まだ原作16巻は未読状態で書いているので、アンティリーネちゃんのキャラが原作と違う恐れがあります……(汗)
キャラ崩壊になっていたら申し訳ありません……(土下座)
また、今回も例の如く視界や場面がコロコロ変わります。
読み辛かった場合は申し訳ありません……orz
冷気漂う薄暗い空間。
普段であれば静寂の中に響くのは時折天井から滴り落ちる水滴の音のみなのだが、現在は数多の悲鳴がこだまする大変騒々しくも賑わった状態になっていた。
『薄暗い』『冷気が漂っている』『多くの悲鳴が響いている』の三拍子はまるでお化け屋敷を連想させる。
何とも憂鬱になりそうな状態になっている二階建ての洋館……ナザリック地下大墳墓第五階層にある氷結牢獄では、今まで第九階層にあるモモンガの執務室で戦後処理の書類を捌いていたペロロンチーノが、精神的疲労からの息抜きとして訪れていた。
たとえ肉体的疲労がなかったとしても、精神的疲労はどうしても溜まるし、発散しないとどうしようもない。
永遠に続くのではないかと錯覚するほどに次から次へと届けられる書類の山に、ペロロンチーノは遂に集中力を切らせて逃げるようにこの場に来たのだった。
因みにモモンガとウルベルトはどうしているかというと、こちらもこちらで息抜きとして違う作業を行っている。先日の定例報告会議でデミウルゴスからの勘違い計画を受け、二人はモモンガの執務室に残って演技練習と指導に励んでいるはずだ。
頭を抱えていたモモンガの姿を思い出して心の中で合掌しながら、ペロロンチーノは真っ直ぐに洋館の奥へと突き進んでいった。
彼が向かっているのは、この洋館で最重要場所というべき“真実の部屋”。
彼の後ろには
何とも仰々し過ぎる面々と様相に、しかし今から会おうとしている人物を思えば、この対応も致し方ないだろう……とペロロンチーノは既に諦めていた。
目的の部屋の扉まで辿り着き、手の甲で軽くノックする。
一拍後、内側から開いた扉の隙間から不気味な悪魔が顔を出し、こちらの存在に気が付くと慌てた様子で扉を大きく開けて横に寄り、そのまま地面に傅き深々と頭を垂れさせた。
「ご苦労様」
できるだけ相手を威圧しないように軽い口調で声をかけ、ペロロンチーノは扉を潜り抜けて室内へと足を踏み入れる。
傅いた状態のまま微動だにしない
「やぁ、ニューロニスト。突然来ちゃってごめんね」
「とんでもございません! ようこそおいで下さいました、ペロロンチーノ様ん」
その場に傅いて頭を下げる脳食いに、作業を邪魔してしまったような気がして申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
ここはさっさと話を進めてしまおうと判断すると、ペロロンチーノはまずは許可を与えてニューロニストを立たせた。
「今日は、ここに幽閉しているアンティリーネちゃんと話しをしようと思ってきたんだけど、大丈夫かな?」
「勿論でございます! どうぞ、こちらへ」
伺いをたてるペロロンチーノに、ニューロニストは勢い良く首を縦に振って少しこちらに身を乗り出してくる。しかしすぐさま落ち着きを取り戻すと、次には恭しく礼を取って奥へと招いてきた。
ニューロニストを先頭に、ペロロンチーノは“真実の部屋”の更に奥にある通路へと進んでいく。
先ほどの拷問道具が並ぶ部屋とは打って変わり、そこは鉄格子のはまった扉が連なる長い廊下。
四方八方から聞こえてくる悲鳴やすすり泣きや慟哭の声に、ペロロンチーノは内心で『うるさいな~』と独り言ちた。
この世界に来て
ペロロンチーノは内心で大きなため息を吐きながら、ニューロニストの案内に従って騒々しい廊下を抜け、最奥にある一つの部屋に辿り着いた。
扉の前には一体の拷問の悪魔が門番のように立っており、こちらの存在に気が付くと深々と頭を垂れてくる。しかしニューロニストが声をかけてここに来た理由を話すと、拷問の悪魔は下げていた頭を上げて一つ頷き、腰に垂れさせている鍵束に手をかけた。数十本はあるだろう幾つもの鍵の中から迷いなく一本を選び取ると、自身が立っている背後の扉へと向き直り鍵穴に差し込む。
見た目は錆びついている様にしか見えない鍵穴に、しかし鍵はスムーズに動いて鍵の開く音が響いた。
扉が滑らかに動いて開き、まずはニューロニストが部屋の中へと足を踏み入れる。そして扉のすぐ傍で立ち止まり頭を下げてくる脳食いに、ペロロンチーノはそれに促されるように室内へと足を踏み入れていった。
室内には今まで以上に強い冷気が漂っており、家具や装飾の一切ない石の壁も天井も地面も全てが白く凍っている。部屋の壁の両側には四体の
しかしペロロンチーノにしては珍しいことに、彼の目は雪女郎を通り過ぎて部屋の最奥に座り込んでいる存在に向けられていた。
この部屋に唯一ある“物”である手枷に繋がれ地面に座り込んでいる少女が、ゆっくりと顔を上げて色違いの双眸をペロロンチーノに向けてきた。
「……こんにちは、アンティリーネ・ヘラン・フーシェちゃん」
