Beautiful Charmingへ自由に惹かれて 作:まなぶおじさん
目覚ましが鳴った。
今日は平日かああ面倒くさいと思いながらも、私はさっさと着替えてとっとと歯を磨いて洗顔して髪をセットしてせっせと冷凍食品を口にしてどかっと鞄を持って外の世界へ出た。
瞬間、肌を覆う暑さと、目を奪う青空と、聴覚を食うセミの鳴き声が、私のぜんぶに降りかかってきた。
自室のドアを閉めて、自動ロックがかかる。静かに鼻息をついて、今日の戦車道は猛暑地獄だろうなと思考する。
仕方がない、よくあることだ。
そして私は、ポケットの中から携帯を引っ張り出す。先日に白岩から、「明日の月曜、一緒に大学へ行かないか? 時間はそっちに合わせる」とメールで誘われたのだ。
もちろん、私は承諾した。賑やかな方が好きだから、誰か彼かと歩くのは全くもって構わない。だから「いつもは8時くらいに出るかな」と打って、すぐさま「了解」と返ってきた。
――とりあえずは、五階から出入口まで降りますか。
エレベーター前に辿り着き、下降ボタンを押して、間もなくドアが左右に開いてエレベーター内に身を寄せる。
エレベーター内特有の匂いを嗅いで、「なんだろうなーこの匂い」と少しばかり感慨に浸る。空調でも利いているのか、随分と涼しい。一生ここに住んでいたい。
――三階で、エレベーターが停まった。
パネル前に佇んだまま、私は三階の住民を出迎えようとして、
「あ」
「あ」
狭いエレベーター内で、二つほど声が重なった。
白岩が――涼しげな服装を着こなしている白岩が、私の前に現れたのだ。
↓
とりあえず気になったのは、白岩のファッションそのものだった。先日の部屋着とは違い、今日は妙に洗練されたような、そんな雰囲気を目で嗅ぎ取ったのだ。
だから私は、「服装のセンス、いいね」と伝えた。そうしたら白岩は、喜びを隠そうともせずに「だろ? BC社の服だからな」と返答してくれたのだ。
母校の名残を口にされて、私は思わず顔を明るくしてしまう。
「――へー、それ全部、BC社なんだ?」
「そうそうそうなのよ」
大学まで続く、何でもない住宅地を歩んでいる最中に、私は感心深く白岩の服をチェックする。
白岩が照れくさそうに首を傾け、嬉しそうに顔を明るくした。BCでまとめた白岩の姿に、私も共感というか、喜びというか、そういった感情が芽生えだす。
「白のシャンブレーシャツに紺のデニム……へえ、シンプルにまとまってるじゃない。センスあるー」
「ネットで調べた」
へえー。私は、こくりと頷いて、
「髪もいい感じ。かっこよくセットしてくれちゃってぇ」
「もっと褒めてくれ」
おちょくるように白岩が笑う、私も「いいぞー」とか「モテそー」とかなんとか言って、白岩のことを担いでやる。
「……っかしどうしたの? いきなりファッションに目覚めて。それとも、前からこんな調子?」
白岩が「んや」と首を横に振るい、
「アズミの影響」
「へ、」
「なんというのかなー。アズミのファッションセンスに、こう、刺激されたんだよ」
少しの間だけ、私の頭の中が鈍した。言葉すらも見失いかけたが、何とかして「へえ」とだけ。
女性からはちょくちょくモテる私だが、異性からこうもはっきり言われると――気恥ずかしい。
ふう、と息を吐く。
うん、と首を捻る。
「いいんじゃない? なかなか才能があるわよ、あなた」
「やったー、師匠から褒められたぞー」
「うむ、これからも精進するように。――けれどその服、高かったでしょ? 何せ天下のBC社製だから」
白岩が、「ああ」とシャンブレーシャツの袖を引っ張って、
「最近、バイト始めてさ。それでまあ、軍資金をなんとかしてる」
「ほほー。……あんた、やろうと思ったらやれる男なんだねえ、イケメンだねえ」
「マジでー?」
「マジマジ。君のような男こそ、戦車道の愛の懸け橋に必要な人材よ。これからも精進して欲しいッ」
「あいわかった」
へらへらと白岩が笑う。
