世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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どんどん長くなる~~……。
どうしてこうも長くなってしまうのか……。
くどい感じの文章になっていないか心配だ……(汗)
もし読み辛かったりしたら申し訳ありません(土下座)
お暇な時にでも読んで頂ければ嬉しいです。


第85話 悪魔のシナリオ

 カッツェ平野での大惨事から一週間ほどが経った現在。今もなお帝国帝都にある皇城は慌ただしい日々を送っていた。皇帝のいる彼の執務室には多くの人間が出入りし、時には複数人の面々で今後の方針について意見を交わし合っている。

 しかし現在、皇帝の執務室はいつになく静寂に包まれていた。

 出入りする人間の数は極端に減らされ、至る所に積み重ねられていた羊皮紙の山も別室に移動されている。

 室内にいるのは部屋の主である帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス、帝国の大魔法使いフールーダ・パラダイン、今回のカッツェ平野での戦の総指揮を任されていた帝国第二軍の将軍ナテル・イニエム・デイル・カーベイン、四騎士の全メンバー、そして三名の皇帝の秘書官。計十名もの人間が椅子に腰かけ、或いは皇帝の傍らや背後に控えるように立ち、無言のまま約束の刻限が来るのを待っていた。

 数分後、時間がやたらと長く感じられる中に漸く待ちに待ったノックの音が扉から聞こえてくる。

 急き立てられる感情を必死に抑え込みながら扉の外に入室の許可を与えれば、一拍後に扉が大きく開き、三人の人間が室内に足を踏み入れてきた。

 

「参上が遅くなりまして、大変申し訳ありません。ワーカーチーム“サバト・レガロ”、皇帝陛下の召喚に従い、御前に参りましてございます」

 

 堂々とした足取りで部屋に入ってきたのはワーカーチーム“サバト・レガロ”。リーダーであるレオナール・グラン・ネーグル、顔を仮面で隠した白ローブの男レイン、そしてチームの紅一点であるリーリエ。

 彼ら彼女らは椅子に座っているジルクニフの目の前まで歩み寄ると、その場に片膝をついて優雅に頭を下げた。

 

「よく来てくれた。まずは頭を上げて、そちらの椅子に座ってくれ」

 

 “サバト・レガロ”は帝国軍にとって大恩人であり、未曾有の危機が迫っている現在では手元に置いておきたい重要な存在でもある。彼らに対して最大限の敬意を払うのは勿論のこと、決して疎かにするべきではない。

 “サバト・レガロ”はジルクニフの言葉に従い下げていた頭を上げると、優雅でありながら素早い動作で立ち上がり示された椅子に歩み寄った。しかし椅子に腰かけたのはレオナールのみで、レインとリーリエは控えるようにレオナールの両隣にそれぞれ立つ。そんな彼らの様子に、ジルクニフは誰にも気づかれないように微かに眉を顰めた。

 予てより、“サバト・レガロ”は『同じチームの仲間』というよりかは、リーダーであるレオナール・グラン・ネーグルを主人とした従者二人といった言動や立ち居振る舞いをしている。それを思えば、レオナールだけが椅子に腰かけてレインとリーリエが控えるように両隣に立つという行動も決しておかしなことではないだろう。しかしその様子がいつにも増して仰々しいような……主従といった雰囲気がいつも以上に強く感じられるような気がして、ジルクニフは内心で小さく首を傾げた。

 一体彼らに何があったのか……個人的には非常に気になるところではあったが、しかし今はそれよりもするべきことが多くある。湧き上がってくる好奇心に蓋をして、ジルクニフは気を取り直して改めて“サバト・レガロ”を見やった。

 

「カッツェ平野での一件については既に報告を受けている。まずは殿を務め、我が軍を救ってくれたことに深く感謝する」

「いいえ、陛下から依頼いただいた内容は“悪魔の至宝によって起こった事象に対する対処”でした。我々はその依頼を遂行したまでに過ぎません。それに、あのまま我々だけ逃げてはあまりにも後味が悪かったですし……どうかお気になさらず」

「そう言ってもらえると少し気持ちが軽くなる。しかしそうであれば尚の事、君たちに対しての依頼料はしっかり払わせてもらおう。だがまずは、君たちの口からもカッツェ平野で一体何があったのか聞かせてくれないだろうか?」

「畏まりました」

 

 ジルクニフの言葉にレオナールは一つ頷くと、ゆっくりと口を開いてカッツェ平野で起こった全てを語り始めた。

 落ち着いた口調と声音で語られる内容は、バジウッドとニンブルが語ったものと同じもの。しかしレオナールは異形についての知識も豊富なのか、バジウッドやニンブルでは分からなかった異形の種族名や特徴も軽く交えながら語られる内容に、ジルクニフは内心で感嘆の声を上げていた。

 

「――……そこでペシュメル様とアノック様と共に転移の魔法で戦場を離れました」

「なるほど……。聞けば聞くほど俄かには信じがたい話だが、……少なくとも君たちがいてくれて本当に良かったと思う。改めて礼を言わせてくれ」

「とんでもありません。わたくしどもは依頼料を支払って頂ければ、それで構いませんので」

「フッ、そうか……。それではたっぷり色を付けて渡すとしよう」

 

 恐らく表情や口調からこちらの緊迫感が伝わったのだろう、少しでもこちらの気持ちを軽くしてくれようとしたのか、レオナールが冗談めかしく小さな笑みを浮かべながらそんなことを言ってくる。ジルクニフは小さな笑い声を零してそれに応じながら、少しだけ気分が軽くなったような気がした。『流石は帝国一のチームと言われるだけのことはあるな』と内心で何度も大きく頷く。

 “サバト・レガロ”は既に帝都のみならず帝国の広範囲にまでその名を轟かせていた。数々の偉業やその穏やかで気品ある人柄や物腰から帝国民からは絶大な人気を博しており、彼らを英雄視する者さえ数多くいるという。『もしかしたら陛下よりも人気があるかもしれませんね』とバジウッドなどは冗談で言っていたが、そんな民たちの気持ちも理解できるな……とジルクニフ自身すら思っていた。

 未だ何も解決してはおらず問題は山積みではあったが、それでも彼らと言葉を交わし、彼らの存在を感じれば大きな安堵を覚える。彼ら“サバト・レガロ”がいてくれれば、先のカッツェ平野の時のように何かしら光明が見えてくるのではないか……と、そんな希望が湧き上がってくるのを感じていた。

 

「しかし、陛下の方から皇城に来るように仰っていただけて助かりました。わたくし共も、陛下にお会いしたいと思っておりましたので」

 

 彼らについてや今後についてぼんやりと思考を巡らせる中、不意に聞こえてきたレオナールの言葉に意識を現実に引き戻される。

 しかしレオナールの言っている言葉の意味が分からず、ジルクニフは思わず小さく首を傾げた。

 

「それは……君たちも依頼の報告をしてくれようとしていたからか?」

「勿論それもあります。しかしそれとは別に、一言お別れを申し上げた方が宜しいかと思っておりましたので」

「「「……!!?」」」

 