鎖に繋がれた状態で部屋の最奥にいたのは、スレイン法国の漆黒聖典“番外席次”であるアンティリーネ・ヘラン・フーシェ。
少女の顔は能面のように無表情を浮かべており、しかしその華奢な身体は小刻みに震え、所々凍ったように白くなって凍傷も至る所で起きているようだった。
「………あなたは……、確か、神都で会ったわね……。……名前は、何だったかしら……」
「ペロロンチーノだよ。今日は君と話がしたくて来たんだ」
「……そう……」
アンティリーネの反応はどこまでも淡白で抑揚がない。どちらかというと何に対しても興味がないと言ったところだろうか。
ペロロンチーノのことも、後ろに控えている守護者や雪女郎やニューロニストたちのことも、この場がどこで何であるのかも、自分の今後の行く末に対してさえも、何も……。
何が彼女をこんな状態にさせているのかが分からず、ペロロンチーノは小さく首を傾げながらも注意深くアンティリーネを見つめた。
「……えっと、まずは情報の聴取に素直に応じてくれてありがとう。いろいろ教えてもらえて、とても助かってるよ」
「……別に、気にしなくても良いわ……。………あの国が滅んだ今、私には今更何もないもの……」
「……? あの国っていうのは法国のことだよね……? すごく不思議なんだけど、君はどうしてそんなに法国が大切なの? 法国が君にしたことを思えば、むしろ恨むと思うんだけど……」
どうしてもアンティリーネの考えが理解できず、ペロロンチーノは更に首を大きく傾げながら眉間に皺を寄せた。
アンティリーネは法国の重要人物だったらしい女性とエルフの元国王の間に生まれたハーフエルフであるらしい。法国は人間至上主義の国であり、それを思えばアンティリーネの存在は法国にとっては許しがたいものだっただろう。一部の存在が彼女のことを“禁忌の忌み子”とまで呼んでいたのだ、人間以外の他種族に対する蔑視は根が深く非常に強いことが窺い知れる。
加えて彼女はユグドラシル・プレイヤーである六大神の神の血を目覚めさせた“神人”でもあるらしく、それもあって生まれた時からその存在は外部に隠され、軟禁されていたらしい。
いや、この場合は軟禁と言うよりも監禁と言った方が正しいだろうか……。
これだけでもペロロンチーノにとっては顔を思い切り顰める事態なのだが、それに更に加えてペロロンチーノはアンティリーネの強さや戦い方について非常に気になることがあった。
法国の神都でシャルティアとデミウルゴスとマーレの三人と戦っていたアンティリーネ。
彼女たちの戦いをペロロンチーノは全部見ていたわけではなかったが、それでも彼女が守護者クラスとある程度渡り合えるほどの高レベルの存在であることは見てとれた。
たとえ“神人”という存在だとしても、生まれた時から高レベルだったということはないだろう。今のレベルになるまでに、それなりの経験値を積んできたはずだ。また戦い方にしても、アンティリーネの動きはただの高レベルの肉体能力頼みの初心者のものではなく、それなりの戦闘経験を積んだ者の動きであることが見受けられた。
しかしそうなると、その経験をどこで、どうやって積んだというのか……。
“禁忌の忌み子”と忌避され、監禁されて外に出ることすら許されず、しかし法国では最上の強さを持っている少女。
その不自然さとアンバランスさが嫌な想像を浮かばせ、大きな不快感が湧き上がってきた。
まるで忌避している存在を利用して
それは自身の子供を兵器と見なし、多くの女性を強い子供を産み落とすための唯の道具と見なしていた元エルフ王に通ずるものがあるように思えて、ペロロンチーノは思わず大きく顔を顰めた。
しかしその表情は黄金の仮面によって隠れているため、目の前の少女はそれに気が付くことなく無機質な色違いの双眸を静かに向けるだけだった。
「……恨んだって、仕方がないわ。……私は……あそこでしか生きていけないんだから……」
「……………………」
淡々と紡がれる声音にはどこまでも感情が宿っておらず、彼女が事実を語っていることがひしひしと伝わってくる。
正直、ペロロンチーノには彼女の言葉が真実であるかどうかは分からない。もしかしたらそれは彼女の勘違いでしかなく、彼女の生きられる世界は無限に広がっているのかもしれない。
ただ、彼女の言葉が真実であるにしろないにしろ、彼女がそれを事実だと信じきってしまっていること自体が無性に悲しかった。
「………ねぇ、じゃあさ……、俺たちと一緒に生きるのはどうかな……?」
「「「……っ……!?」」」
「ペ、ペロロンチーノ様……!?」
ペロロンチーノの言葉に、この場にいる全てのモノが驚愕の表情を浮かべてこちらを振り返ってくる。特に驚愕の表情を露わにしたのはシャルティアで、彼女は焦ったようにペロロンチーノを見上げてその名を呼んできた。
しかしこれまた彼にしては珍しいことに、ペロロンチーノは自身の理想の嫁であるシャルティアにすら視線一つ向けることなく一心にアンティリーネだけを見つめていた。
