世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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第86話 変化の足音

 コツ…コツ…と冷気漂う静寂の中に一つの足音が響いては消えるを繰り返している。

 白くけぶる空気を揺らめかせるのは純白のドレスの裾と濡羽色に輝く美しい翼と長い髪。

 ここはナザリック地下大墳墓の第五階層にある氷結牢獄。その中でも奥まった廊下にて、守護者統括であるアルベドが一人静かに歩を進めていた。

 彼女の周りには誰もおらず、その様はどこかふらっと立ち寄っただけのようにも見える。しかし勿論そうであるはずがなく、アルベドは明確な目的の下にこの場に一人で訪れていた。迷いのない足取りで、ただ一直線に牢獄の最奥へと入っていく。

 暫くすると一つの扉と両脇に立つ二体の拷問の悪魔(トーチャー)の姿が視界に映り込み、アルベドは金色の双眸を小さく細めながらそちらに歩み寄っていった。拷問の悪魔たちはアルベドの存在に気が付くとほぼ同時に深く一礼し、次には右側に立つ拷問の悪魔が腰に吊るしている鍵を取り出して扉の鍵を開ける。大きな開錠の音と共に扉が大きく開かれ、道を開けるように一歩下がって再び頭を下げる拷問の悪魔たちに、アルベドはそれが当然とばかりに意識すら向けず、扉を潜って室内に足を踏み入れた。

 室内は廊下同様……いや、それ以上の冷気が漂っており、床や壁や天井だけでなく空気すらも凍らせて全てを白く染め上げていた。両側の壁には四体もの雪女郎(フロスト・ヴァージン)が並び立っており、アルベドの姿を捉えると一様に無言のまま頭を下げてくる。

 部屋の最奥には一人の少女が鎖に繋がれた状態で地面に座り込んでおり、アルベドの気配に気が付いたのかゆっくりと俯いていた顔を上げて色違いの瞳を向けてきた。

 

「………初めて見る顔ね……。……あなたは誰かしら……?」

 

 いつもと変わらず淡々とした抑揚のない声音。しかしこの場の冷気に相当参っているのか、顔や口の動きはひどくぎこちなく、声音も小刻みに震えている。

 じっとこちらを観察するように見つめてくる少女に、アルベドもまた冷たい金色の瞳で見下ろしながら、内心では小さく首を傾げていた。

 自分と少女は既に何度か会っているはずだが……と疑問に思い、しかし『そういえば、彼女と会った時はいつもヘルメス・トリスメギストスを装備していたか……』と思い至る。ならば彼女が自分に対して初対面だと考えるのも致し方ないことだろうと思い直すと、アルベドは別段そんな少女の考えを訂正することもせずにさっさとここに来た目的を果たすことにした。

 

「ペロロンチーノ様への拝謁を願い出たそうね。その理由を聞かせてもらえるかしら?」

 

 事の発端は今から二日ほど前の事……。

 法国への戦後処理に奮闘するペロロンチーノは『適度な休憩も必要だ!』と一日に一回は執務室に隣接している寝室で昼寝をすることを最近の日課としていた。その間に補佐をしているアルベドが書類整理や他の雑務を行っているのだが、そんな時にニューロニストの部下である拷問の悪魔が尋ねて来たのだ。

 緊急の要件ではない以上休まれている至高の御方を起こすことなどできようはずもなく、当然のようにアルベドがその対応を行った。そして傅きながら述べられた拷問の悪魔からの言葉に、アルベドは美しい顔を小さく顰めることになった。

 拷問の悪魔が言うには、どうやら氷結牢獄の最奥に囚えている法国の番外席次アンティリーネ・ヘラン・フーシェがペロロンチーノとの会談を望んでいるらしい。曰く『“アインズ・ウール・ゴウン”に下るかどうかの答えを伝えたいため、自分の下まで来てほしい』と……。

 氷結牢獄で見た少女の姿を頭に思い浮かべながらその言を聞いたアルベドは、まず初めに『不敬』という二文字を頭に浮かべた。

 いくら自身がその場を動くことができない身であるとはいえ、至高の御方にご足労を願うなど身の程知らずも甚だしい。第一“アインズ・ウール・ゴウン”に下るかどうか決めたのならば、さっさとその答えを拷問の悪魔に言づければ済む話だ。にも拘らずわざわざ至高の御方を呼び出そうとするとは、もしや何かを企んでいるのではないか……。

 これはまずは自分が少女に会いに行く必要があるとすぐさま判断すると、アルベドはアンティリーネの言葉は自分からペロロンチーノに伝えるとして拷問の悪魔を下がらせた。

 しかし勿論アルベドには現段階において先ほどのことをペロロンチーノに伝えるつもりは微塵もない。まずは自分のこの目で少女を見極め、それからペロロンチーノに報告しよう、とすぐさま今後のことについて思考を巡らせた。『やるべきこと』『後回しにしても良いもの』を次々と頭に思い浮かべ、順序だててスケジュールを組み立てていく。そして取り敢えず緊急性の高いものを片付けていき、数日後に漸くちょっとした余裕ができたため今ここに赴いたのだった。

 しかしそんなアルベドの思惑など知る由もなく、アンティリーネはただ不思議そうにアルベドをじっと見つめて小さく首を傾げていた。

 

