世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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やったー、久々に一か月以内に更新できたぞっ!
今回は少し(?)長めとなっておりますので、よろしくお願い致します。
また、ひっさびさにエンリちゃんとペロロンチーノ様の絡みが少しあります!
どうぞお楽しみくださいvv


第82話 従属の闘志

 多くのアンデッドや魔物が蠢く呪われた地、カッツェ平野。

 赤茶けた大地が広がり、緑は殆どなく、通常は濃い霧にいつも覆われている。しかし王国と帝国が戦う時だけは何故か濃い霧は消え去り、アンデッドや魔物たちの姿も一切なく、まるで二国の争いを歓迎しているかのように何もない大地が白日の下に晒される。

 そして今もまた、濃い霧が晴れて太陽の温かな光が荒廃した大地に降り注いでいた。

 何も遮ることのない赤茶けた大地と、呪われた地の外である緑豊かな穏やかな大地。まるで人為的に引いたかのように赤茶色と緑が大地に線を引いている。

 そして線の外側……緑豊かな大地の方に一つの大きな建物が築かれていた。

 幾つもの大きな丸太によって作られた立派な塀と、尖った木の枝が等間隔に設置された堀。高く聳え立つ塀の向こうには無数の旗が風に大きく揺らめいている。

 ここは帝国軍のカッツェ平野駐屯基地。守りやすく攻めやすいなだらかな丘陵地帯の上に築かれたそれは、正に帝国が誇る巨大で堅牢な大要塞だった。

 また内部も非常に広々としており、用途に合わせて整然と区画が設けられている。

 その中で多くの天幕が並ぶ区画……主に軍議や物資などが保管されている区画にて、一際大きな天幕の中で三人の男たちが向き合うように椅子に腰かけて顔を突き合わせていた。

 三人の男の内、一方は穏やかな風貌の白髪の壮年の男。騎士の鎧を身に纏ってはいるものの、男の容姿や雰囲気は騎士というよりもむしろ温厚な貴族を思わせる。

 一方残りの二人は漆黒の全身鎧(フルプレート)を身に纏っており、どちらも度合いはあれど壮年の男よりかは騎士然としていた。金色の長い髪を後ろに一つに括った厳めしい表情の男と、金色の短い髪に深い蒼色の瞳を持った端整な顔立ちの美青年。帝国に名高い四騎士、“雷光”バジウッド・ペシュメルと“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノックである。

 

「――……しかし、まさかバジウッドまで来るとは思わなかった。いつも陛下と皇城にいることの方が多いだろう。どういう風の吹き回しだ?」

 

 白髪の壮年の男……帝国第二軍の将軍であり、今回の戦では最高責任者でもあるナテル・イニエム・デイル・カーベインがバジウッドに心底不思議そうな表情を向けて問いかける。彼の向かいに腰を下ろしているバジウッドは一つ肩を竦めると、次にはニヤリとした笑みを浮かべてみせた。

 

「あんたも今回の戦に参加するワーカーについては陛下から聞いてるだろ? 俺はあいつが気に入っててな。もしあいつが戦うことになるなら、近くでそれを拝みたいと陛下に頼み込んだのさ」

「……バジウッド殿、もう少し言葉を改めては?」

「いや、そんなに気にしなくても良いぞ、ニンブル。君たちは別に私の部下でも、指揮下に入るわけでもないのだからな。君も気軽に接してくれて構わない」

「い、いえ、そうおっしゃいましても……」

 

 カーベインからの提案に、ニンブルは心底困って苦笑と共に黙り込む。いくら本人に『砕けた口調で話しかけてもらって構わない』と言われても、とてもではないがそれに従うことはできなかった。

 確かに帝国四騎士であるバジウッドとニンブルは、地位としては将軍と同格ではある。それを考えれば、バジウッドやニンブルがカーベインに対して気安く接することも決して咎められることではないだろう。しかしカーベインは先代の皇帝にその才を認められて今の地位にまで昇りつめ、今では堅実な指揮官として名高い将軍である。年齢や経験、貫禄、人としての格の違いを感じさせる尊敬する人物に対し、そんな気軽な態度など取れるわけがなかった。そんなことができるのは、皇帝にすら気軽に接するバジウッドくらいである。

 カーベインもそれは分かっているのだろう、二度は勧めずにニンブルと同じような苦笑を浮かべると、次には再びバジウッドへと目を向けた。

 

「それで、件のワーカーのことだったな……。確かにそのチームが此度の戦に参加することは既に聞いている。しかし、それほどまでのチームなのか?」

「それほどのチームだな。三人チームで他の二人についてはそこまで分かっていないんだが、少なくともリーダーであるレオナール・グラン・ネーグルは俺たちよりも強い」

「あの闘技場の武王と対等に渡り合えていましたからね。……それに今回、例年以上の軍勢を揃え、“サバト・レガロ”にも要請をかけたのは、王国軍が王都を襲撃した悪魔たちの残したアイテムを持ち込んでくる可能性があるためです。また、たとえ今回の戦には持ち込んでこなかったとしても、今後いつそのような事態になるか分かりません。そのため、今回の戦で王国に相応の打撃を与えることも目的にしております」

「……なるほど……。もし、王国軍が今回の戦にその悪魔のアイテムを持ち込んでいたとして、そのレオナール・グラン・ネーグルであれば対処することができるのか?」

「彼は悪魔の親玉の一体である“御方”なる悪魔を退けていますから」

「ふむ……」

 

 バジウッドとニンブルから齎される情報の数々にカーベインは何かを考え込むような素振りを見せた。恐らく『そんなに悪魔の残したアイテムとは強力な物なのだろうか?』という考えや『レオナール・グラン・ネーグルとはそれほどの人物なのだろうか?』といった思いが彼の頭を占めているのだろう。ニンブルも――悪魔のアイテムはともかく――レオナール・グラン・ネーグルの強さは実際にこの目で見ていなければ疑っていたかもしれない。

 しかしレオナール・グラン・ネーグルの力は本物だ。

 また、バジウッドにとってもニンブルにとっても、そして目の前のカーベインにとっても皇帝の言葉は絶対である。加えて三人とも、『あの方が言うのであれば間違いないのだろう』という皇帝に対する強い信頼も持っている。

 カーベインは熟考の末に一つ息を吐くと、軽く伏せていた顔を上げて改めてバジウッドたちを強く見やった。

 

