世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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第81話 開幕の扉

 木枯らしがだんだんと強くなり始めた時分。

 通常であれば凍てつく冬の到来を感じ始めるであろうこの時期に、しかしリ・エスティーゼ王国の城塞都市エ・ランテルだけは異様な熱気に包まれていた。

 25万もの人間が一つの都市に集まり、ある者は訓練用の棒を持って掛け声と共に振り回し、ある者はやる気なく地べたに座り込んでぼうっと空を見上げている。

 生温い熱気は澱んで沈殿し、まるで死臭のようにこの場にいる全てに不快感を与えている。

 しかしもはやこの都市にいる殆どの者は逃げることなどできず、ただ数日後に待ち受けているであろう死への恐怖に吐き気を堪えるだけだった。

 

 

 

 一方、エ・ランテルの中央にある都市長の館が建つ敷地内。

 都市長が過ごす屋敷のすぐ隣……都市長の屋敷よりもなお立派な建物である貴賓館の一室では、外の熱気とはまた違う熱気が気炎を上げて全てを熱していた。

 室内にいるのは仮の玉座に座るランポッサ三世と、その隣に立つ戦士長ガゼフ・ストロノーフ。逆隣には第一王子であるバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフが椅子に腰かけており、彼らの目の前には多くの貴族たちが大きな一つのテーブルを囲むように立っていた。

 テーブルの上にはエ・ランテルや戦場となるカッツェ平野が描かれた地図が置かれており、その上には更に白と黒二色の駒が並べられている。

 白は王国軍、黒は帝国軍を想定して並べられており、駒の数は白が二十五個で黒が六個と、白の方が圧倒的に多かった。

 

「――……さて、これで取り敢えずは準備が終わりました。これより帝国との戦争に向けて計画を進行させます」

 

 会議を率先して進行させていたレエブン侯が口を開いてこの場にいる全員に声をかける。この場に集う王侯貴族の全員が思わず大小様々な息を吐き、目の前のテーブルに広がる駒と地図を見やった。

 今回の戦場も例年通りのカッツェ平野。

 宣言書により例年通りの戦場を指定してきた帝国に、貴族たちも一時は『帝国もいつも通りの小競り合いで終わらせるつもりなのだろう』と考えていた。

 しかし現在カッツェ平野に集められている帝国軍の数が例年以上に多いという情報が届き、室内は一気に重苦しい緊張感を漂わせることになったのだった。

 

「今回、帝国の拠点で確認できたのは六軍団分の紋章……つまり例年よりも一.五倍多い六万の軍が揃っている可能性があります。今回の我ら王国軍の総兵力は二十五万で数的には圧倒的に優位と言えますが、先日話題に上ったワーカーチームの噂もあるため決して油断はできません。皆さん、計画通りに慎重に行動していきましょう」

「そういえば陛下、今年は法国からの書状は届いていないのですか?」

 

 誰もがレエブン侯の言葉に頷く中、不意に六大貴族の一つであるブルムラシュー侯がランポッサ三世に問いを投げかける。ランポッサ三世は自身に向けられる貴族たちの目を感じながら、ブルムラシュー侯からの問いに重々しく頷いて返した。

 ブルムラシュー侯が口にした“法国からの書状”と言うのは、毎年王国と帝国が矛を交える度に法国が送ってくる宣言書のことだ。

 内容はいつも同じで、『エ・ランテル近郊は元々はスレイン法国のものであり、現在、王国は不当な占拠を行っている。正当な持ち主に返還しなければならない。かつ不当な権利を巡って争うのは遺憾である』というものである。

 毎年この書状が届く度に『部外者が嘴を突っ込んでくるな』と誰もが顔を顰めていたのだが、何故か今年はその書状が届いていない。一体どういった風の吹き回しか……と誰もが首を傾げ合う。

 しかしどんなに疑問に思い首を傾げたところで分からないものは分からず、時間ばかりが過ぎるばかりだ。ランポッサ三世や貴族たちは未だ疑問を燻らせながらもこの問題は脇に寄せると、これからの確かなことについて集中することにした。

 

「それでは皆様、帝国からの指定通りカッツェ平野へ皆様の軍はすぐ出立できますか?」

「我が軍は問題ない」

「私の軍もすぐに出立できる」

 

