世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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第56話 理想の幻

 平原で何事もなく一夜を明かしたモモンガたち一行は、暫く街道を進んで漸くカルネ村に到着した。

 目の前に聳え立つ丸太の壁に、ある者は驚愕に目を見開き、ある者は苦笑を浮かべ、モモンガはヘルムの奥で小さなため息を吐いた。

 幾つもの丸太を縦に連ねて造られた立派な防壁は、とても辺境の村にあるようなものとは思えない。初めて見る者は誰しもが驚愕することだろう。

 一応事前にペロロンチーノに〈伝言(メッセージ)〉を入れはしたが、あまり意味はなかったかもしれない……と遅まきながら思い知らされた気分だった。

 しかし、何はともあれここまで来てしまえばもはや後戻りはできない。モモンガは内心で何とか気合を入れると、自身を奮い立たせながら丸太の壁へと大股で歩み寄っていった。

 

「カルネ村の皆さん、お久しぶりです。冒険者のモモンです。この村に住まわせて頂きたい者を連れてきました。まずは門を開けて頂けますか?」

 

 叫んではいないものの、モモンガの声は大きく真っ直ぐはっきりと響く。

 その場で立ったまま様子を窺う中、暫くして目の前の門がゆっくりと内側から開かれた。

 門から姿を現したのは見覚えのある面々。カルネ村の村長である壮年の男と、その左右を固めるように立っている二人の男。そして年若い少女が弓を手に村長の隣に立っていた。

 彼らは最初はどこか緊張した表情を浮かべていたが、モモンガの姿をはっきり目にすると、途端にその顔に安堵の笑みを浮かべてきた。

 村長は視線を走らせてモモンガの背後に控えている“蒼の薔薇”の面々を視界に捉えると、更に目尻を緩めて笑みを深めた。

 

「ようこそおいで下さいました、冒険者の皆さん。さぁ、中へお入りください」

 

 村人たちから快く歓迎されたことに、“蒼の薔薇”や他の面々が安堵の息を小さくついたのが振り返らなくても感じ取れる。モモンガもまた内心で安堵の息をつくと、先ほどと同じように堂々とした足取りで村の中へと足を踏み入れていった。モモンガに続いてまずはナーベラルとハムスケが村に入り、次に“蒼の薔薇”の面々が、最後にンフィーレアたちが村の中へと足を踏み入れていく。

 モモンガとナーベラルとンフィーレアに扮している二重の影(ドッペルゲンガー)は勿論のこと、“蒼の薔薇”の面々も一度この村に来たことがあるためか非常に落ち着いている。しかし他の面々は興味深げに忙しなく村の中を見回して視線を走らせていた。

 村の中と外とを隔てる立派な壁に反し、村の中はどこまでも他の村々と変わらない。大小様々な木造の建物と、至る所に広がる麦畑や野菜畑が視界一杯に広がっていた。

 どこまでも和やかな光景に、先ほどの立派過ぎる壁は幻だったのではないかとブリタやニニャやツアレなどは壁の方をもう一度振り返っている。

 しかしそこには変わらず丸太の壁が聳え立っており、彼女たちは困惑した表情を浮かべて互いに顔を見合わせていた。

 

「ンフィー、久しぶりね! 最近は全然村に来てくれないから、何かあったのかって心配していたのよ」

「……ああ、ごめんよ、エンリ。新しい薬の研究に手間取っていて、なかなか外に出ることも少なくなっていたんだ」

「そうなの。上手くいくと良いわね!」

「うん、ありがとう、エンリ」

 

 視線をブリタたちから移せば、エンリが明るい笑みを浮かべながらンフィーレアに扮しているドッペルゲンガーに話しかけている光景にぶつかる。

 仲睦まじいように見える二人の様子に、モモンガは内心でここにペロロンチーノがいなくて良かったと安堵の息を吐き出した。

 もしここにペロロンチーノがいたなら、十中八九以前の時のように嫉妬を燻らせるに違いなかった。相手が本物のンフィーレアでなくても、そんなことはペロロンチーノにとってはどうでも良いことなのだ。重要なのは、自分のお気に入りの少女が自分以外の男と仲良くしているという事実のみ。そしてドッペルゲンガーはペロロンチーノの不興を買ったと勘違いし、ちょっとした騒動が巻き起こってしまうことは必至だった。