「なるほど。であれば我々もより一層王国軍の動きには注意を払っておこう。……それにしても、何故そのワーカーは悪魔襲撃の際に王国の王都にいたのだ? わざわざ王国の者が帝国にいた彼らに依頼を出したわけではないのだろう?」

「王国にいる知り合いに会いに行っていたらしいぜ。それで王都の騒動に巻き込まれちまったとか……」

「それは……何とも、災難なことだな。それで解決してしまうというのも些か驚きではあるが……」

 

 カーベインが思わずといったように少し呆れたような表情を浮かべる。

 ニンブルも内心では同意して頷く中、不意に天幕の外から大きな声が響いてきた。

 

「お話し中のところ申し訳ありません! カーベイン将軍閣下! バジウッド閣下! ニンブル閣下!」

 

 人払いをしていた中で響いてきた大声。カーベインの部下のものであろう声に、恐らくそれだけ緊急の用件なのだろうことが窺い知れる。

 カーベインは目顔だけでこちらに謝罪すると、次には外に向かって声を張り上げた。

 

「入ることを許可する」

「失礼いたします! 帝国旗を掲げた馬車が門前に到着。開門を要求しております。開けてもよろしいでしょうか?」

 

 天幕に入ってきたのは、それなりに高い地位の騎士の男。彼は天幕の中に入って敬礼すると、続いてハキハキとした口調で用件を告げてきた。

 帝国旗を掲げた馬車というのは、今まさに話していた人物が乗っているものだろう。つまり噂の人物の到着の知らせに、バジウッドは面白そうな笑みを浮かべ、カーベインは表情を引き締め、ニンブルも表情を引き締めて無意識に背筋を伸ばした。

 カーベインは一度確認するようにこちらに目を向けると、次には改めて騎士を振り返って一つ大きく頷いた。

 

「分かった、すぐに通せ」

「はっ、畏まりました!」

 

 カーベインの指示に騎士は再び敬礼すると、すぐに踵を返して天幕を出ていく。

 三人は暫く騎士が出ていった出入り口の垂れ幕を見つめると、次にはバジウッドが大きなため息にも似た息を吐き出した。

 

「さぁ~て、それじゃあ俺たちもネーグルに会いに行くか!」

「そうだな。では君たちがそれほどまでに特別扱いする男を見に行くとしよう」

「勿論です、カーベイン将軍、バジウッド殿」

 

 次々と椅子から立ち上がるバジウッドとカーベインに、ニンブルも一つ頷いて素早く立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駐屯基地の外れで騎士に先導されながら一台の見事な馬車が静かに進んでくる。

 帝国旗を掲げているそれは車体が全体的に漆黒で金色の装飾が施されており、一目で超一級品であることが分かる。また、バジウッドやニンブルはそれが皇帝専用の馬車であることに気が付いた。

 まさか自分専用の馬車を貸し出すとは……と皇帝のレオナール・グラン・ネーグルに対する関心の高さを見てとり、ニンブルは驚愕や呆れや関心などが絡み合った複雑な感情を湧き上がらせる。

 しかし一つだけ、皇帝がこの馬車を使う場合と違う点が目の前の馬車にはあった。

 それは車体を引く馬。

 皇帝が馬車を使う際、その車体を引くのは八足馬(スレイプニール)という八脚の大きな魔馬である。しかし今車体を引いているのは、それとは別の魔馬だった。

 闇を凝縮したような漆黒の馬体に、背に生えている皮膜の翼。臀部からは筋肉に覆われた細長い尾が垂れ下がっており、長い鬣や蹄の毛が闇の炎のように逆立ち揺れ動いている。その佇まいも纏う空気も、そして漆黒の馬の顔に二つだけ浮かぶ深紅の瞳も静かで乱れ一つないのだが、しかしそれでもこの魔馬から受ける威圧感は相当なもの。まるで目の前に大きな何か――例えば死の世界に繋がる虚無のような――底冷えのする巨大な存在が立ちはだかっているかのような感覚に襲われ、ニンブルは鎧の下で大量の冷や汗に濡れながら無意識に震える両手を強く握りしめた。

 他の面々も大きく生唾を呑み込んで全身を強張らせている。

 誰もがたった一頭の魔馬に威圧される中、まるでその緊迫感を打ち消すように馬車の扉が内側から開かれた。

 

「――……これはこれは、これほどの方々に出迎えて頂けるとは光栄です」

「「「……っ……!?」」」

 

 馬車の中から姿を現したのは一人の男。

 その美しい容姿に、バジウッドとニンブル以外のこの場にいる全員が先ほどまでの恐怖も忘れて思わずといったように驚愕に息を呑んだ。

 何回か会ったことのあるニンブルですら未だにこの男の美貌を目の前にすると圧倒されてしまうため、彼らが驚いて呆然としてしまうのも無理はない。しかしすっかり男の容姿や存在感に呑まれてしまっている彼らの様子に、ニンブルは内心で焦りを感じ始めた。傍目から見ればただ呆然と突っ立っている様にしか見えない状態に、これではレオナールの中にある帝国の印象を悪くしてしまいかねない。

 どうにかしなければと咄嗟に咳払いをしようとしたニンブルに、しかしその前にカーベインが漸く我に返ったような素振りを見せた。見開いていた目を瞬きと共に元に戻し、次には彼自身が大きな咳払いを零す。それでいて次には落ち着いた表情を顔に貼り付けると、馬車から出てきた男……ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルに丁寧な礼をとった。

 

「ようこそおいで下さった。私は今回の帝国軍の総指揮を任されている、カーベインと申します」

「初めまして、カーベイン将軍閣下。私はジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス皇帝陛下より依頼を受けて参りました、ワーカーチーム“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルと申します。このような大々的な歓迎をして下さり感謝いたします」

 

 カーベインから歓迎の言葉を受け、レオナールも答えるように柔らかな笑みと共に一礼して見せる。

 どこまでも優雅で美しいその動きは、幾度となくしてきた動作なのだろうことが窺えるほどに洗練されて乱れ一つない。

 まるで上等で高貴な身分の者ではないかと思わせる彼の所作にカーベインが再び小さな驚愕を見せる中、今まで黙っていたバジウッドがレオナールに歩み寄った。

 

「ようっ、ネーグル! 久しぶりだな!」

「……これはペシュメル様。まさかここで会うとは思っておりませんでした」

「折角お前の戦う姿が見られるかもしれないんだ。そんな機会を、この俺が逃すわけがないだろ」

 

