世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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今回は、以前ご好評をいただき、また多くの方から要望がありましたニグン回再びです!


幕間 聖堕の軌跡

 スレイン法国は森妖精(エルフ)王国の手に落ち、完全に滅んだ……――

 今はエルフの国王代理であるクローディア・トワ=オリエネンスやペロロンチーノ率いるナザリック勢を中心に、法国の戦後処理を忙しなく行っている。

 当初はここで初めて世界に向けて大々的にエルフ王国が法国を滅ぼしたことを公表する予定だった。

 どんなに閉鎖的な国であろうと大なり小なり他国との繋がりはあるだろうし、商人など国を行き来する者もいる。そんな中で“国の滅亡”という大きな情報を長期間隠し通すことは、いかな強大な力を誇るナザリックといえども不可能なことだった。

 しかしこの世界にとっては不幸でありナザリックにとっては幸いなことに、それを実現可能にできる宝具がスレイン法国の宝物庫から発見された。

 それは二つの世界級(ワールド)アイテムの内の一つ。

 名を“幻世界の揺り籠”。

 法国の重役たちへの聞き取り調査とモモンガによる鑑定魔法により、それは強力な幻影を世界規模でもたらすアイテムであると判明した。

 効果期間は最長3か月。アイテムの使用者が望む事象を世界に信じ込ませ、騙すことができるアイテム。

 ペロロンチーノはすぐさまモモンガとウルベルトと話し合い、そのアイテムを使って法国滅亡の公表を遅らせることを決定した。

 アイテムの使用者はアイテムの発動時ずっと眠りにつくことになるため、必然的に飲食といった生命維持に必要な行動は取れなくなる。つまり人間種には決して使うことのできないアイテムではあったが、飲食不要である異形種であれば問題なく使うことができた。

 使用者に選ばれたのはナザリック地下大墳墓第八階層守護者である“生贄の赤子”ヴィクティム。

 ナザリックの基準で言えば低位となる力量(レベル)の持ち主ではあるものの、階層守護者の地位を戴いているだけあって知能は高く、大抵の不測の事態にも対応可能であろうとの判断から抜擢された。

 至高の主たちより命じられ、ヴィクティムが法国に渡って“幻世界の揺り籠”を発動させたのが今から三日ほど前のこと。“幻世界の揺り籠”を使用することが決まったことにより、その効果が切れる前に戦後処理を終わらせ、法国全土を完全に掌握しなければならない事態になり、ナザリックは勿論のことエルフたちも忙しなく各地を駆けずり回ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……あ゛ぁ゛~、忙し過ぎて目が回りそう……。“幻世界の揺り籠”があったおかげですぐすぐ世界に混乱を招くことは避けられましたけど、そのせいですっごく忙しくなって頭が痛いですよ……」

「当初は各国に法国滅亡の情報が流れても良い様に計画を組み立てていましたからね……。俺たちも手伝うので一緒に頑張りましょう」

「とはいえ、近々王国と帝国の戦争も控えているからな……。俺とモモンガさんはそっちの対処もしなくちゃならないし、大部分はお前に任せることになるだろうが……」

「………逃げたい……」

「そ、そんなこと言わないで頑張りましょう、ペロロンチーノさん! ほら、NPCのみんなも頑張ってくれていますし!!」

 

 テーブルに顔を突っ伏して脱力する鳥人(バードマン)に、死の支配者(オーバーロード)が慌てて励ましの声をかける。

 何ともカオスな光景に、ウルベルトは小さく肩を竦めた。

 

「まぁ、当面は外堀さえ強固にできていれば大丈夫だろう。一番怖いのは内部からの火種よりも外部からの干渉だからな。……王国と帝国の戦争の後に“幻世界の揺り籠”の効果が切れるのが一番望ましいが……、タイミングとしてはギリギリってところか……?」

「そうですね。そっちの方も考えていかないと……」

 

 考えなければならないことも取り組まなければならないことも山積みで、思わず三人の口からほぼ同時に大きなため息が吐き出される。

 しかし今更放り出すわけにもいかず、ペロロンチーノとモモンガとウルベルトはシモベたちから続々と届く書類の山を片付けようと萎える心を懸命に励ましながら、互いに意見を交わし合い、作業の手を必死に動かすのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 スレイン法国とエルフ王国の戦争の戦後処理……。

