世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

88 / 95
今回はいつもより少し(?)長めになります。
ここまで長くなる予定ではなかったんですが……。
もう少し細かい描写とか入れたい気持ちもあったんですがクドくなりすぎるかな……と思い断念しました。
未だに度合いが分からん……(汗)

今話の後半は皆さん大好き、ウルベルトさんのヒロイン候補回になります!
少しでも楽しんで頂けたら嬉しいですvv


第80話 戦場への道

「――……これより、定例守護者会議を始めます」

 

 豪奢な室内に凛とした声が大きく響く。

 ナザリック地下大墳墓第九階層にあるアルベドの私室にて、階層守護者たちによる定期的な守護者会議が開かれていた。

 いつもであればプレアデスの何名かやニグンなども参加することが多々あるのだが、今回はそのどれもがおらず守護者のみが集まっていた。

 

「ねぇ、会議をするのは良いんだけどさ。……これ(・・)、どうしたの?」

 

 一つの大きな円卓を囲むように守護者たちは椅子に腰かけている。

 アウラもまた椅子に深く腰掛けながら、自身の左隣に座る人物を指さして司会進行役である守護者統括に声をかけた。

 アウラの言葉に反応して、この場にいる全員がアウラが指さす方に視線を向ける。

 そこには第一から第三の階層守護者であるシャルティアが円卓の上に組んだ両腕の更に上に顔を突っ伏して微動だにしていなかった。よく聞き耳を立ててみると、突っ伏した顔と両腕の隙間からくぐもった嗚咽のような声が小さく聞こえてくる。

 見るからに悲しみに暮れている様子の吸血姫に、アルベドは大きなため息を吐き、他の面々は何かしら知っている様子の守護者統括に目を移した。

 

「……先日、ペロロンチーノ様があの法国の漆黒聖典の生き残りに会いに行かれたのよ。ペロロンチーノ様は彼女をナザリックに迎え入れるおつもりのご様子。大方それで不安にでもなっているのでしょう」

「あー、なるほど……」

 

 現在ナザリック地下大墳墓第五階層の氷結牢獄には多くの法国人が囚われている。その中の一人である漆黒聖典の生き残りの少女の顔を思い浮かべ、アウラは納得したように一つ頷いた。

 シャルティアが自身の創造主であるペロロンチーノを崇拝し、敬愛し、熱烈な恋慕を向けているのは周知の事実である。シャルティアの心情としては、自身が愛する御方が自分以外の存在に興味を持つこと自体が歯がゆく、口惜しく、嫉妬心を抑えられないのだろう。

 しかし被造物である自分たちが創造主であり至高の存在である御方々の言動に異議を唱えること自体が許されざる大罪。

 それ故に何も言えず、大きな不安を募らせての今の状況にあるのだろうことが容易に推察できた。

 

「でも、それにしてはアルベドは落ち着いているみたいだけど?」

 

 同じく至高の存在たちに並々ならぬ恋慕と情愛を募らせているはずの女淫魔(サキュバス)のひどく落ち着いた様子に、アウラは湧き上がる疑問と共に首を傾げる。

 アウラの右隣に座るマーレも不思議そうな表情を浮かべて首を傾げており、双子の可愛らしい姿にアルベドを含む守護者大人組はほぼ同時に小さな苦笑を浮かべた。

 

「わたくしもペロロンチーノ様が彼女に会っている場に同行させて頂いたのだけれど、今のところペロロンチーノ様はあの女にご興味を持ってはいても、それ以上の感情をお持ちには見えなかったわ。どちらかというと同情していらっしゃるのではないかしら」

「ペロロンチーノ様は他の至高の御方々と同じく非常に慈悲深い御方でいらっしゃいますからね。それにあの少女は非常に興味深い部分が多々ある。恐らくそれについても何かしら思われることがあるのだろう」

「勿論、ペロロンチーノ様が彼女にそれ以上の興味を持たれないようにアプローチをする必要はあるでしょうけれど、現段階ではそこまで不安に思う必要はないと思うわ。ええ、対策は必要でしょうけれどね……」

 

 実はしっかりと気にしていたのか、急にアルベドの顔に浮かんでいる笑みが暗く不気味なものへと変わる。

 一気におどろおどろしい雰囲気を帯び始めたサキュバスに、アウラは顔を引き攣らせ、マーレはオドオドし始め、デミウルゴスは苦笑を深め、コキュートスは呆れたようにフシュゥ…と冷気を力なく吐き出した。

 

「……まぁ、その辺りは君たちに任せるがね。今は会議に集中してはどうかね? シャルティア、君もいい加減シャキッとしたまえ」

 

 デミウルゴスが『フフフフフ……』と不気味な笑い声を零しているサキュバスに小さなため息を吐き、続いて未だ顔を突っ伏しているシャルティアにも声をかける。

 一拍後、のろのろとした動作でシャルティアが突っ伏していた顔を上げると、真っ赤になった目尻や悲嘆にくれている顔が露わになった。

 

「………ペ、ペロロンチーノ様は…あの女とお会いになった時……一度も私のことを見て下さらなかったわ……。……こんなこと、今まで一度もなかったのにぃぃ……っ」

 

 普段の自信に満ちた強気な態度はどこへやら。第五階層の氷結牢獄でペロロンチーノに目すら向けてもらえなかったことが余程ショックだったのか、いつもの廓言葉も忘れて次には顔を上げたままボロボロと涙を零し始める。

 ふぇぇ~~……と泣き始めるシャルティアに、隣に座るアウラがやれやれとばかりに頭を振った。

 

「ああ、もうっ! そんなに不安ならペロロンチーノ様に会いに行けばいいじゃない! 一人で行くのが嫌なら、あたしもついて行ってあげるからさ。ペロロンチーノ様はまだナザリックにいらっしゃるんでしょう?」

「ええ。ウルベルト様は昨夜帝国に出かけられたけれど、モモンガ様とペロロンチーノ様はまだナザリックにいらっしゃるわ」

「そう、なら大丈夫そうだね。ほらっ、もう泣かないの!」

 

 未だグズグズと小さな嗚咽を零しているシャルティアにアウラが泣き止ませようと声をかける。

 取り敢えずシャルティアのことはアウラに任せ、アルベドたちは会議を進めることにした。

 本日の会議の議題は、主に法国の戦後処理についてと、法国侵攻の復習と反省。

 まず戦後処理については現状の把握だけでなく現在各々が行っている処理方法を報告し合い、より効率的な方法を模索していった。

 