 何故か胸を張って言いきるバジウッドに、ニンブルだけでなくレオナールも苦笑を浮かべる。

 そんな中、バジウッドは素早くレオナールが出てきた馬車を見やると、すぐにその視線をレオナールに戻した。

 

「そういえば、他の二人は来ていないのか?」

「ええ、レインは別の用事がありまして今回の依頼には参加しません。リーリエは不測の事態に備えて別の場所に待機させております」

「ほう、なるほどな。考えてるもんだ」

 

 人によっては“勝手な行動”と思われかねないレオナールの判断と行動に、しかしバジウッドは怒るどころか感心したような笑みを浮かべる。カーベインも怒るよりもむしろ観察するような目をレオナールに向けており、彼がレオナールに対して一種の警戒心のようなものを持っていることに気が付いてニンブルは緊張に身体を小さく強張らせた。何か一波乱起こるのではないかと急に胃が痛くなってきたような気がする。

 しかしそんなニンブルの不安を余所に、バジウッドはご機嫌な様子でレオナールの背に腕を回すと、そのまま駐屯基地内へと招いていった。

 

「リーリエの嬢ちゃんがいないのは他の騎士の連中にとっては残念だろうが、またの機会を期待してもらうとしよう。ほら、こっちに来いよ。基地内を案内してやる」

 

 帝国領外の駐屯基地とは言え、その内部も立派な機密情報に入ることを果たしてバジウッドは理解しているのだろうか……。

 さっさとレオナールと共に基地内へ歩いていってしまうバジウッドに、ニンブルとカーベインは慌ててその後を追いかけた。

 後ろでは御者の男が冷や汗を流しながら馬車を引いていた魔馬を何とかしようと四苦八苦していたのだが、ニンブルは敢えてそれに気が付かないようにした。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 時は少々遡り、どこまでも静かで穏やかな早朝。

 ひんやりとした空気が世界に満ち、全てを凍らせて冬の到来が近いことを教えてくれる。

 しかしそんなひんやりとした外の空気の中でも一切震えることなく、一人の子供が大きな木の根元に佇んでいた。

 浅黒い肌に、癖のない金色の真っ直ぐな髪。大きな瞳は左右で色が違い、その煌めきと美しさは正に最上級の宝石のようである。金色の髪の間から覗く耳は人間のものとは違い長く平べったいもので、その肌の色とも相まって、その子供が闇森妖精(ダークエルフ)であることを見る者全てに知らしめている。

 ダークエルフの子供……ナザリック地下大墳墓第六階層の守護者の一人であるマーレ・ベロ・フィオーレは、何をするでもなくカルネ村の外れにあるドライアードの木の根元に立ち、ただ静かに夜が明け白み始めている空を見つめていた。

 彼の頭上では、生き生きと広がっている木の枝の上でドライアードのピニスン・ポール・ペルリアが微動だにせずに立っているマーレを恐々と見降ろしている。

 ピニスンにはマーレの目的は知らされていないため、『何故自分の本体の木の根元にずっといるのだろう……』と不安に思っているのだが、しかしその不安は無用の長物だった。

 マーレがカルネ村にいる理由……それは王国の貴族が軍を率いてカルネ村に来るという情報を“八本指”経由で掴んだためだ。

 いや、どちらかというと“八本指”を使ってそうなるように仕向けたと言った方が正しいだろうか。

 ともかく、カルネ村は至高の主の一柱であるペロロンチーノが何かと気にかけている村である。またナザリック全体としてもカルネ村は既に重要な拠点の一つとなっているため、王国の貴族たちがこちらの思惑通りにカルネ村を害しに来るのであれば、それ相応にもてなす必要がある。

 王国の貴族の軍がカルネ村に到着するのは本日の昼頃だろうとのことだったため、カルネ村の管理を任されることの多いマーレがいち早くここで待機しているのだった。

 現在法国に行っているペロロンチーノも昼頃にはこちらに来る予定になっている。

 至高の御方のすぐ側で行動することのできる嬉しさに思わずマーレが小さく顔を綻ばせた、その時……――

 不意に聞こえてきた騒めきのような音に、マーレは反射的に長い耳をピクッと反応させた。今までになかった音に、思わず周りに視線を巡らせる。

 耳に意識を集中させて周りの音や気配を探り、そして再び聞こえてきた音とその正体にマーレは驚愕に小さく色違いの目を見開かせた。

 

「……へ……? ど、どうして……?」

 

 マーレの耳が聞き取ったのは多くの人間の足音。中には四つ足の獣の足音も多数含まれており、それが意味していることにすぐさま気が付いたマーレは急激に焦りを湧き上がらせた。

 音の正体は恐らく王国の軍だろう。しかし予想では昼頃に到着するはずの軍が、何故未だ夜も完全に明けきらぬ早朝にカルネ村のすぐ側まで迫ってきているのか……。

 予想外の展開にマーレはアタフタしながらも、急いで懐から一つの巻物(スクロール)を取り出した。『念のため、何が起きても良い様に……』と至高の御方々から貰い受けていた〈伝言(メッセージ)〉の魔法が宿ったスクロール。マーレは迷いなくスクロールを使って魔法を発動させると、法国にいるであろうペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

『――……あれ、マーレ? どうしたの?』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しにペロロンチーノの不思議そうな声が聞こえてくる。

 マーレは至高の主の声に安心感を覚えながら、先ほど感じ取った足音や気配について報告を始めた。

 

「は、はいっ、ペロロンチーノ様……! あ、あの、実は……カルネ村に来る王国の軍勢が、すぐそこまで来ているみたいです……!」

『はえっ!?』

 

 瞬間、ペロロンチーノの素っ頓狂な声が聞こえてくる。

 思わぬペロロンチーノの反応に反射的にビクッと肩を跳ねさせるマーレに、しかしペロロンチーノはそれに気が付くことなく〈伝言(メッセージ)〉越しに言葉を並べ立ててきた。

 