 それは現地のスレイン法国領土やエルフ王国領土だけでなく、エルフ王国に手を貸したナザリックの本拠地であるナザリック地下大墳墓にも大きな喧騒をもたらしていた。各階層守護者が中心となり、自身のシモベたちに指示を出して多くの異形たちが墳墓内や外の法国やエルフ王国内を走り回る。

 しかし手を貸しただけのナザリックが何故こうも忙しくなっているのかというと、それは戦後のエルフ王国とナザリックとの関係性や取り分などが深く関係していた。

 元々争っていたのは法国とエルフ王国であり、ナザリックはあくまでもエルフ王国に協力した体で、言うなれば横槍を入れたという立場にある。しかしエルフ王国とナザリックには圧倒的な力の差が存在し、またナザリックが手を貸さなければエルフ王国は滅んでいたという事実が全てを複雑にさせていた。

 エルフ王国とナザリックとでは実質の力関係はナザリックの方が圧倒的に上。そのため法国領土の最終所有権はナザリックが持つこととなり、エルフ王国は『ナザリックからの依頼により法国領土はエルフ王国が暫く管理する』という形で、その統治する期間も定められた。また法国が所持していた宝物やアイテムなどもナザリックがその殆どを貰い受けることとなり、国家機関や軍に属する人間も全てがナザリックの所有となり、現在第五階層に運搬及び収容されていっていた。一方、国家機関や軍部に属さない一般の平民や法国に隷属されていたエルフなどはエルフ王国が所有する運びとなった。

 となれば、法国の現地で捌くモノは多くあり、また現地で捌かれてナザリックに運搬されたモノを更に細かく捌いて処理していく必要も出てくる。

 ナザリック地下大墳墓第五階層にある氷結牢獄は超満員、送られてくる宝物やアイテムは鑑定待ちで堆く積まれ、ナザリックのシモベたちは『ああっ、私たち働いてる!』『至高の御方々のお役に立ってるっ!!』と歓喜に涙しながら浮かぶ汗と満面の笑みを輝かせて忙しなく走り回っていた。

 実に社畜の鏡というべき充実感溢れる表情と姿と光景である。

 そんな嬉々とした様子で走り回る異形たちの中で、ニグンもまた物資の運搬や捕虜たちの聞き取り調査を行う異形たちの手伝いで、墳墓の第五階層と第九階層の往復を繰り返していた。

 今もニューロニストや拷問の悪魔(トーチャー)たちからあげられた報告書の山を両手に持ち、至高の主たちがいる部屋に向けて歩を進めている。

 報告書の山は見上げるほど高く、抱え持っているニグンの視界を容赦なく占領している。

 前が完全に見えないため視線を左右に忙しなく向けて場所や位置を確認しながら、ニグンは慎重に足を動かしていた。

 

「――……あら、ルーインさん、大変そうですね。お手伝いしますよ」

 

 そんな中、不意にかけられた可愛らしい声。

 動かしていた足を止めて身体の向きを傾けて見てみれば、そこには一般メイドの一人であるフィースが柔らかな笑みを浮かべてニグンの目の前に立っていた。

 

「これはフィースさん、お心遣いに感謝します。ですが、フィースさんも何かお仕事があるのでは?」

「いえ、先ほど仰せつかった仕事を一通り終わらせてしまいまして……。ですので是非お手伝いさせて下さい!」

 

 両手で拳を握りしめて瞳をキラキラと輝かせる少女に、ニグンは思わず気圧されて小さく後退りしそうになる。

 しかし寸の所で踏みとどまると、少し躊躇いながらも最後には素直に彼女の申し出を受けることにした。

 

「……分かりました。それでは少し持って頂けますか?」

「はい!」

 

 ニグンとしてはうら若き少女に重い物を持たせるというのは非常に気が引けるのだが、彼女本人がここまで望んでいるのであれば、それを拒否するのもまた心苦しい。

 諦めて丁寧な口調で改めて頼めば、フィースは嬉々として頷いたと同時にニグンが抱えている書類の三分の一ほどを自分の腕に引き受けた。書類一枚たりとも落とさぬようにしっかりと抱え込む彼女を確認し、ニグンも改めて少なくなった書類を抱え直す。

