世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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今回はレオナール(ウルベルト)vs武王の二回戦です!
戦闘回が連続で続くとかしんどい……。
私は何を考えているんだ……(汗)


第59話 二度目の対峙

「ようこそ、ゴ・ギン。帝国が誇る歴代最強の武王」

 

 柔らかな微笑を浮かべながら、朗らかな声をかけてくるレオナール・グラン・ネーグル。どこまでもいつも通りなその姿に、しかし彼の周りにいる存在たちによってそれは異様な光景と化していた。

 レオナールの傍らに立っているのは、青い仮面で顔を隠し、腰から長い銀色の尾を垂れさせている異形種だと思われる一人の男。彼らの周りには多種多様な異形たちが十数体控えるように立っており、更にその周辺にはこちらも多種多様な何十体もの亜人の集団が武王を取り囲むような形で立っていた。

 武王を含め、この場にいる完全な人間種はレオナールのみ。

 普通に考えればレオナールは絶体絶命な状況に陥っているはずだというのに、彼はまるでそんなことは微塵も感じていないかのように柔らかな笑みを浮かべ続けていた。

 

「……これは一体……、ここはどこだ? それにこの連中は一体何なんだ?」

「ここはアベリオン丘陵ですよ。彼らは……、まぁ、簡単に言えば私のシモベですかね」

「シモベ? その異形や、亜人どもがか……?」

 

 返ってきた言葉が予想外過ぎて、思わず驚愕に見開いた目でマジマジと男を凝視してしまう。しかしいくら見つめたところでレオナールの姿形が変わるわけでも何かを感じ取ることができるわけもなく、ただ更に疑問が深まるだけだった。加えて、異形たちに関しては見るからにレオナールに配慮しているような態度をとっていることが分かるのだが、一方で亜人たちはと言えばむしろレオナールのことを不審に思っているような雰囲気ばかりが感じ取れた。

 これは一体どういうことかと内心首を傾げる中、まるでこちらの疑問を読み取ったかのようにレオナールは浮かべている笑みを更に深めて小さな笑い声を零した。

 

「まぁ、疑問に思うのも無理はありません。なんせ、私もここにいる亜人たちとは初対面ですからねぇ。ここに到着するのが少々遅れてしまいまして、事前に彼らに挨拶することもできなかったのですよ」

「初対面? お前のシモベであるのにか?」

「正確に言うと、ここの亜人たちを統率しているのは私ではなく、このヤルダバオトなのですよ。そして私はこのヤルダバオトの……そうですね、主人兼親のようなものなので、必然的に彼ら亜人たちも私のシモベになると言う訳です」

 

 “ヤルダバオト”という名前と共に示されたのは、レオナールの隣に立つ仮面の男。

 その短い説明に、しかし武王はなるほど……とすぐに納得した。

 レオナールの口から“ヤルダバオト”という名が出た瞬間、周りにいる亜人たちの雰囲気がガラッと大きく変わったことに武王は気が付いていた。レオナールに対して発していた不審や怪訝や嫌悪の雰囲気から打って変わり、ヤルダバオトに対して発せられたのは畏怖や畏敬といった気配。

 恐らくヤルダバオトはこの場にいる亜人たちを恐怖或いは魅了によって巧みに支配しているのだろう。

 しかし、そんな異形を人間種のレオナールが支配していることについては未だ大きな疑問として武王の中に残っていた。加えて、シモベというだけでなく“親である”という言葉の意味が分からず、更に疑問は深まるばかりだ。

 恐らく亜人たちも武王と同じことを思っているのだろう、レオナールに向ける視線に疑問や困惑の色が宿っている。

 しかしレオナールはそれに気が付いているのかいないのか、呑気に懐から取り出した懐中時計を眺めていた。

 

「さて、時間も限られておりますので、さっさと本題に入りましょうか。あなたは私と再戦するためにここに来た、……間違いないですか?」

「……そうだ。今日の闘技場での試合を俺は認めない」

「ふふっ、勝者が言うのは珍しい台詞ではありますが、……まぁ、その変に真面目なところは嫌いではありませんよ」

 

 レオナールが笑い声と共に言った言葉に、一斉に異形たちから強い視線を向けられて思わず息を詰める。全身に突き刺さる視線が痛く感じられて仕方がない。

 居心地の悪さと大きな威圧感に全身から冷や汗が噴き出るのを感じながら、武王は内心で自身を奮い立たせて大きく胸を張った。

 

「レオナール・グラン・ネーグル、今度こそ本気の戦いをしてもらいたい!」

 