 レオナールの口から出てきた信じられない言葉に、ジルクニフは勿論のこと、この場にいる“サバト・レガロ”以外の全員が驚愕の表情を浮かべた。

 レオナールが言った言葉の意味が分からない……。いや、意味は分かるが信じたくない……。

 この場にいる者全員が同じことを思ったことだろう。

 先ほどまで感じていた安堵や希望が一気に絶望に塗り替えられてしまったような気がして、ジルクニフは無意識に大きく身を乗り出していた。

 

「な、何故……!! それは、この帝国から出ていくということか……!?」

 

 否定してもらいたい一心でレオナールに問いかける。

 他の“サバト・レガロ”の二人は先ほどから落ち着いた様子のまま微動だにせず、レオナールは困ったように眉を八の字に垂れさせたままゆっくりと、しかし大きく頷いた。

 

「……そういうことです……」

「何故だ!! 理由を教えてくれ!!」

「それは……、……帝国に、ご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんので……」

 

 絶望に突き動かされるように焦りのままに声を荒げるも、返ってきたのはひどく戸惑った表情と意味不明な言葉。あまりにも予想外のレオナールの反応に、ジルクニフは驚愕と絶望に染まっていた感情を困惑の色に塗り替えた。無意識にマジマジと目の前のレオナールを見やり、そこで漸く冷静な思考回路が徐々に戻ってくる。未だ困ったような表情を浮かべながら、しかしどこまでも静かで冷静なレオナールの様子に、何か途方もないことが起ころうとしているのではないか……という直感のようなものが不意に脳裏に閃いた。

 これまでのレオナールの印象や実際の彼の言動を鑑みれば、レオナールがただ単に帝国を去ろうとしているとは思えない。そうする必要があると判断した何らかの重大な理由があるはずなのだ。『ここにいれば帝国に迷惑がかかる』という言葉も非常に気になる部分でもある。

 ここは彼の話をきちんと聞く必要があるとすぐさま判断すると、ジルクニフは何とか気持ちを落ち着かせながら改めて真っ直ぐにレオナールを見つめた。

 

「申し訳ないが、君の言っている意味が分からない。どうか私たちにも分かるように説明してもらえないだろうか?」

「……………………」

「どんな話であっても構わない。君たちの話を聞いたうえで、もし我々にできることがあれば最大限の援助もしよう」

「……話を聞く前から最大限の援助を約束するなど、なさらない方が宜しいのでは?」

「それだけ君たちを信用しているということだ。それに、事情を話してもらいたいと強く思っているということでもある」

 

 真摯な瞳を真っ直ぐに向けながら説明するジルクニフに、レオナールの金色の瞳も真っ直ぐにこちらに向けられる。

 何かを探るように注意深く見つめた後、フッと柔らかな色を宿してレオナール自身も小さな笑みを浮かべた。

 

「……そこまで言われてしまっては、説明しないわけにはいきませんね。しかし、私が今から話す内容は皆さんからすればとても突拍子もないものでしょう。とても信じられるものではないかもしれません」

「どんなに荒唐無稽な話であろうと信じることを約束しよう」

 

 ここは微かにでも躊躇ってはいけないと瞬時に判断すると、ジルクニフは間髪入れずに力強い声音で言いきってみせる。

 しかし少々必死さが強すぎたのかレオナールは一つ小さな苦笑を浮かべると、一度落ち着こうとするように大きく息を吐き出した。

 

「カッツェ平野で王国の王子が悪魔の宝玉を戦場に持ち出し、その後、異形たちが現れた……。異形たちの目的も、我々が帝国を去ろうとしている理由も、あの悪魔の宝玉が関係しています」

 

 まるで物語を読み聞かせるように、レオナールの説明は始まった。

 レオナールの話によると、あの悪魔の宝玉は魔法具であり、ある一体の悪魔の魂を封じ込めているのだという。悪魔はその強大な力から多くの者に恐れられ、ある一つの国によって封印された。

 

「もしや、そのある国というのは……」

「人間至上主義を掲げ、そのための様々な力を有している国……スレイン法国です」

「……っ……!!」

「しかし、彼の国の力や知識をもってしても、その悪魔を倒すどころか完全に封じ込めることすらできなかった。そのため、法国は悪魔を三つの欠片に別けてそれぞれ封印することにしたのです」

 

 その三つというのは、悪魔の“魂”“肉体”“精神”のこと。“魂”は宝玉の形をした魔法具の中に封じられ、“肉体”は地下に鎖と共に封じられ、“精神”は脆弱な力しか持たぬ器に縛られ、器ごと封じ込められた。三つの悪魔の欠片たちは封じられたまま深い眠りにつき、そのまま永遠に目覚めないはずだった。しかし悪魔の力はスレイン法国の予想を遥かに上まわり、三つの欠片たちはそれぞれ長い時間の末に封印の力を弱めて眠りから覚め、再び動き始めたのだという。

 

「それでも長い時間封じられていた影響から、悪魔の三つの欠片たちは自分自身が何者であり、どういった存在であるのか、全てを忘れていました。……しかし、悪魔を封じた法国が滅んだことで、それも変わった……」

 

 レオナールの説明に、ジルクニフの脳裏に『法国滅亡』の情報が過ぎる。現在、情報の真偽を調査中ではあるが、高い確率で事実なのだろうとジルクニフは考えていた。

 ならば彼の国の滅亡が世界にどういった影響を及ぼしていくのか……。

 未だレオナールの話は始まったばかりだというのに、ジルクニフは既に気分が悪くなり始めていた。

 

「封印の原因である法国が滅んだことで、悪魔の欠片たちは徐々に自分たちについて思い出し始めている。恐らく、欠片たちは再び元に戻ろうと行動を起こしていくでしょう」

「ちょっ、ちょっと待って下さい! もしその悪魔が元に戻った場合、一体何が起こるのですか?」

「法国が滅ぼそうとして失敗し、封印することしかできなかった強力な悪魔が完全な状態で復活するということです」

「それは……、しかし、一度は封印することができたのだ。ならば再び封印することもできるのではないか?」

「それは難しいでしょう。悪魔が封印された最もたる理由は、当時法国に彼の国で語られる六大神と呼ばれる存在がいたためです。六大神の力によって悪魔は三つの欠片に別けられ封じ込められた……。もはや六大神や、それに類する存在がいない今、悪魔を再び封印することは難しいと思われます」

 

 ニンブルやナザミからの質問にもレオナールは淡々と淀みなく答えていく。

 躊躇いの一切ない男の言動に、ジルクニフは何故こうも知っているのかと疑問に思った。他の者たちも自分と同じことを思ったのだろう、後ろに控えるように立っている秘書官の一人が警戒の表情を浮かべてレオナールを睨み据えた。

 

「……何故あなたはそんなにも詳しく知っているのですか? あなたは……あなた方は一体何者なのですか?」

「「「……………………」」」

 

 秘書官からの問いに、そこで漸くレオナールが口を閉ざして黙り込む。

 レインやリーリエも変わらず口を閉ざしているため重苦しい静寂が室内に漂い、緊迫感が高められる中でレオナールのため息の音がいやに大きく響いた。

 