それは何もシャルティアを疎かに扱ったとか、アンティリーネに心を奪われていたとか、そういったことでは一切ない。ただペロロンチーノは急に湧き上がってきた直感に従っているだけだった。
『彼女を理解し、彼女との何らかの繋がりを結ぶためには、絶対にここで視線を外してはならない』……。
何故か強烈にそう確信したため、ペロロンチーノは真っ直ぐにアンティリーネだけを見つめ続けていた。
仮面越しでもその視線には気が付いているのだろう、先ほどまで驚愕に見開いていた色違いの双眸がいつもの無機質なものに戻り、じっとペロロンチーノを見つめてくる。
無言のまま互いを見つめ続けるペロロンチーノとアンティリーネ。
暫く続く静寂の中、不意に初めて目の前の少女の表情が動き、のっぺりとした薄い笑みに唇の端がつり上がり、大きな双眸が不気味に細められた。
「……随分と、おかしなことを言うのね……。私は……実の母親にすら存在自体を否定されていた。……利用価値がなければ、存在する価値すらない。……そんな私を、側に置こうというの……? それとも、次はあなたたちの役に立てということかしら……?」
ほの暗い笑みを浮かべて、まるでこちらを挑発するような言葉を投げかけてくる。
瞬間、シャルティアとアルベドが剣呑な気配を帯びてアンティリーネを睨み付ける中、しかしペロロンチーノはどこまでも落ち着いた様子で少女を見つめていた。
「勿論、俺たちのために力を貸してくれるのなら嬉しいよ。でも、俺はそれ以前に役に立つ役に立たない関係なく誘ってるんだよ」
「利用価値がないのにこの私を勧誘するなんて、ありえないわね……」
まるで『そんな見え透いた嘘に騙されるわけがない』と言わんばかりに嘲笑を浮かべる少女に、ペロロンチーノはどこまでも静かにその笑みを見つめる。
暫く無言でいた後、徐にため息にも似た小さな息を吐き出してゆるゆると頭を振った。
「……俺たちは“アインズ・ウール・ゴウン”。これは元々、人間たちに存在を否定されて差別され、殺されかけたモノたちが集まって創設したギルドなんだ。言い方を変えれば、はぐれ者の集まりって感じかな。だから……うん、……多分、俺は君と仲良くなりたいんだ」
「……………………」
今までで一番柔らかな声音で思いを語るペロロンチーノに、アンティリーネは何を思ったのか浮かべていた笑みを消して黙り込んだ。無表情ではあるものの、一番最初から浮かべていた無機質なものとは少し違う。まるで何かを考え込んでいるかのような表情に、『少しは信じてもらえたかな……』と心の中で安堵の息を吐く。
しかし肝心なことを伝え忘れていたことに気が付いて、ペロロンチーノは慌てて再び嘴を開いた。
「あっ、で、でも、こんな事を言っておいてなんだけど、これは決定事項じゃないんだ。俺の他にも俺と同じ権限を持っている人が二人いて、その二人が納得してくれないと、君を仲間に迎え入れるのは難しいと思う。勿論、全力で説得するつもりではいるけど、まず俺が本気で君を勧誘していることは知っておいてほしいんだ」
モモンガもウルベルトも頭ごなしに反対してくることはないだろうが、しかし快く賛同してくれるかは少し不安が残る。超慎重派のモモンガは彼女を仲間に加えることによって齎されるかもしれない危険性を懸念するだろうし、ウルベルトもペロロンチーノでは予想もできないようなことを言ってくる可能性がある。
これは十分に対策をしていく必要があるな!と勝手にアンティリーネを“アインズ・ウール・ゴウン”に引き入れる気満々になっているペロロンチーノに、不意に少女の小さな声がポツリと聞こえてきた。
「………私と仲良くしたいだなんて……、後で後悔しないと良いわね……」
今や少女の視線はペロロンチーノから離れ、自身の足元の地面をじっと見つめている。
どこか寂しそうに聞こえる声音に、ペロロンチーノは仮面の奥で柔らかな笑みを浮かべた。
「後悔なんて絶対にしないよ。俺は他の二人を説得できるように頑張るから、君も前向きに考えてくれると嬉しいな」
「……。………考えておいて、あげる……」
「うん、ありがとう」
再びポツリと呟かれた言葉にペロロンチーノは大きく頷くと、今日はここまでにして踵を返した。漸く雪女郎たちに目を向け、『後はよろしくね』と声をかけて部屋から出ていく。
ペロロンチーノの後ろにはアルベド、シャルティア、コキュートス、ニューロニストが付き従い、全員が部屋を出た後に拷問の悪魔が扉を閉めて再び鍵をかけた。
「手間を取らせて、ごめんね。今日はありがとう」
「とんでもございません! ペロロンチーノ様並びに至高の御方々のために動くのは当然のことでございます!」
「あー…、うん、嬉しいよ……。えっと、取り敢えず、あの子への拷問は今後は禁止。情報収集は引き続きしてもらうけど、拷問はしないようにしてあげてくれ」
「畏まりましたん、ペロロンチーノ様ん」
「シャルティアとアルベドとコキュートスも今回は付き合ってくれてありがとう。折角だから、仕事に戻る前に一緒にお茶でもしようか」
