世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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今回はセバスとツアレに対して厳しめな内容になっております。
セバスのファンの方、ツアレのファンの方はご注意ください。


第42話 罪と罰

 ソリュシャンからセバスの裏切りの報告が来てから約一時間後。

 モモンガたちはすぐさま守護者たちに招集をかけ、それと共に報告者であるソリュシャンにもナザリックへの帰還を命じた。

 彼らが集っているのはナザリック地下大墳墓第九階層にある円卓の間。

 モモンガとペロロンチーノとウルベルトはそれぞれ並んで円卓の椅子に腰かけ、その左右に守護者たちが立ち、先ほどナザリックに帰還したソリュシャンだけがモモンガたちと向き合うような位置で片膝をついて深々と頭を下げていた。

 

「………良く戻った、ソリュシャン」

「はい、モモンガ様。お呼びとあらば即座に馳せ参じます」

「……では早速だが、お前が私に報告した内容をもう一度この場で報告してもらおう。今回は一から全て、何が起こり、現在どのような状況なのかまで事細かに詳しく報告せよ」

「はっ」

 

 モモンガの命令の言葉に従い、ソリュシャンは更に深く頭を下げる。

 続けて語られる報告内容は、これまで一度として全く聞いたことのないものだった。

 

 事の始まりは一週間ほど前。

 セバスがボロボロの状態の一人の人間の少女を連れ帰ったのが全ての始まりだという。

 セバスの話によると捨てられていたところを拾ってきたらしく、ソリュシャンとルプスレギナはセバスに命じられて少女の治療を行った。その後、ソリュシャンとルプスレギナは幾度となく少女の存在を至高の主たちに報告すべきだと進言したが、セバスはいろいろな理由をつけてそれを拒否。ソリュシャンとルプスレギナも、その理由の幾つかには納得したため、今までは全てセバスの判断に任せていたのだという。

 しかし、ある人間たちの来訪によって状況は一変した。

 館を訪ねてきたのはスタッファン・ヘーウィッシュと名乗る豚のような男と、サキュロントと名乗る不気味な男。この二人の男は兵の格好をした少数の人間たちを連れて現れ、本当かどうかは分からないが、リ・エスティーゼ王国の巡回使とセバスが拾ってきた少女が働いていた店の者だと名乗ってきたらしい。

 彼らの話によると、セバスは少女を拾ってきた際に店の者と思われる男にある程度の金を渡しており、それは奴隷売買にあたるとのことだった。リ・エスティーゼ王国では王女ラナーの改革により、奴隷売買や売春行為は厳しく禁じられている。そのため今回のセバスの行為は重罪にあたり、そのため多額の金額を請求されたらしい。

 しかし、そもそも拾われてきた当初の少女の状態から、彼らこそが禁じられた売春行為を行っていたことは明白である。とはいえ店の者に金を渡したというセバスの行動や少女の傷を既に全て癒してしまったことから、それらをこちら側から追及することは難しい状況だった。金を用意するという建前で何とか数日の猶予はもぎ取ったものの、状況は最悪の一言に尽きる。

 ソリュシャンとルプスレギナは事態の収束を図るために少女を彼ら人間たちに引き渡すことを提案するも、セバスはそれすらも拒否。解決策も思い浮かばすセバスは館を出ていき、ソリュシャンたちは堪りかねてモモンガに報告してきたとのことだった。

 

 ソリュシャンが一つ一つ言葉を紡ぐたびに重苦しくなっていく室内の空気。その発生源も原因も分かっているだけに、モモンガは内心ハラハラしていた。ソリュシャンも生きた心地がしないのだろう、頭を下げているため伏せられている顔がどんどん青白くなっている。

 重苦しい空気の発生源の殆どはこの場に集った守護者たちであり、彼らがその重苦しい空気を放っている主な原因はウルベルトが不機嫌そうな雰囲気を発しているためだった。

 彼ら自身、セバスの行動が不愉快だったというのも勿論あるだろう。しかし一番は、主の一人であるウルベルトが不快に思っているという事実が彼らの感情に更なる拍車をかけていた。

 このままでは非常にマズい、とモモンガは周りの空気から咄嗟に感じ取る。

 何とかこの場を落ち着かせるべく、まずはゴホンッとワザとらしく咳払いを発した。

 

「………あー、……報告をしてくれて礼を言うぞ、ソリュシャン」

「とんでもございません! 報告が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした!」

 

 モモンガの言葉に、ソリュシャンは大袈裟なまでにガバッと大きく深く頭を下げてくる。

 モモンガはソリュシャンを嗜めると、次は恐る恐る隣に腰掛けるウルベルトを見やった。

 

「あー、それで、報告は一通り聞いたわけだが……。ウルベルトさんはどう思う?」

 

 何とも要領を得ない曖昧な問いかけ。

 ウルベルトはソリュシャンからモモンガへと視線を転じると、次には小さく首を傾げてきた。

 

「……それは一体どういう意味の問いかけかね? 『セバスが我々を裏切っていると思うか?』という問いならば、私は“その可能性は低いだろう”と答えるだろう。または『これらのセバスの行動をどう思うか?』という問いならば、私は“不愉快だ”と答えるだろうねぇ」

 

 瞬間、更にこの場の空気が一気に重苦しくなる。まるでウルベルトの言葉と感情に触発されるかのように、守護者たちの感情が一気に急降下していく。

 モモンガは内心で悲鳴を上げると、慌てて逆隣に座るペロロンチーノを勢いよく振り返った。

 

「ペ、ペロロンチーノさんはどう思う!? セバスは我々を裏切っていると思うか?」

「う~ん、そうですね~……。俺も、セバスは裏切ろうとしている訳ではないと思いますよ」

 

 今度は間違えないように内容を明確にして問いかければ、ペロロンチーノも空気を読んだのか無難な返答を返してくれる。しかしこの場の空気は一向に軽くはならず、モモンガは内心頭を抱えたくなった。ウルベルトや守護者たちの気持ちも分からなくはないが、ここはもう少し冷静になってほしいと思う。

 モモンガは一度小さなため息をつくと、座っていた椅子からゆっくりと立ち上がった。

 

「私も、セバスには裏切りの意思はないように思う。しかし、それはあくまでも我々の予想に過ぎない。直接セバスに聞くのが一番良いだろう」

 

 言外に、これからセバスの元へ向かう意思を示すモモンガに、ウルベルトとペロロンチーノも一つ頷いて椅子から立ち上がる。

 しかしそれは守護者たちに慌てて止められた。

 

「どうかお待ちを! 裏切りの疑いのあるセバスに直接会うなど危険です!」

「アルベドの言う通りです! どうかお考え直しください!」

 