懸け橋云々は、割と本気で口にした言葉だ。白岩とはまだ一日程度の付き合いしかないが、白岩は「真面目で普通に良い人」だ。それこそ、女性にベッドを譲れるような。
だから、交際相手としては理想的であるといえる。もしも白岩と付き合いだした履修者が現れたら、その人のことを素直に祝おうと思う。「どうやって付き合った?」と聞いて、次回へのインタビューに繋げようか。
「――あ、そうだ、履修者といえばさ」
「うん?」
「見たよ、今月の月刊戦車道」
思わず、半笑いで「げ」が漏れた。
「専門的なところは難しかったけれど……でも、アズミがどうして広告塔なのか、それはよくわかった」
「やめてー、そういうことを口にするのはやめてー」
「えー? 広告塔でしょ? 見られてナンボっしょ?」
白岩が意地悪そうに、口元を曲げる。
同性なら「まあね」と誇らしく思うだろうが、これが異性となると何だかこそばゆい。たぶん、「初めてこんなことを言われた」からだ。
「いやー、何を着せてもかっこいいですなーアズミさんは。BC社はもちろん、他の企業の服もマッチしてた」
「やだもー、そういうこと言うー」
「えー? 駄目すかぁ?」
「駄目じゃないけどねー、けど男から言われるとねー、なんかねー」
白岩が「そっかそっか」と笑う、私もくつくつと苦笑してしまった。
改めて思う。私ってば、異性に対しての免疫がまるでないなぁ。
「……で」
「で?」
「来月号はいつ発売すんの?」
「え、買うの?」
「当たり前じゃん」
「何処を見るの。男のあなたが」
白岩は、何を迷うことなく、何でもないような顔で、アズミを指さした。
――何だかおかしくなって、晴れ空の下で、アズミの「えー?」が高らかに響いた。
「マジでぇ?」
「マジで」
「買い占めるわ、来月号」
「ふざっけんなや。ファンを切り捨てるなんて、アズミはなんて人なんでしょ」
「ほらもう、またそういうことを言う」
「ダメ?」
「ダメ」
鼻息混じりに、白岩へ指をさす。思わぬ不意打ちだったらしく、彼の表情が真っ白になった。
「ファン以前に――友達でしょ?」
住宅街を越えて、横断歩道を渡って、気づけばもう大学前だ。やはり楽しいひと時とは、こうもあっさり過ぎ去ってしまうらしい。
――白岩が、「ああ」と、納得するように頷く。続いて、「そうだそうだ」と肯定して、
「そうだったね」
「ええ」
互いに頷きあいながら、私たちは、大学の敷地内へ足を踏み入れ、
「なあアズミ」
「うん?」
白岩は、今の今までのように、上機嫌そうな顔をしながら、
「もしよかったらさ、一緒に昼飯でも食わねえ? いや、先客がいたら、そっち優先でいいけど」
今度は、私の方が不意打ちを食らった。
思わず自意識過剰にかかって、何気なく周囲を見渡す。同じ大学生らしい男と正面から違え、同年代らしい女性に追い抜かれ、教師らしい年配さんがベンチに腰かけ、部外者らしいおばさんがくしゃみして、アズミと白岩のことなんてまるで見てもいない。雑談がよく聞こえる、いつもの花壇が目に入る。
異性からお誘いがかかって、「はー」とか声がもれる。先日、男に縁が無いからといって、酒をしこたま飲んでいたのがまるで嘘のよう。
落ち着け、
息を吸え、
よし。
「いいよ」
「やった。おすすめの服とか教えてくれよ」
「しょうがないなー」
その時、二羽の鳥が頭上を通り過ぎていった。私は見上げたきりそのまま、白岩は「ハクセキレイだ」と呟いた。当たり前のように。
「……へえ」
「うん?」
白岩と目が合う。どうやら、バードウォッチャーとしての熱心さは本物であるらしい。観察眼を問われる戦車道履修者として、共感めいた気持ちを覚える。
「凄いわね。一瞬でわかるんだ」
「ああ、」
私の関心に対して、白岩は何でもないように微笑んで、
「目立つ色、してるからね」
へえー。
敷地内を歩む途中、「それじゃ」と白岩と別れる。数分後にはパンツァージャケットに着替えて、くそ暑い中で戦車に乗り込まなければいけない。