「そう、ですね……皆さんが疑問に思われるのも無理はありません……。……私がこれらを知っている理由は、私がその悪魔の欠片の一つだからです」

「「「……っ……!!?」」」

 

 小さな苦笑と共にさらりと言われた言葉に、ジルクニフたちは一様に暫く何を言われたのか理解できなかった。しかし時間が経つにつれてレオナールの言葉が脳内に染み込み、徐々に両目が驚愕に見開いていく。

 そして次の瞬間にはバジウッドやニンブルやナザミ、そしてカーベインが反射的に椅子から立ち上がり、腰の得物の柄に手をかけて身構えていた。ジルクニフは未だ椅子に座った状態で彼らに守られる体勢になりながらも、ただ困惑の表情を浮かべてレオナールを見つめている。

 彼が何を言っているのか本当に訳が分からない……というのがジルクニフの正直な思いだった。

 レオナールは確かに類稀なる才能と力を有しているが、しかしその姿はどう見ても人間以外の何ものでもない。彼が悪魔の欠片の一つだなど、ただの悪い冗談にしか思えなかった。

 しかしこちらに向けられている金色の瞳はどこまでも真っ直ぐで、とてもではないが嘘を言っているようにも見えない。

 彼が悪魔の欠片の一つというのは本当なのだ……と背筋に冷たいものが走り抜けるのを感じた時、レオナールが苦笑を浮かべながら掌をこちらに向ける形で両手を軽く挙げてきた。

 

「そのように警戒する必要はありませんよ。私は皆さんを傷つけるつもりはありません」

「……あんたが本当に悪魔の欠片の一つだとして、一体どの部分なんだ? 一体いつから俺たちを騙してた」

「私は悪魔の“精神”の部分です。悪魔としての肉体と魂から引き離された後、人間としてのこの姿で封じられていました。また、先ほどもお伝えしたように、法国が滅ぶまで悪魔の欠片たちは自身の記憶など全てを失っていました。私が自分自身を悪魔の一部だと認識したのはつい最近……カッツェ平野での件よりも後のことです」

 

 言外に『騙したわけではない』と言ってくるレオナールに、バジウッドの剣の柄を握っている手が少しだけ力を緩めたのがジルクニフの視界の端に映り込んだ。どこか困惑したような……それでいてホッとしたような雰囲気を漂わせるバジウッドに、ジルクニフは『それも致し方ないことか……』と内心でため息を零した。

 バジウッドは粗野で面倒臭がりで規則を守らないきらいはあるが、しかし一方で人情味があり忠誠心や情に厚い男でもある。彼がレオナールのことをひどく気に入っていることは既に周知の事実であり、恐らくバジウッドの中でレオナールへの警戒心と困惑、そして少なくともこれまでのことについては全て真実であり偽りではなかったのだという安堵の気持ちが鬩ぎ合っているのだろう。バジウッドの本音としては、たとえ悪魔であったとしてもレオナールという男を信じたいと強く思っているのかもしれない……。

 そしてそれはジルクニフとて同じ思いだった。

 少しでも多くの味方や力が必要な今、“サバト・レガロ”を失うのは非常に痛い。また、ジルクニフとしてもこれまでのレオナールの人柄や印象から、彼を好意的に感じていたのは確かなのだ。

 一体どうするべきかと思考をこねくり回す中、今まで成り行きを見守っていたフールーダが誰よりも落ち着いた様子で一歩前へと進み出てきた。

 

「陛下、そしてこの場にいる皆の者、ここはネーグル殿からもう少し詳しい話を聞いてみてはどうか? それからどういった対応をとるかを決めても遅くはあるまい」

 

 老齢の大魔法使いからまるで幼子に言い聞かせるように言われ、厳しい表情を浮かべていた秘書官たちや、得物に手をかけていたバジウッド、ニンブル、ナザミ、カーベインがどこかバツの悪そうな表情を浮かべて居住まいを正す。

 何とか落ち着いた様子の彼らを見回した後、フールーダは次に未だ落ち着いた様子で椅子に腰かけているレオナールに目を向けた。

 

「ネーグル殿、もう一度話を聞かせてもらいたい。今度は主にそなたたちに関して」

「分かりました。未だ思い出せていない部分もありますが、できるだけご説明しましょう」

 

 フールーダの言葉に一つ頷くと、レオナールは改めてこちらをザッと見まわしてくる。そして最後に金色の双眸をジルクニフに向けると、そのまま再び口を開いた。

 レオナールが語った話は、彼が封印から目覚めた後から始まった。

 レオナールが覚えている限り、封印から目覚めたのは今から六年ほど前のこと。その時には既にレインやリーリエが傍におり、何かと自分の世話を焼いてくれていたらしい。数年間気の向くままに魔法の研究を行い、ふと外の世界に興味を持って旅に出て帝国に辿り着き、そしてワーカーとして活動を始めたのだとか。

 

「私は今まで不自然なほどに、これまでの自分について興味を持つことも不思議に思うこともありませんでした。恐らく封印されていた影響で、そういった思考もある程度制御されていたのでしょう」

「レイン殿とリーリエ殿は何者なのですか?」

「悪魔であった時から私に仕えてくれているモノたちです。封じられていた私を見つけ、何とか封印が解けないか尽力し、そして封印が解けた後もずっと付き従い私を守ってくれていました」

「じゃあ、あんたらも……つまり、人間じゃないってことか……?」

 

 レオナールの説明とバジウッドの問いかけに、この場にいる全員が自然とレインとリーリエに視線を向ける。

 一斉に突き刺さる多くの視線に、そこで漸く今まで黙っていたレインとリーリエがそれぞれ口を開いた。

 

「勿論、我々も人間ではない。私は聖堕の悪魔という種族の悪魔だ」

「私も人間ではなくアンデッドです。メイドとして至高の御方に仕えさせて頂いております」

 

 はっきりきっぱり人間ではないと言われ、しかしジルクニフたちはやはりどうにも信じることができなかった。

 素顔の見えないレインはまだしも、リーリエは完全に人間にしか見えない。これで本当に人間ではなく異形なのだというなら、人間と異形とを見極められる自信がなくなってくる。

 思わずマジマジと二人を見つめるジルクニフたちに何を思ったのか、レオナールが一つ小さな咳払いをしてきた。

 

「とにかく、レインもリーリエも私の大切な臣下です。そして彼らが今まで私に私自身の正体について話さなかったのは、未だ完全に目覚めていない状態で話せば、私の精神が混乱のあまり暴走する恐れがあったからです」

 

 金色の瞳がふとジルクニフから外れてリーリエとレインに交互に向けられる。

 その瞳は柔らかく細められ、温かな光が宿っているように見えた。

 しかしその光はすぐさま消え失せると、再び真剣な色を帯びてこちらに向けられた。

 

「しかし今回法国が滅亡したことで、私も他の悪魔の欠片たちも完全に封印から解き放たれました。……恐らく全てを思い出した欠片の一つである悪魔の肉体が、残りの欠片を取り戻そうと大きく動いてくるでしょう。そうなれば、帝国にいつ何が起こるか分かりません。ですので、ご迷惑をおかけする前に、ここを去ろうと思っています」

