世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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ただいまちょっとしたプチ・スランプ中でございます……。
そのためか、今回は少し(?)短めでございます。
また、今回はいつも以上に文章が変で分かり辛いかも……(汗)
読みづらかったら、申し訳ありません……(土下座)


第69話 反撃の咆哮

 エイヴァーシャー大森林に根を下ろす森妖精(エルフ)王国の領土は九つの地区に区分されている。王都トワ=サイレーンを含む中央地区トワを中心に、四方に八つの地区が森に広がっていた。北地区ジェナ、北東地区エクト、東地区ガラン、南東地区ルノ、南地区ニア、南西地区イン、西地区ヴェル、北西地区ファル。多少のズレや大きさの差などはあるものの、これらはまるで地上の太陽のように放射状に広がり、森林をその領土としていた。

 そして法国がその大部分を侵略している今。

 侵略地の一つである北地区ジェナにある一つの都市ジェナ=サバラでは、現在激しい戦闘が繰り広げられていた。

 

「第二部隊は後退! 第五部隊は進軍して敵を迎え撃て!」

「おい、西側が崩れ始めてる! 天使たちを召喚して対処にあたらせろ!!」

「矢が底をつきそうだ!! 魔獣どもが来るぞっ!!」

 

 焦燥も露わに声を張り上げているのは、ジェナ=サバラを支配している法国軍の兵士たち。彼らは突如息を吹き返したエルフ軍の攻撃にあい、かつてないほどの苦戦を強いられていた。

 士気高く激しい勢いもさることながら、何よりエルフたちを守るように突撃してくる多くの魔獣たちが恐ろしく強力で手に負えない。弓矢や魔法といった遠距離攻撃で何とか対処してはいるものの、それが通用しなくなり突き破られるのも時間の問題だった。

 

「……くそっ、一体どうなってやがる!」

 

 ジェナ=サバラに駐留していた法国聖火軍第二部隊の隊長ヴァイス・アル・イスラードは苦々しく顔を歪めた。飛びかかってくる狼を一刀両断で切り伏せ、そのまま鋭く舌打ちする。視線を前線に戻せば第五部隊がエルフ軍の前衛部隊とぶつかり合っており、一拍後、エルフ軍の後方から大量の矢が空を黒く染めながら襲いかかってきた。

 

「盾をっ!!」

 

 短い言葉がどこからともなく響き、それに反応して第五部隊の兵たちが矢の襲撃に備えて盾を掲げ持つ。しかし盾と盾との間は大なり小なりどうしても隙間が出来てしまい、盾で防ぎきれなかった矢が降り注ぎ、またエルフの前衛部隊の剣や槍も容赦なくがら空きになった腹部めがけて襲いかかってきた。盾を掲げていない別の兵がエルフたちの刃を何とか防いで仲間を守ってはいるものの、決して全部を防げるものではない。

 一度の攻撃で幾つも上がる悲鳴や怒号に、ヴァイスは再び鋭い舌打ちを響かせた。

 

「隊長、このままでは持ちません! ここは捨ててジェナ=ドートンまで撤退しましょう!!」

 

 こちらに駆け寄ってきた副官の男が焦燥も露わに大声で進言してくる。

 撤退からの巻き返しを狙っての発言であろうそれに、しかしヴァイスは苦々しい表情を深めて再度大きな舌打ちを放って返した。

 

「馬鹿野郎っ! 既にトワ地区とエクト地区の全域がエルフ共に取り返されているんだぞ! 他の地区の都市もどんどん奪い返されてやがるし、このジェナ地区でも既に三都市が取り返されてるっ!! ここで引けば、奴らを更に勢いづかせるだろうがっ!!」

 

 副官の意見も理解できる。しかしもはやヴァイスたちにはそれをするだけの余裕がなかった。

 一番初めの変化はエクト=カウロンの陥落だった。そして一つの都市の陥落を皮切りに、王都と隣接する都市トワ=レヴィリアもが陥落。

 トワ=レヴィリアは三日月湖と呼ばれる湖を有した都市であり、エルフたちにとってはとても神聖な場所とされている。その都市を取り戻したことが更にエルフ軍の勢いに拍車をかけたのか、次にはトワ地区とエクト地区の都市が次々と陥落し始め、数日後にはトワ地区とエクト地区はエルフたちに完全に奪い返されていた。