 フィースのおかげで開けた視界に内心で感謝しながら、ニグンはフィースと共に再び歩を進め始めた。

 

「……あっ、そうだ、聞きましたよ! ウルベルト・アレイン・オードル様から至宝を賜り、御名まで頂いたそうですね!」

 

 横並びで廊下を進む中、不意にフィースが大きく声をかけてくる。非常に整った美しい顔には羨望の色が大きく浮かんでおり、ルビー色の大きな双眸には憧れや嫉妬といった多くの感情が複雑に混ざり合っていた。

 これがニグンがナザリック入りして初期の頃であったなら彼女の顔に浮かんでいたのは嫉妬の一色であっただろう。それを思えば、随分と彼女たちに受け入れられてきたものだと感慨深く感じられる。

 ナザリックに来た初めての頃を思い出しながらしみじみと思っていると、フィースが横に並んで歩いている状態ながらもズイッとこちらに身を乗り出してきた。

 

「至高の御方に何かを賜るというのは非常に名誉なことです! ルーインさんであれば既に十分承知しておられるかとは思いますが、至高の御方々から賜った温情に甘んじることなく、より一層の忠義に励む必要があるんですからね!」

「そうですね、フィースさんの言う通りです。勿論、十分わかっていますよ。……至高の御方々は皆さまとても慈悲深く寛大でいらっしゃる。一度は刃を向けた我が身にすら温情をかけて下さり、加えてこのように度重なる褒美をも下さった。私は……この身全てをかけて至高の御方々に尽くすつもりです」

「ええっ、それでこそナザリックのシモベです!」

 

 ニグンの言葉は彼女にとって100点満点だったのだろう、フィースは満足そうな満面の笑みを浮かべて胸を張り、フンスッ!と小さな鼻から満足そうな息を吐き出している。

 何とも可愛らしいフィースの様子に、ニグンは思わず小さな笑みを浮かべた。再び視線を前方に戻しながら、一心に足を動かし続ける。

 周りで忙しなく動いている異形たちの邪魔にならないように細心の注意を払いながら、しかしふと褒美をもらった当時のことを脳裏に蘇らせた。

 

 

 

 ニグンが新たな武器“六大悪魔の瞳”をウルベルトより賜ったのは、ニグンがペロロンチーノたちと共にエルフたちの元へ赴く前日……定例報告会議のすぐ後のことだった。

 他のシモベたち……ナザリックのモノたちには気づかれないように内々にウルベルトの私室に呼ばれ、『日頃の行いへの褒美だ』と“六大悪魔の瞳”を賜ったのだ。

 今でも、深々と頭を下げながら受け取った“六大悪魔の瞳”の感触と、その時に湧き上がった数多の感情を鮮明に思い出すことができる。

 ツルツルとしていながらも同時にサラサラとした滑らかな手触り。

 微かな光をも反射する輪の部分の金属の美しさに感嘆し、はめ込まれた魔力を宿す二対の宝石の輝きに魅了された。この魔力を宿す宝石一つだけでも、恐らく王国や帝国の一年間の国家予算を優に超えることだろう。

 一目で高価すぎる品だと分かり、ニグンは感謝や恐れ多さや嬉しさ以上に“信じられない”という思いを最も強く湧き上がらせた。

 いくら『日頃の働きへの褒美』だとしても、どんな国、どんな組織であろうと、ただのシモベに対してこんな高価な品を贈るものはどこにもいない。法国であれば漆黒聖典、帝国であればフールーダ・パラダイン、王国であればガゼフ・ストロノーフといった、国主の腹心に対してであれば100歩譲ってまだ理解できる。しかし自分はウルベルト・アレイン・オードルにとってそういった存在では決してない。

 勿論、ニグンはウルベルトや他の至高の御方々に対して絶対の忠誠を誓ってはいるが、しかし“腹心”という存在となると、ニグンは自分などよりも階層守護者の面々の方が真っ先に頭に思い浮かんだ。

 そんな守護者のモノたちを差し置いてこんな褒美を受け取ってしまったことに、ニグンは恐怖すら感じた。

 