 アルベドとデミウルゴスが制止の言葉を発し、他の守護者たちも大きく何度も頷いてくる。

 モモンガたちに絶対の忠誠を誓う彼らからすれば当然の行動。しかしモモンガたちからすれば、どこまでも大袈裟なものだった。

 

「俺たち三人だけで行くわけじゃないから大丈夫だよ。守護者の中からも何人か同行してもらうつもりだし」

「それにセバスでは私たちには勝てないよ。もっと私たちの力を信じたまえ」

「ペロロンチーノさんとウルベルトさんの言う通りだ。そこまで心配する必要はない。そうだな……、シャルティア、コキュートス、デミウルゴス、お前たちに供を命じる。そこまで心配するのであれば、お前たちが我々を守護せよ」

「「「はっ!!」」」

 

 モモンガの言葉に、シャルティアとコキュートスとデミウルゴスが一斉に傅き頭を下げてくる。他の守護者たちやソリュシャンも表情を引き締めさせると、無言のまま跪いて頭を下げてきた。

 モモンガは一つ頷くと、これからのことに思いを馳せて一気に憂鬱になるのだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 朱金と群青が絶妙に混じり合う夕暮れ時。

 突然舞い込んできた厄介ごとに解決策を求めて街へと繰り出したセバスは、ある一つの仕事を終えて漸く館への帰路についていた。

 しかし、解決策が思いついたわけでは決してない。逆にもっと深刻な状況にあることが判明して、セバスは頭が痛くなるような思いだった。

 実はセバスは街に繰り出してすぐに複数の人間に襲われて返り討ちにしていた。その者たちに〈傀儡掌〉という特殊技術(スキル)を使って尋問したところ、彼らは八本指と呼ばれる王国に蔓延る巨大な闇組織の者であり、館に来たサキュロントという男も八本指に属する人間だということが判明した。八本指は麻薬や売春や奴隷売買といったありとあらゆる犯罪に携わっており、セバスが拾い助けた少女――ツアレは八本指が運営している娼館で働かされていたということだった。

 彼らの口から娼館の情報を掴み、時間を稼ぐという意味合いで娼館を襲撃したものの、ツアレに関する問題が全て片付いたわけでは決してない。あくまでも時間稼ぎに過ぎないだろう。

 さて、どうしたものか……と頭を悩ませながら、セバスは拠点としている館へと辿り着いた。扉の前まで歩み寄り、ふと中に気配を感じて咄嗟に動きを止める。気配を探れば、どうやらソリュシャンが扉の前に立っているようだった。一体何事かと思いながら扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた彼女の姿に、セバスは思わず驚愕に目を見開かせた。

 ソリュシャンは令嬢用のドレスではなく、ナザリック地下大墳墓のプレアデスである戦闘用メイド服をその身に纏っていた。

 

「……お帰りなさいませ、セバス様」

「ソ、ソリュシャン……、何故、その恰好を……」

「セバス様、至高の御方々がお待ちです」

「っ!!?」

 

 ソリュシャンの姿もそうだが、何より言われた言葉に驚愕の表情を浮かべる。同時に背筋に走った冷たい衝撃に、セバスは思わず冷や汗を溢れさせた。

 鋼の執事にしては珍しく驚愕と動揺を露わにするのに、しかし対峙するソリュシャンは全く変わらない。どこまでも無表情に、無感情な瞳で静かにセバスを見据えていた。

 

「セバス様、至高の御方々がお待ちです」

 

 繰り返される、全く同じ言葉。

 まるで逃げることは許されないというような彼女の声音に、セバスは力なく彼女に従う他なかった。

 いや、至高の主たちが来ている以上、逃げることなど不可能だろう。それでも気持ちは重く、セバスは鈍く感じられる足を無理やり動かしながら館の中へと足を踏み入れていった。

 ソリュシャンの案内に従い、館の奥へ奥へと進んでいく。

 辿り着いたのは応接室であり、まるでセバスの今の心を代弁するかのように目の前の扉はゆっくりゆっくりと開いていった。

 扉が開かれたことで目に飛び込んでくる室内の光景。そこには幾人もの異形がセバスを待ち構えていた。

 応接室に置かれているソファーに腰掛けているのは、漆黒の豪奢なローブを身に纏ったアンデッドと漆黒の悪魔と黄金色の鳥人(バードマン)。セバスが仕える至高の四十一人の内の三人であり、現在のナザリック地下大墳墓の主であるモモンガとウルベルト・アレイン・オードルとペロロンチーノである。

 彼らはセバスから見て左側からウルベルト、モモンガ、ペロロンチーノの順に横並びに並んで座っている。ウルベルトの横には朱色の悪魔が控えるように立っており、ペロロンチーノの横には青白い氷の武人と白皙の美少女が立っていた。

 

「遅くなりまして申し訳ございません」

 

 震えそうになる声音を必死に抑えながら深々と頭を下げる。

 誰もが無言でいる中、ただ一人モモンガだけが代表するようにセバスへと声をかけてきた。

 

「いや、構わん。連絡なしに来たのはこちらだからな。……それよりも早く中に入ってこい」

「はっ」

 

 モモンガに促され、セバスは顔を上げて室内へと足を踏み入れる。背後でソリュシャンも部屋の中に入り、扉を閉めるのが気配で感じ取れた。

 一歩一歩足を踏み出す度に強くなっていく威圧的な空気。

 殺気と敵意が綯い交ぜになっている威圧感を発しているのは、目の前に佇む守護者たちだった。

 デミウルゴスやコキュートスは一見普段と変わらないものの、シャルティアは大きく煌めく深紅の双眸をギラギラとぎらつかせている。

 セバスですら息苦しく感じられるほどに濃厚な空気に、セバスはモモンガたちからまだ少し離れた場所で足を止めた。通常であればもう少し近づいても不敬にはならないのだが、しかしこれ以上近づくことを守護者たちが許すとも思えない。彼らが発する空気が無言のままセバスに圧力をかけていた。

 

「……さて、それでは早速本題に入るとしよう。セバス、我々がここに来た理由をお前は理解しているか?」

「……はっ」

「ほう、理解しているのか……。ならば是非ともお前の口から説明してもらいたいものだねぇ」

 

 モモンガに続いて口を開いたのはウルベルト。

 外の世界に対しては悪魔としての残虐性を見せたとしてもナザリックに属するモノたちに対しては柔らかな微笑しか見せたことのないウルベルトが、今はセバスに対して皮肉気な冷たい笑みを向けている。そのことに、まるで氷の手で心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。