 闘技場での試合ではついぞレオナールの本気を感じ取ることはできなかった。そんな状態で得た勝利など、武王にとっては何の意味もない。レオナールの本気をこの身で感じ、ぶつかり合い、それによって勝利する事こそが意味があるのだ。

 どこか眩しそうにこちらを見るレオナールを見据える中、しかし不意に今まで無言を貫いていた仮面の男が長い尾をゆらりと怪しく揺らめかせながら間に割って入ってきた。

 

「……偽りの名であるとはいえ、御方を呼び捨てにするなど万死に値する。そも、下等生物が御方に願いを口にするなど身の程知らずも甚だしい。……『平伏せよ』」

 

 瞬間、武王は全身に抗い難い重圧を感じて成す術なく地面に倒れ伏した。何とか立ち上がろうと全身に力を込めるが、身体はピクリとも動かない。

 苦痛に顔を大きく歪めながら、武王は闘技場で聞いた声の主がこの仮面の男であったのだと気が付いた。

 恐らくこの仮面の男は、言葉で他者を操ることのできる能力を持っているのだろう。そして、どうやったのかは分からないが、姿を消してレオナールと共に闘技場を訪れ、そのままの状態で武王を操ってみせたのだ。

 

「デ……ヤルダバオト、そのくらいにしておいてあげなさい。今はそんなことをしている場合ではないのだからね」

「……はっ、申し訳ありません。………『自由にしてよい』」

 

 仮面の男の言葉によって、今まで感じていた重圧が嘘のように一瞬で消え失せる。

 武王はよろよろと立ち上がると、改めてレオナールと仮面の男へ目を見やった。

 仮面の男の方は顔が隠れているため分からないものの、レオナールは金色の双眸を真っ直ぐにこちらに向けていた。

 

「ヤルダバオトが失礼しましたね。……そういえば、あなたは試合中も私の本当の力について気にしていましたね」

「……俺は強者こそを求める。それに、偽りで得た勝利など何の価値もない」

「なるほど、潔い考えです。……よろしい。元より、『私に勝てば願いを叶えてやる』と約束していましたからね。あなたの望む通りにしてあげましょう」

 

 レオナールはにっこりと笑みを浮かべると、徐に右手のグローブをとり始めた。

 現れたのは褐色の素肌と薬指以外の全ての指に填められた指輪の数々。

 その一つ……中指に填められている指輪をレオナールは左手の指で挟むように摘まんだ。

 ゆっくりと中指から抜き取られていく指輪。

 そして完全に指輪が中指から離れた瞬間、突然全身を襲った大きな威圧感に、武王は思わず大きく息を呑んで目を見開いた。

 今まで感じ取れなかったのが信じられないほどの大きく強く鋭い存在感。あまりの強さに、武王は心の底から大きな恐怖を湧き上がらせた。

 これは“強者”などではない。

 そんな小さな枠に収まるものではなく、言うなればそれは“逸脱者”或いは“絶対者”と呼ぶに相応しいものだった。

 

「さて……、ではこちら(・・・)も解除しましょうかねぇ」

 

 レオナールが素肌を晒した左手を顔の前に持っていき、まるで『いないいないば~』をするように一度顔の前に翳してからゆっくりと横へスライドさせる。

 瞬間、レオナールの姿が大きく揺らめき、一拍後にはそこには全く違う存在が佇んでいた。

 

「……っ……!!」

 

 武王が息を呑む中、周りの亜人たちもどよめきを上げる。

 そこに立っていたのは“レオナール・グラン・ネーグル”という人間種の男ではなく、にんまりと怪しい笑みを浮かべた山羊頭の異形だった。

 

「………なるほど、人間ですらなかったか……」

 

 思ってもみなかったレオナールの正体に、しかし武王はそれに大いに納得させられた。

 これほどの強烈な気配を発する存在が唯の人間種であるはずがない。人間ではなく異形である方が余程納得ができた。

 

「その通り。先ほどまでの姿は仮のもの。私は正真正銘、異形種である悪魔だよ」

「……悪魔……。……もしや、最近王国の王都で暴れ回ったという悪魔の一人か?」

「おや、すぐにそちらへ考えが至るとは中々に賢い」

 

 最近オスクから聞いた情報を頭の引き出しから取り出して口にすれば、レオナールは金色の双眸を瞬かせて、次には小さく細めた。顔中が毛で覆われているため分かり辛いが、口の端が上がっているように見えるため恐らく感心したように微笑んでいるのだろう。ということは先ほどの言葉は正解か、或いは当たらずといえども遠からずということなのだろう。

