世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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ギリギリ6月中にUPできた!
今回もペロロンチーノ(法国側)の話になります!
とはいえ、ペロロンチーノ様は今回は殆ど出てこないのですが……。


第72話 黒塗りの地図

 法国南西部都市ハイリントで法国が信仰する六大神の教会の塔に森妖精(エルフ)の旗が掲げられた……――

 その話が法国やエルフの全軍に広がった時、両者に強い激震が走った。

 法国の者たちは自分たちが崇拝するものに対する侮辱であると激怒し、エルフたちは自分たちを苦しめてきた法国を降したという……一種の下剋上的な喜びや優越感などの高揚感を湧き上がらせた。

 互いがそれぞれ激情にかられ、それ故に両者の戦いが更に激化するのは必然と言えるだろう。

 法国軍とエルフ軍は激しく刃を交え、エルフ軍は陥落させた都市にある六大神の教会の塔に次々とエルフの旗を掲げていった。

 

 そして現在、法国南東部にある貿易都市ラティナでも法国軍とエルフ軍による激しい戦闘が繰り広げられていた。

 両軍の前線は互いに咆哮を上げながらぶつかり合い、飛んでくる矢は魔法が迎え撃ち、多くの小型の魔獣たちが兵たちの隙間を縫うように駆けて容赦なく敵に襲いかかっていく。

 エルフたちと行動を共にしているアウラ・ベラ・フィオーラは、戦場が一望できる小高い丘の上で、愛獣の一体であるフェンリルを傍らに控えさせながら少し退屈そうな表情を浮かべて戦場を見下ろしていた。

 アウラが同行しているこのエルフ第二軍は、これまでできるだけ自分たちの力だけで法国の都市を攻略していた。アウラからの支援を殆ど受けることなくここまで攻略できていることは正に驚嘆に値するだろう。しかしその一方で、他の二つの軍に比べて一つの都市陥落に多くの時間がかかっており、そのあまりに遅い歩みにアウラは内心で不満を募らせていた。

 『これではペロロンチーノ様のお役に立てていないのではないか』という考えが幾度も頭を過り、アウラの機嫌はどんどん悪くなっていく。

 とはいえ、現状法国にこちらの存在を大っぴらに知られるわけにはいかず、そのためアウラがエルフたちを押しのけて法国軍を殲滅する訳にもいかない。

 『エルフたちからの要請がない限りは極力手を出さない』というルールが、アウラに大きな不満とストレスを与えていた。

 

 

 

「――……アウラ・ベラ・フィオーラ様、少し宜しいだろうか?」

 

 小高い丘の上で戦場を睨むように見つめていたその時、ふと一人のエルフが声をかけてくる。

 チラッとそちらに目を向ければ、この軍を指揮している隊長の一人……黒風(こくふう)第一部隊隊長を務めるノワール・ジェナ=ドルケンハイトがいつもの無表情で四メートルほど離れた場所に立っていた。

 大人しくこちらが応じるのを待っている様子の彼女に、アウラは一つ小さな息をつくことで胸の内に渦巻くストレスを吐き出してから気を取り直して身体ごと向き直った。

 

「なに? トラブルでもあった?」

 

 漸く自分の出番かと少し期待しながら声をかける。

 しかし返ってきた言葉は予想外のものだった。

 

 

 

 

 

「………隠れ都市……?」

「はい。前回制圧した都市コルミックで捕えた法国兵への尋問を担当していた者から先ほど連絡があった。どうやら現在攻略中のラティナ周辺に地図には載せていない秘密の都市が存在しているらしい」

「……緊急時に備えて造られた都市かな……。この周辺にあるもの以外にも隠れ都市がある可能性は?」

「……実は、それについて相談が。隠れ都市は他にも複数存在しているらしいが、既に放棄されているものも幾つかあるらしい。ただ、現在も機能している都市は勿論あるし、放棄されている都市にも逃げ延びた法国兵が潜んでいる可能性がある」

「つまり、全ての隠れ都市を調べて制圧していかないと挟撃されたり奇襲をされる危険性があるってことね。全部の隠れ都市の位置は分かってるの?」

「現在も法国兵に尋問している最中だ」

「なるほど……、……つまり全ての隠れ都市の位置はまだ分かっていないってことか……」

 