 

 帝国のためにここを去ると言うレオナールの言葉に、ジルクニフは更なる困惑が胸に湧き上がってくるのを感じた。

 彼の話した内容や行動は、本当に悪魔なのかと疑うほどに自分たちの知るレオナールそのままだ。

 やはり何も変わっているようには思えず、ジルクニフは内心で頭を抱えながら呻き声を上げた。

 しかしそこでふと、今までの考え方自体が間違っていたのではないかという考えが頭を過ぎった。

 レオナールは悪魔に変化したのではなく、彼の正体が悪魔だったのだ。それは似ているようでいて、しかし意味合いは全く違う。

 ジルクニフは一度目を閉じて息を吐き出すと、『レオナールは悪魔である』という考えをいったん頭から取っ払うことにした。

 正体が悪魔でも人間でも関係ない……ただのレオナールとして対話をした方が何より確実で頭の整理もできる。その後に『レオナールは悪魔である』という情報を組み入れて物事を考えた方がまだ正確に物事を判断することができるような気がした。

 ジルクニフは閉じていた瞼をゆっくり開くと、大分落ち着いた冷静な瞳で真っ直ぐにレオナールを見つめた。

 

「君の言い分は分かった。しかし、ならばカッツェ平野に現れた異形は何なんだ?」

「彼は悪魔であった頃の私の親しい友人です。封印されるまではとても仲良くしていました。恐らく私の気配を感じ取って再び外界に出てきたのでしょう」

「……ああ、だからあの時『友の魂が…』とか言ってたのか……。で、あの女騎士があんたに声をかけてきたのも……」

「ええ、私の正体に気が付いたからでしょう。尤も、異形の骸骨……我が友アインズは魂の方に気を取られていて私には気が付いていなかったようですが」

 

 まるで『仕方がない人だ』と言わんばかりに親しみのある苦笑を浮かべるレオナールに、こちらはどんな反応をしたらいいのか非常に悩んでしまう。また、たった一つの魔法で十六万もの死者を出した化け物が友人であるというレオナールの言葉に寒気が全身を走り抜けた。

 そんな自分たちの心情に気が付いたのか、レオナールは苦笑を引っ込めると次には真剣な表情を浮かべて小さくこちらに身を乗り出してきた。

 

「あんなことがあった後にこのようなことを言っても信じてもらえないことは理解していますが、アインズは決して邪悪な存在ではありません。むしろ異形の中では非常に話の分かる人物でしょう。ですので、そこまで怖がる必要はありません」

「いやいや、そりゃあ無理な話だぜ! 第一、邪悪な存在じゃないってんなら何であんな魔法をぶっ放したんだよ!」

「彼の目的は私の魂を取り戻すことです。恐らくその一心であの魔法を使ったのでしょう。王国の王子が大人しく宝玉を渡していたなら、絶対にあのようなことにはならなかったはずです」

 

 全てはあの王子が齎した結果なのだと言外に言ってのけるレオナールに、この場にいる誰もが黙り込んだ。

 確かに何かを欲し、それを拒絶された時に反撃に出るという行動は、たとえ異形でなくとも……人間であってもよくあることだ。またカッツェ平野での王国王子の言動も決して褒められたものではなく、手ひどい反撃を受けても仕方がないとも言えなくはなかった。しかしそれよって失われたのは十六万という途方もない数の命であり、『仕方がない』という言葉で片付けられる範囲を優に超えている。

 これが人間と異形との認識の差なのか……と思わず気が遠くなりそうになる中、フールーダの興味深そうな声が意識に入り込んできた。

 

「それでは、魂が封じ込められているという目的の宝玉が手に入った以上、そのアインズとやらはこれ以上動くことはないということかね?」

 

 フールーダの指摘に、この場にいる誰もが表情を明るくする。しかしジルクニフは無言のまま内心で疑問を渦巻かせた。

 確かに悪魔の魂を手に入れた以上、目的は達成したのだから骸骨がこれ以上の傍若無人な行動を起こす可能性は低いかもしれない。しかし骸骨が悪魔の魂を求めたそもそもの理由を思えば、決してこのままで終わるとは思えなかった。

 骸骨の最終的な目的は、恐らく大切な友人である悪魔を完全に蘇らせ取り戻すことだろう。ならばむしろ、残りの悪魔の肉体と精神を取り戻すために新たな動きを見せるのではないだろうか。

 確認するようにレオナールに目を向けてみれば、レオナールは困惑のような戸惑いのような複雑な表情を浮かべながら小さく首を横に振ってきた。

 

「……それは…はっきりとは分かりません。アインズは私の大切な友人です。またアインズも私のことを唯一無二の大切な友人だと思ってくれている。恐らく彼は私を取り戻して完全体にするためならば何でもするでしょう。……そして彼の臣下であるアルベド……女騎士が私の存在を知った以上、次は帝国に接触してくる可能性は十分に考えられます」

「「「……っ……!!」」」

 

 レオナールの言葉に、表情を明るくさせていた面々が顔を蒼白にして身体を強張らせる。ジルクニフ自身も顔色が悪く、何とか平静を装ってはいるものの心臓がバクバクと大きく鳴っているのをいやでも感じ取っていた。

 悪魔の“肉体”とやらだけでなく、あの恐ろしい異形の骸骨までもが、次は帝国に矛先を向けてくるかもしれない……。

 これまでにも既に何度もその可能性を検討し、そうなった場合の対策を講じてはきたが、いざその可能性が高いと言われるとやはり大きな衝撃と動揺と共に恐怖が湧き上がってくる。

 誰もが言葉なく黙り込む中、レオナールは少し考え込むような素振りを見せた後に遠慮気味にこちらに声をかけてきた。

 

「……もし、宜しければ……私がアインズとの仲介を務めましょうか?」

「……は……?」

 

 レオナールからの思わぬ申し出に、ジルクニフの口から素っ頓狂な声が零れ出る。

 しかしレオナールはそれを気にした様子もなく、ただ真剣な表情を浮かべてじっとこちらを見つめてきた。

 

「アインズの第一の目的は私でしょうし、私が赴けば帝国に対して何らかの過激な行動を起こす可能性は低くなるでしょう。むしろ私とあなた方が懇意にしていると分かればアインズとも友好的な関係を築けるかもしれません。……それに、元々私はここを去ったらアインズの下に行くつもりだったのです」

「……!! それは、何故……」

「完全体に戻りたいと願っているのは、何も“肉体”や“魂”だけではありません。私も元の完璧な状態に戻りたいと強く願っているのです。そしてアインズの下には、少なくとも私の“魂”がある。……あなた方も私と同じ立場なら、元の姿に戻りたい、元の状態に戻りたいと願うのではありませんか?」