「……ウ、ウルベルト様……、大変光栄なことではございますが、このような高価な物は頂けません」

「えっ、いや、折角作ったんだから逆に貰ってくれないと困るんだが……」

 

 ニグンからの言葉が余程意外だったのか、ウルベルトは驚愕の表情と共に困惑したような言葉を零してくる。

 見るからに戸惑っている主の様子に、しかしニグンもある意味必死だった。

 ナザリックのシモベたちは例外なく全てが至高の御方々に忠誠を誓い、その存在を崇拝し、狂信してさえいる。そんな彼らに、元々部外者であったニグンが至高の主であるウルベルトから直々に褒美の品――それもウルベルト自らが作った品である――を貰ったと知られればどうなるか……。

 結論:小悪魔(インプ)となり至高の御方々のシモベとなったばかりの頃に待っていた地獄の日々の再来である。

 特にウルベルトの被造物であるデミウルゴスからの反応が恐ろしく、ニグンはウルベルトからの言動を嬉しく思い感謝しながらも、その一方でウルベルトからの褒美を全力で拒否したかった。

 

「そもそも私はウルベルト様やモモンガ様に刃を向けた大罪人です。しかし、そんな大罪を犯した私をウルベルト様とモモンガ様とペロロンチーノ様はお許し下さり、この身を悪魔に変えて仕える機会すら与えて下さった。私がウルベルト様にお仕えするのは当然のこと。褒美など、大罪人である私には不要な物でございます」

 

 何とか考え直してもらえないかと、本音を織り交ぜた言葉を並べ立てる。

 しかし目の前の山羊の顔は呆気に取られているような表情を浮かべており、全く納得してくれていない様子だった。加えて、う~ん……と小さな唸り声を零し、首を大きく捻ってすらいる。

 何やら深く考え込んでいる素振りの後、ウルベルトは何かを思いついたように捻っていた首を元に戻してポンッと右手の拳を左掌で打ち鳴らした。

 

「……ああ、もしかして他のナザリックのモノたちのことを心配しているのか? 大丈夫だと思うぞ、あいつらもいい加減お前を仲間として認めているだろう。今更部外者扱いして“何で褒美をもらったんだ”っていう話にはならないさ」

 

(そういうことですけど、そういうことではないんです……!!)

 

 ウルベルトの少しズレた言葉に、ニグンは思わず心の中で叫んでいた。

 確かにナザリックのシモベたちが大いに関係しており、彼らの反応を気にはしている。しかし心配しているのは自分の存在を認めてくれているかではなく、至高の主に褒美をもらったことに対する嫉妬やら何やらの反応が恐ろしいのだ。

 ウルベルトとの認識のズレに絶望し、どう説明すべきか分からず内心で頭を抱える。

 しかしこちらの苦悩など知る由もない山羊頭の主は、柔らかな笑みすら浮かべてのほほんとした雰囲気を纏わせ、しかし口からは強力な爆弾を投下してきた。

 

「それにその品はお前が使うことを前提にお前のために作ったのだから、お前が貰ってくれないと意味がない。逆にお前が貰ってくれないのなら、そのままゴミ箱行きにするしかないな」

「……っ……!!」

 

 まるで『ちょっとこのゴミを捨ててきてくれないか』といった軽いノリで言われた言葉に、ニグンは思わず全身を戦慄かせた。

 次に彼の頭の中に浮かんだのは『至高の御方の作りし至宝をドブに捨てるような行為は万死に値する』と憤怒の表情を浮かべる階層守護者たちの姿で、ニグンはあまりの恐怖にガックリと全身を項垂れさせた。

 

「………謹んで…、……頂戴させて頂きます……」

「おお、そうか! 気に入ってくれたようで嬉しいよ」

 

 白旗を上げて“六大悪魔の瞳”を握り締めるニグンに、ウルベルトは満面の笑みを浮かべてくる。

 ウルベルトは何度も無言のまま頷くと、次にはこちらに手を差し出して一度“六大悪魔の瞳”を渡すように言ってきた。先ほどとは相反する言葉にニグンは内心首を傾げながら、しかし大人しく差し出されているウルベルトの手に“六大悪魔の瞳”を渡す。ウルベルトは“六大悪魔の瞳”を一度持ち直すと、次には六つの腕輪一つ一つについて込められている魔法や使用方法について丁寧に説明し始めた。

