Beautiful Charmingへ自由に惹かれて   作:まなぶおじさん

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そして、

 週明け。

 割と涼しい早朝から、333号室(白岩の部屋)でビビりながら直立する。部屋番号を眺めてみて、羨ましいナンバーだなと少し思った。

 緊張する。

 胸を触ってみて、露骨に脈を打っているのを確認してしまう。

 落ちつけと、己が頬を叩く。いたい。

 受け入れるように、観念するように、両肩で息を吸った。

 

 やれるだけのことはやった。

 待ち合わせ時間も十分間に合ってる。

 次は、するべきことをしなければならない。

 メタルなドアの前で、勢いよく呼吸する。生ぬるい空気が、肺にじんと伝わってくる。ぴんぽんを押すのなんて、おっかない敵車両を見つけて撃てと指示するよりもよっぽど――難しい。

 

 けれど、ここで退くわけにはいかない。

 朝を迎えたら、白岩を昼飯に誘おうとベッドの中で決めただろう。

 緊張と興奮状態に陥って、まるで眠れた気もしない。

 こうしてインターホンすら押せないということは、やっぱりそういうことなのだ。

 ――それは認める。今日の「手荷物」なんて、モロに白岩のことを意識したものなのだし。

 

 よし。

 やるぞ。

 私は大学選抜チームの副隊長だ。男一人を誘えないで、何が戦車道のプロだ。

 インターホンに手をかけ、

 

「いってきまーす」

 

 鉄の扉が開かれ、白岩と私の目が合った。よくも体が反応して、ドアに合わせて後ずさり出来たかと思う。

 間。

 

「きゃ―ッ」

「わ―ッ」

 

 ほぼ同じタイミングで、己が口を己が両手で抑え込む。私も成長したのだなあと、しみじみ思いながら、沈黙を打破する為に、

 

「あ……お、おはよう」

「あ、おはよう。――どしたの? 俺に、何か用事?」

「あ、ああうん。用事ってほどでもないんだけれど」

 

 言い終えてみて、「あ、すこし嘘ついたかな」と思う。これから一緒に登校することを抜きにしても、私には、白岩個人に重大な用件を抱えているというのに。

 ――またしても、沈黙が訪れる。

 けれども白岩は、嫌な顔を一つせずに、「ん?」と首を傾げたままだ。あまりにも静かすぎて、虫の鳴き声が明確に聞こえてくる。どこか遠くで、履帯特有の重苦しい走破音が響いた。

 聞き慣れた騒音を耳にしたからだろう。戦車道履修者としての、真剣な私の面が目を覚ました。

 皆の為に、そして自分の為に、やる。それが私の戦車道だ。

 その信念を、つばごと飲み込んでみせる。

 

「白岩。あのさ、今日、お昼に用事とかあったりする?」

「え? うーん、特にはないかな」

「そっか。……ふふふ、今日は昼飯代を払わなくてもいいぞー」

「え、なんで?」

 

 白岩が冗談めかして笑う。私は、ええいままよの勢いを忘れないまま、ごくごく自然に鞄を開けて、中身を引っ張り出して、

 

「じゃーん」

 

 二つ重ねの包み箱を、白岩めがけ大袈裟に差し出す。そうでもしなければ、恥ずかしさのあまり尻込みしてしまうから。

 白岩は最初、なんだそれという目つきになった。それから白岩なりに考察してみたのだろう、花火のように表情が明るくなって、手まで叩いてみせて、

 

「弁当か、それ!」

「そーよー。あなたには日ごろから世話になってるし、そのお礼のつもりで」

「マジでー? 俺なんもしてないぜー?」

 

 白岩が、知らぬ存ぜぬとばかりにへらへら笑う。私もけらっけら笑ってやった後で、

 

「今日、戦車道あるんだけれど」

「え、マジ?」

 

 たぶん、本能的に言葉が漏れたのだと思う。白岩が「あ」と気の抜けた一言を漏らして、観念したようにくつくつと笑う。

 

「……ありがたくいただきます」

「よろしい。ふふふ、ちゃんと味見したから、うまいわよー」

「いやー、アズミは戦車道履修者だから。そこらへんは妥協しないと思ってた」

「何よそれー」

 

 白岩と付き合って半ばが過ぎたが、白岩もずいぶん上手い事を言うようになったと思う。戦車道にしたって、「ネットで調べた」とか言って、私たちのグループの中で一緒になって議論したりするのだ。

 白岩は、戦車に搭乗したことはない、これからも乗り回すことはないだろう。だからこその第三者視点から、メンタル面度外、勝利への方程式重視、私への贔屓ありで、いつもいつも応援してくれる。

 ――人間として、女として、私しか応援してくれないなんて。そんなの、すこぶる嬉しいに決まっていた。これからも、ウォッチし続けて欲しいと願うようになった。

 ならば戦車道を歩む乙女として、良妻を目指す者として、白岩へ礼を尽くすのは当然だ。

 だから私は、ここ最近は料理について勉強した。そして遂に、手作り弁当という名の利を手にすることが出来た。

 

 白岩が、腕まくりする。「っしゃあ」と気合を入れて、

 

「今日は、頑張らないといけねーなー」

「いやー。観察する手前、熱し過ぎたらかえって良くないんじゃないかしら」

「あー、それもそうか」

 

 というよりも、私の方が張り切ってしまうのだと思う。

 腹を空かせるために動き回って、カッコ良く決める為にパーシングの主砲を震わせて、そして自分の為に隊長めがけ食らいつく。この、いつものプロセスを、いつもの1.5倍くらいのペースくらいで成そうとするだろう。

 ということは、11両くらい撃破か。さすがに無理だ、戦車道は一人で戦うものじゃない。

 撃墜数が多かろうが少なかろうが、勝ちさえすればそれ良いのだ。負けたところで、何が足りなかったのかを把握出来れば万々歳。戦車道とはそういうふうに出来ている。

 

「――っと、ここで話し過ぎるのもあれだし。そろそろ歩きましょうか」

「そだな」

 

 私と白岩は、今日も今日とて、一緒に大学まで歩んでいく。バテ気味のソラの話を聞いて、忙しないバイトの話題に頷きながら。

 

 ――まだ、彼の手を握るのは、恥ずかしくてできそうにない。

 

 ↓

 

 メグミは今、とんかつ定食を前にしながらでひどくうなだれていた。私も、シチューをスプーンでかき混ぜながらで「あー」を一つ。

 隊長は、甘口カレーをおいしそうに味わっている。肝心のアズミと白岩は、外のベンチで絶賛ランデブー中だ。

 

 私とメグミがダレている原因はふたつ。一つ目は、「お疲れー。あれ、今日は食堂に寄らないの?」「今日は彼と食べるの。私お手製のお弁当を、ね」だ。そんな爆弾を口にした後で、アズミは、ベンチで待ち構えていた白岩とすんなり合流していった。

 それだけなら、まあ、まだ許せる。白岩から弁当を食べさせてもらった手前、いつかはお手製返しをするものだろうと予測はしていた。アズミは、けっこう律儀なのだ。

 

 問題は、二つ目にある。

 

 シャワー上がりのアズミときたら、ご丁寧に化粧とリップをつけ直していたのだ。これには私もメグミも、その他の戦車道履修者も「あーなるほどねーそこまでねー」と察せざるを得ない。純粋な隊長は、「きれい」と感想を漏らしていた。

 そんな乙女アズミを目にして、私は実に実に実に思う。

 

「――ねえ」

「――なに」

「――あれで、付き合ってないらしいよ、二人とも」

 