 そのあまりの速さに、都市陥落の知らせを受けた当初はヴァイスたちは自分たちの耳を疑ったほどだ。

 しかしエルフたちの侵攻は決して偽りではなく、今もなお驚きの速さでトワ地区とエクト地区以外の複数の地区の至る所でも戦闘と陥落が相次いで勃発している。

 追いつめられていたエルフたちに何が起こったのかは分からない。既に陥落している都市から逃れることが出来た数少ない法国の兵たちに話を聞くも、彼らが口にする言葉はどれもが違っていて一貫性がなく、そして不可解なものばかりだった。

 曰く、多種多様な魔獣の群れが雪崩のように襲いかかってきて都市を呑み込んだ。

 曰く、エルフたちは全てが光り輝く魔法の武器と防具を身に纏い、神代の力を発揮した。

 曰く、白色の悪魔が現れ、見たこともない醜い天使を召喚して襲いかかってきた、などなど……。

 他にもあまりにも破天荒な情報が多く彼らの口から飛び出てきた。そのどれもがヴァイスたちには信じられないものばかりで、中には理解不能なものもあり判断に苦しむ。

 しかし魔獣の群れが目の前にいる以上、少なくとも魔獣に関する話だけは事実だったということなのだろう。

 

「……チッ、これじゃあ埒が明かねぇ……。おい、全軍に伝令しろ! 負傷兵、第二部隊の衛生部隊、後衛部隊、前衛部隊の順に大樹の館まで退避しろ! 第五部隊は時間を稼ぎながら徐々に前線を後退! 敵軍勢を中央部に誘き寄せろ、とな!」

「ろ、籠城戦を行うつもりですか!? ここはジェナ地区の中でも小さな都市で備蓄も少ない。援軍を待つにしても、それまで持ち堪えられるか分かりません! リスクが高すぎるッ!!」

「そんなこたぁ分かってんだよっ!! だが、これしかない!! ……奴らを迷路に誘い出す。その後、天使を中心とした攻撃を行い、相手側をできるだけ消耗させながら援軍が来るまでの時間を稼ぐ……」

「迷路!? で、ですがあれはまだ完成しておりません! 上手くいくかどうか……!!」

「だぁぁっ、ごちゃごちゃうるせぇっ!! 上手くいかなかったとしても少しの時間ぐらいは稼げるだろう! 時間が稼げなくても、迷路内なら広がって戦うことは難しいから一点集中攻撃もできる! それなら勝機も見えてくるかもしれん!!」

「……!!」

「分かったなら、さっさと伝令を送れっ!!」

「は、はいっ!!」

 

 ヴァイスの勢いに押される様にして副官が慌てて踵を返して走り出す。

 ヴァイスは暫く険しい表情のまま走り去っていく副官の背中を見送ると、次には踵を返して苦戦している場所に向けて駆け出した。襲いかかってくるエルフ軍や魔獣たちに刃を振るい、喉が枯れるのも構わずに周りの兵たちを激励する。

 やがてヴァイスが副官に命じた内容の指示が全軍に行き渡り、法国軍はそれに従って徐々に前線を下げていった。

 そしてヴァイスを含む法国軍が最終的に閉じこもったのは、ジェナ=サバラの中央に聳え立つ巨大な樹の切株の中。元はジェナ=サバラの都市長の住居であったそれは、巨大な切株の中をくり抜いて作られた強固な館だった。

 エルフ王国は森林内に築かれた王国であるためか、その規模は地区や都市によって多少の差はあれど、全体的に自然と同化しているような様相を呈している。

 かくいうこのジェナ=サバラも、今ヴァイスたちが立てこもっている館だけでなく、この都市にある全ての建物が切り株の中をくり抜いてそのまま住居にしたような物ばかりだった。

 人間の感覚からすれば非常に奇妙で理解に苦しむものではあったが、しかし外見はまだしも内装は切り株の中とは思えないほど機能的で整然としたものであり、ヴァイスなども最初に見た時は度肝を抜かれたものだった。

