Beautiful Charmingへ自由に惹かれて 作:まなぶおじさん
「おはよー」
「おはよー」
ここ最近になって、白岩と共に大学まで歩むことが多くなった。メールで合流時間を知らせあったり、時には口頭で伝えたりと、順調に友達らしく付き合えている。
おはようの後の話題といえば、あらゆるBCの服をまといながらで「これはどう?」「いいじゃない」と評価しあったり、互いの髪型について「綺麗なウェーブですなー」「そお?」と照れちゃったり、インコのソラについて「元気ー?」「へばり気味」と心配しちゃったり。
けれど白岩は、日常のことだけじゃなくて、
「戦車道は順調かい?」
「ええ、全体的には。ただ、隊長にはやっぱり勝てずじまいだけれど」
「ふーむ。……島田さんは、やっぱり強いかい?」
「うん。歯が立たない……わけじゃないんだけれど。どうしても慎重になっちゃう、相手は隊長だけじゃないし」
「そっかぁ……よし、よしよし」
私の目が、ぴくりと動いた。
何が「よし」なんだろう。いいこと閃いたぜとばかりに微笑んで、拳まで作って、一体なにが「よし」なんだろう。
――けれど、追求などはしない。白岩はごくごく真っ当な男性だから、私の為に絨毯の上で眠るような男だから。そうした信頼があるからこそ、何がどう「よし」なのかが、気がかりで楽しみだった。
「ちょっとー、悪い事しないでよー?」
「しないしない。あ、今日も昼飯いいかな?」
「もちろん」
そう聞かれる前から、答えは決まっていた。
承諾されて、嬉しそうに破顔する白岩のことを見て、私はつくづく思う。
出会いって、本当に脈絡がないな、と。
この人と歩みたいから、毎朝こうしているんだろうな、と。
「何か悪いね。女性の中に野郎が混ざって」
「いいのよそんな。むしろ、話の幅が広がっていい感じだし」
「そうかい? なら良かった」
白岩がうんうんと頷いて、
「となるとー、あいつらからまーたつまんねえこと言われるのか」
「へ?」
清々しい青空の下、熱々の空気を肌にひりつかせながら、鬱々と白岩がため息をつかせ、
「――俺はこうして、単に戦車道履修者と『交流』しているだけなのに。サークルの連中ときたらなー、ほーんとねー」
「何か、あった?」
「あった。あいつらと会うたんびに、『なに美人と仲良くしてんだよ』とか『ずるいぞ』とか『今度テクを教えろ』とか言われるのよ。あーやだやだ、男って怖いね」
私は、ぷっと吹き出してしまう。
「まあ、そこはしょうがないわよね。男一人に女性四人のグループですもの、色々と推測されてしまうのは仕方がないわ」
「そーなんだけれどね、そーなんですけれどね」
「それに、あらぬ推測を立てるのは男だけじゃない。女性だってそう、例えばメグミとかメグミとかメグミとか」
白岩が、特に驚きもせずに「ああ」と言う。
「メグミ、毎回追求してくるよね。俺とアズミは、まだそういう関係じゃないっていうのに」
「ほんとほんと。まああの子、アクティブだし、ストレートだし、好奇心旺盛だし、ここは私の顔に免じて許してちょうだいな」
「いいよ」
「っしゃー」
にへらと、私は笑ってしまう。白岩もノるように、含み笑いをこぼしてくれた。
さて。
今日も今日とて、蒸し暑い中で戦車に乗らなくてはいけない。快適とは無縁で、無傷では済まされなくて、気楽になんて過ごせない道だけれども、それでも私はやめるつもりはない。
戦車道から得られたものは、それら以上にあるから。格好良いと感じているから。
白岩の顔を見る。白岩は、戦車道履修者である私の方を見て、「どうしたの?」と声をかけてくる。
「ね」
「ん?」
「戦車道って、どう思う?」
白岩が「そっだなー」と声に出して、うんうんと唸って、
「いいんじゃないかな」
「そっか」
今日も、張り切りますか。
白岩から、最近はじめたバイトの話を聞かされる。大変だねーと苦笑して、白岩はそだねーと頭を掻いて、気付けば大学の付近にまで差し掛かっていた。沸いて出る、人の気配。
私と白岩は、大学の正門を潜り抜けていく。同じ履修者とすれ違い、「モテてますなー」「友人よ友人」「そうそうそうなんすよ」と交わしながら、訓練場前で白岩とばいばいする。
↓
「で、まだ付き合ってないの?」
食堂で目玉焼きハンバーグ定食を頬張りながら、メグミが早速とばかりに食いついてきた。隊長もこのテの話に興味津々らしく、目をまんまるくさせながらで私を、隣に座る白岩のことを交互に見やっている。
「メグミ、彼を困らせるんじゃないの」
「えー? 毎度毎度見せつけてくれるくせに、何言ってんの」
「友人同士なんだから、一緒に行動するのは当然でしょ」
「そうそう。男女だからって、恋愛関係とは限らないよメグミさーん」
メグミが「そおかあ?」と首をかしげ、ルミが呆れたようにため息。隊長はといえば、「ふうーん」と反応したきり、好物の目玉焼きハンバーグめがけ勢いよくかぶりついている。
ほんとう、食事は子供らしいんだなと思う。
視野が広いはずなのに、いつだって神経が研ぎ澄まされてるはずなのに、好物を前にすると、こうして年相応になってくれる。隊長は私たちに見向きもしないままで、一刻も早く目玉焼きハンバーグを噛み砕いていた。
――お疲れ様です、隊長。
無言で、ルミとメグミの目を見る。二人とも黙って小さく頷いて、隊長の時間を邪魔しないよう心中で誓い合った。
「しかしメグミよう」
「ん?」
「お付き合いの話をしてくれたけど、メグミだってかなりいいセンいってると思うよ。美人だし、性格も良いし」
「マジー?」
「マジマジ。顔は男の俺が保障するし、性格の良さだって……俺を仲間に入れてくれた時点で、ねえ?」
メグミが「やたー」と甲高く歓喜する。
「そう言ってくれるのは白岩だけだよー」
「マジで? 男どもは何してんねん」
「さあ……戦車道履修者って、やっぱり気が強い云々で見られてるからじゃない?」
ルミが、分かっているようなそぶりで苦笑する。けれども白岩は、「かもしれんけど」と前置きして、
「実際は、こうして話せるし、普通の女性だし。みんなちょっち怖がり過ぎじゃないですかねぇ」
「イメージってのは、取り外しは難しいからねぇ」
「まぁなぁ。俺からすれば、清廉な女性が多いってイメージしかないけど」
「へえ、ありがと」
ルミが、嬉しそうにくすりと笑う。「清廉な女性」という一言を耳にしたせいか、隊長も、頬を赤く染めながらで口の動きを止めていた。
「白岩くーん」
そして、メグミが白岩に食いついてきた。
「君はイイ男だよ、絶対モテるよ」
「マジで? 嬉しいこと言ってくれるじゃない」
「うんうん。だからアズミが超憎い」
火を飛ばしてくるなよ。私は、露骨に非難めいた目をメグミにぶっつけてやる。
「いいなーいいなー、白岩と出会えてー。あっ、私は友情を尊ぶ性格なので、無粋なことはしませんから」
「無粋って何よ無粋って」
「え? 白岩君を口説いたりとかお誘いかけたりとか」
私は、露骨にため息をこぼしてやった。
「別に……彼を独占するとか、そういうつもりはないから」
「そなの?」
「そーなの。彼とは、そういう関係じゃないし」
「へえ。まあいいわ、私は遠いところでお二人を見守ります」
何達観ぶってるんだか。
何となく、白岩の横顔を見てみる。目が合って、「あ」と間抜けな声が漏れてしまった。
「あ、えーと……なんだか、ごめんね? メグミが、馬鹿なことを」
「ああいや、ぜんぜん気にしてないから。――そだ、そだ、アズミに見せたいものがあるんだけれど、いいかな?」
私は、こくりと頷く。肯定として受け取った白岩は、嬉々とした表情を隠さないままで、鞄から一冊の黄色いノートを取り出してみせた。
買ったばかりなのだろう。新品特有のツヤが、食堂の照明に程よく照り返されている。最初は課題か何かだろうかと思ったが、それでこんな風に上機嫌めいた顔をするものだろうか。
