世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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今回も最初はニグンさん視点です。


第7話 闇へと堕ちる

 ピチャ…ピチャ…と一定の冷たい音が意識をかすめる。

 まるで微温湯に揺蕩うように微睡んでいた意識が音を拾い、不意に先ほどまでの光景が一気にフラッシュバックした。

 反射的にビクッと大きく跳ねる身体と、ガシャンっと鋭く鳴る金属音。

 閉じていた目をハッと見開いて、一体自分はどうなったのかと周りを見回そうとする。しかし頭だけでなく身体中が動かないことに気が付いて思わず目を見開かせた。

 手首、足首、腰、胸と何かに縛り付けられている感覚があり、何故か肌寒くも感じられる。

 ニグンは意識を失う前のことを思い出しながら、必死に眼球だけを動かして今の状況を少しでも把握しようとした。

 視界に入ってきたのは石でできた天井と壁。白色光を放つ謎の物体が唯一の光源なのか部屋の中はひどく薄暗い。まるで地下牢のように空気はひんやりと湿っており、チラッと視界の端に見えた光景や肌の感覚から、自分が全裸で壁に縛り付けられているのだと理解した。

 不意に対峙していた痩せた男の言葉を思い出す。

 彼は自分たちのことを“情報提供者”と呼んでいた。

 今の状況と鑑みれば、否が応にもこれから己が身に何が起こるか分かってしまった。

 

 

 

「あらん、起きたのねん?」

 

 不意に女とも男とも判断が付かない濁声が聞こえてきた。

 ヒタヒタと暗闇から湿った音が近づき、ヌゥッと姿を現したのは見たこともないおぞましい化け物だった。

 溺死体のような濁った白い肌に、人間と同じくらいの体躯。全体的なシルエットも人間と同じだったが、頭部は巨大な蛸のようで六本の太い触手が太ももの辺りまで垂れ下がっている。醜く膨れ上がった身体には黒い革製の帯が服のように巻きついており、肌に食い込んでいる様はブヨブヨとした肉質を強調している様で怖気が走った。

 化け物は瞳のない青白く濁った大きな目に自分を映すと、水かきのついた細長い四本の指をこちらへと伸ばしてきた。

 

「うふふふ。寝覚めは良好かしらん?」

 

 優しく語りかけられ、指先が頬を撫でてくる。

 見た目のイメージと変わらぬヌルリとした冷たい感触に、一気に背筋に悪寒が走る。

 無意識に腕が動き、ガチャっと金属の音が小さく響いた。

 こちらに身を寄せてきた化け物から花のような甘い香りが漂い、そのアンバランスさが更に恐怖心を煽ってくる。

 

「あら、そんなに緊張しなくてもいいのよん。…でも、それも仕方ないことかしらん」

 

 指が頬から離れ、次には自身の頬らしき部分に添えて小首を傾げる。美しい女性がやればとても似合うものだったが、しかしやっているのは生理的な嫌悪感しか抱けない化け物。可愛くもなければ美しくもなく、あるのは悪寒と恐怖だけ。

 目の前の化け物は一体何なのか。

 部下たちは一体どうなったのか。

 これからどんなことを聞かれ、どんな目に合うのか…。

 忙しなく頭を回転させながら、ニグンはひたすら早く問答が開始されることを祈った。

 ニグンを含む聖典のメンバーは、ある状況下で三つ質問されてそれに答えると命を落とす魔法をかけられている。逃げられる可能性も助けが来る可能性も皆無に等しい中、もはやニグンには死を待つことしかできなかった。

 捕まるまではあんなに死にたくないと思っていたのに、今は死が何よりの救済に思えてくる。

 さっさと息絶えて早くこの恐怖から解放されたかった。

 

「今日はとても素晴らしい日よん。私の初仕事を至高の方々の御一人であらせられる御方が見に来て下さるのん」

 

