世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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またまた今回も少し(?)長めとなっております!
お暇な時にでも読んで頂ければ嬉しいです(深々)


第84話 支配者

 帝国軍が完全撤退した後のカッツェ平野では、今もなお惨劇の宴が続いていた。

 じわじわと……しかし確実に地面を侵食して広がり続けている黒の沼。多種多様なアンデッドたちが沼から際限なく這い出ており、逃げ惑う王国の兵たちに襲いかかっては多くの悲鳴を響かせている。立ち向かおうとする者は誰一人としておらず、ただただ生存本能からくる衝動のままに死に物狂いで逃げ続けていた。

 王国軍の最高戦力と言っても過言ではない戦士長ガゼフ・ストロノーフもまたランポッサ三世をその背に負ぶってエ・ランテルに向けて必死に足を動かしていた。

 もし相手が個の強者であったなら、ガゼフは王の守りは戦士団の兵たちに任せて自分は一人この場に残って殿を務めていただろう。

 しかし今回の場合は個の強者ではなく数の暴力が相手である。これでは如何にガゼフが殿として頑張ったところで限界があり、王の安全は危うく、容易く危険に陥りかねない。

 王の身を第一に考えるならば、一緒に逃げてすぐ傍でその身を守る方が何より確実だった。

 

「王よ、大事ありませんか? 苦しくなどはなっておりませんか?」

「いや、私は大丈夫だ。こちらこそ、そなたには苦労をかけてすまぬが……」

「いえ、大したことはありません。もうすぐエ・ランテルに着きます。どうかもう暫く御辛抱ください!」

 

 人の背にずっと負ぶさっているという状態は……特にランポッサ三世は高齢なこともありかなり身体的に負担が大きいはずだ。普通に考えれば馬に乗って移動した方が速く、またランポッサ三世の身体にも負担をかけずに済ませられるだろう。しかし馬に乗って逃げようとしていた貴族の何人かが翼を持ったアンデッドに上空から襲われた光景を目の当たりにして、急遽馬での移動は断念してガゼフが王を背負うことにしたのだ。

 王を背負ったガゼフを中心に、周りを戦士団の兵たちが囲んで守りながらエ・ランテルへと急ぐ。戦場の至る所では絶えず多くの悲鳴が響いていたが、彼らは決して走る足を止めることはしなかった。

 

「――……ストロノーフ様っ!!」

「っ!! ……クライム、無事だったか!」

 

 休まず足を動かす中、不意に聞こえてきた呼び声にガゼフはそちらを振り返った。

 白銀の全身鎧(フルプレート)を身に纏った少年の姿が視界に映り、思わず小さな安堵の笑みが顔に浮かぶ。こちらに駆けてくるクライムは全力で走っているためか汗だくになって疲労の色も濃く出てはいたが、ざっと見た限りでは怪我などはしていないようだ。

 クライムはガゼフと並行して走りながら、一度ガゼフの背にいるランポッサ三世を見上げて一礼し、再びガゼフに目を戻した。

 

「ストロノーフ様、これは一体何が起こっているのでしょう……。このままでは王国軍全体に大きな被害が出てしまいます。……いえ、既に相当な被害が出ているはずです!」

 

 焦燥の色を濃く浮かべながら言い募ってくるクライムに、ガゼフもまた苦い表情を浮かべながら一つ頷いた。背に負う王も苦い表情を浮かべているのが何となく気配で分かる。

 クライムの言う通り、今の状況は最悪の一言に尽きた。

 あの異形の軍勢や今起こっている事態が一体何であるのかは不明で未だ検討もつかない。しかし今も絶えず響く悲鳴や周りで逃げている兵たちの様子や数から、既に相当な被害が出ていることはいやでも分かった。もしこのまま無事に逃げ延びられたとしても、王国の力は大きく弱まり、近い未来相当な苦難が待ち受けていることだろう。帝国軍も同様の被害を受けていたならまだ事態も変わってくるのかもしれないが、あちらには“サバト・レガロ”がいるだろうから望みは薄いような気がした。

 しかし何はともあれ、今はとにかく生き延びることが何よりも先決だ。

 沈みそうになる感情を振り払ってクライムに声をかけようとしたその時、不意に聞き覚えのある高い声が聞こえてきてガゼフやクライムたちは反射的にそちらを振り返った。

 

「――……ストロノーフ様……!」

「クライム、お前も無事だったか!」

「ガガーランさん! それに“蒼の薔薇”の皆さんも……!!」

 

 振り返った先にいたのは“蒼の薔薇”の少女たち。

 その中には何故かイビルアイの姿だけがなかったが、それ以外のメンバーは全員が小さな安堵の表情を浮かべながらこちらに駆け寄ってきた。

 

「陛下、ご無事で良かったです!!」

「そなたたち……、冒険者であるそなたたちが何故ここに……」

「実は今回の戦に少し思うところがありまして……カッツェ平野を望めるあちらの丘の上で戦の様子を見ていたのです。冒険者は本来人間同士の争いには参加しないのがルールですので、こちらに伺うつもりはなかったのですが……」

「だが、見てたら謎のアンデッドが出てきてこんな状況になっちまってるだろう……。相手がアンデッドならってことで、俺たちも来たわけだ。まぁ、逃げるちょっとした手助けくらいしかできねぇだろうがな」

「いえ、決してそのようなことはありません! ガガーランさんたちがいらっしゃるだけでとても心強いです!」

 

 ラキュースの言葉に付け加えるように話すガガーランに、クライムから少しホッとしたような力強い声が飛ぶ。

 少年の純粋な反応にラキュースは少しだけ表情を緩めると、しかしすぐに表情を引き締めて再びランポッサ三世とガゼフに目を向けた。

 

「陛下、ストロノーフ様、既にイビルアイに転移でエ・ランテルに行ってもらい、現在カッツェ平野で起こっていることを都市長や冒険者組合(ギルド)に知らせてもらっています。恐らく……少なくともエ・ランテルの都市長は何らかの対処に動いてくれているでしょう。ここは何とかエ・ランテルまで無事にお逃げ下さい!」

「殿の方は私たちが務める」

「王様や戦士長たちは真っ直ぐエ・ランテルまで逃げるべき」

「……分かった、そなたたちの助力に感謝する。そなたたちも必ず無事に戻ってくるのだぞ」

 

 “蒼の薔薇”の面々に促され、ガゼフの背にいる王もまた大きく頷きながら彼女たちに声をかける。

 ラキュースたちは一瞬笑みを浮かべると、次にはすぐに顔を引き締めて大きく頷き、踵を返して後方に走り去っていった。恐らく未だ後ろの方で逃げ遅れている者たちを少しでも助けようとしているのだろう。