 今はそれに加えて、ヴァイスたちが立てこもる切り株型の館の周囲には煉瓦や土壁で造った巨大な迷路が築かれている。

 エルフたちの進軍を聞いてから念のため作らせていたもので、しかしエルフたちの進軍速度が速すぎて未だ規模は小さく未完成なものではある。しかしそんなものでも、ないよりかは遥かにマシだろう。

 ヴァイスは疲労の激しい兵たちに休息を命じ、まだ余力の残っている兵や神官たちには迎撃の準備の指示を出しながら、そっと窓から外の様子を覗き見た。

 エルフたちはこちらを警戒しているのか、迷路の手前で停止して迷路内に入ってくる様子は未だ見られない。

 このまま何もせずに時間が稼げるのであればそれに越したことはないが……と頭の中で呟きながら、ヴァイスは密かに送り出しておいた救援要請の伝令兵のことを思った。

 伝令兵が救援要請に向かったのは法国の神都。ここからはそれなりに距離があり、伝令兵が無事に神都に辿り着いて援軍が出されたとしても、ジェナ=サバラに到着するまでにはそれ相応の時間がかかるだろう。それまで自分たちは何としてでも時間を稼いで持ち堪えなくてはならない。

 あまりにも難し過ぎる状況に、ヴァイスは思わず深く眉間に皺を寄せた。

 しかしここで唸っていても仕方がない。

 大きなため息と共に少しでもできることをしなくては……と踵を返そうとした、その時。黒い影が視界を過ったような気がして、ヴァイスは再び窓へと視線を向けた。

 瞬間、目に飛び込んできた存在にヴァイスは大きく目を見開いた。口は力なくぽかんと開き、驚愕のあまり呼吸が止まる。目の前の光景が信じられず、頭が真っ白になって思考が停止した。

 

「………は……、…嘘だろ……」

 

 覇気のない声が力なく口から零れ出る。

 ヴァイスの異変に気が付いた副官がこちらに歩み寄り、ヴァイスの見ているものを目にして大きく息を呑んだ。

 彼らが見ているのは迷路の前で停止しているエルフ軍の上空。

 通常であれば遥か高い空しかないはずのそこには今、巨大で立派なドラゴンが大きな翼を羽ばたかせながら浮かんでいた。

 

「……フレイム、……ドラゴン……」

 

 副官の男が呆然とした様子でその存在の名を口にする。

 火炎の竜(フレイム・ドラゴン)。世界を焼くほどの炎を操る、強力な力を持つドラゴンである。

 全身を覆う血よりも濃い紅蓮の鱗と大きな角に纏わりつく朱金の炎がその証。

 自分たちが束になってかかっても決して敵うことのできない強大な存在の登場に、ヴァイスたちは一気に絶望の底に突き落とされた。

 

「……む、無理です……。あ、あんな存在を相手に……、時間稼ぎなんてできるわけがない……っ!!」

 

 恐怖が頂点に達したのか、副官の男が半狂乱に声を上げてくる。

 いつもは何があっても冷静さを失わない男の変様に、ヴァイスは思わず苦虫を何十匹も噛み潰したような表情を浮かべた。

 副官の心情も意見も大いに理解できるし同意できるものではあったが、しかし周りには多くの部下や他部隊の兵士もいるのだ、無闇矢鱈に大声で騒ぎ立てて良いようなものではない。実際、こちらの様子に気が付いた何人もの兵たちが同じように外の様子を窺い、引き攣った悲鳴を上げ始めている。

 見るからに低下していく士気と部屋中に満ちていく絶望感に、ヴァイスは思わず小さく舌打ちを零した。強く唇を噛み締めながら、何か打開策はないかと思考を必死に捏ね繰り回す。

 しかしいくら考えても良い案は出てこず、ヴァイスは“降伏”の二文字を頭に思い浮かべた。

 その時……――

 

「……っ……!?」

 

 突然視界が眩い赤と朱金に染まり、ヴァイスは反射的に光の方へと視線を走らせた。

 瞬間、視界に飛び込んできたのは口を大きく開けたドラゴンの姿。

 大きな牙が並ぶ口内で激しい炎が渦を巻き、今もなおその大きさと輝きを強めていた。

 