 ここに来て新たに分かった複数の都市の存在に、アウラは軽く腕を組みながら思考を巡らせた。

 隠れ都市がこの南東部だけにあるとは思えず、恐らく法国の全域に複数存在しているだろう。今までコキュートスやパンドラズ・アクターからそういった情報はきておらず、恐らく二人ともが未だ隠れ都市の存在を知らない可能性が高かった。ニグンが隠れ都市の存在を知っていれば事前に報告してきただろうが、それもないということは陽光聖典の隊長だったニグンですら、その都市の存在は知らされていなかったということになる。であれば本当にその存在を知っているのは法国の一部の人間であり、今回アウラたちエルフ第二軍が捕えた法国兵の中に都市の存在を知っている者がいたことは幸運以外の何ものでもなかっただろう。

 

「……となれば多くの法国兵が隠れ都市に逃げて潜む可能性は低くなるけど……、いや、知っている人間が直前に他の兵たちに教えている可能性もあるか……」

 

 アウラは暫くブツブツと小さく言葉を零しながら考えをまとめていく。やがて一つ頷くと、懐から一枚の羊皮紙(スクロール)を取り出して軽く宙に放り投げた。

 瞬間、羊皮紙(スクロール)は青白い炎に燃え上がり、宿していた魔法が発動する。

 次に頭の中で一つの線が繋がったような感覚を覚え、アウラは無意識に背筋をピンッと真っ直ぐに伸ばした。

 

『――……あれ、アウラ? どうかした? 何かあった?』

 

 頭の中から響くように聞こえてきたのは、現在法国南部の辺境都市マイリエにいるであろうペロロンチーノの声。

 どこか驚いたような……それでいて少し心配そうな声音で問いかけてくる声に、アウラは背筋を伸ばした姿勢のまま更に表情を引き締めた。

 

「ペロロンチーノ様、一つ報告がありまして……。お時間を少し頂いてもよろしいでしょうか?」

『うん、大丈夫だよ。何かあったのかな?』

「はい、実は……――」

 

 ペロロンチーノの促すような言葉に従い、アウラは隠れ都市の存在について手短に報告をしていく。

 ペロロンチーノは驚いたような声を少し零したものの後は無言でアウラの報告に耳を傾け、アウラの報告が終わってから漸く再び声を飛ばしてきた。

 

『……なるほど、そんな都市まであったのか。……流石は人間以外の種族を敵に回しているだけのことはあるというか、何と言うか……その辺りも徹底してるなぁ……。……分かった、コキュートスとパンドラには俺の方から伝えておくよ。また、こっちにも隠れ都市の情報がないか調べてみよう』

「ありがとうございます。……至高の御方にお手数をおかけしてしまい、大変申し訳ありません……」

『そんなこと気にする必要はないよ。逆に隠れ都市の情報を手に入れるなんて、すっごくお手柄じゃないか! 助かったよ、アウラ。ありがとう』

「そ、そんな……! あ、ありがとうございます、ペロロンチーノ様!」

 

 ペロロンチーノからの思わぬ優しい言葉に、途端に言葉で言い表せないほどの大きな歓喜が胸に湧き上がってくる。

 思わず輝かんばかりの笑みを浮かべるアウラに、まるでその顔を見たかのようにペロロンチーノの笑い声が〈伝言(メッセージ)〉越しに小さく聞こえてきた。

 

『それじゃあ、隠れ都市の対処の方は任せるよ。勿論、隠れ都市の制圧も回数に含めて良いから、制圧した都度報告してくれ』

「畏まりました! 感謝いたします、ペロロンチーノ様!」

 

 思わず頭を下げるアウラの脳内で、糸がプツリと切れるような小さな感覚が響いて消える。

 アウラは勢いよく頭を上げると、次には『よしっ!』と両手を握りしめて気合を入れた。大人しくこちらの様子を見守っていた女エルフに改めて視線を向ける。

 

「という訳で、隠れ都市も全部対処することになったから。正確な場所がまだ分かっていない都市も複数あるだろうし、隠れ都市に関しては私が全部対処するからそのつもりで。ここはあなたたちに任せるけど、何かあったら前に渡しておいた羊皮紙(スクロール)を使って連絡してね」

「……承知した。宜しくお願いする」

 

 アウラの言葉に、女エルフは反論することなく承知の言葉と共に頭を下げてくる。

 しかし返答をするまでに少しの間があったことにアウラは気が付いていた。

 とはいえ、アウラもそれをわざわざ指摘するつもりはない。アウラは敢えてそれを無視すると、何も気が付いていない振りをしてにっこりとした笑みと共に踵を返した。付き従うフェンリルと共に自分のシモベたちがいる場所に向けて歩を進めながら、アウラはこの第二軍を指揮しているノワール・ジェナ=ドルケンハイトという先ほどの女エルフについて思考を巡らせた。