「報告によると氷結牢獄の収容が難しくなっているらしいけれど、この辺りは大丈夫なのかしら?」

「一ツノ人間カラ得ラレル情報ガ多イタメ、ナカナカ時間ガカカッテイルヨウダ。現在、氷結牢獄ニ入リキラナイ者ハ一時的ニ第四階層ニ留メ置イテイル。……氷結牢獄ノ外ニ留メ置イテハ死ンデシマウ可能性ガ高イカラナ」

「そう。情報を多く入手できるのは良いことだけれど、元法国領土からは今もどんどん収容者が送られてきているから、何とか情報収集のスピードを速めなくてはいけないわね」

「では、第七階層にいる拷問の悪魔(トーチャー)にも手伝わせよう。あと、最古図書館(アッシュールバニパル)の司書たちにも応援を頼んではどうかね?」

「そうね、声をかけてみましょう」

 

 デミウルゴスの提案に、アルベドが神妙な表情を浮かべながら一つ頷く。

 そこに、今まで黙っていたマーレがオドオドした様子ながらも小さく手を挙げてきた。

 

「あら、何かしら、マーレ?」

「……あ、あの…その……、情報を集め終わった人たちは……その後、ど、どうするんでしょうか……?」

「現在、あらゆる実験のモルモットや羊皮紙作成の材料に使っても良いかどうか至高の御方々にお伺いを立てているところだが……マーレも何かあったかな?」

「え、えっと、僕がってわけじゃ…ないんですけど……。その……餓食狐蟲王(がしょくこちゅうおう)さんから、巣が足りないって相談を受けているんです……」

「おや、それはいけないね。至高の御方々にそちらもご相談してみよう」

「は、はい……! よろしくお願いします……!」

 

 悪魔からの言葉に、マーレがホッとしたような笑みを浮かべる。

 その他にも意見や要望や提案など、各々が積極的に発言していき、会議は滞りなく進んでいった。

 次に話し合うべく出された議題は法国侵攻の際の各々の行動についての復習と反省。

 これは主にエルフたちと行動を共にして援助を行ったアウラとコキュートスの行動についてと、法国神都での守護者だけのチーム戦について意見を交わし合った。

 

「わたくしたち守護者だけの戦闘については、もう少しチームでの戦闘経験は必要だと思うわ。あと、チームの人選も見直した方が良いかもしれないわね」

「そう? 結構うまくいっていたと思うけど」

「我々ノ場合ハモモンガ様トウルベルト様ガ途中カラ手ヲ貸シテ下サッテイタカラナ。ソレガナケレバモウ少シ手コズッテイタダロウ」

「あー、そうだね……」

 

 コキュートスに指摘され、途端にアウラの表情が曇る。自身の力不足と至高の主たちに迷惑をかけてしまったことに口惜しさが募り、自然とアウラの表情が険しいものに変わる。

 しかしそれはアウラに限らず、この場にいる全員が同じ思いを抱いていた。

 もっともっと精進を詰み、努力を重ね、至高の御方々の役に立てるよう尽力していかなくてはならない。

 守護者たちは全員顔を見合わせて大きく頷き合うと、改善点や考えられる戦法、あらゆる場合に対してどのような行動をとるべきか、などなど……時間が許す限り数多に渡って意見を交わし合い、議論を重ねていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 明るい賑わいを見せる大通り。道行く人々の顔は明るく、飛び交う声は活気に満ち、大通りを走る馬車も多い。

 王国の王都とはまた違う光景の中、一つの6人グループが忙しなく周りに視線を走らせながら大通りを歩いていた。

 独特な衣装や装備を身に纏った彼ら彼女らの胸元には、アダマンタイト級冒険者の証であるプレートが太陽の光に輝いて揺れ動いている。道を行き交う人々の内、彼ら彼女らの独特の雰囲気やプレートの存在に気が付いた何人かが驚愕の表情と共に視線を向けてくる。

 自分たちに向けられる多くの視線を掻い潜りながら、“蒼の薔薇”のメンバーと“朱の雫”のリーダーであるアズス・アインドラは時折道を聞きながら帝国帝都を進んでいた。

 

「おい、ラキュー。本当にこっちで合ってるのか?」

「先ほど道を聞いたので合っているはずです。それよりも叔父さん、もう少し声の大きさを落としてくれませんか? あまり目立ちたくないんですから」

「別に少しくらい構わんだろう。どうせ目的地に着いたら嫌でも注目を浴びることになるだろうしな」

「それでも、です! ……なるべく彼に迷惑をかけるようなことは避けたいんですから」

「ラキュースの言う通りだ。大人しくできないのなら強制的に転移させるぞ」

 

 イビルアイからの脅しに、アズスは気のない様子でひょいっと肩を竦める。どこまでも通常運転の叔父の様子に、ラキュースは思わず重いため息を吐き出した。

 ラキュースは同じ冒険者チームの仲間である“蒼の薔薇”のメンバーと共に帝国の帝都を訪れていた。

 目的は今回の王国と帝国との戦に帝国帝都を拠点としているワーカーチーム“サバト・レガロ”が参加するという噂の真偽を確かめるため。

 ラキュースとしてはレオナールにできるだけ迷惑が掛からない形で彼を訪ねて真偽を確かめたいと考えていたのだが、何故か帝国との国境でアズスが待ち構えており、あれよあれよと言う間に何故か一緒にレオナールの下に向かうことになったのだった。

 どうしてこんなことになってしまったのか……と内心で頭を抱える。同時にアズスの目論見は分かっているため頭痛まで感じるような気がした。

 この自称姪っ子想いの叔父は、大切な姪っ子が想いを寄せているという男がどんな人物なのか見極めるために来たのだろう。

 ラキュースにとってはありがた迷惑……とてつもなく大きなお世話である。

 しかしラキュースがいくらそう思いアズス自身に言ったとしても、この叔父は決して聞き入れようとはしないだろう。むしろ抗議すればするほど勝手に動いてレオナールに迷惑をかけるに違いない。ならば行動を共にして傍で見張っていた方が何倍もマシだ。

 ラキュースは再び出そうになったため息を既の所で呑み込むと、気を取り直して再び帝都の街並みを見回した。

 