「……どうして、彼を呼んだ理由をあなたに教えないといけないのかしら……?」

「わたくしはこのナザリック地下大墳墓の守護者統括という役目を頂いている身。至高の御方々のすぐ傍らに侍り、補佐することを許されているのよ。至高の御方々を煩わせないように立ち回ることもわたくしの大切な務め。本当にペロロンチーノ様にご足労頂く価値があなたにあるのか、見極めるために動くのは当然のことなのよ」

 

 まるで幼子に言い聞かせるように……しかしどこか小馬鹿にしたように言葉を連ねるアルベドに、アンティリーネは変わらず無感情な瞳でじっとアルベドを見つめてくる。何を考えているのか暫く口を閉ざして黙り込み、しかし数分後に漸くゆるゆると半ば凍り付いている小さな唇を開いた。

 

「………彼は言ったわ、……仲間にならないかって……。そのことについて、もう一度だけ……その本心を聞きたかっただけ……」

「あら、あなたを見張らせている拷問の悪魔からは、我々の支配下に入るか否かの回答を伝えるために呼んでいると聞いたのだけれど、違ったのかしら?」

「勿論、それも伝えるつもりだった……。でも、答える前に、最後にもう一度聞けたらと…思ったのよ……」

 

 問いを重ねるアルベドに、しかしアンティリーネは最後に聞きたいことがあっただけだと繰り返すのみ。彼女のじれったい行動に、アルベドは思わず小さく眉間に皺を寄せて金色の双眸を細めた。

 アルベドからすれば、下賤の身でありながら栄えある“アインズ・ウール・ゴウン”に与することを許されたこと自体がとんでもない栄誉であるというのに、何を躊躇う必要があるのか、という思いが強い。同時に彼女の躊躇いが慈悲を与えたペロロンチーノに対する不敬にも思えて、湧き上がってくる苛立ちを抑えられなかった。

 どんどんと剣呑な空気を纏い始めるアルベドに気が付いたのか、アンティリーネは未だ無感情な様子ながらも再び口を開いてきた。

 

「……私は、法国の最後の切り札として生かされてきた。法国を守る盾、法国を襲う脅威を打ち破る刃……それが私の存在意義であり、全てだった」

「……………………」

「母は……あの人は、私にそれ以外のことは、何も求めなかった。それが、私の存在意義全てであると、教えられてきた……。……他の人たちも、私を侮って小馬鹿にするか……私の力を恐れて、大袈裟に遜るばかり……。でも、大切だと思える人たちはいたし……まだ、必要とされるだけで十分だって……思っていたわ……」

 

 そこで一度言葉を切り、少女は小さく顔を俯かせた。左右で色が違う前髪が垂れ下がり、少女の表情を隠してしまう。

 アルベドがただ無言のまま少女を見つめる中、少女は顔を俯けたまま鎖で繋がれた両手をぎこちない動きでグッと握り締めた。

 

「でも、彼が……私に『仲良くなりたい』って言った……。法国が……あの人たちが、卑劣で、邪悪で、穢れた存在だと言っていた、異形の彼が……私に手を差し伸べてきた……。私の存在を…ただの、アンティリーネ・ヘラン・フーシェとして、認めようと、してくれた……」

 

 まるで一言一言噛みしめるように言葉を紡ぐ少女に、アルベドは無言のまま観察するように少女を見続けた。

 己の存在を否定され、まるで道具のように扱われ、実の母親にすら情をかけてもらえなかった少女が、初めて与えられた温かな情。差し伸べられた手の主が人間ではなく異形であったことがどれだけ少女に大きな衝撃を与えたのか、そういった経験が一切ないアルベドでも想像は難くない。恐らく自分の今までの有り様や存在意義ですら大きく揺らいだことだろう。『自分と仲良くなりたい』という異形の言葉は本心からのものなのかと疑問が生じ、何度も確認せずにはおれないのかもしれない。至高の御方々を第一に考え、彼の御方々を煩わせることを何より嫌うアルベドからしてみれば、何度も疑い確かめたがる少女の心理は鬱陶しいものでしかなかったが、それほど心が揺らいでいるのであれば逆に裏切りの心配はないような気がした。

 少女の力はこのナザリックの中ではそこそこのものでしかないが、それでもこの転移した世界では相当の脅威となる。彼女を駒として使えるのであれば、ナザリックにとって大きな利益となるだろう。

 アルベドは少しの間思考を巡らせると、冷めた視線はそのままに唇だけ微笑みの形につり上げた。

 

「至高の御方々はどなたも慈悲深い御方でいらっしゃるけれど、中でもペロロンチーノ様は下等種族にすら分け隔てなく温情をかけて下さる御方だわ。あの方も……そして他の御方々も、決して偽りを仰ることはない。あなたが御方の慈悲を賜りたいのなら、御方の言葉を信じ、その膝元に平伏するのが最善よ」

「……………………」

「確かにあなたには利用価値がある。でも、是が非でもほしいというほどの価値はない。正直に言って、あなたくらいの存在であれば、ここナザリックにはごまんといるのよ。それでもなおあなたに温情をかけられた御方の御心を考えることね」

 

 アルベドとしては言葉を尽くした。これでも首を縦に振らないのであれば、これ以上待つのは時間の無駄でしかないだろう。

 さてどう出るか……とじっと観察する中、少女は俯けていた顔をゆっくりと上げると、今までにない強い意志の宿った色違いの双眸を真っ直ぐにこちらに向けてきた。

 

「………あの方に……ペロロンチーノ様に、伝えて頂戴。……あなたの手を取ると……」

「ええ、確かに」

 