 彼女は今までなるべくアウラの支援を受けずに済むように、時には知恵を絞り、時には奇襲などの戦略を複雑に組み入れながらなんとかここまで第二軍を引っ張っていた。他の第一軍や第三軍のようにもっとナザリック側の力を借りていれば、もっと早く確実に、そして何より楽に侵攻ができていただろう。しかしそれでもなおできるだけアウラの力を借りようとしなかったのは、恐らく……しかし非常に高い確率で、法国との戦争後に直面するであろうナザリックからの影響力を少しでも小さくしたかったからだろうと思われた。

 どんな経緯を経て、どんな結末を迎えたとしても、エルフ王国はナザリックの影響を受けることになる。しかしその影響力は、受けた支援の大小に従って多少なりとも変動はするだろう。あの女エルフはその影響力を少しでも小さくするべく行動しており、しかしここに来て出現した隠れ都市の存在が彼女の計画を狂わせたに違いない。

 どんなに抗おうとしたところでそれは叶うはずもなく、まるで世界が至高の御方のために動いているかのような今回の事象に、アウラは誇らしいような感情を湧き上がらせ、また改めて至高の御方々に対する畏敬の念を強めた。

 

「みんな~、お仕事の時間だよ~~!!」

 

 見えてきた拓けた場所と、そこで暇を持て余し、各々のんびりと過ごしていた自分のシモベである魔獣たちの姿を見つけ、アウラは大きく声を張り上げる。

 瞬間、多くの魔獣たちが同時に素早く反応し、我先にとアウラの周りに駆け寄り集まってきた。

 

「待たせちゃって、ごめんね! 漸くみんなの出番だよ!」

 

 満面の笑みと共に明るく声をかければ、それに応えるように魔獣たちが一様に高らかに咆哮を上げてくる。あるモノは尾を千切れんばかりに激しく振り、あるモノは踊るように飛び跳ね、あるモノはアウラの周りをグルグルと駆けまわる。

 アウラは彼らの様子を満足そうに見つめると、湧き上がってくる気合と共に強く拳を握りしめた。

 

「よしっ、早速行動開始っ! 至高の御方々のために、張り切って頑張ろーっ!!」

 

 アウラの言葉は、ナザリックに属する彼らの心をこの上なく高揚させる。

 アウラはフェンリルの背に勢いよく飛び乗ると、拳を握りしめた片腕を勢いよく振り仰いだ。

 

「しゅっぱーーつっ!!」

 

 元気な掛け声と共に走り出す魔獣の群れ。アウラを先頭に、ありとあらゆる種類の魔獣の大群が地を蹴り、我先にと駆け、激しい地響きと共に進軍を開始した。

 もし上空からその様を見ることが出来たなら、誰もがこの世の終わりのように感じただろう。

 多くの魔獣たちが雪崩のように我先に駆けているのだ、言うなれば西洋風の百鬼夜行とも言えるのかもしれない。

 

 エルフ第二軍の別動隊として動き始めたアウラ率いる魔獣軍は、瞬く間に次々と多くの隠れ都市を見つけて襲い、攻略していくことになる。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 法国中心部の南寄りの位置に存在する城塞都市グラスティル。

 法国の中心である神都にほど近い場所に存在するこの都市は、言うなれば神都を守る最後の盾と言うべき要所の一つだった。

 勿論、神都を守る城塞都市はグラスティル以外にも複数存在する。

 神都を守る南東の盾である城塞都市ファルディック、南西の盾である城塞都市ダーケイン、北東の盾である城塞都市リィンセル、北西の盾である城塞都市オズロド、そして北の盾である城塞都市アスティー。南の盾であるグラスティルを含めて実に六つの城塞都市が神都を囲み守っていた。

 人間至上主義を掲げ、人間以外の全ての種族に対して敵対意志を貫いている法国にとって、このくらいの堅牢さはむしろ当然のことと言えるだろう。また、神都を守る六つの城塞都市の防衛力の高さは、他の普通の都市に比べると一段も二段も勝っていた。城壁自体も分厚く頑丈であり、常駐している兵も強者揃いで数も多い。防衛設備も他の都市の物とは質が雲泥の差で、正に『法国最後の盾』という言葉に相応しい。

 城塞都市グラスティルの城壁から3キロメートルほど離れた平原に陣を構えているエルフ第一軍は、城塞都市の堅牢な様子を見つめながら大きな天幕内で今後の作戦会議を行っていた。