 武王は自身の考えに心拍数を跳ね上げさせ、全身を大量の冷や汗で濡らした。先ほどの恐怖と共に大きな緊張感も湧き上がってくる。

 そんな武王の状態に気が付いているのかいないのか、レオナールは徐に小さく首を傾げてじっとこちらを見つめてきた。

 

「……さて、ここで一つ確認なのだがね。私の本当の力については今十分感じ取れているはずだ。その上で、なおも私と戦うことを望むかね?」

「……無論だ」

「今から行われるのは闘技場の試合ではない。つまり、試合などよりも余程死ぬ確率が高いということだ。勿論、君が死んでも生き返らせてやるつもりではあるが、一度でも死ぬというのは恐怖だろう? それでもなお望むのかね?」

「……俺にとっては戦いが全てだ。強敵と戦うのは俺の望みであり願いだ。ここで逃げることは俺自身が許さない」

「……なるほど。君はどこか、私の友人を思い出させるな……」

 

 レオナールの金色の双眸が小さく細まり、何かを懐かしむような柔らかな色を帯びる。

 しかしすぐさま小さく頭を振ってその柔らかな光を消し去ると、次には真っ直ぐにこちらに視線を向けてきた。

 

「君の考えは分かった。しかし正直に言うと、君の望み通りに戦ったところで私には何のメリットもないのだよ」

「……俺の望みは叶えてくれるのではなかったのか?」

「正確に言うと、『私の本当の力を知りたいという願いを叶えてやる』だ。勝ったらその願いを叶えてやると試合中に言っていたからね」

「……ならば、どうすれば俺と戦ってくれる?」

「なに、簡単なことさ。私にも戦った場合のメリットがあるようにしてくれればいい。もし私が戦って勝ったなら、君も私のシモベになってほしい」

 

 心底楽しそうな笑みを浮かべるレオナールは、どうやら自分が負けるとは欠片も思っていない様だ。確かに今もなおヒシヒシと感じ取れる威圧感の持ち主であれば、その自信は尤もであると言えるだろう。

 しかし武王とて曲がりなりにも歴戦の戦士であり、歴代の“武王”の中で最強と称えられる存在である。どんなに絶望的な力の差があろうとも、簡単に負けを認めるわけにはいかなかった。

 

「……良いだろう。ならば俺が勝ったら、お前を貰い受けたい」

「「「……っ……!!?」」」

「……は……?」

 

 武王の言葉に、この場にいる全員が言葉をなくす。レオナールはキョトンとした表情を浮かべ、周りにいる異形や亜人たちは一様に驚愕の表情を浮かべた。

 しかし次の瞬間、異形たちから殺気交じりの強い視線を向けられて武王は反射的に全身を強張らせた。特に仮面の男から煮え滾るような灼熱の殺気を向けられ、一気に呼吸すら困難になってくる。

 周りにいる亜人たちは仮面の男の怒りが恐ろしいのか、誰もが身を縮み込ませてジリジリと後退りを始めていた。

 

「……亜人風情が御身を求めるなど、分を弁えぬ愚者が……。今すぐにその舌を引き抜いて、地獄の炎で内側から焼き尽くしてあげましょうか?」

 

 仮面の奥から発せられた声は、まるで地獄から聞こえる唸り声のように低く厳かで恐ろしい。目に見えるのではないかと錯覚するほどの濃厚な殺気を身に纏う仮面の男に、周りの亜人たちだけでなく異形たちまでもが恐怖に身を縮み込ませた。

 しかしそんな中、ただ一人だけ平然としているレオナールが落ち着かせるように男の肩を軽く叩いた。

 

「いやいや、落ち着きたまえよ、デミ……ヤルダバオト。私を貰いたいというのがどういう意味なのか分からないが、願うことくらい許してやりなさい」

「し、しかし……!!」

「心配せずとも、勝てばいいのだよ勝てば。……因みに、私を求める理由を聞いても構わないかね?」

「………お前を食うためだ。俺は今まで、殺して食うに値する者に会ったことがなかった。だが、自分よりも強いであろうお前を食えば、俺はお前の力を取り込むことができる」

「……ああ、そういう……」

 

 一瞬言っても良いものかと躊躇うが、意を決して嘘偽りのない本心を口にする。瞬間、案の定更に殺気立った仮面の男とは打って変わり、レオナールはあっけらかんと納得したような素振りを見せた。

 そのレオナールの反応にこちらが驚いてしまう。

 しかしレオナールはどこまでも変わらぬ態度でもう一度仮面の男の肩を叩くと、次には改めて金色の双眸をこちらに向けてきた。

 

「よろしい! それでは、互いの所有権を賭けた一対一のPVPを始めましょう!」

 