 覚悟を決めた少女の言葉に、アルベドはにんまりとした笑みを清廉な微笑で隠しながら一つ大きく頷いて見せる。

 新たに手に入った有益な駒の使い道を考えながら、アルベドはこのことをすぐさまペロロンチーノに報告するべく踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、ここはナザリック地下大墳墓第九階層にあるモモンガの私室。

 多くの部屋の中でも特に広く豪華なメインルームにおいて、三体の異形が揃って顔を突き合わせていた。

 しかしその体勢はそれぞれ異なり、異様な雰囲気が漂っている。

 山羊頭の悪魔と黄金色の鳥人(バードマン)はそれぞれ身を寄せるように立っており、二体の異形の正面には部屋の主である骸骨の異形が力なく項垂れながら地面に正座をしていた。

 

「――……ちょっと聞いてよ、ペロ子~。モモ恵ったらカッツェ平野で急にはっちゃけちゃって大変だったのよ~」

「あら、その話なら聞いたわよ、ウル美さん。モモ恵さんったら超位魔法をぶっ放したんでしょう?」

「そうなのよ~。どう対処しようかってすっごく慌てちゃったわよ!」

「大変だったわね~。流石に超位魔法はやり過ぎよね~。でも、こっちも大変だったのよ。モモ恵さんったら最初に計画していた以上の死の騎士(デス・ナイト)死の騎兵(デス・キャバリエ)を連れていっちゃうんだもの! 戦後処理もまだ終わってないのに、人手が急に少なくなっちゃって、びっくりしたわ~」

「あら、やっぱりそうだったのね。カッツェ平野で登場した時に思ったより大規模の軍勢が出てきたから私も驚いたのよ! もう、モモ恵ったら困っちゃうわよね~」

 

 目の前で繰り広げられるわざとらしいまでの会話に、しかしモモンガはぐうの音も出ない。

 自身に突き刺さる二対の鋭い視線が痛く感じられ、遂には耐え切れなくなってモモンガは未だ正座した状態ながらも目の前に立つウルベルトとペロロンチーノを力なく見上げた。

 

「……だ、だって、一発の魔法でこちらの脅威を知らしめないといけなかったですし……派手さもある超位魔法が一番いいかと思って……」

「いくら派手でも限度ってもんがあるでしょうが。十位階でも九位階でも派手な魔法はいくらでもあるじゃないですか」

「で、でも……さっきも言いましたけど、こっちの強さを宣伝しなくちゃいけなかったですし、アルベドも『そうすべきだ』って賛同してくれたんですよ!」

「いや、そうは言っても対処するのはこっちなんですから、こっちのことも考えてもらわないと。力をセーブしながら対処するの、すっごく大変だったんですよ。おまけに帝国側にモモンガさんたちが邪悪な存在じゃないってアピールするのも苦労しましたし」

「……うぅぅ……」

 

 一番苦労を被ったであろうウルベルトからの言葉に、流石に居た堪れなくなったのかモモンガがガクッと大きく肩を落とす。

 見るからに意気消沈しているモモンガの様子に、ウルベルトはやれやれとばかりに首を横に振り、ペロロンチーノは苦笑を零してモモンガに手を伸ばした。腰を曲げてモモンガの骨の右手を掴み取り、そのまま『よいしょっ!』という軽い掛け声と共に立つように引っ張り上げる。

 モモンガはペロロンチーノの動きに逆らうことなく立ち上がると、未だ眼窩の灯りを不安げに揺らめかせながら目の前の友人二人を交互に見つめた。

 

「まぁ、過ぎたことをいつまで言っても仕方がないですからね。俺たちも悪ふざけはこのくらいにして、これからのことを考えていきましょうか」

「そうだな。ただ、モモンガさんは少し反省してくださいね。フォローするの本当に大変だったんですから」

「うっ、すみません。今後はもっと気を付けます……」

 

 モモンガ自身、最近は特に『ウルベルトやペロロンチーノであれば大丈夫。上手くフォローしてくれる』と甘えていたことは自覚している。いくら友人に対する絶対的な信頼の表れだったとしても、度が過ぎてしまえばそれは単なる怠惰でしかない。湧き上がってくる反省と後悔を噛みしめながらもう一度頭を下げるモモンガに、ウルベルトとペロロンチーノは一つ頷いてモモンガの頭を上げさせた。

 

「ほらほら、頭を上げて下さい、ギルマス。もう謝らなくても良いですから!」

「信頼して任せてもらえること自体は嬉しいことですしね。こっちも何かとモモンガさんにフォローしてもらっている部分はありますし、ここはお互い様ということで終わりにしましょう」

「……ありがとうございます、ペロロンチーノさん、ウルベルトさん」

 

 友人二人の優しい言葉に、流す機能もないのに思わず泣きそうになってしまう。しかしそこはグッと堪えるとモモンガは一度大きく頷いて礼の言葉を口にした。

 本当に二人がいてくれて良かった……と心の底から思う。

 しかしそんなモモンガの心情までは気が付いていない様子で、ペロロンチーノとウルベルトは穏やかな表情でモモンガからの感謝の言葉を受け取ると、次には近くにあったテーブルと椅子の方に歩み寄っていった。モモンガの私室に集った時はいつも座っている席に腰を下ろす二人に、モモンガもつられるようにして自身の椅子に腰を下ろす。互いに向かい合い顔を突き合わせるような形で腰を落ち着けた三人は、まずは現状をすり合わせるためにそれぞれ報告を始めた。