 身悶えているのか、クネクネではなくグネリグネリと巨体を揺り動かす。しかし化け物が喜ぶことなどこちらにとっては碌なことではないとニグンが思わず身を強張らせた瞬間、聞き覚えのある声が不意に鼓膜を震わせた。

 

「準備はできているかね、ニューロニスト」

 

 どこまでも軽やかで皮肉気な口調。

 間違いなく対峙した二人の魔法詠唱者(マジックキャスター)の一人である痩せた男だとそちらへと目を走らせる。

 しかし視界に飛び込んできた影に、ニグンは大きく目を見開かせた。

 薄暗い闇から進み出てきたのは、人間のような異形を引き連れた山羊頭の化け物だった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 デミウルゴスを後ろに引き連れたウルベルトは意気揚々と第五階層の氷結牢獄を訪れていた。

 コツコツと蹄と革靴が石畳を蹴っては硬質な音を響かせる。

 第五階層ということもあり身を切るような冷気がこの場を支配していたが、二人の悪魔にとっては何の障害にもならず、ただ吐く息のみが白く気ぶっては視界を一瞬遮り静かに消えていった。

 既に捕虜たちが目を覚ましているのか、前方から声のような音が小さく聞こえてくる。

 ウルベルトは目的地である「真実の部屋(Pain is not to tell)」まで辿り着くと、デミウルゴスが開けてくれた扉を潜って室内へと足を踏み入れた。

 

「準備はできているかね、ニューロニスト」

 

 驚愕の表情を浮かべる壁に縛り付けられた見覚えのある男と、こちらを振り返ってくる脳喰い(ブレインイーター)ににっこりと笑みを浮かべる。脳喰いはグネリグネリと嬉しそうに身をくねらせると目の前で跪いて深々と頭を下げてきた。

 この目の前の脳喰いはナザリックの五大最悪に数えられる一人なのだが、今の悪魔となったウルベルトにとっては全く醜悪さも嫌悪感も感じられない。一心にこちらを慕う様にどことなく愛嬌すら覚えて、ウルベルトは自然と笑みを柔らかく深めさせた。

 

「ようこそおいで下さいました、ウルベルト・アレイン・オードル様! お待ちしておりましたわん」

「あぁ、ウルベルトで構わないよ。他のシモベたちにもそうしてもらっているし、フルネームだと長ったらしいからね」

 

 手振りで立つように促しながら、ウルベルトは壁に縛り付けられている男を見やった。

 見覚えがあると思っていたが、やはり命乞いをしてきたリーダーと思われる男だ。全裸で怯えたように震えている様はひどく滑稽で、哀れにさえ思えてくる。

 ウルベルトはゆっくりと男に歩み寄ると、わざとらしいまでの満面の笑みを浮かべてみせた。

 

「あの時は名も名乗らずに失礼したね。私はウルベルト・アレイン・オードル。この子は我が最高傑作の被造物であり息子のデミウルゴス。そしてこちらは今後君が一番世話になるだろう特別情報収集官、拷問官のニューロニストだ。これから末永くよろしく頼むよ」

 

 男の顔が徐々に青白くなり、絶望の色を濃くしていく。あの時、声高に自分たちを殺すと言っていたのが嘘のようだ。

 男のあまりの変わりように満面の笑みを浮かべると、ウルベルトは小首を傾げて男の顔を覗き込んだ。

 

「…とは言え、あの時の姿とは違うからねぇ。私が誰か君は分かっているのかな?」

「あ、あなた、さまは……仮面を被っていない方の、魔法詠唱者(マジックキャスター)さま、でしょう…?」

「おや、よく分かったものだ。まずは、おめでとう」

 

 どもりながらも正解を口にする男に、ウルベルトは満足して近づけていた顔をゆっくりと離した。

 警戒しているのかこちらを注視してくる男をマジマジと見やり、続いて後ろに控えているニューロニストを振り返った。

 