 参加しているのはこの軍に配属されている各部隊の隊長と副隊長。そしてこの軍と行動を共にし、時折支援を行っている凍河の支配者コキュートスとその配下である蟲の異形たちだった。

 

「――……流石は“法国最後の盾”と言われる城塞都市の一つ……。ここは他の都市のようにはいかないだろうな……」

「だが、ここを攻略しない事には神都に手出しができない。ここはやはり夜明けを待ってからの奇襲をしてはどうか?」

「奇襲と言うが、あの城壁はどうするのだ! あんなもの、容易には破壊できぬだろうし……近づくことすらままならん。まずはあの城壁をどうにかしなくては話にならんぞ!!」

「いや、そもそもどうもしなくて良いのでは? 要は中に入れれば良いのだから、密かに侵入できる場所を見つけてそこから中に入り、門を開けて全軍を招き入れれば良い。その方が被害も少なくできるだろう」

「侵入できる場所が見つからなかったらどうするんだ。黒風部隊も、今は隠れ都市とやらの探索でこの軍を離れているんだぞ? 彼ら不在で侵入できる場所を見つけるのは至難の業であろうし、そもそもあの国の堅牢な城塞都市に、そのような隙があるとも思えん」

 

 コキュートスの目の前で多くのエルフたちが激しく意見を交わし合う。いつも以上に切迫したような彼らの様子に、コキュートスは無言のまま静かに目の前のエルフたちを観察していた。

 戦闘に関するありとあらゆるものに対して強い興味を持つコキュートスにとって、エルフたちの発言や考え方は全て非常に興味深いものだった。

 過去の蜥蜴人(リザードマン)との戦闘から、コキュートスは既に油断することへの危険性を学んでいる。それ故に相手が誰であろうと注意深く観察し、あらゆる事象に対しても深く考えることを心がけていた。そのためか、これまでも幾度も参加した作戦会議で見聞きしたエルフたちの戦略や知識などは非常に面白く、時折新鮮さすら感じることもあった。法国とエルフとの戦いに際し、支援を行う任務に自分を加えてくれたペロロンチーノに、コキュートスは毎日のように感謝し、改めて深い忠誠を誓っていた。

 

「――……コキュートス殿、貴殿はどのように思われるか?」

 

 今も心の中でペロロンチーノに感謝の念を抱いていたコキュートスは、不意に一人のエルフに声をかけられてそちらに意識を向けた。

 蒼穹の複眼に映ったのは顰め面の金髪のエルフ。

 この軍を指揮する隊長の一人である赤刃(せきじん)第一部隊隊長ナズル・ファル=コートレンジが、まるで睨むようにこちらを見つめていた。

 

「……フム、ソウダナ……」

 

 ナズルからの刺すような視線を歯牙にもかけず、コキュートスはどこまでも冷静に思考を巡らせる。エルフたちの戦い方や強さも考慮しながら思考を巡らせ、どうにも難しい状況に思わず内心で小さな呻きにも似た声を零した。

 一番の障壁となるのは、先ほどから彼らも言っていた通り、都市を囲う分厚い城壁だろう。

 正面突破はエルフたちの力では難しいと言わざるを得ず、となれば考えられる方法は上空か地下からの攻略に絞られる。しかしその両方についてもエルフたちには難しく、またコキュートスも支援が難しいものだった。

 たとえば上空から攻撃する場合、空を飛べるシモベたちを大規模投入させることは可能だ。しかしそれはあまりにも大規模過ぎて、コキュートスの認識では支援の範囲を逸脱しているように思えた。

 であれば地下からの攻撃はどうかというと、そちらはコキュートスや配下のシモベたちでも難しかった。穴を掘って侵入することは可能だが、しかしそれだと相応の時間がかかってしまう。たとえばエントマであれば地中を潜って移動できる大型の蟲を召喚して使役することが可能なのだが、コキュートスはそういった能力を持ち合わせてはいなかった。

 さて、どうしたものか……と頭を悩ませる。

 しかしどうにも良い案が浮かばず、コキュートスは一度城塞都市を再び見てみることにした。

 この場にいる全てのエルフたちが自分を注視していることも構わず、無言のままに座っていた椅子から立ち上がる。思わず身構えるエルフたちには目もくれず、コキュートスは踵を返して天幕の外へと歩いて行った。