「えーっと、これは……素人が書いたレポートみたいなものなんだけどさ」
「うん」
恥ずかしそうに、けれども嬉々さを孕ませたままで、白岩はテーブルの上にノートを置いて、音を立てながらページを開いて、
食堂の中で、本日の試合内容の流れがレポートとして帰ってきた。
まずは私が、白岩作のレポートにくぎ付けとなる。愚痴を垂らしていたはずのメグミが、無言でレポートを凝視し始める。シナモンを齧っていたルミが、シナモン片手にレポートへ首を伸ばし始める。目玉焼きハンバーグを味わっていた隊長が、前のめりになってまでレポートを解読し始める。
ページの「右上」には、今日の日付と天候が記されている。「晴れ、猛暑」の文字。
続けてページ「そのもの」だが、白岩はずっと試合を追い続けたのだろう。2ページまで使って、なるだけ試合全体の流れを、時刻込みで、出来る限り客観的に詳細を書き記そうとしている。手馴れたような書き方だったから、バードウォッチングサークルで鍛えられたのかなと思った。
ただ、まるで客観的ではない「例外」は、存在していたが。
本当にしっかりと、モニター越しから試合を覗っていたのだろう。敵味方問わず、車両の足跡を黒い矢印で刻み込んでいた。
とにもかくにも動かなければ話にならない世界であるから、この俯瞰的な情報は実にありがたい。こうして見てみると、隊長は意外と動いていないんだなということに気づかされる。
――ただ、この矢印方式にも、「例外」はあったのだけれど。
続けて試合内容だが、今回はバミューダチーム対島田チームのフラッグ戦で、15対15の中規模戦が繰り広げられた。それ故に全車両の把握は難しかったのだろう、「いつの間にか脱落、恐らくは狙撃されたものと思われる」の文字もあった。仕方がない、よく見てくれたと、私は思う。
私は、とにかくレポートを読む。メグミも、ルミも、隊長も、無言の真剣さを以てして、レポートを目で追っていく。
大学の訓練場には、特設モニターが常に敷かれている。世界選手を育むべく、こうした設備はよくよく充実されてはいるのだ。
けれど、ここまで詳細に「観察」出来ているなんて――私は、白岩の方を見た。白岩は「えへへ」と恥ずかしそうに苦笑して、私は何も言えないままでノートに視線を戻す。
白岩は、戦車道履修者では決してない。だからこそ、よくぞここまで淡々と詳細を書き記せたのだと思う。「例外」はあったけれど。
白岩は「素人」と前置きした。だからこそ、「ここで攻めれば、島田さんの戦車を破壊出来たかも」という大胆な注意書きが記せたのだと思う。「例外」はあったけれど。
白岩はバードウォッチャーだから、好きに丁寧さを求めたレポートを完成させられたのだと思う――「例外」は、あったんだけれど。
「すごい」
最初に声を出したのは、隊長だった。
「素晴らしい」
「パない」
ルミが、メグミが、感嘆の声を上げる。私は無言でしかなかったが、同意する他なかった。
一方の白岩は、「いやあ」と気楽そうに反応しながら、
「アズミの……みんなの力になれれば、いいかなあと」
メグミの視線が、ノートから白岩へ移る。それはもう勢いよく。
「十分十分! ……いやあ、よく見てるね。何だかんだいって、チャンスはあったんだ」
「うん。さすが副隊長、隊長を越えられるポテンシャルはあったと思うよ」
隊長が、「うんうん」と二度頷いて、
「素人、とは思えない。これは……参考になる」
「ほんとう? それは良かった」
「ええ。履修者ではないからこそ、良い意味で淡々としたレポートを描けたのでしょうね」
「いやー、内心はすげーすげー音すげーって盛り上がってたけどね」
メグミが「でしょ」と、歯を見せて笑ってみせる。
白岩も、うんうんと小さく頷いてみせた。
「なるほどね……あの派手さを手足のように操るんだから、戦車道履修者はハードルが高いって思われちゃうのかな」
「そうなのかなあ」
「俺は、そうは思わないけどね。逆に、惚れ惚れした」
「へえ」
そこで、ルミが意地悪そうに口元を曲げた。
――戦車道履修者である私は、何だかんだで「察する」ことには長けている。それ故に、次にルミが口走ることなんて、
「ホントに、アズミとは友達なの?」
「え? うん、フレンドフレンド」
「へー。まあ、その通りなんでしょうけれど」
本当に面白そうに顔を明るくさせながら、ルミがノートの一部分を、人差し指で二度三度ほど軽く叩く。
「アズミ」
「何よう」
「愛されてますなー」
ほらねそんなこと言うと思ってたんだ。
だって、この「淡々とした『つもり』のレポート」には、こう書かれてあったから。
10:31、Bポイントでアズミが敵車両を撃破。やはりアズミには、羽ばたける才能がある。
10:40、Dポイントでアズミが敵車両を撃破。これで二両目、鷲のようにアズミは強い。
10:46、ここで動けば、島田さんの戦車を狙撃出来た。次もチャンスは来る、頑張れアズミ。
11:06、停止時間が少し長いかな? 島田流ならではの臨機応変さを活かして、ここでかっ飛んでも問題はないと思うぜ、アズミ(9`・ω・)9
11:11、Aポイントで、アズミが島田さんの戦車に敗北。撃破数四両、アズミはカッコ良かった。
「淡々とした、『例外つき』のレポート」には、こう書かれているから。
「その他」の車両に関しては、程ほどに書き記しているくせに。私のパーシングが絡むとなると、途端にありとあらゆる称賛が、改善点が飛び交うのだ。完全なえこひいきといっても差し支えなかったが、そもそも最初から「アズミに見せたいものがある」と白岩は宣言していたし、そもそも白岩は部外者であるから、誰にも文句なんて言えようはずがなく。
逆にメグミなんて、「ほー」と声にまで出している。隊長に至っては、「おお……」と目を丸くしている。
――私以外の個所だと「報告書」になるくせに、どうして私絡みになると「感想文」になるんだ白岩よ。
私は、じっとりと白岩のことを見てやる。私の心中を察してくれたらしい白岩が、「いやあ」と笑ってごまかしながらで、
「――その、友人、だからさ。盛り上がっちゃって」
「……そーなの」
「そーなの」
そこで、隊長が「あのっ」と白岩に声をかける。白岩は隊長に目を合わせ、「どうしたの?」と返事。
「その、島田流のことも言及してるんだね。……どこで知ったの?」
「ああ、それはね」
ポケットから、携帯を取り出して、
「ネットで調べた」
「ほー……」
隊長が、とても感心したように目と口を丸くする。メグミが「やるねー」と口にして、そのくせ視線は私の方に。
「見るな、絶交よ」
「いいよー」
隊長が怯え、白岩が「まあまあ」と苦笑する。レポートに目を通していたルミは、「なるほど」と一言口にして、
「白岩」
「何?」
「これ、コピーとってもらってもいいかな? すっごく勉強になる」
白岩が半ば驚いて、半ば嬉しそうに笑う。
「マジでぇ?」
「マジマジ。第三者の視点から見ると、結構大胆な解析になりやすいのね」
「ま、まあ、俺は遠くから見ているだけだから、緊張とか恐怖といった心理的な面は、どうしてもガン無視になっちゃうんだけれど」
「プロになるからには、常に適切な結果を求めたい。そういった意味では、フィルターの無い意見はとても参考になるの」
「うーむ、すごいなー」
うんうんと唸りながらも、白岩は味噌汁を一口飲んで、
「いいよいいよ、著作権フリー、いくらでもコピーとっちゃってよ。もとはと言えば、アズミにあげるものだったからね」
「よしくれ」
メグミの、まったくもって遠慮のない要求。
私は嫌そうにメグミを見てやったが、メグミは知らぬ存ぜぬとばかりに「んー?」とすっとぼける。
「わ、私もいいかな? ――これは、アズミの為のレポートだから、私が見ていいのか……」
「私は構いません。皆で改善してこその、大学選抜チームですから。……いいよね? 白岩」