「「「……………………」」」

「ですが私がここを離れても、もしかすれば“肉体”の方が帝国に迷惑をかけるかもしれない。私が仲介となってあなた方とアインズとを引き合わせ、これまでのことや現状について説明すれば、アインズも耳を傾けてくれるかもしれません。先ほども言ったように、アインズは決して邪悪な存在ではなく、話しの分かる男です。私が間に入れば帝国を悪いようにはしないはずですし、襲撃してくるかもしれない私の“肉体”に対しても何らかの助言や援助もしてくれるかもしれません」

 

 レオナールの言葉に、ジルクニフ以外の者たちが黙り込んだまま互いに顔を見合わせる。ジルクニフもまた、誰かに視線を向けることはしなかったが、口を引き結んで思考を素早く巡らせた。

 もし本当にレオナールの言っていることが全て本当で正しく、また彼自身の人となりや性格がこれまでと全く変わっていないのであれば、彼からの申し出は帝国にとっては非常にありがたいものだろう。逆に彼からの申し出を断ることは愚の骨頂と言えるのかもしれない。

 しかし一方で、やはりレオナールの言葉を信じきれていない自分も存在していた。

 彼が本当は邪悪な存在で、自分たちを騙しているのではないかと疑っている訳ではない。それ以前に『彼が悪魔である』ということ自体がどうしても未だに信じられないのだ。

 これまでの話は全てレオナールの言葉のみのもので、それ以外の何かしらの証拠は全く提示されていない。レオナールの姿形が変わったわけでもなければ、こちらに対する言動や態度も一切変わっていない。どこまでも、自分たちの知るレオナール・グラン・ネーグルという男そのものなのだ。これで、すぐさまレオナールが今までしてきた話全てを信じることのできる者など誰一人としていないだろう。

 ジルクニフは暫く思考を巡らせた後、考えをまとめてから改めてレオナールに目を向けた。

 

「……非常にありがたい申し出ではあるが、少し考える時間が欲しい。申し訳ないが、少し待ってもらいたい」

「……そうですか。畏まりました」

「それからもう一つ。これまで君が話してきたことを証明するものは一切ない。君の話が全て本当であるという、何か証拠のようなものを示してもらうことはできるだろうか?」

「……………………」

 

 ジルクニフの要請に、レオナールが再び口を閉ざして黙り込む。軽く瞼を伏せて小さく顔を俯かせる様は何かを考え込んでいるようにも見えて、ジルクニフは真っ直ぐにその様を見つめながら内心では疑問に首を傾げていた。

 レオナールとてこれほどの話をした以上、こちらから証拠を提示するように言われることは想定していたはずだ。どう考えても、そこに思い至らないような愚かな男では決してない。

 では何故ここまで考え込む必要があるのか……と疑問を深める中、不意に今まで俯いていた顔が上がり、金色の瞳が再びこちらに向けられた。

 

「……分かりました。私は“精神”なので本来の悪魔の姿になって見せることはできませんが、その“気配”を感じさせることはできます。あとは……レインの素顔をお見せすることもできます。ただ、どちらも皆さんにとっては少々刺激が強すぎるかと思いますので、覚悟はして頂ければと思います」

 

 真剣な表情と声音で言ってくるレオナールに、誰もが思わず大きく喉を鳴らす。再び強い緊張が襲ってくるのを感じながら、ジルクニフはこの場にいる全員を代表して大きくはっきりと頷いた。

 ジルクニフやバジウッドたちの覚悟を感じ取ったのか、レオナールは再び一度目を伏せてから次には隣に立つレインに視線を向ける。

 レインはレオナールの視線を受けて一度深く頭を垂れると、ゆっくりとこちらに向き直って被っているフードと仮面に手を伸ばした。こちらをなるべく驚かせないための配慮か、フードや仮面を取り外す動きもひどくゆっくりで、徐々に隠れていたレインの姿が露わになっていく。彼の隣ではレオナールが自身の右手の革手袋を外して指輪に手を伸ばしていたが、それよりもジルクニフたちはレインの素顔に目が釘付けになっていた。

 

「これで……少なくとも私が悪魔であることは証明されたはずだ」

 

 フードと仮面を取り去ったレインの姿は、まごうことのない異形のものだった。

 血の気の一切ない蝋のような白い肌と、深紅の瞳をもつ黒い目。両側のこめかみからは細長い角が生えて後頭部に向けて伸びており、こめかみから目元周辺までの肌のみが青白く染まって漆黒の鱗まで生えている。いつの間にか背中越しに黒く細長い何かが垂れており、まるで尻尾のようにゆらゆらと怪しく揺らめいていた。

 はっきりと悪魔だと分かる容姿に、ジルクニフたちは思わず再び大きく生唾を飲み込む。緊張のあまり口内も喉も乾き、唾を飲み込もうと動いた喉の粘膜が張り付くような感覚を覚えた。

 しかし彼らを襲ったのはそれだけではなかった。

 ジルクニフたちがレインにばかり気を取られている中、突然レインの横から凄まじい威圧感が放たれた。

 ハッとそちらに目を向ければ、そこにはいつも通りのレオナールが静かに椅子に腰かけてこちらをじっと見つめていた。

 しかしその細身から放たれる威圧感や存在感、強者の気配は相当なもので、目の前にいるというだけで全身が硬直して鳥肌が立つ。姿は何も変わっていないというのに、それでも容赦なく突き付けられる強者の風格と、それによって込み上げてくる本能的な恐怖。冷や汗が大量に溢れて全身を濡らし、身体が強張って身動きすることすらままならない。

 恐怖に屈して呑み込まれてしまいそうになる中、不意にレオナールが動き、骨張った細長い指に指輪がはめられたと同時にフッと今まで感じていた全ての気配が消失した。

 瞬間、今まで呼吸を忘れていたのか、一気に緊張が解けて口から肺へと空気が勢いよく流れ込んでくる。誰もが思わず少なからず咳き込み荒い呼吸を繰り返す中、ジルクニフは溢れ出てくる唾液を何とか飲み下しながら手の甲で頬を滑る冷や汗をグイッと拭った。未だ弾む心臓や呼吸を落ち着かせようと苦心しながら、チラッとレオナールに目を向ける。

 視線の先にいる男は右手に再び黒革手袋をはめている最中で、その顔には静けさのみが存在していた。あれだけのものを発していたとは到底思えないほどの……少しの興奮も激情もない、ただ静かで穏やかな表情。

 まるで本当にちょっとしたものを見せただけというような男の様子に、ジルクニフは一度大きく深呼吸すると、次には未だ少し引き攣る顔の筋肉をどうにか動かしてぎこちない笑みを浮かべた。

 

「……な、なるほど。よく分かった。これほどのものを見せられ、感じさせられては信じないわけにはいかないな」

 

 細心の注意を払って気を付けていたというのに、それでも声音が小さく震えてしまったことに内心で舌打ちをする。

 恐らくこちらが未だ感じている恐怖や緊張に気が付いているのだろう、レオナールが申し訳なさそうに眉尻を下げてきた。

 

「……どうやら皆さんを必要以上に威圧してしまったようですね。申し訳ありません」

「い、いや、証明してほしいと言ったのはこちらだ。君が謝る必要はない」

「それにしても……あんたのさっきの気配もそうだが、レインの姿には驚いたな。リーリエのお嬢ちゃんには異形の姿はないのか? それにあんたはレインの姿を見て何も思わなかったのか?」