『えっ、ホント!? もう王国軍が来てるの!? 予定よりも早くない!?』

「も、申し訳ありません……!」

『あ、いや、マーレは悪くないから謝らなくても良いんだけど……』

「あ、あの、僕も、よく分かりません……けど、近くまで来ているのは、間違いないみたいです……」

『えぇぇっ、ちょっ、俺まだ法国にいるんだけど……! 〈転移門(ゲート)〉のスクロールは……やっぱりないっ!! あー、もう、どうしたら……!!』

「えっと、その、ペ、ペロロンチーノ様……。ぼ、僕は……」

『と、とにかく急いでそっちに向かうよ! マーレは取り敢えずカルネ村に待機! 俺がカルネ村に着くまで村長さんかエンリちゃんの指示に従っててくれ!』

「………か、畏まりました……」

 

 本音を言えば、至高の主以外の存在の指示になど従いたくはない。しかし至高の主の言葉は絶対であり、また一人ではどうすれば良いのかも分からなかったマーレにはペロロンチーノの言葉に頷くほかなかった。

 マーレは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、一つ息を吐いた後に踵を返した。

 まずはペロロンチーノの指示に従って村長かエンリに会った方が良いだろう。

 村の中へと歩を進めるにつれ、村の家々や畑などが視界に広がっていく。マーレにとっては全く面白みのない光景を無機質に眺めながら、マーレは足早に村の中を進んでいった。忙しなく足を動かしながら、目的の人間はどこにいるのかとキョロキョロと周囲を何度も見回す。

 そこに漸く目的の人間の一人が視界に映り込み、マーレは無意識に小さく息を吐いてそちらに足先を向けた。通常よりも速い足取りで視線の先の人物……エンリ・エモットの下へ歩み寄っていく。

 エンリも距離が縮まるにつれ漸くこちらの存在に気が付いたのだろう、こちらを振り返ってきて不思議そうな表情を浮かべてきた。

 

「……マーレ様、どうかされましたか?」

「あ、あの、実は……」

 

 どう説明すればいいのか悩みながら、四苦八苦しながらも言葉を紡ごうとする。

 しかしマーレがきちんとした言葉を発するその前に、突然村人の男が慌てた様子でこちらに駆け込んできた。

 

「あれ、レオンさん、どうしたんですか?」

「エンリちゃん、村長がどこにいるのか知らないか!?」

「いいえ、知りませんけど……。何かあったんですか?」

「軍隊だ! 王国の国旗とどこかの貴族の旗を掲げた軍隊が村に向かってきているんだよ!」

「えっ!?」

 

 男の言葉に、エンリが驚愕の表情を浮かべる。その顔には焦燥の色が強く浮かんでおり、しかしそれでもエンリはすぐに顔を引き締めると強い光を宿した双眸で男と見つめ合った。

 

「……ということは、やっぱりアインズ様が仰られていた通りになったんですね」

「ああ、そういうことだろう。俺は村長を探して知らせてくる。エンリちゃんは村の連中に知らせてくれ!」

「分かりました!」

 

 エンリは男と頷き合うと、また走り去っていった男を見送った後にマーレを振り返ってきた。

 

「マーレ様も力を貸していただけますか?」

「は、はい、……その、ペロロンチーノ様にも、言われていますので……」

「ありがとうございます! 行きましょう!」

 

 エンリは一瞬笑みを浮かべると、すぐに真剣な顔に戻ってまずは自身の家の方へと足先を向けた。急いで自分の家に駆けこみ、家内の奥の奥に大切に隠していた弓を取り出す。

 象牙の様なすべらかな手触りと光沢をもつ、美しい純白の弓“女神の慈悲”。『緊急事態などの有事の際に使うように』とペロロンチーノから貰い受けた大切な物だ。

 エンリは一度ギュッと弓を強く握り締めると、そのまま家を飛び出して外で待っているマーレと共に次は門に向かった。駆け足で先を急ぎながら、その間にも出会う村人たち全員に王国軍が来ていることを伝えていく。

 マーレはその様子をただじっと見つめながら、無言のままエンリの背中を追いかけていた。

 そして数分後、漸くたどり着いた村の門には既に多くの村人たちが集まっていた。彼ら彼女らの手にはいろんな得物が握り締められており、顔も顰められて緊張しているのが見てとれた。

 

「みんなっ!!」

「エンリちゃん! それにマーレ様も……!」

 

 エンリとマーレの到着に気が付いた村人たちが次々とこちらを振り返ってくる。しかしすぐさま再び門の方に視線を向ける彼らに、マーレもエンリと共に門の方に目を向けた。

 既に王国の軍はすぐ目の前まで到着しているのだろう、門の向こうから多くの存在の気配が感じ取れる。伝わってくる強さから考えれば強敵はいないような気がするが、しかしそれはあくまでも“マーレに比べれば”であり、エンリやこの村の人間たちからすれば決して油断できない状況なはずだ。

 マーレが門とエンリと村の人間たちをチラチラと見る中、村の奥から村長と残りの村人たちも漸くこちらに駆けてきた。まずは既にこの場にいた村人たちから状況を聞き、彼らも改めて門を見やる。

 彼らは一体どういった行動をとるのか……とマーレが観察する中、不意に門の向こうから聞き覚えのない男の声が聞こえてきた。

 

「我らはリ・エスティーゼ王国六大貴族が一つリットン伯爵の使者としてきた者である。この門を開け、我々を入れよ!」

「……リットン伯爵? 一体誰だ?」

「ここは王族の直轄領だろう? それとも王族の方々がこいつらをこの村に寄越したのか?」

「だが物見台から見たところ、何千もの軍勢だったぞ! そんな大軍をたった一つの村に派遣するなんて……、王族は俺たちを滅ぼすつもりなのか!? それか王国軍と偽った謎の軍かもしれないぞ!」

 

 門の向こうからの声を受け、村人たちが俄かに騒ぎ始める。大きな恐怖や焦燥や疑惑など……彼らの顔にはそれらの色がありありと浮かんでいた。

 しかし門の向こうにいる男には彼らの声はきちんと聞こえていなかったのだろう、苛立たしげな声が再び聞こえてきた。

 

「おいっ、聞こえているのか! この村に定期的に来ている“サバト・レガロ”というワーカーチームが帝国に与して王国に害をなそうとしているという情報があるのだ! よってこのチームと関わりのあるこの村を調査しに来た! 速やかにこの門を開けて我らに協力せよ! そしてこの村にいるという“サバト・レガロ”の仲間をこちらに差し出せっ!! さもなくば王国に刃向かうものと見なすぞ!!」

「っ!!?」

「“サバト・レガロ”の仲間って……マーレ様を!?」

「そんな! マーレ様を差し出すなんてっ!!」

 