 はやく付き合え、と。

 キスをして、大学選抜チーム全体が抱いているハラハラ感を解消してくれ、と。

 アズミのことは何だかんだで好きだから、はやくハッピーエンドを迎えて、私たちをほっとさせろ、と。

 万が一、億の一、アズミがフラれでもしたら、私たちは全力でアズミをサポートする予定だ。愚痴も聞く、涙も止めない、戦車に乗りたくなければそれだって受け入れる。大学選抜チームの面々とは、そういった「協定」が自然と交わされていた。

 正式名称を、ア(ズミ)シ(ライワ)協定という。

 

 ――白岩がお手製弁当を作ってきた時点で、両想いは確定してるんですけれど。

 

「……アズミちゃんも変わっちゃいましたなー」

「うん」

 

 隊長が、こくりと頷く。

 

「アズミ、今日も私に食らいついてきた。なんとか撃退したけれど、ほんとうに危なかった」

「まあ、カレシが見守ってる手前ですしね」

 

 メグミが「いいなーいいのー」と、苦しげな発音を垂れる。隊長も、「恋、か」と静かに呟いて、

 

「強いだけじゃなくて、アズミの顔……最近、すごくきれいになってると思う」

「そう思います? 私もそう思ってます」

 

 脱力しながら、一つため息をこぼす。

 そうして熱いシチューを口にして、ねっとりとした甘さが肌全体に伝わってきた。継続高校に在学していた頃は、シチューとシナモンは毎日かかさず口にしていたっけ。

 

「ルミー」

「んー?」

「アズミってさー、絶対気づいてないよね」

 

 メグミの、そのセリフだけで、私は「ああ」と察する。

 

「あそこまで鈍感とはねー。……恋ってそういうものなのかしらん?」

「さあねえ。履修者なら、そこらへん鋭いと思うけど」

「うーん」

 

 隊長が、思い切り悩む。まだまだ若い隊長ではあるが、恋に興味を抱いたところで何らおかしくはないお年頃だ。

 むしろ、隊長の年齢だからこそ、ともいえる。私たちぐらいになると、ついつい達観ぶってしまうのだ。

 ――来るはずのないものが急にやってきたから、アズミはあれだけ恋に食われちゃってるのかな。

 だとすると、なんとも羨ましい話だ。

 

「よく、分からないけど……わたしも、恋をしてみたいな」

「ほう」

 

 なぜだか、嬉しく微笑んでしまう。たぶん、隊長の人間らしさを垣間見たからだと思う。

 隊長はまだ十三歳だ。だのに島田流の継承者として、戦車道の天才として、常日頃から「勉強」している。その姿勢に妥協はなく、常に真面目であるからこそ、女の子らしい隊長を見られたことに、私はとてつもない安心感を覚えてしまった。

 

「隊長は可愛いですから。きっと、いい人に出会えますよ」

「そうかな」

 

 そう言って、笑うメグミも、私と同じような心境を抱いているらしかった。

 ある一種の保証が施されたからか、隊長は、にこりと表情を明るくしてくれて、

 

「――アズミのような女性になれたら、私も恋できるのかな」

 

 私は、メグミに視線を合わせる。同時に、「へえー」とため息をつく。

 

「……最近、アズミってばすごいことになってるよね」

 

 メグミが「まったくだ」と、クールに口元を曲げた後、

 

「はよ結ばれて、私らの希望の礎になってくれ」

 

 私は、迷うことなく「うむ」と頷いた。オレゴンシスターズが結成される日も、そう遠くはないのかもしれない。

 

―――

 

 ルミは今、昼飯のシチューを前にして「ほー」とアズミを眺めていた。かくいう私も、アズミと楽しそうに雑談を交わす白岩のことを見つめながら、「ほほーん」とぼやいている。隊長は、アズミが喋ればアズミの方を、白岩が言葉を発せば白岩の方へ視線を変えに変えていた。

 

「――土曜さ、サークル活動があったんだけどさあ」

「バードウォッチングだっけ? どうだった?」

「いや、活動自体は順調だったんだけれど、メンバーが『なんでこんなところにいるんだよ』とか抜かすんだよ」

「え、なんで?」

 

 白岩が恥ずかしそうに、含み笑いを吐き出しながら、

 

「『アズミさんとデートしねえのか?』とか、そんなことを言うんだよっとによー馬鹿じゃねーのってな」

 

 アズミが「あらー」と微笑しながら、牛丼定食の漬物をかじりつつ、

 

「そんな風に見えちゃうのかしら。私と白岩ってば、か、カップルじゃないのに」

「なー、だよなー。だのに野郎どもときたら、『お前ばかりズルいぞ、死ね』とか言うんだよ。お前が死ね」

「だめだよー白岩ー。口プロレスなのはわかってるけど、死ねはアカンよー」

「そお? ……はあ、あいつらは分かってねえなあ。世の中の女性は、思った以上に優しいのに」

「へえ?」

 

 白岩が、湯気立つ豚丼の肉を、何度も何度も頬張りながら、

 

「アズミもそうだけれど、松木もやさしーこと言ってくれたんだよ。『ちょっと男子ー、白岩はちゃんとしてるからモテるんだぞー』って」

「松木さんって、確か女性メンバーだっけ? よーわかってるじゃん」

 

 アズミが、自分のことのように喜びながらで、牛丼を細々と口にしている。食べ物を飲み込もうとする時以外は、片時も白岩から目を離さない。

 

「いやあ、松木ってばちゃんと俺の事見てるね。最近イケメンになったねーとか、ファッションセンスが磨かれてるねーとか、ちゃんと評価してくれてる」

「やっぱり、女の子はイケメンが好きだから」

「いいの? 俺、ノリやすいよ? 信じちゃうよ?」

「おうおう信じろ信じろ」

 

 やっぱり隊長は、アズミと白岩とを交互に見やっている。話している内容に興味があるのか、それともアズミと白岩の表情が気になるのか、或いは恋というものを学ぼうとしているのか。

 

「じゃあ信じる。……でなあ、ここまでなら松木もいい子だったんだけれど、あいつったら『白岩って、どんな女の子がタイプなのー?』とか質問してさ。サークルメンバー大荒れ」

「……へ、へえ? で?」

「飛び交う罵詈雑言をかわしながら、こう言ったよ。『カッコいい女性が好き』って」

「んぐっ!」

 

 アズミが、牛丼を喉に詰まらせる。ルミが水を手早く手渡し、私は「生きろー」と励まして、白岩はあわあわと焦り出す。心優しい隊長は、「大丈夫!?」と声をかけてくれた。

 

「――復活。はい、大丈夫ですよ。……へえ、カッコいい女性ね、へえ」

「まあ、最近、そういう人がタイプなんだなーって気づいただけで、ね」

「ふ、ふーん。へー」

「……アズミは、癒し系が好みなんだっけ?」

「う、うんまあ。あとはー、そうね、動物を愛せるような優しい人が好きかも」

「あ!? あ、ああ、なるほど」

 

 一見すると、恋人未満親友以上ならではの「けん制」に見えなくもない。好かれている事実を知っているからこそ、ついつい臆病になってバレバレの質問をしてしまうとか、そんな感じのやつ。それならば「可愛い奴らめ」と思うのだが、

 

「アズミ」

「ん」

「……いつか、そんな人に巡り合えたらええね」

「……そだね。まあ白岩はイケメンだから、イケメンな女性が惹かれてくれるわよ」

「サンクース」

 