「…っ…!! ……クソがッ!! 全員今すぐここから出ろっ!!」

 

 ドラゴンが何をしようとしているのか瞬時に理解し、すぐさま後ろを振り返って声を張り上げる。

 しかし、そうしたところで既に全ては遅すぎた。

 放たれた巨大な焔球と、迫りくる光と熱。

 一瞬にして切り株型の館は炎に包まれ、中にこもっていたヴァイスたちは炎に焼かれるよりも早く熱によって焦がされ命を散らした。

 轟々と燃え盛る炎が大量の煙を立ち上らせ、まるで法国の未来を暗示するかのように黒々と空を焦がしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……これが現段階での状況でございます。エルフたちは今も各地区の各都市に進軍中。苦戦しているという報告は今のところ来ておりません」

 

 美しい純白と鮮やかな若葉色に彩られた室内。

 エルフ王国王都トワ=サイレーンにある王樹“サンリネス”の王の執務室にて、複数のエルフと異形たちが大きなテーブルを囲んで顔を突き合わせていた。

 明るい声音で長々と報告しているのは闇森妖精(ダークエルフ)の子供。

 テーブルの上に乗せられている大きな地図の各所を指さしながら、子供は満面の笑みを浮かべていた。

 

「うん、順調そうだね。戦いは守るよりも攻める方が難しいとはよく聞くけど、やっぱり故郷を取り戻すってなると、また違ってくるのかな」

「正ニ仰ル通リカト。マタ、ペロロンチーノ様ガ攻略スル都市ノ出身者ヲ攻略軍ニ入レルヨウオ命ジニナッタコトモ功ヲ奏シタノカト思ワレマス」

「……う、うん……。……そうだねー……」

 

 コキュートスから力強い言葉をかけられ、ペロロンチーノはそれに一つ頷いて返す。しかし誰にも見えない黄金色の仮面の奥ではダラダラと冷や汗を流していた。

 エルフ軍による反撃侵攻を開始した当初、ペロロンチーノは奪還する都市の出身者を軍の中に入れてはどうかと提案し、エルフたちはそれを採用していた。しかし、通常一人一人の出身場所や育った場所はまちまちであり、何千人何万人もいるエルフ軍全員にそれを適用させるのは不可能なはずである。ではどうやってそのようなことを可能にしたのかというと、全てはパンドラズ・アクターの巧みな頭脳とシャルティアが使用する“転移門(ゲート)”の魔法を駆使したことによってなせた業だった。

 ペロロンチーノとしては『自分の生まれ育った場所は自分の手で取り戻したいだろう』という軽い考えとノリで発しただけの言葉だったのだが、それが予想以上にエルフたちの意識を向上させ、力を発揮させることに繋がったのだった。

 

「……えーと、……あぁ、そうそう…、でもエルフの都市の規模が思ったよりも小さかったのも早期の奪還に繋がったんじゃないかな。規模が小さい方が守る側の規模も小さくなるし」

 

 ペロロンチーノの言葉に、コキュートスやアウラも一つ大きく頷く。しかしエルフたちは不思議そうな表情を浮かべており、誰もが大なり小なり首を傾げていた。

 エルフの王国は複数の都市が集まり、一つの地区を構成し、その全ての地区を統合して国という形をとっている。しかし都市の一つ一つの規模は実はそれほど大きくなく、むしろひどく小さなものばかりだった。ペロロンチーノやアウラたちの感覚で言えば都市というよりもむしろ村に近い。中には“都市”という言葉に相応しいほどの規模を持っているものも幾つかはあるのだが、それも一つの地区に一つあるかないか程度。そもそも国の全てが森林内にあるため都市の規模が小さくなるのは仕方がないともいえるのだが、しかしそれらを何故エルフたちは“都市”と呼称しているのかペロロンチーノたちからすれば大きな謎だった。

 

「……まぁ、苦戦していないのであれば良かった。でも法国の領地侵攻に移れば、これまでのようには上手くいかなくなると思う。自分たちの国にまで危険が及ぶようなら相手も必死になるだろうからね。これからはより一層気を引き締めていこう」

「畏まりました!」

「ハッ、畏マリマシタ」

 