 モモンガはもう一度内心で大きなため息を吐くと、次には近くに立っている村長へと視線を向けた。

 

「村長、突然訪問してしまい申し訳ありませんでした」

「いえいえ、何を仰います! アイ……ゴホンッ、モモン様であれば、いつでも大歓迎です」

 

 村人たちは既にペロロンチーノによって冒険者モモンの正体が村を救った異形の一体であるモモンガであることを知っている。そのため村人たちの冒険者モモンに対する言動は、他の者への言動に比べて自然と一層丁寧なものになっていた。

 深々と頭を下げる村長に思わずヘルムの中で苦笑を浮かべながら、モモンガは気を取り直すように本題を口にすることにした。

 

「実は、この村に住まわせたい者を連れてきたのです。どこか落ち着いた場所で話をすることはできるでしょうか?」

「そういえば、門の外でそのようなことを仰られていましたね。では我が家に参りましょう。村に住みたいという方も一緒に来て頂ければと思うのですが、宜しいでしょうか?」

「ええ、勿論ですとも。ニニャ、それからツアレさん。一緒に来て頂けますか?」

「あっ、はい、モモンさん!」

 

 モモンガの声に反応して、ニニャがすぐさまツアレの手を引いて目の前に駆け寄ってくる。微笑ましい姉妹の様子に村長は顔を綻ばせると、次には手振りで自身の家へとモモンガたちを促した。

 モモンガはナーベラルとハムスケに別行動をとるように声をかけると、すぐに踵を返して村長の後を追う。更にその背をニニャとツアレが追いかけ、他の面々はそれぞれ村の様子を見るために村の四方へと散っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……それで、村に住みたいと言うのはこちらの二人のお嬢さんでしょうか?」

 

 村長の家に着いたモモンガたちは、それぞれ大きなテーブルを囲むようにして向かい合って腰かけていた。

 村長の視線の先にはニニャとツアレが隣り合って座っており、二人は顔を見合わせた後に再び村長へ顔を向けた。

 

「少し違います。厳密に言えば姉をこの村に住まわせて頂きたいんです。僕は冒険者をしているので滅多に帰ってくることができませんが、姉はそうではありません。どうか、姉をこの村の一員として住まわせて頂けないでしょうか?」

「なるほど、そういうことでしたか。……ちなみに、お姉さんは何かできることはありますか? 農作業の経験は?」

「幼い頃はよく家の手伝いをしていたので農作業の経験はあります。でも、実は現在姉は心の病にかかっていまして、他の人が……とりわけ男の人が苦手になっているんです。なので、村総出での作業というのはなかなか難しいかもしれません。幸い、ンフィーレアさんからこのカルネ村での薬の販売の雑用をしてくれないかという話を頂いているので、姉の心の状態が落ち着くまではそちらでお力になれればと考えています」

 

 ニニャとしても、ツアレがカルネ村に住めるかどうかは一つの大きな分岐点になる。それだけ本気なのだろう、彼女は真剣な表情を浮かべて真摯な瞳を村長へ向けていた。

 

「村長、私からもお願いします。実は彼女は劣悪な場所でずっと働かされておりまして、そこから救い出したのが我々なのですよ。我々としても、一度救いの手を差し伸べた以上、彼女にはでき得る限り安全な場所で平穏に暮らしてほしいと考えています。彼女の人柄や身元については私が保証しますし、村にとって悪いことにはならないと思います」

「……モモンさん……」

 

 モモンガからの後押しの言葉に、ニニャが感動したように大きな瞳を潤ませる。

 村長はモモンガとニニャとツアレを順に見やると、次には柔らかな微笑を浮かべてゆっくりと一つ頷いた。

 

「モモン様がそこまでおっしゃるのなら安心ですね。初めての場所で最初はいろいろと大変でしょうが、この村にはエンリやネムといった若い娘もおります。もし何か困ったことがあれば、彼女たちが力になってくれるでしょう」