 アズミ曰く、「白岩とは親友」。白岩曰く、「アズミとは親友」。大真面目な顔でこう言われたことがあるから、たぶん素の感想だ。

 ――私も、ルミも、大学選抜チームの面々も、恐らくは隊長も、二人の仲について確信めいたものを抱えていた。

 

 アズミも白岩も、好意を向けられていることに全く気付いちゃいない。

 二人して、ドラマチック鈍感持ちだった。

 悔しいことに、アズミも白岩もかわいい学生さんだったのだ。

 

 心の底から、「はやくゴールインしてくれ」と思う。「しろ」じゃないのがポイントだ。

 今日も今日とて、アズミは戦車道で「よく頑張った」。またしても隊長に負けてしまったが、今回は一発食らわせられただけに、チーム内では「あと少しで、その時が来るのかもしれない」と予感している。

 私たちが言う「その時」とは、アズミが隊長を越える瞬間であり、このままアズミと白岩が晴れて結ばれる瞬間、のことを指す。感覚が鋭い若き隊長も、ここ最近は「アズミと白岩、まだくっつかないのかな」と呟くことが多くなった。

 

 まったくだと、私も大学選抜チームも思っている。

 そりゃあこれだけくっつきあっているから、「まだ付き合ってないの?」とからかいはする。ただ、互いの本心本音をバラすようなヤボは口にはしない。

 それがアシ協定の、最重要項目だった。

 アズミが「どうしよう」と深刻になった時以外は、あくまで大学選抜チームは見守りに専念する所存だ。

 

 アズミが、緑茶入りの湯飲みを指先で掴む。「あっち」と小さく悲鳴を上げた後で、中身をほんの少し飲んだ後、

 

「――あ、ああ、そだそだ! 聞いてよ白岩ー」

「ん?」

「あのね……戦車道を歩んでいる最中にね、私の肩に鳥が止まったのよ」

「マジでぇ?」

「うんマジ。灰色っぽい鳥だったかな? 鳴き声が大きくて可愛かったなぁ」

「ここらへんの灰色……ムクドリかしらん?」

 

 アズミが「どれどれ」と携帯に火を点けて、すぐさま「あーこれだ!」と嬉しそうに笑う。

 

「モズの時もそうだけれど、鳥に好かれやすいのかな?」

「かもねぇ……どうしよう、鳥でも飼ってみようかしら」

 

 私は心の中で、強く思った。趣味まで共有するなんて、いよいよもってパない仲になってきましたねと。

 

「白岩の飼ってるの、なんだっけ? セキセイインコ?」

 

 白岩が「ああ、うん」と首を縦に振って、「そだよ、オスの」と返答する。続けざまにアズミが「へー」と声に出して、

 

「じゃあ、私もセキセイインコ、飼ってみようかな」

「お、いいんじゃないかな。話し相手にもなってくれるし、寂しくはならないと思う」

「だろうねえ」

「愚痴とかも聞いてくれるからね。理解しているかはともかく、聞いてくれるってだけでありがたいもんだから、こういうのは」

 

 アズミが「わかる」と頷く。私も、「うむ」と静かに返答する。

 

「マイナスの話をした日には、飯を奮発するようにしてる。他人の愚痴ほど、どうしていいか難しいものはないからね」

「いいねー。私も、そのルールを採用しようかしら」

「いいんじゃないかな」

「よし決まり。……そうね、メスのインコちゃんでも飼ってみようかな。今度、白岩のインコと会わせてみたりして」

「うはー。ソラの奴、俺よか先に青春確定かよ、うらやましー」

 

 白岩の言い分に対して、心の中で「何言ってんだこの人」と思う。

 下手にカップルらしくするよりも、こうして無自覚に距離感を置いている方が、よっぽど青春していると思う。祭りだって、準備期間中こそが一番楽しいのだ。

 

「そうねえ。まさかペットの方が先に、青春を送れるなんてねぇ……あーあ、この年になれば諦めるしかないのかしらん」

「まあまあ、その時じゃないってだけだから。前にも言ったろ、アズミは清く正しく格好良いから、男たちが尻込みしているだけだって」

「それで孤独になっちゃあ本末転倒ですよ白岩クーン」

「いやー、アズミはまだいいよ。俺なんて、鳥が好きなだけの何もない野郎だし」

「うっそだー。自覚してないようだからこの際言うけどね、あんたはね、やろうと思ったことは何だってやれるタイプよ。世間一般的には、そーゆーのを格好良い男っていうんですよー」

「マジでぇ?」

「マジでー」

 

 ルミが苦虫を噛み潰したような顔をしながら、黙々とシチューを口にしている。私もルミと同じような調子で、目の前の辛口カレーを食べ、咀嚼し、食べ、咀嚼していた。

 

「――なんか変な流れになっちゃったけれどさ。とりあえずあれよあれ、今度、ペットショップさ、紹介してよ」

「お、いいよいいよ、任せてくれ。都合はそっちに合わせる」

「ありがとー。それじゃあ、その時が来たらメールするね」

「あいよー」

 

 その時、私の両隣に座っているルミと隊長が、私めがけ視線を投げかけてきた。

 戦車道履修者ならではの、俊敏なるアイコンタクトを瞬時に理解する。「二人とも、ついに勝負(デート)に出るのか」と。

 オレゴンシスターズと隊長は、揃って頷きあう。ここまで進展したのであれば、あとは黙って、知らぬ存ぜぬの顔をして「あら、ようやく付き合い始めたんだ」とかなんとか言ってやればいい。二人だけの関係なんてものは、手前勝手な自主性に任せるのが一番健全だ。

 

「――あ、ご、ごめん。二人でなんだかこう、話しすぎて」

「どうぞどうぞ」

「どうぞどうぞ」

「どうぞどうぞ」

 

 即答した。

 

―――

 

 戦車道を歩み終えた後は、疲れと汗を洗い流すためにシャワーを浴び終える。あとはパンツァージャケットから私服に着替えて、施設から出て晴れ晴れとした炎天下がこんにちは。うんと、背筋を伸ばした。

 深呼吸する。格納庫へ目を向ける。

 いま現在、愛車(センチュリオン)は被弾個所を修復中だ。こうなった原因はもちろんアズミで、またしても直撃を貰ったのだ。結局は打ち勝てたが、明らかにギリギリの勝敗だった。

 恐ろしいと思う反面、嬉しくもあった。部下が成長する時ほど、隊長として喜ばしいことはないから。

 

「ふぃー」

 

 後ろから、ドアの開閉音が静かに響く。はっと振り向いてみれば、先ほど、私に一撃をくれた張本人と目が合った。

 

「あ、隊長。お疲れ様です」

「お疲れ様」

 

 いつもの挨拶を交わしながら、アズミが私の方へ近づき、そのまま横に立つ。なんとなく、なんとなくだが、以前よりも、アズミの背が伸びているような気がする。

 ――アズミの目の先は、中破したセンチュリオンへと向けられている。

 

「さすがは隊長ですね。近接戦闘に入っても、慌てず騒がず、車体角度を変更しての防御姿勢に入るとは」

「ううん、けっこうギリギリだった。たぶんいつかは、私を越えちゃうと思う」

「そうですか。……そんな日が、来るといいですね」

 

 「このまま」の日々が続けば、アズミはいつか、私を乗り越えてしまうだろう。それは偶然でもなんでもなく、必然の結果として。

 だっていまのアズミは、「自分」と「あの人」の為に、戦車道を学んでいるから。輝く為に、島田流ならではの変幻自在を体現しているから。

 ――いいなあ。

 好きな人から応援されるなんて、恋した人から支えられるなんて、そんなの、女の子なら強くなれるに決まってる。

 十三歳の同性として、心の底から羨ましい。

 