やだやだと思いながらも、人と人とをすれ違いながら、私は訓練場まで歩んでいく。
↓
今日も島田愛里寿隊長に敗北しながらも、学ぶべきことはしっかりと学ばせてもらった。周囲曰く「もうちょっと大胆でもいいのよ?」とのことだが、やはりどうしても、副隊長という立場が積極性を鈍らせる。チームプレイ上等の戦車道にとって、船頭の減少はけっこう致命的なのだ。
たぶん、副隊長でも何でもない立場だったら――やはり、慎重めになってしまうのだと思う。血気盛んな時期など、若さとともに過ぎ去っていってしまった。
戦車道を歩み終え、パンツァージャケットを脱いで、シャワーを浴びて汗を洗い流して、腹の音とともに食堂へ向かい、
「よ」
白岩が、食堂前で待ってくれていた。軽々と手で挨拶されたが、きっと、ずっと待ってくれていたに違いない。
壁に背を預け、両腕まで組んで、食堂の中は既に人でいっぱいだったから。何より、戦車道というものは思った以上に時間がかかる。
「ごめんね、待たせて」
「ぜんぜん、今来たとこ」
「うわ、それ言いたかっただけでしょ?」
「バレた?」
白岩が、おどけるようにくっくと笑う。そんな白岩を見て、私も不思議と機嫌が良くなっていく。
「ま、いいけどね。私も一度、言われてみたかったし」
「じゃあ今度から、毎回言うよ」
「パターン化はネタになるだけだから」
「難しいねえ」
「ほんとね」
絶賛混雑中の食堂へ入って、「今日はどうだった?」だの「疲れた」だの「いつもは誰と?」だの「サークルの面々と」だのと話し合う。サークルの面々と聞いて、私は思わず「へえ」と頷いてしまった。
白岩のやつ、私の為に時間を作ってくれたんだ。
――定食を注文して、私と白岩は、空いた席めがけ真正面に腰かける。やっとひと段落がついたという安堵からか、私は「ふぃー」と息を漏らしてしまった。
さて。
音と立てて、割り箸を完璧に裂く。湯気が立つ白米と、味噌汁と、漬物と、大皿に乗るザンギとキャベツを前にして、食欲がつつかれる。箸が伸びそうになるも、ここはいったん手を合わせて、
「いただきます」
「いただきます」
まずは漬物から手を出す。程よい酸っぱさが、口の中をあっという間に覆っていく。
「いやー、戦車道の後の昼飯は格別ね」
「体力使いそうだもんねぇ」
「そうそう。頭も酷使されるから、いい感じに糖分が抜けていくのよ」
「ほー。変な話になるけれど、そういう状態になってみたいなぁ。飢える分だけ、メシが美味くなるんだろうし」
「男なら、戦闘機道をやってみたら?」
白岩が天井を見上げ、「戦闘機かぁ」とぼやく。割かし本気で考えているのだろうか、それきりそのまま動かない。
「道」を歩む者として、白岩の間を邪魔したりはしない。歩み続けるのも、歩み始めるのも、けして簡単なことではないから。
「――やっぱり、俺はいいかな。攻撃するのって怖いし、鳥を巻き込んじゃうかもしれないし」
「あー、なるほどね。……白岩らしい」
うんと、私は頷く。
戦闘機道をやるからには、やはりバードストライクは避けられない問題だと聞く。いかな対策を練ろうとも、空の自然的な流れには逆らえないのだ。
「情けないかなー」
「そんなことない。むしろ、ほんとに鳥が好きなんだなあって、感心した」
「そうかい? へっへー、嬉しいなおい」
言葉通りなのだろう。白岩は上機嫌そうに破顔を漏らしながら、箸をてきぱきと動かしていく。まずはザンギを二度、三度、四度噛み砕いて、これまた嬉しそうに「うめー」と口にする。流れざまに味噌汁のお椀を掴み、一口だけすすって、熱そうに「んー」と唸るのだった。
男って、やっぱりよく食べるなあ。そう思いながら、私は白米を味わっていって、
「あ、アズミじゃん。――その人は?」
先ほど聞いたばかりの声が、私の横からよく伝わってきた。
白岩が「え」と視線を変える、私も難なく声の主を覗う。