 マーレの存在を出され、その瞬間に村人たちの顔色が大きく変わる。誰もが顔を強張らせ、怒りに顔を歪め、得物を握り締める手に力を込めた。

 彼らの過剰とも言える反応に、マーレは感情の宿っていない瞳でじっと見つめながら、内心では少しだけ不思議に思っていた。

 確かにマーレはこの村を救った至高の御方々に仕えるシモベではあるが、見方を変えれば彼らにとってはそれでしかない。この村を実際に救ったモノでもなければ、この村の住人でもない。彼らにとっては庇護する必要のない存在であるはずのマーレを差し出すように言われ、彼らがこんなにも怒りを露わにすることがマーレにとっては意外だった。

 しかしマーレのこの考えは、ある意味ナザリックのモノ特有のものであり、カルネ村の者たちとは少々ズレていた。

 カルネ村の者たちにとってマーレは自分たちを助けてくれた恩人の仲間であると同時に、その可愛らしい子供の容姿自体も大いに影響を与えていた。マーレが自分たち以上に強いということは村にいる誰もが分かっている。しかしそれでもか弱そうな可愛らしい子供にしか見えないマーレを自分たちの村に置いてくれている……言い換えれば自分たちに預けてくれている至高の御方々の思いが、まるで自分たちに対する信頼にも思えて、それがより一層『マーレを守らなければ』という感情に繋がっていた。

 誰もが険悪な表情を浮かべる中、不意に頭上に赤い光が勢い良く横切った。

 チラッとそちらに目を向ければ、炎を纏った数本の矢が物見台に向かっているのがマーレの目にスローモーションに映る。

 しかし村人たちにとっては目にもとまらぬ突然の変化だったのだろう。物見台が火矢を受けて燃え始めて漸く攻撃を受けたのだと知り、村人たちは誰もが驚愕の表情を浮かべて小さな悲鳴を上げる者さえいた。

 

「なっ、攻撃してきたのか!?」

「そんな! あの時は助けに来てくれさえもしなかったくせに!」

「敵だ! あいつらは敵なんだ! 何が王国だっ!!」

 

 彼らの脳裏に蘇ったのは、この村が謎の騎士たちに蹂躙されたあの時……。

 王族も貴族もこの国の兵も、誰一人として助けには来てくれず、自分たちに手を差し伸べてくれたのは異形である彼の御方々だけだった。だというのに、それを裏切れと言い、あまつさえその刃を自分たちに向けるというのか……!!

 

「カルネ村の者ども、すぐに門を開けずにこちらの言葉にも答えぬお前たちは王国の民として疑わしい! さっさとこの門を開けて“サバト・レガロ”の者を引き渡せ! お前たちが王国に忠誠心を持つ王国の民であることを証明せよ!」

「攻撃しておいて忠誠心だと!? ふざけるなっ!!」

「“アインズ・ウール・ゴウン”の方々は、どの方もこのような乱暴なことは決してなさらなかった!」

「いつも丁寧で親切で……、特にペロロンチーノ様は俺たちに気さくに接してくれさえしてくれていた! あんな高圧的な態度すらしてこなかった!!」

「“アインズ・ウール・ゴウン”の方々よりも余程王国の連中の方が乱暴者で化け物じゃないか!!」

 

 王国軍からの言葉に村人たちが怒声を上げる。

 王国軍は物見台だけでなく門や塀にも火を放ったのだろう、門や塀を形作っている丸太と丸太の隙間から煙が滲み出始め、パチパチという炎に焼ける音が聞こえてくる。

 どうやら相手も本気であるらしい。

 一体どうするつもりなのか……とマーレが無言のまま村人たちの様子を見つめる中、純白の弓を両手で強く握り締めたエンリが意を決したように村長を振り返った。

 

「村長さん、ここは戦いましょう!」

「エンリ……、し、しかし……」

「私たちは“アインズ・ウール・ゴウン”の皆様に多大なる恩義を受けています! 私は恩を仇で返すようなことはしたくありません! “アインズ・ウール・ゴウン”の皆様を……ペロロンチーノ様を裏切るなんてできない!!」

 

 エンリは大きな両目に涙を浮かべると、なおも弓を持つ手に力を込めながら身を乗り出した。

 

「ペロロンチーノ様のお役に立てるように、ずっと弓の腕も鍛えてきたんだもの……。お願いします、村長さん!」

「そうだ、エンリちゃんの言う通りだ! 俺も戦うぞ!」

「俺もだ! マーレ様を渡すなんてできるかよ!!」

「私も戦うわ! “アインズ・ウール・ゴウン”の皆様への恩義をここで返しましょう!」

 

 エンリの言葉に、この場にいる村の人間たちが次々と賛同して声を上げ始める。誰もが闘志を燃やし、どうやら戦うことに反対している者はいないようだった。

 村長もそれを見てとったのだろう、数秒黙り込んだものの、すぐに顔を引き締めて大きく強く頷いた。

 

「そうだな。ここで“アインズ・ウール・ゴウン”の皆様への恩義を返そう!」

「はい!」

「「「おぉぉっ!!!」」」

「マーレ様、我々は“アインズ・ウール・ゴウン”の皆様への恩に報いるため、ここで戦うことに決めました。ただ、子供たちは戦うことができません。子供たちは私の家に集めておりますので、あの子たちを守って頂けませんか?」

「わ、分かりました……」

 

 村長からの申し出に、マーレは戸惑いながらも頷いた。

 正直に言えば、本当にそれで良いのかマーレには迷いがあった。普通に考えれば、村人たちを後ろに下がらせてマーレ一人が王国軍を相手にした方が損害は圧倒的に少なく済む。カルネ村はペロロンチーノの保護下に入っており、且つもはや“アインズ・ウール・ゴウン”の拠点の一つに等しくもあったため、マーレはむしろ村長の言葉を拒否して自ら前に出るべきなのかもしれない。

 しかしマーレがペロロンチーノに命じられたのは『村長あるいはエンリの指示に従う』こと。また今この時のマーレは“サバト・レガロ”の仲間という立ち位置になっているため、使える魔法は至高の主たちの許可がない限り第三位階までしか使用することができなかった。それらを考えれば、少々心配ではあっても大人しくペロロンチーノの指示に従って村長の言うことを聞いた方が良いのかもしれない。