「帝国の帝都ってのは、王国の王都とはまたえらく違うんだな」

 

 隣で同じように周りを見回していたガガーランがラキュースの内心を代弁するように言葉を零してくる。周りの他のメンバーも同意するように頷いており、ラキュースは彼女たちの様子を見つめながら内心では同じように頷いていた。

 ガガーランの言う通り、自分たちが普段いる王都と今目の前に広がっている帝都とでは見るからに大きな差があるように感じた。

 連なる建物の洗練さや多くの人や馬車が行き交う整備された大通り。活気に満ちた人々の様子。街の至る所で見られる帝都の兵士の姿から窺える治安の良さ。それら全てが王国王都とは雲泥の差だ。

 王国の貴族でもあるラキュースとしては、とてつもなく複雑な感情が湧き上がってくる。

 しかし今はそんなことを考えている場合ではないと半ば無理矢理思考を切り替えると、ふと目に入った男に再び道を聞こうと歩み寄った。

 

「あの、すみません。少し宜しいでしょうか?」

「む? ……っ……!?」

「道をお尋ねしたいのですが、“歌う林檎”亭はこちらの方向で合っているでしょうか?」

「………可憐だ……」

「……え……?」

 

 ラキュースが声をかけたことで振り返ってきた男が途端に呆然とした表情を浮かべて何事かを小さく呟いてくる。しかしラキュースは上手く聞き取れず、思わず疑問の声と共に小さく首を傾げた。

 頭上に幾つもの疑問符を浮かべるラキュースに、男はハッと我に返ったような素振りを見せると、次には慌てた様子で少しこちらに身を乗り出してきた。

 

「あっ、ああ、これは…失礼した! えっと、“歌う林檎”亭だっただろうか?」

「は、はい。その場所に行きたいのですが、何分帝都は初めてでして……」

「おおっ、そうでしたか! “歌う林檎”亭はこちらの方向で間違いありませんぞ」

 

 どこかドワーフを思い起こすずんぐりとした背の低い男が力強く頷いてくるのに、ラキュースは取り敢えず方向は合っていたことに小さく安堵の息を吐いた。

 その様子に男は何を思ったのか、人のよさそうな髭面を少し引き締めてきた。

 

「我はワーカーチーム“ヘビーマッシャー”のリーダーを務めております、グリンガムと申す。良ければ“歌う林檎”亭まで我が道案内しましょう!」

「えっ、ワーカーの方だったんですか!? それに道案内も……それはこちらとしては非常にありがたいことではありますが……本当に宜しいのですか? 何か用事があったのでは?」

「いやいや、気分転換に少しばかり街をぶらぶらしていただけ! むしろあなたのような素敵な方と……じゃない! えっと、とにかく、何も問題はありませんぞ!」

「……??」

 

 何やら途中様子がおかしかったような気がしたが、良い人であることは間違いないようだ。

 どうしようかと悩む中、今まで様子を窺っていたガガーランたちがまるで示し合わせたかのように次々と言葉を投げかけてきた。

 

「おっ、それは助かるな! じゃあ、案内を頼めるか?」

「ちょっ、叔父さん!?」

「まぁまぁ、落ち着けよ、ラキュース。別に頼んでも良いんじゃねぇか?」

「ガガーラン……、でも……」

「確かに土地勘がない場所では案内を頼んだ方が効率がいい。私も別に構わんと思うぞ」

「時間は大切。有効に使うべき」

「さっさと用事を済ませてゆっくりしたい」

 

 全員が男からの申し出に賛同するのに、ラキュースは何とも言えない感情を湧き上がらせてひどく戸惑った。

 別に男からの申し出を受け入れても何も問題はないのだが、何やら腑に落ちない。何故か裏の思惑があるように思える。特に意味ありげにニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見つめてくるアズスとガガーランが非常に気になった。

 しかしそんなラキュースの様子に気が付いていないのか、グリンガムと名乗った男は嬉々とした笑みを浮かべて数歩こちらに歩み寄ってきた。

 

「おおっ、それでは参りましょう! なに、心配は無用! このグリンガムが必ず“歌う林檎”亭までお連れしましょう!」

「……あ、ありがとうございます」

 

 力強く熱弁してくる男に、ラキュースは少し気圧されながらも何とか礼の言葉を口にする。

 意気揚々と歩き始める男に、それについていく仲間たち。

 ラキュースは仲間たちや叔父の様子に大きな疑問と共に眉を顰めながらも、自分も彼らに続くように足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリンガムの申し出を受けて歩き始めて十数分後……――

 目の前にある『歌う林檎亭』と書かれた看板を見上げながらラキュースは一度大きく生唾を呑み込んだ。

 一気に大きな緊張が全身を襲い、心臓が早鐘のように強く脈打ち始める。

 果たしてレオナールはいるだろうか。もし何事もなく会えたとして、きちんと話しができるだろうか。

 彼は質問に答えてくれるだろうか……。

 レオナールに会えるかもしれないという期待と、ここに来た目的に対する不安。様々な感情が湧き上がって渦を巻き、思わず握り締めている両手が小刻みに震える。隣からはここまで案内してくれた男が何やら忙しなく話しをしていたが、今のラキュースにはそれに耳を傾けられるほどの余裕がなかった。

 

「――……さて、じゃあ、行こうぜ」

 

 自分の代わりに男の話し相手になってくれていたガガーランが店内に入るよう促してくる。

 ラキュースは一度大きく深呼吸すると、意を決して“歌う林檎”亭の中へと足を踏み入れた。

 ワーカーは冒険者と違い組合(ギルド)というものが存在せず、それ故にワーカーに依頼したい者は直接ワーカーたちに接触しなければならない。

 しかしワーカーたちも拠点としている場所にいつもいるわけではなく、むしろ依頼のために外出していることの方が圧倒的に多かった。

 そのため、ワーカーたちが留守でも大丈夫なように、必然的にワーカーと客との仲介役を担う者が現れるようになっていた。

 仲介役はワーカーたちが拠点としている宿が務めていることが殆どだ。そしてこの“歌う林檎”亭もまた、多くのワーカーたちとの仲介役を担っているようだった。

 “歌う林檎”亭は食堂酒場兼宿の店であるらしく、一階が食堂酒場で二階が宿になっているらしい。今は昼時を少し過ぎた時間帯ではあったが、一階の食堂酒場は今なお客が多く、大いに賑わいを見せていた。