 彼女たちの助力に心の中で感謝しながら、ガゼフは再びエ・ランテルの方角に目を向けた。背にいる王を改めて背負い直し、更に駆ける足を速める。

 数十分後、漸くエ・ランテルに到着したガゼフたちは都市長であるパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアに迎えられ、すぐさま都市長の屋敷の隣にある貴賓館に案内された。

 戦前の会議に使われていた大広間に案内されれば、そこには既に逃げ延びていた貴族の何人かがすっかり焦燥した様子で椅子に座っている。誰もが薄暗い中で恐怖に耐えるように顔をうずめる中、部屋の片隅には戦場の最前線にいた筈のバルブロの姿もあった。

 あの場所からどうやって無事に逃げてこられたのかとガゼフは思わず驚愕の表情を浮かべる。しかし王が純粋に息子の無事を喜んでいる様子に、ガゼフは疑問に開きそうになる口を意識して閉ざした。

 バルブロの方はと言えば、大きく顰めた顔を背け、ひたすら口を閉ざして黙り込んでいる。

 果たして自責の念を感じているのか、はたまた何かまたよからぬことでも考えているのか……。

 ガゼフとしては前者であってほしいと願わずにはおれなかったが、しかしそれが難しい願いであるとも感じていた。

 一体これからどうなるのか……大きな不安が込み上げてきて自然と眉間に皺が寄る。

 誰もが憂鬱な空気を漂わせる中、不意に扉がバンッと大きな音を響かせながら外側から勢いよく開かれた。突然の大きな音に誰もが驚きと共に扉を振り返り、そこから姿を現した人物に更に全員が驚愕に目を見開いた。

 

「……はぁ、陛下……ご無事でしたか……」

「レエブン侯……、そなたも無事であったか……」

 

 開かれた扉から姿を現したのはレエブン侯。

 身に纏っている重装鎧はあちこち土や血に濡れ汚れており、いつもきっちりとセットしている金色の髪はぼさぼさに乱れ、青白い顔には強い焦燥と疲労の色が浮かんでいる。しかしそれでもこちらの無事に安堵の息を吐く男に、こちらも自然と小さな笑みを浮かべて安堵の息を吐き出した。

 緊迫して鬱々としていた空気が少しだけ軽くなり、自然とこの場にいる者たちの顔色も少しだけ明るくなる。

 しかしレエブン侯はすぐに顔を引き締めると、厳しい表情を浮かべて一歩ランポッサ三世へと歩み寄った。

 

「陛下、お疲れのところ大変申し訳ありませんが、すぐにでも今回の事態についての対処を考えなくてはなりません」

「……………………」

「あの異形たちの目的が何であるのかは未だはっきりとは分かりませんが、我々がエ・ランテルまで引けば終わり……となる可能性は限りなく低いでしょう。恐らく何らかの要求をしてくるか……最悪、このままエ・ランテルへの侵攻を開始してくる可能性とてあります」

 

 レエブン侯の指摘に、この部屋にいる貴族たちの誰もが大なり小なり焦りの表情を浮かべて騒めく。

 誰もがその可能性を考えなかったわけではないだろうが、やはり言葉に出すのと出さないとでは雲泥の差が出てくる。

 レエブン侯が言葉に出して現状を話したことで、否が応にも実感が襲いかかり、誰もが蒼白にした顔を見合わせた。

 

「あの異形の骸骨は王子が戦場に持ち込んだ悪魔の至宝について言及しておりました。少なくとも、あの至宝を渡さない限り異形たちの侵攻は続く可能性が高いと思われます。……王子」

「……っ……! な、なんだ……!?」

「悪魔の至宝はまだ持っていらっしゃいますか?」

「……あ、ああ……ここにあるが……」

 

 レエブン侯からの問いかけにバルブロは戸惑った表情を浮かべながらも、懐に手を入れて手のひら大の宝玉を取り出す。その手には青緑色の美しくも怪しい宝玉がしっかりと握り締められており、この場にいる誰もが無意識にゴクリ……と生唾を呑み込んだ。脈打つように振動を発するその宝玉はいつ見ても恐ろしく不気味に感じる。

 許されるならばすぐにでも王子の手からその宝玉を奪い取ってどこへなりとも投げ捨ててしまいたい……。

 そんな衝動が湧き上がってくるのをガゼフが必死に抑え込んでいる中、レエブン侯も嫌悪の視線を宝玉に向けながら苦々しく唇を歪めた。

 

「……逆に考えれば、この宝玉があれば異形たちと上手く交渉ができるかもしれません。……陛下、場合によってはこの宝玉を異形たちに渡すことになってもよろしいですね?」

「なっ! レエブン侯、一体何を言っているっ!!」

「……ああ、それで王国の民たちを救えるのであれば、仕方あるまい」

「父上っ!?」

 

 レエブン侯とランポッサ三世の言葉が信じられないとばかりにバルブロが目を見開いて声を荒げてくる。

 しかし二人の判断は妥当であり、ある意味それ以外の選択肢がないとも言えた。

 確かに誰がどう考えても強大な力を宿していることが分かる宝玉を強力な異形のアンデッドに渡すなど愚の骨頂だろう。下手をすれば異形たちに更なる力を与え、こちらの反撃できる可能性を更に狭めてしまいかねない。しかし現状ですら自分たち王国側にあの異形たちに対抗する術はなく、このまま手をこまねいていては多くの王国民が害されるかもしれない。今この時を乗り越えるためには、苦渋の選択も致し方ないことだった。

 誰もが納得したような態度を見せたことでバルブロも何も言えなくなったのだろう、悔しそうな苦々しい表情を浮かべて黙り込む。

 再び緊迫した重々しい空気が室内に漂う中、不意に再び扉からドンッドンッという激しいノックの音が響き、こちらの返答を待たずに扉が外側から勢いよく開かれた。

 何事かと誰もが扉を振り返れば、そこには都市長のパナソレイが両肩で息をしながら汗だくの状態で立っていた。

 

「パナソレイ、そのように慌てて如何した?」

「へ、陛下! 外を、外をご覧ください!!」

 

 パナソレイは普段、そのブルドッグによく似た丸く禿げた顔やふくよかな体型といった容姿を存分に活かし、間抜けな人物像を演じることが多い。

 しかし今はそんな態度を取り繕う時間も惜しいとばかりにかなぐり捨て、必死の形相で外を見るように声を張り上げてきた。

 いつにない鬼気迫るパナソレイの様子に、王だけでなくこの場にいる誰もが部屋に備え付けられている大きな窓に歩み寄って外を覗き見る。そしてそこにあった“存在たち”に誰もが驚愕に目を大きく見開いて息を呑んだ。