「さて、これから尋問を始めるわけだが…何か隠し持っていたり魔法をかけていたりはしていなかったかい?」

「手や足は勿論のこと、口の中にも何も隠し持ってはおりませんでしたわん。ですが、魔法と言うのは一体どういう意味でしょうか?」

「勿論、彼自身に魔法がかけられていないかということだよ。例えば時限式で自爆する魔法がかけられていたり、全てに嘘を言ってしまう魔法がかけられていたり…」

「そのような魔法があるのですか!?」

 

 今まで大人しくしていたデミウルゴスが驚いたように問いかけてくる。

 正直先ほど述べた例は単なる思いつきに過ぎなかったが、しかし必ずしも可能性がゼロだとはウルベルトは思ってはいなかった。

 あのガゼフとかいう王国戦士長の男もユグドラシルでは見たことのない技を使っていたのだ、この世界独自の魔法がある可能性は十分に考えられる。それにこの男がどこかの国の組織の人間であることはほぼ間違いないのだ。現実世界(リアル)でよく見ていた映画では、尋問や拷問で情報を漏らさないように自害したり相手を巻き込む方法で死ぬシーンがよく描かれており、この男も同じことをする可能性は否定できなかった。

 

「私が先ほど述べたものは、あくまでも可能性の一つに過ぎない。しかし、何事にも慎重に取り組むことは無駄ではないだろう? …どれ、少し調べてみるとしよう」

 

 ウルベルトは指先で顔の右半分を覆っている仮面を軽く撫でると、標的を男に向けて仮面の力を発動させた。

 ペストマスクのような形をした赤と金の片仮面はウルベルトの主装備の一つ、神器級(ゴッズ)アイテムの“知られざる(まなこ)”というアイテムだ。対象のレベル、HPやMP残量、ステータス、状態異常までもを見ることのできる便利アイテムである。尤も、対象者が阻害するアイテムを装備していれば見れなくなってしまうのだが、何かと使い勝手の良いアイテムには違いない。

 ウルベルトが“知られざる眼”越しに男の全てを見つめると、多くの情報がウルベルトへと流れ込んできた。男の名前、レベル、HPやMPなどの情報が次々と流れ、ふと状態異常の部分でウルベルトは思わず顔を顰めさせた。

 

「如何なさいましたか、ウルベルト様?」

 

 ウルベルトの様子に気が付き、デミウルゴスがすぐさま声をかけてくる。しかしウルベルトはそれに答えることができなかった。無意識に豊かな顎鬚を扱きながら思考を巡らす。小さく目を細めさせて男を凝視し、不意に後ろに控えるニューロニストへと視線を移した。

 

「ニューロニスト、悪いが捕虜をもう一人ここに連れて来てくれ」

「はっ、すぐに」

 

 ニューロニストは一度跪いて頭を下げると、次には素早い動作で部屋を出て行った。あの巨大な肥満体では考えられないほどの素早さに少しだけ感心させられる。

 数分も経たぬ内に扉が再び開き、ニューロニストと二人の拷問の悪魔(トーチャー)、そして拷問の悪魔に挟まれるような形で一人の男が部屋の中へと入ってきた。

 拷問の悪魔の手によって壁に縛り付けられた男は、怯えたように身を震わせながらこちらを見つめてくる。

 ウルベルトは新たに来た男の前へと歩み寄ると、男に向けて“知られざる眼”を発動させた。

 先ほどと同じように男のあらゆる情報が頭の中へと流れ込んでくる。そして再び状態異常のところで引っかかり、ウルベルトは力の発動を止めて小さく息をついた。

 まさか冗談半分で言った自分の言葉が当たるとは思わなかった…と内心で悪態をつく。

 しかしこのままにしておく訳にもいかず、ウルベルトはさっさと行動を起こすことにした。

 

「こいつもか…。……デミウルゴス」

「はっ。『何も喋らず、動かず、大人しくしたまえ』」

 