「そ、村長さん、それじゃあ……!」

「私としては、ツアレさんをこの村に受け入れても良いと考えています。勿論、ニニャさんの帰るべき場所として頂くのも大歓迎ですよ」

「っ! あ、ありがとうございます!」

 

 ニニャは興奮に頬を赤く染めると、そのまま勢いよく頭を下げた。隣に座っているツアレもまた、つられるようにして深々と頭を下げる。

 しかし村長は二人の頭を上げさせると、次にはその顔に小さな苦笑を浮かべた。

 

「問題なのは、あなた方がこの村を受け入れてくれるかどうかです」

「え? それは、どういうことでしょうか……」

「ふむ、話すよりも実際に見た方が早いでしょうな。ついてきて下さい」

 

 椅子から立ち上がって促してくる村長に、ニニャとツアレは困惑の表情を浮かべながらも椅子から立ち上がる。モモンガは村長が何をしようとしているのか何となく察すると、内心どうなることかとヒヤヒヤしながらも無言のまま椅子から立ち上がった。

 四人は連れ立って村長の家から出ると、そのまま村の奥へと進んでいく。

 やがて村の外れまで辿り着いた四人は、そこに小さな人だかりができていることに気が付いた。

 集まっているのは“蒼の薔薇”のメンバーと“クアエシトール”のメンバーの計七人。

 彼らは一つ処に集まって一心にある一か所を見つめていた。

 

「皆さん、どうかなさいましたか?」

「そ、村長さん! こ、これは、一体……!!」

 

 村長が声をかけた瞬間、集まっていた全員が一斉にこちらを振り返ってくる。

 この場を代表するようにラキュースが村長に声をかけ、人差し指で自分たちが見つめていた方向を指さした。

 彼女の指の先にいたのは、非常に容姿の整った一人の闇森妖精(ダークエルフ)の子供。

 しかしよくよく見ればラキュースの指先はダークエルフの更に奥を指さしており、そこには一本の立派な木が微かな風にも青々とした枝葉を揺らめかせながら立っていた。

 一体この木がどうしたのかとニニャとツアレが首を傾げ合う中、“それ”は突然響いてきた。

 

「……ちょっとちょっと、いきなり“これ”呼ばわりは酷いんじゃないかな?」

「「っ!?」」

 

 突然聞こえてきたのは溌剌とした少女の声。

 思わずニニャとツアレが驚愕に目を見開く中、唐突に“それ”は姿を現した。

 

「君たちの気持ちも分かるけどさ、指をさして“これ”呼ばわりは流石に酷いと思うんだけど」

「……えっ、お、女の子……?」

 

 突然何処からともなく姿を現したのは一人の少女。人間とはまた違う雰囲気を纏っている少女は、低い木の枝に腰かけて足をプラプラと揺らしながら不服そうに頬を膨らませて唇を小さく尖らせていた。

 短く跳ねている髪は瑞々しく鮮やかな新緑で、更にその上には二又の大きな黄色の帽子が乗っている。

 一見普通の少女に見える彼女は、しかしその肌はまるで木の幹のような色艶を見せていた。

 

「ああ、皆さんにご紹介しましょう。この方はピニスン・ポール・ペルリア様。この村を守護して下さっている御方です」

 

 胸を張って誇らしく紹介する村長とは打って変わり、紹介された少女はガクッと大きく肩を落としている。

 相反する二人の様子に誰もが首を傾げる中、ガガーランが訝しげに眉を顰めながらじっとピニスンを見やった。

 

「いや、村を守護してるって……。どう見ても木の妖精(ドライアード)じゃねぇか。人間の村にドライアードがいて守護してるって、一体どうなってやがるんだ?」

 

 不審気に小さく目を細めるガガーランに、しかしその反応も普通に考えれば仕方のないものだった。

 ドライアードは無害に見えてもれっきとした魔物であり、生息場所も森の奥地が主であるため通常このような村の外れにいるような存在ではない。以前彼女たちがカルネ村に来た時には未だドライアードはいなかったのだから、疑わしく思うのは当然のことだろう。

 はてさてどうしたものか……とモモンガがヘルムの中で頭を悩ます中、不意に今まで無言を貫いていたマーレが一歩前へと進み出てきた。

 