 

『リ・エスティーゼ王国の王族、貴族、そしてエ・ランテルの人間どもよ。我らは至高なる御方の先触れとして参った。至高なる御方の尊きお言葉を聞くがよい』

 

 彼らの視線の先にいたのは見たことのない化け物。

 エ・ランテルの上空を漂う“それら”は150センチほどの黒い靄のような姿をしており、靄の中には様々な種族の顔が浮かんでは消えるを繰り返していた。どの顔も大きな苦痛を訴えるような表情を浮かべており、その口からは啜り泣きや怨嗟の声、苦痛の悲鳴や断末魔の喘ぎ声などが発せられている。しかし一方で紡ぎ出される言葉の声は朗々として抑揚がなく、感情が一切宿っていないように聞こえるため更に不気味さを強調していた。

 上空を漂っている数は四つ。

 それらが泣き声や悲鳴などを撒き散らしながら、“至高なる御方”とやらの言葉を順々に紡いでいった。

 

『至高なる御方は対話を望まれている』

『至高なる御方の求めし宝玉を手に、直ちに門を開け』

『いらぬ時間稼ぎは至高なる御方をご不快にさせるだけと心得よ』

『至高なる御方の御慈悲を賜りたくば、疾く道を開け』

 

 淡々と……まるでこちらに言い聞かせるように声を響かせる異形の真意は果たして忠告か、それとも脅しか。

 どちらにせよこちらに選択肢などなく、困惑と恐怖を綯い交ぜにした表情を浮かべる貴族たちが振り返る先に立つランポッサ三世は覚悟の表情を浮かべて一つ頷いた。

 

「……やることは決まったな。パナソレイ、すまないが“至高なる御方”なるモノを招く部屋を一つ用意してもらえるか?」

「か、畏まりました、陛下」

「それから、こちらに歯向かう意思がないことをあちらに知らせる必要があるな。であれば……」

「陛下、その役目、どうか私にお命じ下さい」

「……戦士長……」

 

 王の言葉を遮り、ガゼフが名乗りを上げる。

 ランポッサ三世にとっては思いがけないことだったのだろう、驚いた様子で半ば呆然と見開いた目でこちらを見つめてくる。ガゼフは強い光を宿した双眸で真っ直ぐに王を見つめながら、覚悟を決めるように誰にも気づかれないように強く拳を握り締めた。

 相手にこちらの意思を伝えるというこの役目は危険度が非常に高く、見せしめに殺される可能性すらある。普通に考えれば、戦士長であるガゼフが引き受けるべきものでは決してないだろう。しかしガゼフはどうしてもこの役目を引き受けたかった。

 こちらの意思を伝えるということは、相手の異形に誰よりも早く至近距離で相見えるということだ。それは王の安全を第一に考えるガゼフにとっては非常に重要なことだった。至近距離で相手に会えれば、その力量や思惑など細かいことは分からなくとも、少なくとも相手がどんなに危険な存在であるかは確認できるはずだ。そして相手を少しでも見極めるためには、鋭い観察眼が必要となる。平時での人を見極めるという能力についてはまだまだ未熟だと自覚しているガゼフではあったが、一方で緊急時での敵になり得る存在に対する観察眼や戦士としての勘は鋭い方だとは自負している。ならばこの役目は自分でなくてはならない、とガゼフは強くそう信じていた。

 しかしガゼフのことを大切に思っている王が、それを素直に受け入れる筈もなかった。

 

「戦士長……、何を言っている。これは非常に危険な役目なのだぞ」

「であればこそ、この私が行くべきです。私であれば無事に戻って来られる可能性は高まりましょう」

 

 本音ではガゼフ自身まったくそうは思っていなかったが、王を安心させるために敢えてそう言ってみせる。

 あの異形たちが本気になれば、相手がガゼフであっても一瞬で殺されてしまうだろう。しかしそれは言い換えれば、使者が誰であったとしても異形たちが本気になれば結末は同じであるということだ。ならばやはり、少しでも相手のことを知るためにガゼフ自身がこの役目を担った方が良い。

 それにガゼフは自分自身も良く分からないが、何故かあの異形たちは使者を殺すようなことはしないだろうと確信を持っていた。

 何の根拠もない、ただの勘でしかなかったが、それでも自信をもって断言できる。だからこそ王を安心させるために笑みすら浮かべてみせた。

 

「陛下、どうかご安心ください。必ず御身の元に戻って参ります」

「戦士長……。……はぁ、そなたがそこまで言うのだ、その言葉を信じるとしよう」

「ありがとうございます!」

 

「お、お待ちを! どうかお待ちください、陛下、ガゼフ殿!」

 

 王が根負けして一つ頷き、ガゼフがそれに頭を下げる。

 しかしその時、今までこちらのやり取りを黙って見つめていたレエブン侯が焦ったように声を上げた。こちらを止めようと身を乗り出してくるレエブン侯に、ガゼフは無礼な行いだとは承知しつつも殺気交じりの強い視線をレエブン侯に向ける。瞬間、レエブン侯は狙い通りにガゼフからの強い視線に気圧されて咄嗟に口を閉ざして黙り込んだ。しかしそこは流石は六大貴族の一人というべきか、すぐに気を取り直して再び口を開こうとするレエブン侯に、ガゼフは彼が言葉を紡ぐその前に王に視線を戻して大きく頭を下げた。

 

「それでは陛下、行って参ります」

「……しっかりとこちらの意思を伝え、無事に戻って参れ」

「はっ、畏まりました!」

 

 王が正式に命じたことで、レエブン侯は反論することが出来なくなって苦々しい表情を浮かべて黙り込む。

 ガゼフは内心でレエブン侯に謝罪しながらもう一度王に頭を下げると、すぐさま踵を返して部屋を出て真っ直ぐに外の扉へと向かっていった。

 都市長の敷地内から街へと出てみれば、先ほどまで上空にいた異形の姿は既に無く、まっさらな青空のみが広がっている。しかし街はすっかり静寂に包まれ、人の影すらも一つも見当たらなかった。恐らく突然の異形の出現に街の人々は怯えて家の中に逃げて籠ってしまったのだろう。