「……! は、はい!」
「喜んで同伴させて頂きます!」
「コノヨウナ機会ヲ頂ケルトハ……! 感謝イタシマス、ペロロンチーノ様!」
「そんな大袈裟だな~。じゃあ、折角だから九階層のバーにでも行こうか」
一気にテンションが上がった守護者たちに小さく笑いながら、ニューロニストたちに別れを告げて足を踏み出す。
全てを白くけぶらせる冷気をかき分けるように歩きながら、ペロロンチーノはモモンガとウルベルトに対する説得方法について考えを巡らせるのだった。
◇◆◇◆◇◆
所変わり、ここはリ・エスティーゼ王国の王都に聳え立つロ・レンテ城。
城壁に取り囲まれた広大な敷地内に存在するヴァランシア宮殿にて、現在宮廷会議が執り行われていた。
大きな一つの室内に集っているのは王族の四人と王の剣であり盾である王国戦士長。そして大貴族とそれに連なる名だたる多くの貴族たちだった。
玉座に座るのは、白髪と白く豊かな髭、そして多く深く刻まれた皺が威厳を漂わせている現リ・エスティーゼ王国国王ランポッサ三世。
王の傍らには王国戦士長であるガゼフ・ストロノーフが不動で立ち、更に王の両側には王の子である第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ、そして第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフがそれぞれ椅子に腰を下ろして貴族たちと向かい合っていた。
一方、王族たちと向き合う貴族たちは誰一人として座っている者はいない。
六大貴族と称される大貴族を先頭に、彼らそれぞれの派閥に与する貴族たちがその後ろに並ぶように立っていた。
今回彼らが話し合っているのは毎年行われる帝国との戦について。
今年も例に漏れず帝国から宣言文が届けられ、その対応をどのようにするか話し合うべくこの場が設けられた。
王から見て部屋の右半分の場を占める貴族派閥の貴族たちの最前列……横一列に並び立つ六大貴族の一番端に立ちながら、エリアス・ブラント・デイル・レエブンは冷めた目でこの場に集う面々を見ながら口々に語られる言葉に耳を傾けていた。
「――……まったく、帝国も毎年毎年飽きないものですな」
「そうですな。こちらも毎度帝国の侵攻を撃退するのはいい加減飽きてきました」
「ここは帝国の奴らを一気に撃退し、そのままの足で帝国に攻め込むのも一興ですな!」
「まさに! 帝国の愚か者共に、我らの恐ろしさを知らしめるべきですね!」
朗らかな笑い声と共に繰り広げられる会話。
まるで見栄を張る子供のようなその内容に、レエブン侯は表情は一切動かさないまでも内心では苦々しい感情のままに大きく舌打ちをしていた。
毎度のことながら、このお決まりのように繰り広げられる会話の呑気さと馬鹿さ加減に反吐が出そうになる。加えて、王国がかなり追い詰められている現状にこの場にいる殆どの者が一切気が付いていない事実にひどく頭が痛くなった。
帝国は毎年同じ時期に王国に戦を仕掛けてくる。その度に王国もそれ相応の対応をしてきたのだが、そもそもその対応の方法がマズかった。
帝国は騎士という専業戦士を多く所有しているが、王国にはそんなものはない。確かに城や各都市を守る王国兵や戦士長率いる戦士団もいるにはいるのだが、その数も練度も帝国の騎士とは雲泥の差が存在した。いや、戦士団の練度は帝国騎士よりも上かもしれないが、こちらは数が圧倒的に少ない。もし王国兵と戦士団だけで帝国騎士に対峙した場合、結果は火を見るより明らかだろう。
王国は帝国に敗れ、大きな損害を受けて一気に国力が低下する……。
ならば王国が帝国に抗するためには圧倒的な数を揃えるしかない。王国はその数を平民に求め、多くの王国民の男たちは帝国と矛を交えることになる度に徴兵されて戦場に赴くようになっていた。
しかし今思えば、これは全て帝国の思う壺だったのだろう。
帝国が宣戦布告をしてくるのはいつも収穫の時期であるため、王国が多くの王国民を徴兵するのも必然的に収穫の時期になる。収穫の時期に多くの男手がいなくなることがどれだけの痛手になるかは、どんな馬鹿でも分かることだろう。加えて一か所に多くの人間を一定期間集め留めておく場合、その期間多くの食料や物資が必要となる。収穫時期に男手が少なくなることで収穫できる量が減るというのに、一方では食料の備蓄がどんどん減っていくという最悪な状況が毎年起こっているのだ。
普通に考えれば、いつ国が破綻してもおかしくない事態だ。
だというのに何故こうも目の前の馬鹿貴族共は呑気なのかというと、『敵対派閥を追い落とすまでの辛抱だ』と本気で思い込んでいるためだった。
レエブン侯としては『そんなことあるかっ!!』と声を大にして言ってやりたい。同時に、何故こうも馬鹿しかいないのか……と頭を抱えたくなった。
恐らくこの場で王国の現状をきちんと把握できているのは自分と国王と第二王子と第三王女しかいないだろう。