 モモンガはカッツェ平野での惨状についてと、その後行った王国の王侯貴族との会話について。

 ウルベルトはカッツェ平野の惨状への対処方法と、その後行った帝国の皇帝たちとの会話について。

 そしてペロロンチーノは法国に対する戦後処理の進捗状況と、カッツェ平野での惨状について報告された王国の被害状況の情報について。

 どれもこれも話の内容の濃度が高く、いつものことながらモモンガたちは重いため息を吐き出した。

 

「……取り敢えず、戦後処理の方は順調に進んでいます。多分……あと二週間くらいで大分落ち着くんじゃないですかね。ただ、森妖精(エルフ)たちに任せている元法国領土の統治や復興についてはまだまだ時間がかかりそうです」

「まぁ、それは仕方がないだろう。そちらはニグンを送って対処させているから、また詳しい報告はあいつからさせよう」

「そうですね。そういえば、王国のエ・ランテルの割譲の方は上手くいってます?」

「ええ、そちらも今のところは問題ないです。王国側は割譲する準備に三か月は欲しいって言ってきたんですけど、何とか一か月まで短縮させました」

「三か月も時間を与えたら、人材も物資も根こそぎ持っていかれる可能性があるからな。ナイスですよ、モモンガさん!」

 

 一仕事終えたような達成感に満ちた声で言うモモンガに、ウルベルトも大きく頷いて親指をたてる。

 しかしペロロンチーノは今一理解できていないのか、不思議そうに首を大きく傾げた。

 

「でも一か月でも人材や物資とかを運び出すには十分じゃないですか?」

「いえ、俺たちみたいに〈転移門(ゲート)〉の様な転移魔法が使えるならまだしも、彼らにはそういった手段はないみたいですし、一か月程度ならそこまで心配する必要はないと思います」

「それにもうすぐ冬になるから、寒さや雪や氷に阻まれて動きも鈍るはずだしな。街一つと言っても領土を明け渡すんだからそのための準備の時間は必要だろうし……。今回のカッツェ平野の件で相当な被害が出ているから、一か月はいろんな意味で丁度いい期間だと思うぞ」

「……あ~、確かに。モモンガさんの超位魔法で初手の一撃で約四万、そこから第二波、第三波のアンデッドの波で合計十六万くらいの被害が出ちゃってますもんね」

 

 モモンガとウルベルトの説明に、首を傾げていたペロロンチーノも『なるほど』と一つ頷く。同時に、そんなことまで考える必要があるのか……とモモンガとウルベルトに感心の目を向けた。

 モモンガはそんなペロロンチーノからの視線を面映ゆく感じながら、それを誤魔化すように眼窩の灯りをウルベルトに向けた。

 

「えっと、それで、ウルベルトさんの方も上手くいっているんですよね? 皇帝との謁見はいつ頃になりそうですか?」

「う~ん、そうですね……。あまり遅くなるとそれこそエ・ランテルの割譲の時期と被ってしまうので、早めにとは考えていますけど……。早くて七日から十日後くらいですかね……」

「そんなに必要です? さっさと連れてきちゃえばいいのに」

「あちらもモモンガさんに会うためにいろいろと情報収集とか心の準備とかが必要そうだったからな。俺も引き続き皇帝に呼ばれていろいろ聞かれる予定になっているし、このくらいが妥当だろう。一応『リーリエとレインがレオナールの代わりに“アインズ・ウール・ゴウン”に接触して、レオナールのことや皇帝が目通りを願い出ていることを伝える』っていう筋書きにしているから、ある程度の時間は必要だ」

「分かりました。また皇帝が来る時期が決まったら教えてください。……それで、この前の定例報告会議で、帝国の立場をどうするか決めるのは少し待ってほしいと言ってましたけど、その辺りは見極めはできました?」

 

 最終的な目標を世界征服としている以上、この世界にある全ての国は最終的には滅亡させるか属国化して支配下に置くことになる。

 しかし属国化と言っても、その形は様々だ。完全な奴隷の国として扱うのか、それとも友好的な同盟国に近い国として扱うのか……。

 モモンガとしては帝国に対してそれほど愛着があるわけではなく、関心もそれほどない。どんな形であっても構わないため軽い口調で尋ねれば、ウルベルトは考え込むように金色の目を伏せて長い顎髭を右手で弄んだ。

 

「……正直、今もまだ決めかねているんですよね。友好的な関係を構築しても良いとは思っているんですが……」

「何か気になることでも?」

「皇帝は種族や生まれや常識にとらわれない柔軟な考えを持つことができる人物だ。しかしその一方で、相手が自分たちの敵だと判断した場合には裏でいろいろと手を回そうとする用意周到さや気概も持っている。何より俺たちなんかよりも余程頭が回る」

「ああ……、優秀な人物だって有名らしいですね」

「まぁ、俺のデミウルゴスには負けるがな!」

「あー、はいはい……。……それで?」

「……彼らが俺たちを敵だと判断した場合にどういった行動をとるのか……そこがちょっとした懸念ではあるんですよねぇ~。こちらを味方だと判断してくれるのが一番良いんですが……」

 

 デミウルゴスに対する発言を軽く流すペロロンチーノを軽く睨みながら、ウルベルトが続けて自身の懸念を口にする。最後は言葉を濁して黙り込むウルベルトに、モモンガとペロロンチーノは一つ頷いて同意した。

 なるほど確かに、彼らが自分たちと実際に会ってどういった反応を取り、どういった考えに至るかによってこちらの対応も変わってくる。好意的な態度をとってくるならこちらもそれを利用するために友好的に接するべきであるし、もしこちらに敵意を向けるのであればそれに応じるのも吝かではない。実際に会って話してみてから判断するのが一番だろうし、その程度であれば会った後に対応を決断しても決して遅くはないだろう。