「指示を受けてこのドライアードをここに植えたのは僕です。森で危険な目にあっていたからここに移動してもらったんです。村に悪さをすることはありません。……ぼ、僕が、保証します」

 

 最初は淡々とよどみなく出ていた言葉が、最後だけ少し頼りなく揺れて途切れ途切れになる。どこか力なく庇護欲を擽られるマーレの口調と姿に、刺々しい雰囲気を漂わせていたガガーランが困ったように眉尻を下げて纏う気配を緩ませた。

 マーレの思ってもみなかった行動に、モモンガは内心でガッツポーズをとった。

 

(おおっ、素晴らしい! これは正にマーレやアウラみたいな子供の外見をした者にしかできない芸当だ! それに確かマーレはウルベルトさんが扮しているワーカーの“レオナール”の仲間だと認識されているはずだから、“レオナール”への信頼が更にマーレの言葉に説得力を持たせてくれるはずだ……。もし彼女たちがそれに気が付かないようなら、俺がそれとなくフォローすれば穏便に話しを進められそうだな!)

 

 胸の内でマーレをべた褒めしながら今後について頭を整理していく。

 そんな中、モモンガの目論見通りにラキュースが困惑の表情を浮かべながらもレオナールの名前を口にしてきた。

 

「指示を受けて……ということは、つまりネーグルさんの指示でこのドライアードを村に植えたということ? ……でも、一体何故レオナールさんはそんなことを……」

 

 困惑の表情はそのままに深く考え込み始めたラキュースに、モモンガは機を逃すことなく口を挟むことにした。

 

「何か事情があったのかもしれませんね。この村は辺境に位置していますし、すぐ近くにはトブの大森林も広がっている。野盗だけでなく魔物への脅威度も他の村より高い。そんな中で探知能力に優れたドライアードがいるというのは村にとってとても安心できる要素でしょう」

 

 勿論、ドライアードの持つ種族的な探知能力は専門職の者に比べれば低く、ナザリックのレベルで考えても高が知れている。しかしこの世界のレベルで考えればドライアードの生来の探知能力程度でもそれなりの評価を得ることができるのではないかとモモンガは考えていた。そしてそれは間違いではなかったらしく、モモンガの言葉にこの場にいる誰もが納得したように頷いてきた。

 

「……確かに、私たちが来た時もこの村は魔物の群れや正体不明の魔物に襲われていたからな。ドライアードならある程度の魔物の接近は感知することができるだろう」

「ええ、その通りね。印象的にも彼女は悪い魔物ではなさそうだし、ネーグルさんもそれを考慮してこのドライアードをここに植えたのかもしれないわ」

「……いや、でも、そうはいっても魔物でしょう? いくら村の外れだからって、魔物がいて大丈夫なの?」

「まぁ、大丈夫じゃないか? チラッと見た限りでも村の連中も大なり小なり戦う術を身に着けているようだしな」

 

 納得する“蒼の薔薇”のメンバーに“クアエシトール”のブリタが不安を口にするも、それも同じチームのメンバーであるブレインが軽く諌めて事なきを得る。

 モモンガは彼らのやり取りを眺めながら、内心ではブレインの言葉に同意して深く頷いていた。

 未だレベル的には一般人に毛が生えた程度の者が殆どではあったが、カルネ村の人々は着実に戦う術を身に着け始めている。それはこの村を訪れる度にモモンガ自身も感じ取っていることだった。特にウルベルト作の弓をペロロンチーノから贈られたエンリの強さは、アイテムの影響もあり、この世界の基準で言えば既にそれなりのものになっていた。

 

「……まぁ、確かに下手な冒険者よりかは戦う術も心積もりもありそうな人が多かったけどね。あのエンリっていう女の子が持っていた弓なんて、見るからに相当な物だったし」

「ああ、それに向上心も大したものだ。さっき、少しで良いから戦い方を教えてくれって頼まれたしな」

「なんだ、お前らもか? 本当にここの連中は逞しいな」

 