 レエブン侯の確認の言葉に、多くの貴族たちが頷いて肯定する。

 そんな中、今まで大人しくしていた六大貴族の一人であるリットン伯が何かを思いついたような素振りと共にランポッサ三世を振り返った。

 

「……そういえば、例のワーカーチームと言えば、確かカルネ村なる辺境の村と関係があったとか……。その村で戦士長殿も彼のワーカーたちに助けられたという話でしたな?」

「……はい。カルネ村が襲われていたところを彼の御仁たちが助け、その後私も謎の信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団からこの命を救って頂きました。確か、仲間の一人をカルネ村に留め置き、ネーグル殿自身も定期的にカルネ村を訪れては何かと助力しておられるようです」

「であれば、その村に軍を送り、その仲間の一人や村人たちから詳しい話を聞きだした方が良いかもしれませんな! もしご命令頂ければ、この私がその村に赴きましょうっ!」

 

 リットン伯の提案に、周りから『おおっ!』という声が騒めきのように沸き起こる。

 声を上げた面々を見ればあまり地位が高くない貴族たちばかりで、恐らく誰かの腰巾着であることが窺い知れる。声を上げていない他の貴族たちは誰もがどこか白けた視線をリットン伯に向けており、彼らは全員がリットン伯の裏の目的を察しているようだった。

 カルネ村に行くというリットン伯の目的……、それは自身の安全と、もしかしたら手にするかもしれない大きな手柄。カルネ村に行くことで戦場から離れて自分自身の安全と自分の兵の損害を最小限に食い止め、またカルネ村に行き“サバト・レガロ”の弱みや交渉材料でも見つけられれば思わぬ手柄を手にできる可能性もある。自身の安全と権力を手に入れるためなら何でもする彼らしい、何とも姑息な考えだ。

 しかしカルネ村で情報収集をするという考え自体は決して間違っているものではなく、最終的にはランポッサ三世も一つ頷いてそれを許可した。

 

「良いだろう。カルネ村に向かい、村人たちから話を聞いてくるがよい」

「ははぁっ!!」

 

 自分の思い通りに事が進み、リットン伯は大袈裟なまでに深々と頭を垂れて礼をとる。リットン伯の斜め前に立っていたボウロロープ侯は苦々しい表情を浮かべ、睨むようにリットン伯を見つめた。

 自分と同じ貴族派閥の貴族が王に頭を下げたことが気に入らないのか、はたまたリットン伯の提案を自分がするつもりだったのか……。

 王派閥の貴族たちが探るような視線をボウロロープ侯に向け、それに気が付いたボウロロープ侯はすぐに表情を元に戻すと、改めて目の前の仮の玉座に座るランポッサ三世に目を向けた。

 

「……陛下、それでは最後に一つ決めねばならぬことがあります。……全軍指揮は誰に任せようとお考えなのでしょうか?」

「「「……!!」」」

「私であれば問題はありませんが?」

 

 仄暗い笑みを浮かべながら言葉を続けるボウロロープ侯に、王派閥の貴族たちが次々と苛立たしげに表情を歪める。ボウロロープ侯の言葉は丁寧なもので、あくまでも伺いをたてるという形をとってはいたが、その言葉の意味合いとしては『全軍の指揮権を自分に寄越せ』というものだった。貴族派閥筆頭のボウロロープ侯が王派閥筆頭のランポッサ三世に行う無礼な振る舞いに、王派閥の貴族たちはボウロロープ侯を睨み付け、貴族派閥の貴族たちは窺うようにランポッサ三世を見やる。

 一気に重苦しくなる緊張感の中、数分の静寂の後、ランポッサ三世は一つ息を吐いた後に再び口を開いた。

 

「………レエブン侯……」

 

 誰もが王の言葉に注目する中、王の口から出た名前は自身のものでもボウロロープ侯のものでもない。

 名を呼ばれたのは、蝙蝠と呼ばれ、貴族派閥にも王派閥にも広い人脈を持っているレエブン侯だった。

 

「侯に任せる。全軍を無事、カッツェ平野まで進軍させよ。そして軍の展開、および陣地の作成を任せる」

「畏まりました、陛下」

 

 王命を受け、レエブン侯が素知らぬ顔で応えて頭を下げる。

 ボウロロープ侯は顔に浮かべていた笑みを消すと、次には無表情のまま鋭い視線をレエブン侯に向けた。

 

「……レエブン侯、私の軍も任せるぞ。何かあったら言ってくれ」

「ありがとうございます、ボウロロープ侯。その時はお願い致します」

 