「ああ、メグミ、ルミ……隊長、お疲れ様です」
食器のトレーを持った島田愛里寿隊長が、無言で頷く。白岩が「知り合い?」と聞いてきて、「戦車道の同僚」と私は返答した。
――ばったり出会うのは、計算の内だ。べつに白岩とは昼飯を食べあっているだけであって、何の間違いも犯してはいない。
ただ、戦車道履修者というものは、女性というやつは、「こういうこと」には年がら年中興味を抱いているわけで、
「アズミ。このかっこいいお兄さんは?」
格好良いと言われて、白岩が気恥ずかしそうに視線を逸らす。やめろメグミ。
「えっとね……いいかな? 紹介しても」
「いいよ」
「うん。白岩っていうの」
メグミが「ほー」と無感情に唸って、
「どこで知り合った」
「酔っぱらってた時に介抱されて、まあ、その縁で」
「ふーん」
トレーを持ったままのメグミが、戦場を覗うような目つきで白岩の事を見る。普段は男に縁が無いから、仕方がないといえばしかたがないのかもしれない。
「あ、ここ、座ってもいいですか?」
同じくトレーを持ったルミが、空いている席めがけ指をさす。白岩は「どうぞどうぞ」と快く返事をして、
「邪魔なら、移動しますよ」
「いえいえそんな! アズミのご友人ですし、お構いなく」
若干慌てながらも、手のひらを下に落として「座ってください」とメグミがジェスチャーする。それは伝わったようで、白岩の方も「ありがとう」と返した。
不慣れな空気が若干拭いきれたのだろう、私の隣には隊長が、隊長の横にはメグミが、白岩とはルミが腰かける。
皆、それぞれの定食を前にしながら、手を合わせ、佇むような声で「いただきます」と告げる。
後は、いつもの昼食が始まるだけだ。
「ところでさ」
メグミが白米を口にしながら、
「バミューダ三姉妹は閉店して、ルミとオレゴンシスターズを組もうかなって考えてる」
「なんで」
メグミが「は?」と言わんばかりに目を細める。視線の先には、もちろん怯える白岩が。
「裏切者は絶交な」
「ああ――いいよ。それにしても、今日のメグミはちょっと不調だった気がする。割かし早くやられちゃったし」
「暑いせいかなあ。まあ、反省点よね」
隊長が、めちゃくちゃ不安そうな顔で私を見ている。
「私も、難なくやられちゃったって感じ。これは好機と抱いた瞬間こそ、一番危ないのはわかるんだけれど……ねえ?」
「わかるわかる」
「わかってくれるか」
溢れる悪意を隠さないまま、ルミの箸が私のザンギめがけ躊躇なく伸びる。私は鼻で笑ってやりながら、簡単にその箸を掴んでやった。
隊長が、とてつもなく不安そうな顔で私を見ている。
「あ、ああ、すみません。この二人ったら、今日はやけに好戦的で……まあ、じゃれているだけなので、心配はいりませんよ」
「そ、そう? 何だか今日のアズミ、怖い」
「そんなことありませんよ。ね、メグミ、ルミ」
「そうそう」
「仲良しバミューダ三姉妹」
隊長が「あ、はい」と味噌汁を飲む。隊長の視線が逸れたスキに、メグミとルミの目がサメのように鋭くなった。
何も見なかったことにして、私は味噌汁を味わうことにする。
「仲、いいね」
白岩のひきつった声を聞いて、アズミが「まあね」と苦笑する。
「あ――申し遅れました。私はメグミ、アズミと同じく戦車道してます」
「私はルミ、同じく戦車道履修者です。よろしく」
「これはどうもどうも。……俺は21だけれど、同い年?」
メグミとルミが、「うん」と頷く。白岩の表情が、「じゃあ」と明るくなって、
「敬語はいらないってことで」
「――わかった」
「そうしよっか」
良くも悪くも、タメ口をこぼせるだけで人間は安心と共感を抱ける。内面はどうであれ、少なくとも「こいつとは話せる仲」というものを手短に表現出来るのだ。
そうして接せる相手がいることで、人生に対して強くなれる。後ろ盾がいなければ、今頃はこうして生き残れはしなかっただろう。
だから、
――隣を見る。