 ここにきて今更ながら、自分がいかに危ない橋を渡っているのかが思い知らされる。

 ソリュシャンやルプスレギナに疑問と警戒の視線を向けられた時から、自身の認識の甘さは実感していたはずだった。しかし、それすらも生温かったのだ。

 追いつめられて身動きも取れない執事に、悪魔は容赦なく更なる言葉を紡いできた。

 

「どうした、何を口を噤んでいる? それとも本当は理解していないのかな? ……ソリュシャンとルプスレギナから、お前が一人の人間の女を拾って買い取ったと報告を受けたのだが、それは事実か?」

 

 ウルベルトの言葉に、セバスは思わず開きかけた口を閉ざした。ウルベルトの話した内容は間違ってはいないが、全て正しいと言えば語弊があった。

 確かにセバスはツアレを拾って助け、ツアレを捨てた男に金を渡した。しかしその金はそもそも、このことがバレたら殺されると喚く男に対して逃走するために渡した金だったのだ。別にツアレを物のように買い取ったわけでもなければ、そういった意味合いで男に金を渡したわけでもない。

 しかし果たしてそれをウルベルトたちに言うべきなのかどうかは、セバスは判断することが出来なかった。

 

「セバス、何故黙っている? 私は事実かとお前に聞いたのだが?」

「っ!! はっ、申し訳ありません! ウルベルト様の仰る通りでございます!」

 

 ハッと我に返り、慌てて肯定の言葉を口にする。そのまま頭を下げるのに、次にかけられたのはモモンガの声だった。

 

「ふむ、なるほど……。ではもう一つ尋ねよう。何故そのことを我々に報告しなかった?」

「……それは、あの程度の事は至高の御方々にご報告するまでもないと、私が勝手に考えたためです」

 

 シーンっと静まり返る室内。守護者たちと背後のソリュシャンから敵意と殺気が溢れだし、一直線にセバスに突き刺さる。そんな言い逃れがまかり通ると思っているのか、とその視線たちは言っているようだった。

 しかしセバスには、そう言う以外の選択肢がなかった。決して裏切るつもりはないのだという証明とツアレの身の安全を確保するためには、それ以外の言葉など思いつかなかったのだ。

 永遠とも思えるほどに感じられる静寂と張り詰めていく空気。

 それらを破ったのは、不意に扉から響いてきたノック音と、それに応える悪魔の甘やかな声だった。

 

「モモンガ様、ウルベルト様、ペロロンチーノ様、失礼いたします。ご命令に従い、連れて参りました」

 

 開かれた扉から姿を現したのはルプスレギナ。

 咄嗟に振り返って扉を見やったセバスは、ルプスレギナの背後に目をやって驚愕に大きく目を見開かせた。

 頭を下げて礼を取るルプスレギナの背後に佇む一つの影。困惑と恐怖の色を浮かべたツアレが、部屋の中にいる異形たちを大きな瞳で凝視していた。

 彼女の視線の先ではモモンガとペロロンチーノが『ん……?』と小さな反応を見せていたのだが、それに気が付けないほどセバスはツアレに意識が奪われていた。

 

「……なぁ、セバス。私はお前の答えに納得がいかないのだよ。この物分かりの悪い私に、どうか説明してくれないか?」

 

 不意に、まるでセバスの意識を引き戻すかのように悪魔の声がかけられる。

 咄嗟にそちらを振り返って金色の瞳と視線がかち合った瞬間、セバスはゾクッと背筋を硬直させた。

 

「お前が我々に報告しなかったのは故意か? それとも過失か?」

「………私の勝手な判断で報告をしませんでした。今後は……――」

「違う」

 

 ウルベルトはセバスの言葉を途中で遮ると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。ルプスレギナにツアレを近くに来させるよう手振りで指示を出しながら、ウルベルト自身はセバスの元へと足を踏み出す。

 

「ウルベルト様っ!!」

 

 デミウルゴスが引き留めるように名を呼び、しかしウルベルトは後ろ手に片手を軽く挙げるだけで足を止めようとはしなかった。

 しかしデミウルゴスとて完全に退く訳にはいかない。すぐさまウルベルトの背後へと駆け寄ると、いつ何が起こっても対処できるように、ピリピリとした空気を纏って鋭い殺気をセバスへと向けてきた。

 ルプスレギナの手によってセバスの背後まで連れてこられたツアレがビクッと身体を強張らせたのが気配で分かる。

 ウルベルトはデミウルゴスの様子にもツアレの様子にも気が付いているだろうにそれを気にした様子もなく、真っ直ぐにセバスの目の前まで歩み寄るとズイッと顔を近づけてきた。怪しくも不思議な光を宿す金色の瞳が、視界いっぱいに広がってセバスの中を覗き込んでくる。

 

「私が聞きたいのはそんな言葉ではない。お前も分かっているだろう? ……お前が報告しなかったのは、あの娘の存在が我々にとって害にしかならないと分かっていたからか? それとも、本当に単純に報告する必要がないと勝手に判断したのか?」

「……それは…」

「もし本当に、単純に報告する必要がないと判断したならば、私はお前の判断能力を疑わずにはおれない。我々はお前にありとあらゆる情報を……それこそ噂話から物価、地理、その日に接した人間たちとの会話の内容など、些細な情報まで全て報告するように命じていたはずだ。加えてソリュシャンやルプスレギナからも再三我々に報告するべきと進言されていながら報告しなかったとあっては……」

 

 途中で言葉を切り、ウルベルトがやれやれとばかりに頭を振ってくる。まるで心底呆れたような仕草に、セバスは一気に血の気が引くような感覚に襲われた。

 先ほどのウルベルトの言葉は、間違いなく“用無し”や“役立たず”といった意味に他ならない。

 主から向けられた言葉に、セバスは絶望の底に突き落とされたような気がした。

 確かにウルベルトの言葉通り、もしセバスが本当にソリュシャンやルプスレギナの言葉を無視し続けて単純に報告し続けなかったのだとしたら、それは完全に役立たずである。もし他の者がそうであったなら、セバス自身も役立たずだと思ったことだろう。

 主の一人であるウルベルトに実際に言われて初めて、自分がいかに馬鹿な言い訳を口にしていたのか思い知らされた。

 

「もう一度問おう、ナザリック地下大墳墓の執事(バトラー)セバス・チャン。我々に全て報告するよう命じられ、ソリュシャンやルプスレギナから再三報告するべきと進言され、実際に問題が起こってもなお我々に報告しなかったのは何故だ?」

「……………………」

 