 ガゼフは一つ小さく息を吐いて気を引き締めると、真っ直ぐに都市外に続く門に向かって足を踏み出した。

 門までの道中、何とか命からがら逃げてきたのだろう民兵たちの姿が徐々に視界に映り込み始める。

 その数は一見多いようにも見えたが、しかし元々いた人数を考えればひどく少ないものだった。

 ある者は地面に座り込み、ある者は建物の壁に背中を預けて項垂れている。彼らは一様に悪夢に怯える幼子のように身を縮み込ませて頭を抱えていた。

 何人もの民兵たちの間を縫うように歩き、ガゼフは無言のままカッツェ平野に出る門へと向かう。

 目的の門に歩み寄れば門の両脇にはエ・ランテルの守備隊であろう兵が立っており、彼らは近づいてくるガゼフの存在に気が付くと、不安の色を濃く浮かべた顔をこちらに向けてきた。

 しかしガゼフは彼らを安心させてやれる術を持っていない。

 自身の力不足を心苦しく思いながら、ガゼフは馬を一頭用意してくれるよう兵に頼んだ。

 声をかけられた兵は弾かれたように何度も大きく頷くと、全力疾走で馬のいる場所に駆けていく。そして数分後、兵が連れてきた馬にガゼフは素早い身のこなしで飛び乗ると、自分が戻ってくるまでしっかり門を守るように言い置いてから開かせた門の隙間から外へと出た。

 背後で門が閉まり錠がかけられる重々しい音が聞こえてくる。しかしガゼフは一切後ろを振り返ることなく、ただ目の前に広がるカッツェ平野をぐるりと大きく見渡した。

 彼の視界に広がっていたのは、数十分前に見た光景とは全く違うものだった。

 大きく広がっていた黒の沼は既に無く、青白く光り輝いていた十字の光も、黒に近い灰色の巨大な要塞の姿もどこにもない。また地面に多く転がっていただろう王国兵の死体すら一つもなく、全てが跡形もなく消え、今朝見たものと同じ霧の晴れたカッツェ平野の光景のみが広がっていた。

 先ほどまでの惨状がまるで全て夢であったかのように何一つとして残っていない。

 しかしそんな中でも一つだけ、いつものカッツェ平野にはないものが存在していた。

 それは美しい青紫色の巨大な布で作られた一つの天幕。金色の糸で細かい刺繍が施されているその布は、微かな風にすら優雅に揺らめき、太陽の光を反射してキラキラと美しく輝いている。

 どう考えても天幕などに使うなど勿体ないだろう代物。

 遠目から見ても圧倒的な存在感を醸し出している巨大な天幕に、ガゼフは一つ深呼吸して気を引き締めると、手綱を握る手に力を込めて馬の脇腹を蹴った。

 ガゼフの合図に従い、馬が速足で真っ直ぐに天幕へと歩み寄っていく。

 距離が近づくにつれ緊張が高まり鎧の下で冷や汗が流れる中、ガゼフは天幕から一つの黒い影が出てきたのを見てとった。咄嗟に馬を停止させ、その場に佇んだまま影を凝視する。

 徐々に近づいてくるその姿はどうやら漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏った人型のようで、漆黒の馬に乗ってこちらに駆けてきているようだった。

 一見人間のように見えるその姿に、しかし正体は決して人間ではないのだろう。近づいてくるにつれて感じ取れる圧迫感や、何より自分たちよりも大きな体躯にガゼフはこの影もまた異形なのだと確信を持っ

 

『我は至高なる御方に仕えるモノ、死の騎兵(デス・キャバリエ)である。貴様はエ・ランテルからの使者で相違ないか?』

 

 漆黒の一角獣に騎乗する黒騎士から問われ、本能的な恐怖に襲われてブワッと全身に鳥肌が立つ。ガゼフは気圧されそうになっている自分自身に内心で活を入れると、気力を奮い立たせて何とか頷いて返した。

 デス・キャバリエと名乗った異形はガゼフの様子に気が付いているのかいないのか、ただついてくるように言うと、次には天幕に向けて馬首を返してそのまま走り去っていく。

 どんどん遠ざかっていく黒い背に、ガゼフは慌ててその後を追いかけた。

 天幕との距離が近づくにつれ、天幕の後ろにも多くの異形の騎士たちがいることに気が付いて全身から大量の冷や汗が溢れるのを感じる。また、天幕へと向かう途中、ガゼフが乗っていた馬がまるで恐怖に耐え切れなくなったように怯えて暴れ出してしまったため、ガゼフは馬の背から何とか飛び降りて徒歩で天幕まで向かうことになった。前を先導する黒騎士の背を追いかけながら、着実に天幕までの距離を縮めていく。

 やがて目の前まで来た目的の天幕は、前が大きく開け放たれて中が容易に覗けるようになっていた。

 天幕の中にあったのは漆黒の玉座。

 黒曜石のような輝きを放つ攻撃的なデザインの玉座の上には漆黒のローブを身に纏った異形の骸骨が腰かけており、その傍らには漆黒の女騎士が控えるように立っていた。

 

「よくぞ参られた、王国の使者殿。私は“アインズ・ウール・ゴウン”の一人、アインズという」

 

 不意に骸骨から声をかけられ、思わず気圧されて息が喉に詰まる。しかしガゼフは何とかそれを飲み込むと、背筋を伸ばして挑むように骸骨を強く見据えた。

 

「お初にお目にかかる、リ・エスティーゼ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフと申します。この度は対話をお望みとのことで、私が案内役を仰せつかりました」

「ほう、戦士長殿ほどの者を案内人として遣わしてくれるとは恐れ入る。王国の計らいに感謝しよう」

「……感謝……? ……あっ、いえ、し、失礼しました……!!」

 

 何故案内役が自分で礼を言われるのか分からず思わず疑問の声を零す。

 しかしすぐに我に返って謝罪すると、ガゼフは気を取り直すために一つ小さな咳払いを零した。

 

「そ、それではエ・ランテルまでご足労頂いてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わないとも。アルベド、準備せよ」

「畏まりました、アインズ様」

 

 骸骨の指示に、アルベドと呼ばれた漆黒の女騎士が恭しく頭を下げる。優雅でありながら一切隙のない身のこなしでこの場を去る女騎士を見送り、どうやら今のところ殺されることはないようだと内心で安堵の息を吐き出した。殺されないだろうと確信を持ってはいても、やはり少し不安だったのも事実。思わず緩みそうになる緊張感に、しかしガゼフはすぐに気を取り直すと、自分にとっての第一の目的を果たすべく改めて骸骨の異形に目を向けた。