 言葉にせずともウルベルトの意向を汲み取ったデミウルゴスがすぐさま特殊技術(スキル)を発動させた。

 耳触りの良い悪魔の声が二人の男に命を下し、その全てを縛り付ける。

 デミウルゴスの持つ常時発動型特殊技術(パッシブスキル)『支配の呪言』。

 レベル40以下の存在はデミウルゴスの言葉に逆らうことができなくなる。

 これで彼らが知らぬ間に何かしてくる心配はないだろうと判断し、ウルベルトは男たちの装備品などを調べているであろうモモンガたちに素早く〈伝言(メッセージ)〉を繋げた。

 

「モモンガさん、ペロロンチーノ。少し相談したいこと…というか、許可してほしいことがあるので氷結牢獄に来てくれないかね?」

『ウルベルトさん? それは構いませんけど…、どうかしたんですか?』

『問題発生ですか~?』

「少し気になることが出てきましてね…。意見を聞きたいので今すぐ来て下さい」

『…分かりました。すぐにそちらに行きますね』

『了解です!』

 

 〈伝言(メッセージ)〉が途切れ、数十秒後に「真実の部屋」の扉が外側から開かれる。指輪で転移してきたのだろう、先ほど連絡したばかりのモモンガとペロロンチーノが室内へと入ってきた。すかさず跪くデミウルゴスやニューロニスト、拷問の悪魔たちを手振りだけで制すると、二人は真っ直ぐにウルベルトの元へと歩み寄ってきた。

 突然の高位の異形たちの登場に男たちが驚愕の表情を浮かべる。

 しかしデミウルゴスの力によって声を上げることも身じろぐことさえできない男たちを見やり、モモンガとペロロンチーノは不思議そうに男たちとウルベルトを交互に見やった。

 

「…それで、この者たちがどうかしたのか?」

「先ほど二人に“知られざる眼”を使用したのだがね…、状態異常のところでどうにも解読不明な情報が出てきたのだよ。どうやら自分自身に何かの魔法をかけている様だ」

「何かの魔法って…、何か分からないんですか?」

「全く分からない。この世界独自の魔法かもしれない」

 

 状態異常の部分を文字にするなら“?????”か“*****”だろうか。バグやエラーというよりかは、本当に解析不能な謎の状態にあるという感じだ。

 

「そこでだ、この男を使って色々と試したいと思うのだよ。捕虜を一つ無駄にするかもしれないし少々この場を散らかしてしまうかもしれないが構わないかな?」

「……仕方あるまい。だが、くれぐれも無茶はせずに慎重にな」

「お待ちを、ウルベルト様」

 

 モモンガの許可を貰い、さっそく新しく連れてきた方の男へと向き直る。

 しかしすぐに後ろに控えていたデミウルゴスから制止がかかった。

 

「そのような危険に御方々を晒すようなことなどできません。どうかここは我らに任せ、御方々は御下がりください」

「心配性だな、デミウルゴス。私なら大丈夫だ。お前たちこそ下がっていたまえ」

「ウルベルト様!」

 

 デミウルゴスの制止を無視して男へと歩を進める。

 山羊の顔に浮かぶ笑みも歩く態度も自信に満ちたものだったが、しかしそれ故にこのまま言葉に従って何もしない訳にもいかない。モモンガとペロロンチーノの身はニューロニストと拷問の悪魔たちに任せ、デミウルゴス自身はウルベルトの背後について何かあればすぐさま動けるように控えることにした。

 ウルベルトが後ろ手に合図を送ってくるのに気が付き、気が進まないながらもゆるりと口を開く。

 

「…『話すことを許可する』」

 

 特殊技術(スキル)を解いたのはウルベルトが実験に選んだ男一人のみ。

 男は恐怖に顔を引き攣らせながらキョロキョロとウルベルトや隣に縛り付けられている上司の男を交互に見やる。今から己が身に何が起こるのか理解しているのだろう、その目には死への恐怖だけではなく哀願のような色も浮かんでいた。