 ラキュースたちが店内に入ってきたことで、客の何人かがこちらを振り返ってくる。その殆どがラキュースたちの胸元で揺れているプレートの存在に気が付いて目を見開いていたが、ラキュースたちはそれに一切構うことなく店の奥へと足を踏み入れていった。

 

「――……初めて見る顔だな。ようこそ“歌う林檎”亭へ。何がご要望だ?」

 

 店の最奥に進んでいけばカウンター越しに一人の男が声をかけてくる。

 堂々としていてどこか迫力のあるこの男は、どうやらこの店の店主のようだ。自分たちについて来て店内に入ってきていたグリンガムからの『彼がこの店の主だ』という声も聞こえてきたため間違いではないだろう。

 ラキュースは一度誰にも気づかれないように細く深く息を吐き出すと、次には意を決して店主を見やった。

 

「私たちはワーカーチーム“サバト・レガロ”がここを拠点としていると聞いて来ました。“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルさんに取り次ぎをお願いすることはできますか?」

 

 瞬間、煩いまでに賑わっていた店内が一気に静まり返る。突然の予想外のことに思わず周りに目を向ければ、この店にいる全員が口を閉ざしてこちらを注視していた。中には仲間同士で小声で何かを囁き合う姿も見られ、ラキュースは思わず困惑した表情を浮かべる。

 その時、近くから呆れたようなため息の音が大きく聞こえてきてラキュースは慌ててそちらを振り返った。

 

「……あいつらに会いに直接堂々と来る奴は久しぶりに見たな。今じゃあ、あの商会のお嬢様くらいなもんだったが……」

「あ、あの……?」

「ああ、すまねぇな。残念だが、“サバト・レガロ”の連中は今全員が出かけてる。リーダーのレオナール・グラン・ネーグルは今日中に戻ってくるとは思うが、いつになるかは分からねぇな」

「そ、そうですか……」

「なら、そいつが戻ってくるまでここで待たせてもらっても構わねぇか? こっちはなるべく早く用事を済ませたいもんでな」

「叔父さん!?」

 

 突然アズスがこちらに歩み寄り、店主との会話に口を挟んでくる。

 叔父の思わぬ言葉にラキュースが驚愕の声を上げる中、店主はどこまでも落ち着いた様子でアズスを見つめていた。

 

「俺は別に構わねぇが、ここにいるなら覚悟しておくんだな。ここの連中から質問攻めにあっても俺は責任を持たねぇぞ」

「ああ、そこは安心してくれ。あんたに迷惑はかけないさ。それに、ここにいる連中は見慣れない俺たちに構うほど野暮でも暇人でもないだろ」

 

 ニッと笑うアズスの気配が、一気に濃厚で重いものに変わる。

 殺気とも怒気とも違う、しかしひどく息苦しい圧迫感にも似た気配。

 野次馬を寄せ付けない危険な気配を発するアズスに、周りの客たちはその多くが顔を引き攣らせ、店主の男はフンッと小さく鼻を鳴らした。

 

「なるほど、伊達にそのプレートを所持していないってわけか……。まぁ、ここにいる分には構わねぇさ。好きなだけいると良い」

「あ、ありがとうございます……」

 

 まるで用事は済んだとばかりにさっさと他の客の対応を始める店主にラキュースは慌てて礼を口にする。これ以上この店に迷惑をかけないように取り敢えず店の端に寄ると、空いている席に全員で腰を下ろした。

 

「どうやら帝都の連中も王都の奴らと同じく好奇心が旺盛らしいな。やれやれだぜ」

「しかし、いくら探られるのが面倒だとはいえ、あんな物騒な気配を撒き散らすな。ここは私たちのテリトリーではないんだぞ」

「イビルアイの言う通りですよ。もう少し慎重に行動してください」

 

 イビルアイに続きラキュースも顔を顰めてアズスに注意する。

 しかしどこまでも意に介することなく肩を竦ませて終わるアズスに、ラキュースは大きなため息を吐き出した。

 

「汝らは“サバト・レガロ”に用があったのだな。何かワーカーに依頼したいことがあるのか?」

 

 何故か当然のようにラキュースたちと同じ席に腰かけているグリンガムが小さく首を傾げながら問いかけてくる。

 思わず『まだいたのか』と思ってしまったラキュースは一度小さく咳払いすると、改めてグリンガムに目を向けた。

 

「もしワーカーに何かを依頼したいのであれば、我ら“ヘビーマッシャー”が力になるぞ!」

「い、いえ、ワーカーに依頼をしたいわけではないんです。実はネーグルさんとはちょっとした知り合いで……少し聞きたいことがあってここまで来たんです」

「な、なるほど、そうであったか……」

 

 見るからに残念そうな表情を浮かべる男に、ラキュースは苦笑を浮かべながらも内心では大きなため息を吐いた。

 ここにレオナールがいなかったことに安堵する一方で残念に思う気持ちもあり、相反する感情が胸の内で渦を巻く。ここは気持ちを整理して決意を固める時間が稼げたと喜ぶべきなのかもしれないが、それが無意味であることはラキュース自身がよく分かっていた。どんなに時間があって何度決意を固めたとしても、すぐにその決意は脆く崩れて複雑な感情が胸の内でグルグルと大きな渦を巻く。どう足掻いても煮え切らない自分自身に辟易し、いっそさっさとレオナールに会ってどうにでもなってしまいたい……と自暴自棄に陥りそうになる。

 思わずはぁぁ……と大きなため息を吐き出す中、突然店の扉がバンッと大きな音と共に外側から勢いよく開かれた。

 何事かとラキュースたちだけでなく店にいる全員が扉を振り返る中、外の眩しい光を背に一人の少女が店内へと足を踏み入れてきた。

 勝気そうな可愛らしい顔が店内を見回し、すぐさまカウンター奥にいる店主を見つけて動きを止める。どうやら店主をロックオンしたようで、少女はツンッとすました表情を浮かべながら堂々とした足取りで店の奥へと突き進んでいった。

 少女はこの店の常連であるのか、店の客たちは扉を開けたのが少女だと知るとすぐに興味を失ってそれぞれ食事や会話に戻っている。

 一体誰なのだろう……とラキュースたちだけが注目する中、少女はカウンター奥で苦々しい表情を浮かべている店主に臆することなく話しかけた。

 