 両者とも声音は静かで落ち着いたものではあったが、交わしている視線はどちらも冷ややかで鋭いもの。両者の間で見えないはずの火花が激しく散っている様に見えて、再びこの場に強い緊張感が走り抜けた。思わずこの場にいる誰もがごくりと生唾を呑み込む中、ある意味この空気を作り出した一人であるランポッサ三世が一触即発の空気を打ち消すように再び口を開いた。

 

「それでは皆、出陣の準備を始めよ。戦場までは二日はかかるだろう、明日にも出る。準備は怠らないように。では解散」

 

 王の言葉に、緊張感が解けた貴族たちが次々と一礼と共に部屋を出ていく。

 ゾロゾロと我先にと去っていく貴族たちに、今まで大人しく会議の行く末を見つめていたバルブロもまた無言のまま座っていた椅子から立ち上がった。まるで引き止めるように声をかけてくる父王に『外の空気を吸ってくる』と言い捨て、半ば無理矢理足早に部屋を出ていく。そのまま暫くズンズンと廊下を突き進むと、見えてきたテラスまで歩み寄って漸く足を止めた。

 テラスに出てみれば冬が近いことが分かる冷えた空気が強い風となって全身を撫ぜ、一階の中庭が眼下に広がる。

 ここは二階のテラスであるため中庭を上から見下ろす形になり、しかし現在は秋ということもあって見渡せる中庭の美しさは春などに比べると半減しているように思えた。

 

 

 

 

 

「――……おや、これはバルブロ様ではございませんか」

「……っ……!!」

 

 テラスから中庭を睨むように見下ろしていると、不意に背後から聞き覚えのある声に名を呼ばれて反射的に振り返る。

 そしてそこにいた人物に、バルブロは驚愕に大きく目を見開いた。

 

「お前……! フロドゥールではないか! 何故お前がここにいるのだ!」

「実は私のお得意様が現在こちらに来ておりまして。本日はその方にどうしてもと頼まれましてこちらに伺っているのですよ」

「お得意様だと? 一体誰だ」

「それはどうかご容赦を。信用問題に関わりますので」

「むっ、……そ、そうだな……。これは俺が悪かった」

「いえいえ。ただ、バルブロ様も良く知る方であるとだけお伝えしておきましょう」

 

 流石にマズいことを聞いたと思ったのだろう、彼にしては珍しく素直に謝ってくる。

 フロドゥールはいつものどこか力のないふにゃりとした笑みを浮かべると、ゆるゆると頭を横に振った。

 

「……そういえば、バルブロ様は“例の物”は無事に持ってくることができたのですか?」

「あ、ああ、……この俺を誰だと思っている。思ったよりも簡単だったぞ!」

「それはようございましたね。後は本番で存分に有効活用できれば、誰もがバルブロ様の賢明さや偉大さを知り、その膝下にひれ伏すことでしょう」

「ふんっ、当然だ!」

 

 フロドゥールの言葉に、バルブロは気を取り直したように嬉々とした笑みを浮かべて大きく胸を張る。

 その傲慢で酷く愚かな姿に、フロドゥールは柔らかな笑みを浮かべながらも内心では呆れたため息を零していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、ここはエ・ランテルにある冒険者組合(ギルド)

 いつもは多くの冒険者たちで賑わうエントランスでは、現在これまでにない来訪客によっていつもと違った騒めきが起こっていた。

 エ・ランテルを拠点としている冒険者たちは全員が部屋の隅に寄り、一心にエントランス中央に立っている“彼女たち”を見つめている。

 彼らの視線の先には、リ・エスティーゼ王国に三組しかいないアダマンタイト級冒険者チームの一つである“蒼の薔薇”のメンバーが素知らぬ顔で立っていた。

 彼女たちがこのギルドに顔を出したのは数分前。受付の女に何やら声をかけ、それから一歩たりとも動かずに何かを静かに待っている。

 いや、一度だけ仮面の少女が“漆黒の英雄”モモンの所在について受付の女に問いかけ、現在彼らがエ・ランテルを留守にしていると知ると大きく肩を落としてはいたが、それ以降は何事もなかったように微動だにしていない。

 彼女たちは一体何故こんな時期にここに来たのだろう……と誰もが首を傾げる中、ドタドタという慌ただしい大きな足音と共に、エ・ランテルの冒険者ギルドの長であるプルトン・アインザックが受付けの女を従えて姿を現した。