 “六大悪魔の瞳”はその名の通り、ウルベルトが以前いた別の世界で名の知れた悪魔に因んで作った腕輪であるらしい。

 一つの腕輪に二つの魔法石が埋め込まれたものが合計六つ。埋め込まれている二つの魔法石にはそれぞれ別の魔法の力が宿っており、つまり一つの腕輪で二つの力を発動することができるようだった。

 “六大悪魔の瞳”の性能にも勿論驚いたが、何よりもその埋め込まれた魔法石と、宿っている魔法の内容に驚愕する。

 正に至宝と言う呼び名に相応しい代物に、ニグンは改めていろんな意味での緊張で冷や汗を流していた。

 

「――……とまぁ、はめ込まれている魔法石に宿っている魔法の内容についてはこんなところだな。この話を聞いて気付いただろうが、この魔法石に宿っている力の幾つかは、今のお前では十全に使いこなすことは難しいだろう」

 

 恐怖と緊張のあまり思考を停止させていた中、不意に耳に飛び込んできたウルベルトの言葉にハッと我に返る。反射的にウルベルトを見れば、目の前の悪魔は今までになく真剣な表情を浮かべてこちらを見つめていた。

 

「今のお前では十全に使いこなすことのできない物を敢えて含めたのは、今後お前がこれら全てを完璧に使いこなすことができるほどに強くなるだろうと期待しているからだ。それを肝に銘じつつ、これを受け取ってほしい」

「……!! ……はっ、必ずやそのご期待に応えられるよう精進して参ります……!!」

「フフッ、期待しているよ、ニグン」

「はっ!」

 

 ウルベルトの言葉に、ニグンは今まで感じていた緊張や恐怖を全てかなぐり捨てて深々と頭を下げた。『期待している』と言葉に出して言われると、やはり緊張はするものの、それよりも大きな喜びの感情が湧き上がってくる。

 目の前の主の期待に必ず応えなければ……と強く思う。

 ニグンは再び己の手に戻ってきた“六大悪魔の瞳”を強く握り締めると、早くこのアイテムを完璧に使いこなせられるように精進していかなければ……と心の中で誓いを立てた……――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……ルーインさん?」

「…あ、ああ、いえ、少し考え込んでいたようです」

 

 不思議そうな表情を浮かべて再びこちらを覗き込んでくるフィースに、ニグンは我に返って慌てて謝罪の言葉を口にする。物思いにふけっていた自身を心の中で叱責すると、気を引き締めて改めて目の前の廊下を見やった。

 ここ第九階層の廊下は他の階層とは打って変わり――それでも行きかうモノたちは普段よりも多いものの――静かで、いつもの気品のある雰囲気が漂っている。廊下の壁には等間隔に重厚な扉が並んでおり、扉の面にはそれぞれ違うエンブレムが彫り込まれていた。

 メイドたちに以前教えてもらった話によると、そもそもこのナザリック地下大墳墓には四十一人もの至高の御方々がおり、この第九階層は至高の御方々の住居エリアであるため、それぞれの部屋の所有者である至高の御方々のエンブレムがその部屋の扉に彫り込まれているらしい。

 そして今回目指しているのはモモンガの部屋。

 髑髏のようなエンブレムが彫り込まれている扉まで歩み寄ると、少し上体を後ろに傾けて抱えている書類を身体に預けると、左手だけでそれを抱え込んで空いた右手の拳で扉をノックした。

 一拍後、扉の内側から入室許可の言葉が聞こえてくる。

 ニグンとフィースはそれぞれ自身の名前と入室する旨の言葉をかけると、ドアノブに手をかけて扉を押し開けた。ゆっくり開いていく扉に一度深く頭を下げ、室内へと足を踏み入れる。

 中には部屋の主であるモモンガだけでなく、他の至高の御方であるペロロンチーノとウルベルトも揃っていた。

 至高の三柱は一つの大きな丸テーブルを囲むように椅子に腰かけており、そのテーブルの上は勿論のこと、三柱の御方々が座っている椅子の間の地面にも多くの報告書の山が積み上げられている。至高の御方々のそれぞれの両手にも全て違う報告書が握られており、どうやら相談しながら報告書を捌いているようだった。