 しかしここに来て彼らの運命が変わるはずもない。

 ウルベルトは満面の笑みをそのままに、わざとらしく小首を傾げてみせた。

 

「まずは答えやすいようにさせてもらおう。〈支配(ドミネート)〉。…さて、まずは君たち自身の状態異常について何か知っているかな?」

「…はい。恐らくそれは我らにかけられた魔法のことだと思います」

 

 〈支配(ドミネート)〉の魔法にかけられて、男が途端に虚ろな表情となって大人しく質問に答え始めた。

 

「なるほど、やはり魔法か。では、どのような魔法なのかな?」

「…ある特定の状況下で三つ質問に答えると命を落とす魔法です」

「なるほど、なるほど。それで、その魔法をかけたのはどこの誰だ?」

「スレイン、法国…の……、さいこ…し…か………ごぼっ!」

 

 三つ目の質問時、途端に言葉が途切れがちになり、全てを答えきる前に嫌な音が男の口から零れ出た。すかさずデミウルゴスがウルベルトの前に回り込み、男との距離を取らせる。瞬間、男の口から大量の鮮血が噴き出し、ビチャビチャと床を汚した。デミウルゴスのおかげで服を汚すことはなかったが、男は白目をむいて脱力しており、どこからどう見ても事切れていることが分かる。

 ウルベルトは一つ頷くと、少し離れた場所で様子を見ていたモモンガたちを振り返った。

 

「…だ、そうです」

「いや、“だ、そうです”と言われてもだな」

「でも全員が三回目で死んじゃうんだったら情報が少しも集まりませんよ」

 

 困惑するモモンガの横でペロロンチーノがマイペースに問題点を口にする。

 彼の言葉通り、今回捕まえた人間は大体40人前後で非常に少ない。未だ右も左も分からない状態で情報はいくらあっても足りないというのに、これではきちんと得られる情報は80程しかないだろう。

 しかし裏を返せば、質問に答えさえしなければ彼らにかけられた魔法は全く発動しないということだ。ならば情報収集用を少数と残りを実験用に別け、情報収集用の人間にはアイテムを使って魔法を無力化すればいい。

 情報収集用の人間はリーダーと思われる目の前の男と、後は2、3人程度で良いだろう。それくらいの人数であれば使うアイテムも少なく済むし、大した痛手にもなりはしない。どうせなら使用するアイテムも実験を兼ねたものにすればいいと結論付けると、ウルベルトはアイテム・ボックスからあるアイテムを取り出した。

 彼が握り締めているのは青紫色の液体が入った怪しい小瓶。

 唯一小瓶の正体を知っていたモモンガとペロロンチーノが慌てる中、ウルベルトは小瓶をデミウルゴスに渡して一言命を下した。

 

「飲ませて、喋れるようにしろ」

「はっ。『飲みたまえ。その後、発言を許可する』」

 

 どこまでも主に忠実な悪魔は何の迷いもなく、受け取った瓶を片手に再び特殊技術(スキル)を発動した。男の顎を鷲掴み、容赦なく男の口の中へと液体を流し込む。

 男はデミウルゴスの特殊技術(スキル)によって成す術もなく液体を含み、喉の奥へと飲み下した。液体は食道を通り、急速に身体へと吸収されていく。

 見た目は全く変化はなかったが、ウルベルトは何となく男の気配が微妙に変わったのを感じ取った。デミウルゴスも感じたのだろう、どこか不思議そうに小首を傾げ、興味深そうに男を見つめている。もしかしたら悪魔としての感覚に引っかかるものがあるのかもしれない。

 さもありなん、とアイテムの正体を知っているウルベルトは内心で納得しながら、少しだけ男へと歩み寄った。

 ウルベルトの横長の瞳孔を持った不気味な金色の瞳と、男の怯えた色を宿した漆黒の瞳が宙でかち合う。

 