「実は封印が解けてから今までで私がレインの素顔を見たのは、ついこの前が初めてなのですよ。私自身が悪魔の欠片の一つであると思い出すまで、レインは私にすらこの姿を絶対に見せようとはしませんでした。あと、リーリエはそれほど姿自体は変わりませんね。敢えて言うなら首が取れるくらいでしょうが……、それは流石に見ない方が宜しいかと思います」

「首が取れるっ!!?」

 

 呆れたような言葉を零すバジウッドに、謝罪のために下げていた頭を上げながらレオナールが小さな苦笑を浮かべてくる。続いて紡がれた言葉にニンブルが驚愕の声を上げるも気にした様子もなく、ただ苦笑を微かに深めるだけだった。

 どこまでも穏やかな男の様子を見つめ、ジルクニフは複雑な感情を胸に渦巻かせた。

 レオナールの言動だけを見れば、本当にいつもと変わらず、非常に好感も持てる。だというのに、その正体は異形であると問答無用で思い知らされ、何とも切ないような感情が湧き上がってきた。

 『できるなら彼が悪魔であることを知りたくなかった』とさえ考えてしまい、しかしジルクニフはすぐさま頭を振ってその考えを振り払った。

 

「私の要求に最大限応えてくれたことに感謝する。君からの申し出も前向きに検討するとしよう。……もう時間も遅い。良ければ部屋を用意するので、城に留まって休んでいくと良い。返事は明日伝えるとしよう」

「分かりました。それでは一晩、お世話になります」

 

 こちらからの申し出を断られなかったことに内心安堵しながら、しかしそれを面に出さないようにジルクニフは小さな笑みを浮かべて頷く。

 レオナールは一度深く頭を下げると、体重を感じさせない軽い身のこなしで椅子から立ち上がった。レオナールが立ち去る動きを見せたことで、レインもまたフードと仮面を取り付けて素顔を隠す。

 ジルクニフはテーブルに置いてある呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶと、レオナールたちを客室に案内するように命じた。

 レオナール率いる“サバト・レガロ”がいつものように優雅な一礼と共に部屋を出ていく。

 ゆっくりと扉が閉められ、部屋を静寂が包み込み、十秒ほど無言の時間が過ぎ去った後……この部屋に残ったほぼ全員が大なり小なり勢いよく息を吐き出して、身を大きく傾けた。まるで今まで全力で走っていたような、或いは今までずっと呼吸するのを我慢していたかのように、ぐったりとした様子で荒い呼吸を繰り返している。涼しい表情をしているのはフールーダと、意外なことにレイナースのみで、ジルクニフですら大袈裟な行動を起こしてはいないものの、フゥッと大きく息を吐き出して力なく椅子の背もたれに全体重を預けていた。

 

「何なんだよアレ……、ホント何なんだ……。一体何がどうなってやがる……!!」

 

 彼にしては珍しいことに、バジウッドが背もたれに上半身を預けて天井を見上げながら呻くように言葉を吐き出している。

 しかし彼の心情も吐き出した言葉も、その全てがこの場にいる全員と同じものだった。

 

「……陛下、“サバト・レガロ”を本当に信じても良いのでしょうか?」

「信じて良いはずがないだろう! 異形の……それも悪魔だったのだぞ!!」

 

 一人の秘書官が不安そうに問いを発し、それにもう一人の秘書官が声を荒げて否定する。

 二人の言葉どちらともがジルクニフも同意見であり、それ故に悩みが生じて頭が痛くなるようだった。

 

「……一つ一つ整理していく必要があるな。お前たちの意見も聞きたい。間違っていても構わん、何か思うところがあれば申せ」

 

 一つ息を吐いた後に声をかければ、この場にいる全員が居住まいを正して真剣な表情と共に大きく頷いてくる。

 ジルクニフもそれに大きく頷き返すと、自身も居住まいを正して小さく身を乗り出すように上半身を前に傾けた。

 

「まず、ネーグルがこの場で話してきた内容全てに関してだが……私はあれら全てが真実であると思っている。異論は?」

「ございません」

「私も真実であると思います」

「まぁ、レインの素顔も見せられたしな……。あれで全てが嘘だってんなら、俺はこの世の全てが信じられなくなりそうだぜ」

 

 この場にいる誰もが頷いてジルクニフの判断に同意を示す。加えて投げやりに紡がれたバジウッドの言葉に小さな苦笑を浮かべながら、ジルクニフは内心では全員が同意したことに取り敢えず一つ安堵の息を吐いていた。

 しかし問題はここからだ。

 

「では、異形である彼らについてだが……本当に信用できると思うか?」

「それは……やはり難しいのではないでしょうか?」

「異形を信用するなど言語道断です!」

「……異形は……特に悪魔は悪知恵が働く種族であると有名です。やはり何らかの罠なのではないでしょうか?」

 

 ジルクニフの問いに、まず口を開いたのは皇帝の秘書官である三人。彼ら全員が『信用するべきではない』という意見を発言してくる。

 一方、それに異議を唱えたのは四騎士やカーベインだった。

 

「ちょっと待て。異形だからって全部が全部悪い奴らだとは限らねぇだろ。少なくともネーグルは話の分かる奴だし、悪い奴じゃない」

「我らはカッツェ平野の折に彼らに命を救われており、彼らは私や騎士たちにとっての大恩人です。……ネーグル殿の言葉が正しければあの時の彼には悪魔の意識や記憶はなかったようですが、少なくともリーリエ殿には異形としての意識はあったはず。異形である彼女が我々を救ってくれたことには変わりありません」

「確かに、彼女の主人であるならば、ネーグルも邪悪な異形であるという可能性は低いか……」

「それに、我々を騙すことが目的であれば、もっとうまいやり方があったはず。わざわざ自分たちの正体を明かす必要はなかったはずです」

「そもそも“サバト・レガロ”はこちらに何も要求していません。何故、何のためにわたくしたちを騙そうとするのか説明がつきませんわね」

 

 次々と放たれる反論の言葉に、秘書官たちは誰もが苦々しい表情を浮かべて黙り込む。

 フールーダは無言のまま彼らの意見に耳を傾けており、ジルクニフもまた彼らの意見を聞きながら思考を巡らせた。

 ジルクニフとしてはどちらの意見も同意できるものであり、決して間違ったものではないと思えた。しかし、より説得力のある意見はどちらだと問われれば、それは四騎士やカーベインの意見の方だろう。

 

「双方の意見とも決して間違ったものではないだろう。しかし、バジウッドたちの意見の方が的を射ているように思う。確かに彼ら“サバト・レガロ”は我々に何かを要求しているわけでもなければ、ただ単に帝国から立ち去ろうとしていただけだ。ニンブルの言う通り、何かを企んでいるのなら他にももっと良い方法があっただろう」

 