 

「これは“蒼の薔薇”の方々! ようこそ、エ・ランテルの冒険者ギルドへ! お待たせしてしまい申し訳ない!」

「いいえ。こちらこそ、突然押しかけてきてしまいまして申し訳ありません。少しお話ししたいことがあるのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 

 足早に駆け込んでくるアインザックに、“蒼の薔薇”のリーダーであるラキュースが謝罪の言葉を口にする。続いて口に出したお願いに、アインザックは微かに首を傾げたもののすぐに了承して彼女たちを二階に促した。アインザックが彼女たちの先頭に立って二階にある会議室に案内し、念のためついて来ていた受付の女に人払いをするように指示を出す。それでいて扉をしっかりと閉めると、アインザックはラキュースたちに室内にある椅子に座るように促してから自らも彼女たちと対峙するような形で大きなテーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰を下ろした。

 

「それで……、早速ですが、この度はどのような用件でこのギルドに来られたのだろうか?」

「はい、これからの行動について誤解がないようにするため、事前に説明するために参りました」

「これからの行動……というと……?」

 

 チームを代表して話し始めるラキュースに、しかし彼女の言葉の意味が分からずアインザックは怪訝に顔を顰める。

 ラキュースは言葉に迷うように一度口を閉ざすと、一つ深呼吸をした後に真っ直ぐにアインザックを見つめた。

 

「数日後、王国は例年通り、カッツェ平野で帝国軍と戦うことになっています。私たち“蒼の薔薇”も、その時にカッツェ平野に向かいたいと思っています」

「……!!?」

「ですが、それは戦に参加するためではありません。それを事前にお伝えするために、こちらまで伺った次第です」

 

 冒険者はギルドの規定により、人間同士の争いには関われないことになっている。それは国同士の争いに対しても同様であり、もしこれに冒険者が参加したとなれば、多方面で問題が起きることになるだろう。それがアダマンタイト級冒険者であれば尚更だ。

 恐らく彼女たちはそれを懸念して事前に冒険者ギルドに説明しに来たのだろう。

 しかし、そもそも何故彼女たちが戦場に行こうとしているのかがアインザックには理解できなかった。

 

「……先ほど、戦に参加するつもりはないと仰ったが……それでは何故戦場に行かれるつもりなのだろうか?」

「………ギルド長は、今回の王国と帝国との戦争について、ある一つのワーカーチームの噂が流れていることをご存知でしょうか?」

「ワーカーの噂? ……ああ、確かにそんな噂が流れているというのは私も聞いたことがあるが……」

「実は王都でも数か月前から“ある帝国のワーカーチームが今回の王国と帝国との戦争に参加する”という噂が流れているんです。そしてそのワーカーチームは、私たちが以前とてもお世話になった方たちでした」

「……………………」

「私は、どうしても彼らを……彼を止めたい……! ……いえ、止めることはできないかもしれない……。それでも……、彼が何故この戦に参加するに至ったのか、私はどうしても知りたいのです」

 

 そのために戦場に行くのだと言うラキュースの強い眼差しに、アインザックは思わず言葉を失って黙り込んだ。何を言うべきか分からず、一度は口を開くものの、すぐに何も言えずに閉じてしまう。

 ラキュースの熱意や考えの一部は分かった。しかしそれでもなお、どうにも納得はできなかった。

 彼女の言うワーカーの話が噂である以上、そのワーカーが本当に帝国軍と戦場に出るとは限らない。また、仮にそのワーカーたちが本当に戦に参加するのだとしても、彼女たちが戦場に出ることでそのワーカーたちの真意が分かるとも思えなかった。

 

「あなた方の考えは分かりました。しかし戦場に出たからといって、そのワーカーの真意は分からないのでは?」

「いいえ。実は先日一度帝国の帝都に赴いてそのワーカーの方と会ってきたのです。その時、彼は『全てにはそうなることの理由がある』こと、そして『全ては王国の行動次第』であると言っていました。つまり彼らは高い確率で戦に参加するということです。……そして、戦場での王国軍の動きとそれに対する反応を見ることができれば、彼らが何故今回の戦に参加するのか、その理由が分かると思うのです」

 