 セバスのピンっと伸ばされた背筋に冷たい汗が流れる。ウルベルトの問いにセバスはもはや何も答えることが出来なかった。

 ツアレを助けた時も、ソリュシャンやルプスレギナに進言された時も、スタッファンやサキュロントが訪ねて来た時も……、何が起きてもモモンガたちに報告しなかったのは全てがナザリックの気質と、報告した時に訪れるであろうツアレの運命が分かっていたからだ。

 恐らく至高の存在であるモモンガたちは、既にこのような自分の愚かな思考にも気づいていることだろう。

 もはや誤魔化すことはできず、嘘をつくなど以ての外。自分に許されているのは正直に話すことのみだと分かっているのに、背後にいるツアレの事を思えばそれもできはしない。

 至高の主に尋ねられているというのに一向に答えようとしないセバスに、この場にいるセバス以外の全てのナザリックのシモベたちが一様に殺気立ち始める。

 一触即発の空気の中、ウルベルトのため息の音が大きく響き渡った。

 

「………“誰かが困っていたら、助けるのは当たり前”、か…?」

「っ!!」

 

 不意にウルベルトの口から零れ出た言葉に、セバスは勢いよく心臓を跳ねさせた。思い出される白銀の影に息を呑み、会話どころか呼吸すらままならなくなる。

 しかし目の前にあるのは眩いほどの白銀ではなく、底のない深い漆黒の闇。

 思わず救いを求めるように縋るような目で目の前の悪魔を見つめてしまっていることに、セバス自身は全く気が付かなかった。

 そしてセバスに与えられたのは、どこまでも冷たい光を宿した金色の瞳。

 

「なぁ、セバス、一つ教えてやろう。お前のそれは決して優しさでも正義でもない。ただの甘さだよ」

「……っ!!」

 

 冷たい瞳に反してかけられた声音はどこまでも柔らかく優しく甘い。しかしその言葉はどこまでも鋭くセバスの胸に突き刺さった。

 まるで自分の存在を否定されたような……、親に見捨てられた子供のような頼りなさと底のない大きな恐怖。咄嗟に違うと否定しようとして、しかし恐怖に喉を塞がれて声すらも出てこなかった。

 硬直したまま微動だにしないセバスに、まるで彼を庇うかのように、今までずっとセバスの後ろで立ち竦んでいた少女が震える足を一歩踏み出してきた。

 

「………ち……、ちがいま、す……。セバスさま、は……そんな……っ! ほ、ほんとうに…わたし……すくわ…れ、て……!」

 

 少女にとってはとてつもなく勇気を振り絞った行動であったことだろう。

 真っ青な顔と大きく震える全身。ひどく掠れた声がそれを如実に物語っている。

 しかし彼女の行動は忠誠心厚い朱色の悪魔の怒りに大きな火をつけた。

 

「人間風情が、至高の御方に反論するなどっ! 身の程を知れっ!! 『即座に口を閉じ、その場にひれ伏せ』っ!!」

「――っ!!?」

 

 激昂する悪魔の声が言霊となって少女を縛り付ける。

 少女は驚愕と恐怖に目を見開きながら、成す術もなく口を閉じてその場に跪いた。まるで強い重力に押し潰されているかのように、少女は頭を低く垂れさせて額を地面に擦り付けている。

 

「デミウルゴスっ!? なんてことを……! 早く彼女を解放してくださいっ!!」

 

 突然のことにセバスは思わず背後を振り返って屈み込み、ツアレの肩や背中に手をやりながらデミウルゴスへと怒声を上げる。

 しかしデミウルゴスがセバスの言葉を聞くはずがない。

 無言のまま怒気と殺気のこもった視線で見下ろしてくるデミウルゴスに、セバスも強く睨み返しながら勢いよく立ち上がって詰め寄ろうとした。

 その時……――

 

「……デミウルゴス、今すぐ彼女を解放してあげてくれ」

「「っ!!」」

 

 まるでセバスを助けるかのように不意にかけられた声。

 思わずそちらへと振り返れば、今までずっと黙っていたペロロンチーノが静かにデミウルゴスとセバスを見つめていた。

 

「ペロロンチーノ様!? で、ですが……」

「良いから。今すぐ彼女を解放しろ」

「か、畏まりました……」

 

 ペロロンチーノの命に従い、デミウルゴスが戸惑いながらもすぐさま〈支配の呪言〉を解除する。

 途端に硬直させていた身体から力を抜いて震える息を大きく吐き出す少女に、セバスは再び屈み込んでその細い背を撫でてやった。

 未だ恐怖に震える少女を抱きしめるセバスと、そんなセバスに縋りつくツアレ。

 二人の様子を暫く見つめた後、ペロロンチーノはソファーから立ち上がると視線をウルベルトへと向けた。

 

「……ウルベルトさん、ちょっとやり過ぎじゃないですか? デミウルゴスのことも止めないし、セバスへの言葉も言い過ぎだと思います」

「……おやおや、私はデミウルゴスの行動は決して間違ってはいないと思いますがね。それに、私も何も間違ったことは言っていないはずです。セバスの行動はどう考えても仕方のない失敗ではなく、故意の犯行だ」

「例えそうであったとしても言い過ぎです。……ウルベルトさん、セバスはたっちさんじゃないんですよ」

「「っ!!」」

 

 ペロロンチーノの言葉に、ウルベルトとセバスが鋭く息を呑む。セバスは何故ここで自身の創造主の名が出てくるのかが分からず、しかしウルベルトは苦々しげに表情を歪ませた。ペロロンチーノの言葉に何か心当たりがあるのか、ウルベルトは腹立たしげに顔を歪めてペロロンチーノを睨み付けている。

 

「………セバスがあいつじゃないからなんだってんだ…。やってることは同じだろうがっ!!」

 

 いつもの支配者然とした優雅な口調は鳴りを潜め、今まで聞いたことのない粗野な口調でウルベルトが唸るように怒声を上げる。

 セバスは勿論のこと他のシモベたちも驚愕と困惑の表情を浮かべる中、しかしウルベルトとペロロンチーノはそれに構う様子もなく鋭い気配を纏って互いに睨み合っていた。

 

「やってることは同じでも、対応が違うでしょう。例えばデミウルゴスがセバスと全く同じことをしたとして、ウルベルトさんは今と全く同じ態度を取りますか?」

「俺のデミウルゴスはこんな馬鹿なことはしないっ!!」

「それこそ馬鹿な思い込みでしょうっ!!」

 