「もち」
思う。
今の今まで出会いがなかったのも、ほろ酔いで何とか生き残ってきたのも、何事も無く年を食ってきたのも、全てはこの瞬間の為にあったのではないのだろうか、と。
だから、
「ねえ、白岩」
「うん?」
「私もコピー、いいかな? これは、とても参考になる」
「――ああ」
だから、
「何百枚でも持ってってくれよ。友達じゃないか」
だから、いまの気分は、とても悪くない。
白岩の無邪気そうな笑みを視て、今日も賑やかな食堂の声を聴いて、私を励ましてくれる顔文字を人差し指で触って、なんとなく目玉焼きハンバーグの一切れを味わって、浸る為にソースの匂いを嗅いでみて、
白岩に、出来る限り微笑んでみせる。
白岩は、照れ隠しとばかりに親指を立てた。
愛い奴だ。
昼飯を食べ終え、五人揃ってごちそうさまと手を合わせる。その後はレポートのコピーを何枚か戴いて、掲載許可を白岩から貰って、チーム共々反省会だ。
もちろん、「修正」は仕込まれるだろう。そのままで提出しては、私はともかく白岩にも被害が及ぶ。それだけは何としてでも避けねばならない。
だから、心配することなんて何一つないはずなのに。
無機質な報告書と化すことが、なぜだか名残惜しい。
――これは、アズミに見て欲しかったからね。
熱のこもった感情を逃すために、何となく天井を見上げる。
天井で回り続けるシーリングファンライトを目にしながら、「報告書でもいいか」と思った。
あの感想文は私の為に書かれたものだ。私のだけの、ものだ。
「白岩」
「うん?」
白岩の顔を、はっきりと見てやる。今は、それが何だかこそばゆい。
「――ありがとう」
白岩は、「ああ」と笑いかけてくれて、
「こちらこそ」
――昼飯の時間が終わる。手を合わせて、ごちそうさまと告げて、そのまま白岩と別れる。
次は、隊長が担当する戦車道講座だ。またの名を反省会ともいう。今回はおそらく、「さる協力者が提供してくれたレポート」が、テーマとして取り扱われるだろう。
―――
「おはよー」
「おはよー」
夏は未だに、この空の下で留まり続けている。暑い、熱い、怠いの三拍子が毎日襲い掛かってくるが、夏特有のお祭り空気は別に嫌いではない。戦車に乗っている時以外は。
――直射日光を浴びて、白岩が忌々しげに頭を掻く。やはりというか、白岩も普通に暑さには弱いらしい。
「ひっでえ気温だなあ」
「ほんとね」
「で、こんな中でもパーシング乗るの?」
「そ」
はあーと、大きくため息をつく。くそ暑かろうが、寒かろうが、戦車道とはいつだって履修者の首根っこを逃がさないものだ。
「凄いねえ。俺にゃ一生無理ですわ」
「そお? 私からすれば、毎回レポート提出する方が、よっぽどよよっぽど」
「これは好きでやってることだから」
本当に悪気なく、白岩はわははと笑う。白岩の「好きでやってることだから」を聞いて、私は思わず「えー」と漏らしてしまう。
「あなたは履修者じゃない」
「そだね」
「で、そのレポートは誰の為に?」
「友達の為に」
「友達って」
白岩がカッコつけるように口元を曲げながら、人差し指と中指のデリンジャースタイルで私を指さす。
――本当、ぶれない人だ。
あの日以来、白岩は出来る限り、「私視点の」レポートを提出するようになった。本人曰く「メンタル面なんてまるで考慮してないけれど」とのことだが、それ故に「例外込み」で、余計なことは一切書かれてはいない。
戦車道履修者ならではの「配慮」がない分だけ、白岩のレポートは勝ち筋のみを記したレポートとしてよくまとめられている。最初から最後まで俯瞰的に見ているだけあって、ノートに記された文字の信頼性はとても強い。
――例外は、懲りずにあるのだけれど。
「ホント、友達思いねえ」
「でしょ?」
「けれど、友達ってだけで、ここまで協力してくれるかしら」
「言っただろ? アズミは美人さんだから、お近づきになりたいって」
「へー、ふーん」
白岩の顔を、まじまじと見てやる。相変わらずBCの服でまとめた白岩は、なんだようと怯む。
――そんなはずはないけれど、懲りずに「感想文」を書く白岩に対して、私は、
「もしかしてー、私の事好きなのー?」
静かに、なったのだと思う。
セミの鳴き声が、私の耳から頭にまでよく響く。私たちの後ろから、二両のマウンテンバイクが通り過ぎていく。
肝心の白岩は、まるで動揺などせずに、いやあ、とか声に出して、
「まさかまさか。アズミは友達、友達だって」
間。
「そっかぁ、だよねだよねー」
「そうなんすよアズミちゃん」
「白岩、ホント友達思いなのねえ」
だよねえと、私は思った。一瞬だけ、ほんとうに一瞬だけ「好きって言われたらどうしよう」とか考えたが、白岩が私のことを異性として見るなんて――ありえるはずがない。
そう、ありえるはずがないのだ。
私たちは親しい友人同士なのだ。
「となるとー……ごめんなさい白岩、うちのメグミが毎度ご迷惑をかけて。またちょっかいをかけてきたら、弱み握っておくから」
「握る……握る?」
「うん。あの子ストレートな分、ボロを出しやすいから」
怖いなあと、白岩は苦笑する。メグミの、興味津々顔を思い浮かべて、私は鼻息をつく。
ルミも、私と白岩の関係をからかいはする。けれどそれは「上機嫌」の時だけであって、しょっちゅうというわけではない。ルミもいい感じに直情的ではあるが、平常時は割かし冷静だ。
問題はメグミとかいう女で。顔を合わせるたびに「で?」と一声かけてくるのだ。それを聞くたびに「あ?」とか「は?」とか返事してやるのだが、全くめげもせずに「白岩クンとの関係はどうなったの?」と問いただしてくるのだ。何度も幾度もこれからも。
今年に入って、最高記録の絶交を宣言したと思う。そのたびに隊長は怯え、慣れた白岩も「まあまあ」と仲裁して、そうしていつものように昼飯タイムが始まるのだ。あとは定食を口にしながらで、雑談、小さな反省会、そして白岩からのレポート提出。
ルミは興味深そうにレポートを眺め、隊長も「うんうん」と声に出して、私も「そっかー、あちゃー」とか漏らして、メグミとかいう女は「ほっほー」と「黄文字」に食いつく。ここでまたしてもけったいな言及が飛び交い、私は「次は、メグミの後ろを守るわ」とでまかせを抜かすのだ。対してメグミは、「信じてるからね」とか返してくれる。なんて女だろう。
――前に一度、白岩から「ああいうの、やめたほうがいい?」と言われたことがある。けれども私は、「あのままでいい」と即答した。
だって、誰かから明確に応援されているなんて。そんなの嬉しいに決まっているから。
「――ま、あの子のことは気にしないで。これからも、レポートを書いて欲しいな。もちろん、時間があればだけれど」
「ああ、ヘーキヘーキ。ちゃんと単位はとってるつもりだし、元から観察大好き野郎だから」
「そっか」
「何より、アズミのような美人さんの力になれるんだぜ? 張り切るほかねーよ」
「もー、世辞うまいなー」
「でしょー?」
私と白岩は、今日も「ばかだねー」と肩を叩きあう。こうしたスキンシップも、いつの間にやら慣れてしまった。
こうして一緒に登校することも、今となっては珍しくもない。手前勝手にお喋りして、言いたいことばっかり言い合うのも日常茶飯事だ。戦車道を歩み、シャワーを浴び終えて、白岩が手を振って待ってくれているのも日課の一つ。そうして周囲から(特にメグミ)、「愛されてるねー」とからかわれるのだってお約束。
――白岩のレポートに、私がどんなふうに応援されているのか。それが気になるのも、いつものこと。
だからか、ここ最近は島田流に則って、臨機応変に動き回ってしまえるのかもしれない。それを決して見逃さない白岩は、「すごい( ゜ワ゜)」と書いてくれて、隊長も「すごい」と評価してくれるようになった。
良くも悪くも、私はまだまだ、年をとり終えていないらしい。