 漆黒の玉座に腰かけている骸骨は暴力的なまでの強大な威圧感を放っていながらも、その振る舞いはどこまでも静かで威厳に満ちたものだった。

 その身に纏う漆黒のローブは滑らかで美しく、白骨の頭に乗せられている冠は黒一色でありながらも小さな光をも反射して幾つもの宝石に彩られているかのようにキラキラと美しく輝いている。左の薬指以外の全ての指に見事な指輪を填めており、その手に握られている黄金の(スタッフ)も見事の一言に尽きる逸品。まるで世界中の富をすべて集めたかのような豪華絢爛な姿は、正に全アンデッドを統べる死の王であると言わんばかりの威風を放っていた。

 

 

 

「アインズ様、全ての準備が整いました」

 

 骸骨の異形が持ち得ているであろう富や地位や力に思わず圧倒される中、不意に聞こえてきた女の涼やかな声に、ガゼフはハッと我に返った。

 どうやら知らぬうちに骸骨の放つ気迫に呑まれてしまっていたようだ……。

 自身の体たらくさに内心で大きく舌打ちをしながら、ガゼフは女の声が聞こえてきた背後を振り返った。

 そこには漆黒の女騎士が片膝を地面について深々と頭を垂れている。そして女の背後にはデス・キャバリエと名乗ったモノと同じ存在たちが綺麗な列を作って立っており、更にその中心には炎を纏った白骨化した馬が引く漆黒の馬車が鎮座していた。

 漆黒の車体は金色の装飾が至る所に施されており、一目で超高級品であることが分かる。中は濃い深紅のクッションが敷き詰められており、とても座り心地が良いだろうことが窺い知れた。しかしその車体の形は普通のものとは非常にかけ離れたものだった。アルベドが用意した馬車の車体は壁が四方を囲っている普通のものではなく、天井と床はあるものの、車体の前半分の上半分の壁が存在せずに馬車に乗っている者の姿が外から丸見えになっているものだった。

 あまり見たことのない車体の形に、ガゼフは思わず呆気にとられて馬車を見つめる。

 しかし異形の骸骨は少しも驚いたような素振りは見せず、さっさと玉座から腰を上げて馬車の下へ歩み寄っていった。

 骸骨が馬車に乗り込めば、アルベドが傅いていた状態から立ち上がり、それと同時に馭者のいない馬車が独りでに動き出す。誰に命じられるまでもなく歩き始める炎を纏った白骨の馬に、周りを囲むようにしていたデス・キャバリエたちもゆっくりと動き始めた。

 

「何をしているの、人間。案内人ならば、さっさと前を歩いて先導しなさい」

 

 驚愕のあまり再び呆然となるガゼフに、漆黒の女騎士が底冷えする声音で冷たく命じてくる。

 ガゼフはその声に漸く我に返ると、慌てて目の前の行列の先頭へと駆けていった。途中までは徒歩で彼らを先導し、途中からは暴れてガゼフを振り落とそうとした馬を再度捕まえて背に飛び乗る。未だ背後に異形の軍勢がいるため馬は怯えて逃げようとしたが、その度に何度も宥めすかして何とか言うことを聞かせる。

 やがてエ・ランテルの門の前まで辿り着くと、閉められている門を見上げてガゼフは門を開けるように声を張り上げた。

 しかし門は何の反応も示さず、ピクリとも動かない。まるでこちらを拒絶するかのような様子にガゼフは湧き上がってくる焦燥と共に再び口を開きかけ、しかし再度声を張り上げる前に門がゆっくりと内側から開かれた。

 ギギィ……という軋んだ音と共に徐々に広がっていく右扉と左扉の間の隙間から、エ・ランテルの街並みが姿を現す。あれほどいた民兵たちの姿は一つもなく、閑散とした街の様子にガゼフは一度深呼吸した後に馬の脇腹を軽く蹴った。

 ゆっくりとした足取りで街の中へと足を踏み入れるガゼフに、異形の行列もその後に続く。

 ガゼフを先頭に街の中へと進んでいく異形の列に、ガゼフはふと周囲から多くの視線が自分たちに向けられていることに気が付いた。チラッと視線だけで周りを見てみれば、家々の窓にかけられているカーテンの隙間から多くの目がこちらを覗き込んでいる。彼ら彼女らの目は驚愕と恐怖の色を宿して異形の列を見つめており、そして不安と苛立ちの色を宿した目をガゼフに向けていた。

 まるで『何故こんな異形たちを連れてきたのか』と問われているようで、そこで漸くガゼフはレエブン侯が自分と王を止めようとしていた理由と異形の骸骨が感謝してきた意味に気が付いた。

 ガゼフは今、戦士長としての鎧ではなくリ・エスティーゼ王国に伝わる四つの宝を身に纏っている。疲労を無効化する活力の小手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)と常時生命力を回復する癒しの力を持つ不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)。全身には魔法の力が宿った全身鎧(フルプレート)である守護の鎧(ガーディアン)を身に纏い、その腰には何をも両断できる剃刀の刃(レイザーエッジ)が差してある。

 戦士長ガゼフ・ストロノーフの顔を知らずとも、この姿を見れば誰もがガゼフを国の重要人物であると判断するだろう。

 そんな人物が先頭に立って多くの異形たちを街の中に入れているという光景は、見る者に“王国の王族或いは貴族は異形たちに屈服している”“異形たちを街に招き入れている”という考えを与えかねない。場合によっては王国の王侯貴族に対する不満や疑念にもつながってしまうだろう事態に今更思い至り、ガゼフは異形たちを案内しながら全身から冷や汗を溢れさせた。

 何故こんな重要なことに思い至らなかったのか……と今更ながらに後悔する。恐らくこのことに唯一気が付いていたであろうレエブン侯に対する申し訳なさが込み上げてきて、ガゼフは思わず奥歯を噛み締めた。同時に、この流れはもしや異形たちによって仕向けられたものではないかという考えすら浮かんできてしまう。

 案内役になるように申し出たのはガゼフ自身であり、それを了承したのはランポッサ三世である。しかしどうにも裏から操られているような……こうなるように全てをお膳立てされたような何とも言えない不快感と不気味さが纏わりついていた。

 とはいえ、いくら思考をこねくり回したところで今更この状況を劇的に好転させる術などありはしない。いや、もしかしたら何かしらの手立てはあるのかもしれないが、悔しいことにガゼフには何一つ思い浮かべることができなかった。ならばせめて、なるべく早くこの場を進んでできるだけエ・ランテルの者たちに自分たちの姿を見せないように心がけるしかない。

 ガゼフは怪しまれない程度に馬の速度を速めながら、王たちが待つ都市長の屋敷へと一心に歩を進めていった。何もない道をひらすら歩き、漸く都市長の敷地内の前まで辿り着く。