貴族たちは自分以外の六大貴族を含め、尽く権力争いにのみ精を出している。六大貴族の一人であり王派閥に属しているブルムラシュー侯などは、密かに王国の情報を帝国に売り渡して私腹を肥やしている始末だ。
次から次へと湧き上がってくる苛立ちと苦々しさに、噛み締めている顎が痛みを訴えてくるほどだ。
未だ目の前で繰り広げられている馬鹿丸出しの会話に表情が引き攣りそうになるのを何とか堪えながら、レエブン侯はいい加減現実的な話をするべく口を開いた。
「……帝国に侵攻する話はこのくらいにして、まずは帝国の軍をいかに迎え撃つかを考えましょう」
いい気分で話していたところに水を差され、意気揚々と声を上げていた貴族たちが一様に不満や苛立ちの視線をこちらに向けてくる。しかし水を差したのがレエブン侯だと知るや否やすぐさま表情を通常のものに戻してそそくさと視線を外す貴族たちに、レエブン侯は内心でフンッと鼻を鳴らしながらも玉座に座るランポッサに目を向けた。
「陛下、帝国が今年も侵攻してくるのであれば、我々も備えなくてはなりません」
「レエブン侯、陛下のみで……」
「お待ちを。もしそれで陛下の軍が敗れた場合、帝国はどこまで侵攻してくると思われますか? 私は自分の領土を守るために、全力で陛下に協力させて頂きます」
何かを言いかけた貴族派閥の貴族の言葉を遮り、きっぱりとした口調で言い切る。力強くも緊張を孕んだ彼の声音に、この場にいる全員が口を閉ざして黙り込んだ。
先ほどもあったように帝国に対抗するためには、王国側は数を揃えるしかない。もし貴族たちが協力せず国王の勢力のみが戦場に立って帝国に敗れた場合、王国は大きな損害を受けてしまうだろう。そしてもしそうなった場合、帝国が国王軍を破っただけで満足して引き返してくれるとは限らない。いい加減決着をつけてしまおうと、そのまま侵攻を続ける可能性も十分考えられるのだ。勢いづいた帝国の軍を止めるのは至難の業であり、戦火がどれほど広がるかも分からない。ならばこの場にいる全員が協力して帝国に対抗し、王国国内に帝国軍を一人たりとも踏み入れさせないようにするのが一番効率的かつ損害を少なく済ませる方法だった。
他の貴族たちもこれくらいは考えられる頭を持っていたのだろう、次々にレエブン侯の意見に同意する言葉を発し、最後にはこの場にいる全員が協力することに同意した。
「よし。では帝国への返答を遅らせるので、宣戦布告が届く前に兵を……恐らくは戦場は例年の場所になるだろうから、あの地に集めよ。当然、私も出る」
貴族たちからの全員の同意を受けられたことでランポッサも力強く頷き、この場にいる全員に指示を出す。
誰もが一様に一礼する中、不意に貴族派閥に属する一人の貴族が何かを思い出したような素振りを見せた。
「……そういえば…、帝国との戦について最近一つの噂が流れておりましたな。確か、帝国に拠点を持っているワーカーが今回の戦に参加するとかなんとか……」
「ああ、そんな噂もありましたな」
他の貴族たちも同意するように頷き、チラッと王派閥の貴族たちの方に視線を向ける。
王派閥に属する貴族の多くもその噂については耳にしているのだろう、大なり小なり殆どの貴族たちが苦々しい表情を浮かべた。
「……確か、先日の悪魔騒動の折に活躍したワーカーだったかと記憶しておりますが……」
「そうじゃな。そのワーカーに間違いない……」
六大貴族の一つであるペスペア侯が記憶を探るような素振りを見せながら言葉を濁し、同じく六大貴族の一つであるウロヴァーナ辺境伯が重々しく頷いて肯定して見せる。
ペスペア侯もウロヴァーナ辺境伯も王派閥に属する六大貴族であり、ペスペア侯は六大貴族の中では一番年若く美しい青年だった。また、彼は国王の長女を娶っているということもあり、派閥関係なく多くの貴族から次期国王にと推されている人物でもあった。一方、ウロヴァーナ辺境伯は六大貴族の中でも最古参であり、誰よりも歳を積み重ねたその風貌はある種の威厳を漂わせていた。
二人とも六大貴族の中でも特に影響力の高い者たちであり、そんな彼らの言葉は多くの貴族たちの関心を集めた。
徐に騒めき始める貴族たちの会話や様子を観察しながら、レエブン侯もまた噂の内容や噂の人物について思考を巡らせた。
貴族たちの言う噂とは『帝国を拠点にしている“サバト・レガロ”というワーカーチームが今年の王国との戦に参加する』というもの。
レエブン侯自身も聞いた記憶のある噂であり、その噂を初めて耳にした時点ですぐにその信憑性を調査していた。しかしどんなに調べようと、その噂が本当なのかどうかすら分からず、時間ばかりが過ぎてしまっていたのだ。
数か月前に起こった悪魔たちによる王都襲撃の折に言葉を交わした男の姿を思い出す。
レエブン侯の目から見ても誰もが振り返る美男子であり、その口調は非常に丁寧で始終穏やか。物腰も柔らかで優雅さもあり、少し皮肉気な口調ながらも全体的に強い気品を感じる人物だった。