 まるで何かのショーの司会者であるかのように、レオナールが両腕を広げて高らかに宣言する。

 それに亜人たちは見るからに困惑した表情を浮かべて互いに顔を見合わせながらもゆっくりと後退って武王との距離を広げていった。

 一方異形たちはといえば、誰もが焦ったような表情を浮かべて滑稽なほどにオロオロとしている。特に仮面の男の動揺は激しく、何とか思い留まらせようとレオナールに必死に何事かを言い募っていた。

 しかしレオナールはその度に首を横に振って、素気無く拒否している。

 その姿は正に心配性な従者と、それを軽くいなす主人のものだった。いや、或いは親を心配する子供と、それを諌める親のものだろうか。

 もしかすれば、最初にレオナールが言っていた“親”という言葉もあながち嘘ではないのかもしれない。正体が悪魔である以上、その年齢も見た目通りとは限らないだろう。もしかすれば本当にレオナールはあの仮面の男の父親なのかもしれない、とふと武王はレオナールと仮面の男のやり取りを眺めながら内心でそんなことを思った。

 

「さてさて、用意は良いかな? ……武器はちゃんと持ってきているようだが……」

 

 何とか仮面の男や異形たちを後ろに追いやったレオナールが、金色の瞳を武王の右手に握られている棍棒に向けながら声をかけてくる。武王もチラッと自身の右手の棍棒を見やると、次には目をレオナールに戻して一つ大きく頷いた。

 これまでずっと自身の命も勇も預けてきた頼もしい武器だが、今はとてつもなく心許なく感じてしまう。しかしそれでも、武王はこの武器以外を使う選択肢を選ぼうとは思わなかった。

 武王の返事に、レオナールも心得たように一つ頷いて返してくる。

 彼の後ろには異形や仮面の男が少し離れた場所で立っており、じっとこちらを静かに見つめていた。亜人たちも誰一人口を開かず、じっと自分とレオナールを注視している。

 暫く続く静寂の時間。

 戦闘開始の合図は仮面の男がするらしく、不意に耳障りの良い声が言葉を発した。

 

「………それではこれより、御方と武王によるPVPを開始します。……始めっ!」

 

 仮面の男が開始の言葉を発すると同時に、武王は地面を強く蹴ってレオナールへ突進した。

 

「〈外皮強化〉〈外皮超強化〉……!!」

 

 突進しながら複数の武技を発動させ、自身の肉体を強化していく。能力を全体的に向上させるものや長時間速度を速めることができる武技を習得していないことに今更ながら後悔が押し寄せてくる。

 しかしないものを望んでいても仕方がない。

 武王の攻撃手段に遠距離のものはなく、武王は愚直に相手との距離を詰めて右手の棍棒を大きく振り上げた。

 闘技場での試合の時と全く同じ攻撃。

 しかし迎え撃つレオナールはあの時とは全く違う動きを見せた。

 棍棒の攻撃を躱されたのは変わらない。しかしレオナールは横に逸れたわけではなく、背中から後ろに倒れるように攻撃を躱してみせた。レオナールは倒れている途中で左腕を頭の方へ伸ばすと、そのまま左手を地面につけて腕一本で身体を支えて綺麗に後方転回した。加えてレオナールは身体の向きが通常の状態になったと同時に、きちんと体勢を整えながらこちらに魔法を放ってきた。

 

「〈酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)〉」

「……っ……!! 〈流水加速〉!!」

 

 放たれたのは治癒困難な酸の魔法。

 咄嗟に武技を発動させてギリギリで避けることに成功するも、ホッとしたのも束の間、気が付けば更なる攻撃が既にこちらに牙を向いていた。

 

「〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 突如出現した白い雷がまるでのたうつようにレオナールの肩口から手へと這い動き、次には突き付けられた人差し指からこちらへと勢いよく襲いかかってきた。

 予想外の攻撃に対処が間に合わない。

 幸い攻撃の種類は酸でも炎でもないため、武王は避けるのは諦めて耐えることを選択した。

 

「……っ……!!?」

 

 瞬間、全身を襲う凄まじい衝撃と激痛。まるで木の根のように全身を駆け巡って肉を引き裂き焼き焦がす雷に、武王は声すら出せずに地面に膝をついた。

 攻撃が止んだ後も全身が痺れて身動ぎすることすら難しい。

 何より、いつもであればすぐさま発動するはずの治癒能力の動きがひどく鈍いことに武王は困惑した。

 治癒能力は働いてはいるが、その速度があまりにも遅い。いや、場所によっては治癒能力が効いていないところも幾つかある。

 一体どういうことかと武王は自身の身体に起こった事態にひどく混乱し、恐怖すら湧き上がらせた。

 