「そういえば……その子は、誰かな?」
「島田愛里寿隊長。島田流っていう、戦車道流派の跡継ぎなんだ」
「ほうほう」
「隊長はまだ十三歳なんだけれども、天才でね。飛び級して、大学にいるの。しかも戦車隊隊長を務めてる」
「すごい」
照れる島田愛里寿「ちゃん」を見て、私は切実に思う。
西住みほという友達が出来て、ほんとうによかった。
「ホント、隊長は凄いのよ」
メグミが、カレールーを白米に垂らしながら、
「私たち三人とも、まだ隊長に勝ったことがないんだから」
「すげえ」
「――メグミは、全体的に指揮は良いんだけれども、射撃が焦り過ぎ。私のことを視認すると、いち早く撃ってしまうでしょう? だからろくなダメージが入らない」
「ううん、参考になります」
「ルミは、ちょっと突っ込み過ぎかな。だから、狙撃されやすい」
「肝に銘じます」
「アズミは惜しいと思う。落ち着いているんだけれども、もうちょっとアクティブに攻めてもいい。現に、動かれたら危ない場面が何度かあった」
「次からは、実践してみます」
「バミューダアタックは撃墜率がすごいし、それに驕らない姿勢も立派だと思う。この前の、大洗の時よりも洗練されていっているし、近いうちに私は負けるかも」
思わず、手のひらを左右に振るってしまう。
「いえいえ、そんな! 隊長にはまだまだ及びません」
「そうそう。隊長は、戦車を自分の体のように扱うじゃないですか。あれは……難しいですよ」
ルミが、その通りだとばかりに二度頷く。
確かに、いつかは隊長に勝ちたいとは思っているのだ。最初こそ「年下に負けた」とも思ったが、隊長はいつだって戦車道を歩み続けた。大学選抜を強くするために、惜しまずその才を与え続けてくれた。
だから私は、隊長のことを尊敬している。いつかは、越えなければいけない目標だとも思っている。何より、なんて愛くるしいんだろうと好意を抱いている。
「あれも、人間が出来る事だから。だからアズミも、ルミも、メグミも、いつかは私のようになれる」
「隊長」
「――負けるつもりは、ないけれど」
手心を加えるつもりはないらしい。
流石だ。
「よーし、明日もがんばらなきゃねー」
「ええ。隊長の期待に応えなきゃ」
ルミの言う通りだ。今の時期は正直暑いし、やっぱり戦車は狭いし、負ければ腹が痛くなることもあるけれど、やっぱり戦車道はやめられない。こんなにも格好良い武芸が、そうあるものか。
隊長から惜しいと言われて、私はすっかり上機嫌だった。それはルミもメグミも同じらしく、「今度、一緒になってアズミを吹っ飛ばそう」と誓い合うのだ。それをうんうんと眺める私。
「あ、あの……フレンドリーファイアは、だめだよ?」
「了解しました。もしアズミが相手になったら……その時は」
「うん。まあ、それなら」
「――これこれ、私の打倒も絶交もいいけれど、隊長を怖がらせないように」
はあい。メグミとルミが、それもそうだと力なく応える。
あーあ、まったく。
やっぱりこいつら友達だ。そう思いながら、含み笑いをこぼしつつザンギを頬張る。明日も頑張ろうかなと思って、食事に戻ろうとして、
声が小さく漏れた。
考え事をしているらしい白岩を、口に手を当てている彼に、今更気づいてしまった。
――そういえば今の今まで、白岩は一言も口を挟んでいない。せいぜい、「ほう」と唸ってみせた程度。
なぜと考えて、そんなの当たり前だと結論付ける。戦車道とは女性の武芸であって、男の入る余地などはない。知識持ちもいるにはいるが、「いるにはいるが」でしかない。
「し、白岩……その、えっと」
「え、何?」
「その――ごめん、戦車道の話ばかりして。分からなかった、でしょ?」
けれど白岩は、何でもないようにけろっと笑って、
「ああ、気にしないで。興味深いなって思って、聞くのに集中していただけだから。いいよ、続けて?」
「あ、いやでも」
「いいからいいから。……ほんとう、戦車道が好きなんだね、アズミは」