ため息。上機嫌に。
「――そういやさ」
「んー?」
「さっきさあ、好きとかどうとかって言ってたじゃん」
「へ!?」
思わず、声が上ずってしまった。白岩が「どったの」と聞いてきたが、ひとまず首を左右に振って、
「う、うん言ってた言ってた。で?」
「ああ。何気に思ってたんだけれど」
白岩が、普通の質問をしようとばかりに、平然とした顔つきのまま、
「アズミって、どういう男と結ばれたいん?」
思考が、真剣に行き詰ったと思う。
口に手を当ててまで、「そうねえ」とか「そうねえ」とか言う。白岩はいつまでも待ってくれるようで、急かしたりはしなかった。
――私は、戦車道履修者だ。ちょっとやそっとのことではビクつかないし、これで飯を食っていくつもりでもある。だから、私はどちらかというと「肉食系」ではあると思う。
けれど、イケイケドンドンばかりでは疲れ果ててしまうだろう。私だって人間だし、女性なのだから。
だから、
「――癒してくれる人、かな」
「へえ」
「私は戦車道の世界選手になって、お金を稼ぐつもり。これは絶対に曲げないし、こんな自分が好きだという自覚もある」
「さすが」
「……けど」
白岩に、そっと目を向ける。じわりと、口元だけを笑んだまま。
「やっぱり、私の背中を支えてくれる人が欲しいかな。めげそうになったら、いつだって私を抱き締めてくれる、そんなひと」
我ながら、夢物語を口にしたと思う。
けれど白岩は、私のそんな言葉に対して、「なるほど」と真正面から受け止めてくれた。
「いいんじゃないかな。アズミらしいと思う」
やめてよ、白岩。
私の目を見ながら、そうやって肯定するのは、やめて欲しいよ。
「そうだよなあ、戦車道って色々大変そうだもんね。一人で生き抜くには大変な世界だ」
「やっぱり、そう思う?」
「思う思う」
「……結ばれる人は、主夫でいい、むしろそうであって欲しい。へばりそうな時に、慰めがないのはちょっと、ね」
「ああ、わかるわかる」
白岩は、二回も頷く。
「癒し系、か」
「うん。まあ、贅沢は言わないけどね」
「いいじゃん別に。金は私が稼ぐ、アンタは私を支えてくれって言ってるんだし」
「そお?」
「そおそお」
白岩にそう言われて、「そっか」と一息つく。観察眼に長けている男が言うのだ、間違いはないだろう。
何となく思う。
白岩に、自分の願望を否定されなくて良かったな、と。
「――あ」
どうやら、人生にツキが回ってきたらしい。
羽ばたく音が、明確に聞こえてきたかと思えば――茶色い小鳥が、私の肩に着地したのだ。
目を丸くしたまま、思わず立ち止まってしまう。白岩も、「モズだ」と声を上げる。さすがはバードウォッチャー、呼吸するように答えてくれた。
へえ。
少しふとい体系をしていて、それがかえって可愛いと私は思う。私のことがまるで怖くないらしいのか、モズはまんまるい目でこちらを見つめてくるのだ。
「どうしよう?」
「さあー?」
意地悪いやつめ。白岩めがけ、歯を見せて苦笑してやる。
さてどうしたものかと判断に困っていると、モズときたら私に対して頬ずりを仕掛けてきた。思わず「お゛おーお゛おー」と声が垂れ流しになるが、モズは一向に求愛をやめようとはしない。こんな激戦を繰り広げているというのに、白岩は「愛されてるねー」とか抜かしてくれるのだ。
「たすけてよー」
「と、言われましても。嫌なの?」
「ううん、ちっとも」
「歩いてみれば?」
歩く。途端にモズは頬ずりを停めるが、私の肩から下車しようとはしない。その黒い瞳は前だけを見据えていて、私も一緒になってモズと同じものを捉える。
大学の正門だった。いつの間にやらだった。
「どうする?」
「行くわよ」
ここまで来てしまったのだ。ならば、モズが満たされるまでとことん付き合ってやろうじゃないか。
正門を潜り抜け、一歩、二歩、三歩と進んで、
「お、アズミー。今日も彼氏とハシゴー?」
「ちーがう」
私のパーシングを担当している砲手――シノザキが、からかい半分に声をかけてくる。噂とは流れるのが早いもので、戦車道履修者から、こんな風に誤解されるのも既に風物詩だ。
白岩も、「まだ友人だから」とか言う。シノザキが「へーそーなんだー」とお気楽そうに破顔して、
「あれっ。それ、アズミのペット?」
ペットと聞いて、真っ先に私の肩を見やる。ここにメグミがいたら、メグミを指さして「ペット」と躊躇なく口にするつもりだった。
モズと目が合う。不慣れな環境の中だからか、モズは私のことをじいっと捉えて離さない。
「かわいいねー、小鳥? よしよし」
吹けてない口笛とともに、シノザキがモズめがけ手のひらを差し出してくる。けれどもモズは、困ったように私の方を見たままで、その場から動こうとはしない。
「ありゃー? 鳥に愛されない系かなー」
シノザキが、おいでおいでと手のひらを動かす。それでもやっぱりモズは、私の肩から離れようとはせず、
「あっ」
私が、シノザキが、白岩が、一斉に声を上げた。
モズが、空高くまで飛んでいってしまったからだ。
――モズの羽ばたく音が、夏の空へ響き渡る。消えゆくモズの姿を目で追っていったが、それは数秒も続かない。
またたく間に、モズは空へと還っていった。
そうして、人の営みが地から聞こえてきた。
「あ……その、ごめん」
「ううん、気にしないで。たまたま、肩に乗っていただけだし」
「そう? ……アズミ、なんというか、すごいね」
「何が?」
シノザキが、私の肩を指さして、
「鳥に、愛される系なんだ」
「まさか、偶然よ」
「そうかなあ?」
「そうかなあ?」
シノザキと白岩が、驚いた顔をして互いを見やる。これだけで意思疎通が図れたのだろう、シノザキが「やっぱりそう思う?」と笑い、白岩も「思う思う」と同意する。
まったくこいつらは。
まあ、いいけどね。
鳥に愛されるなら、それはそれで構わない。むしろ、あんなにも可愛いものなのかと思いもした。モズと目が合った時なんて、正直、母性本能というものがくすぐられたものだ。
「なるほど」
「え?」
「あなたが鳥に夢中になる理由、分かった気がする」
「お、そうかい?」
「ええ」
素直に笑えたと思う。こんなにも可愛いのであれば、白岩が鳥へ夢中になるのも頷けるものだ。
「ほほーん」
首が、ごきりと音を立てたかもしれない。それほどまで、シノザキへのロックオンは速過ぎた。
「お邪魔虫は退散しまーす。あ、少し遅れてもいいからねー?」
「! 馬鹿言わないの!」
何が楽しいのか、シノザキは「じゃねー」と全速力で消えてしまった。
舌打ちする。白岩とは、そういう関係では、そういう関係ではないというのに。
頭に手を当てる。
「……で?」
「え?」
呆れた目つきで、白岩の方に視線を向ける。白岩は、当然だとばかりにペンと黄色いノートを右手左手に装備していた。
ため息をつく。最近、どうも騒がしい気がする。
けれど、
「白岩」
「ん?」
けれど、
「いつも、ありがとう」
「ああ。アズミは友達だから、これぐらいはさ」
けれど、悪くはない事態だ。
さて、猛暑に苦しみながら、戦車道を歩むとしますか。
――その後のことはといえば、レポートを見た隊長からは「六両!? すごい」と驚かれた。ルミも「張り切ってたねーアズミー」と嬉しそうにからかってきて、メグミに至っては「彼氏の前ではパワーも出るか」とかなんとかほざいたので、メグミのコロッケを奪い取って食ってやった。食堂で、けたたましく鳴り響くメグミの嘆き。
メグミが私のハンバーグを奪おうとして、踏み込みが足りんとばかりにメグミの箸を切り払っている中、白岩は、
「カッコ良かったよ、アズミ」
そんなことを、言ってくれたのだ。
そんなことを、貴方が言わないで。
晴天、28度 30対30 フラッグ車:メグミのパーシング
10:14 アズミが敵車両を撃破。一番最初に島田チームの戦力を殺ぐ。これは凄い! 隼のように速い!