「………いった、い…これ……な、ぜ………?」

 

 無意識に疑問の言葉が口から零れ出る。

 未だ痺れている身体に立ち上がることができない中、レオナールが余裕綽々と言った様子で数歩こちらに歩み寄ってきた。

 

「ふむ、そんなに不思議なことかね?」

「……お、れ……ゴホッ……俺、は……雷であれば、治癒が効くはずだ……」

「同レベル以下の相手の攻撃であればそうだろうねぇ。しかし相手とのレベルの差が大きければ、それも違ってくるということさ」

「……どういう、いみ…だ……?」

 

 レオナールの言葉の意味が分からず、戦いの最中だというのに疑問の表情と共に無意識に聞く体勢になる。

 何が楽しいのか、レオナールは満面の笑みを浮かべながら小さく首を傾げてみせた。

 

「雷は言うなれば膨大なエネルギーが目に見える形になったものだ。そして膨大なエネルギーは熱を生み、対象を焼き焦がす。雷攻撃は感電からの肉体の痺れが強調されがちだが、そもそもは膨大なエネルギーによる熱が真っ先に来る。そして雷の魔法自体のレベルや魔法を発した者のレベルが高ければ高いほど、そのエネルギーも熱も大きなものになる」

「……………………」

「私の友人の一人が君の同類を捕まえていろいろと実験をしていてね。どうやら魔法攻撃を行う者と攻撃を受ける者とのレベル差が大きければ大きいほど、攻撃を受ける側は魔法の根本的な原理や作用も大きく影響されるらしいのだよ。つまり、氷を受ければ肉体は凍って壊死するし、雷を受ければ感電だけでなくエネルギーの熱によって肉体が焼けてしまうのも道理と言う訳さ」

「………つまり、俺とおまえと、では…それだけの能りょく差が、存在する……と……」

「そういうことだ。君にとっては不幸なことにね……」

 

 にこにこと楽し気に明るかった笑みが、武王の確認の言葉によってじんわりとした染み込むような深い微笑に変わる。

 武王はレオナールの変化した笑みを見つめながら、しかしなおもグルグルと大きな疑問を脳内に渦巻かせていた。

 レオナールの言うことは分かった。彼の言う説明は納得できるものであったし、武王とて自分とレオナールとでは抗えないほどの能力差があることは今もなおヒシヒシと全身で感じられているため反発心も湧かない。

 しかし、だ……。逆に考えれば、何故それほどの能力差があるはずの自分がレオナールの攻撃を諸に受けてこの程度にしかダメージを受けていないのか……。

 瞬間、頭に浮かんできた“答え”に武王は大きく顔を歪めてレオナールを睨み上げた。

 

「……貴様、手加減をしているな!? 本気の力を見たいと言っているだろう!!」

 

 漸く痺れが抜けてきたため、回るようになった舌で声を張り上げる。

 激しい怒りを爆発させる武王に、しかし返ってきたのはレオナールの困ったような苦笑だった。

 

「いやいや、そうは言ってもだね。私が本当に本気を出したら一瞬で消し炭になるぞ」

 

 苦笑と共に発せられた声はどこまでも平坦で穏やかなもの。虚勢の音もなければ誇る気配もない、どこまでも当然のことを言っているような声音。

 いや、事実レオナールにとっては当然のことなのだろう。

 しかし武王とて引く気はなかった。

 レオナールが本気を出すことで自分が死んだとしても構わない。例え死ぬと分かっていても、武王はどうしてもレオナールの本気をこの身で感じたかった。強さの頂点をどうしても知りたかった。

 

「今更死ぬことなど怖いものか。……頼む、俺はどうしても強さの頂点を見たいのだ!」

 

 プライドも何もかもを投げ捨てて一心に頼み込む。

 それだけ武王は本気であり、必死だった。

 レオナールは暫くの間、静かにじっと武王を見つめていたが、次には小さく細く長いため息のような息を吐き出した。

 

「……はぁ、そこまで言われてしまっては仕方がないな。ただし、私が本気を出せばお前は一撃で死ぬことになる。私の力の一端も感じ取ることができずに死ぬかもしれない。そのことについての苦情は受け付けないから、そのつもりでいるように」

「……………………」

「あと、私が使える最上級の魔法はここら一帯を吹き飛ばすほどの威力があるから今回は使わない。その代わり、生き返って私のシモベとなれば見せてやるのも吝かではないから、そこは楽しみにしていると良い」

 