まるで自分のことのように、白岩は嬉しそうに微笑むのだ。
なんて人だ、と思ってしまった。
良い友人だ、と思った。
――だからこそ、白岩の好意に甘え続けるのは、今日はよそう。
「白岩。その、ありがとう」
「え、俺は何もしてないよ?」
そうは言うが、メグミもルミも、首を横に振るう。
隊長に至っては、申し訳なさそうにうつむいたまま。
「アズミとのお時間を邪魔して……ごめんなさい」
「島田さん、とんでもない。島田さんは、隊長としての役目をこなしただけ、謝る必要なんかないよ」
異性に慣れていないのだろう。頭を下げた隊長が、おそるおそる顔を上げていく。
「俺は部外者だけれど、こういう話を聞けて本当に良かったよ。俺も武芸の一つ、たしなめばよかったぜ」
あえて、口調を砕かせたのだろう。気配り上手の白岩のことだ、そうに違いない。
白岩は今も、気にしないで気にしないでと笑い続けている。何でもなかったかのように白米を食べて、キャベツを摘まんで飲み込んで、「うめー」とか感想を漏らしながら。
「ね、白岩」
ルミが迅速に動いた。
「白岩は、ふだんは何をしているの?」
「ああ、俺? バードウォッチング……かな?」
いい質問だ、ルミ。私はルミの方を見る、ルミが口端をにくく曲げた。
「バードウォッチング? 鳥を見るのが好きなの?」
そして、女の子である隊長が真っ先に食いついた。
ぬいぐるみが好きだからか、可愛いものに目がないらしい。ここは十三歳なんだなあと、安心感を覚える。
――白岩は、当然のように「うん」と首を縦に振るう。
「昔から鳥が好きでね、見るのも触るのも好き。インコも飼ってるんだけれど、こいつのお陰で人生寂しくないんだ」
「へー! インコ! やっぱり、よう喋るの?」
メグミの熱い質問に対し、白岩が「うん」と頷き、
「インコってコミュニケーション大好きだから、ちゃんと接してやると会話が出来るようになるよ。もちろん、教えた言葉しか喋れないけどね」
「ほうほうほう」
「教えた言葉がつながっていって、いつの間にか会話になってるって感じかな。だから、インコ……ソラっていうんだけど、ソラの前では、悪口とかは言わないようにしてる」
「……良い」
隊長が、控えめに同意した。白岩が「ありがとう」と言うと、隊長はそそくさとハンバーグにかぶりついてしまった。
「まあ、見ての通り鳥バカでね。大学でも、バードウォッチングサークルに入ってる」
「いいわねー。……鳥かあ、そういえばよく知らないなあ」
「よく知らなくてもいいよ。可愛いとさえ思えれば」
ルミが「そっか」と苦笑する。私は同意するように、頷いてみせた。
何かを好きになるのに、まずは知識、なんてことはない。そういったものは、好きになればなるほどの過程で、自然と積み上がっていくものだ。私もそうだった。
「――あーあ、ますますアズミが憎たらしい」
「どしたのさいきなり」
メグミが、ざーとらしくため息をつかせながら、
「だってぇー、鳥好きという優しい一面があってぇ、なかなかのオシャレさんでぇ、こんなんイケメンでしょーイケメン」
「うわーありがとう。でも、イケメンに見えるのはBCの服のお陰さ」
「いやーいやいや謙遜しなさんな。あなたは十分にイケメンよ」
「ありがとー。アズミのお陰でモテモテだなー俺」
一瞬だったと思う。
アズミ以外の女性の目が、白岩に殺到した。
白岩が、「あ、あれ?」と絶句した。
私は、「はあ」とため息をついた。
「今月の月間戦車道、あるでしょ」
「うん」
「私の写真、あったでしょ」
メグミが「ありましたねーなーんでそんな着こなしちゃうの」と嫉妬する。
ルミが「こればっかりは、天性のもんだからしゃあないって」と意見する。
隊長が「今月号のアズミも、すごく大人っぽかった。きれい」と口にする。
「――彼ね、私のファッションセンスに刺激……だっけ? されて、それでファッションに目覚めたんだってさ」