「それでは始めるとしよう。〈支配(ドミネート)〉、これでよし。…まずは名前を教えろ」

「…ニグン・グリッド・ルーイン、です」

「お前たちはスレイン法国の軍人か?」

「は、い。われわれ…は……とくしゅ、こ…ぶた………ぐ、ぅっ!」

「…あれ、三回質問したっけ?」

 

 突如苦しそうな表情を浮かべて吐血する男に、ウルベルトは思わず小首を傾げた。目の前で突然人間が血を吐いて瀕死の状態になったというのに呆れるほどに落ち着いている。

 先ほどのアイテムが無事に効力を発揮すると確信しているからか、それとも悪魔としての性質故か。

 突然死にかけたことよりも何故そうなったのかという理由に思い至らず小首を傾げる。

 頭上に疑問符を多く浮かべるウルベルトに、今まで大人しく控えていたニューロニストが控えめに前に進み出てきた。

 

「ウルベルト様ん、僭越ながらウルベルト様は始めにこの男に自分が誰か分かるかと問いかけておりましたわん」

「…ああ、そう言えば。あれもカウントに入るのか…」

 

 ニューロニストの言葉に納得してウルベルトの金の瞳が男を見据える。

 もうそろそろアイテムの効果が表れる頃だろう。

 ウルベルトの予想通り、彼らの目の前で男に今までなかった変化が起こり始めていた。

 額には青紫色の魔法陣にも似た複雑な紋様が浮かび上がり、血に濡れた唇が微かに震える。虫の息だった身体が大きく痙攣し始め、まるで発作を起こしたように激しく苦しみだした。

 しかしどんなに苦しんで暴れても、その身は壁に縛り付けられているため身動き一つとれはしない。

 男の急変に驚いたのかデミウルゴスはウルベルトを守るように前に出て警戒し、ニューロニストや拷問の悪魔たちもモモンガとペロロンチーノの前に出る。何かあればすぐさま反応して男を消し炭にでもするつもりなのだろう。

 しかしウルベルトは勿論の事、モモンガとペロロンチーノも静かに男の様子を見守っている。

 彼らの目の前で男の姿はどんどん変化していった。

 ただでさえ青白かった肌は蝋の様に白くなり、バキゴキという音が男の全身から聞こえてくる。人間らしい丸みを帯びていた耳は木の葉のように鋭く伸び、こめかみ部分からは角のようなものが二本血を噴き出させながら生え始めた。苦痛から噛みしめられている歯も犬歯が鋭くなり、牙へと姿を変える。

 男はすっかり人間から異形へと姿を変えていた。

 

 

「……これは、一体…」

 

 デミウルゴスから困惑したような声が零れ出る。

 悪魔や脳喰いたちの疑問の視線に、ウルベルトは満足そうな表情を浮かべてみせた。

 

「先ほどこの男に飲ませたのは“カルマへの闇液”というアイテムで、簡単に言えばダメージを負ったら異形種へと変わるアイテムだ」

 

 ユグドラシルでは途中でアバターの種族を変える手段は幾つかあるが、その一つにアイテムによる変更がある。代表的なものだと“堕落の種子”や“昇天の羽”などが上げられるが、今回ウルベルトが使用した“カルマへの闇液”はロールプレイ色の強い少々特殊なアイテムだった。

 先ほどの“堕落の種子”や“昇天の羽”などは使用するだけで種族を変えることができ、なおかつ変えられる種族はアイテムによって決められている。しかし“カルマへの闇液”は使用しただけでは種族を変えることはできず、何かしらのダメージを受けて初めてアイテムの効果が発動するのだ。それも即死防止の効果もあるため、どんなダメージを受けても一回は即死を阻止することができるというおまけつきである。加えて変化する種族は固定ではなく、異形種ということ自体は決まっているものの、詳しい種族はランダムとなっていた。アンデッドになるのか、悪魔になるのか、獣人になるのか、半魔巨人(ネフィリム)になるのか…、何に変化するのかはその時の運次第。男の姿を見る限り、彼はどうやら小悪魔(インプ)になったようだ。数多ある異形種の中でも小悪魔を引き当てるとは、何やら因縁めいたものを感じてウルベルトは思わず興味深く男を見つめた。