 再びにっこりとした笑顔付きで言われた言葉に、武王は思わず呆けた表情を浮かべた。

 言われた言葉を脳内で何度も反復し、意味と真意を理解しようと何度も何度も噛み砕く。そして漸くその言葉の全てを理解した時、武王は内心で苦笑を浮かべた。

 レオナールの言葉に込められていたのは、真実と忍耐と希望と念押し。

 本気の魔法を使えばここら一帯が吹き飛ぶという言葉は真実なのだろう。そしてそれを餌に、シモベとなることを強要しているのだ。

 いや、強要という言葉は正しくないのかもしれない。

 つまり今から死ぬであろう自分に『シモベとなれば最強の魔法が見られるかもしれない』という希望を持たせ、蘇生を拒まないように釘を刺しているのだろう。

 そんなことをせずとも約束は守るというのに……と内心で少し呆れる。

 しかし異形たちの存在からその感情が表情に出ないように気を引き締めると、武王はこちらの返事を待っているレオナールへ強く大きく頷いてみせた。

 

「よろしい。それではかかってきたまえ。お望み通り、一撃で沈めてあげよう」

 

 にっこりとした表情に反し、突き出た山羊の口から零れ出るのは物騒な言葉。しかし武王はその言葉に怯むことはなく、一つ大きく頷いて立ち上がった。先ほどの雷の攻撃で治癒できなかった部分が引き攣れて痛みが生じ、動きも少し鈍いものになる。

 しかしそんなことに構っている場合ではない。

 武王は痛みを訴える身体を無視すると、右手に握り締めている棍棒を一度大きく素振りした。ブォンッと大きく鳴り響く空気を裂く音はとても鋭く力強い。

 武王はその音を確認すると、改めて目の前のレオナールを力強く見つめた。

 

「準備はできたかな? 私はいつでも構わないから、君のタイミングでかかってくると良い」

「……そうか……。……ならば、ゆくぞ!」

 

 武王は一つ大きく鋭く息をつくと、ほぼ同時に強く地を蹴ってレオナールへ突進した。

 呑気にこちらを眺めているレオナールは動く気配を見せない。

 武王はレオナールの目の前まで難なく迫ると、強く足を踏み締めて下に向けていた棍棒を勢い良く振り上げた。

 下から上へと襲い掛かる棍棒。

 しかしレオナールは数歩後退って難なく棍棒を躱してみせた。静かな瞳で見つめてくるレオナールに、武王は棍棒を握りしめている手に力を込めた。

 

「〈剛撃〉!!」

 

 振り上げた状態の棍棒を、武技の発動と共に次は勢いよく振り下ろす。更にひらりと躱すレオナールに、しかし武王は諦めることなく攻撃を繰り返した。振り上げ、振り下ろし、時には横薙ぎも交えながら何度も何度もレオナールへ棍棒を振るう。レオナールはその度にステップを踏むようにひらりひらりと躱していたが、徐々に立ち位置は移動していき、ある一点に足を踏み入れたのを確認した瞬間に武王は大きく棍棒を振り上げた。

 レオナールが踏み締めた場所は、地面に刻まれた大きな窪み。

 レオナールの方はその窪みの存在に気が付いていなかったのだろう、ガクッと細身の身体がバランスを崩す。

 攻撃を繰り返しながら密かにそこまで誘導していた武王は、その機を逃すことなく勝負に出た。

 

「〈神技一閃〉っ!!」

 

 棍棒に武技を乗せ、一気にレオナールへ振り下ろす。

 棍棒がレオナールに触れようとした瞬間、目の前の山羊の顔にニヤリとした笑みが浮かんだのが見えた。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉」

「っ!!?」

 

 魔法の詠唱と共に掻き消えるレオナールの姿に、武王は思わず驚愕に目を見開く。どこに行ったのかと咄嗟に周りに視線を走らせ、視界に飛び込んできたその姿に武王は思わずギクッと身体を強張らせた。

 レオナールがいたのは武王が立っている場所から5メートルほど離れた地点。

 レオナールは足を揃えて優雅に立っており、まるでこちらを招いているかのように両腕を軽く広げていた。

 そしてその身体に纏わりつくように踊っているのは大きな青白い魔法陣。

 思わず目を奪われる武王を気にした様子もなく、レオナールは妖しい笑みを浮かべたまま詠唱の言葉を紡いだ。

 

「……出でよ、雪と氷の女神。〈女神の抱擁(スカディ・エンブレイス)〉」

 

 レオナールの言葉が響くと同時に魔法陣が強い光を放って光の粒子となって霧散する。四方に飛び散った光の粒子は少しの間空中を彷徨った後、巨大な渦を巻いてレオナールの背後に集まっていった。