「そうそう。まだ手探りだけどね」
今度はメグミが、ルミが絶句した。隊長はふつうに、「そうなんだ」と頷いてみせた。
こうも好き勝手にお喋りしようとも、大学の食堂からすればありふれた1コマでしかない。何処か遠くで女性同士の笑い声が響き渡り、一方では「マジかよ!」と騒ぐ男性グループがいたり、視界の入らないところでは「最近バイトがんばってんなー」「食べ歩きしたくてなー」の話し声が聞こえたり、電話中であろう大きな独り言が耳に入ったりと、私たちのことなんて誰も気にも留めない。
こういう世界は、嫌いじゃない。
「アズミよ」
「ん」
メグミは、大真面目な顔で、生真面目な声で、
「付き合わないの?」
「は、はあ?」
思わず、すっとんきょうな声を上げてしまった。ここが食堂でなければ、間違いなくさらし者確定だ。
「そんな馬鹿なことを言って、彼が困るじゃないっ」
「えー?」
「! 白岩ッ、へらへらしないっ」
「はあーい」
精鋭の大学選抜チームだろうと、大学生になろうとも、人間である以上は色恋沙汰に興味を抱き続けるものだ。
だからメグミは、吹き出すのを我慢してまで笑っている。ルミに至っては、いらんことを察して「ほー」とか言っているし、十三歳である隊長は「交際……!?」と顔が真っ赤だった。かわいい。
――軽く咳をつく、隊長以外に対して「てめえら覚えとけよ」と目で語る。砲身を突き付けられたように、メグミとルミと白岩はやる気なく両手を上げるのだった。
「――そかそか」
降参したままのルミが、これまた楽しそうに苦笑する。
何に納得したのよ――私は、言葉を待つことしかできない。
「アズミ。……なんというのか」
ルミときたら、相変わらず微笑んだままだったけれども、降参のポーズをといてシナモンロールをかじっていたけれど、
「いい人と、出会えたみたいだね」
その声は、誠実そうによく通っていた。
――その一言には、もちろん、
「ええ。ほんとね」
白岩の方を見る。
白岩は小さく頷いてみせて、箸が嬉しそうに上向きへ掲げられる。それがなんだかおかしくって、私は「もう」と言うしかなかった。
その後のことはといえば、戦車道についての話を少々。男はどういうファッションが好きなのか? それについての問いを色濃く。隊長が、バードウォッチングの基本を数分間ほど伝授して――それぞれが完食し終え、席から立ち上がろうとしたところで、
「白岩。せっかくだから、アドレス交換しようよ」
先に言い出したのは、ストレートな性格持ちのメグミだった。戦車道では冷静なくせに、対人となると途端に切り込み隊長と化すことが多い。
けれど、そんな性格に助けられたこともしょっちゅうある。元はと言えば、一番先に友人となったのはメグミだった。
「じゃあ私も」
「……よかったら」
白岩が気恥ずかしそうに、それぞれに「ありがとう」と一礼する。かれこれ異性とは縁がなかったはずなのに、運命とはまるで分からないものだ。
見知ってまだ二日間程度であるはずなのに、こうも色濃く交わしあえるとは。
ルミの言う通り、いい人と出会えたのかもしれない。
「――白岩」
「ん?」
ルミが、メグミが、隊長が、そして白岩が、こちらを見る。当たり前の反応として受け入れるしかない。
何だか恥ずかしいけれど、でも、白岩はいい人だから、
だから、
「これからも、私たちの話し相手になって欲しいな」
よく、笑えたと思う。
そして白岩は、
「当たり前だろ?」
当たり前のように、笑い返してくれるのだ。
――ルミ、メグミ、隊長。何をそんな嬉しそうな顔してるんですか、そーゆー関係じゃないんですからね。
昼休みが終わる。次の講義へ出る為に、トレーを片して一同が解散する。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
アドレス関連で矛盾が生じて、一旦取り下げてから投稿し直しました。
申し訳ありません。