさを表現していた。

 けれど、今回の写真はどうだ。視線はカメラから逸れていて、分かりやすいくらい赤く染まっている。けれどもどこか嬉しそうに笑っていて、完全に恋する女の子状態だった。

 

「何これ! あの子こんなに可愛かったっけ!?」

「おお……」

 

 メグミが、アズミの写真めがけ指さして笑う。ルミも特には反論しないようで、「困った子だ」とばかりに口元を曲げていた。

 

「インタビューは……はあー、なるほどねえ。ちきしょー」

 

 私も一通り読んでみたが、なるほど、メグミの気持ちも少しは分かる気がする。これほど幸せに生きている人が間近にいるのだ、それはやっかみの一つや二つは出てくるだろう。

 けれど、

 メグミもルミも、決して嫌なことは言わないし、顔にも出さない。むしろ、アズミの行く先を楽しみにしているかのように、適当な軽さで笑い飛ばしている。

 だから、私は思う。

 メグミにも、ルミにも、きっと、アズミのような出会いが待っていると思うよ。

 

 その後のことはといえば、私は、「戦車道履修者の休息」というページを強く凝視した。アズミはどういう服を着ているのか、どんなお化粧を使っているのか、気になって気になって仕方がなかったからだ。

 前のめりになりすぎていたせいか、ルミが「熱心ですねえ」と笑う。そうなるのも仕方がない、私はいつか大人の女性になりたいのだ。

 ――恋も、してみたくなった。

 

「隊長、良かったら貸しますよ、それ」

「ほんと!?」

 

 メグミめがけ、ぐいっと首を伸ばす。メグミは「きゃー」と黄色い声を上げて、ルミが「あ、メグミっ」と怒る。これは重要な資料になるから、是非とも是非ともと目で訴える。

 

「ええ、構いませんよ。……そうですよね。隊長も、そういうお年頃ですもんね」

 

 そして、メグミが雑誌を手渡してくれた。

 姉のように、慈しく微笑みながら。

 

「メ、メグミ」

「はい」

「ありがとう」

「いえ、いいんです」

 

 その時、ルミが「あ、そうだ」と指を鳴らした。いつも思うのだが、どうやったらそれを真似できるのだろう。

 何度もチャレンジしてみたが、上手くいった試しがない。かといって教えを乞うのも恥ずかしいし、どうしたものかと思う。

 

「隊長」

「うん?」

「今度、一緒に買い物へ行きませんか。いろんな服、探しますよ」

「ほんとう!?」

 

 理性と本能から、声が漏れた。目なんて、無遠慮に見開かれている。

 そんな私に対して、ルミは、「ええ」と頷いて、

 

「隊長は可愛いですから。きっと、どんな服も似合うと思います」

「そ、そうかな?」

「そうですよ。ね、メグミ?」

 

 メグミも、うんうんと肯定してくれた。それがなんだか恥ずかしくって、唸り声とともにうつむいてしまう。

 

「あ、どうしました? 隊長」

「ルミも、その……ありがとう」

 

 ルミと目を合わせて、ちゃんと言えた。

 ――ルミは、ほんの少し沈黙して、二十一歳の微笑を返してくれた。

 

「隊長。いつも……私たちを導いてくださって、ありがとうございます」

 

 ↓

 

 昼食をとり終え、「ごちそうさま」と手を合わせる。そのまま食器を片していって、ルミは気分転換に花壇巡りを、メグミは外へ散歩をすると言って姿を消していった。

 私は、もう一度だけ食堂の席につく。ちゃんとアズミのインタビューを読み込むために、月間戦車道を広げてみた。

 

『こんにちは、今月号も表紙を飾らせていただきました、アズミです。

 えっとですね……ここ最近になって、彼氏が出来ました。本当にほんとうの話です。

 彼……Sさんとしましょうか。Sさんと出会ったのは、とある公園のベンチです。これだけ聞くとロマンチックに聞こえるでしょうが、実際は酔っていたところを介抱されたんです。ね? ロマンも何もないでしょう(笑)

 それから、特別なことなんてありませんでした。大学生らしく普通に出会って、お喋りして、いつの間にか好きになっていって、勢いのままで告白しました。気付けば相思相愛でした』

 

 うなずく。

 

『よく、戦車道履修者には『出会い』がないという声が届いてきます。でも実際、周囲を見てみると、格好良い男の人ってけっこう多いんです。

 それは顔でもいいですし、性格でも構いません。話題が合ったから、でも良いんです。とにかく『あ、この人は』と思って、段々と付き合っていけば……その人のことが、もっと好きになっていきます。あなたが好意を向けるからこそ、相手もあなたのことを愛していくはずです。

 ――月刊戦車道の広告塔だからこそ、言います。男性の皆さん、履修者のことが気になりだしましたら、普通に声をかけてみてください。彼女達もあなたがたと同じように、普通に愛を求めています。辛い時は、泣いたり、飲んだくれたりと、いたって普通の人間をしています』

 

 ページをめくる、二枚目の写真が目に入る。パンツァージャケット姿のアズミが、愛車のパーシングへ寄りかかりながらで空を見上げていて、肩にはやっぱり鳥が止まっている。

 

『履修者の皆さんへ。戦車道は女性の武芸ですから、男性が混ざることはありません。それが原因で、やはりどうしても出会いは狭まってしまうでしょう。

 では、合コンやバイト、サークル活動などはどうでしょうか。そこには、男性との出会いが絶対にあるはずです。だいじょうぶ、飲んだくれにも出会いはありましたから(笑)

 もしあなたが、恋愛を望むのなら、誰か気になる人がいるのなら、ひょっこり声をかけてみてください。

 それはとても恐ろしいことかもしれませんが、たくさん恐れてください、そうした上で行動してみてください。清く正しく格好良い戦車道履修者のあなた達ならば、この行為は正しいと確信していけるでしょうから』

 

 うんうん。

 

『長いインタビューになりましたが……履修者の皆さん、どうか幸せな道を歩んでいってください。礼を尽くす貴女がたこそ、報われるべき乙女達なのですから』

 

 インタビューが終わる。私は納得するように、小さく頷く。

 アズミはいま、幸せに生きているのだろう。だからこそ、こんなふうに言えたのだ。

 ――よかったね、アズミ。

 

 月間戦車道を、ぱたりと閉じる。

 

 めでたし、めでたし。

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これで、「Beautiful Charmingへ自由に惹かれて」はおしまいです。戦車道アイドルと一般人の、メタルな恋愛を描けたと思います。

この話をもって、バミューダ三姉妹の物語は全て完結しました。
今まで応援してくださった皆様には、本当に頭が上がりません。

次からは、しばらくは「偶然出会う」を禁止にしたいと思います。本当は愛里寿編も含まれているのですが、長いスパンをとって、書く予定です。

また、次からは読みやすいように5000文字で一話切りをしたいな……と考えています。

それでは、本当にありがとうございました。
頑張った自分のご褒美として、ビルドドライバーを買ってきます。

それでは、最後に、

ガルパンはいいぞ。
アズミは、美しいぞ。

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