10:32 アズミが被弾したものの、反撃で敵車両を大破させた。アズミが車体の角度を変え、疑似的な防御を成したからこその結果だ。俺には真似出来そうにない。
10:42 アズミの活躍っぷりは、戦車隊全体に伝わっているのだろう。交戦回数がとにかく多い。危険な標的は優先的に狙われるというもので、それだけアズミが強いという証左でもある。頑張れ! アズミ専用の包囲網を仕掛けてきてるぞ! 猛禽類のような強さを見せてくれ!
11:04 接近戦に持ち込まれるが、アズミが忍者刀のように砲身をぶっつけ、相手が錯乱したところを撃破。6両目、素晴らしい! また羽ばたいた!(=゚ω゚)ノ
11:08 大胆にも、島田さんめがけ車両を突っ込ませる。動揺は誘えたのだろうか? 惜しいところで敗北してしまった。敗因は、先に捉えられてしまったからだろう。
島田さんの裏をかければ、スキを作れれば、勝てるかもしれない。臨機応変即ち島田流を受け継ぐならば、奇策を創るのも悪くはないと俺は思う。ガンバレ、アズミ!
ほんとにこの人は、もう。
―――
最近、アズミってばすごいことになってるよね。
大学選抜チームの「中」に居ると、一日に二度は必ず聞くフレーズだ。この場合の「すごい」というのは、戦車道的な意味で「すごい」という意を指す。
これまでのアズミのスコアはといえば、最低でも二両撃破、最高は五両撃破という、「優」な成績だった。副官という後方ポジションを考慮してみると、これでも十分だと私は思う。
けれど、ここ最近のアズミは確かにすごい。最低でも五両撃破、絶好調に達すれば七両と、以前とは比べ物にならない成績を、毎度の如く叩き出してくるのだ。
これだけでも十分すごいことだが、ここ最近のアズミの行動パターンもすごい。
まずアズミは、思いついたかのように島田流の極意を振り回すようになった。副官となると保守的な戦法をとりがちになるが(これは隊長である私も同じ)、副官アズミは当たり前のように待ち伏せしたり、高台から奇襲戦法を仕掛けてきたり、近接戦闘に持ち込んで相手を驚かせたり、更には私めがけ火を放ったりと、やれるだけのことをやるようになってきたのだ。
臨機応変を尊ぶ島田流としては、アズミの成長には感心せざるを得ない。この路線で突っ切ってくれれば、いずれは島田流のエースとして君臨してくれるかもしれない。
島田流の後継者として、私は心からそう願う。
――アズミ、何かいいものでも食ったのかな。この短期間で、めちゃくちゃブーストかかってるでしょ。
――知らないの? イネダ。最近ね、あいつにはね――
わかってる、アズミが強くなれた理由なんて。
戦車道とは、良くも悪くも心身が影響されやすい。何せ暑くて寒くて重くて狭くて危なっかしい乗り物を駆使して戦う武芸なのだ、生半可な気持ちで挑戦したところで「やめる」と投げ出すのがお約束でもある。
だから、「何かを守る為」だとか「何かに応えたい為」という動機持ちは、強くなりやすい傾向にある。それは間違いなく、鉄の心の一つであるからだ。
――だから。
「本当に惜しかったな、アズミ。でも、平均レートは保ててる」
「お、そっか。……私はフラッグ車ではないんだし、もっと前に出ても良いんだよね」
「そうそう。アズミってば元から強いんだから、戦闘回数が増えれば増える程、自チームに貢献しやすいのは当然さ」
「元からって、買いかぶりすぎだってぇ」
「俺はアズミを長らく観察してきたから、客観的に実力を分析できるのさ」
「おー、そういえばそうだ」
アズミがすごいことになるのなんて、当たり前だった。
お昼休みの食堂は、いつもこんな感じだから。
ルミが「へえ」とにやついて、メグミが「またイチャつきやがって」と毒づいて、アズミが「そんなんじゃないから」と呆れて、メグミの言葉にどきりとして、羨ましそうにアズミのことを見て、
「? どうしました? 隊長」
「あっ、ううんっ、なんでもないよっ」
――白岩のような人が出来たら、私も、アズミのように張り切っちゃうんだろうか。
「……アズミ」
「ん?」
「今日も、カッコ良かったぜ」
「……そお?」
たぶん、張り切っちゃうと思う。一日に一度、フラッグ車を討ち取ろうとする程度には。
だっていまのアズミ、顔は迷惑そうに照れていて、口元は嬉しそうに曲がっているから。
「はいこれ、今日のレポート。……みんなも、いる?」
「お願い」
「くれ」
「いいかな?」
だから明日も、カッコ良く生き抜く為に、最初から私の事を狙い定めるに違いない。
気を付けよう。
―――
「ぉはょぅ」
「ぉはょぅ」
朝、35度。
「ぁぁ、ゃりたくなぃ」
「せんしゃどぅ?」
「ぅん」
「ゎかる。ぉれもばぃとしぃたくなぃ」
これでもかというくらい、私も弱々しく頷く。
精鋭大学選抜チームだろうが、月間戦車道の看板娘だろうが、ここ最近の調子が良かろうが、所詮は私も人間様というもので、猛暑には抗えない。
けれど戦車道というものは、今日も今日とて履修者の首根っこを掴み取るのだ。私は副隊長の身であるから、隊長めがけ「暑いので休んでもいいですか?」なんてほざこうものなら、世にも恐ろしい無表情で「は?」と言われるに決まっていた。
猛暑を歓迎しているらしいのか、虫の音がいつもより大きく聞こえてくる。気温なんざ関係ないとばかりに、今日も配達トラックが住宅地の間を走り抜ける。青空を見上げてみたが、鳥の一羽も見受けられなかった。木陰でのんびりしているのかもしれない。
「しらぃゎ」
「ん?」
「きょぅのせんしゃどぅ、かゎってくれなぃ?」
「なんでぇ」
「せんしゃってぁっぃから」
駄目元で、白岩めがけパーシング乗車券を譲渡しようとする。馬鹿言えとか、無理だからとか、そういった返事が返ってくるものかと思っていたが――
白岩は、長らく「あーうーんー」と唸っていた。
茹っていた脳味噌が、僅かながら覚醒する。「え、マジで?」と、冷静な個所がコメントする。まさか白岩は、私の為に、本気で、
「そぅしたぃのはゃまゃまなんだけれど」
「う、うん」
白岩は、実にがっかりするようにため息をついて、
「ぉれ、ぉとこだからさ……」
望みが絶たれた。
戦車道に関して、それを言われては、もう反論のはの字も出せない。
ひと段落がついたとばかりに、車が通り過ぎていく。なんとなく、「白い車か」とぽつりと思う。猛暑の中で聞こえてくるのは、とにかくセミの鳴き声だけだった。
「鳥になりたい……」
「なんで?」
「飛ぶと、冷えるんじゃないの?」
「まあ、そうかもしれないけどさぁ」
アズミが、うんざりを前面にため息をつく。
「太陽つらい」
「俺も」
「戦車乗りたくない」
「アズミさん、将来の夢は?」
「今だけ忘れた。……はぁぁぁぁ、なんで飛行機が空飛べて、戦車が飛行できないんですかー?」
「さあ……ロケットブースターでもつければいいんじゃないの?」
やっぱりそれしかないのかと、天を仰ぎながらで思う。
しかし、現実とは非情なもので、
「……これまで一度も、ブースターつきの戦車は見たことがないから。たぶん、試作に終わったんじゃないかなー」
「そっかぁー。重くなりそうだもんねえ」
人類とは、地球に対してはつくづく無力なのだと痛感する。太陽が、単位という宿命が、隊長が、何もかもが恐ろしい。めげそうになる。
「はー、白岩ー、今日で私の生命活動は終了ですぅー。猛暑の中で戦車に乗ろうものなら、間違いなくおしまいですぅー」
「でも、乗らにゃアカンのだろ?」
「まあーねえー」
白岩が、両肩で一息つく。どこか楽しげに苦笑しながら。
「もし戦車道を歩み終えたら、弁当やっから」
「……へ?」
白岩が、鞄から弁当の包みを二つ取り出す。片方は白色、片方は黄色。
暑さにへばっていた私の理性が、瞬く間に息を吹き返す。青春ドラマのような展開に、まずはロクな言葉が出てこない。
「ほら、前に言ってたじゃん。『癒し系』と結ばれたいって。だからその、まあ、そういうのがモテるんだろうなって思って、こうしてな?」