 アズミに見えないように、口元をへの字に曲げる。そんなことをしていると、機銃めいた連射音が左耳を震わせて、

 

「あら、また」

 

 アズミの方を見て、私は言葉を見失った。

 アズミの肩に、小鳥が乗っかっている――そんな非常事態に対して、アズミは慣れたように苦笑していた。

 私は、すごいものを見ている、のだと思う。

 小鳥といえば、近づけば羽ばたいて逃げてしまうはずなのに。アズミは、小鳥の頭をなんでもないように撫でている。小鳥が、アズミに対して頭を預けていた。

 まるで、テレビアニメだった。

 だから、私は見ていることしかできなかった。

 

「見てください。可愛いですよね、小鳥」

 

 アズミが、そっと姿勢を低くする。私の目に映るは、アズミの首に巻かれた黒いチョーカー、シャワーを浴びたばかりのミディアムヘア、嘘みたいに跳ねたまつ毛、肌に馴染んだベージュ色の唇、私を見る茶色っぽい小鳥、間近で味わう恋の匂い。

 

「この子は……スズメっぽいけど、違うな。たぶんツグミですね」

「へ、へえ、詳しいね」

「ちょっと、鳥に興味が出てきまして。この地域一帯の鳥は、かじった程度で覚えました」

 

 あえて、「どうして」とは聞かなかった。原因なんて分かりきっているし、質問したところで分かりやすく誤魔化されるだろうから。

 

「……触ってみます?」

「え」

 

 声は戸惑い、首は頷いていた。

 ――アズミの手のひらが、己が右肩にくっつく。ツグミは何ら疑うこともなく、アズミの手のひらの上へ小走りに移動した。

 

「さ、どうぞ」

 

 アズミが私めがけ、そっと手を差し伸べる。年下の子供を見守るような、そんな微笑みを顔全体に滲ませながら。

 私も、ツグミに対してそっと手を伸ばす。けれどもツグミは、私のことを警戒しているらしくて、アズミの手の内から離れようとはしない。

 

「だいじょうぶ」

 

 年上の声。

 

「隊長はとても可愛いし、優しいから。だから大丈夫だよ」

 

 たぶん、わたしの顔は真っ赤になっていっているのだと思う。

 

 ツグミが、アズミへ首を向ける。一度、二度、まばたきをした。

 ふたたび、私のほうを見る。目が合って、どうしようと表情に困ってしまったけれど――

 

「おいで」

 

 アズミのように、笑ってみせた。

 するとツグミは、こっちに来た。

 私の手の上で、ツグミがきょろきょろと首を動かしている。こうしてみると、目が意外と大きい。小鳥も、十分に重いのだと実感する。爪が手に食い込んで、すこしこそばゆい。

 アピールのつもりだろうか、ツグミが羽を一度だけ羽ばたかせた。きゃっと声が出てしまったが、なんだかそれがかわいくって、おそるおそる人差し指を伸ばし、ツグミの頭を撫でてみせた。

 ツグミが、きゅうきゅうと鳴く。びっくりして両目をつむってしまったが、同時に「こんな風に、鳥って鳴くんだ」と実感した。

 

「隊長、動物に好かれるタイプみたいですね。さすがです」

 

 アズミの言い分に対して、心の中で、それはちょっと違うと意見した。

 大人であるアズミが、ツグミの警戒心を解いてくれたからこそ、私の方へツグミは来てくれたのだ。元はと言えば、アズミに惹かれてツグミは飛んできたのだし。

 

「アズミー」

 

 遠くから、聞き慣れ過ぎた男性の声が聞こえてくる。アズミ越しから覗ってみれば、黄色いノートを片手にした白岩が、こちらへ近づいてきていた。

 

「や。今日も一緒に食堂、いいかな?」

「ええ、勿論よ」

「っしゃ。――あら、島田さん。それは、ツグミかな?」

 

 私は無言で、こくりと頷く。

 

「そのツグミ、隊長になついちゃって」

「へえー。いいなあ、俺は野生の鳥からあんま愛されなくて」

 

 私は、首をそっと横に振って、

 

「もともと、アズミの肩にツグミが止まったの。それを、私の方にまで導いてくれただけ」

「へえー……でも、手のひらの上に乗っかってるってことは、島田さんも『素質』があるかもしれない」

「そう、かな」

「そうですよ。何といったって、隊長ですから」

 

 白岩が「だな」と同意して、アズミが「ええ」と頷く。ふたりとも、嬉しそうに顔を明るくさせながら。

 ――思う。

 二人して通じ合っていることが、一緒にいるだけで笑い合える関係が、なんだか「年上の大学生」っぽく見える。そう思う。

 

 その時、何かが震える音が、私の耳にまで伝わった。

 アズミと白岩が、同時にポケットに手を触れる。先に携帯を取り出したのは、白岩だった。

 

「あ、電話だ――おお松木、どったん?」

 

 瞬間。アズミが、私が、ツグミが、瞬く間に白岩へ殺到した。これが男友達なら「へー」だったろうけれど、松木(いせい)となれば話は違う。

 

「え、何? 今日は、部室で一緒に食べないかって? 飯は……作ってきたぁ? マジでぇ?」

 

 白岩が、困ったように苦笑し始める。アズミが、主砲を食らったかのような戸惑いに陥る。私は、どうしていいかまるでわからない。

 

「あ、あー……わかった、付き合うよ。しかし珍しいな、どしたん? ……え? 試作品だから味見しろって? ったくこいつは」

 

 同じサークルメンバーだからだろう。白岩の物言いに、遠慮というものがまるでない。

 距離感の無い会話を耳にして、アズミが手で頭を抑える。ツグミが、私の方を見る。

 

「分かった、そんじゃあしっかり評価してやっから。んじゃ」

 

 通話が終わる。携帯を、「へえ」のひと息でポケットにしまう。

 

「――というわけだから、今日は……悪い、松木とメシ食ってくる」

「あ、う、うん。いいんじゃないかしら、メンバーとの交流も大事だし」

「だなあ。しっかしいきなり手作り弁当とは、どうしたんだろね」

「さ、さあー……あ、もしかして松木さん、あなたのことが好きで、アクションかけたんじゃないのー?」

 

 白岩が「まっさかー」と気楽そうに笑う。私は、ホントこの人は鈍感だなあとため息をついてやった。

 けれど不思議と、不安には思わない。何故なら白岩は、今もなおアズミの目しか見ていなかったから。

 

「じゃ、俺はこれで。レポートは勝手に読んでおいて」

「あ、うん」

 

 日常的な素振りで、アズミへレポートを手渡し、

 

「あとさ。そのチョーカー、すげえ似合ってるぜ」

「――へ」

「ツグミも元気でな」

 

 応えるように、ツグミが羽を広げてみせた。

 それが一区切りとなって、白岩は大学へ足を進ませていく。

 

「――私たちも、そろそろ食堂に行く?」

 

 ほんのちょっとの間。

 

「へ? ……あ、ああ、はい、そうですね」

 

 私はそっと、ツグミが乗った手のひらを、空へ掲げてみせる。

 察したツグミは、私のほうを一瞥した後に、羽をはばたかせながらで遠い遠い夏の空へ消えていった。

 

 ――そっと、アズミの横顔を覗う。

 ツグミを見送るアズミの顔色は、秋のように静まりかえっている。

 不安そうに、口紅混じりの唇が曲がっている。

 名残惜しいかのように、瞳が眠たげに沈んでいる。

 風がすこし吹いて、ミディアムヘアが舞った。

 