 瞬間、ウルベルトが牙をむいて肉食獣のような咆哮を上げ、ペロロンチーノは翼や羽毛を膨らませて猛禽類のような甲高い威嚇の声を上げた。ウルベルトの山羊の顔には毛皮の上からでも何本もの血管が浮かんでいるのが見え、仮面から伸びて口元に巻かれている深紅のベルトが牙をむく動きに従ってギチギチと小さな軋みを上げている。ペロロンチーノの方も全身の羽毛が膨らんでいるため普段の細いシルエットに反して何倍も体躯が大きくなっており、四枚二対の翼も広がって更なる威圧感が放っていた。

 鋭く睨み合い威嚇しあう二人から大きな怒気が溢れだし、部屋中を圧迫してセバスたちにも容赦なく襲いかかってくる。階層守護者であるないに拘らず、シモベたち全員が身体を硬直させて顔面を蒼白にし、全身から血の気を引かせた。絶対者二人の強すぎる圧力に呼吸すらままならない。

 シモベたち全員が恐怖のあまり気をやりそうになったその時、不意に骨が打ちあう軽い音が響いて一気に圧力が霧散された。

 

「二人とも、そこまで」

 

 骨の手を打ち鳴らして声を上げたのは、今まで黙って成り行きを見守っていたモモンガだった。

 

「……二人とも、そこまでにしておけ。二人が言い争っても仕方がないだろう」

 

 淡々と、それでいて厳かに言葉を紡ぐ様は堂々としており、対峙する者に畏敬すら抱かせる威容を放っている。

 しかし同じ絶対者である存在には関係のないものなのだろうか、同じ至高の存在であるウルベルトは少しも怯むことも恐れる様子もなく堂々とモモンガへと食って掛かっていった。

 

「モモンガさん、俺は……っ!!」

「ウルベルトさん、あなたの言い分も分かります。それでも、ペロロンチーノさんの言葉も一理あるんじゃないですか?」

「……っ!!」

 

 どこまでも静かな、それでいて鋭い言葉。

 ウルベルトは更に顔を歪ませると、まるで言葉に詰まったかのように黙り込んだ。

 モモンガとウルベルトは黙ったまま見つめ合い、先ほどまでとは打って変わり耳に痛いほどの静寂が室内に漂う。

 ペロロンチーノも腕を組んで二人を見守り、暫くの後に不意にウルベルトのため息の音が響き渡った。

 

「………少し、頭を冷やしてくる。後のことは二人で決めてくれ」

 

 先ほどまでの勢いは完全に消え去り、ウルベルトは力なく項垂れて緩く頭を振る。そのまま踵を返して扉へと向かう背に、すぐさまそれに付き従うようにデミウルゴスがウルベルトの元へと歩み寄っていった。

 しかし、それはすぐに振り返ってきた金色の瞳に止められる。

 

「……デミウルゴス、お前はここに残れ。私の代わりに全てを見届けてくれ」

「ウ、ウルベルト様……、ですが……」

「良いな?」

「……畏まり、ました……」

 

 まるで言い聞かせるような声音に、デミウルゴスが項垂れるように頭を下げる。長い銀色の尻尾も力なく垂れ下がっており、如実に今の彼の心情を表しているようだった。

 しかしウルベルトは金色の瞳をほんの少し細めるだけで何も言わず、そのまま扉へと歩み寄っていく。ソリュシャンが扉を開き、ウルベルトは彼女へと片手を軽く挙げながら扉の外へと出ていった。

 未だツアレの背を撫でてやりながらセバスは漆黒の背を見送り、扉の閉まる音と共に大きなため息の音が部屋中に響き渡る。

 反射的にそちらを振り返れば、再びソファーに腰掛けたペロロンチーノが小さく頭を振っていた。

 

「……まったく、ウルベルトさんの気持ちも分かりますけど、過剰反応しすぎですよ」

「ペロロンチーノさん……、あなたもウルベルトさんのことは言えないでしょう? ペロロンチーノさんだって、セバスが助けたのが少女ではなくて少年や男だったら、ウルベルトさんを諌める言葉自体言わなかったでしょう」

「……うっ……!」

 

 モモンガからの鋭い指摘に、途端にペロロンチーノの口から呻き声にも似た声が飛び出てくる。気まずそうな表情を浮かべて視線を逸らすペロロンチーノに、モモンガは呆れたように大きなため息を吐き出した。一度緩く頭を振り、次には気を取り直すように改めて眼窩の灯りを向けてくる。真っ直ぐにこちらを見据えてくる紅の灯りに、セバスは思わず無意識に背筋をいつも以上に伸ばしていた。

 

「……話を続けよう。セバス、私もお前の言い分をこのまま真に受けるつもりはない。改めて事のあらましと現状をお前の口から説明せよ。虚言も誤魔化しも許さん」

 

 きっぱりと言い切るその様に、セバスはもはや言い逃れはできないと悟った。先ほどウルベルトによって自身の愚かさを突き付けられた今、同じ轍を踏むわけにもいかない。

 セバスは深々とモモンガとペロロンチーノに頭を下げると、改めてツアレを拾ってからのことを説明していった。何故モモンガたちに報告しなかったのかも、包み隠すことなく正直に話していく。

 周りでは、あまりの内容にナザリックのシモベたちが敵意を濃くして殺気立ち、主からの一声さえあれば瞬時にセバスに襲いかかれるように臨戦態勢に入っている。

 しかし当の主人であるモモンガとペロロンチーノは全く態度を変えることはなかった。

 苛立った様子も呆れた様子も全くない。ただ静かにセバスの言葉に耳を傾け、話が終わった後には一言『……そうか』と零しただけだった。

 

「――……ですが、誓って至高の御方々を裏切る思いは欠片もございません!」

 

 下げていた頭を上げて言い募るセバスに、しかしそれに対するのはモモンガたち至高の主ではなく忠誠心厚いナザリックのシモベたちだった。

 

「セバス、いい加減にしたまえ。そのような言い分がまかり通ると本気で思っているのかね?」

「至高の御方々に与えられた命よりも人間の命を優先する時点で、それは許し難い大罪であり裏切り行為でありんす。……あまり調子こいたことぬかすなよ、てめぇ」

「我ラニトッテ何ヨリモ優先サレルノハ至高ノ御方々ニ関スル全テ。オ前ノ今回ノ行動ハ非常ニ許シ難イ」

 

 守護者たちがそれぞれ苦言を口にし、何も言わないソリュシャンとルプスレギナも鋭い視線を向けてくる。

 しかしそれらはモモンガが軽く片手を挙げたことによって止められた。

 

「……セバス、一つ聞きたい。そのツアレに関する情報以外に、これまで報告してきた情報は全て偽りなく包み隠さず報告していると誓えるか?」

「はい、誓います」

 