レエブン侯が彼と言葉を交わしたのは数度しかないが、それでも彼の男が人間同士の争いに率先して参加しようとするとは思えない。
そう思う一方で、あの悪魔たちを退けられるほどの実力を持っている人物が
「確かそのワーカーは陛下から短剣を戴いていたのではなかったか? そうでありながら王国に弓ひくとは痴れ者がっ!!」
「そもそも冒険者だけでなく、ワーカーもこういった人間同士の争いには参加しないのが暗黙の了解だろう。
多くの憶測が飛び交うも、そのどれもが想像の域を出ない。
ガセであればどんなに良いことか……と苦々しく考える中、貴族派閥の前列から太々しいドラ声が響いてきた。
「ふんっ、何を弱気になっている! 相手は高が
声を張り上げたのは、六大貴族の一つであり貴族派閥の筆頭とも言うべき存在であるボウロロープ侯。
顔に多くの傷跡がある戦士のような風貌の男であり、威風堂々とした態度で放たれた言葉に他の貴族たちも同意するように笑みを浮かべて何度も頷き合った。
貴族たちは実際に戦う者たち……衛兵や傭兵や冒険者などとはあまり接点がなく、魔法といった自分たちでは使うことのできない方法で戦う
確かに剣や槍……武器で戦う戦士や剣士の方が非常に分かりやすく、強さの度合いも想像がしやすい。魔法もそれぞれ位階によるレベルでの枠組みはあるものの、
また、王国の貴族たちは魔法に限らず弓矢といった遠距離から攻撃する後衛職全般に対して軽視する傾向が強い。
つまり『遠距離後方からチマチマと攻撃するなど卑怯者のすることで、臆病者の証だ。どうせ弱いに決まっている』という考えが強く定着してしまっているのだ。
第二王子であるザナックなどは『そういった考え方も変えていき、魔法にも力を入れていきたい』と言っていたが、レエブン侯としては――十分理解でき、且つ非常に同意見ではあるが――まだまだ時間のかかる非常に難易度の高い試みであると言えた。
現状、ボウロロープ侯や貴族たちの反応こそが王国にいる王侯貴族の殆どの者が持つ認識だろう。
しかし元オリハルコン級冒険者チームを配下に持ち、彼らから多くの話を聞いているレエブン侯からしてみれば、それは非常に危険な考えだと言えた。
とはいえ、そんな考えを持つレエブン侯とて、一人の
しかしそうは思うものの、あの王都の外れで別れの挨拶を交わしたレオナール・グラン・ネーグルの姿を思い出す度に、言いようのない嫌な予感がじわじわと足元から這い上がってくるような感覚に襲われていた。
「……ふむ、確かにその噂の内容は気になるところだが、我々が帝国に対して行う大まかな対応は変わらぬだろう。とはいえ、このような噂が流れた以上、帝国がこれまでとは違う行動をとる可能性は十分に考えられる。各々、そのことも念頭に置きつつ準備を進めてくれ」
噂が本当かどうかも分からぬ以上、ランポッサもこれ以上のことは言えないのだろう。
“臆病者の国王”という印象を持たれないギリギリのラインで警戒を促す国王の言葉に、レエブン侯は王国のあり様に内心で大きなため息を吐きながらも、周りの貴族たちと共に大きく頭を下げた。
「――……まったく、どいつもこいつも煩わしい者たちばかりだっ!!」
薄暗い闇の中で怪しくも美しい光が灯っている室内に、苛立ちに満ちた荒々しい声が響いて消える。
王国王都の地下に最近造られた怪しくも非常に魅惑的な闇の交流場にて、一人の男が乱暴な動作で高級ワインが注がれているガラス製のグラスを大きく傾けていた。
男が現在いるこの部屋はいわゆるVIPルームというもので、限られた選ばれた者しか立ち入りを許されていない場所だった。他の部屋に比べて非常に魅力的な最高の待遇ともてなしを受けることのできるこの部屋において、しかし男は苛立ち冷めやらぬとばかりに酒を煽っては罵声を飛ばしていた。
鍛えられた大きな体躯に、綺麗に切り揃えられた金色の髪と髭。身に纏う衣服はどれも一級品であり、しかし男の動作は非常に荒っぽく品の欠片も見られない。
しかし本人はそれに気が付いているのかいないのか……変わらぬ粗野な動作で酒を煽り続けていた。
男――この国の第一王子であるバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフは数刻ほど前のことを思い出しては苦々しく顔を歪めて大きな舌打ちを零していた。
数刻前……宮廷会議が終わった後に父であるランポッサや弟であるザナックと交わした会話の内容が頭から離れない。
今回の帝国との戦に同行することを伝える自分に、ランポッサもザナックも危険だと反対してきたのだ。ザナックなどは『代わりに自分が行く』とまで言ってくる始末。バルブロからしてみれば『剣に振り回されることしかできない身で何を言っている』としか思えなかったし、そんな男が戦場に出たとて役に立つとも思えない。第一王子であり、次期国王は自分であるはずなのに、見るからに次期国王の座を狙っているザナックの言動が鬱陶しくて仕方がなかった。
「父上も父上だ!