 アズミが両目を閉じて、まつ毛の存在感がほっと露わになる。

 チョーカーを、指先でひと撫でした。

 

 それを見ているしかなかった私は、どうしてアズミが月間戦車道に選ばれたのか。わかるしかなかった。

 

「――行きましょうか」

 

 なんでもなかったかのように。いや、すこし苦笑いをこぼしながら、そう告げた。

 今度は私が、ほんの少しの間を置いて「あっ」とか漏らして、

 

「う、うん」

 

 声には決してしないけど、私はこう言えるよ。

 アズミ、あなたの不安は絶対に的中しない。恋におびえるあなたの横顔は、誰よりも間違いなく、美しかったから。

 

 恋の残り香を肌で感じ取りながら、私たちは食堂へ歩んでいく。

 

 ↓

 

 好物のとんかつ定食が目の前にあるというのに、真正面に座るメグミの箸は鈍い。いつものシチューを目の当たりにしているはずなのに、同じく正面に腰かけているルミのスプーンも、上下にひらひら動くばかり。

 私も、目玉焼きハンバーグ定食に手をつけないままでいた。鬱々とした顔をしながら、黙々と白米を口にしているアズミの横顔を、じいっと見守っていたから。

 昼の食堂は、今日も今日とて賑やかだ。ここが静かなだけに、余計にそう思う。話し声まではっきりと聞こえてくる。

 

 ルミが、メグミが、どうしたんだろうと顔を示し合わす。またしてもアズミのため息が漏れて、「こうなれば」とばかりに、私は目玉焼きハンバーグを一口食べる。目玉焼き特有のシンプルで滑らかな味が、私の舌へ滑り込む。ハンバーグ特有の重い甘味と熱量が、私の口の中をおもいきり包み込む。

 好物を食べて、気力が溜まってきて、勇気が沸いて出てきた。よし。

 

「アズミ」

「……あ、は、はい、なんですか?」

 

 返事はするし、こちらも見るが、未だ眠たそうな気配は解けていない。

 気持ちは分かるだけに、なんとかしてあげたかった。

 

「その……えと、白岩のこと、気になるの?」

「え? い、いやー、まあ、そうではあるんですが」

 

 何かあったのかと、メグミとルミが視線で問うてくる。私は「いい?」とアズミを一瞥して、アズミから「ええ」と頷かれ、それを見て水を飲み、

 

「白岩って、バードウォッチングのサークルに入ってるんだけれど」

「あ、知ってます。前に話してくれましたよね」

 

 ルミが、うんうんと頷く。

 

「その、女性のサークルメンバーから、一緒に手作り弁当を食べない? って、誘われたの」

 

 ルミの眼鏡が、きらんと光った気がした。メグミに至っては、「ほっほう」の納得。

 アズミは、「それだけ、それだけだからね」と、話を切ろうとするが、

 

「気になるんだ」

 

 メグミからの、突撃。

 アズミの箸が止まる、何処かからか「食べ歩いたのか?」「まあね。色々あった」の雑談が聞こえてくる。

 

「……ま、まあ、気にはなるかな? 一応ホラ、親友だし」

「へえ。でも親友同士なら、どこへ食べようと別にいいんじゃないの? まさか恋人同士じゃあるまいし」

 

 ルミが、様子見するかのようにメグミを、アズミを覗っている。

 

「そ、そうよねそうよね。恋人同士、じゃないもんね? 何をしているのかな、私」

 

 はいこの話はおしまい。今度こそ話題を断ち切ろうとして、大皿に乗ったザンギをつまもうとして、

 

 食堂全体に、弾けた音が鳴り響いた気がした。

 アズミが摘まんでいたはずの箸が、大皿の上に落ちていた。

 

 アズミが、どうしていいか分からないように口を開けている。対してメグミは、ごくごく冷静に緑茶を一杯やった後、

 

「まだ付き合ってないの?」

 

 アズミが勢いよく、メグミへ視線を向ける。目ん玉を、まんまるくしてまで。

 

「あのね」

 

 メグミが、ルミ、私、そしてアズミへ視線を向ける。音を立てて、大きく、おおきく息を吸い込んだ後、

 

「私はいっぱしの大学生で、『空気が読めない』ナオンだから言うけどね。あんたと白岩、お似合いだってずっと前から思ってた」

「そ、そお? まあ、そんな風に見えたのなら、それはそれで、」

「――前々から気付いてたけど、あんた、本気であの人の事が好きなんだね」

 

 アシ協定が、「遂に」破られた。

 ストレートなメグミは、読むべき空気なんて全部吸い込んでしまった。感情的なメグミは、友人の為に核心へ切り込んだ。

 

「な、何を、言ってるのかな!? そんなわけ、ないじゃん?」

「嘘つくんじゃないの。今日のアズミ、めちゃくちゃゾンビじゃん。普段は穏やかに冷静なくせに、いざ白岩が遠くに行ってしまえば……こうだもんね」

「え、えと」

「『私には』バレバレなのよ、アズミ。彼の気を惹く為にチョーカーをつけたり、口紅を塗り直したり、お化粧まで整えて。ここ最近のアズミね、ひどいくらい女の子だったんだから」

 

 メグミはいま、恐るべき大役を成そうとしていた。

 友人を幸せにしたい。ただその一心で、メグミ「だけ」が責任を背負い込もうとしている。何よりも繊細なアズミの本心へ、切り込もうとしていた。

 

「……で、何? 今は焦ってるんでしょ」

「……そう、ね。その通りだわ」

 

 そうして意外にも、アズミの本音がきっぱり明かされた。

 他人からみる恋ほど、どうしていいか分からないものはない。どう助言していいのか、どう支えてやればいいのか、何もかもがあやふやなだけについつい悩んでしまう。

 だから、大学選抜チームは「見守る」ことにした。チームの中には恋愛経験者もいたが、「無闇な横入りはよくない」と警戒していたし。

 

「メグミ」

「うん」

「私は……白岩のことが好き」

「よく言った」

 

 けれど、答えはほんの身近にあったのだ。

 誤解無く好きあっている仲であれば、親しい誰かさんが声をかけてやればいい。不幸せが見えてきたのであれば、背中をぽんと押してやればいい。

 そんな恐ろしいことが出来るメグミは、まちがいなく、チーム内一の度胸持ちだった。

 

「でも、ね」

「うん」

 

 アズミが、大きくため息をつく。いよいよもって、食堂内の雑談が耳に入ってくる。花壇の水やりがメンド臭いという愚痴。

 

「――彼は、私の事を、まだ、親友としてしか見ていない」

 

 話し声が、聞こえなくなった。

 

「私は、白岩のことを男として見てる。あれだけ応援されちゃ、好きになるに決まってる」

 

 アズミが、ほんの少しだけ味噌汁を口にする。

 

「でも白岩は、あくまで私のことを親友って呼んでくれるの。……そうよね、親友なら応援してくれても何ら不思議じゃないもんね。チーム内でも、そういうのはあるし」

 

 私とメグミとルミの目が、一斉に向き合う。ほんの少し笑うアズミとは対照的に、メグミとルミ、恐らくは私も、真顔になっていた。

 思う。

 十三歳の私ですら、白岩の本音なんてみえみえなのに。なんで年上のアズミは、こうも気付かないのだろう。

 もしかしたら、これが恋の真髄なのかもしれない。

 

「それにさ」

 