 少し身を乗り出しながら言葉を続けるラキュースに、アインザックは驚愕のあまり開いた口が塞がらなかった。

 彼女の言葉もそうだが、何より一度帝国帝都に行ったというその行動力に驚かされた。それだけでラキュースの必死さが伝わってくる。

 恐らくこれはラキュースにとって非常に大切で重要なことなのだろう。

 しかしそう思う一方で、アインザックはどう彼女たちに言ったものかと頭を悩ませた。

 彼女たちの考えは良く分かった。戦場には行くものの、戦自体に参加するつもりはないということも分かった。

 しかし、それが分かったところで『はい、分かりました。では行ってらっしゃい』と簡単に送り出せるものではなかった。

 彼女たちの真意や目的がどうあれ、戦場に赴いていることには変わりない。いくら戦に参加しなかったとしても、戦場で彼女たちの姿を見れば、誰もが“冒険者が戦に参加している”と思うだろう。そしてそれが噂などになった場合、冒険者ギルドがいくら否定したところで明確な証拠がない限り、完全に打ち消すことは難しい。冒険者ギルドと国との力関係は崩れ、“蒼の薔薇”の立場も危うくなるかもしれない。

 本音を言えば『行かないでほしい』と止めたいが、目の前のラキュースを見る限り、その意志は固そうだ。無理に止めれば、一人で無茶な行動を起こす可能性も十分に考えられる。

 一体どうしたものか……と思わず眉間に皺を寄せて小さな唸り声を零すアインザックに、今まで黙り込んでいた他の“蒼の薔薇”のメンバーたちが口々に声をかけてきた。

 

「……無茶を言っていることは承知だが、どうにもウチのリーダーは頑固でな。ここは黙って送り出してほしい」

「戦争自体には参加しないと改めて約束する」

「何なら契約書とかを用意してもらっても構わない」

「まぁ、なんだ……そんなに周りの目が心配なら、最低限の装備だけ持ってカッツェ平野に行くのでも構わねぇ。俺たちはカッツェ平野での戦場の様子が見られればそれで良いからな」

「っ!! そ、それは違う意味で許可できんぞ!」

 

 最後のガガーランの言葉に、アインザックは目をむいて思わず大きな声を上げた。

 いくら戦場には立たないと言っても、彼女たちが赴くのはあの(・・)カッツェ平野なのだ。

 彼女たちがアダマンタイト級冒険者でその実力は確かなものであっても、いつアンデッドが襲ってくるかも分からない場所に軽装備で行かせるわけにはいかなかった。

 

「……はぁ、分かりました。では、契約書をしたためる方法でいきましょう。いくら戦自体に参加しないとはいえ、軽装備でカッツェ平野に行くのはあまりにも危険です。“戦には参加しない”という契約書に署名して頂けるのなら、カッツェ平野に行くことを許可しましょう」

「ありがとうございます。無理を言ってしまって、すみません」

 

 大きなため息と共に妥協案を提示すれば、ラキュースは申し訳なさそうな表情を浮かべながら大きく頭を下げてくる。

 アインザックはそれに一つ頷くと、『早急に契約書を用意するため、また明日ここに来てもらいたい』とラキュースたちに頼んだ。それに“蒼の薔薇”の面々も大きく頷いて承知する。

 ラキュースたちは改めてアインザックに礼を言うと、会議室を出て冒険者ギルドを後にした。

 無言のまま街中を歩きながら、ふと多くの人で溢れている街並みを見回す。

 誰もが暗い表情で足早に通り過ぎていく光景に、ラキュースだけでなく“蒼の薔薇”のメンバー全員が大なり小なり顔を翳らせた。

 

「……どうにも辛気臭くていけねぇな。これだから戦争ってのは好かねぇぜ……」

「まぁ、彼らは数日後に生きているかどうかも分からない状況だからな。楽観的になれと言うのも難しいだろう」

「街に住んでいる人たちも不安そう。まるで今から葬式にでも行くみたい」

「街のすぐ傍が戦場になるんだから気持ちは分かるけど……」

 