 アウラとコキュートスは打てば響くような返事と共に片膝をついて深々と頭を下げてくる。

 エルフたちも傅くことはしなかったものの、無言のまま深々と頭を垂れた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 所変わって、ここはナザリック地下大墳墓第九階層にある守護者統括の私室。

 今や隠密部隊“ヘイムダル”の本拠にもなっているその部屋では、本日も部屋の主であるアルベドが補佐役の恐怖公と共に報告される情報の精査や選別、シモベたちへの新たな指示などを行っていた。

 

「……守護者統括殿、人間の組織……確か“八本指”でしたかな。彼らから新たな報告が上がってきているようです。どうやらターゲットの抱き込みは順調であるとか。また、他の駒たちも順調に集まっているようです」

「それは上々ね。……でも、彼らに命じていた、幾つかの噂の流布状況はどうなっているのかしら?」

「そちらも概ね問題なく着手できているようですな。引き続きターゲットの抱き込みや駒の収集と並行してそちらも細心の注意を払いながら進めていくとのことです」

「そう。今のところ問題はなさそうね」

 

 “八本指”からの報告の内容に納得し、アルベドは眉を顰めることもなく一つ頷いて終わる。

 金色の双眸は次の報告書に向けられ、しかしそこで彼女の整った眉が不機嫌そうに潜められた。

 

「恐怖公、あなたの眷属たちが多くの人間たちの目に触れてちょっとした騒ぎになっているらしいわ。もう少し隠密行動をとるようにできないのかしら?」

「おや、そうでしたかな? 眷属たちには十分注意しながら行動するように命じていたのですが……」

「……あなたもあなたの眷族たちも、紛れて行動することには長けているけれど……その、……存在感はあるのだから……。もう少し慎重に行動するように伝えておいて頂戴」

「畏まりました。眷属たちには厳しく命じておきましょう」

 

 恐怖公は前脚の一本を胸だと思われる位置に添え、神妙な声音と共に一つ頷いてくる。その際長い触角がグリグリと円を描くように動き、アルベドは思わずゾワッと悪寒を走らせた。

 彼の性格については大いに好感を持ってはいるのだが、どうしてもその容姿に強い嫌悪感を抱いてしまう。

 思わず出て来そうになったため息を咄嗟に呑み込むと、アルベドは気を紛らわせるように新たな書類に手を伸ばした。素早く中身に目を通し、幾つかの箇所にペンを走らせた後に“追加指示”と書かれた箱の中に書類を入れる。

 次々と書類を捌いていく中、ふとある書類が目に留まってアルベドの動きが止まった。書類を睨みながら考え込む彼女に、向かい合うように座って同じように書類作業を行っていた恐怖公が目を向けてくる。疑問を表すように長い触角を小刻みに動かすと、次には首を傾げるように全身を右側に傾けた。

 

「守護者統括殿、どうされましたかな? 何か問題でも?」

 

 端的に質問を投げかけ、しかしアルベドは無言のまま反応もしない。

 とはいえ無視をしたわけでは勿論なく、彼女は暫く考え込むような素振りを見せた後、書類に向けている視線はそのままにゆっくりと口を開いた。

 

「……あなたの眷族からの報告なのだけれど、どうやら怪しい動きをしている人間が複数いるようだわ」

「ほう、それは興味深い。その怪しい動きとはどういったものなのですかな?」

「どれも情報収集の類ね。通常であれば放っておいても問題はないのでしょうけれど……、その者たちが探っている情報の中に御方々が関わっているものがある以上、看過することはできないわ」

 

 恐怖公に報告内容を手短に説明しながら、アルベドは徐々にその美しい顔を不快の色に歪めていった。

 アルベドの手にある書類に書かれていたのは、怪しい動きをしている複数の人間たちの存在について。どれも情報収集をしているようだという報告内容ではあったが、その探っている情報の中に至高の御方々が関係しているものが含まれていた。

 怪しい動きをしている人間たちのグループは二つ。

 とはいえ、その一つのグループの正体は既に予想がついていた。

 そのグループは主にゲヘナ計画で王都に残された悪魔の至宝について探っていたらしい。他にも大分前にカルネ村や多くの辺境の村を襲っていた謎の騎士たちについても情報を集めており、それらのことから恐らく彼らの正体は帝国の密偵であると思われた。