「御機嫌よう、おじ様。本日、ネーグルさんはいらっしゃるかしら?」

「……また来たのか。あいにく奴は今日も留守だ。一度はこの宿に戻ってきたんだが、すぐに次の依頼の打ち合わせがあるとかで出ていったぞ」

「まぁ、慌ただしいことですわね。仕事があるのは良いことですけれど、少し働き過ぎではなくて?」

「………それは俺にじゃなく、あいつ本人に言ってやるんだな」

 

 どこかげんなりとした店主とどこまでもマイペースな少女との会話を聞くに、どうやら少女はレオナール・グラン・ネーグルに用があるようだ。もしかしたら“サバト・レガロ”の得意先の一つなのかもしれない。

 “サバト・レガロ”の依頼人の中にはあんな可愛いらしい少女もいるのかと思うと、途端に何かが胸に競り上がり、心臓がきゅぅぅっと切なく軋んだ。

 少女は良家の娘であるのか、小振りな唇から発せられる言葉や身振りには気品があり、その身に纏うドレスは目に鮮やかな桃色で、至る所にあしらわれているレースとも相まって非常に質の良い物であることが分かる。ひらひらとした袖や裾が長い金色の髪と共にフワッと可憐に宙を舞い、コルセットによって露わになっている細いくびれや少し控えめながらも柔らかく膨らんでいる胸、膝下まであるスカートの裾から覗く細くしなやかな足が少女の若々しい色気を強調していた。どこか猫を思わせる整った美貌が自信に満ちた笑みを形作っており、正に色鮮やかで可憐な華を思わせる。ここまで鮮烈な空気と印象を纏わせた少女はなかなかいないだろう。

 ラキュースは無意識に自身の手や身体を見やり、次には思わず眉尻を切なく垂れ下げた。

 ラキュースは確かに王国貴族の令嬢ではあるが、それと同時にアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”のリーダーだ。その身に纏うものはドレスよりも鎧の方が圧倒的に多く、またその手に握るのは花や宝石ではなく大振りの剣だった。普段の作法や身のこなしも、どちらかというと令嬢のようなしなやかで品のあるものではなく、冒険者らしい少し粗っぽいものであるかもしれない。

 これまで自分が冒険者であることを誇りに思うことはあっても、一欠けらの後悔も羞恥も感じたことはなかった。しかし今初めて、自分の今の姿が無性に恥ずかしく思えて仕方がなかった。

 あんな可愛らしい少女と会っていたレオナールの目に、自分は一体どんな風に映っていたのか……。

 もし少女と比較されていたら……と考えるだけで、今すぐこの場から逃げ出してしまいたいほどの羞恥に襲われた。

 

「……ラキュース……?」

 

 こちらの様子に気が付いたのか、隣に座るガガーランが気遣わし気に声をかけてくる。他の仲間たちもこちらに目を向けてくるのを感じ、ラキュースは無意識に俯いていた顔を咄嗟に上げた。こんな事で仲間たちに心配をかけさせるわけにはいかない……と笑顔を浮かべようとする。

 しかしその前に再び店の扉が勢いよく開いて、彼女たちは反射的にそちらを振り返った。

 そして目に飛び込んできた存在に、ラキュースは思わず大きく息を呑んだ。

 扉から姿を現したのは一人の男と一人の女。

 女の方に見覚えはなかったが、男の方はラキュースがとても会いたくて、そして同時にひどく会いたくなかった人物だった。

 

「――……やはり、そうした方が良さそうですね。相手が誰であれ、隙はあまり見せない方が良い」

「分かりました。ではそのように陛下にも伝えておきますわ」

 

 会話の内容に集中しているのか、男も女も店内に足を踏み入れながらも一切周りに意識を向けることはない。

 こちらに気付いてほしいような、ほしくないような……声をかけるべきかどうかも分からず、ラキュースは一心に男に視線を向けながらも口を小さく開けては閉じるを繰り返していた。

 

「ネーグルさんっ!」

 

 そこに突然大きく響き渡った高い呼び声。

 自分の名を呼ばれて漸く気が付いたのか、男――レオナール・グラン・ネーグルは傍らの女との会話を止めて声がした方に目を向けた。男の名を呼んだ少女と視線がかち合い、途端にレオナールがどこか少し呆れたような表情を浮かべる。しかしそれはすぐに柔らかな微笑に形を変えると、レオナールは迷うことなく真っ直ぐにカウンター近くに立っている少女の下まで歩み寄った。

 

「……これはこれは、御機嫌よう、ノークランさん。本日は何故こちらに?」

「先日の武王との戦いについて少し気になることがありまして、こちらに伺わせて頂きましたの。少しお時間をいただきたいのですけれど……」

 

 そこで一旦言葉を切り、少女がレオナールの後ろに付き従うように立っている女に目を向ける。瞬間、少女は驚いたように目を瞠り、そのままパチパチと長い睫毛を瞬かせた。

 

「あら、そちらは確か帝国騎士のレイナース・ロックブルズ様ではなくて?」

「おや、お二人は知り合いだったのですか?」

「我がノークラン商会は帝城にも定期的に出入りさせて頂いておりますの。そこで何度かお見かけしたことがありますわ」

「……ああ、そういえば……。ですが、言葉を交わしたことはなかったように思いますわ」

「そうですわね。また何か気になった物やご入用の物がありましたら、ノークラン商会にお声がけいただければ幸いですわ」

 

 少女は可愛らしい顔に浮かべていた驚愕の表情をすぐさまに満面の笑みに変えると、スカートの両端を摘まんで小さく礼をしてみせる。見た目は可憐な少女だというのに、にっこりとした笑みを浮かべながらさり気なく売り込んでくる姿は立派な商売人のそれだ。

 商魂たくましい少女の様子に思わずといったように苦笑を浮かべるレオナールは、不意に何とはなしに周りに視線を巡らせた。

 瞬間、レオナールの目がしっかりとラキュースの目とかち合う。

 一拍後、驚愕に大きく見開かれる金色の瞳。

 呆然とした表情を浮かべてじっとこちらを凝視してくるレオナールに、ラキュースは途端に自分の頬がジワジワと熱を持ち始めるのを感じた。話をしていた少女や女もつられるようにしてこちらに目を向けてきて、二人の視線に気まずいような感情が湧き上がってくる。

 