「ま、」
マジで。
そう口にしようとして、動揺が声色を押さえつける。大学生になって、ようやく甘酸っぱさが沸いて出てきたなんて。あまりにも嘘くさい。
「えーっと、戦車道履修者は、目玉焼きハンバーグが好きだって……ネットで調べたから。だから、それを添えてある」
「そ、そう、なんですか」
「うんまあ。……だからその、第三者に味を見てもらいたくてさ。良かったら、昼に一緒に食べね?」
白岩も、こういう事をするのはこっ恥ずかしいのだろう。二つ重ねの弁当箱を掲げてみせて、照れ隠しに口元を曲げ切っている。
そんなの、
「私で、いいの?」
「友達だろ?」
そんなの、
「わかった」
そんなの、笑って快諾するに決まっているじゃないか。
白岩も、「っしゃあ」とか喜んでしまっている。こんな人が作るお弁当は、さぞかし美味しいのだろう。
――白岩が、弁当を鞄の中にしまう。戦車道が始まったら、とにもかくにも体力を使って、腹を空かせてやろうと心に誓った。
「さて、行きますか」
白岩が、白のカットソーシャツを整え直す。恐らくは、それもBC社のものなのだろう。
――それにしても、
「白岩ー」
「んー?」
「さっきモテる為とか言ってたけれど、今でも、女性から言い寄られてたりしてない?」
「え、どしたの急に」
「だってさ、服を上手く着こなせているし、髪だって今日もキメキメだし。おまけにやっさしーでしょー」
白岩の背中を、優しめに叩いてやる。白岩は困り果てた顔で、「えーなんもないよおれー」とかなんとか言うのだ。
「うっそだぁ。あなたのようなイケメンさんはね、絶対に女性から逃れられないんだからねー」
「そなの? ……んー、告白はともかく、野郎どもからは『最近キマってんなテメエ』とか言われるけどね。じゃあBCの服を着てみろって言ってっけど」
「ご宣伝、ありがとーございまーす」
軽く一礼する、白岩も「どーもどーも」と返してくれる。
初対面の頃に漂っていた、遠慮じみた空気はもうどこにもない。私の目の前にいるのは、れっきとした、はじめての男友達だった。
「あ、そういや松木――俺のサークルの女性メンバーで、友人なんだけどさ。そいつからも、『カッコ良くなったじゃん』って言われた」
ほー。
「女性から評価されるってことは、俺の着こなしは間違ってなかったってこったね」
私はなぜだか、きっぱりと頷いてみせて、
「うん。看板娘である私の目から見ても、白岩のファッションセンスは良いって思うもん。バードウォッチャーってさ、軽装ってイメージがあるから、白岩のキャラにピッタリ」
「マジか、やったぜ」
住宅地の歩行路で、白岩がまたしても服を整える。私からの評価がそれほど嬉しかったのか、白岩ときたら猛暑と戦えそうな笑顔を見せつけてくれていた。
悪くない気分だ。ほんとうに、そう思う。
――あついあついと言いながらも、何だかんだで大学の前までやってきた。これからクソ暑い戦車の中へ乗り込むことを思うと、気が滅入る。鼻息まで出る。
「で、どする? 歩む?」
「歩むわよ」
が、ぉはょぅと挨拶した時から、私の選択は決まっていた。
それに、腹が減れば減るほど、昼飯というものは美味くなるのだ。
白岩を見る。「がんばれ」、そう励ましてくれた。
よし、十分だ。
迷わず、訓練所まで両足を歩ませる。途中でメグミとばったり出会い、「アツアツですなー」とか言われたが、ニヤケ面を以てしてスルーした。
メグミが首を傾げる。戦車道を歩む為に、私は白岩と、いったん別れを告げる。
さて、今日も練習試合だ。今度こそは勝つぞー。
↓
隊長。私は、絶対に――
いまの私はたぶん、ひどく笑っていると思う。五回くらいは、こんなツラをしでかしただろう。看板娘はく奪間違いなしだ。
まあ、生真面目な装填手ウメキも、お喋りな砲手シノザキも、寡黙な操縦士タケナカも、噂好きな通信手ウルシバラも、同じような顔をしているに違いない。ここまでバカスカ主砲を撃たれながらも、ドカバキと六両の戦車を撃破していった仲なのだから。
隊長のセンチュリオンへなんとか肉薄して、もらったと思いきや機銃で目つぶし。些細なスキという死の時間を以てして、私達は隊長からの一発を至近距離からお見舞いされ、行動不能に陥った。
白旗の作動音を耳にしながらも、蒸し暑い車内で「惜しかったわね」「そだね」「カレシのレポートのお陰だね」「インタビューであることないこと言うからね」「そんなー」とかなんとか。
惜しかっただけに、「勝てると思っていた」だけに、私たちの空気は、まったくもって悪くはなかった(40度)。
今度は、どう攻めようかな。
つぎは、絶対に勝ちたいな。
彼は、見てくれていたかな。
そんなことがあって、私と白岩は戦車道エリアのベンチに腰を下ろそうとして――先客の男が居たが、その人は「どうぞ」と譲ってくれた。
私と白岩は頭を下げて、そのままベンチへ座って、白岩の「さて」とともに弁当箱を手渡される。途端に腹が鳴る。
「お疲れ様。さ、これを食って元気出して」
「ありがとー」
蓋を開けてみれば、まずはごましお白米が目に飛び込む。この時点で胃の中が空となっていって、更に目を配ればブロッコリー入りの紙カップが。更には存在感たっぷりの卵焼きが視界に飛び込んできて、小さく「おお」と声が漏れてしまう。
これだけでも立派な手作り弁当なのだが、疲れ切った戦車道履修者の腹を満たすには、あと一品ほど欲しい。
だから白岩は、弁当箱の半分を占める目玉焼きハンバーグを仕上げてきた。これだけでも勲章ものだというのに、目玉焼きのデカさも情け容赦がない。大きすぎて、まるでハンバーグが見えない。
「これ……マジで初めての弁当?」
「マジマジ。だから、サイズの配分しくったかも」
「ううん、そんなことない。これは……ゴイス」
「それは良かった。さ、食ってくれよ」
箸を手渡される。私は手を合わせ、
「いただきます」
「いただきます」
まずは、ごましお白米を口にしてみる。米が程よく歯で噛み砕かれ、ごまの苦さと塩の酸っぱさが、舌の上で好きに踊る。
瞬く間に上機嫌となった私は、「うん」と声に出して、
「んまい!」
「マジで? ありがと」
「いいわねえ。あなた、いいお婿さんになれるわよ」
「マジか!」
「マジマジ」
白岩が「っしゃあ」と喜ぶ。流れで水筒を取り出しては、カップにお茶を注いで「はい」と手渡してくれた。
サンキュとお礼を言い、私は冷えたお茶を喉へ流し込んでいく。先ほどまで密室で暮らしていただけに、お茶からもたらされる恵みが非常にありがたい。
一気飲みし、おじさんっぽく声まで漏れた。
白岩も、自分専用のカップを取り出してはお茶を注いでいく。
「それにしても」
「ん?」
「惜しかったねぇ。あれだけ接近出来たのに」
「ああ、やっぱり見てたんだ?」
当たり前じゃん。白岩は、嬉しそうな顔をしながらで目玉焼きをつっつく。
「やっぱりアズミはスゲーよ。前よりも、着々と成長してってる」
「そうかなー?」
ブロッコリーを完食して、次に目玉焼きを箸で摘まむ。頬張ってみると、柔らかさとさっぱりした甘みが、私の食欲をなおのこと刺激してくれた。
「そうそう。やっぱアズミは、本当の意味で、戦車道のアイドルだったんだなあ」
「大袈裟ねえ」
「俺はそう思うけど」
また、そんなことを口にする。
友達だからといって、友達だからこそ、はっきりとそう言えてしまうのだろう。
だから私は、機嫌良く笑ってしまった。
「白岩」
「うん?」
「あなた、モテるわよ」
「え、そうか?」
言われた白岩も、まんざらではないように微笑する。
「そっかそか、モテるか。いやまあそれはそれで悪くはないけれど、やっぱ、俺から好きになりたい、かな。誰かを」
「おー、真面目ねえ」
「フツーの考えだよ。恋に関しては、生真面目にならにゃあ」
「そか、そうよね。じゃあ……応援してあげる」
「マジで? っしゃあ」
目玉焼きハンバーグを完食した白岩が、茶で口直しをする。流石は男の子、食べるのが早い。