 そして姿を現したのは、白い霧のような巨大な女神。

 粒子で形作られているためその姿は酷く朧げではあったが、頭のティアラやその下から垂れる長いベール、細く長い両腕に纏わりつく長い袖の形は何となく見てとれる。

 女神はじっと武王を観察するように見つめると、次には両手を広げて白い冷気を纏わりつかせながらこちらに迫ってきた。

 

「っ!!?」

 

 宙を泳ぐように飛んでくる女神は、その巨体に反して非常に速い。

 一拍後には既に目と鼻の先にまで迫っていた女神は、広げていた両腕を武王に伸ばし、まるで愛しい子供を抱きしめるように巻きつけてきた。女神の纏う長い袖やベールもふわりと武王の全身を包み込み、耐えがたい冷気が襲いかかってくる。

 武王の目の前にあるのは女神の朧げな顔と、それを形作る白い粒子のみ。

 武王は驚愕の表情を浮かべたまま、女神の腕の中で氷の彫像へと成り果てていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い冷気を撒き散らしながら消えていく女神を眺めながら、レオナール――ウルベルト・アレイン・オードルは誰にも気づかれないようにそっと小さく息をついた。ざっと素早く視線を周りに走らせれば、どの亜人も呆然とした表情を浮かべて凍ったまま死んだ武王を眺めている。

 ウルベルトも再び視線を武王に戻す中、不意に背後からデミウルゴスたちが歩み寄ってきた。

 

「流石はウルベルト様、お見事でした」

 

 嬉々とした笑みを浮かべながら声をかけてくるのはデミウルゴス。何がそんなに嬉しいのかブンッブンッと長い尾を振っている悪魔に小さく苦笑しながら、ウルベルトはデミウルゴスの更に背後にいる存在へと目を向けた。

 

「……さて、それでは早速彼を蘇生してくれるかな、ペストーニャ」

「畏まりました、わん。ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 ウルベルトに呼ばれて進み出てきたのは犬頭の一人のメイド。

 ペストーニャは一度深く頭を下げると、一糸乱れぬ動きで武王の元へ歩み寄っていった。武王に向けて軽く両手を翳し、一拍後に緑色の魔法陣が出現する。

 まずは今の状態をどうにかするべきと判断したのか、彼女は武王の凍結状態をまず解除したようだった。凍結状態であったために死してなお仁王立ちになっていた武王の肉体が力なく頽れる。しかし武王の巨体は無様に地面に転がることはなく、ペストーニャの細腕にしっかりと抱きかかえられてゆっくり丁寧に地面へと横たえられた。

 ペストーニャは武王の状態を確認すると、再び両手を巨体の前に翳して詠唱を唱え始める。

 蘇生と治癒の魔法を重ねて施している彼女の姿を見やり、ウルベルトは背後にデミウルゴスや悪魔たちを従えて彼女たちの元へと歩み寄っていった。ペストーニャのすぐ傍らで足を止め、立ったままの状態で横たわっている武王の顔を覗き込む。

 蘇生魔法は既にかけ終わっており、武王は無事に死から舞い戻っている筈だ。見る限りでは未だ意識を失っているようだが、ピクピクと閉じている瞼が時折動いていることから目覚め自体は近いのかもしれない。

 〈女神の抱擁(スカディ・エンブレイス)〉で出来たものだけでなく、〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉で出来た傷をも律儀に癒しているペストーニャの仕事ぶりを眺める中、武王の閉じていた目が漸くゆっくりと開き始めていることに気が付いてウルベルトは再び視線を武王の顔に戻した。ぼんやりとした様子ながらも困惑したように小さく視線を彷徨わせる武王に、ウルベルトは上体を屈めて更に彼の顔を覗き込む。

 ウルベルトの影が武王の顔に落ち、それに気が付いて武王がこちらに視線を向けてきた。

 武王の瞳とウルベルトの不気味な金色の瞳が真正面からかち合う。

 思わずといったように驚愕の表情を浮かべる武王に、ウルベルトはワザとらしいまでにニッコリとした笑みを浮かべてみせた。

 

「……改めて、ようこそ、ゴ・ギン。我が新たなシモベよ」

 

 呆然としている闘技場の王者に、悪魔はニヤリとした笑みを浮かべた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の第九階層にある住居エリア。

 至高の四十一人の私室が並ぶこのエリアにて、シモベの中で唯一自身の部屋を与えられたアルベドは、その部屋の中でエントマや恐怖公と共に入れ代わり立ち代わり入出してくる影の悪魔(シャドウデーモン)たちの対応に追われていた。