 コキュートスの突然の行動にエルフたちは呆然となり、彼のシモベである蟲の異形たちだけが当然のようにコキュートスの後ろに付き従う。

 コキュートスは天幕の外に出て城塞都市が一望できるところまで歩を進めると、3キロメートルほど離れた目の前の城塞都市を見やった。

 50メートルほどの高さがある城壁はどっしりとした佇まいをしており、その上には法国兵だと思われる複数の小さな影が幾つも立っている。エルフたちの話では壁の厚さは大体5メートルほどであるらしく、コキュートスにとっては破壊することは容易でも、エルフたちにとってはやはり難しいものなのだろう。破壊できないのであれば忍び込むことも一つの手だが、しかし先ほどエルフたちが言っていたように唯一忍び込めそうな黒風部隊は現在突如判明した隠れ都市の探索にあたって軍を離れている。

 ウ~ム……と実際に小さく唸り声を零し、そこでふとコキュートスはある考えに思い至った。

 エルフたちが忍び込めないのであれば、それを自分たちが支援するのはどうだろうか……。

 それくらいならば過剰な支援にはならないであろうし、姿が法国兵に見られないのであれば、こちらの存在を大っぴらに知られることも防げるはずだ。

 

「………“八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)”……」

「はっ、ここに、コキュートス様」

 

 コキュートスからの突然の呼び声に、背後に従っていたシモベたちの中からすぐさま十体ものエイトエッジ・アサシンたちが進み出てくる。

 片膝をついて頭を垂れる忍者服の黒い蜘蛛型モンスターに、コキュートスは彼らを振り返ることなく問いのみを投げかけた。

 

「オ前タチナラバ、アノ壁ヲ越エテ内側カラ門ヲ開ケルコトハ可能カ?」

「造作もないことでございます」

「ソウカ。……ナラバ決マリダナ」

 

 エイトエッジ・アサシンからの返答に満足し、コキュートスは一つ頷いて踵を返した。今まで観察していた城壁都市に背を向け、いつの間にかシモベたちの更に後ろに佇んでいたエルフの隊長や副隊長たちに目を向ける。

 緊張したような面持ちでこちらを見つめている彼らに、コキュートスは力強い声音で宣言した。

 

「明朝、コノ都市ヲ攻メ落トス! 各自準備ヲシテオケ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝4時過ぎ。未だ夜は明けることなく空も暗闇に染まっている時刻。

 法国の南の盾と称される城塞都市グラスティルに常駐しているクリス・ベノット・ランフィッシュは、漸く見張りの任務を終えて遅すぎる床に就くところだった。

 身に纏っている重い鎧を脱ぎ捨て、大きな欠伸を零しながら目の前の寝台に倒れ込む。硬くてお世辞にも上等とは言えない寝台ではあるが、それでも疲れた身体には十分有り難く、クリスは思わずフウゥゥ……と大きな息を吐き出した。急激に睡魔が襲いかかり、クリスはもぞもぞと体勢を変えながら眠りやすい姿勢を探す。先ほどまで感じていた緊張感が疲労に変わり、重く全身に圧し掛かってくるのに小さな呻き声を零した。

 城壁の外に布陣しているエルフ軍の姿が瞼の裏に焼き付いており、目を閉じてもなお浮かび上がってくるその姿に思わず眉間に深い皺を寄せる。身体は疲れているのに感情だけが妙に緊張して昂っており、眠たいのに眠れない感覚にクリスは苛立ち混じりに再び寝返りを打った。

 奴らがこの城壁を突破できないことは分かっている。どんなに策を巡らそうと、どんなに躍起になろうとも、自分たちには彼らの刃は一切届くことはないだろう。

 しかし、それが分かってはいても目の前に敵の大軍がいるとどうしても緊張はしてしまう。

 なまじ優秀であるが故に楽観視することができず、それによってストレスを抜くこともできず、何日も続く緊張感に身体も精神もすっかり疲れてしまっていた。

 今日はしっかりと眠りたいものだ……と思いながら閉じた瞼に力を込めた。

 その時……――

 

 

 

「……っ……!!?」

 

 突然鋭い悲鳴が鼓膜を震わせ、クリスはパッと閉じていた瞼を見開いて勢いよく寝台から身を起こした。床に放置していた鎧を急いで身に纏い、剣の柄を掴んで部屋の外へと飛び出す。扉が開け放たれたままなのも構わず、クリスは廊下を駆け抜けてそのまま外へと飛び出した。

 

「……なっ、こ、これはどういうことだ!? 何故エルフたちが中に……っ!!」

 

 目に飛び込んできた光景に、クリスは咄嗟に足を止めながら愕然と声を上げる。

 クリスの視線の先にあったのは、多くのエルフたちから攻撃されながらも必死に応戦しようとしている仲間たちの姿。

 エルフたちは何故か城壁の中に侵入しており、我が物顔で都市内部を駆け回っては仲間たちに襲いかかっていた。

 