 街の人々を見つめながらガガーランたちが次々と各々の感想を呟く。彼女たちの歯に衣着せぬ鋭い意見の数々にラキュースは苦笑を浮かべることもできずに更に表情を翳らせた。

 王国と帝国の戦は決してラキュースに責任はないのだが、かといって王国の貴族の一人としてまったく何も感じないほどラキュースは図太くも無神経でもなかった。

 王女とも親交のある自分であれば何かできることがあったのではないか……、少しでも王国の国民の犠牲が減るように行動すべきではなかったのか……。

 そんな考えが絶えず頭を過ぎり、その度に緩く頭を横に振る。

 大きくため息を吐いて何とか気持ちを切り替えようと試みる中、ふと視界に見覚えのある大きな影が過ったことに気が付いて、ラキュースは反射的にそちらに目を向けた。

 

「……! ……ストロノーフ様!」

「……!? ……これは、アインドラ殿。……それに“蒼の薔薇”の方々も……。何故こんな所に?」

 

 ラキュースの視線の先にいたのは、いつもの戦士長としての鎧を身に纏ったガゼフ・フトロノーフ。

 彼の後ろには白銀の全身鎧(フルプレート)を身に纏った少年が立っており、彼もまたこちらの存在に気が付いて驚愕の表情と共に慌てて頭を下げてきた。

 

「よう、童貞も一緒だったのか! 元気そうだな」

「これはガガーラン様……じゃなくて、ガガーランさん。それに“蒼の薔薇”の皆さんも……。こんな所でお会いするとは思ってもいませんでした」

 

 全身鎧の少年……王国王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフに仕える兵士であるクライムが驚愕と困惑が綯い交ぜになった表情を浮かべてくる。

 ガガーランが思わず苦笑と共に肩を竦めてこちらをチラッと見つめてくるのに、ラキュースもまた小さな苦笑を浮かべた。

 どう説明したものかと頭を悩ませる中、不意にイビルアイがガゼフとクライムを交互に見やった。

 

「そういえば、二人は今からどこかに行くつもりだったのか?」

「あっ、は、はい。あちらの城壁塔に少し行ってみようという話になりまして」

 

 その言葉と共に指さされたのは、この街を囲んでいる城壁に造られている、物見台の役目もある一つの塔。

 誰もいないだろうその塔は、この澱んだ空気漂う街の中では少しは呼吸のしやすい場所であろうことが窺い知れる。また、ちょっとした秘密の話をするにも適しているように思えて、ラキュースは少し申し訳なく思いながらも改めてガゼフを見やった。

 

「もし宜しければ、私たちもご一緒しても良いでしょうか? 私たちが今ここにいる理由もお話ししたいですし……」

「あ、ああ……、私は構わない。クライムも構わないか?」

「はい、自分も何も問題ありません!」

 

 念のため……といったようにクライムにも訪ねるガゼフに、クライムは当然だと言うように大きく頷いて承知してくれる。

 ラキュースは二人に礼を言うと、この場にいる全員で塔の頂上に向かうことにした。

 塔の中にある長い階段を上っていき、数分かけて吹き抜けの頂上に辿り着く。

 塔の上からはエ・ランテルの街並みだけでなく戦場となるカッツェ平野も一望でき、その絶景に誰もが無意識に感嘆にも似た息を小さく零していた。

 

「こいつはすげぇな!」

「はい、とても素晴らしい景色です! ……あちらが戦場となるカッツェ平野ですよね」

「そうだな。霧の立ち込めるアンデッド多発地点。そして数日後の戦場だ」

 

 ガガーランが零した言葉に、クライムが大きく頷きながら現在霧が立ち込めている平野を指さす。

 次に頷いたのはガゼフで、確認の意味合いの強い少年の言葉に肯定すると、続いてラキュースたちを振り返った。

 

「それで……、何故皆さんはこちらに来られたのだろうか?」

 

 言外に『この場で教えてくれるのだろう?』と問いかけてくる彼に、ラキュースは一つ頷きながらも少しの間黙り込んだ。

 言葉や話す内容、どういった順序で話すべきかを思案し、頭の中を整理しながらゆっくりと口を開いた。

 

「……まずは、改めて謝らせて下さい。ご依頼いただきましたのに、ワーカーチーム“サバト・レガロ”を王国の味方になるよう説得するどころか、止めることも、何故この戦争に参加するのか、その理由すら明らかにすることができませんでした。……本当に申し訳ありません」

「いや、そのことについてはどうか謝らないでいただきたい。彼の御仁は一筋縄ではいかない相手、この戦に参加するのかどうかだけでも分かって良かったと思っている。そのおかげで対策もすることができた」

「対策、ですか……」

 