 

「御取込み中に失礼いたします。第五階層の氷結牢獄より、新たな報告書をお持ちしました」

「………oh……」

「……あー、ご苦労……。……とりあえず、こちらに置いてくれるか?」

「「はっ」」

 

 ペロロンチーノが何やら変な声を小さく零す中、モモンガが誤魔化すように手招きしてくる。

 ニグンとフィースは一つ頷くと、手招きされるがままに歩み寄って示された場所……モモンガとウルベルトが座っている椅子の間の地面に抱えている報告書を置いた。

 

「氷結牢獄からというとニューロニストからの報告書か……。また何か新たな情報を得られたのかな?」

「法国が所有していた情報量は予想以上だったからな。……まさにこの世界のありとあらゆる情報のデータベースだ」

「法国一つ滅ぼしただけで相当な情報を得られてますもんね~」

 

 うんうん…と三柱の至高の御方がそれぞれ何度も頷く。

 ニグンは自分の元所属していた国をある意味褒められていることに、非常に複雑な感情を胸に渦巻かせた。顔にも複雑な表情を浮かべているのだが、至高の主全員がそれに気が付かずに手にある書類にそれぞれ目を向けた。

 

「戦後処理を始めてまだ三日ほどしか経っていないのに、情報が出てくる出てくる~ですからね」

「そうだな。例えば巻物(スクロール)薬液(ポーション)の作成方法……秘匿技術とでもいうのかな?」

「その情報は早急にアイテム技術開発担当のデミウルゴスに伝えてやる必要があるな。他には神人についてや他国の情勢やこの世界の歴史も興味深い……」

「法国の統治方法も興味深いものが多い。……これはやはり早めに情報を整理して定例報告会議を開く必要があるな」

「……うへぇ~……」

 

 モモンガの言葉に、ペロロンチーノがまた奇妙な声を上げる。

 バードマンとはこんなにも奇妙な声を上げる種族だっただろうか……とニグンが思わず内心で首を傾げる中、ウルベルトが少し困ったような笑みをペロロンチーノに向けた。

 

「……まぁ、ここが一つの頑張りどころだな。少なくともお前は王国と帝国の件に関してはそこまで動くことはないだろうから、ナザリックでまったりしていれば良い」

「いや、そんなこと言っといて絶対面倒事持ち込むでしょ」

 

 ウルベルトの言葉に、すぐさまペロロンチーノが苦言を呈する。顔は黄金の仮面に隠れているのに、彼がジトッとした目でウルベルトを睨んでいるのが何となく雰囲気で分かった。

 まぁ、こんなに報告書があるのでは読んで捌くだけでも相当な労力が必要となるだろう。元陽光聖典の隊長であったニグンも書類仕事は経験しており、ペロロンチーノの気持ちも分からなくはなかった。

 思わずニグンが小さな苦笑を浮かべる中、不意にフィースが一歩前に進み出て地面に両手と両膝をついて深々と頭を下げてきた。

 

「も、申し訳ありません! 至高の御方々にご心労とご負担をおかけてしまうなど、シモベとして言語道断! このうえはメイド一同、この身を粉にして御方々のために働かせて頂いた上で、この度の騒動が落ちつきましたら責任を取って自害を……っ!!」

「うえぇぇ~~っ!!?」

 

 フィースの言動に、ペロロンチーノが次は悲鳴のような奇声をあげる。

 ペロロンチーノはあたふたと四枚二対の翼を羽ばたかせると、次には椅子から立ち上がってフィースの下に駆け寄った。地面に片膝をつき、彼女の両肩に両手をかけて優しく上体を起き上がらせる。

 

「そ、そんなの駄目だよ! フィースも他の一般メイドたちもすっごく良くやってくれてるよ! だから君たちが責任を感じる必要なんてないんだ!」

「……ペロロンチーノ様……」

「さっきは、何というか……ちょっと愚痴っちゃっただけで……。全然負担なんかじゃないから! 勘違いさせちゃってごめんね」

「そんな! 至高の御方々が謝罪する必要など何一つございません!」

「ありがとう。……じゃあ、フィースもさっきの件はこれ以上気にしないでくれ。約束だよ」

「……ペロロンチーノ様……。……畏まりました、至高の御方の慈悲深い御心に感謝いたします」

 