「クリスっ!!」

「……っ……!!」

 

 不意に名を呼ばれ、反射的にそちらを振り返る。同じ部隊に所属しているジョルト・メイサル・フラングがこちらに駆けてきており、その手に血濡れた剣が握り締められているのを認めてクリスも漸く剣を両手で構え持った。自身の横に並び立つジョルトと共に目の前のエルフたちを睨み据える。

 こちらに襲いかかってくるエルフたちの刃を躱し、受け止め、切り捨てながらクリスは声を張り上げた。

 

「ジョルト、これは一体どういうことだ!? 城壁が破られたのか!?」

「いや、城壁は無事だ! だが門が開いていて奴らが入って来やがったんだ!!」

「門が開いていた!? そんな馬鹿な!!」

 

 門を閉め忘れるような人間がこの城塞都市にいる筈がない。ただでさえ今はエルフの大軍が都市の外に布陣しているのだ、そんな状態で門を閉め忘れるなどどう考えてもあり得なかった。

 しかしジョルトが嘘を言うとも思えず、クリスは違うエルフを切り倒しながら大きく舌打ちした。

 

「……奴ら、どこからか内部に侵入してきやがったな……!」

「まさかっ!! 警備は完璧だ、誰もが油断なく目を光らせていたんだぞ! エルフ如きが俺たちの目を掻い潜ることなどできる筈がない!!」

「だが、現に奴らは中に侵入しているだろう! 門が独りでに開かない限り、そうとしか考えられない!!」

 

 クリスとて、エルフたちが自分たちの警備を掻い潜って中に侵入してくるなど信じられない。しかし考えてみれば、そもそもエルフたちがこの城塞都市にまで侵攻できていること自体が信じられない事なのだ。

 普通であれば……少なくとも少し前までは、エルフたちは法国に侵攻するどころか国ごと滅亡する寸前だった。しかし気が付いてみればエルフたちはこの短期間で多くの法国軍を退かせ、法国の最後の盾たる城塞都市にまで辿り着いている。

 エルフたちに今までにない何か大きな変化があったことは間違いないだろう。

 一体何が起こっているのか……予想外過ぎる事態に大きな焦りと苛立ちが込み上げてくる。

 しかし今は何よりも目の前のこの状況をどうにかするのが先決だ。クリスは胸に湧き上がってくる多くの感情を必死に押さえこみながら手に持つ剣を振るい続けた。目の前にいるエルフたちを次から次へと切り捨て地に沈めていく。

 何故こんな奴らに……と簡単に地に沈んでいくエルフたちの弱さと自分たちの目を掻い潜って侵入してきたという現実のちぐはぐさに苛立ちが更に募っていった。

 しかし実を言えば、クリスの中には『エルフたちが自分たちの目を掻い潜ってきた』という傷つけられたプライドに対する苛立ちよりも、エルフという存在がこの都市に足を踏み入れたこと自体に対する怒りの方が激しく燃え上がっていた。

 それは、この城塞都市という場所自体が深く関係していた。

 神都を守る最後の盾たる六つの城塞都市は、何も防衛面だけで重要視されている訳ではない。法国人が六つの城塞都市を重要視する理由がもう一つあった。

 六つの城塞都市の中心部には法国が崇拝する六大神の神の巨像がそれぞれ建てられていた。

 この南の城塞都市グラスティルには六大神の一柱である闇の神の巨像が、北の城塞都市アスティーには光の神の巨像が、北東の城塞都市リィンセルには風の神の巨像が、南東の城塞都市ファルディックには水の神の巨像が、南西の城塞都市ダーケインには土の神の巨像が、北西の城塞都市オズロドには火の神の巨像がそれぞれ中心部に建てられているのだ。

 100メートルにも及ぶ巨大な神の石像は優しい眼差しで都市を見守り、それぞれの神を信仰する法国人は崇拝と信仰の心を胸に石像を見上げて心の安寧を得る。六大神を信仰する法国人にとって、六つの城塞都市は正に心のより所であり、神聖な場所であり、六大神それぞれの神の聖地だった。

 そんな聖域にも等しいこの場所に、よりにもよってエルフなどが足を踏み入れてきた。

 特に闇の神を信仰するクリスにとって、それは耐え難いことだった。

 振るう剣に激情を乗せ、一刻も早く生きたエルフたちをこの都市の中から消そうと奮起する。

 しかしその時、突然仲間たちの悲鳴を聞いてクリスは弾かれたように勢いよくそちらを振り返った。

 視線の先にあったのは一度の攻撃で何人もの法国兵が血と共に地面に倒れ込む姿。彼らの奥には一人の金髪のエルフが立っており、手に持つ剣を振るって仲間たちの血を払い落としていた。