 マーレは後ろ髪を引かれるような思いにかられながらも踵を返すと、子供たちが集められているという村長の家に向かった。

 その合間にもすれ違う村人たち全員が弓や剣……中には農具すら手に握り締めて門の方に向かっていく。

 一気に慌ただしくなった村の中を進みながら、マーレは到着した村長の家の扉を開けて中に入った。

 

「あっ、マーレちゃん!」

 

 室内に入って早々、見覚えのある人間の少女と目が合い名を呼ばれる。

 家の中には多くの子供たちが身を寄せ合うように一カ所に集まっており、その中にはエンリの妹であるネムや最近カルネ村に移住してきたツアレの姿もあった。

 先ほど声をかけてきたのはネムで、彼女は不安そうな表情を浮かべながらこちらに駆け寄ってきて小さな両手でマーレの手を握り締めてくる。そのまま掴んだ手を引っ張って子供たちの下へ連れて行こうとするネムに、マーレも抗うことなく大人しく子供たちの下へ歩み寄っていった。

 子供たちは勿論のこと、ツアレも不安そうな表情を浮かべてこちらを見つめてくる。しかしマーレからしてみればそんなに不安そうにこちらを見られても困る……という心情だった。

 マーレにとっては彼ら彼女らはどうなってもどうでも良い存在であり、彼ら彼女らを守るのは偏にペロロンチーノがそれを望んでいるからだ。彼の御方が気にかけなければ、マーレが今この場にいることもなかっただろう。

 困ったような表情を顔に貼り付けながら内心では無感情に彼ら彼女らを見つめているマーレに、しかしそのことに全く気が付いていないネムがゆっくりと握っていたマーレの手を放しながらこちらを振り返ってきた。

 

「……マーレちゃん、……だ、大丈夫かな……?」

「……? な、何が、ですか?」

「えっと……みんな、死んじゃったりしないよね……?」

「……………………」

 

 ネムからの問いかけに、再びマーレは内心で困り果てた。

 そんなことを問われてもマーレには答えようがないし、またマーレにとってはどうでもいいことだった。そんなに心配ならば、マーレに全てを任せて自分たちは全員後ろに下がっていれば良かったのだ。

 今からでもやはり村長の所に行って自分が出ると言ってこようか……と考える中、外から激しい破壊音が聞こえてきてマーレは咄嗟に扉の方を振り返った。すぐ側ではネムやツアレを含めた子供たちが更に身を寄せ合って怯えた悲鳴を上げている。

 マーレはネムたちに背を向けて扉に向き直ると、両手で杖を握り締めながらじっと扉を見つめた。

 外ではひっきりなしに鉄と鉄がぶつかり合うような音が聞こえてきており、中には悲鳴や怒声も聞こえてきている。音だけ聞けば、どうやら奮戦はしているようだ。善戦しているのか苦戦しているのかまでは分からないが、流石にマズくなればこちらに助けを求めに来るだろう。

 内心では暢気に構えながら扉をじっと見つめていると、数分後に唐突に外側から扉が勢いよく開かれた。

 

「マーレ様っ!!」

「……! お姉ちゃん!!」

 

 外から飛び込んできたのは血相を変えたエンリ。

 彼女は後ろ手に勢いよく扉を閉めると、鍵をかけてこちらに駆け寄ってきた。

 

「マーレ様、今すぐみんなを連れてここから逃げて下さい!」

「……え……と……?」

「みんな頑張っているけど、相手の勢いが思っていたよりも強いんです。このままだと、いつまで持ち堪えられるか分かりません! だから、この子たちだけでも連れて逃げて下さい! そしてどうか、ペロロンチーノ様の下に……っ!!」

「え、えと……でも……、それより、僕が出た方が……」

「それはできません!」

「……!!」

 

 エンリの予想以上の強い拒否の言葉にマーレは思わず虚を突かれた。何故こんなにもマーレの力を借りることを拒否するのか、マーレには全く理解できなかった。

 まさか何か企んでいることでもあるのだろうか……とエンリに対する疑念と警戒を持ち始める中、しかしそれに気が付いていない様子のエンリが強い光を宿した瞳を真っ直ぐにマーレに向けてきた。

 

「私たちは“アインズ・ウール・ゴウン”の皆様に……特にペロロンチーノ様にとてもお世話になってきました。これ以上ペロロンチーノ様にご迷惑をおかけしたくなくて……お役に立ちたくて、ずっと弓の練習もしてきたんです……! この上、“アインズ・ウール・ゴウン”の一員でいらっしゃるマーレ様を私たちのせいで危険な目に合わせるわけにはいきません!」

 

 こちらに向けられているエンリの大きな目は恐怖でひどく潤んでいたが、しかし同時に強い覚悟の色も宿していた。良く見れば、弓を握り締めているエンリの手は小刻みに震えている。

 マーレは少しの間エンリを凝視すると、彼女が何か企んでいるかもしれないという考えを消し去って一つ頷いた。

 エンリもそれを受けて大きく頷く。続いて心配そうにこちらを窺っているネムに駆け寄ると、しゃがみ込んで視線を合わせた。

 

「ネム、みんなと一緒に逃げて! 村を出て、トブの大森林の奥に逃げるの! 王国軍もトブの大森林の奥までは追ってこないはずだからっ!!」

「で、でも、お姉ちゃん……」

「あなたがみんなを守るの! お願い!」

「……っ……! ……わ、分かった」

 

 エンリの言葉に勇気づけられたのか、ネムも潤んでいた目を強く手の甲で擦って次には強い眼差しで大きく頷く。

 エンリも応えるように頷いて立ち上がると、再びマーレに向き直った。

 

「ここから秘密扉までを守るバリケードを作っておきました。私たちも守るので王国軍は手出しができないはずです! その扉からトブの大森林の奥に逃げて下さい!」

 

 エンリが言う“秘密扉”というのは、以前モモンガがカルネ村を訪れて王国の者がこの村にちょっかいを出しに来るかもしれないと知らせた時から念のために作っておいたものだ。正門や裏門とは別に、大人が屈んで漸く通り抜けられるほどの小さな扉をトブの大森林側の塀に密かに作っていた。扉の外側にはドライアードのピニスンの力を借りて草木を茂らせているため、塀の外にいるだろう王国軍にも気づかれずに村を脱出することができるはずだ。