 ジルクニフの言葉に、顔を顰めていた秘書官たちが渋々といった様子ながらも頷いて同意を示してくる。

 彼らとて自分たちの意見が悪魔という種族に対する一般的な知識や常識に当て嵌めたものに過ぎないことを十分理解していたのだろう。

 勿論そういった情報からの意見というのも非常に重要ではあるのだが、それでも今回の場合は“サバト・レガロ”やレオナール・グラン・ネーグルに対しての信用に関するものである。これは実際に彼らと接したことのある者たちの……交流のある者たちにしか分からない感覚的なものから導き出された意見の方が重要度は高かった。

 

「それでは陛下、ネーグル殿からの申し出をお受けになるのですか?」

 

 誰もが納得の雰囲気を漂わせる中、不意に今まで黙っていたフールーダが落ち着いた声音で問いかけてくる。

 一気に緊張が高まった室内の雰囲気に、ジルクニフは内心で小さなため息を吐きながらも小さく眉間に皺を寄せた。

 

「……申し出は受けた方が良いように思う。………いや、受けるほかない、というべきだろうな……」

「陛下、それは一体どういうことでしょうか?」

 

 神妙な表情を浮かべて言葉を紡ぐ皇帝に、秘書官の一人であるロウネが困惑の表情を浮かべて問いかけてくる。他の面々も無言ではあるが誰もが不思議そうな表情を浮かべており、ジルクニフは思わず大きなため息を吐き出した。

 

「考えてもみろ。もし本当に異形の骸骨や悪魔の“肉体”とやらが帝国を襲撃してきた場合、我が帝国にどれほどの防御や反撃ができるかも分からない。もしかしたら悪魔の“肉体”とやらの方であれば防御くらいはできるかもしれないが、異形の骸骨が相手だった場合は爺でも防御も反撃も難しいだろう」

「……申し訳ありません、陛下」

「いや、謝る必要はない。あの骸骨の力が異常すぎるのだ。……カッツェ平野での惨状から帝国軍を無傷で撤退させた“サバト・レガロ”がいたなら希望も持てただろうが、その彼らもまた異形であり、更には帝国を去ろうとしている。……強力な力を持つ彼らを手元に置くためには、あの異形の骸骨との仲介という役目で縛るしかないのだ」

 

 現在、帝国には異形の骸骨に抗する術は一切存在しない。有事の際に生き残るためには“サバト・レガロ”の存在は必要不可欠であり、その手を取るしか彼らを引き止めることができないのであれば、その手を取るために最善を尽くすほかない。

 ジルクニフの説明に、この場にいる誰もが顔を伏せて押し黙る。

 レイナース以外の四騎士やカーベインなどは自身の力不足を恥じているような表情すら浮かべており、彼らの様子にジルクニフは思わず小さな苦笑を浮かべた。

 

「だが、手を取らなくてはならない相手が“サバト・レガロ”で良かったと思うべきだろう。たとえ正体が悪魔や異形だったとしても、彼らの本来の性質が今のままであるならまだ希望が持てる」

「……そう、ですね……」

「……………………」

「お前たちの心配も良く分かるが、ここは“サバト・レガロ”を信用するほかない。勿論、これ以降も注意深く彼らの様子を観察し、少しでも怪しい動きがあれば対処していく必要はあるだろうが、帝国を存続させるためにはそれ相応の覚悟も必要だ」

「「「はっ」」」

 

 ジルクニフに諌められ、表情を曇らせていた秘書官たちが一様に頭を垂れる。

 彼らの話は“サバト・レガロ”を信じ、手を取る方向で進んでいき、しかしその裏でも何か自分たちにできることはないか、何か対策できることはないかとありとあらゆるトラブルを想定して引き続き意見を出し合っていく。

 彼らの話し合いは深夜まで続き、秘書官や四騎士たちが退室した後も執務室の明かりは消えることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、皇城にあるとある客室。

 メイドの案内によって客室に入った“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル――ウルベルト・アレイン・オードルは、誰にも気づかれないように一つ小さな息を吐いてから後ろに付き従っているレイン――ニグンとリーリエ――ユリを振り返った。

 

「取り敢えず、ここまでは順調だな。お前たちもご苦労だったね」

「恐れ入ります」

「ウルベルト様もお見事でした。皇帝や周りの者たちはウルベルト様の御手を取ることになるでしょう」

 

 ウルベルトからの労いの言葉にユリは恭しく頭を下げ、ニグンもまた頭を下げながら小さな笑みを浮かべる。

 ウルベルトはニグンの言葉に小さく首を傾げたものの、曖昧な笑みを浮かべて一つ頷いてみせた。

 

「そうであれば嬉しいがね。……まぁ、あちらにはパラダインもロックブルズもいる。何かあれば彼らが対処してくれるだろう」

 

 ウルベルトはもう一度だけ一つ小さなため息を零すと、次にはパンッと勢いよく両手を打ち鳴らした。

 

「さて、それではこの時間も有効活用するとしよう。ユリ、お前はナザリックに戻って未だ法国の戦後処理をしているペロロンチーノを手伝ってあげたまえ」

「畏まりました」

「ニグン、お前も元法国領土に戻って森妖精(エルフ)たちの指揮をとれ」

「畏まりました。……しかし、宜しいのですか?」

「構わないとも。この城には既に何体もの影の悪魔(シャドウデーモン)たちを潜伏させているし、朝方になれば再び〈転移門(ゲート)〉を使ってここに戻ってくればいい」

 

 ウルベルトの自信満々な表情と言葉に、ニグンも納得したのか再び頷いて頭を下げてくる。

 ウルベルトはナザリックに続く〈転移門(ゲート)〉を開いてユリを送ると、続いて元法国の神都に続く〈転移門(ゲート)〉を開いてニグンを送った。次に自身の影や部屋の影に潜んでいるシャドウデーモンたちに声をかけると、部屋の外で警護するように言い渡す。

 自身の影や壁や家具などの影から続々と這い出て外に出ていくシャドウデーモンたち。

 ウルベルトは暫くそれらを無言のまま見送ると、室内に悪魔の気配がなくなったことを確認してから漸く踵を返した。

 一直線に向かうのは、隣接している幾つもの別室の一つに存在する大きな寝台。天蓋付きのキングサイズの寝台は見るからに高級品で、しかしウルベルトはそれに一切目を奪われることも心を動かすこともなく、ただ力尽きたように勢いよく寝台の上にダイブして横たわった。うつ伏せの状態で寝台に横たわり、そのまま暫くの間微動だにしない。

 数分後、漸く動いたかと思えば『う~、う~…』と小さな呻き声と共にゴロゴロと寝台の上を左右に転げまわり、暫くすると再び力尽きたように動きを止めて横向きに寝台の上に寝転んだ。大きなため息を吐き出し、両手両足を力なく投げ出す。ウルベルトは暫くの間、目の前に投げ出された自身の両手を何とはなしに見つめると、次には何かに耐えかねたように首のみを捻って顔のみをシーツに伏せ、そのままゆるゆると首を振って顔をシーツに擦りつけた。

 

「あ゛ぁ゛ぁ゛~~……、本当に死ぬかと思った……」

 