バルブロは顔を大きく顰めると、ダンッと力任せにグラスを持っている手をテーブルに打ち付けた。
宮廷会議の時にも出てきた噂の
ランポッサは実際にレオナールが悪魔の総大将である“御方”と戦っているところを見たため、彼が今回の戦に出てくるという噂に対して非常に警戒心を持っていた。
そのため我が子の安全を考えて今回の戦場には来ないように言っていたのだが、バルブロの目からはたった一人の
「――……おやおや、随分と荒れていらっしゃいますね。何か嫌なことでもございましたか、バルブロ様?」
そこに不意に聞こえてきた一人の男の声。
再び酒を煽ろうとグラスを持ち上げていた手が止まり、バルブロの目が声が聞こえてきた方に向けられた。
「……ああ、お前か。随分と久しぶりだな」
「ご無沙汰をしておりました、バルブロ様。少々仕事が立て込んでおりまして」
室内に現れたのは幸薄そうな痩せ型の男。
物腰柔らかでありながら非常に気弱そうなこの男は、貴族や商人などではなくこの施設の関係者の一人だった。決してこの施設で働く従業員ではないのだが、彼は時折酒やつまみを乗せた盆を手に、給仕まがいのことをしながらバルブロの下を訪れていた。
今も男の手には一本のワインボトルとナッツ類が盛られた器を乗せた盆が握り締められており、男はバルブロの目の前のテーブルにそれらを置くと、すぐ傍らの床に片膝をついて話す姿勢をとった。
「何やらご心労が強いご様子。宜しければ、先日お試しいただいたモノをお持ちいたしましょうか?」
「……いや、いい。今はそんな気分ではない」
「おや、それは由々しきことでございますね」
バルブロの言葉が余程意外だったのか、男はいつもはひどく垂れ下がっている瞼や目尻を大きく見開かせて驚愕の表情を浮かべてくる。
しかし男のこの反応は当然のものであり、仕方がないことだった。
なんせこれまで男が提供するものに対し、バルブロはその全てに頷き、そして体感後はいつも満足に満面の笑みを浮かべていたのだ。だというのにバルブロは初めて男の提供を拒否した。これは男の言葉通り“由々しき事態”であると言えた。
「バルブロ様がこのように思い悩んでおられるのを見るのは心が痛みます。宜しければ、このフロドゥールに理由をお聞かせ願えませんか?」
男の声は別段美声という訳ではなく、深みもなく、どちらかというと浅く平坦な分類に入る。しかしその声音は不思議と甘く魅惑的にバルブロの耳に響き、まるでスルスルと心地良く入り込んで心に染み渡るようだった。
その声音に一種の安らぎのようなものを感じながら、バルブロは一度大きなため息を吐き出した。
「……今年の帝国との戦に俺が参加することを、父上と愚弟が反対してきたのだ」
「バルブロ様は大切な王子殿下であらせられますし、次期国王になられる御方でございます。国王陛下と第二王子殿下が反対されるのも、バルブロ様を思ってのことでございましょう」
「いいや、違う! 少なくともあの愚弟は俺の地位を狙っているのが丸わかりだっ!! 最終的には帝国の戦に参加することを何とか認めさせたが、父上が愚弟の意見に耳を貸し、俺の意見には耳を貸して下さらないこと自体が腹立たしい!!」
「なるほど。……つまりバルブロ様は、“国王陛下が第二王子殿下に肩入れしているのが気に入らない。もしや国王陛下はバルブロ様にではなく第二王子殿下に玉座をお譲りするつもりなのではないか”……と不安に思っていらっしゃるのですね?」
「……っ……!!」
フロドゥールに核心を突かれ、バルブロは思わず息を詰まらせた。
そうだ、自分は恐ろしいのだ。
次期国王は自分であるはずなのに、自分よりも劣っているはずの弟がその座を狙っている。
そして自分の味方であるはずの父王までもが、弟の肩を持っているのではないかということが……。
思わず両手の拳を握り締めて奥歯を噛みしめるバルブロに、不意にフフッ……と小さな笑い声が聞こえてきた。
反射的にそちらを振り返れば、いつものトロンと垂れたフロドゥールの目と目が合った。
「恐らく国王陛下は先日の悪魔騒動の折に共に戦場に立った第二王子殿下を頼もしく思っていらっしゃるのでしょう」
「……っ……!! そのようなこと! 俺とてあいつと同じだけの……いや、あいつ以上のことができるっ!!」
「ええ、勿論ですとも。ですので何もご不安に思う必要はございません。要はバルブロ様の方が最も次期国王に相応しいということを国王陛下に見せ、分かって頂ければ宜しいのですよ」
「………その口ぶり……、何か良い案があるとでもいうのか?」
余裕のある柔らかな笑みを浮かべる男に、ここで漸くバルブロの苛立ちが和らいでくる。
この男の思考に興味が湧き、無意識に男に向けて小さく身を乗り出していた。
「バルブロ様は剣の才は第二王子殿下より勝っておりますが、知略の部分で言うと第二王子殿下の方が秀でている……。……そうお考えなのでしょう?」
「……っ……!! ……た、確かに、そう思わないでもない……。し、しかし私の方が戦場では役に立つはずだ!!」