 モモンガの問いに、セバスは強く真っ直ぐにモモンガへと視線を向けながらきっぱりと言い切る。

 モモンガは暫くセバスを静かに見つめた後、次には徐にゆっくりと一つ頷いてきた。

 

「……よろしい。では、今回のセバス裏切りの疑惑と報告命令の違反については、これまでの働きと功績に免じて帳消しとし、不問とする。これに関して異論のある者はいるか?」

「俺はそれで良いと思いますよ。セバスの懸念と行動も……まぁ、理解はできますしね」

「至高の御方々がお許しになった以上、異論は一切ございません」

「デミウルゴスの言う通りでありんす。至高の御方々の言葉は絶対。私も異論などないでありんす」

「私モ異論ハアリマセン」

 

 ペロロンチーノが賛同の言葉を口にしたのを皮切りに、守護者の面々も次々と同意の言葉と共に頭を下げていく。ソリュシャンとルプスレギナも大人しく跪いて頭を下げており、一先ずは危機を脱したと感じ取ってセバスは思わず内心で安堵の息をついた。

 しかし、モモンガの眼窩の灯りがツアレに向けられたことに気が付いて、すぐさま気を引き締めさせる。

 考えてみれば、まだここではセバスの疑いが晴れて、情報を偽っていた罪を許されただけである。ツアレの存在は未だ許されたわけでも容認されたわけでもなく、次にどんな言葉がかけられるのかと思わず固唾を呑んだ。

 セバスの緊迫した心情を知ってか知らずか、モモンガは変わらぬ態度で再び口を開いてきた。

 

「では、話を次に移すとしよう。……騒ぎが起こった以上、これ以上この場に留まるのは危険を伴う。幸い王都での情報収集はほぼ終了したと判断しても良いだろう。セバス、ソリュシャン、ルプスレギナ、これより屋敷を引き払い、ナザリックへの撤退準備に入れ」

「はっ、畏まりました」

「それと、その人間の処分についてだが……。処分を決定する前に幾つかその人間に聞きたいことがある」

 

 瞬間、この場にいる全員の視線が一斉にツアレへと向けられ、彼女の細い肩がビクッと震える。縋るような視線でこちらを見上げてくるのに、セバスは無言のまま促すように一つ頷いた。細い背に手を添え、軽く押して前に数歩進み出させる。ツアレはセバスの隣まで歩を進めると、緊張と恐怖の表情を浮かべながらもモモンガへと真っ直ぐに視線を向けた。

 彼女の覚悟を感じ取ったのだろう、少しだけモモンガの纏う気配が柔らかくなる。

 

「よろしい、ではまず一つ目の質問だ。お前のフルネームは何という?」

「…ツ、ツアレ……ツアレニーニャ・ベイロン、です……」

「なるほど……。では、二つ目の質問だ。お前には妹がいるか?」

「っ!! ……は、はい……」

「……なるほど…。ふむ……」

「……モモンガさん、彼女ってもしかして……」

「……ああ、恐らくそうだろうな……」

 

 ツアレの答えを聞いた途端、モモンガとペロロンチーノが小声で話し合い始める。

 主たちの常にない様子に、セバスは勿論のこと他のシモベたちも一様に不思議そうな、或いは困惑の表情を浮かべた。ツアレも不安そうな表情を浮かべてモモンガとペロロンチーノを見つめている。

 彼女からすれば、モモンガたちが知るはずのない妹の存在を言い当てられたのだ、不安に思わない方が不思議だろう。

 セバスたちが固唾を呑んで見守る中、モモンガとペロロンチーノは暫く小声で話し合った後、漸く話が落ち着いたのか徐に会話を終えてこちらへと視線を戻してきた。

 セバスを見つめ、次にツアレを見やり、そこでやっとツアレの不安そうな様子に気が付いたようだった。

 

「……ああ、申し訳ない、無用な不安を抱かせてしまったようだな。心配せずとも、別にお前の妹の身に何かあったわけではない。お前の妹と私はちょっとした知り合いなのだよ。尤も彼女は私の正体を知らないがな……」

「君の妹は今は冒険者となって性別と名前を偽って、貴族に攫われたらしいお姉さんをずっと探しているらしいんだ。君がそのお姉さんで、こんなところでこんな風に見つかるとは思わなかったよ」

「……………………」

 

 モモンガとペロロンチーノの言葉に、しかしツアレの表情からは困惑の色が消えない。まさか大切な妹が自身を探して冒険者などという危険な身の上になってしまっていたとは夢にも思っていなかったからか、はたまた貴族に連れ去られた当時を思い出してしまったのか、その顔は青白くさえある。

 セバスが思わず彼女へと声をかけそうになる中、しかしその前にモモンガが次の言葉を口にする方が早かった。

 

「そこで、だ……。ペロロンチーノさんと相談した結果、彼女から我々に関する記憶を全て消した後に、その妹に彼女の身を引き渡そうと考えている。これに関して異論のある者はいるか?」

「「「っ!!?」」」

 

 モモンガの言葉に、この場にいるペロロンチーノ以外の全員が少なからず驚愕の表情を浮かべた。

 セバスは、その予想外の温情ある内容に。そして他の守護者たちは、害となるリスクしかない人間の女を殺さないという内容に。

 しかし驚愕の理由がどうであれ、一介のシモベでしかない身で至高の主たちの言葉に異を唱えるなど論外である。

 先ほどと同じように承知の言葉と共に頭を下げる中、しかしその言葉に異議を唱える者が現れた。

 

「………あ、……ま、まって……くださ……。わ、わたし……せばす、さま…と……いっしょ、に……っ!」

「人間風情が至高の御方の御言葉に反論するとか何様だ、てめぇっ!!」

「……ひっ……!?」

 

 瞬間、激怒したシャルティアが鬼の形相を浮かべ、ツアレが引き攣った悲鳴を上げる。腰が抜けて床に座り込んでしまうツアレに、セバスは思わず屈み込んで彼女の身体を支えてやった。思わずシャルティアに物申しそうになり、しかし寸でのところで言葉を呑み込んだ。

 シャルティアは確かに激怒しているものの、それ以上ツアレを害そうとはしてこない。至高の主たちがツアレの死を望んでいないという事実が彼女のストッパーになっていることは明白であり、ここでセバスが余計な言葉を口にすれば、逆にツアレの立場が悪くなる可能性の方が高かった。

 いくら至高の主たちがセバスを許したとはいえ、この場にいるナザリックのシモベたちがセバスを許したわけでは決してないのだ。彼らのセバスに対する印象は最悪であろうし、その状態でセバスが安易にツアレを庇えば、それこそどこの誰が揚げ足を取りにくるか分からない。