 男は大分落ち着いたのか、未だ乱れた呼吸を繰り返しながらも閉じていた目を開けてウルベルトを見上げてきた。

 こちらに向けられた瞳は黒から血のような深紅に変わっており、眼球の白目部分も黒く染まっている。もはやどこからどう見ても悪魔である。

 このアイテムを人間種が使用した場合、人間種は種族レベルがないために変化した種族レベルが5レベルだけプラスされる。恐らくこの男もレベルが5レベル上がっているだろう。

 

「ふむ、無事に実験は成功のようだな。さて、気分はどうだね?」

 

 少しだけ身を屈め、視線を合わせて顔を覗き込む。

 よく見れば深紅の瞳の瞳孔は縦長に伸びており、まるで猫の目のようになっていた。

 

「………素晴らしい気分、です。まるで、新たな存在に生まれ変わった様な…」

「フフッ、まるでではなく正しく生まれ変わったのだよ。人間などよりももっと素晴らしい存在へとね。〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 ウルベルトは魔法で手鏡を創り出すと、男の姿を映して見せてやった。

 この男はスレイン法国という人間種の宗教国家に属する信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。人間の神への信仰心が厚いであろうこの男が、人間の敵であるはずの異形種に変えられて一体どんな反応を見せてくれるのか大いに興味があった。

 泣き叫ぶのか、怒り狂うのか、殺してくれと哀願するのか、それとも全く別の反応を見せるのか…。

 個人的には哀願が好みだな…と内心で呟きながら、じっと男の様子を窺う。

 しかし男の反応は全く違うものだった。

 

「…は、ははっ、はははははは! これは…素晴らしい……! このようなことが可能とは…、正に神の御業っ! …あなた様方は正しく神だったのですね!」

「……ほぅ、我々が神か。…それにこの反応は、中々に興味深い」

 

 恍惚とした笑みさえ浮かべて自分たちを神と崇めだす男に、ウルベルトは強い興味を覚えた。

 自分の予想したものとは全く違った反応。悪魔となったことで感覚や性質が変わってしまったのか、それともこの男本来の性質なのか…。どちらにせよひどく興味深く、それでいて愉快に思えて仕方がなかった。

 片や神に反逆する悪魔。

 片や生を憎むアンデッド。

 片や本能に忠実な獣人。

 これほど神の敵として相応しい者はおらず、神と崇められるのに相応しくない者はいないだろう。

 しかし、それでも男は自分たちを神だと崇め、恭しく頭を垂れようとしている。

 これを愉快だと言わずして何と言うのか。

 

「フフッ、これは良い、君を気に入ってしまったよ。…君には特別に慈悲を与えてあげよう。我が忠実なシモベとなれ」

「ウルベルト様!?」

 

 デミウルゴスから驚愕の声が飛んでくる。

 声こそ上げなかったものの、背後のニューロニストや拷問の悪魔たちも驚いた様子である。

 しかしウルベルトは全く気にせずに真っ直ぐ男だけを見つめていた。

 

「これよりは私を絶対の主とし、情報は勿論の事、その身、その命、お前を形作る全てを私に捧げろ」

「はい、私の全ては貴方様のもの。この身とこの命にかけて、貴方様に忠義を尽くします」

「よろしい。…良いですよね、モモンガさん」

 

 満足な笑みと共にモモンガとペロロンチーノを振り返れば、二人はやれやれと頭を振っていた。

 

「…仕方あるまい。それに、今更反対しても聞かないだろう」

「さすがモモンガさん、私のことを良くお分かりで」

「というか、ウルベルトさん。結構最初からこの人のこと、気に入ってたでしょう」

 