 ブレインとブリタの会話にイビルアイが加わり、それを機に“蒼の薔薇”のメンバーも会話に参加して何とも和やかな光景が広がっていく。

 そこには既に魔物であるドライアードを受け入れるような雰囲気が漂っており、モモンガは知らずヘルムの奥で小さく眼窩の灯りを揺らめかせていた。

 和やかに会話している冒険者たちの傍らには大木が佇み、その分身たる少女が少し複雑そうな表情を浮かべながらも大人しく冒険者たちを見守っている。彼らの周りでは村長が微笑ましそうな笑みを浮かべており、ニニャとツアレは興味深そうにピニスンを見つめている。二人の目には嫌悪などといった負の光は一切見られず、この目の前の光景はある意味“アインズ・ウール・ゴウン”の理想のようにモモンガの視界に映り込んだ。

 そして無意識に夢想する、彼ら彼女らの傍らに立つ異形姿の自分たちの姿を……。

 そこには種族間の争いや嫌悪や憎悪などない。只々穏やかで、正に夢のような暖かな光景。

 モモンガはないはずの瞼を閉じて視界を塞ぐと、周りに気付かれないように小さく深く長く息を吐き出した。

 自分の中にある理想を自覚して、まるでどこか浮足立つような……それでいてどこか船の揺れに酔うような、奇妙な感覚が襲いかかってくる。

 モモンガは思考を切り替えるために一度小さく頭を振ると、閉じていた視界を開いて改めて未だ団欒中の冒険者たちを見やった。ニニャとツアレの傍らに歩み寄り、少し下にある彼女たちの顔を見下ろした。

 

「ニニャ、ツアレさん、考えは決まりましたか?」

 

 声をかければ姉妹はほぼ同時にこちらを見上げてくる。

 二人は一度顔を見合わせると、次には再びこちらを見上げて大きく頷いてきた。

 

「はい、この村は本当に素晴らしい場所だと思います。魔物とも……もし本当に共存できているのなら、ある意味心強くもありますし、僕はこのまま姉をこの村に預けようと考えています」

「わ、わたし、も……こ、ここに…いたい、です……」

 

 二人の決断に、モモンガも一つ頷いてその判断を後押しする。

 ニニャとツアレはモモンガの反応に満面の笑みを浮かべると、早速自分たちの決断を伝えるべく村長の元へ駆けていった。明るい表情で村長に声をかける二人の後ろ姿を見つめながら、モモンガは一つ小さな息をつく。

 そんな中、不意に傍らに人の気配を感じてモモンガはニニャとツアレに向けていた顔を自分の横に向けた。

 

「あの二人、決めたみたいだね」

 

 見れば横に立っていたのはブリタで、彼女は小さな笑みを浮かべてニニャとツアレを見つめている。チラッと先ほどまで彼女がいた方に視線を向ければ、そこにはブレインがどこか緊張した表情でこちらの様子を窺っていた。冒険者モモンの正体を知っているブレインとしては、仲間がモモンガの横に無防備に立っていることが気が気でないのだろう。

 ブレインは数秒迷うような素振りを見せた後、まるで諦めるように彼にしては珍しい若干のろのろとした足取りでこちらに歩み寄ってきた。

 

「………ブリタ、一人で勝手にウロチョロするなよ」

「ちょっとブレイン、あんたはいつから私のお母さんになったのさ」

 

 ブレインの真意など知る由もなく、ブリタは気軽い調子で言葉を返している。

 ブレインは一度やれやれと小さく頭を振ると、次には緊張に少し強張った表情をこちらに向けてきた。

 

「……ブリタがご迷惑をおかけしたのなら、申し訳ありません」

「ちょっと、ブレイン!」

「いやいや、軽いおしゃべりをしていただけだ、迷惑などしていないさ。……それよりも、君たちは暫くの間カルネ村に滞在するのだろう?」

「……はい。リーダーも所用でチームを離れているので、帰ってくるまではこの村でちょっとした休暇を送ろうと思います」

「でも、いつ戻ってくるのかね~。用事がいつ頃終わるのかも分からないって言ってたし……」

 