 何とか落ち着いた様子のフィースに、ペロロンチーノが安堵の息を小さく吐き出す。そのまま一つ頷くと、フィースを立ち上がらせてから自身も再び椅子に腰かけた。続いて別の書類を手に持ちながら、フィースに確認済みの書類を片付けるように指示を出す。

 フィースは表情を輝かせて一つ頷くと、示された書類を抱え持って一礼と共にこの部屋から退室していった。

 ニグンも彼女と同じようにこの場を立ち去ろうと一礼しようとする。

 しかしその前にウルベルトがこちらを振り返ったことに気が付いて、ニグンは動きを止めてウルベルトを見やった。

 

「ニグン、君もご苦労だったね。まだもう少しかかりそうだが、お前も無理をしない程度に頑張ってくれたまえ」

「お心遣いに感謝します、ウルベルト様。ですが、ご心配は無用でございます」

「……あー、うん……。まぁ、よろしく頼む」

「ニグン、定例報告会議で正式に言い渡すことになるだろうが、今後お前には暫くの間エルフ王国に行ってもらい、法国領土を管理するエルフたちの補佐をしてもらうことになるだろう」

「それは……宜しいのですか?」

 

 モモンガからの突然の言葉に、ニグンは思わずウルベルトに視線を向けた。

 ニグンがエルフ王国に暫く駐在するということは、その間は“サバト・レガロ”のレインとしての行動が出来なくなるということだ。勿論ニグン一人がいなかったとしてもウルベルトとユリであれば何も問題なく十分“サバト・レガロ”の活動ができるだろう。とはいえ、同じチームメンバーが長期間いないとなると、疑問に思ったり不思議に思ったりする者も出てくるはずだ。

 念のためウルベルトに問いかけると、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かべて一つ頷いてきた。

 

「ああ、構わないとも。エルフ王国の補佐に注力してもらいたいとは言ったが、永遠にエルフ王国にいろという訳ではないし一時的なものだからな。それに、法国についてはお前が一番良く分かっているだろうからエルフたちに対して一番いい助言もできるだろう」

「……畏まりました」

 

 ウルベルトの言い分に納得して一つ頷く。

 確かに元法国の人間だった者として、法国領土をナザリックの代わりに統治するエルフたちに対していろいろと助言はできるだろう。加えて、いつの日が法国領土をナザリックがエルフたちから引き取った際、法国領土がナザリックにとって良い状態になっているよう手を回していかなければならない。

 責任重大な役目を担うことになる予感がして、ニグンは無意識に背筋を伸ばした。

 

「……ああ、そういえば、伝えるのを忘れていた。ペロロンチーノ、カルネ村のネムから伝言を受け取っていたのだが」

「えっ、ネムちゃんから?」

「ああ。『困っている人たちを助けたら、カルネ村にもまた絶対に来てほしい』とのことだ。お前に非常に会いたがっているようだったぞ」

「………この状態でそれを言います?」

 

 ニグンが突然の大役に緊張で気を引き締めている中、モモンガとペロロンチーノが何やら気が抜けるような会話を繰り広げている。

 仕事の量に意気消沈して大きく項垂れるペロロンチーノをチラッと見やりながら、ニグンはエルフ王国の統治に思いをはせた。

 そこでふと、神都まで侵攻する際に何かと言葉を交わすことが多かった一人の少女エルフの顔が頭に浮かんでくる。

 エルフ王国に暫くいることになるのであれば、もしかすればあの少女ともまた会うことになるかもしれないな……と何とはなしに思った。

 

 




“幻世界の揺り籠”についての詳細は恐らく次回で書くかと思います!
ので、気になる方は次回をお待ち頂ければと思います(深々)
また、今回ナザリック地下大墳墓第九階層の至高の御方々の私室の扉について捏造してみました!
部屋の扉については原作では詳しい描写がなかったと思うのですが……なかったですよね……?(汗)
もし『いや、書いてあるけど?』ってなっていた場合は優しく教えて頂ければ幸いです(土下座)

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