 モモンガは内心で一つ頷くと、ウルベルトの迷いを払うように動かない骨の顔に柔らかな笑みを浮かべた。

 

「分かりました。俺も皇帝と実際に会ってみて、どういった対応を取るのが一番良いのか観察してみます」

「ありがとうございます、モモンガさん」

 

 長い顎髭を弄んでいた手を下ろし、ウルベルトが礼を言ってくる。

 モモンガが『いえいえ』とばかりに軽く片手を振る中、ペロロンチーノが勢いよく背もたれに背中を預けながら大きく首を傾げた。

 

「……それにしても、ウルベルトさんがそんなに帝国に肩入れするとは思っていませんでしたよ。これまで人間に対して結構えげつないことも平気でやってたので、悪魔になってそういった感情がなくなったのかとばかり思ってたんですけど」

 

 首を傾げたまま心底不思議そうな声音で考えを口にするペロロンチーノに、モモンガはふと自分がウルベルトに対して『ワーカーのことをどう思っているのか』と聞いた時のことを思い出した。

 あの時、ウルベルトはワーカーに対して『ちょっとした愛玩動物のようなものだ』と口にしていた。愛着自体はあるものの、必要であれば殺すことも何ら厭わない。その思考はアンデッドとなってナザリック以外の全てに対して関心がなくなったモモンガに比べるとまだ情がある方ではあったが、しかし一般的な人間の思考に比べると余程悪魔らしい。

 はてさてウルベルトはどう答えるのか……と視線を向ければ、ウルベルトは再び長い顎髭に手を伸ばしながら小さく眉間に皺を寄せていた。

 

「う~ん、言葉で説明するのは難しいんだが……。お前やモモンガさんと同じように、俺も基本的な思考回路や価値観は悪魔特有のものに変化している。俺の中での人間の……というよりかは悪魔や異形種以外の種族に対しての価値観は、言うなれば……そうだな……虫や草木と同じくらいまで下がっている」

「つまり悪魔や異形種以外の種族はみんな虫や草木と同レベルだと思ってるってことですか?」

「そういうことだ。意思疎通ができる分、多少は虫や草木よりも価値観は高くなる場合もあるにはあるが、それは種族というよりかは個人に対してのものだからな。今回、皇帝や帝国の者たちとはそれなりに接点を持っているし愛着もある。あいつらの存在が害になるのであれば滅ぼすことに躊躇いはないが、有益な存在になり得るのであれば、友好的に接するのも別に構わないってことさ」

「う~ん……なるほど……?」

 

 ペロロンチーノが『分かるような、分からないような……』といったように首を傾げたまま言葉を疑問形に歪める。

 しかしモモンガとしてはウルベルトの感覚は非常に理解できるものだった。

 そのため、ウルベルトからの質問にモモンガは迷いなく頷くことができた。

 

「二人は違うんですか?」

「俺もウルベルトさんと同じですね。人間であろうと他の種族だろうと何も感じませんし、どうなろうと感情は一切動きません。言葉を交わせばそれなりに情は湧きますけど、良くて愛玩動物止まりで、そこもウルベルトさんと一緒ですね。唯一ウルベルトさんと違うところがあるとすれば、俺にとって重要なのはウルベルトさんとペロロンチーノさんとナザリックだけなので、それ以外の存在は全て……たとえ同じ異形種であっても別に何も感じないことくらいですかね」

「………モモンガさんって、結構愛が重たいタイプだったんですね」

「ちょっと失礼じゃないですか、ペロロンチーノさん?」

 

 ペロロンチーノからの失礼な発言に、思わず不満の声が出る。

 しかしペロロンチーノは少しも気にした様子もなく、あっけらかんとした軽い笑い声を零しながら更に背もたれにだらしなく全身を預けた。

 

「いや~、親愛なるギルマスに愛されてすごく嬉しいですよ」

「……もう、またそういう風に……」

「でも、俺はそれほどでもないですかね~……。……いや、野郎はどうでもいいか……」

 

 非常にペロロンチーノらしい言葉に、モモンガは思わず苦笑を零し、ウルベルトは呆れたような表情を浮かべて緩く頭を振る。

 ウルベルトは顎髭から手を離すと、次には小さく身を乗り出してテーブルの上に両肘をついて手を組んだ。

 

「まぁ、それは『ペロロンチーノだから』と言えるのかもしれないな。ペロロンチーノでなければ、俺たちと同じように野郎だろうが美少女だろうが、関係なく無関心だった可能性はある。俺も上流階級の富裕層連中が嫌いなのは変わらないからな」

「等しく虫や草木くらいにしか思っていないのに?」

「それとこれとはまた別なんだろうな。もしかしたら俺個人の……人間だった頃の感情の名残からくるものなのかもしれない」

「それにしてはウルベルトさんも随分と酷いことを人間たちにやってると思いますけど……」

 

 ペロロンチーノの言葉に、一瞬ウルベルトが不思議そうな表情を浮かべる。しかし一拍後にはペロロンチーノが何のことを言っているのか思い至ったのか、小さく『ああ…』と納得したような声を零した。

 恐らくペロロンチーノが言っているのは、主にデミウルゴスを中心に行っているアイテム開発による人間の対応のことだろう。

 しかしペロロンチーノの声音には非難的な響きは一切なく、ただ本当に不思議に思っているだけのようだった。ウルベルトもそれは分かっているのだろう、小さく首を傾げてひょいっと肩を竦めるだけだった。