 ガゼフが身軽に馬の背から飛び降りれば、異形の骸骨もまた漆黒のローブを揺らしながら馬車の中から降りてきた。

 骸骨の傍らにはアルベドという漆黒の女騎士が既に控えるように立っている。

 隙を一切見せない女騎士の様子に思わず苦々しい感情が湧き上がるのを感じながら、ガゼフは何とか表情を取り繕って異形たちに顔を向けた。

 

「こちらで我が王がお待ちです。どうぞ」

 

 都市長の敷地内と外とを区切る門を開けて促せば、異形たちは無言のままこちらについてくる。どうやらデス・キャバリエたちはここで待機するようで、敷地内に入るのは骸骨と女騎士だけと知ってガゼフは思わず内心で安堵の息を吐いた。

 異形二体だけでもまるで勝てる気はしないが、それでも多数の異形たちをゾロゾロ引き連れてはバルブロや貴族たちがどんな反応を起こすか分かったものではない。彼らを刺激するのは得策ではなく、その可能性が少しでも軽減できたことにガゼフは少しだけ胸を撫で下ろした。

 しかしそんなこちらの心の内を異形たちに悟られるわけにはいかない。ガゼフはすぐさま気を引き締め直すと、王たちが待つ貴賓館の方に足先を向けた。

 館内に入り、王たちが待っている部屋に案内する。

 目的の部屋の扉の前まで来ると一度立ち止まり、ガゼフは胸を張って扉の奥へと声を張り上げた。

 

「陛下、“アインズ・ウール・ゴウン”のアインズ……っ……様と、アルベド様をお連れしました」

 

 一瞬どう呼ぶべきかと躊躇し、その瞬間女騎士から恐ろしい殺気を感じ取って慌てて敬称をつける。

 一拍後、室内から入室するよう声がかけられ、ガゼフはドアノブに手をかけてゆっくりと扉を開いた。

 室内の奥には仮の玉座に座るランポッサ三世がおり、その傍らにはバルブロが、そして玉座までの道中である部屋の左右には逃げ延びた貴族たちが綺麗に並んで立っている。ランポッサ三世の斜め前にはレエブン侯が立っており、鋭い目でこちらを見つめていた。

 

「戦士長、よくぞ戻った。……“アインズ・ウール・ゴウン”なる方々も、どうかお入りになられよ」

「それでは失礼する」

 

 王の招きに従い、まずはガゼフが室内に足を踏み入れ、次に骸骨が女騎士を従えて室内へと入ってくる。

 どこからどう見ても邪悪な異形の姿に貴族たちが思わず小さな騒めきを起こす中、しかし骸骨も女騎士もそれには全く反応せずに部屋の奥へと足を進めていった。

 そしてガゼフがバルブロとは逆隣のランポッサ三世の傍らに立ち、骸骨と女騎士が自分たちから八メートルほど離れた場所で立ち止まった時、ランポッサ三世が再び口を開きかけ、しかし声を発するその前に女騎士が口火を切った。

 

「至高なる御方であらせられるアインズ様を、あろうことか人間風情が上座から見下ろし、あまつさえ座する物すら用意していないとは………、余程死にたいのかしら?」

 

 低められた声と共に底冷えのする冷気が漆黒の全身から放たれ、ガゼフを含んだこの場にいる全員が全身を凍り付かせる。

 数刻前にカッツェ平野で感じたものと全く同じ凄まじい威圧感と死への恐怖に誰もが冷や汗を流す中、唯一穏やかな態度を崩さない骸骨が軽く骨の手を挙げた。

 

「よせ、アルベド。ここは未だ彼らの領域。このくらいは大目に見てやろうではないか」

「……アインズ様が、そうおっしゃるのであれば……」

「ふむ……。……我が部下が失礼した。私のことを思っての発言、許して頂けるとありがたい」

 

 恭しく頭を下げて引き下がるアルベドに、骸骨が一つ頷いた後に眼窩の灯りをランポッサ三世に向ける。凶悪な見た目に反して紳士的で穏やかな口調に、逆に何かを企んでいるような……こちらを良い様に操ろうとしているかのような印象を受ける。

 どういった反応や対応をするのが一番正解なのかガゼフが悩む中、ランポッサ三世はこちらも穏やかに対応することを選んだようだった。

 

「いや、忠義が厚い証拠であろう。謝られる必要はない。こちらこそ配慮が足りず失礼した」

「いやいや、それこそ謝罪には及ばない。……ただ、このまま話すというのも少し落ち着かないのも事実。もし良ければ椅子はこちらの方で準備しても構わないかね?」

「それは……もちろん、構わないが……」

「ふむ、それでは遠慮なく。〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 戸惑いながらも許可するランポッサ三世に、骸骨は一つ頷いて魔法を唱える。

 次には漆黒の立派な玉座がどこからともなく出現し、この場にいる貴族たちが驚愕の表情と共に小さく騒めいた。

 しかし骸骨は少しも気にする素振りすら見せずに、悠然と出現させた玉座に腰を下ろす。アルベドは玉座に座る骸骨の傍らに立ち、そこで漸く対話する状況が整ったようだった。

 

「これで漸く話しが出来そうだな。……まず初めに、私は言葉を飾るのは好きではないし、回りくどい会話も好まない。故に単刀直入に話させてもらう」

 

 先ほどまでの口調や声音とは少々異なり、硬い口調と低められた声音に誰もが知らず緊張に生唾を飲み込む。一体何を言ってくるのかと誰もが無意識に息を殺す中、骸骨は骨の右手を軽く挙げて人差し指と中指を立ててみせた。

 

「こちらの要求は二つのみだ。我が友の魂が封じ込められている宝玉と、このエ・ランテルを我々に差し出せ」

「「「……っ……!?」」」

 

 骸骨の有無を言わせぬ強い声音と発せられた言葉に、誰もが驚愕のあまり大きく息を呑んだ。

 宝玉を要求してくることは予想できてはいたが、何故このエ・ランテルも要求してくるのか。要求してくる理由が分からず、またその権利すら異形たちにはないはずだと、貴族たちは恐怖に彩られている顔に怒りの色を宿した。バルブロも顔を真っ赤に染めており、強く握り締めている両拳をぶるぶると震わせている。ランポッサ三世とレエブン侯はあからさまな怒りの様相は見せなかったが、しかし骸骨に向ける目には厳しい光が宿っていた。

 

「……二つ、聞きたいことがある。一つ目はあの宝玉は何であるのか。そして二つ目は、何故エ・ランテルを貴殿に差し出す必要があるのだろうか?」

 

 感情を抑えた威厳ある声音でランポッサ三世が骸骨に問いかける。

 しかし骸骨はランポッサ三世の圧に少しも気圧された様子も心動かされた様子すらなく、ただ小さく首を横に傾げるのみだった。

 