「……アインドラさん……? それに……“蒼の薔薇”の方々も……」

 

 驚愕から困惑へと表情を変えながら、レオナールがこちらに歩み寄ってくる。

 つられるように少女や女もレオナールに続いてこちらに歩み寄ってきて、もはやラキュースたちは店内にいる全員からの注目の的になっていた。

 

「よう、ネーグル! 久しぶりだな」

「ガガーランさん、お久しぶりです。まさか帝都でお会いするとは思ってもいませんでした。本日は何故こちらに?」

「いや、ちょいとあんたに聞きたいことがあってね。悪いが、勝手にここまで来たってわけだ」

「ふむ、なるほど……?」

 

 ガガーランの簡潔すぎる説明に、レオナールは顎に右手の人差し指をかけて思案顔を浮かべる。

 数秒間何事かを考え込んだ後、次にはツイっと金色の双眸をアズスとグリンガムそれぞれに向けた。

 

「……こちらのお二人も、その聞きたいことに関係しているのでしょうか?」

「俺はそうだな。だが、そっちの男は俺たちとは関係ねぇよ。ただ道に迷っていた俺たちをここまで案内してくれただけさ」

「う、うむ、その通りだ。我はワーカーチーム“ヘビーマッシャー”のグリンガムと申す。直接お会いするのは初めてだな、“サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグル殿」

「ああ、“ヘビーマッシャー”の方でしたか。なるほど……」

 

 同じワーカーでも直接の面識はなかったのだろう、レオナールとグリンガムが軽い挨拶を交わし始める。しかしラキュースは二人の会話よりも、じっとこちらを観察するように見つめてくる少女や女の視線の方が気になって仕方がなかった。

 まるで突き刺さるような二つの視線に、非常に気まずく感じながらもチラッと女の方に視線を向ける。しかしラキュースはすぐに彼女を見たことを後悔してしまった。

 改めて女を見てみれば、彼女もまた、目の前の少女と同じく非常に美しい容姿をしていた。

 長く真っ直ぐな金色の髪と、意思の強そうな緑色の瞳。白皙の美貌は非常に整っており、長い前髪が顔の右半分を覆い隠してしまっているのが非常に残念に思えるほどだ。身に纏っているのはドレスではなく自分以上に厳つい漆黒の全身鎧(フルプレート)ではあったが、しなやかな身体のラインや短いスカートから覗く長い足など、女性としての魅力はしっかりと感じられる服装をしていた。先ほど少女が言っていた“帝国騎士”というのは本当なのだろう、女が纏っている雰囲気は貴族や平民のものでも冒険者やワーカーのものでもなく、もっときっちりとしていて少し堅苦しいものに感じた。もしかすると帝国の騎士の中でもそれなりに上の立場であるのかもしれない。

 この女も少女も一体誰で、レオナールにとってどんな存在であるのか非常に気になってしまう。同時に、少女からの視線にも女からの視線にもこちらを値踏みするような気配がありありと伝わってきて、ラキュースは思わず背筋に嫌な汗を流した。先ほどまで感じていた自己嫌悪が再び湧き上がってきて、恐怖にも似た衝動が襲いかかってくる。

 思わず汗に濡れる両手を強く握り締めたその時、今まで成り行きを見守っていたアズスが口を開きかけ、しかしその前に褐色と黒の手が宙を閃く方が早かった。

 先ほどまでグリンガムと話しをしていたレオナールが一度軽く腕を振るって少女と女の意識をラキュースから自身へと向けさせると、次には金色の双眸をアズスに向けた。

 

「それで、そちらの方とは初めてですね。お名前をお伺いしても?」

「……ああ、俺は“朱の雫”っていう冒険者チームのリーダーを務めてるアズス・アインドラってもんだ。お前の話はラキューから聞いてるぜ」

「おや? “朱の雫”という名前は聞き覚えがあります。確か……リ・エスティーゼ王国にいる三つのアダマンタイト級冒険者チームの一つが同じ名前だったはず……。それに“アインドラ”ということは……御親戚か何かですか?」

 

 金色の瞳がこちらに向けられ、優しい声音で問いかけられる。

 瞬間、今まで感じていた恐怖が嘘のようになくなり、全身が一気にカッと熱くなった。全身から熱が噴き出し、ポカポカと火照って気分が高揚してくる。

 もしやこれは何かの魔法なのだろうか……と馬鹿なことを考えながら、ラキュースは慌ててレオナールに向けて何度も首を縦に振った。

 

「え、ええ、彼は私の叔父なんです……!」

「ほう、そうなのですか。姪と叔父どちらもアダマンタイト級冒険者とはすごいですね。もし機会があればお二人の戦っている姿を是非拝見させて頂きたいものです」

「あ、ありがとうございます……! ネーグルさんにそんな風に言って頂けて光栄です」

 

 にっこりとした柔らかな笑みを向けられ、途端に大きな歓喜と幸福感が湧き上がってくる。

 しかし次に問いかけられた言葉に、その歓喜や幸福感は一気に萎んでいった。

 

「それで、今回皆さんがこちらに来られた理由をお聞きしてもよろしいでしょうか? 何やら私に聞きたいことがあると仰っていましたが」

「……あっ……、は、はい……。実は、……その……」

 

 レオナールの問いかけに答えようとして、しかし言葉が途中で力なく切れて消えてしまう。

 彼の反応に対する不安は勿論だが、こんな大衆の面前で果たして口に出しても良いのだろうか……という考えが頭を過った。

 店内にいる人々全員がこちらに注目しており、加えて目の前にはこの話にかかわりのない少女や女やグリンガムもいる。しかも聞きたい内容はあくまでも噂についてであって、確かな話では全くないのだ。大衆の面前でむやみに噂の内容を口に出せば、今後のレオナールや“サバト・レガロ”にどんな影響を与えるかも分からない。

 ラキュースのひどく戸惑った様子に気が付いたのだろう、レオナールは一瞬金色の双眸を小さく細めると、次には一つ頷いて柔らかな笑みを浮かべてきた。

 

「折角です、もう少し落ち着いた場所で話しをしましょう。我々“サバト・レガロ”が借りている部屋に案内します。こちらにどうぞ」

 