 どこまでも硬い表情で受け答えするブレインに反し、ブリタはどこまでも呑気な様子でモモンガに声をかけてくる。

 二人の対照的な様子を見つめながら、モモンガは現在エルフに接触しているであろうペロロンチーノたちのことを思った。

 彼らのリーダーである“マエストロ”に扮しているパンドラズ・アクターは、現在エルフ及び法国の対処を行うペロロンチーノのアドバイザー兼補佐役としてペロロンチーノの元に常駐している。どのくらいの時間がかかるか分からないため、その間はずっと彼らはこのカルネ村にいることになるだろう。ニニャとツアレがこの村に慣れるためには彼らの存在は大きな助けとなる筈であるため、丁度良いタイミングだと言えなくもない。

 そんなことをつらつらと考える中、村長との話し合いが終わったのか、ニニャとツアレが手を繋いだ状態でこちらに戻ってきた。

 

「よう、話は終わったのか?」

「うん、この村に住んでも良いって言ってもらえた。……本当に良かった」

「そういえば、あんたは本当にこのまま“ニニャ”の名前で良いのかい? その名前はそもそもツアレさんの存在を忘れないために名乗っていたんだろう? ツアレさんは戻ってきたんだから、本当の名前に戻っても良いと思うけど……」

「ううん、“ニニャ”のままで良い。……いや、“ニニャ”のままでいたいんだ。姉さんを探してきた頃の私も本当の私だから、これからも“ニニャ”として生きていきたい」

 

 ブリタの気遣うような言葉に頭を振り、ニニャははっきりと自分の意思を口にする。強い光を宿す大きな瞳が一瞬小さく揺らめいたことに気が付き、モモンガはふと“漆黒の剣”のメンバーを思い出した。

 ニニャが以前加わっていた冒険者チームであり、今やニニャ以外の全員がクレマンティーヌの刃にかかってこの世を去っている。彼らはニニャが姉を探していることは知っていたが、ニニャが本当は女であることや本名が何であるのかまでは知らなかったらしい。それを考えれば、ニニャが姉を取り戻した今も本名に戻らないのは、彼らの存在が大きく関わっているのだろうことは容易に想像することが出来た。

 

「まぁ、あんたがそれで良いのなら私もそれで良いけどさ。くれぐれも無理はしないようにするんだよ」

「分かってるよ。ありがとう、ブリタ」

 

 どこか姉のように注意するブリタに、ニニャは苦笑を浮かべるもののはっきりと頷いて返している。

 モモンガは暫くの間彼女二人のやり取りを眺めていたが、ふとマーレに渡すべき物があったことを思い出した。

 モモンガは“クアエシトール”とは違いずっとカルネ村にいるわけにはいかないため、ブレインを制御する“緊箍児双対(きんこじそうつい)”の片割れの輪をパンドラズ・アクターに代わってマーレに渡す必要があったのだ。

 モモンガはブリタやニニャたちから視線を外すと、マーレがいるであろう方向へと目を向けた。

 瞬間、目に飛び込んできた光景にモモンガは思わず驚愕に身体の動きを止めた。

 

「マーレさん、お願い。どうか少しだけでも協力してもらえないかしら」

「……え、えっと、そのぉ~……」

「勿論、ネーグルさんに不利益になるようなことはしないと約束する。だからどうか、少しでも彼のことを教えてもらいたいの」

「そ、そう言われても……」

 

 振り返った先にいたのは、タジタジになっているマーレと、彼にジリジリとにじり寄っているラキュース。

 恐らく何とか“レオナール・グラン・ネーグル”の情報を聞き出そうとしているのだろう、その様子は若干必至過ぎて周りの“蒼の薔薇”のメンバーは少し呆れた様子で二人を眺めている。

 今のところマーレもオドオドしながらも何とか逃げてはいるが、このままではいつポロッと口が滑ってしまうかも分からない。

 仲裁に入った方が良さそうだとすぐさま判断すると、モモンガは彼女たちに歩み寄るべく一歩足を踏み出した。

 しかしその時、不意に横を通り過ぎた小柄な影にモモンガは反射的に足を止めた。

 

「これ以上は止めて下さい」

「「「っ!!」」」

 