 帝国という国のレベルや探っている情報に対する脅威度はナザリックにとっては酷く小さく、彼らの存在はそれほど気にする必要はない。逆に利用することはできても、彼らの行動からこちらが不利になるような事態に陥ることはないだろう。

 問題はもう一つの謎のグループについてだった。

 グループと言っても、動いている人物はたったの二人。一方は白銀の全身鎧(フルプレート)を身に纏った騎士であり、もう一方はローブを身に纏った魔術師だと思われる老婆。一見互いに接点がなさそうな見た目をしており、行動しているのはそれぞれ距離が離れた別の場所である。

 では何故彼らが仲間であると判断したのかというと、二人が探っている情報が完全に同じであるためだった。

 二人が探っているのは、強大な力を持ったアイテムに関する情報とアダマンタイト級冒険者“漆黒”とワーカーチーム“サバト・レガロ”についての情報。

 強力なアイテムというのが何を意味しているのかは未だ分からないが、他の二つは決して無視はできない。

 まだ“漆黒”か“サバト・レガロ”のどちらかだけであれば理解はできる。しかし両方を……それも冒険者ともワーカーとも思えない人物が探っているという事実は非常に怪しく思えた。

 

「……ふむ、確かに怪しいですな。ただ単に強者の情報を集めているだけとは思えませんし、至高の御方々が扮しておられる人物のみの情報を集めているというのは、やはり無視できない事態であると言えるでしょう」

「ええ、そうね。だけれど、これが囮で罠という可能性もあるわ。……この者たちの対処は慎重に行っていく必要がありそうね」

 

 ワザと怪しい動きを見せることでこちらが食いついてくるのを待っている可能性もある。何の策もなく無闇に手を出すべきはないだろう。

 しかし何もしないという訳には勿論いかないわけで、アルベドは暫く悩んだ後、取り敢えずは今まで通りの状態を維持することにした。

 

「彼らが何者でありどんな目的があるのか分からない以上、慎重に行動する必要があるわ。取り敢えず、今まで通りあなたの眷属たちに監視をさせなさい。今後の対処については至高の御方々にご相談してからにしましょう」

「そうですな。眷属たちにはくれぐれも慎重に監視するように伝えておきましょう」

「ええ、そうして頂戴……」

 

 力強く頷く恐怖公とは打って変わり、アルベドは苦々しい表情を浮かべている。至高の御方々に手数をかけてしまう自分の不甲斐なさが身に染みて、悔しさや口惜しさにも似た感情が込み上げていた。謎の人物二人に対して深い憎しみすら湧き上がってくる。

 無事に対処した暁には彼らをズタズタにしてやろうと心に決めると、アルベドは気を取り直すように書類を“重要”と書かれた箱に入れ、次の書類に手を伸ばした。

 他の書類の内容はどれも『順調』という文字で彩られており、アルベドのささくれ立った感情を徐々に宥めてくれる。

 アゼルリシア山脈の現状や王国王女ラナーに関する対処状況について。世界級(ワールド)アイテムと思われるアイテムの情報。カルネ村の状況やバレアレの二人が開発した新たな薬液(ポーション)の拡販状況。法国とエルフ王国との戦争に関する情報の外部流出の防止状況など。

 中には“現状維持”という形で進んでいないものも幾つかあったが、それはどれも時間がかかって当たり前の案件ばかりであったため、アルベドもそこまで不快に思うことはなかった。

 無言のまま次々と書類を捌いていき、書類の山が瞬く間に消えていく。

 しかしその手の動きが再び不意に止まった。

 アルベドの手の中にある書類は、ある人物の影に潜んでいる影の悪魔(シャドウデーモン)からもたらされた報告書。

 内容を数度読み返し、アルベドは無表情を浮かべながら絶対零度の空気を全身に纏わせた。

 

「……こ、今度はどうされたのですかな、守護者統括殿?」

 