 今彼女たちが着手しているのは“ヘイムダル”としての仕事。

 “ヘイムダル”の主な仕事内容は、情報入手と整理だけでなく情報操作などの裏工作全般をも受け持っている。そのため、ウルベルトが正式に“ヘイムダル”を組織化した日から彼女たちは毎日忙しい日々を送っていた。

 しかし彼女たちの表情には一切不満も疲れの色も浮かんではいない。あるのは強い使命感と、至高の主たちの役に立てるという嬉々とした光のみだった。

 

「――……こちらはこれで良さそうね。モモンガ様が仰られていた“蒼の薔薇”への計画は予定通り進んでいるのかしら?」

「はいぃ~、問題なく準備は整ってますぅぅ。ご命令頂ければ、すぐにでも動かせますよぉ~」

「そう、それなら良かったわ。それでは次に、帝国と王国についてだけれど……――」

 

 エントマの報告に満足そうに頷き、次に違う案件へとすぐさま移る。アルベドはテーブルに並べられている大量の羊皮紙の中から幾つか手に取ると、中身にざっと目を通して部屋の隅に控えるように立っている幾体もの影の悪魔の内の何体かを手指で呼び寄せた。すぐさま目の前まで進み出て片膝をつく影の悪魔たちを見やり、次々と命を下していく。

 影の悪魔たちは指示を受けた順から次々と退出していき、アルベドは一通り指示を出し終えた後に小さく息をついた。

 

「これでこちらも問題ないわね。今頃フールーダ・パラダインがウルベルト様の命を受けて皇帝を動かしているはずだから、こちらも歩調を合わせる必要があるわ。エントマ、恐怖公と連携して噂を流しながら“八本指”たちにも指示を出してもらえるかしら?」

「畏まりましたぁ~」

「おや、守護者統括殿、吾輩は動かなくても良いのですかな?」

「あなたは良いわ。大体、あなたは今の彼らにとってトラウマになっているのだから、できるだけ姿を見せないようにして頂戴」

「承知しました」

 

 アルベドの手厳しい言葉も何のその、恐怖公は気にした様子もなく一つ頷くように長い触角を動かしている。

 その様に思わずゾワワッと鳥肌をたたせながら、アルベドは努めて表情にまでは出さないように表情筋に力を込めた。

 本音を言えば、恐怖公をこの部屋に招くことさえ断固拒否したいところなのだ。口調が多少厳しくなるくらいは許してもらいたかった。

 アルベドは気を取り直すように一度咳払いをすると、改めてエントマと恐怖公に目を向けた。

 

「それから、つい先ほどウルベルト様より追加の任を仰せつかったわ。と言っても実際に任が執行されるまでにはもう少し諸々の準備が必要だから、これに関しては取り敢えずは私の方で対処していきます。また話が進めばあなたたちにも伝えようと思っているから、その時はよろしく頼むわね」

「おや、守護者統括殿だけで大丈夫なのですかな? 仰っていただければいつでも何匹でも我が眷属をお貸しいたしますが?」

「……いいえ、結構よ。これは繊細な案件だから、準備にもそれ相応のモノが対応する必要があるのよ。……その気持ちだけ受け取っておくわ」

 

 心から心配してくれている言葉だと分かるだけにアルベドは丁寧に断りの言葉を口にするものの、その顔は微妙に引き攣っている。

 アルベドはもう一度大きく咳払いをすると、一つ深呼吸してから真剣な表情をその顔に浮かべた。

 

「理解していると思うけれど、これからは一層わたくしたちの役割は重要なものになってくるわ。各自気を引き締めて各々の役割にあたって頂戴」

「はい~、畏まりましたぁ~」

「承知しました。我が眷属たちにも漏れなく伝えましょうぞ!」

「……それじゃあ、私はこれからモモンガ様の元へ向かうわ。後のことはお願いね」

 

 恐怖公の言葉に一瞬彼の眷族たちの姿が脳裏に浮かびそうになり、アルベドは慌ててそれを振り払う。再び襲ってきそうだった悪寒を何とか追いやると、アルベドは半ば無理矢理愛しい至高の主たちの姿を頭の中に思い浮かべた。

 途端に身体中が熱くなり、幸せな気持ちが溢れてくる。

 アルベドは二人に軽く声をかけると、そのまま素早い動作で椅子から立ち上がった。そのままさっさと部屋を出るべく足を動かす。

 これからこの目に映すことができるだろうモモンガのことを思い浮かべ、アルベドは豪奢な廊下を歩きながら恍惚とした笑みを浮かべた。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈女神の抱擁〉;
第九位階の氷結魔法。出現させた氷の女神が冷気を撒き散らしながら襲いかかってくる。囚われれば最後、問答無用で抱擁を受けて氷漬けにされる。

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