 セバスと殺気立つシャルティアが睨み合う中、今回もセバスを助けるように声をかけてきたのはペロロンチーノだった。

 

「こらこら、女の子には優しくしないといけないよ、シャルティア」

「ペ、ペロロンチーノ様!? で、ですが……」

「ペロロンチーノさんの言う通りだ。少し落ち着くがいい、シャルティア」

「モモンガ様……。も、申し訳ありません……」

 

 二人の至高の主に諌められ、途端にシャルティアがしゅんっと肩を落として顔を俯かせる。

 気落ちしたシャルティアをペロロンチーノが慰める中、モモンガの方がツアレへと視線を向けてきた。

 

「……それと、先ほどのお前の申し出だが、残念ながら唯の人間であるお前をナザリックに迎え入れることはできん。我ら“アインズ・ウール・ゴウン”は異形種のみの組織であるし、もし迎え入れること自体が可能だとしても我が友がそれを許さないだろうからな」

 

 モモンガの言葉で思い出されるのは、この部屋を出ていったもう一人の至高の主であるウルベルト・アレイン・オードルの姿。確かに彼ならば、セバスの愚行の象徴ともいえるツアレを迎え入れることを決して許しはしないだろう。

 

「それに、これはセバスへのけじめでもある。記憶を消すために一時的にナザリックへ連れてはゆくが、それはあくまでも一時的なものであると知れ」

「………は……い……」

 

 ツアレにとって“ナザリック”や“アインズ・ウール・ゴウン”が一体なんであるのかは分からずとも、モモンガの言いたい内容と自分の運命は理解したのだろう。力なく頷く彼女に憐みの感情が湧き上げってくるものの、セバスは何も言うことが出来なかった。ただこれ以上彼女の心に迷いが生じないように、肩や背を支えていた手をゆっくりと離す。

 そのまま立ち上がるセバスに、モモンガとペロロンチーノもまるでつられるようにして立ち上がった。

 

「では、そろそろ我々はナザリックに帰還するとしよう。セバス、ソリュシャン、ルプスレギナは撤退作業を行った後にナザリックに帰還せよ。……デミウルゴス、お前はウルベルトさんを迎えに行ってくれるか? 我々は一足先にナザリックに戻っているから、もしウルベルトさんがまだ頭を冷やす時間が必要だと言うなら彼に付き従うが良い」

「はい、モモンガ様。感謝いたします」

 

 モモンガの心遣いに、デミウルゴスが感謝の言葉と共に頭を下げる。

 モモンガはそれに一つ頷くと、他の守護者たちに合図を送って〈転移門(ゲート)〉を開いた。

 闇の扉の中へと次々に進んでナザリックに帰還していくモモンガたちを、デミウルゴスとセバスとソリュシャンとルプスレギナはそれぞれ深々と頭を下げて見送る。ツアレも慌てた様に頭を下げる中、モモンガたちを呑み込んで空気に溶けるように消えていった闇の扉に、漸くセバスたちは下げていた頭を上げた。

 後に残されたのは暫しの静寂。

 デミウルゴスは暫くセバスとツアレを睨むように見つめていたが、次には何事もなかったように視線を外してウルベルトを迎えに行くべく扉へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって館の屋根の上。

 応接室を出たウルベルトは、外の空気を吸うべく夜の闇に紛れて館の屋根の上に昇り、街の景色や夜空を眺めていた。

 本来ならば、いくら闇夜で薄暗いとはいえ、悪魔の姿で外に出る際は透明化を自身にかけるべきであることは分かっている。しかし今はどうにもそんな気になれず、一応周りに影の悪魔(シャドウデーモン)たちを見張りに展開させてはいるものの、ウルベルトは透明化も人化もすることなく悪魔の姿のままで屋根の上に佇んでいた。

 景色を眺めながら思い出されるのは先ほどの応接室での光景。

 頭を冷やそうと思って外に出てきたというのに、どうにも頭を離れず、心も穏やかにはなれなかった。

 先ほどペロロンチーノとモモンガに言われた言葉を思い出す。

 ウルベルトは渋い表情を浮かべて眉間に皺を寄せると、次には大きなため息を吐き出した。

 ペロロンチーノとモモンガの言う通り、自分がセバスにたっち・みーを重ねて見ていたのは事実である。しかしウルベルトがここまで苛立つのは、決してたっち・みーのことを思い出したからだけではなかった。

 たっち・みーを重ね合わせての苛立ちは精々六割程度。残りの四割は、一割がセバス自身のあまりの考えなしで甘すぎる偽善的な行動に対してであり、残りの三割は裏切られた信頼故だった。

 ウルベルトたちがセバスたちに情報収集の任務を命じたのは、セバスたちならばそれが出来るだろうと信頼したからだ。そしてソリュシャンやルプスレギナが疑念を感じながらも今までセバスの言葉に従ってきたのは、恐らくセバスに対する信頼があったからだろう。であるにも拘らず、セバスは自分たちの信頼を裏切ってツアレを優先した。例えセバス自身にそういった意図がなかったのだとしても、だからといって許せるものでは決してなかった。

 考えてみれば、セバスの行動にも不審な点が目立つ。

 ウルベルトやモモンガならば兎も角、一般的に種族問わず女に甘いペロロンチーノであれば、ツアレのことを相談すれば力になっていたはずだ。それが分からぬセバスでもなかっただろう。そうであるにも拘らずペロロンチーノにすら相談しなかったということは、つまりセバスは自分たちのことを信じてくれていなかったということではないのか。自分たちなどよりも、余程ツアレの方が優先順位が高いということなのではないのか……。

 そんな疑念や疑惑が湧き上がってきてしまい、ウルベルトはどうにも冷静になりきれないでいた。

 

 

「……ウルベルト様」

 

 不意に背後からかけられた耳障りの良い声音。

 顔でだけ後ろを振り返れば、そこには見慣れた朱色の悪魔が直立不動で立っており、片胸に手を添えて深々と頭を垂れていた。

 

「……話し合いは終わったのか、デミウルゴス?」

 