 いつの間に来ていたのか、モモンガの横を通り過ぎラキュースの目の前に立ち塞がったのは、顔を大きく顰めさせたナーベラルだった。

 背後にマーレを庇いながらラキュースを睨む様は、まるで年の離れた姉のようにも見える。

 突然のナーベラルの登場に誰もが驚く中、ラキュースはチラッとナーベラルに庇われているマーレを見やると暫く前のめりになっていた体勢を元に戻した。

 

「……あっ、ご、ごめんなさい。……怖がらせてしまったみたいね」

 

 眉尻を大きく下げて肩を落とす様はひどく落ち込んでいるように見え、その姿は周りの者に大きな同情心を湧き上がらせる。

 しかしそんなものがナーベラルに通用するはずもなく、彼女は険しい表情のまま背後に庇っているマーレを振り返った。

 

「マーレ様、参りましょう」

「え、えっと、あの、その……」

「モモンさ――ん、少しマーレ様と村を見て周っても宜しいでしょうか」

 

 どうしたら良いのか分からずオロオロするマーレに気が付いているのかいないのか、ナーベラルは構う様子もなく次にはモモンガを振り返って許可を求めてくる。

 モモンガはマーレが様付けになっていることを突っ込みたい衝動を必死に抑えながら、不自然にならないように気を付けながら一つ大きく頷いてみせた。

 

「ああ、構わない。いろいろとマーレさんに案内してもらうと良い」

「ありがとうございます。さぁ、参りましょう」

「えぇっと、い、良いのかな……。えっと、その、じゃ、じゃあ、失礼します……」

 

 ナーベラルに促され、マーレは未だ戸惑った様子ながらもぺこりと頭を下げてくる。

 そのままナーベラルと共に去っていく小さな背を見送った後、再びラキュースに目を向ければ、彼女は再びガクッと大きく肩を落としていた。

 他の“蒼の薔薇”のメンバーがラキュースの周りに集まり、口々に何事か声をかけている。

 恐らく励ましたり諌めたりしているのであろう彼女たちの様子を暫く見守った後、モモンガはナーベラルの行動をフォローするべく徐に彼女たちへ声をかけた。

 

「突然ナーベが失礼しました。あのダークエルフの子供はレオナールの仲間の一人であるようなので、ナーベも過剰反応してしまったのでしょう」

「い、いえ、私の方こそ必死になり過ぎてしまって……。マーレさんを怖がらせてしまいました……」

「まぁ、少し落ち着いた時にまた声をかけてみたら良いさ」

「そうだな。あの様子であれば、謝罪すれば許してくれる可能性は高い」

「……そうね。また時間を空けてから声をかけてみるわ」

 

 仲間たちの助言に、ラキュースの表情も少し柔らかなものになる。

 和やかな彼女たちの様子を眺めながら、モモンガは内心で『いつマーレに“緊箍児双対”を渡そうかな~』と思考を巡らせていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 深夜0時前……――

 

 定例報告会議があるため秘密裏にナザリック地下大墳墓に戻ってきたモモンガは、いつもの骸骨姿に戻って第六階層を訪れていた。

 いつもであれば時間になるまでは第九階層の自室にいることが多いのだが、今回は出迎えにきてくれたアルベドからペロロンチーノとウルベルトが第六階層にいると報告を受けたため、二人に会うために第六階層に来ていた。

 何故二人が第六階層に……? と内心で首を傾げながらも、モモンガは一人足早に第六階層の大森林の奥へと歩を進めている。

 そして歩を進め続けること数分後、漸く見えてきた見慣れた異形の背中にモモンガは眼窩の灯りを柔らかく揺らめかせた。

 

「ペロロンチーノさん、ウルベルトさん、二人とも今回は早くに帰ってきていたんですね。こんなところで何をしているんですか?」

「あっ、モモンガさん、お帰りなさい!」

「お帰り、モモンガさん」

 

 声をかけたことで二体の異形が振り返り、それぞれ挨拶を返してくれる。

 モモンガは二体の異形のすぐ傍まで歩み寄ると、彼らの更に奥へと視線を向けた。

 