 マーレもその秘密扉の存在は知っており、エンリの言葉に一つ頷くと、次には促すようにネムやツアレを含んだ子供たちを振り返った。

 ネムやツアレ、そして子供たちも全員が決心した表情を浮かべて大きく頷き、しゃがみ込んでいた状態から次々と立ち上がる。子供たちの準備が整ったことを確認すると、まずはエンリが扉を開けて素早く周りを見渡した。近くに敵がいないことを確認して中に合図を送り、それに応じてマーレとネムとツアレと子供たちが家の中から出ていく。

 マーレがチラッと周りに視線を走らせれば、確かに先ほどのエンリの言葉通り、木の板で作った巨大な盾や鍛錬用に使っていた案山子などを駆使してこの家に敵が近づけないようにバリケードが作られていた。中にはマーレが貸し与えていたゴーレムもバリケードに加わっており、エンリたちがこちらの安全をどれほど重要視しているのかが窺い知れる。

 マーレはもう一度だけ周りを確認すると、次には秘密扉に向けて先頭を駆けだした。その後ろをネムとツアレと子供たちが続き、最後にエンリが殿のように後ろについて村の中を駆けていく。

 周りでは先ほどから戦闘音や悲鳴や怒号が絶えず響いており、その度に子供たちが足を竦ませて立ち止まりそうになっていたが、エンリが声をかけて何とか先を進ませていた。

 そして何とか到着した塀の足元を覗けば、そこには目を凝らして漸く分かるほどの切れ目が走っており、手で押せば小さな扉が口を開いた。

 

「さあ、みんな早くここから村の外へ!」

 

 エンリに促され、子供たちが次々と地面に四つん這いになって秘密扉を潜っていく。最後にマーレが秘密扉を潜り、それを見送ったエンリが秘密扉を閉めた。

 残されたのはマーレとネムとツアレと幼い子供たちのみ。

 マーレたちは一度互いに顔を見合わせると、次にはマーレ以外の全員が恐怖の色をその顔に浮かべながらもトブの大森林の方に足先を向けた。

 今はとにかくエンリに言われた通り、トブの大森林の奥に逃げるしかない。

 恐らく村の外にも未だ王国の兵がいる可能性が高いため、念のため身を屈めてなるべく目立たないようにしながらトブの大森林へと駆け出した。子供たちの中には体力のまだ少ない幼子もいたため、ここからはツアレを含めた少し大きな子供たちが幼子を背負って先を急ぐ。

 しかしどんな執念なのか……、もうすぐトブの大森林に入れるというところで大きな怒声が響いてきた。

 マーレが駆けている足は止めないままチラッと後ろを振り返れば、カルネ村の塀の影から多くの王国兵がこちらに駆けてくる姿が目に入った。

 恐らく村人を誰一人として逃さないよう、裏門に周って見張っていたのだろう。だからこそ裏門ではなくこの秘密扉から脱出したのだが、どうやら予想以上に王国軍はカルネ村をグルっと囲い込んでいたようだ。

 こちらに駆けてきている王国兵の中には馬に乗っている者もおり、マーレはまだしも他の面々は間違いなく追いつかれてしまうだろう。

 王国兵の足止めをしながらこのまま逃げるか……、それともここで立ち止まって王国兵を迎え撃つか……。

 一体どの行動が正しいのか……とマーレが思い悩む中、気が付けば王国兵がすぐ側まで迫っており最後尾を走っていた幼子を背負っていた子供に肉薄していた。

 

「……!」

「だめっ!!」

 

 マーレが咄嗟に足を止めたのとネムが声を上げたのはほぼ同時。ネムは今まさに攻撃されそうになっている子供の下へ駆け寄ると、小さな両手を必死に大きく伸ばした。

 しかし未だ子供のネムの足では、どんなに急いでもその手は間に合わない。

 必死の表情を浮かべたネムのすぐ目の前で王国の兵の刃が閃いた、その時……――

 

 

 

「――……まったく…、カルネ村には迷惑をかけないようにって言ってたのに……」

「「「……!!?」」」

 

 鮮やかな閃光が空を切り裂いたと同時に今まさに攻撃しようとしていた王国兵が吹き飛ばされる。

 続いて響いてきた聞き慣れた声に、マーレはハッとそちらを勢いよく振り返った。

 

「みんな、大丈夫? 間に合ってよかったよ」

「「ペロロンチーノ様!」」

 

 マーレとネムの声が同じタイミングで同じ言葉を発する。

 マーレやネムの視線の先にいたのは、ゆっくりとゲイ・ボウを下ろしながら佇んでいるペロロンチーノ。彼の傍らにはアウラと彼女のシモベである多くの魔獣たちも立っており、アウラは心なしか少し呆れたような表情を浮かべてこちらを見つめていた。

 どこか責めるような姉の視線にマーレが思わず肩を竦ませる中、ペロロンチーノが歩を進めてネムの前まで歩み寄っていった。

 

「ネムちゃんも怪我はない? 怖かったね。もう大丈夫だよ」

「ペ、ペロロンチーノさまぁ……!」

「よしよし、泣かないで、ネムちゃん」

 

 思わずといったようにふにゃりと顔を歪めて泣き始めるネムに、ペロロンチーノが柔らかな声音で声をかけながらネムの頭を撫でる。

 その姿にネムに対する嫉妬心がふつふつと胸の内に込み上げてくるのを感じながら、しかしマーレはその感情をおくびにも出さずにアウラと共にペロロンチーノのすぐ傍らに歩み寄った。

 

「あ、あの……ペロロンチーノ様……」

「マーレ、ここまでご苦労様。すまないけど、アウラと一緒に引き続きこの子たちを守ってくれないかな。俺はちょっとエンリちゃんや村の人たちを助けに行ってくるよ」

「えっ、で、でも……お一人で行くなんて、き、危険です……!」

「心配してくれてありがとう、マーレ。それじゃあ、アウラ、少しだけシモベの魔獣を借りても良いかな?」

「勿論です、ペロロンチーノ様!」

 

 マーレの心配する言葉を受けてペロロンチーノがアウラに指示を出せば、アウラは元気よくそれに応える。

 ペロロンチーノもそれに一つ頷くと、ネムやツアレや子供たちをマーレたちに任せて、アウラの魔獣たちと共にカルネ村の方に向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村の中はもはや泥沼の戦場と化していた。