 まるでエスコートするようにこちらに右手を差し出され、物語に出てくる王子様のようなその姿に途端にラキュースの心臓がぎゅぅぅッと締め付けられる。レオナールの姿が目に眩しく、頭もくらくらしてくる。何より、待合室や会談室などではなく自分たちのテリトリーである部屋に招待してもらえたことがとても嬉しかった。自分が彼の特別になったような気がして胸が苦しくなる。

 『ネーグルさん、そういうところ……そういうところです……!』と内心で悲鳴を上げながら、ラキュースは全身を真っ赤に染め上げながらも差し出されている手に手を乗せて椅子から立ち上がった。

 そのまま宿になっている二階に行こうとするレオナールやラキュースたちに、少女やグリンガムが自分たちも同行したいと声を上げてくる。しかしその全てをレオナールが言葉巧みに言い包めて断っていたのは非常に見事だった。

 グリンガムは見るからに残念そうに両肩を落とし、少女は拗ねたように唇を可愛らしく尖らせてジロッとこちらを睨んでくる。しかし最後には少女も渋々ながら納得し、諦めのため息と共に『今度は絶対にお時間をくださいませ!』という言葉と共に引き下がった。

 誰がどう見ても未練たらたらな少女の様子に、レオナールへの確かな好意が窺える。

 しかしラキュースは少女の存在よりも、むしろ大人しくレオナールに別れを告げた女の方が心に引っかかっていた。

 レオナールと無言のまま視線を交わし、微かに頷き合った女……。まるで二人の通じ合っているような雰囲気や、微かに頷き合った行動の真意が気になって仕方がない。

 しかしラキュースの心情に気が付いているのかいないのか、レオナールは変わらぬ様子で二階の宿へと促してきた。

 

「それでは皆さん、参りましょう」

「おい、ネーグル。部屋で話すならこれを持っていけ。リーリエもレインもいないんだ、どうせお前だけじゃ飲み物の持て成し一つもできねぇだろ」

 

 先頭に立って案内しようとするレオナールに、カウンター奥から出てきた店主が声をかけてくる。男の手には人数分の茶器が載った大きな盆が握られており、レオナールは小さな苦笑を浮かべながら大人しく盆を受け取った。

 それでいて再び足を踏み出し始めるレオナールに、ラキュースは内心で首を傾げながらも大人しくレオナールの後に続いていった。

 軋んだ音が小さく鳴る木製の階段を上り、廊下の一番奥にある扉まで歩み寄る。

 林檎が実った木と歌う小鳥が彫り込まれている木製の扉の前まで来ると、レオナールが一度こちらを振り返ってきた。

 

「ここが我ら“サバト・レガロ”が借りている部屋です。どうぞ」

 

 レオナールの声と共に扉がゆっくりと開かれ、室内の光景が徐々に視界に広がっていく。そしてこの場にいるレオナール以外の全員が一様に目を見開いて大きく息を呑んだ。

 室内に入り手招きしてくるレオナールに、ラキュースたちは呆然となりながらもゆっくりとした足取りで室内に足を踏み入れていく。

 “サバト・レガロ”が過ごす室内は、まるで王宮の一室ではないかと思うほどに豪奢であり、また品のある装いをしていた。部屋の至る所に置かれている家具一つ一つも全てが非常に高価な物であることが一目で分かり、ラキュースたちは思わず戦慄する。唯一人アズスだけは早々にいつもの調子に戻って室内を見回しては小さな口笛を吹いていたが、ラキュースはとてもではないが未だそんな余裕は持てなかった。

 

「立ち話もなんですし、椅子も人数分ある筈なのでぜひお座りください。紅茶をどうぞ」

 

 寝椅子(カウチ)や一人用のソファーなどを勧めながら、レオナールが紅茶を注いだカップを配っていく。

 その動きは普段の優雅なものとは打って変わり、どこか少しぎこちない。あまり慣れていないその様子に、今までに感じたことのなかったどこか可愛らしいという感情が湧き上がってきた。普段はリーリエに任せきりなのかもしれないな……と、同じ“サバト・レガロ”のメンバーである美女の姿を思い浮かべる。

 そこでふと自分が彼女に対しては劣等感や嫉妬を感じていないことに気が付いた。

 何故だろう……と内心で首を傾げ、しかしすぐさま答えに思い至った。

 恐らく自分がリーリエに対して劣等感も嫉妬も感じていないのは、彼女がレオナールに対して自分と同じ感情を一切向けていないことが分かるからだろう。彼女がレオナールに向ける眼差しや口調には、恋愛感情の色や響きは一切宿っていない。彼女の言動から感じるのは強い忠誠心のみで、レオナールがリーリエに対して向ける言動も相俟って、二人は本当に主人と従者といった雰囲気を帯びていた。

 いや、それはリーリエだけではなくレインにも言えることだろう。“サバト・レガロ”は対等な仲間同士というよりかは『主人であるレオナールに尽くす従者二人』という関係性の方が強く感じ取れる。

 そう考えると、三人の関係性も非常に気になるところだった。

 

「さて。では早速ですが、皆さんがこちらに来た目的を教えて頂けますか?」

 

 レオナールからの問いかけに、ラキュースはそこで漸くハッと我に返る。思わずピンッと背筋を伸ばして小さく身じろぐと、一つ咳払いを零した後に改めてレオナールを真っ直ぐに見やった。

 

「そ、そうですね、失礼しました……! 実は、近々行われる王国と帝国との戦について、王国王都では一つの噂が流れているんです。私たちはその噂の真偽を確かめるためにここに来ました」

「ほう、噂ですか。それはどういった噂なのですか?」

「それは……、あなた方“サバト・レガロ”が帝国軍と一緒に今回の戦に参加するというものです」

「……………………」

 

 意を決して本題を口に出し、レオナールの反応を注意深く観察する。

 しかしレオナールの表情は一切変わらず、金色の瞳にも一切感情らしいものは何一つ宿ってはいなかった。ただ静かにこちらを見つめ返してくるレオナールの様子に、ラキュースの胸に再び大きな不安が湧き上がってくる。

 ドクドクと嫌な鼓動が大きくなっていく中、レオナールは一つ小さな息を吐いて紅茶を一口飲むと、カップをソーサーに戻しながら改めてこちらに目を向けた。

 

「……なるほど。つまり皆さんは、我々“サバト・レガロ”が戦に参加することを危惧していらっしゃるということですね」

「厳密に言えば、危惧しているのは我々ではないがな。それで、この噂は本当なのか?」

 