 ガゼフの言葉に、ラキュースはチラッと都市内の民兵たちが集まっている駐屯場所に目を向けた。

 そこには一様に暗い表情を浮かべた多くの民兵たちが忙しなく動いている。

 ガゼフの言う“対策”というのは彼らそのもののことであり……つまり、例年以上の民兵を集めて物量で対処すると言うことなのだろう。

 確かに物量を増やすという対策は――多くの人間を一カ所に集める労力や物資に対する損失の問題はあるものの―― 一番手っ取り早く実行も容易い方法ではある。また、強力な魔法詠唱者(マジックキャスター)に対する対策と一言で言っても、実際にどういった方法があるのか考えるのも難しいだろう。王族や貴族たちが物量に頼るのは仕方がないと言えるし、またたった一人の人物に対してここまで物量を増やすと言うのも些か過剰であるとも言えるのかもしれない。

 しかしラキュース個人としては『本当にこれで大丈夫だろうか……』という気持ちの方が強かった。

 どんなに物量を増やしたところで、レオナールが本気になれば意味をなさない。彼を阻止するどころか、被害を増やしてしまうだけに終わるだろう。

 強力な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるイビルアイを仲間に持っているラキュースだからこそ、確信をもって断言することができた。

 恐らくガゼフもラキュースと同じ考えなのだろう、彼は口を引き結んで無言を貫いている。

 自然と重苦しくなる空気の中、クライムが何かを考え込むように小さく顔を俯かせた。

 

「ワーカーチームの“サバト・レガロ”……。確か、以前王都が悪魔の襲撃を受けた際に力を貸して下さった方でしたよね……」

「ええ、その認識で間違いないわ」

「私は遠目でしか見たことがありませんでしたが……、そんなにお強い方なのでしょうか? あっ、いえ、あの悪魔たちを追い払ったのですから、お強いのは間違いないのでしょうが……!」

 

 慌てて言葉を付け加えながらも小さく首を傾げるクライムに、ラキュースは思わず小さな苦笑を浮かべた。

 魔法を使えない兵士であるクライムには、魔法詠唱者(マジックキャスター)であるレオナール・グラン・ネーグルの強さは今一分かり辛いものなのだろう。

 ただでさえ魔法というのは同じ物でも使う術者の力量によって威力が変わってくる。また、たとえば同じ第三位階の魔法まで使える魔法詠唱者(マジックキャスター)同士であっても、その実力は人それぞれなのだ。

 違う畑である兵士であり、また冒険者と違って多くの魔法詠唱者(マジックキャスター)と接する機会の少ないクライムが今一理解できないのも仕方がないことだった。

 

「……少なくとも、私やガガーランたちよりも強いのは確かでしょうね。イビルアイとは……いい勝負ができるかもしれないけれど」

「……フンッ、どうだろうな……。あいつから感じ取れる気配は不気味なほど希薄だからな。私でもあいつの力は今一分からないでいる」

「ガ、ガガーランさんやアインドラ様よりも、ですか……!? それは……もしや、セバス様と同じくらいお強いのでしょうか……」

「セバス……? ……ああ、“六腕”討伐の際に力を貸してくれたという御仁のことか。俺はそのセバスという御仁に会ったことはないから断言はできないが、もしかしたら同じくらい強いのかもしれないな」

 

 なおも小さく首を傾げながら思案するクライムに、ガゼフも思考を巡らせながら一つ頷く。

 ラキュースは内心ではそのセバスという老人とレオナールが同程度の強さだとは思えなかったが、それでも実際に口に出すことはしなかった。

 代わりに、自分たちがここにいる理由を話すことにする。

 

「私たちは、ネーグルさんが何故今回の戦に参加するのか……その理由を確かめたいと思っています。ですので今回の戦を見届けるためにここまで来ました」

「なんと……! それは……大丈夫なのか?」

「心配して下さって、ありがとうございます。ですが、先ほど冒険者ギルドにも説明しに行って許可を頂いたので問題ありません」

「鬼ボスは頑固。ギルド長も困ってた」

「仕方なく許可をくれたのが丸わかり」

「二人とも、ちょーっと黙っていてくれるかしら?」

 

 やれやれ……とばかりに両手を軽く挙げて首を横に振る双子の忍者に、途端にラキュースの顔が大きく引き攣る。

 しかしそれに一切構うことなく次はほぼ同時に肩を竦める双子の忍者に、不意にクライムが思案していた顔を上げて“蒼の薔薇”の全員を順に見回した。

 