 シーツに顔を突っ伏したまま愚痴のような言葉を零し、再びゴロンっと全身を動かして次には寝台の上に仰向けで大の字に横たわる。

 天蓋の天井を何とはなしに見つめながら、ウルベルトは先ほどの皇帝の執務室で行われていた会話をつらつらと思い返していた。

 

(……あぁ~、くそっ、こんなに堂々と嘘の演技をしまくったのなんて初めてだ……! 不自然なところがなかったら良いんだが……。)

 

 少しでも皇帝や四騎士たちに不審に思われてはいなかったか……とどうしようもなく不安が湧き上がってくる。これまで演技やロールプレイをしてきたことは数あれど、ここまで嘘で塗り固められたものは初めてだった。

 これまでウルベルトがしてきた演技はどれもが幾らか事実を織り込んだものばかりで、全てが作りものの演技をするのはこれが初めてだ。ロールプレイの方は口から出まかせの場合も多々あったものの、それは主にナザリックのモノたちに対してしてきたものであるため、その場を乗り越えられればそれでいいという軽さもあった。それらを考えれば、今回の演技は異例中の異例であり、ウルベルトにとってはとんでもない事態だ。事実が少しも織り込まれていない演技がここまで精神に負担をかけてくるものなのか……と逆に驚いてしまう。

 

「……まぁ、何かあってもパラダインやロックブルズが何とかしてくれるかな……」

 

 力なく言葉を紡ぎ、再び大きなため息を吐き出す。そんな風に考えなければ不安で仕方がなかった。こんなシナリオを考え出したデミウルゴス(息子)にすらちょっとした恨めしさを感じてしまいそうになる。

 ウルベルトはもう一度大きなため息を零すと、取り敢えず気分転換も兼ねてひと眠りすることにした。

 本当なら自分もこの空き時間を有効活用するべきなのだろうが、とてもそんな心境にはなれないし、その余裕もない。

 ウルベルトは大きく寝返りをうって横向きになると、際限なく湧き上がってくる不安を振り払うように瞼を閉じ、そのまま無理矢理意識を闇の底へと落していった。

 

 

 

 

 

 それからどのくらいの時間が流れたのか……――

 不意に浮上してきた意識を感じて、ウルベルトはゆるゆると閉じていた瞼を開いた。少しだけぼやける視界を瞬きすることでクリアにし、未だぼんやりしている意識を覚ますようにもぞもぞと身体を動かして寝台の上に上半身を起き上がらせる。人間としての名残で込み上げてくる欠伸を小さく零しながら、何とはなしに部屋を見回した。

 瞬間、不意に頭に糸が繋がったような感覚に襲われ、次には異形の声が寝ぼけている脳内に静かに響いてきた。

 

『――……ウルベルト・アレイン・オードル様、お休み中に申し訳ありません』

「……シャドウデーモンか、どうした?」

『フールーダ・パラダインとレイナース・ロックブルズが御目通りしたいと扉の前まで来ております。如何いたしましょうか?』

 

 シャドウデーモンの声が紡いだ二つの名前に、一気に纏わりついていた眠気が覚めていく。同時に心臓が小さく跳ねて、ウルベルトは思わず少しの間呼吸を止めた。

 遂にこの時が来たか……と奥歯を噛みしめ、緊張に両手を強く握りしめる。フゥ……とゆっくりと呼吸を再開させながら、ウルベルトは眉間に皺を寄せて顔を顰めた。

 恐らく二人は今回の会談について何かを報告するか何かを問うために来たのだろう。一体何を言ってくるのか想像するだけで恐ろしく、できるならこのまま会わずに済ませてしまいたい。

 しかし今後のことを考えれば勿論そんなことができる筈もなく、ウルベルトは仕方なく寝台の上から立ち上がった。少し皺が寄ってしまった服装を整えながら寝室を出てメインルームに足を踏み入れる。

 一番大きく上等な寝椅子(カウチ)に勢い良く腰を下ろすと、長い足を組みながらため息交じりに未だこちらの言葉を待っているシャドウデーモンに声を発した。

 

「分かった。部屋に通せ」

『畏まりました』

 

 ウルベルトの命を受け、〈伝言(メッセージ)〉が切れた後に外の廊下に続く扉が独りでに開いていく。

 椅子に腰かけたままそちらに目を向ければ扉の前にはフールーダとレイナースが立っており、視線がかち合った感覚と同時に二人が素早い動作で室内に足を踏み入れてきた。

 扉は二人が部屋に入ったと同時に再び独りでに閉まり、小さな施錠の音のみが響いて消える。

 ウルベルトが無言のまま彼らを見つめる中、フールーダとレイナースは真っ直ぐにこちらに歩み寄ると、そのまま床に敷かれた厚手の絨毯の上に片膝をついて深々と頭を垂れてきた。

 

「このような夜分に申し訳ありません。拝謁をお許し下さり、誠にありがとうございます」

「いや、構わない。先ほどの会談の後に行われた話し合いについて報告しに来てくれたのだろう?」

 

 顔には優雅な微笑を貼り付けて余裕ある態度を装ってはいるが、心臓は不安と緊張でバクバクと大きく脈打っている。

 一体何を言い出すのか……と内心固唾を呑んで彼らの言葉を待つ中、幸いなことにこちらの内心には全く気が付いた様子のないフールーダとレイナースが傅いた状態のまま垂れていた顔を上げてこちらを真っ直ぐに見上げてきた。

 そして二人の口から語られた内容に、ウルベルトは内心で大きな安堵の息を吐いた。

 フールーダとレイナースの話によると、ジルクニフたちはどうやらこちらの申し出を受ける形で話を進めているようだった。未だこちらを信用しきってはいないようだが、こちらの正体をある程度明かしたのだ、それでもこちらの手を取ることを選んだだけでも上々であると言えるだろう。一度こちらの手を掴んだのなら、後はいくらでもやり様はある。慎重に事を進めていく必要があることは変わりないが、取り敢えずは一つの段階を無事に乗り越えることができたことに内心で安堵の息を吐き出した。

 

「ご苦労だったね、二人とも。……しかし最終的な目的は帝国を含めたこの世界を掌握すること。手始めに帝国を支配下に置けるよう、これからもお前たちの働きに期待しているよ」

「ははぁっ、お任せくださいっ!!」

「御身の仰せのままに」

 

 大袈裟に再び頭を下げて額を絨毯に擦りつけるフールーダと、胸の上に片手を添えて深く頭を垂れるレイナース。

 ウルベルトは対照的な二人の姿を暫く眺めた後、徐に声をかけて頭を上げさせると、そのまま今後についての意見を聞くべく言葉を交わし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして明朝。

 再び皇帝の執務室に呼ばれた“サバト・レガロ”は皇帝から直々にアインズなる異形への仲介を頼まれた。

 必死にこちらを繋ぎ止めようと言葉を尽くしながらも注意深くこちらを見つめる皇帝に、悪魔は曇りのない真摯で透き通った表情を顔に貼り付けながら、その下では黄金色の異形の瞳を怪しく細めるのだった。

 

 


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