「ええ。このフロドゥールもそれは確信しておりますとも。しかしバルブロ様は次期国王になられる尊い御身。野蛮な戦場で剣を振るい、前線で戦うのは下々の役目。そうではありませんか?」
「むっ、う、うむ……。お前の言う通りだ……。だが、それでは父上に俺の力を見せることが出来ぬではないか!」
「だからこそ! 別の方法を取れば宜しいのですよ! この王都には現在、非常に使える……持っているだけで役に立つ物があるではありませんか」
男の口の端がにんまりと大きく上に引き上げられ、その唇がゆっくりとバルブロの耳元に寄せられる。
続いて低めた声音で囁かれる言葉に、バルブロは驚きで目を瞠った後、次にはニヤリと口の端を笑みの形に歪ませた。
「……ふむ、確かに面白い話だ。それに、その方法であれば上手くいけば帝国の奴らを恐れさせ、帝国領土まで侵攻することもできるかもしれんな」
バルブロの言葉に、フロドゥールはバルブロからゆっくりと身を引いた後に同意するように深く頭を下げる。
バルブロはまるで目の前が一気に開けたような感覚に大きな笑い声をあげると、今度は機嫌よく酒を煽り、男に先ほどは断ったモノを持ってくるように命じた。
深夜を過ぎた明け方近く……――
薄暗い廊下の角の暗闇に隠れるように立ちながら、この施設を任されているヒルマ・シュグネウスは一人の男を待っていた。
しかし数分、数十分と待っても待ち人は一向に現れない。
一体何をそんなに時間がかかっているのかと苛立ちが湧き上がり始める中、目の前の薄闇から漸く待ち人である男がゆらりゆらりとした足取りで姿を現した。
「――……レイゼン……」
壁に預けていた背を離しながら男を呼べば、男は歩いていた足を止めてこちらを振り返ってくる。
トロンと甘く垂れ下がっている目がこちらに向けられ、ヒルマの存在を認識すると唇を笑みの形に歪ませた。
「これはシュグネウス様。このようなところで如何しました?」
「あんたを待っていたのよ。随分と時間がかかったようね」
「ええ、予想以上にハイになってしまわれましてね。いやはや、お引き取り頂くのに苦労しました」
やれやれ……とばかりに頭を振る男の手には大きな盆が握り締められており、その上には空になった大量のボトルと、薬物の吸い殻が多く乗せられた器が乗せられていた。
どうやら随分と楽しんだ様子に、ヒルマは内心でフンッと鼻を鳴らした。
「……それで、上手くいったのかい?」
「ええ、恐らくは問題なくいくんじゃないですかね」
フフッ……と小さな笑い声を零しながらゆらりと頷くフロドゥールに、ヒルマは小さくため息にも似た息を吐きながらも内心ではこの男の手腕に感心していた。
この目の前の男……フロドゥール・レイゼンは元はとある娼館で働いていた男娼であり、今はヒルマの数少ない有能な部下の一人だった。
男娼時代は別段娼館内で名を馳せていたわけでもなく二流程度でしかなかったが、しかしこの男には相手を優越感に浸らせ、ある程度なら言葉巧みに相手を意のままに操ることのできる才能を持っていた。にもかかわらずこの男が一流の男娼になれなかったのは、相手の性別問わず性的接触が苦手という男娼としては致命的な欠点があったためだ。それさえなければ、この男は男娼になってすぐに頭角を現し、一流の男娼として名を馳せていただろう。
「あの男はどうやら随分とあんたのことがお気に入りのようじゃないか。……特別な奉仕をしてやったわけでもないんだろう?」
「勘弁してくださいよ。俺がそういったことがすごく苦手なのは知っているでしょう? それにあれは俺の好みとは程遠いですし……」
本気で嫌なのか、苦々しい表情を浮かべて盆を持っていない手で忙しなく腕を摩っている。見るからに『うげぇ~~……』という表情を浮かべる男にヒルマは小さな笑い声を零すと、次には一つ息を吐いて改めてフロドゥールを見やった。
「……とはいえ、念には念を入れるように上からお達しを頂いているからねぇ。念のため、当日はあんたにもエ・ランテルに行ってもらうよ」
「え~、本気ですか? 荒事は苦手なんですがね……」
「心配しなくても、あんたにしてもらうのはあの男の手綱を操ることだけさ。セッティングはこちらで整えてやるから、あんたもしっかりと自分の役目を果たしな」
「シュグネウス様には敵いませんね~。……分かりましたよ、死なない程度に頑張りますとも」
にへら……と締まりのない笑みを浮かべる男に、ヒルマは思わず小さなため息を吐く。
しかしこの男の実力を知っているため幸いなことに不安はあまりない。もし計画に何らかの問題が発生したとしても、それは恐らくこの男とは一切関係ないものが原因だろう。
ならば気を引き締めなければならないのは男の方ではなくヒルマたちの方だ。
万が一計画が少しでも狂いでもすれば、待っているのは“アレ”以上のものだろう……。
忌まわしい記憶を思い出してしまい思わず身震いしたヒルマは、なんとしても成功させなくては……と心に誓うと、計画を次の段階に移すべく男を連れて闇の中へと足を踏み出していった。