 

「まぁ、確かに悪魔にならずに人間のままだったら思うこともあったんだろうが……恐らく、それも悪魔になって変わった価値観が原因だろうな。大前提として、俺が人間だった時に富裕層の連中を憎んでいたのは、同じ人間……つまり同じ存在であるはずなのに、同じ人間である富裕層の連中が同じ存在である俺たちを使い捨ての駒として扱っていたからだ。『同じ人間なのに不公平だ!』って不満に思うのは当然のことだろう? だが、今の俺は悪魔で、人間とは違う。俺にとって人間はもはや同じ存在ではなく、虫や草木も同然の存在だ」

「つまり、虫や草木と同等の存在でしかない人間には何をしても良いと?」

「虫を捕まえて実験することに……、花の蕾を手折ることに罪悪感を持ったり躊躇ったりする奴がどれだけいるんだ?」

「……………………」

 

 皮肉気な笑みを浮かべて問いかけるウルベルトに、ペロロンチーノは答える言葉が思いつかないのか黙り込む。彼らの会話やウルベルトが話す内容から、如何に自分たちが歪な存在に成り果てたのか思い知らされるような気がした。

 何とも言えない空気にモモンガが思わず内心でため息を吐く中、不意に外の廊下に続く扉からノックの音が聞こえてきた。続いて人払いをしていたため外で待機していた一般メイドの声が聞こえてきて、モモンガたち全員が反射的に扉を振り返った。

 

『モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト・アレイン・オードル様、ご歓談中に失礼いたします。守護者統括のアルベド様がいらっしゃいました』

「アルベド? ……通しても良いですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「何かあったんですかね?」

 

 突然の予想外の展開に、一気に部屋に漂っていた妙な空気が吹き飛ばされる。アルベドが来る予定はなかったはずだが……と三人ともが頭上に疑問符を浮かべ、取り敢えずはと許可の言葉を扉の外へと発した。

 一拍後、扉が外側からゆっくりと開かれ、いつもの純白のマーメイドドレス姿のアルベドが一礼と共に室内へと足を踏み入れてくる。アルベドは丸テーブルを囲んで椅子に腰かけているモモンガたちの下まで歩み寄ると、その場に片膝をついて深々と頭を垂れた。

 いつも通りの落ち着いた彼女の様子に緊急の要件ではなさそうだと内心で胸を撫で下ろしながら、モモンガはこちらの言葉を持つアルベドに声をかけた。

 

「アルベド、この時間にお前が来る予定はなかったはずだが、何か緊急の要件か?」

「はい、ご歓談中に拝謁を賜る無礼をお許しください。実は現在第五階層の氷結牢獄に囚えております番外席次アンティリーネ・ヘラン・フーシェがこの度我々の支配下に下りたいと申し出てきたため、取り急ぎ報告させて頂きたく参りました」

「えっ、アンティリーネちゃんが!? それ本当!?」

「はい、先ほどわたくしの方で確認いたしました」

 

 思わず椅子から立ち上がって確認するペロロンチーノに、アルベドは傅いた状態のまま大きくはっきりと頷いてみせる。

 途端、喜色を浮かべるペロロンチーノに、モモンガは和やかにその様を眺め、ウルベルトは軽く両腕を組みながら小さく首を傾げた。

 

「それが本当なら良いことだが。こちらを騙そうとしている可能性はないのかね?」

「ちょっとウルベルトさん、何でもかんでも疑うのは悪い癖ですよ!」

「ウルベルト様のご懸念は尤もでございます。しかしわたくしが彼の者の言動を確認する限りでは、その可能性は低いかと思われます」

「ふむ……アルベドがそう言うのなら間違いはないか……」

「っ!! ありがとうございます、ウルベルト様!」

 

 ウルベルトから信頼の言葉をかけられ、途端にアルベドが歓喜の笑みを浮かべて頬を染める。

 その様は大好きな親から褒められて喜ぶ子供のようにも見えて、モモンガは勿論のこと、ウルベルトやペロロンチーノも思わず穏やかな笑みを浮かべてアルベドを見つめた。

 

「ならば、アルベドの言を信じてアンティリーネ・ヘラン・フーシェを我ら“アインズ・ウール・ゴウン”に迎え入れることとしよう」

「早速氷結牢獄から出してあげないといけないですね! ……でも、どこに配属しましょうか……」

「取り敢えず法国の戦後処理に加えれば良いのではないかね? 法国の……それも漆黒聖典の番外席次だったんだ。我々が見落としていることも彼女ならば知っているかもしれない」

「そうだな。ではそのように手配せよ」

「畏まりました、モモンガ様。念のため、監視としてシャルティアをつけたいと考えておりますが、宜しいでしょうか?」

「ああ、構わない」

 

 アルベドの問いに、モモンガが一つ頷いて許可を与える。アルベドは再び深々と頭を下げると、早速行動を開始するべく退室の言葉と共に部屋を出ていった。

 扉から消えていく純白の背を暫く見つめ、扉が閉められて一拍後、モモンガたちは思わず互いに顔を見合わせる。

 三人ともが何故か大きな仕事が一つ片付いたような表情を浮かべており、そんな自分たちの様子に三人は同時に思わず苦笑を零した。

 