 アズミが、開き直ったかのような笑顔を咲かせる。

 

「彼にね、聞いたことがあるの。あんたに好きな人はいるの? って。そしたら彼、『いないってことにしてくれ』って答えた。……その、恋人同士じゃあるまいし、彼の行動にとやかくなんて言えないわ」

「へえ――で? 大切な想いを後手に回して、あんたそれで納得できるんだ?」

 

 メグミが、驚いた顔をする。私もアズミも、声の主めがけ目で追いかける。

 ルミが、シチューを一口味わって、

 

「恋だよ、恋。私はさ、ろくな恋愛経験なんかないけどさ、何はともあれ行動したもの勝ちっていうのは知ってるつもり」

 

 アズミが、ぐっと口元を堪える。

 

「私も、あんたと白岩はお似合いだと思ってるんだけれどね。白岩があんたのことを応援して、あんたが手作り弁当で返して、常日頃から笑ってばっかりで、私から見ればカップルにしか見えなかった」

「で、でも、白岩は私のことを親友って呼んでいるし、そもそも好きな人はいないって言ってる」

「ふうん。で? それで諦めるつもりは?」

「ない、ないけどね、好きになってもらう為に色々やってるけれどね。……彼の、大切になれるのかなって、今更不安になって、ね」

 

 私は思う。

 アズミって、こんなに女の子してたっけ。

 ――メグミが、へえと唸る。それを聞けて満足したらしいのか、にやりと笑ったままで、

 

「そんなに好きなら、デートの一つでもすればいいのに」

 

 アズミはうつむいたまま、ザンギを箸で摘まんでとって、何度も何度も咀嚼する。

 ――メグミとルミの猛攻を聞きながらで、強く思う。

 三人とも、ほんとうに仲が良いんだ。そうでなければバミューダアタックなんて連携は取れもしないだろうし、責任度外視でここまで追求したりは出来ないと思う。もしも私がアズミの立場だったら、ルミとメグミは、アズミは、同じようにして切り込んでくれるのだろうか。

 アズミの方を見る。

 ――いいな。

 

「私もメグミに同感。白岩の一挙一動がそんなに気になるのなら、デートして、告白して、結ばれるのが一番いい。あんたにとっても、白岩にとってもね」

 

 ルミが、悠長にシチューを食べながらで言う。

 

「簡単に言わないでよ」

「でも、いつか言わなきゃ始まらないでしょ」

「……まあね、確かにね。でも彼は、好きな人はいないって、」

 

 ルミが、しょうがないなあとばかりに苦笑する。スプーンを持った手で、中指でアズミの顔を差してみて、

 

「照れ隠しのつもりで、言ったのなら?」

 

 言った。

 アズミの表情が停止する、言葉の息の根が止まる。

 

「私が、白岩の気持ちを勝手に代弁することは許されないと思う。けれど白岩は、あんたのことは結構好きでいるんじゃないかな」

「なんで」

「いつも隣にいるから」

 

 また、アズミが言葉を見失う。

 

「本当は今日も、アズミと一緒に昼食をとろうとしたんでしょ? レポート持参で。……でも今日は、外部からの都合でこうならざるを得なかった。いつもと違うのは、たったこれだけ」

 

 そうなのかな。アズミが、力なく呟く。

 私も、メグミも、肯定否定はしなかった。

 

「白岩があんたのことを、ほんとうに『好き』かどうかは分からない。こういうのは、直接あんたが聞くしかない」

 

 反論しない。

 

「この初恋はあんたのものだから、あんたからすれば不安でしかないものもよくわかる」

 

 アズミが、まったくだとばかりに首を振るう。

 

「……まあね。でもね、私には実感できないのよ。女として、好かれているビジョンが」

「まあ、異性には縁が無かったろうからね。で? どうする? このままじゃ白岩、更にモテて遠い男になっちゃうかもよ?」

「……かもね、イケメンだもんね」

「受け入れられる? そんなの」

「やだ」

 

 アズミがようやく、皿の上に落ちていた箸を拾い上げる。それでもうつむいてままで、口元をへの字に曲げてしまっていた。

 今もなお、色々なことを考えているのだろう、その目つきは浮かないままだ。心なしか、ミディアムヘアも力なく揺れている。

 私は漠然と、「大人って、悩むとこんな顔をするんだなあ」と思った。

 

「――アズミちゃん」

 

 メグミが、心穏やかそうに微笑みながら、

 

「あんた、そんなにも可愛い子だっけ?」

「……うるさい」

「大丈夫。あんたは清く正しく美しく生きてきた、報われるべきオンナだよ」

 

 メグミが、皿からとんかつを摘まみ取る。そのままアズミの口元にまで運んでいって、アズミは「どーも」と共にとんかつへ食らいついた。

 

「デート、デート、か……まさか生きているうちに、そんなことを考えるなんて、思いもしなかった」

「いーや。あんたはいつか、男とめぐり合えるだろうって予感はしてた。だってそんな顔してる」

 

 ルミと私は、揃ってうんうんと頷いた。

 

「そんな顔ってどーゆー顔よ。私は見ての通り、戦車道の女でしか、」

「戦車道の看板娘、な」

 

 メグミが、しれっとアズミの言動を妨害する。何でもなかったかのように、湯気立つ白米を口の中へ放り込んだ。

 決定的な根拠を口にされて、アズミは反論も出来なくなる。言い訳への逃げ道を塞がれて、微妙そうな顔で味噌汁を飲み始める。

 ほんの少しの沈黙。

 

 ――私はまだ、恋をしたことはない。けれどそれは、ある一種の恐れすら抱かせることも、人を綺麗にしてしまうこともある。私は、この目でそれを学んだつもりだ。

 「私こそが」。ほんとうはそう思いたいはずなのに、生真面目に誰かを意識しているからこそ「私なんて」と尻込みしてしまう。それは人として、ごく当たり前のプロセスだと私は思う。

 

 戦車道だって、同じだ。己が勇気を沸き立たせられない限りは、ずっと「私なんて」と踏み止まってしまう。小さい頃の私は、そうやって半泣きになったこともあったっけ。

 でも、私は今も戦車道を歩めている。

 泣いている私のことを、母はいつだって抱きしめてくれたから。夕飯は何にする? と言ってくれたから。それがなかったら、私はたぶん、戦車道を投げ出していたと思う。

 

「アズミ。あんたはさ、きっとうまくいくよ」

「どうして?」

 

 ルミがスプーンを持ったままで、アズミめがけ人差し指をついて、

 

「イケメン君とアイドル、文句なしのベストマッチじゃない。悔しいけどね、あんたの容姿はチーム内で一番だと思ってるからね? こんな美人ちゃんに意識されて、落ちない男なんかいないって」

 

 アズミが「馬鹿言わないで」と苦笑する。メグミは、「ねたましいわー」とからかった。

 先ほどまでの面倒な空気は、好き勝手な言い分で払しょくされつつある。アイドルとか、美人ちゃんとか、ねたましいとか、そうやってアズミを元気づけたお陰で。

 

 ――アズミはきっと、私とほぼ同じなんだ。ルミもメグミも、きっとそうなのだと思う。

 励ましもなく、支えも無しに生きていける人間なんて、ここにはいない。それをいま、知ったと思う。

 

「――あ」

 

 その時、私とアズミの目が合った。

 

「すみません、隊長。こんな面倒な話にお付き合いをさせてしまって……ささ、お昼をいただきましょう」

 

 私とアズミは、「ほぼ」同じなんだ。

 どうして、そんな風に笑えるの。まだ解決していないのに、どうして私に対して優しく微笑むことができるの。私はそんなこと、まだできそうにないよ。

 