 一見無造作に立っているように見えて実際は隙がなく、一目で強者であることが分かる。

 しかし全く勝ち目がないかと言われればそうでもなく、自分とジョルトの二人であれば十分勝算があるとクリスは判断した。

 無言のままジョルトに短く合図を送り、ジョルトも心得たように無言のまま一つ頷いてくる。クリスは一つ頷き返すと、数歩後ろに下がってから相手に気付かれないように遠回りでエルフの背後の位置まで移動を開始した。

 

「そこのエルフッ!! よくも仲間たちを傷つけてくれたな! この俺が相手だ!!」

 

 ジョルトがエルフの意識を向けさせるために声を上げる。

 しかしどうにもワザとらしい言い方に、クリスは隠れて移動しながら思わず顔を顰めた。あれでは逆に怪しまれてこちらの存在に気付かれるのではないか……と不安が込み上げてくる。

 しかし幸いなことに金髪のエルフは真っ直ぐにジョルトに意識を向けているようで、こちらの存在には気が付いていないようだった。

 慎重に金髪のエルフの背後まで移動し、ジョルトと挟み撃ちができる位置まで辿り着く。エルフを挟んで向かい合うような形になったジョルトに目を向け、互いに視線だけで頷き合った。

 剣を持つ手に力を込め、タイミングを計りながら一気に足を踏み出す。

 フッと短く鋭く息を吐きながら剣を振りかぶり、しかしそこでふと、同じタイミングでエルフに攻撃を仕掛けていたジョルトが驚愕に目を見開くのを見た。

 一体どうしたのかと疑問が頭に浮かび、その瞬間、クリスは突然背後から強い衝撃を受けた。思ってもみなかった強すぎる衝撃に全身が硬直し、思考も真っ白になって停止する。目の前の光景がスローモーションのようにゆっくりと流れ、クリスは吸い込まれるような感覚で地面に倒れ込んだ。

 受け身も取れないまま倒れ伏す中、ジョルトの方も驚愕のあまり動きを止めた隙を突かれて金髪のエルフに切り伏せられる。

 二人一緒に地面に転がる中、未だ思考が追いついていないクリスの頭上で金髪のエルフが不機嫌そうにクリスが立っていた場所を振り返った。

 

「……一応礼は言うが、あのくらいであれば手助けは不要だ」

 

 こちらを一切気にする様子もなく何かに声をかけるエルフに、クリスは背中の激痛に顔を歪めながらもエルフの視線の先に目を向ける。

 先ほどまで自分が立っていた場所よりも更に奥に目を向け、そこに立っていた存在にクリスは思わず目を大きく見開いた。

 

「……それはお前が判断することではない。我々はお前たち隊長格の守護も命じられている。お前たちは我々の行動に対し、何かを言う立場にないことを忘れるな」

「……………………」

 

 クリスや金髪のエルフの視線の先にいたのは、巨大な漆黒の異形。手足の数は全部で八本もあり、その内の二本の先の刃が赤い血に濡れている。真新しい血と背に感じる激痛から、恐らく先ほどの衝撃の正体はこの異形からの攻撃だったのだろう。

 一体どこから現れたのか……、いや、そもそも何故こんな異形がエルフたちと共にいるのか……。

 激痛で掠れ始める意識の中で睨むように見つめるクリスに、ふと異形がこちらに目を向けてくる。異形と真正面からしっかりと視線がかち合い、その瞬間ゾクッとした大きな悪寒が全身に走り抜けた。

 異形の視線によって金髪のエルフも漸くこちらに視線と意識を向けてくる。

 

「……そういえば、そのように姿を見せて宜しいのか? 極力あなた方の姿は彼らに見せないことになっていたのでは?」

「問題ない。既に包囲網は完成したと報告を受けている。もはや我らが姿を見せたところで、実際に見た者どもは誰一人として生きてこの都市を出ることはない」

 

 異形の声と言葉がクリスの中で重く響く。同時に激しい警鐘が頭の中に響き、クリスは思わず大きく顔を歪めた。

 エルフたちの突然の異変は、どう考えてもこの異形たちの存在が原因だろう。そしてこの異形たちは、法国の精鋭であるはずのクリスの背後を突き、一撃で瀕死の重傷を負わせられるほどの強者である。