 彼がこの場にいる理由を思い浮かべ、そう短く問いを投げかける。

 デミウルゴスは下げていた頭を上げると、肯定の言葉と共にウルベルトが退室した後に繰り広げられた会話の内容を事細かに報告してきた。

 セバスの本当の行動とその理由に始まり、セバスの考えやツアレの意向と希望、最終的なセバスとツアレの処分についても詳しく話してくる。

 ウルベルトはそれらに静かに耳を傾けると、最後は『……そうか』と一言口にするだけだった。

 自分としては少々生ぬるい処分だと思わなくもないが、これが一番の落としどころだということも理解している。

 ウルベルトは一つ頷くと、踵を返して街へと背を向けた。そのまま屋根を降りて一度館の中に戻るウルベルトに、デミウルゴスも当然のように付き従ってくる。

 館の中ではセバスとソリュシャンとルプスレギナが撤収作業を行っており、ウルベルトの存在に気が付くと一様に作業の手を止めて頭を下げてきた。

 ウルベルトはそれらに片手を挙げて応えながら作業に戻るように短く声をかけると、徐にセバスの元へと歩み寄っていく。頭を下げたまま微動だにしない執事に、ウルベルトは白銀の旋毛を見つめながらゆっくりと口を開いた。

 

「……お前と人間の女の処分についてはデミウルゴスから既に報告を受けている。恐らく、人間の女の処分については私の影響も少なからずあるだろう。そのことについて、お前に謝罪するつもりはない」

 

 恐らくモモンガとペロロンチーノだけであれば、ツアレの希望――セバスと一緒にいたいという願い――も叶えられていた可能性は大いにあり得る。しかしそうならなかったということは、二人がウルベルトの意思を汲み取ったが故の結果という可能性が高かった。

 先ほども述べたように、そのことについてセバスやツアレに謝罪するつもりは全くない。

 しかし……――

 

「だが、ペロロンチーノの言う通り、お前にたっちさんを重ねて言い方がきつくなってしまったことは事実だ。……お前はあいつじゃないのにな。セバス、すまなかった」

「「っ!!?」」

 

 深々と頭を下げた瞬間、前と後ろから驚愕に息を呑む音が聞こえてくる。

 それでも頭を下げ続けていれば、次は慌てた制止の声を飛んできた。

 

「ウルベルト様、どうかおやめ下さいっ!! 至高の御方がシモベなどに頭を下げるなどっ!!」

「デミウルゴスの言う通りです! どうか頭をお上げ下さい! 元より、ウルベルト様のお怒りは尤もなもの、ウルベルト様が謝罪されることなど一切ございません!!」

 

 今回ばかりは二人仲良くアタフタするデミウルゴスとセバスに、ウルベルトはゆっくりと頭を上げながら思わず小さな苦笑を浮かばせた。ウルベルトが頭を上げたことで落ち着きを取り戻した二人に更なる苦笑を浮かべながら、二人に気付かれないように小さな息をそっと吐き出す。

 

「お前の寛容さに感謝しよう。……だが、これだけは最後に言わせてくれ。今回の件で、お前は我々からの信頼を裏切った。お前にそんなつもりはなくても、任務を命じた我々の、そしてお前を信じて付き従っていたソリュシャンとルプスレギナの信頼をお前は裏切ってしまったんだ。それだけは、肝に銘じておいてほしい」

「っ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、やはり自覚がなかったのかセバスがハッとしたような表情を浮かべてくる。

 どこまでも甘ったれた思考に少々呆れを禁じえなかったが、これ以上突っ込んでは哀れにも思えてウルベルトは開きそうになる口を閉じることにした。セバス自身も反省している様子であるため、これ以上言葉を重ねる必要もないだろう。

 そんな中、セバスに同情心でも湧いたのか、珍しくもデミウルゴスが一つの提案をしてきた。

 

「……であれば、セバスに一つ、名誉を挽回するチャンスを与えてやっては如何でしょう?」

「ほう、何か考えでもあるのか?」

「考え……というよりも、お使いというほどでしかありませんが……。実は牧場の素材について、食料が少々不足しておりまして……。今は弱った素材をミンチにして与えているのですが、中には拒否する者もおりまして……。撤退する前に麦の調達を頼めないかと思ったのです」

 

 ニンマリとした笑みを浮かべるデミウルゴスに、ウルベルトは少々反応に困ってしまった。

 それは本当にセバスのことを思っての提案なのか。はたまた『お使いくらいならできるだろう』という遠回しな嫌がらせなのか。どう解釈すべきか非常に迷い、ウルベルトは無難に“デミウルゴスも彼なりに心配しているのだろう”と半ば無理矢理納得することにした。

 

「……なるほど。確かに私やモモンガさんでは、麦を大量に買い込んでは不審がられるだろうからな。ではセバス、撤退前に小麦を大量に買い込んでからナザリックに帰還せよ。モモンガさんたちには私の方から伝えておく。今現在お前に与えている金で足りるか?」

「はっ、資金面は問題ないかと思われます。大量にということですと、一時的に倉庫を借りて溜め込もうと思いますが、そこからナザリックへの運搬はどのようにいたしましょうか?」

「いや、ナザリックにではなく直接牧場に運搬しよう。その方が手間が省けるだろうからな。運搬方法は牧場の責任者であるお前に任せるが、問題ないか?」

「はい、問題ありません。感謝いたします、ウルベルト様」

 

 最後は確認のためにデミウルゴスに問いかければ、肯定と感謝の言葉と共に頭を下げられる。ウルベルトはそれに一つ頷くと、セバスに向き直って撤収作業に戻るように指示を出した。一礼と共に作業に戻っていくセバスを見送り、次は〈無限の変化〉を唱えてワーカーのレオナールへと姿を変える。突然人化したウルベルトに、デミウルゴスが問うように声をかけてきた。

 

「ウルベルト様……?」

「……これを機会に少々王都を見て回ろうと思う。ワーカーのレオナールとして行くつもりだから供は不要だ」

「しかし、それでは御身の護りが……」

「私の影にはシャドウデーモンが何体か潜んでいるから心配は不要だ」

 

 きっぱり言い過ぎたのか、途端にデミウルゴスの長い尻尾がしゅんっと力なく垂れ下がる。しかしすぐに気を取り直したのか、先っぽが持ち上がって緩やかな弧を描いた。

 

「……それでは、私も少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「ほう、何か気になることでもあったか?」

「以前セバスから上げられた報告の中で、一つ気になったことがあったのです。これを機会に少々足を運んでみたいと思うのですが……」

「なるほど、お前がそんな風に興味を持つのも珍しいな。……構わないぞ。小麦の件も含めて、モモンガさんたちには私の方から伝えておこう」

「ありがとうございます、ウルベルト様!」

 

 嬉々とした笑みを浮かべるデミウルゴスに、片手を軽く挙げることでそれに応える。

 早速とばかりに一礼と共に去っていく朱色の背を見送りながら、ウルベルトもまた踵を返して館の奥へと進んでいく。まずはワーカーのレオナールの装備に着替えるべく空き部屋へと向かいながら、ウルベルトはモモンガに連絡を取るために〈伝言(メッセージ)〉を唱えるのだった。

 

 


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