 でなければこのような方法など取るはずがないと指摘するペロロンチーノに、ウルベルトはニンマリとした笑みを浮かばせた。後ろでは“お気に入り”という言葉にデミウルゴスたちNPCが少なからず反応していたのだが、幸か不幸かモモンガたち三人はそれに全く気が付いていない。

 しかしウルベルトからすればペロロンチーノの指摘は当たらずと雖も遠からずといったものだった。

 確かにこの男はウルベルトが気に入る要素を大いに含んでいたが、あくまでもその程度だ。本当に気に入ったのは先ほどの男の反応があったからこそである。

 

「否定はしないが、肯定も出来かねるな。この男が私の気に入る要素を備えていたのは事実だが、本当に気に入ったのは先ほどだよ。幾つもの偶然と流れでの結果さ」

「どうだか…。まぁ、俺も二人が良いなら別に反対はしませんけどね」

「それは僥倖」

 

 無事にペロロンチーノの許可も取り、ウルベルトは後ろ手に拷問の悪魔へと合図を送った。拷問の悪魔たちはすぐさま行動を始め、戒めを解いて男の身体を壁から解放する。

 男は一度ペタリと地面にへたり込むと、よろよろとよろめきながらもその場に跪いて頭を下げた。

 ナザリックのシモベたちと同様に一心にこちらに忠誠を誓う姿に、知らずウルベルトの笑みが深められる。

 

「ニグン・グリッド・ルーイン、栄えあるナザリックに…我らが“アインズ・ウール・ゴウン”にようこそ」

 

 男の下げられている頭が一層地面へと垂れる。

 ウルベルトは満足げに一つ頷くと、背後のニューロニストを振り返った。

 

「さて、最初から手間取ってしまったが漸く落ち着いた。残りの捕虜たちを連れて来てくれ。まずは彼らの身体を徹底的に調べるとしよう」

「はい、ウルベルト様」

 

 ウルベルトが片仮面を撫でながら笑みを浮かべる。

 ニューロニストと拷問の悪魔たちは深々と頭を下げると、すぐに立ち上がって足早に部屋を出て行った。

 恐らく残りの捕虜たちを迎えに行ったのだろう。

 彼らの背中を見送りながらニグンをデミウルゴスに任せると、ウルベルトはそのままモモンガたちの元へと歩み寄った。

 

「ありがとうございます、モモンガさん、ペロロンチーノ」

「いや、構わない。…どうやら情報収集は上手くいきそうだな」

「ええ。また進展があり次第、ご報告しますよ」

 

 自信満々に頷くウルベルトに、モモンガとペロロンチーノも表情を緩めさせる。

 幸先の良い滑り出しに気分を高揚させながら、三人は気分よく微笑み合うのだった。

 

 




遂に登場、五大最悪の一人であるニューロニスト!
悪魔をこよなく愛するウルベルトさんはニューロニストも受け入れてくれるはず…と夢見てみる……。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“知られざる眼”;
右半分を覆う鳥のくちばしのような仮面(11巻キャラクター紹介のイラスト参照)。神器級の装備アイテム。対象の名前、レベル、HPやMP残量、ステータス、状態異常などを見ることができる。しかし対象者が阻害するアイテムを装備していれば見れなくなってしまう。

*今回の捏造ポイント
・“カルマへの闇液”;
種族を変えることのできるアイテム(液体瓶)。『堕落の種子』等とは少し違い、特定の種族ではなく、異形種内でランダムに変更する。ダメージを受けて初めて効果を発揮し、即死防止の効果も備わっている。異形種に変更するアイテムであるため、異形種が使用しても全く効果がない。人間種は種族レベルがないため、人間種が使用した場合のみ種族レベルが5レベルプラスされる。
ウルベルトはガチャで何個か持っているにすぎず、勿体なくて捨てるに捨てられなかった。

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