 目の前から漂ってくる底冷えする冷気に、問いかける恐怖公の声も小刻みに震える。

 しかしアルベドの態度も雰囲気も一切変わらない。

 アルベドは暫くじっと書類を凝視すると、次には恐怖公を振り返ってズイッと持っている書類を突き出した。

 怖いほどの無表情のまま書類を突き出している様は非常に迫力があり、一種の恐怖すら覚える。

 恐怖公は小さくビクビクしながら、恐る恐る前脚を伸ばして突き出されている書類をそっと受け取った。長い触角を小刻みに震わせながら、受け取った書類の中身に目を向ける。

 暫くじっくりと目を通した後、恐怖公は納得したとばかりに小さな声を零した。

 

「……ああ、この者たちのことでしたか。なるほど……。これはなかなか面白いことになっているようですな」

「あら、何が面白いのかしら?」

 

 瞬間、アルベドの顔ににっこりとした可愛らしい笑みが浮かぶ。

 しかしその表情に反して襲ってくるのは激しいブリザードで、恐怖公は思わずビクッと全身を震わせた。

 思わず黙り込む中、アルベドは笑顔を引っ込めると恐怖公の手にある書類に鋭い視線を向けた。

 

「………確かに、これまでもそういった兆しはあったわ。あったわよ。でもやっぱりこれは由々しき事態だと思うの何より身を弁えぬ愚かな願望で願うことすら罪深いことなのよあなたもそう思うでしょうっ!!?」

「……そ、そうですな……」

 

 畳みかけるようなアルベドの言葉に、恐怖公は思わず小刻みに頷いて同意を示す。

 アルベドの豹変を招いたその報告書は、“蒼の薔薇”のラキュースと王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの影に潜んでいるシャドウデーモンたちが報告してきたもの。“蒼の薔薇”のメンバーと“朱の雫”のリーダーであるアズス・アインドラとガゼフ・ストロノーフによる秘密の会談についてだった。

 ラキュースとガゼフの影に潜んでいるシャドウデーモンたちからはこれまでも定期的に報告が上がってきており、アルベドたちは既に随分前から彼らの動きや目的など全てを把握していた。カルネ村では彼らの動きを利用してイビルアイについて逆に探ろうとまでしたのだ、彼女たちの動きも目的も今更アルベドたちの怒りに触れるものではない。

 しかし実を言えば、この二人の……特にラキュースの影に潜んでいるシャドウデーモンからの報告を受ける度に、アルベドはひどく機嫌を悪くしていた。

 その原因は何のことはない、“蒼の薔薇”のラキュースとイビルアイがそれぞれウルベルトとモモンガが扮する“ワーカーのレオナール”と“冒険者モモン”を好いているような素振りを見せているためだった。

 恐怖公としては『流石は至高の御方々。人心掌握に優れ、他種族をも魅了してしまうとは……』と感嘆するところなのだが、至高の御方々に対して燃え滾るほどの恋心を抱く女淫魔(サキュバス)にとっては由々しき事態なのだろう。

 実際、アルベドは報告を受ける度に恐怖公やエントマに苛立ちを思う存分吐き出し、その後に漸く平静な仮面をかぶって至高の御方々に情報内容を報告していた。もし苛立ちを吐き出すことが出来ていなかったなら、彼女は仮面をかぶる余裕もなく至高の御方々の目の前で苛立ちのあまり醜態をさらしていたかもしれない。

 とはいえ、これまではアルベドもここまで殺気を醸し出すことはなかった。

 恐らくこうなった原因は、ラキュースとイビルアイが“ワーカーのレオナール”と“冒険者モモン”に対して好意を持っていることが完全に明らかになったからだと思われた。

 恐怖の中で努めて冷静に分析する恐怖公の目の前で、アルベドの金色の瞳が怒りと憎しみと殺意に満ちて爛々と光り輝いている。このままにしておくと今にも“蒼の薔薇”を殲滅しに行ってしまいそうだ。

 恐怖公は本能的な恐怖に震えながら、しかしこのままではいけないと勇気を振り絞って口を開いた。

 

「……ま、まことに守護者統括殿の仰る通りかと思います。し、しかしですな……、彼らも彼女らも未だ利用価値はありましょう……。ここは穏便に……様子を見守ってはいかがですかな? それに……その……、いくら彼女たちが至高の御方々に心を寄せたところで、御方々が彼女らの思いに応えるかは分かりませんs……」