「……こんなに魔獣を集めてどうしたんですか?」

「エルフたちとの交渉がうまくいきそうなので、次の段階の準備をしているんですよ。まぁ、詳しい内容はこれからの報告会議でお話ししようと思ってますので」

「そうなんですか。それにしても……、こう見るとやっぱり迫力がありますね」

「ですよね~。やっぱり数は重要だな」

「ただ、程々にはしておけよ。何事もやり過ぎは良くないぞ」

「えっ、それをウルベルトさんが言います?」

「俺は良いんだよ」

「理不尽!」

 

 転移した世界では脅威レベルである魔獣たちの群れを前に、しかしモモンガたちは大いにのんびりとした様子で言葉を交わしている。

 事実、モモンガたちにとってはこの程度の魔獣たちは敵にもなり得ないのだ。

 しかしこの世界の住人にとっては違うことをモモンガたちは既によくよく理解していた。目の前の魔獣たちは今回の計画に大いに活躍してくれることだろう。

 

「……あっ、そうだ。ウルベルトさん、これ、前に頼まれていた奴です」

「うん? ……ああ、ありがとうございます」

 

 以前ウルベルトに頼まれていたものを思い出し、アイテムボックスを呼び出して中から手のひら大の漆黒の石ころのようなものを取り出す。それは以前エ・ランテルを恐怖に陥れたカジットという男が持っていたアイテム。簡単に調べた後に“特に貴重なものではない”と断じてハムスケに投げ渡したものだった。

 『一応洗っておいたけど、ハムスケの頬袋に入っていたことは黙っておこう……』と内心考えながら、モモンガは素知らぬ振りでウルベルトにそのアイテムを手渡す。ウルベルトは礼を言いながらアイテムを受け取ると、マジマジと観察した後にふと金色の瞳をこちらに向けてきた。

 

「……そういえば、よく俺たちがここにいるって分かりましたね。誰かに聞きました?」

「ええ、アルベドが教えてくれましたよ」

「アルベドが……。……何か他に報告されました?」

「えっ? 別に何もありませんでしたけど……、何かあったんですか?」

「アルベドに任せている“ヘイムダル”の影の悪魔(シャドウデーモン)の一体からある報告があったそうなんだが……。まぁ、これからの報告会議で報告するつもりなのだろう。それについては俺にも一つ提案があるから、また会議の時に相談させて下さい」

「分かりました」

 

 “ヘイムダル”とは、ウルベルトがアルベドに命じて組織化させた密偵機関の組織名である。

 通常の総指揮官はアルベドであり、補佐役としてエントマと恐怖公がその下についている。更に彼らの下にはエントマや恐怖公の眷族である蟲たちやシャドウデーモンなどの隠密行動に長けたシモベたちがおり、彼らが主に各地に散って情報を集め、エントマや恐怖公に報告し、そしてそれをアルベドがまとめるといった形になっていた。

 とはいえ緊急時などの最終決定権はウルベルトが持っているため、それもあってアルベドはウルベルトにはいち早く報告したのだろう。

 面倒事でないと良いけど……と内心で思いながらも、口には出さずに一つ頷くだけに留める。

 暫くのんびりとペロロンチーノの作業をウルベルトと共に見守る中、不意に背後から一般メイドの一人であるシクススが静々と歩み寄り頭を下げてきた。

 

「失礼いたします。モモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様、階層守護者統括のアルベド様がお呼びでございます。定例報告会議の時刻となりましたので円卓の間にお越し頂きますようお願い申し上げます」

「……ああ、もうそんな時間か。分かった、すぐに向かうとアルベドに伝えよ」

「畏まりました」

 

 モモンガの指示にシクススは再び深々と頭を下げると、早速遂行するべく足早に立ち去っていく。

 モモンガは暫くの間その背を見送った後、次にはペロロンチーノとウルベルトを振り返った。

 

「それじゃあ、向かいましょうか。今回も気合を入れていきましょう!」

「そうですね。……ああっ、毎度のことながら緊張してきた!」

「まぁ、それには同感だがな。……はぁ、じゃあもうひと踏ん張り行きますか!」

 

 モモンガの言葉に従い、ペロロンチーノとウルベルトもそれぞれ頷いてくる。

 三人はそれぞれ気合の声を上げると、ある意味戦場と言える円卓の間へ行くべく足を踏み出した。

 

 


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