 温和に光るアズミの瞳を見て、私はさきほどを思い出す。

 

 ――隊長はとても可愛いし、優しいから。だから大丈夫だよ

 

 自分の手のひらを見る。

 アズミは、私の為にツグミを連れてきてくれた。その振る舞いは、大人のお姉さん、だった。

 ぎゅっと、握り締める。

 わたしも、大人の女性になってみたい。アズミのような人に、なりたい。

 

「アズミ」

 

 アズミの名前を呼ぶ、メグミとルミの視線が、私のほうへ突き刺さる。

 久々に声を出したからか、思ったよりも声が通ったからか。たぶん、どっちもだ。

 

「アズミが前向きになる方法を、私は知ってる」

「……それは?」

 

 アズミが、無垢な表情のままで私を見つめている。

 ――我ながら、この方法は乱暴だとは思う。けれど私は、アズミは、

 

「アズミ。アズミは、戦車道履修者だよね?」

「はい」

「いま、掲げている目標は?」

「――あなたを越える事です」

 

 真剣な顔で、躊躇なく私に告げた。

 想定済みだったからこそ、心の中で「さすが」と思う。

 

「もし、その目標が達せられた時は……アズミは、とても前向きになれると思う?」

「もちろんです」

 

 昔から、「恋は盲目」という言葉は知っていた。一体何のことやらと考えていたが、今なら分かる。

 盲目であるならば、その手を取って、正しい道へ導けば良い。私は大学選抜チームの隊長なのだから、隊員を何とかするのは当たり前のことだ。

 息を吸う。

 

「これ以上無く前向きになれたら……デートの一つくらい、できるよね?」

 

 生意気なことを、言ってやった。

 私も、アシ協定を破ってしまった。

 母からは何度も、「礼儀正しい子」と評されていたが――なるほど、こうして大人になっていくのか。

 

 メグミが、ルミが、目を丸くする。アズミも、ほんの少しの沈黙を置いた後に、全てを解したかのように強く微笑んでみせて、

 

「そうですね。浮かれて、約束してしまうと思います」

 

 その言葉を聞けて、私も強く笑えたと思う。

 

「隊長」

「なに?」

「――手心は、必要ありませんよ」

 

 私は、もちろん頷いてやって、

 

「戦車道を裏切ることは、決してしないから」

 

 私とアズミは、根っからの戦車道履修者だ。だから、困ったことがあれば戦車道が解決してくれる。

 我ながら乱暴な道筋だなあと思ったが、アズミが「そうですね」と言ったのであれば、否定する必要もない。メグミもルミも、これでいいとばかりに昼食を取り始めた。

 

「あ、そうだ。失礼」

 

 ふと、アズミが携帯を引っ張り出す。画面めがけ何かを入力し続けていって、そう時間もかけずに携帯をポケットへしまいこむ。

 再び、アズミと目が合う。先ほどの落胆はどこへいったのか、アズミはいつものように微笑して、

 

「食べましょう」

「――うん」

 

 ふたたび、食堂の喧騒が耳に入ってくる。戦車道とは関係の無い雑談が、戦車道に関する話題が、恋愛映画の感想が、天井でくるくる回るシーリングファンライトが、何もかもが愛おしい。

 私たちの会話も、特にこれといって注目するものはない。ファッション講座、このあたりに住む小鳥、海に行きたい、四人でプールに行きませんか、五人の間違いでしょ――そんなふうに話して、気付けばお昼ご飯を食べ終えて、あと少しで午後の戦車道講座が始まろうとしている時に、

 

「あ、メールだ」

 

 アズミが、携帯を取り出す。ルミもメグミも、それほど関心を持っていないのか、アズミのことを見向きもせず、

 

「……ったくぅ」

 

 アズミが、くっくと笑い出す。私たちは瞬く間に、アズミの方へ視線を誘われる。

 ――アズミが、携帯を裏返した。

 

送信者:アズミ 受信者:白岩

こんちは。突然だけど、今までサポートしてくれて本当にありがとね。レポート、すっごく役に立ってるから。

……これからも、応援してくれますか?

 

 私は、まばたきをする。

 アズミが携帯をひっくり返して、ほんのちょっと操作をして、こちら側へ携帯がひっくり返る。

 

送信者:白岩 受信者:アズミ

当たり前だよ。俺は、アズミの親友なんだから(=゚ω゚)ノ

 

 ――メグミとルミが、アズミの両肩を何度も何度も叩く。アズミがやめてやめてと、形だけの抵抗を繰り返す。

 とっても羨ましかったので、私も、アズミの頭を撫でてやった。

 

―――

 

 誓いを立てて、数日後。

 

 パーシングの車内に衝撃が迸り、否応なく悲鳴が漏れる。主砲を撃ったり、撃たれたりするのには慣れているが、さすがにウンmから飛び降りたのはキツかった。

 私は、倒れ込んだままで「だいじょうぶ?」と質問してみた。シノザキからの、気の抜けた「うん」。タケナカからの、ぼんやりとした「ああ」。ウルシバラからの、疲れ切った「いきてるー」。ウメキからの、だれきった「えへー」。

 一同、どうやら生還を果たしたらしい。流石に今回は死んだかと思ったが、特殊なカーボンとは実に偉大な技術であるらしかった。

 

『島田チーム、全車行動不能! 今回の殲滅戦は、バミューダチームの勝利ですッ!』

 

 重要な判定であるはずなのに、まるで他人事のように聞こえる。それもこれも、片足ほど三途の河へ突っ込んでいるからかもしれない。

 蒸し暑いパーシングの中で、なんとなく「河で泳ぎたいなあ」と思う。

 ため息。

 今頃、外では歓声が沸きまくっているだろう。いつか訪れるであろう結果が、なんでもない今日という日によって実現してしまったのだから。

 メグミも、ルミも、自分の分だけ喜びまくっているに違いない。いい歳こいた大学生だからこそ、己が感情へ正直になれたりするのだ。

 

 それにしても暑い、けれど動きたくない。指示をしまくって声は枯れ果てていたし、長い戦いの末に神経はミイラ化、島田流の極意をあれでもかこれでもか飛びもすらあと体現してみせて、体力なんて燃え尽きていた。

 生真面目な装填手ウメキも、お喋りな砲手シノザキも、寡黙な操縦士タケナカも、噂好きな通信手ウルシバラも、私と同じく疲労困憊であるらしく、誰一人としてハッチを開けようとはしない。無事に戦車ごと着地は出来たものの、このまま暑さで死んでしまうのかも。

 まあ、いい。

 島田愛里寿を越えるという、目標は達したのだ。

 このまま眠ってしまっても、バチは当たらな、

 

 携帯が、震えた。

 

 なんだよと、しんどそうな手つきでポケットを漁る。試合中の通話は「暗黙のルールで」行わないようにしているが、いまはバミューダチームが勝利したらしいので、携帯の相手をしてやることにする。

 液晶画面には、「受信中:メグミ」の文字。

 なんで、こんな時にかけてくるんだっけ。一礼もこなしていないのに。

 少しだけ脳ミソを動かしてみて、ようやく私は「あ」の一声とともに蘇生した。復活していく理性が、「試合に勝ったよな?」と私にささやきかけてくる。

 だからこそ、寝転がったまま、心底イヤそうに「受信」を押して、

 

「――あ?」

『やほー! アズミ、元気してる? 生きてる? ねね、アズミのお陰で勝てたよね? 約束はきっちり』

 

 切った。

 だろうなと、携帯を腹の上に置く。間もなく、携帯が踊った。

 心底面倒くさそうに、液晶画面を見る。「受信中:ルミ」の文字。

 

「――は?」

『やっほー、生きてる? アズミがいなかったら、この試合は勝てなかったと思うんだー。ああそうそう、さる筋の情報によると、彼は今日もここに』

 

 切った。

 だろうな、と思う。見てくれたんだ、と笑う。

 今ごろ彼は、どんな風にして生きているのだろう。喜んでいるのか、あくまで冷静にレポートを記しているのか。たとえ後者であろうとも、彼らしいなと受け止められると思う。

 

 そして、手の内の携帯が震えた。

 ――白岩からか?