 秘密扉からマーレやネムたちを見送ったエンリは、すぐさま踵を返して一番激戦となっているだろう場所に向かった。王国兵が目に映れば“女神の慈悲”を構えて矢を放ち、先を急ぎながらも未だ使えそうな矢が見つかれば拾って矢筒に補充する。そして目的の場所に到着すると、幾つかある盾の裏に身を滑り込ませて再び“女神の慈悲”を構えた。

 王国兵がなるべくこちらに近づかないように矢を放ち、しかしどんなに倒しても次々と現れる王国兵の数にエンリは苦々しく顔を歪めた。

 王国軍が本格的に攻めてきた最初の時はまだ整然とした万全の態勢で迎え撃つことができていた。

 火を放たれた塀が持ち堪えられている間に盾を運び出し、他にもバリケードに使えそうな物を村中からかき集めて村の至る所に設置していった。その際、『自分たちは立てこもって全力で戦うつもりでいる。逃げるつもりは一切ない』と知らせるために敢えて裏門もきっちり閉めた。そして正門付近の塀の何本かの丸太に傷をつけて鎖を巻き付けると、最後に弓矢が使える村人たちを中心に正門に狙いを定めていたのだ。

 数分後、遂に正門が外側から破壊され、王国兵が雪崩のように村の中に侵入してくる。

 瞬間、エンリたちが放った矢が王国兵を襲い、それと同時に力自慢の村の男たちが丸太に巻き付けた鎖を力いっぱいに引いた。丸太がミシミシと軋みを上げ、遂には他の丸太も数本巻き込んで王国兵たちに向かって崩れ落ちていった。

 恐らく王国兵が放った炎に焼かれて塀自体が脆くなっていたのも大きく崩れた原因だったのだろう。エンリたちにとっては幸運なことに、それによって王国兵の多くが下敷きになった。

 しかし元々の兵力差が雲泥の差なのだ。あちらは何千人もおり、対してこちらは数十人。

 これくらいでは焼け石に水でしかなかったのだろう。数十分後にはすっかり態勢が崩れ、エンリたちは瞬く間に劣勢に追い込まれていった。

 以前からアインズやウルベルトから『君たちに何かあればペロロンチーノが傷つく』と言われていたため、誰もが死なないことを第一に考えながら行動してはいたが、それでも怪我を負うことはどうしようもない。また、判断を誤り致命傷を負って死んだ者も何人か出てきてしまっていた。

 目の前で繰り広げられている激しい戦いに、以前の……ペロロンチーノたちに始めて会った時の惨劇がエンリの脳裏に蘇る。同時に怒りや悲しみや悔しさなどの感情が湧き上がり、エンリは咄嗟に歯を食い縛りながら腰にある矢筒に手を伸ばした。

 しかし手は空を切り、ハッと矢筒に目を向ける。

 そこにはもはや矢は一本もなく矢筒は空になっており、攻撃手段がなくなったことに急激に焦りが湧き上がってきた。

 どこかに矢は落ちていないか、一時的にでも身を隠せる場所はないか、と咄嗟に周りに視線を走らせる。しかし矢は一本も落ちておらず、また周りも多くの王国兵に囲まれていて逃げられる場所は見つけられなかった。いつの間にか相当追い込まれていたことに漸く気が付き、更に焦りが加速していく。

 一体どうすれば……と思わず“女神の慈悲”を強く握り締めた、その時。

 突然空から降り注ぐ大量の矢の雨。

 王国兵の多くが矢に撃たれて地面に倒れ伏し、矢の雨が止んだとほぼ同時に見たことのない多くの魔獣たちがどこからともなく次から次へと現れて王国兵に襲いかかっていった。突然の魔獣の襲撃に王国兵が悲鳴を上げ、中には剣を振るって追い払おうとする者もいたが、何一つとして魔獣には歯が立たない。

 目の前で人が魔獣に襲われているという悲惨な光景が広がる中、しかしエンリを初めとするカルネ村の人々はあまりにも突然のことに思考がついていかず、ただ呆然とその光景を見ることしかできなかった。

 何が起こっているのかと何度も目を瞬かせていると、不意に頭上からずっと聞きたかった声が聞こえてきた。

 

「――……こらこら、張り切ってくれるのは嬉しいけど、ここで食べたりしちゃ駄目だよ」

「「「……!!」」」

 

 ハッと頭上を見上げれば、そこには会いたくて仕方がなかった黄金の翼が大きく羽ばたいている。

 上空からゆっくりと舞い降りてくるペロロンチーノの姿に、エンリは思わず感極まって両目に涙を溢れさせた。

 

「取り敢えず、王国の兵士は残らず殲滅。逃げた奴も取り逃がさないようにね。後、死体は全部持って帰るから取り敢えず村の外に一か所にまとめておいてくれ」

 

 ペロロンチーノはエンリのすぐ目の前に舞い降りると、まずは魔獣たちに指示を出す。

 魔獣たちは応えるように咆哮を上げると、未だ生きている王国兵に襲いかかったり、村の外へ駆け出していった。

 我先にと行動していく魔獣たちを見送った後、漸くペロロンチーノがこちらに顔を向けてくれる。

 久しぶりにすぐ側で見ることのできたペロロンチーノの姿に、エンリは我慢できずに涙を溢れさせた。次々と零れ落ちて頬を濡らしていく涙の雫に、そっとペロロンチーノの手が伸ばされて頬を撫でるように涙を拭ってきた。

 

「エンリちゃん、怖い思いをさせちゃってごめんね。後、助けに来るのが遅くなって、ごめん」

「ペ、ペロロンチーノ様……っ!」

「取り敢えず、ネムちゃんたちは全員無事だから安心して。それから……もう危ない目にあわせたりしないから」

 

 頬に添えられていた手が離れ、今度は頭に乗せられる。ゆっくりと頭を撫でられ、エンリは我慢できずに衝動のままに目の前のペロロンチーノに抱き付いた。純白と黄金の柔らかな羽根の感触と温かな体温に、涙と嗚咽が止まらなくなる。

 一拍後、背中に回される両腕の感触と安心させるようにポンッポンッと背中を叩く掌の感触に、エンリは全身を包み込む安心感に更に涙を溢れさせながら、暫くの間ペロロンチーノに抱き付いて離れることができなかった。

 

 




今回は主にカルネ村回でした!
また、初のマーレ視点も一部ありましたが、予想以上に書くのが難しかったです……(汗)
因みにカルネ村に王国軍の一部を向かわせたナザリックの目的については、次回以降で書いていく予定になっておりますので暫くお待ち頂ければと思います。

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