「その宝玉は私の友の魂が封じ込められている物だ。何故お前たちがそれを手にしているのかは知らないが、それはお前たちのような者が所有していて良い物ではない。そしてこのエ・ランテルは元々我が領土であった場所。私はただ返還を命じているだけに過ぎない」

「なっ、何を言っている!! このエ・ランテルはリ・エスティーゼ王国の領土であり、王族の直轄領! 断じて貴様のような異形のものではない!!」

 

 遂に我慢できなくなったのか、バルブロが更に顔を真っ赤に染めながら唾を飛ばす勢いで怒鳴り散らす。

 そのあまりにも品のない無礼な態度にガゼフがヒヤッと背筋を凍り付かせる中、ランポッサ三世がすぐさまバルブロを制するように片手を挙げた。

 

「やめよ、バルブロ」

「しかし父上っ!!」

「やめるのだ、息子よ」

「……くっ……!」

 

 いつにない強い口調で諌められ、バルブロは悔しそうな表情を浮かべながらも黙り込む。

 異形の方はと言えば、女騎士が少々身構えるような素振りは見せたものの、骸骨の方は一切気にした素振りを見せずに悠然と玉座に腰かけたままだった。

 まるで歯牙にもかけていないような様子に、バルブロが更に顔を大きく歪める。

 しかしもはや骸骨はバルブロに眼窩の灯りすら向けずにランポッサ三世だけを見つめていた。

 ランポッサ三世は一度小さく深く息を吸って吐き出すと、次には気を取り直したように骸骨に目を向けて少しだけ胸を張った。

 

「王子が失礼した。……しかし、王子がいったように、このエ・ランテルはリ・エスティーゼ王国の領土であり、歴史的にも誰かの領土であったという過去はない」

「それは別段おかしなことではあるまい。歴史というものは、残したい者が残したいように記していくもの。貴殿の国がこの地の正統な所有者であるという証拠には何一つとしてなりはしない」

「……しかし、それではこのエ・ランテルが元々はそなたたちのものであるという証明もできないということではないかね?」

「ふむ、その通りだな。しかしカッツェ平野の時にも既に言ったと思うが、そもそも我々はカッツェ平野でその宝玉の返還を求め、しかしそれを拒否され、更には大変な無礼を受けた。その傲慢さと愚かさからの謝罪として、お前たち人間の多くの血と命と、このエ・ランテルを貰い受ける」

「「「……なっ……!?」」」

 

 骸骨からのあまりにも横暴な発言に、この場にいる誰もが色めき立つ。王派閥だけでなく貴族派閥の貴族たちも同様に顔色を変え、怒りの表情を浮かべて骸骨を睨んだ。

 当たり前だ、このような横暴を一度でも許せば、いつまた難癖をつけられて自分たちの領土を脅かしに来るかも分からない。何より、一つの都市のみだとしても、王国の領土を異形に明け渡すなど考えただけでも恐怖と嫌悪感が湧き上がってくる。

 誰もが何とかできないかと口を開いては閉じるを繰り返し頭を悩ませる中、しかし異形たちはそれすらも許してはくれなかった。

 

「……先ほどから大人しく聞いていれば煩くごちゃごちゃと……。本来であれば至高なる御方に対する非礼は万死に値する罪。国丸ごと滅ぼされても仕方がないこと……いえ、当然ですらあるというのに……。都市一つと十数万の命だけで許されるという御慈悲を賜っておきながら、これ以上何が不満だというのかしら。お望みなら、さらなる血と命と共にこの地を奪っても良いのよ?」

「「「……っ……!!」」」

 

 女騎士から放たれた厳しい言葉に、誰もが反論することもできずに顔を顰めて黙り込む。

 内心では『都市一つと十数万の命に値する罪などあるものか』『そんなものは慈悲でも何でもないではないか』と誰もが思ってはいたが、しかしそれを口に出すことはできない。一言でも口に出せば、それに対してどんな報復を受けるかも分からなかった。上手く立ち回れば、宝玉を使って穏便に事を運ぶことができるかもしれないとも考えてはいたが、しかしそれすらももはや難しい。逆に宝玉を取引の道具に使えば、異形たちの逆鱗に触れる可能性すら考えられた。

 

「我々としても、あまり事を荒立てたくはない。早速返答を頂こう、リ・エスティーゼ王国国王」

 

 女騎士を諌めるどころか、骸骨は落ち着いた声音でランポッサ三世を促してくる。貴族たちも無言のままランポッサ三世を振り返り、ガゼフは王が拳を強く握りしめたのを視界の端に映した。

 この場にいる全員が注視する中、ランポッサ三世はゆっくりと口を開く。

 そしてどこまでも落ち着いた声音によって紡がれた言葉に、骸骨の眼窩の灯りが小さく揺らめいた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 カッツェ平野で起きた惨劇から五日……――

 バハルス帝国帝都アーウィンタールにある皇城では多くの者たちが忙しなく走り回っていた。

 中でも皇帝がいる執務室は嵐のような騒がしさに満ちており、多くの者が皇帝を取り囲み、ありとあらゆる報告を行い、命じられる指示に従い部屋を出ていくという行動を繰り返していた。

 

 

 

「――……失礼します! 陛下、王国に潜入させていた者から新たな報告が届きました!」

 

 不意に激しいノック音と共に扉が勢いよく開かれ、秘書官の一人であるロウネ・ヴァミリネンが室内に駆け込んでくる。疲労の色が濃い皇帝の下まで一直線に歩み寄ると、手元の書類に目を向けながら報告内容を読み上げた。

 瞬間、彼にしては珍しく皇帝は右手で顔を覆いながら小さな呻き声を零す。周りで共に報告を聞いていた他の秘書官や騎士たちも驚愕の表情を浮かべて驚きの声を上げている。

 ジルクニフは数秒顔を俯かせて大きなため息を零すと、次には勢いよく顔を上げて周りに集っている面々に視線を走らせた。

 

「……一度状況を整理する必要があるな……。フールーダ・パラダイン、ロウネ・ヴァミリネン、ナテル・イニエム・デイル・カーベイン、そして四騎士の者たち以外は全員部屋を出よ」

 

 皇帝からの命に、この場にいる全員が一度顔を見合わせた後、次には深々とした一礼と共に部屋を出ていく。

 そして部屋に残されたのは先ほど皇帝が名指しした者たちのみ。

 皇帝は彼らに椅子に座るよう指示すると、一度疲れの滲んだ大きなため息を吐き出した。

 