「そんなの当然でしょう」

「……あ、……はい……、そ、そうですな……」

 

 食い気味に反論され、あえなく言葉が萎んでいく。恐怖公の心情を表すかのように長い触角もシュンッと力なく垂れさがり、しかしアルベドは一切気にすることはなかった。

 

「至高の御方々があんな小娘どもの想いに応えるなどあり得ないこと。冗談も時と場合と内容を考えてから言いなさい」

「……はっ、申し訳ありません」

「確かにこの者たちにはまだ利用価値があるけれど……、……嗚呼、本当に目障りだわ。許されるなら今すぐにでも八つ裂きにしてやりたい……っ!!」

 

 湧き上がってくる激しい憤りに反応してか、背に流れる漆黒の髪や腰の両翼の羽根がザワザワと小さく騒めき始める。アルベドは強く両手を握りしめると、ギリィ……と軋んだ音が鳴るほどに強く奥歯を噛み締めた。

 アルベドの中ではラキュースとイビルアイの存在は正に“至高の御方”という名の神々しい花々に群がろうとするコバエも同じだった。

 卑小の存在ではあるが、いれば鬱陶しく煩わしい……。

 加えてペロロンチーノがイビルアイに興味を抱いていることも気に入らなかった。

 しかし至高の主の一柱であるペロロンチーノ自身に不満を抱くなど不敬極まりない。

 それもあってイビルアイに対する感情は特に最悪で、アルベドは二人の名が報告書や話題に出る度に燃え滾る感情を抑え込まなければならなかった。

 

「………ああ、でも……」

 

 そこでふとある思考が沸き起こり、初めてアルベドの顔に笑みが浮かぶ。

 しかしそれは“笑み”と言うにはあまりにも禍々しく、ドロドロとした悪意に満ちた美しくも恐ろしいものだった。

 

「……小うるさいコバエどもをどう料理していくか、それを考えるのはとても心が躍るわね。……本当に……、とても楽しみだわ……」

 

 じっくりねっとりと、まるで何かをゆっくり味わうかのように呟き嗤う女淫魔の姿に、恐怖公は小さく身を震わせる。いつもであればナザリック以外の存在に対して何の感情も抱くことのない身ではあるが、流石に彼女たちに対しては少々同情してしまった。

 『至高の御方々に魅せられなければ、このようなことにはならなかったかもしれないのに』、と……。

 しかしそうは思いながらも、同時に『無理だろうな』とも恐怖公は心の中で呟いた。

 至高の御方々は存在自体が神々しく、偉大であり、どんな者でも魅せられ惹かれずにはいられない。彼女たちが至高の御方々に魅せられたのも当然のことであり、彼女たちの辿る運命もまた、恐らくは必然であるのだろう。

 恐怖公は内心で一人納得すると、これ以上この件については考えるのをやめることにした。

 どちらにせよナザリックや至高の御方々の不利益にならないのであれば何がどうなろうと問題にはならない。守護者統括である彼女もそれは十分理解して弁えているだろうし、これ以上自分が何かを言ったりする必要はないだろう。

 恐怖公は未だ不気味な笑みを浮かべているアルベドはそのままに、持っていた書類を“確認済み”と書かれた箱に入れて次の書類に手を伸ばした。

 紙が擦れる微かな音と、時折ペンが奏でる小さな音のみが部屋に響く。

 ありとあらゆる情報とそれに対する指示が無機質に機械的に進められ、誰も知らぬ中で世界のありとあらゆる運命が淡々と定められていった。

 

 




皆さん、アンケートにご協力くださって、ありがとうございました!
多くの方がご協力くださって、とっても嬉しかったです!
皆さんからいただいたアンケート結果を今後の執筆活動の参考にさせて頂こうと思います(深々)
……とはいえ、これはアンケート結果はどこかで発表した方が良いんだろうか……。
う~ん……、そもそも結果を知りたい人ってどのくらいいるんだ?

*今回の捏造ポイント
・火炎の竜《フレイム・ドラゴン》;
レベル40台のドラゴン。血よりも濃い紅蓮の鱗を持ち、頭にある大きな角には朱金の炎が纏わりついている。

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