――結ばれる。この言葉を耳にして、私は、夏の空をなんとなく眺める。
「将来、どうなっているのかな、私たち」
「どうなんだろうね。俺は、普通に結婚して、普通に働くことを考えてる」
「バードウォッチングは?」
「やめない」
「でしょうね」
それを聞いて安心してしまい、私はくつくつと鼻で笑ってしまう。
たぶん、きっと、白岩はこの世界で幸せに生き抜いていくだろう。友達――親友として、心からそう思う。
「アズミはどう? やっぱり、戦車道のプロ選手に?」
「うん。それ『も』あるんだけれど」
「ど?」
あーあ、これ言っちゃおうかな、どうしようかな。
今日の試合内容のせいで、白岩のレポートのお陰で。私の中に変な自信が、私の中に新たな夢が芽生えてしまったのだ。
――あなたのせいだからね、白岩。あなたが私の事を「個人的に」応援してくれたせいで、私は「もっとカッコ良く活躍したい」と思うようになっちゃって。そのせいで私の人生に馬力がかかっちゃったんだからね。
だから、聞かせよう。
白岩への、お礼を。
「……あのね。今日、思いついた夢なんだけれどね」
「うん」
「――島田愛里寿に、勝ちたい」
白岩が、言葉を失う。
「隊長のことは大好き、尊敬もしてる。……それに、天才だから、私じゃあ越えられないだろうなあって、そう思ってた」
「――うん」
白岩は、真剣だった。
決して反論しない、口を挟まない、邪魔する奴がいたら追い払いもする。そんな圧力が感じられるほどの、真顔。
「でもね、ある日……私の親友が、『私の為』に、詳細なレポートを書いてくれたの」
頷かれる。
「それを見た時ね、それはもう恥ずかしかったんだけれど、思ったの。『ああ、この人は私を応援してくれている。この人にカッコ良いところを見せなくちゃ』って」
頷かれる。
「レポートだけじゃない。私の親友はね、男であるにも関わらず、戦車道の、それも島田流っていう専門的な言葉も学んでくれた。それで、『島田流の体現者なら、もっと大胆に、カッコ良く動いてもいい』って、私に後押ししてくれた。だから私は、高校の頃みたいに、おんどりゃーって動けるようになっちゃった」
笑われる。
「それでいつの間にか、私は大学選抜チームの中でも危険人物扱い。どっかんどっかん撃たれたけれど、ここで反撃出来ればカッコ良いでしょ?」
二度、頷かれる。
「そんな猛攻をかわしているうちに、気づけば隊長の喉元にまで近づいていた。その時にね、変な笑いが漏れちゃってね、『大学選抜チームのトップに立つ』なんてけったいなことを考えちゃったのよ――あ、隊長には言わないでね?」
もちろん、と言われた。
「今回は負けちゃったけれど、次も、たぶん次も、この気持ちは変わらないと思う。だって、いつだって、私の力になってくれる人がいるから」
目玉焼きハンバーグの一切れを、何度も何度も咀嚼する。うまい。
「――なんだろね。きっと、その人に報いたいんだろうなーって思う。それに伴って、大学選抜チームの中で、一番カッコ良い履修者になりたいって思いついちゃったんだろうね」
「いいと思う。目標に、貴賤なんてないよ」
白岩は、頷いてくれた。
「……なんか、さっきから『カッコ良いところを見せたい』としか言ってないよね。やっぱりー、戦車道としては、不純だと思う?」
「そんなことないって。ミュージシャンも、ナルシストじゃないと食っていけないっていうじゃん」
「でも、戦車道ってば真面目な武芸だしねー」
「自分の精神を好きになれないで、何が武芸だよ」
「――カッコいいこと言っちゃってぇ」
ここからは、数多く並ぶ戦車がよく覗える。試合から生じた汚れを落とす為に、数人の履修者がホース片手にパーシングの車体と戦いを繰り広げていた。
昼休みだからか、どの戦車も走り回ってはいないし撃ちもしていない。先ほどの試合が嘘のような、いたって静かな場所に私は居る。
「……まあ、結局、清く正しくカッコ良くの精神からは、離れられないのかも。元はといえば、それがきっかけで戦車道を歩み始めたものだし」
「そなの?」
まあ、この人にならいいか。
最後の目玉焼きハンバーグを食べ終え、箸をケースにしまい、ポケットから携帯を取り出す。慣れた手つきで写真データを発掘していって、その最中に「うわーメグミちゃんキメキメなポーズだなー」と苦笑する、確か半年前の写真か。
もっと過去のデータへと遡って、大学一年、高校三年、二年、一年――
「これ、見てよ」
「んー? ……うおっ、何だこのイカした人は!?」
そのイカした人はというと、現在進行形で、親指で己が顔を指している。
白岩がいま見ている画像というのは、五年前のもので、うら若き高校一年の頃のもので、BC自由学園のパンツァージャケットを着こんでいて、不敵そうなツラで敬礼をかましていて、ロクな責任感なんて背負っていなかった、昔の私の写真だった。
「似合ってる、めっちゃ似合ってるー!」
「ありがとー。……あのさ、これ、BC自由学園のパンツァージャケットなんだけどね?」
「うんうん」
「――これが着たくて、私、戦車道を始めたの」
「マジでぇ?」
「マジマジ」
「あー、なんからしい! らしいわ!」
何が嬉しいんだか。白岩が、遠慮なく声に出してまで笑う。
まったく失礼な男だ。
「なぁるほどね、そっかそっか……なるほど、いまとぜんぜん変わってないのね?」
「むしろ、あなたのせいで悪化した」
「え、俺のせい?」
分かっているくせに。私の携帯で、白岩の鞄を指して、
「その中に、今日の分のレポートが入ってるんでしょ」
「あ、バレてる?」
「バレてる。……応援してくれる人がいるんだから、その人の為にカッコつけたがるのは、人間として当然でしょ?」
たぶん、正論を口に出来たと思う。
アイドルにしろ、戦車道にしろ、リピーターが居てくれれば、その人の為に力んでしまうのは健全な流れといえる。時には「その人の為に」と暴発してしまうこともあるが、そうなってしまえば見透かされたかのようにドカンと食らわされてしまうし、試合終了後の「一礼」という間によって、やはりどうしても冷静にならざるを得ないのだ。
これが、「戦車道は勝ち負けが全てではない」と言われる所以である。
私はたぶん、他の道では食ってはいけないだろう。
格好良いパンツァージャケットを着こなせて、根は真面目な戦車道を歩むことしか、私には出来ないだろう。
――それでリピーターがついてくれるのなら、これ以上の幸せなんてあるはずがなかった。
「……っかそか。俺のせいで、アズミは、トップランカーを狙う女性になっちゃったか」
「そーよー。あと、隊長には絶対にチクらないように、言ったら大声で泣く」
「分かった分かった、秘密にするから」
よし。
互いに目を配り、悪そうに笑い合う。隊長を越えるという夢は、間違いなく抱いてはいるのだから。
「――アズミ」
「うん?」
そして、白岩は少しばかりうつむく。どこか楽しそうに苦笑しながら、どこか高揚したように唸り声を漏らしながら。
どうしたんだろう、と思う。けれども見当もつかないから、ただ待つことしか出来なかった。
「あのさ」
「うん」
そっと、白岩と目が合った。
目と口元が穏やかに曲がっていて、けれども私から目を逸らしたりはしないで。そんな彼のことを目の当たりにして、私は次にすべきことを見失った。
「俺、実は、」
「う、うん」
実は――
言葉の続きを予測する。二人きりというシチュエーションから生じる言葉はといえば、「君のことが好き」(ドラマ調べ)。将来を話し終えた男女が交わす言葉はといえば、「そんな君が好き」(映画による経験)。ここまで関係が進展して、距離感なんてほとんどなくて、私の目を真剣に見つめて、次に出てくる言葉なんて「君が好きだったんだ」(カン)。
それはない、と思う。
好きと言われたら、と想う。
私は、どうやって返してしまうのだろう。そもそもこんなことを考えている時点で、彼のことが好きだったりするんだろうか。
私は、彼が好き?