 このままでは法国は大変な事態に陥ってしまう。

 しかし自分はもはや動くどころか呼吸すら苦しい状態で、この情報を神都に伝えることは不可能だ。また、先ほどの異形の言葉が本当ならば、神都に情報を知らせることができる者はもはや誰一人としていない状況に陥ってしまっているのだろう。

 下手をすれば、神都は本当の敵の正体を何も知らないまま危機に陥るかもしれない。

 何故こんなことに……と薄れ始める意識に抗うように地面に爪を立てる中、不意に異形が宙に視線をさ迷わせて小さく首を傾げさせた。

 

「……先ほどから気になっていたのだが、あれは一体何なのだ?」

 

 異形の唐突の言葉に、金髪のエルフは異形が指さす方向に視線を向ける。そこには都市の中心部に建てられている闇の神の巨像の頭部分が多くの建物の屋根の上から姿を覗かせていた。

 この城塞都市で一番尊い存在が異形やエルフたちに見られている事実がクリスの全身に鳥肌を立たせる。

 言葉では言い表せない不快感に思わず奥歯を噛みしめるクリスの様子に気が付くことなく、エルフは無関心な視線を、異形は興味津々な視線をそれぞれ闇の神の石像に向けていた。

 

「………ああ、あれは法国が信仰している六大神の一柱の神の石像だな。この城塞都市は六大神の中でも闇の神の聖地として名高い場所であると聞く。恐らく、あれは闇の神を模った石像なのだろう」

「ほう、なるほど。……確かに崇拝すべき存在をこのように目に見える形で表すのは非常に素晴らしいことだな……! 至高の御方々がこの世界に進出なされた暁には、御方々の素晴らしい像を是非とも建てて頂きたいものだ!」

「……………………」

 

 先ほどまでのどこか冷めたような言動はどこへやら……。興奮したように言葉を捲し立て始める異形に、しかし金髪のエルフは我関せずとばかりに変わらぬ冷めた様子で巨像から視線を外して周りを見渡した。

 いつの間にか周りは大分静かになっており、どうやら戦いは終わりを迎えているようだ。

 クリスが倒れたままの状態で視線のみを動かすと、立っているのはエルフばかり。法国兵で立っている者は誰一人おらず、誰もが自分と同じように血に濡れた状態で地面に倒れ伏していた。

 法国の最後の盾が……法国で最も堅牢であると言っても過言ではないこの城塞都市がほんの数時間で陥落したという事実。

 絶望で目の前が真っ暗になりそうになる中、不意にこちらを見下ろしてきた金髪のエルフと目が合った。

 

「……どうやらこの男はまだ生きているようだが、如何するつもりか?」

「ふむ……。折角だ、捕虜の一人として捕らえておくとしよう。もし不要であれば、その時に処分すれば良いだろう」

「……承知した。それでは、こちらの方で身柄を拘束しておこう」

 

 金髪のエルフの申し出に、異形は当然のように頷いて踵を返してこの場を去っていく。残された金髪のエルフは暫くの間異形の背中を見送った後、次には小さな息を吐き出したと同時に再びこちらを見下ろしてきた。

 向けられる青色の瞳がどこか哀れみの色を浮かべているようで、クリスは本能的な恐怖を湧き上がらせる。

 これから法国は……自分は……一体どうなるのか……。

 分からないこと全てが恐ろしく、自分が恐怖しているという事実が更に恐怖心に拍車をかけていく。

 無意識に瞳に怯えの色を浮かべるクリスに、エルフは静かに歩み寄ってすぐ目の前で片膝をついた。近づいたエルフの整った顔にはやはり哀れみの色があり、鋭い双眸には諦めのような光が小さく揺らめいているように見える。

 エルフは暫く無言のままこちらを見つめた後、次には小さなため息と共に立ち上がった。腰に手を伸ばし、ベルトに差し込んでいた剣の鞘を取り外す。

 エルフは剣の刃を鞘に納めると、そのまま両腕で持ち直した。

 

「……すまんな。己の不運を呪え」

 

 かけられた言葉は、そんな予想外のもの。

 咄嗟に口を開きかけ、しかしエルフが両手で持った剣を大きく振るう方が早かった。

 勢いよく迫りくる剣の鞘の先。

 強く顔面を打ち付けられ、強制的に意識が闇に沈んでいく。

 クリスは自身や法国の今後の未来に恐怖心を抱きながら、成す術なく意識を手放すのだった。

 

 




今回はシモベたちがメインの話となりました!
アウラとコキュートスの活躍を書く機会が今まであまりなかったので、二人の活躍が書けて結構楽しかったです(笑)

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