「……ということは、つまり……皆さんは戦場には来られるものの、戦自体には参加されないということでしょうか?」

「まぁ、そういうことだな。俺たち冒険者が堂々と人間同士の争いに手を貸すわけにはいかねぇからな」

「そう、ですか……」

 

 ガガーランの言葉に、クライムが見るからに残念そうに肩を落とす。

 戦場とはいつ何が起こるか分からない場所だ。クライムとてどんな状況になろうとも戦う覚悟は持っているだろう。しかしそれでも、ガガーランたちがいたならとても心強いと思ってくれたのかもしれない。

 何だかんだで面倒見がよく、クライムのことも気にかけているガガーランが慰めるように少し強い力でクライムの背中を叩く。

 しかしクライムにとっては些か強すぎたのか、前のめりになって咳き込んでいる姿に、ラキュースは小さな笑みを浮かべて改めてカッツェ平野を見やった。

 ここからでは見えないが、このカッツェ平野の先に帝国軍の基地があるはずだ。帝国軍は今も戦の準備を進めており、もしかすればレオナールも既にそこにいるのかもしれない。

 ラキュースは込み上げてくる不安を必死に抑え込みながら、無言のまま強く拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇に染まった人気のない街道。

 エ・ランテルから北に続く一本の線に、多くの蹄の音と足音、そして数多くの影が現れて突き進んでいた。

 等間隔で掲げられている松明の光が影の姿をユラユラと浮かび上がらせている。

 街道を進んでいるのは六大貴族の一つであるリットン伯とその付き添いであるチエネイコ男爵とロリンス男爵。そして彼らの所持している兵……騎兵250人、歩兵2750人の計3000人もの軍だった。

 彼らが向かっているのは辺境の村であるカルネ村。

 普通は朝や昼の明るい頃に軍を進めるのが安全で一般的ではあるのだが、では何故彼らは夜である今軍を進めているのかというと、同じ六大貴族であり貴族派閥の筆頭であるボウロロープ侯に圧力をかけられ命じられたためだった。

 彼らの所持している軍勢は3000人。

 今回の戦の王国軍の総勢は25万人であり、それに比べれば微々たるものに思えるかもしれないが、しかし実際の戦場ではその3000の兵があるかないかだけでも大きな影響が出てくる場合も多々存在する。『戦というのはいついかなる時も万全な状態で臨むものだ。どんな指令を受けていたとしても、その万全の状態を維持しなくてはならない』というのがボウロロープ侯の言である。

 つまり『さっさとカルネ村の件を終わらせて戦場に戻ってこい』と遠巻きに言ってきたのだ。

 リットン伯からすれば自分の安全と自分の兵の損失をなくすための当初の目的を挫かれた形になり内心では苦々しくて仕方がなかったが、しかしボウロロープ侯に逆らう方がよっぽどマズかった。

 

「チエネイコ男爵とロリンス男爵、先を急ぐぞ。何事もなければ朝にはカルネ村に到着できるだろう」

「しかし、周囲の警戒が疎かになっては危険ではありませんか?」

「なに、心配されることはないですぞ、チエネイコ男爵! このように松明も幾つも燃やしておりますし、これほどの軍勢であれば魔物どもも襲っては来れますまい!」

「なるほど! 確かにロリンス男爵の仰る通りですな!」

 

 不安そうな表情を浮かべるチエネイコ男爵に、ロリンス男爵が自信満々な笑みを浮かべてそれを諌めている。

 最後にはチエネイコ男爵も納得して大きく頷く姿を横目に見ながら、リットン伯は進軍の速度を上げるように後ろの兵たちに指示を出した。

 たとえ本当に何かしらの不測の事態が起こってカルネ村から戻るのが遅れたとしても、ボウロロープ侯はそんなものはお構いなしに処罰をしてくるだろう。ならば少しでもボウロロープ侯の感情を害さぬように先を急いだ方が良い。

 夜の闇の中で進軍速度を上げる危険性に渋る兵たちを叱りつけながら、リットン伯は『何としてもカルネ村で少しでも成果をあげなければ!』と内心で大きく舌打ちするのだった。

 

 




早く話を進めたいのに、なかなか話が進まない~~……。
そして至高の御方が一人も出ないと途端に執筆速度が落ちる……(汗)
至高の御方々の存在は偉大だ……!

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