「……さ~て、そろそろ俺たちも仕事に戻らないといけないですね」

「そうですね。俺たちも手伝いますよ、ペロロンチーノさん」

「ありがとうございます、よろしくお願いします!」

「ニグンの方にも、アンティリーネ・ヘラン・フーシェが戦後処理の作業に加わることを一応連絡しておくか」

 

 アルベドの来訪によってすっかり元通りになった空気を感じ取り、それにモモンガたち三人も気持ちを新たに動き始める。

 早速ニグンに〈伝言(メッセージ)〉を繋げるウルベルトや、背筋を伸ばして気合を入れるペロロンチーノの姿を見つめながら、モモンガもまた一度大きな息を吐き出して気合を入れるのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 元法国領土の中央都市であった神都エクスカリン。

 法国の都市の中でも最も栄え、最も清廉とされ、最も美しい街並みをしていた神都は、しかし今やそのどれもが見る影もない状態になっていた。

 ここが戦場になったのだ、しかも法国の二つの切り札とナザリックの守護者たちが戦ったのだからこのような惨状になっても致し方ないことかもしれない。

 しかしいつまでもこのままにする訳にはいかず、勝利者であるエルフやナザリックのモノたちは忙しなく復興に励んでいた。

 指揮を執るのはエルフの新王となったクローディア・トワ=オリエネンスと彼女に付き従う側近たち……ということになっている。

 しかしその背後にはナザリックの存在があり、中でも至高の主たちから直々に命じられたニグンが中心となってエルフたちに指示を出していた。

 法国はそれなりに大きな国であるため、全ての都市や街を復興するにはそれ相応の時間がかかってしまう。そのためニグンは至高の主たちとも相談し、都市毎に復興を急ぐレベルを設けた。

 国境付近にある都市と中央都市の復興レベルを最大に設定し、それ以外の都市や街の復興レベルを下げる。

 これにより中央都市でも国境付近の都市でもない中間層は現在破壊し尽くされたまま放置されているような状況だったが、一度にすべてを復興できない以上それも致し方ないことだった。

 侵略した後に統治する者が警戒するのは、内からの反乱と外からの介入だ。

 しかし今回の場合、侵略したのはエルフ……の背後にいる“アインズ・ウール・ゴウン”。彼らにとって警戒すべきは内からの反乱ではなく、外からの介入だった。

 そのため、まず国境付近の都市の復興を急ぎ、なるべく外からの介入を受けないように体制を整える。国境付近の都市の方が当然エルフたちが棲むエイヴァーシャー大森林から近く、復興作業がしやすいというメリットもあった。

 

「――……ルーイン様、ご指示されていた物資の準備が整いました」

 

 不意に背後から声をかけられ、ニグンは神都の地図を見ていた顔を上げて後ろを振り返る。

 そこには一人の男のエルフが立っており、ニグンが振り返ったことで一瞬身体を強張らせたものの、一拍後には何とか気を取り直したように背筋を伸ばして体勢を整えた。

 

「……ご苦労。では各都市に向けて出発させろ。各都市の住民の様子はどうだ?」

「今のところ、反抗があったなどの報告は来ておりません」

「よし。引き続き復興作業を行いつつ内と外の動きに警戒しておけ。何かあればすぐに報告するように再徹底させよ」

「か、畏まりました……!」

 

 ニグンの指示を受け、エルフの男は一度大きく頭を下げると、次にはまるで逃げるように去っていく。

 どう見てもこちらを恐れている様子に、ニグンは表情は変えないものの内心では大きなため息を吐いた。

 現在ニグンは素顔を隠すこともせずに悪魔の姿のまま行動している。それは偏にエルフや法国の生き残りの人間たちに少しでも異形に慣れさせるためなのだが、先ほどのエルフの男の反応を見るに慣れてもらうためにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 実際に大きなため息が出そうになり、既の所でそれを飲み込む。

 今のニグンは悪魔であり、“アインズ・ウール・ゴウン”の代表という立場となっている。少しでも隙を見せるわけにはいかない……と気を引き締めると、再び手に持つ地図に目を戻した。

 神都の全貌が描かれているこの地図には赤色のマルやバツや矢印といった記号や、所々に文字が多く書き込まれている。

 復興が進んでいる場所や探索が完了している場所、逆に探索が未だ終わっていない場所や探索も復興も手付かずの場所。生き残った神都の法国人を一か所に集めて管理している場所や、エルフたちが駐屯している本拠地や重要拠点となっている各建物などなど。

 この地図を見れば全ての現状況が把握でき、もはや重要情報資料の一つとなっていた。

 ニグンは赤色の双眸を地図全体に走らせると、近くに置いてある簡素なテーブルの上に置かれている羽根ペンをとって地図の中に更なる記号や文字を書き加えていく。

 テーブルの上には他にも多くの書類や幾つもの薬瓶や革袋なども置かれており、ニグンがいかにあらゆることに関わり管理しているかが分かるものになっていた。

 正に地獄のような忙しさ。これまで経験したことがないほどの多忙さに、しかしニグンは疲労といったバッドステータスがなく飲食や睡眠が不要である悪魔となった身体をフルで活用して対応していた。

 ナザリックのシモベであれば当然の献身。

 しかしニグンは最初からナザリックのシモベだったわけではなく、いくら忠誠を誓っているとはいえ、ここまで骨身を惜しまず働くなど疑問に思う者もいるかもしれない。

 勿論ニグンがここまで働く最大の理由はウルベルト・アレイン・オードル、モモンガ、ペロロンチーノの三柱の新たな神への忠誠ゆえだ。しかしここまで一時の休憩すら取らずに働く理由は他にもあった。