 画面を見てみると、「島田隊長」の文字が。寝そべったままの姿勢が、せめて腰かけたものに早変わりする。

 

「――はい」

『もしもし。その、アズミ、大丈夫だった?』

「ああいえ。その、隊長こそ大丈夫ですか? 撃たれたみたいですが」

『私は大丈夫。……それよりも、アズミのお陰で負けちゃった』

 

 隊長に勝てたからか、嬉し混じりの声が携帯を通じて聞こえてくる。

 確かに、島田チームに勝てはした。けれど、隊長のセンチュリオンを撃ったのは、私ではない。

 

「隊長、それは違いますよ。近接戦闘にまで持ち込んだ、ルミがあなたを討ったんです」

『結果だけを見ればそう。でも、あなたがいなかったら、私はルミに勝ててた』

 

 今回は、森どっかり岩ばっかり高低差いっぱいのフィールドで練習試合が開始された。当然ながら絶好の狙撃ポイントが多く、奇襲スポットもよりどりみどり。だからこそ、下手に動いた時点で白旗が突き立てられてしまうし、勝ったかと思えば後ろから主砲で刺されることもしょっちゅう。こと殲滅戦においては、高鳴る砲撃音が鳴り止まないのだった。

 

 そんな奇襲天国のフィールドだが、当然ながら「あ」と戦車と戦車が鉢合わせすることもある。視認しにくいエリアあるあるの一場面だ。

 こうなってしまえば、ガンマンよろしく早撃ちするか、或いは移動を駆使して相手の目を惑わすか――隊長は、とにかく車体を動かして、被弾すらも避ける傾向にある。隊長からすれば「よくあるトラブル」でしかないから、瞬時に最適行動をとって相手を難なく撃破してしまう。

 このことから、「隊長と目が合ったら、生きては帰れない」とまで評されているほどだ。

 

 今回、隊長と目が合ったのはルミだった。ルミも恐らくは、「あ、やべ」と思っていただろう。

 けれど、たまたまその現場を視認した私は、

 

「私、なにかしでかしましたっけ?」

『うん』

 

 はっきりと言われた。

 

『あんな高い崖から、あなたは飛び降りた』

「ああ、そうですね。ルミを助けるのに、夢我夢中でした。でも、時たま見かけられる光景では?」

『――たくさんの鳥たちと、一緒に飛んでた。この時点で、もうすごかった』

「それは、珍しい光景ですよね」

『うん。それで、砲身がこっちを向いてた。声も出た』

「見たことのないシチュエーションだったんですね」

『しかも、撃ってきた』

「外れちゃいましたけどね、空中行進間射撃」

『かすった。……実はね、驚きすぎて数センチほどジャンプしちゃった』

「それで、判断が遅れてしまったんですね」

『うん。乗員のみんな、すごい声出してたし』

 

 その現場を視認した私は、頭の中で白岩のレポートをめくっていた。どうすればいい、なにをすればいい――ソラへ羽ばたけばいいじゃん、そうやって閃いていた。

 そして、その通りに行動した。あとはやぶれかぶれだったもので、当たればそれでいいとにかくビビらせてやれとばかりに、本当に崖から飛んだ。崖にはたまたま鳥たちがいて、一緒になって羽ばたいてもみせた。ルミの背後から現れる形で、隊長のセンチュリオンを横切るコースで。

 あとは、撃った。

 結果は、外れ。センチュリオンの横っ面をかすめただけだった。

 けれど島田流としては合格点だったようで、センチュリオンに隙の時間が生じたらしい。ルミも副官であるから、ウン秒の間があれば十分にプロセスを完了できる。

 

 ――判断力が生き返る前に、隊長のセンチュリオンは、ルミのパーシングによって一撃を食らわされた。

 「空中で」それを確認したから、間違いなく「ルミがやった」と主張できる。けれどメグミは、ルミは、隊長は、『アズミのお陰』と告げてきた。

 否定できないだけに、笑って受け入れるしかない。

 

『――おめでとう、アズミ。いまの気分は?』

「ええ。やった、やったぞって、満ち足りています」

『だよね。……アズミ』

「はい」

『さっきのね、あのね、なまらかっこよかった! バードストライクっていうのかなっ、あれに名前をつけるのならっ』

 

 隊長のテンションが、手に取るように上がっている。私は、「確かになあ」と苦笑する。

 沢山の鳥というものは、何物をも幻想的に変換してしまう魔力がある。

 ――けれどひとつだけ、隊長の意見に異論を唱えなければならない個所がある。

 

「……バードストライクという名前は、ちょっとアレですし、羽付きなんてどうでしょう? なーんて」

『いいかも』

「いいんですね」

 

 そういうことになった。着地時の衝撃がしんどいから、二度とは使えないとは思うが。

 

『それで』

「はい?」

『今の気分は、どう?』

 

 ああ。

 それは、もちろん。

 

「最高です。……ここまで教えてくださって、ありがとうございました」

『うん。――言える? 今なら』

「ええ、言えますよ」

 

 笑顔で、応えてみせる。隊長も察してくれたのか、『じゃあ、がんばって』と電話を切ってくれた。

 ――深呼吸する。

 重くハッチを開けて、ようやく外の世界を拝む。今でも十分暑いが、それでも車内よりはずっとマシだ。どこまでも広がる青空を目の当たりにして、なんとなく「ああ、勝ったんだな」と口にする。

 

 ふと、携帯が震える。

 なんだろうと画面を見てみれば、「新着メールが届きました 送信者:島田千代」の文字、

 暑さなんか吹っ飛び、緊張感が体全体に走る。「え」と声が漏れて、「え」と声が出て、理性が沢山の予想を引き出す。島田流らしくないことをしたせいか、島田愛里寿を負かしてしまったからか、労いの言葉か――

 見てみなければ答えは出ない。爆弾を解除するような、震える手つきで、そっと画面をスライドさせて、

 

 送信者:島田千代 受信者:アズミ

 す ご い

 

 私の笑い声が、試合会場で高らかに響いた。

 シノザキが、「どしたのー?」と嬉しそうに声をかけてくれた。

 

 ↓

 

 お疲れ様、アズミ。――やった、本当にやったな! ちゃんとレポートはまとめておいたからッ!

 ありがとう、白岩。白岩のお陰で、勝てたよ

 マジで? 信じていいの? それ

 いいよー、バリバリ自惚れるがよい

 やったぜーッ!

 ふふ。……ね、白岩

 ん?

 あのさ、今週末、ヒマ? その、えっと……めでたいし、一緒にデートなんて、どう? ほら、ペットショップの件もあったし

 マジで? いいよいいよ、俺で良かったら、今からでも構わないッ!

 もう、バイトあるんでしょ?

 あーそっかー。……わかった、絶対に行くから

 うん。それじゃ、よろしくね。

 

 ――やった




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