「……まったく、何が起こっているのか訳が分からん……。まずはこのメンバーだけで改めて状況の整理と情報共有を行うぞ。……バジウッド、ニンブル、カッツェ平野で起こったことについて改めて報告を頼む」

「畏まりました、陛下」

 

 ジルクニフの指示に従い、ニンブルとバジウッドがそれぞれ頷く。この場にいる誰もが彼らを注視する中、カッツェ平野で起こった事態について主にニンブルが中心となって説明し始めた。

 彼らの口から語られた内容は、どこまでも悲惨で壮絶なもの。話を聞いただけでも地獄のような惨状が想像でき、実際にその真っただ中にいただろう二人は正に生きた心地がしなかっただろう。いや、もしあの場に“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルがいなければ、死にはしなかったとしても重傷は負っていたかもしれない。帝国軍自体も相応の被害を出していただろう。

 

「――……そして漆黒の全身鎧(フルプレート)の女騎士がこちらに突撃してきたため、ネーグル殿の魔法で転移し、その場を逃れました」

「まっ、転移した場所は軍がいた場所とは少し離れてたがな。……確か、軍の方には“サバト・レガロ”のリーリエの嬢ちゃんが駆けつけてくれてたんだったな?」

「ああ、撤退中にリーリエ殿が駆けつけてこられて手を貸して下さった。軍に一つの損害も出なかったのは“サバト・レガロ”のお二人のおかげだ」

 

 ニンブルの説明に補足をしながら、バジウッドがカーベインに目を向けて問いかける。

 カーベインはそれに大きく頷くと、次に皇帝に顔を向けて“サバト・レガロ”の働きについて熱心に語った。

 

「……なるほどな。一方、王国側は大きな損害を出しており、その死者数は十六万とも言われている……。とてつもない数字で俄かには信じ難いが……恐らくは事実なのだろう……」

 

 最後に付け加えられた皇帝からの言葉に、この場にいる誰もが黙り込み、重々しい空気が室内に漂う。

 一つの魔法によって齎された被害が十六万という数字はとてつもないもので、とてもではないが信じられないものだった。この場にいる帝国最強のフールーダ・パラダインでも到底成し得ることのできないものだろう。

 それを突然カッツェ平野に現れた異形の骸骨はやってのけた。

 それがどれだけの脅威になるのか、この場にいる全員がしっかりと理解していた。

 

「……爺、教えてくれ。一つの魔法で十六万もの死者を出すことが本当にできるのか? 一体どんな魔法なんだ……」

「恐れながら陛下、神話に語られる最上位の魔法であればそれも可能であるかも知れません。また、真なる竜王が扱える魂の魔法であれば、或いは……」

「……なるほど。つまりその骸骨はどちらかの魔法を使うことができる化け物だということか……」

 

 頭が痛い……とばかりに指先でこめかみを押さえながら眉間に深い皺を寄せるジルクニフに、この場にいるフールーダとレイナース以外の全員が眉尻を下げる。重々しい空気が更にどんよりと淀んだような気がして、誰もが無意識に顔を見合わせた。

 しかしどんなに互いを見つめたところで妙案が浮かんでくるはずもなく、事態が好転するわけもない。加えて今の王国は更に厳しい状況に陥っているようだった。

 

「……それで、王国はエ・ランテルを異形どもに渡したのだったか……」

「はい。王国に潜ませている者の報告によりますと、異形たちはエ・ランテルまで侵攻して王侯貴族たちと対談を行い、第一王子が戦場に持ち込んだ悪魔の至宝とエ・ランテルの譲渡を要求。王国側はそれを受け入れ、一か月後にエ・ランテルは異形どもに割譲されるとのことです」

 

 ジルクニフに促され、ロウネが王国の現状を再びこの場にいる全員に説明する。

 異形が領土を持つ……つまり国を持ったという事態に、誰もが更に顔を大きく顰めた。

 こんなことは神話やおとぎ話でも聞いたことがない。正に悪夢だと誰もが苦々しく顔を歪める。

 しかしそんな中、ロウネが不安そうな表情を浮かべながら恐る恐る再び口を開いた。

 

「……陛下、実は他にもお伝えしたいことが……」

「なんだ、まだ何か悪い知らせがあるのか……?」

「……正に仰る通りです。実は王侯貴族との対談の際、異形の骸骨が最後に“カッツェ平野で王国軍と対していた軍の国はどこなのか”と問うたそうです」

「っ!! それで、王国側はなんと!!」

「……バハルス帝国の…軍であると……」

「くっ!!」

 

 ロウネからの答えに、ジルクニフは思わずといったように大きな舌打ちを零した。

 強大な力を持つ異形たちに偽りを言うことはできないという王国側の判断は理解できるが、しかしそれでもまるで異形たちに売られたような気がして怒りが湧き上がるのを抑えることができない。

 異形たちの目がこちらに向けられる可能性が高くなり、更に頭が痛くなったような気がした。

 

「……早急に手を打っていかなくてはならんな。取り敢えず、“サバト・レガロ”の二人からも詳しい話を聞きたい。また、感謝も伝えねばならないから、彼らに皇城に来るよう遣いを出せ」

「畏まりました」

「爺は今回出現した異形についてや、異形が使った魔法について早急に調査してくれ」

「畏まりました、陛下」

 

 

 

「――……陛下、失礼いたしますっ!!」

 

 ジルクニフの命にロウネとフールーダが頭を下げたその時、突然大きなノック音と共に扉が勢いよく開かれる。

 慌てた様子で室内に入ってきたのはロウネとは別の秘書官で、焦燥の色が濃い顔に冷や汗を大量に流しながらこちらに駆け込んできた。

 

「どうした、一体何の騒ぎだ!」

「申し訳ありません、陛下! しかし先ほど連絡が届きまして、スレイン法国が……スレイン法国が滅亡していることが分かりましたっ!!」

「「「……っ……!!?」」」

「なっ、何だとっ!!?」

 

 秘書官の口から齎された情報に、この場にいる全員が驚愕の表情を浮かべて大きく息を呑む。異形の出現に加えて立て続けに起こった思いがけない事態に、如何な優秀なジルクニフの頭脳であってもひどく混乱した。一方で、未だ頭の端の冷静な部分で『だから今回の戦に法国からの宣言書がこなかったのか……』と思い至る。

 ジルクニフは必死に頭を掻き毟りたい衝動を抑えながらも、大きく顔を歪めた。

 

「……くそっ、一体何がどうなっているのだ!!」

 

 騒然となっている皇城の中で、焦燥や怒りが混ざり合った悲鳴に近い皇帝の嘆きの叫びが響き渡った。

 

 


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