 それは人間であった頃の心の名残り。法国というかつての故郷、かつての大切だったモノに対する想い。

 もはやかつての人間至上主義を掲げるある意味閉鎖的で無機質な美しさと厳格さを取り戻させることはできないが、せめてこの手で新たな秩序をもたらし、違う安寧と慈悲をこの地に齎したいと願う。

 そのための至高の神たちからの温情と慈悲も既に賜り、許可を得ている。なればこそ後は自分が行動するのみなのだ。

 次はどこに着手すれば効率よく復興を進められるか……と思考を巡らせる中、不意に背後から再び声をかけられてニグンは地図から顔を上げて振り返った。

 視線の先にいたのは見覚えのある女のエルフで、数秒見つめた後、戦時中からよく報告や嘆願を伝えに来るエルフであることを思い出した。

 

「……お前は、確か…メリサ・ルノ=プールだったか」

「……!! は、はい! 覚えて頂けて恐縮です!」

「お前が来たということは、中央地点に関しての報告か。何か問題でも?」

「い、いえ、その、神都の中央にある塔の地下を探索していたところ、新たな隠し扉を発見いたしました。ご命令の中にこの扉の存在はなかったので、念のため報告に参りました」

「隠し扉……? ……ふむ、最高神官長クラスの者しか知らない秘匿の場所かもしれないな……。その扉の先には未だ誰も入っていないか?」

「は、はい……あの、念のため、まだ誰も入っていません……。御許可をいただいてから、中を探索しようかと……」

「その判断は正しい。扉の先に何があるか分からないからな、よくやった」

「あ、ありがとうございます……!」

「引き続き、その扉の中には入らずに他の場所を探索しておけ。その扉の中については、後ほど我々の方で探索しておく」

 

 メリサに指示を出し、地図に今回発覚した扉の存在を書き込む。

 これ以上の指示はないと判断したのだろうメリサが一礼と共に下がろうとする中、不意に頭に何かが繋がったような感覚に襲われてニグンは思わずピクッと小さく肩を跳ねさせてこめかみに指を添えた。

 突然のニグンの行動に驚いたのかメリサが動きを止めてこちらを凝視してくるが、ニグンはそれに構うことなく未だ慣れない感覚に意識を集中させた。

 

『――……ニグン、今話をしても大丈夫かね?』

「これは……ウルベルト様。はい、問題ありません。何かありましたでしょうか?」

『一応報告をと思ってね。近々そちらに漆黒聖典の番外席次だったアンティリーネ・ヘラン・フーシェが“アインズ・ウール・ゴウン”の一員として向かう。お前の下で上手く使うが良い』

「はっ!?」

 

 ウルベルトからの思わぬ言葉に、ニグンは思わず素っ頓狂な声を上げていた。

 

「お、お待ちをっ!! そのようなことを仰られましても、何かあった時に私では番外席次を抑えることができません!!」

 

 悪魔となり、またウルベルトから至高の宝たちを賜ったおかげで、ニグンは人間だった頃に比べると数段強くなっている。しかしそれでも口惜しいことではあるが、ニグンでは漆黒聖典の番外席次を抑えることはできないだろう。何かあった時に番外席次を抑えることができるのは、ナザリックでも階層守護者くらいではないだろうか。

 未だ完全に信用できない人物をこのような場所に出す危険性を至高の御方々であれば気が付かないわけがないというのに、何故このような指示が出るのか……。

 何事かとこちらを見つめているメリサに構う余裕もなく、ニグンは思わず身を乗り出して〈伝言(メッセージ)〉越しに言い募った。

 しかし返ってきたのは何とも和やかであっけらかんとした声音だった。

 

『その辺りは心配せずとも良い。アンティリーネの監視役としてシャルティアもそちらに向かう。何か少しでも不振な行動を起こせば、すぐにシャルティアが抑え込むから安心すると良い』

「し、しかし……」

『アンティリーネ・ヘラン・フーシェはその生い立ちや立場から、法国の機密情報にも精通している。情報を全て絞り出すことも重要だが、そちらの作業にも役に立つだろう。頼んだよ』

「………畏まりました」

 

 ここまで言われてしまえばこれ以上言い募ることもできず、ニグンは諦めて承知の言葉を返した。先ほどメリサから報告された謎の扉の存在もあり、確かに役に立つかもしれない……と腹をくくる。

 ニグンは〈伝言(メッセージ)〉が切れた感覚にこめかみに添えていた指をゆっくりと離すと、次には大きなため息を吐き出した。

 

「……あ、あの…大丈夫ですか? 何か問題でも……」

「……いや、何も問題はない。引き続き作業に注力しろ」

「わ、分かりました」

 

 不安そうな表情を浮かべて問いかけてくるメリサに頭を振り、作業に戻るよう指示を出す。メリサは未だ不安そうな表情を浮かべながらも一つ頷くと、深く頭を下げてから踵を返して都市の奥へと戻っていった。

 遠ざかっていく華奢な背を暫く見送り、ニグンは再び地図に視線を向ける。

 頭では番外席次という新たな問題について考え込みながら、ニグンは再び大きなため息を吐くのだった。

 

 




時折、ウルベルトさんの人間としての思考と悪魔としての思考に関してコメント(質問?)を頂くので、遅ればせながら今回当小説でのウルベルトさんの思考や価値観などについて書いてみました!
原作のモモンガさん同様、人間からの異形化で結構歪んでる感じですね(汗)

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