あ、やばい。
頭の中が、戦車内ばりに蒸し暑くなってきた。彼は私の事を友達だと見なしているはずなのに、私ってば何を一人相撲を――
白岩が、自分の頭を手で叩く。弾けるような音を耳にして、「ひゃっ」と情けない声が出た。
「あ、ごめん――その、俺さ」
「う、うん」
「……アズミの、トップになるっていう夢を成せるまで、ずっと応援し続けるよ」
「……え」
白岩が、小さく頷いて、
「アズミの、戦車道に対する想いを聞いてさ。ますますアズミのことが好きになって――あ、もちろん友人としてだぞッ?」
「う、うんうん」
「……それにね」
白岩が、鞄を見やる。
「すごく、嬉しかった」
「え?」
「俺のレポートを、真剣に読んでくれたことが」
どこか遠くで、ヘリのローター音が響く。
「こんなにも一生懸命な人の力に、俺はなれている。それがね、もうたまらなくたまらないんだ」
私は、頷いた。
「もっとアズミの役に立ちたい、友達の力になりたい。そう思うと、調べ物をして、詳細なレポートを書くのが楽しくなってきた。アズミも、メグミも、ルミも、島田さんも、俺のレポートを読んで、頷いてくれるしね」
私は、頷いた。
「少なからず、俺のレポートが力になって、アズミが徐々に成長していく姿を見て……俺、凄く嬉しいんだ」
「――親友、だから?」
間。
「ああ」
「――そっか」
互いに小さく笑い合う。
すこし、残念かな、という、曖昧な気持ちを胸に秘めたまま。
「だからこれからも、アズミのことを応援する。親友だから」
「そっか、そか」
「それに――アズミはいつか、トップランカーになれると俺は思ってる」
「へえ、なんで?」
よく、笑えたと思う。
「いまのアズミは、誰よりも美しいから」
うまく、笑えもしなかったと思う。
――だめ。
「誰よりも美人さん」という評価じゃなくて、「誰よりもカッコ良い」という目標そのものでもなくて、
私の瞳だけを見つめながら、『美しい』なんてストレートを投げかけられたら、
「――あ、そろそろ時間かな。食器、片しとくよ」
「あ、うん。ごちそうさま」
「お粗末様。いやー、今日は色々聞かせてくれてサンクス。人生で、五本指に入るほどの、色濃い経験をした」
「うん」
「次は島田さんに勝てるといいね。まあ、島田さんも俺の友達……でいいよな? 友達だから、一方的なことは言いたくないけど」
「うん」
「……その、ガンバレ、アズミ。俺は、アズミの下克上を陰から見守るぜ」
「うん」
白岩が弁当箱を片して、鞄からすっかりおなじみのノートを取り出す。だいぶ使いこなされたせいか、表紙が若干黒ずんでいる。
それをアズミにあっさり手渡して、「コピったら返して」とだけ告げて、反射的に私は頷いて、白岩が「じゃあ、俺はこれで」と立ち去ろうとして、
「白岩」
考えるよりも先に、彼の名前が口から出た。
白岩が足を止めて、首だけを振り向かせて、「何ー?」と返す。
ああ、やばい、目が合った。
落ち着け、息を吸え。
白岩とは、もう、間近で話し合う仲だ。だから、多少の「探り」を入れたところで、単なる雑談や冗談として処理されるはずだ。不審者としては見られないはずだ。
そうだ。そういうことだ。
よし。
「し、白岩ってさ」
「うん」
白岩が、体ごとこちらに振り向かせる。一言では終わらないと察したからだろう。
律儀な人だと、私は思う。
「うぇーっと……その、今まで応援してくれて、ありがとう」
「ああ。こちらこそ」
「その……あなたも十分にカッコ良いよ。顔も、精神も、イケメンだと思う」
何の脈絡もなく、二番目に言いたいことを口にしてしまった。
「っしゃ! アイドルの言葉を信じていいんだな? 信じるからな?」
「うんうん信じて。――で、でさあ」
白岩が、何事もなく「うん」と頷く。
私は、異常事態のまま深呼吸をして、
「あなた、好きな人って、いたりする?」
一番目に言いたいことを、ようやく口に出来た。
戦車道エリアから、「講座の時間だってさー!」の大声が響き渡る。モップとモップで鉄血チャンバラをしていた履修者二人組が、「わかったー!」と返事をして休戦状態に入る。私と白岩の間に、どうしようもない距離感が生じた気がした。
猛暑の中であるはずなのに、気温だとかそういうのは二の次だった。今の私にあるのは、沈黙と、ある一種の緊張感だけ。
――白岩は、少し険しい顔つきになりながらも、また元通りの表情になって、
「そう……だね。まあ、まだいないってことにしてくれ」
「へえー、そっかそか。もし寂しくなったら、私の元においでなさいな」
「マジでー? まあ、その時が来たら、そうさせてもらいますわ」
「うむ。いつでも待ってるぞー」
手を振るい、今度こそ白岩と別れを告げた。
――ため息が出る、ベンチの背に身を預ける。
疲れた、ほっとした、暑い。
「……そっかそか」
一人で納得している最中、ポケットの中の携帯が震え出した。
一体なんだろうと携帯を引っこ抜いてみれば、またしても携帯が動いた。友人からのメールかなと、指で画面をスライドさせてみれば、
送信者:メグミ
『で? 二人でお昼ご飯を食べたご感想は? 進展は? 報告しないと絶交!』
どうでもいいメールだった。
次の未開封メールの送信者は――ルミだった。舌打ちしながら、メールを開封する。
送信者:ルミ
『食べ終えた? いいわねー妬けちゃうわねー、男と一緒にお昼なんて。今度、あんた抜きで飲みに行くわ』
くそどうでもいいメールだった。
ああやだやだと、携帯の電源を切ろうとして――
新着メール:島田隊長
隊長……
送信者:島田隊長
『どうだった? ロマンス、あった?』
なんてめんこい子なのだと、心の底から思う。だから戦車道に滅法強いんだなと、根拠もなく考える。
隊長に対して『応援されただけですよ』と返信する。本当の返事をしてしまっては、私はきっと、恥ずかしさのあまり死んでしまうだろうから。
今度こそ、携帯の電源を切る。ひと息つく。
「やっぱり、そっか」
ベンチに腰かけたままで、なんとなく見上げてみる。
「いつの間にか、あいつのことが、好きになってたんだな」
戦車道エリアから見える青空めがけ、人差し指でバレルを、親指で照準を作って、
「絶対に、振り向かせてやるんだから」
彼のハートを打ち抜くつもりで、指鉄砲の引き金を引こうとし、
慌てて引っ込めた。
一羽の鳥が、私の目の前を通り過ぎていったから。
ばーんしてしまったら、鳥が落ちてしまいそうだった。彼に、とにかく嫌われてしまうだろうと恐れた。だから左手を使ってまで、指鉄砲を包み隠す。
鳥のことを強く意識してしまうなんて。わたし、やっぱり、恋しちゃったんだなあ。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
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