 続いてラキュースの右隣に座るイビルアイがレオナールに問いかける。

 レオナールは少しの間思案顔を浮かべると、次には小さく首を傾げて苦笑を浮かべてきた。

 

「それは……難しい質問ですね。どう答えても、あなた方か……或いは他の誰かに影響を与えてしまう可能性が高い」

「いやいや、簡単だろ。ただ本当かどうか知りたいだけだ」

 

 寝椅子の背もたれにだらしなく背を預けながら笑うアズスに、しかしレオナールは神妙な表情を浮かべながら頭を振った。

 

「いいえ、これは難しい問題です。冒険者と同じように、ワーカーにも守秘義務というものがあります。確かに冒険者の方々に比べるとギルドが関わっていない分、明確なルールが定められている訳ではありませんが、逆にそうであるが故にワーカーでは今後の信用問題に大いに関わってくる。冒険者であるあなた方であれば理解して頂けると思いますが」

「……………………」

 

 いつになく真剣な表情を浮かべて言葉を重ねるレオナールに、ラキュースたちは全員が何も言えずに黙り込んだ。そしてレオナールが先ほど言った『難しい質問』という言葉の意味も理解した。

 レオナールがこんな風に言葉を重ねてくる時点で、彼は『噂は本当だ』と言っているようなものだ。たとえ明確に言葉に出して言ったわけではないにしても、レオナールの行動と状況が全てを明確にしてしまう。

 もしそれを避けたければレオナールは自分たちに対して『噂は偽りである』と嘘を吐くしかない。それをしないレオナールの言動は、人によっては悪い印象を持つ者もいるかもしれないが、しかし一方でとても誠実なものであるとも言えた。

 アズスもラキュースと同じことを思ったのだろう、今まで浮かべていた人を小ばかにするような薄ら笑いを引っ込めて、次には少し気まずそうに後ろ頭をかいた。ワザとらしいまでに大きな咳払いを一つ零すと、アズスは大きく姿勢を正して真剣な表情をレオナールに向けた。

 

「……そうだな、俺が悪かった、すまない。あんたが俺たちに精一杯誠意を見せようとしてくれているのも感謝する。だが、それなら噂が本当にならないようにする術はないのか?」

 

 言外に『王国と帝国との戦に参加するのはやめてくれないか』と頼むアズスに、ラキュースもまた思わず縋るようにレオナールを見つめていた。

 彼が何故二国間の戦に参加することになったのかは分からない。恐らく誰か――十中八九、帝国の上層部に属する者であろうが――から依頼を受けたのだろうが、何故そもそもその依頼を引き受けたのかもラキュースには分からなかった。

 しかしそれでも、彼には戦に参加してほしくない。何より、彼に王国の敵になってほしくなかった。

 何とか考え直してもらえないかとラキュースも口を開きかけ、しかしその前にレオナールが緩く頭を振ってきた。

 

「残念ながらその術はありませんね。噂の真偽を皆さんにお伝えすることもできませんし、どうやら今回の件に関しては皆さんのお力にはなれないようです。申し訳ありません」

「ネ、ネーグルさ……!」

「ただ、一つだけ……。……そう、……ヒントと…忠告をしておきましょう……」

「ヒントと忠告?」

 

 まるで突き放すような言葉にラキュースが思わずレオナールの名を呼ぼうとする。しかしそれを遮るようにレオナールがすぐさま言葉を続け、その言葉にガガーランが訝しげな声を零した。

 誰もが怪訝な表情を浮かべてレオナールを見つめるのに、彼は真剣な表情を浮かべて小さく金色の双眸を細めた。

 

「“全てにはそうなることの理由がある”。……そして“全ては王国の行動次第”」

「……それが、ヒントと忠告か?」

「ええ。これをあなた方の依頼主にお伝えするかどうかはお任せします。これ以上、私から申し上げられることは何一つありません」

 

 イビルアイの確認の言葉にレオナールは一つ頷き、そのまま口を堅く閉ざす。

 これが彼にできる精一杯の答えであることを感じ取ると、ラキュースは急激に湧き上がってくる不安に両手を強く握りしめた。悲惨なものになるかもしれない王国と帝国との戦の光景が頭を過ぎり、冷や汗が溢れて両手が小刻みに震える。

 しかしもはやどんなに言葉を尽くそうとレオナールは首を横に振るばかりで、ラキュースたちは何の成果も得られないままこの場を後にするしかできなかった。

 

「………無駄足だったな……」

 

 “歌う林檎”亭を出て大通りを歩きながら、イビルアイがポツリと独り言のように言葉を零す。

 いつになく力なく聞こえる彼女の声と言葉に、ラキュースは鋭く胸を突かれたような気がして思わず顔を歪ませた。

 

「いや、それなりの成果はあったさ」

 

 しかし続いて聞こえてきた言葉に、ラキュースはハッとそちらを勢いよく振り返った。

 視線の先にはいつもの笑みを湛えた叔父がおり、彼は悠々と足を動かしながらニヤリと唇の端を歪ませた。

 

「あの男はヒントと忠告をくれただろ。それを貰えただけでも御の字だ」

「……確か、“全てにはそうなることの理由がある”と“全ては王国の行動次第”だったか……。それで何か分かるのか?」

 

 訝しげな表情を浮かべるガガーランに、アズスは大袈裟なまでに大きく頷いてみせた。

 

「ああ。“確実に”とは言えないが、恐らくあいつらは戦に参加するのに何らかの条件を設けたんだろう。その条件が揃わないと、あいつらは戦に参加しない可能性が高い」

「何故そんなことが分かるんだ」

「“そうなることの理由”と“王国の行動次第”っていう言葉からだな。つまり“サバト・レガロ”が戦に参加するのには、それ相応の理由があるってことだ。そして“王国の行動次第”で“サバト・レガロ”の戦場での行動も変わってくるんだろう」

「……………………」

 

 アズスの言葉はあくまでも予想でしかなかったが、非常に説得力があり大いに納得できるものだった。

 であれば、その“サバト・レガロ”が動くことになる条件とやらをつきとめなければならないだろう。

 もはや時間はあまりないが、ここで諦めるわけにはいかない……!

 ラキュースは不安でいっぱいになっている心中を必死で隠しながら、まずは依頼主であるガゼフに連絡を取って相談しようと歩を進める足を速めた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。