世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

47 / 95
今回はPixiv版と少々文章が違う部分があります。
気になる方はPixiv版も見てみて頂ければと思います。


第41話 欲望の喜劇

 定例報告会議が終了して約二時間後。ナザリック地下大墳墓第九階層に存在するアルベドの自室では、アルベドを含んだ各階層守護者が揃っていた。

 今から行われるのは定例守護者会議。

 一度は各々の担当する階層に戻った守護者たちだったが、定期的に行われるこの会議のために再びこの場に集っていた。

 

「それで……、今回は何を話し合うのでありんすか? 私、ペロロンチーノ様とのお約束があるから、早めに終わってほしいのでありんすが」

 

 未だ幼さの残る少女が、少々似つかわしくないまでの濃厚過ぎる妖艶な微笑を浮かばせて問いかけてくる。それは正に恋する乙女を通り越した、情欲に支配されて興奮した一人の女の顔。

 アルベドが悔しそうな表情を浮かべてアウラとマーレに宥められる中、デミウルゴスはシャルティアを見つめながら小さく首を傾げさせた。

 

「ペロロンチーノ様との約束、ですか……。それはいつからなのかね?」

「ペロロンチーノ様は今お休みになられているから、お目覚めになったらお呼び下さるそうでありんす」

「では、時間はまだまだあるのではないかね?」

「いやでありんすねぇ、デミウルゴス。無粋なことは言わないでくんなまし。女の準備に時間はつきもの。ペロロンチーノ様からお呼びがかかるまで、この身を磨くのは当然のことでありんすえ」

「なるほどねぇ……」

 

 確かに、至高の存在の御前に侍るのに身を清めて飾り立てるのは当然のことである。

 納得の言葉と共に深く頷く悪魔に満足げな笑みを浮かべると、シャルティアは改めてアルベドを見やった。

 

「それで、今回は何を話し合うのでありんすか?」

「ゴホンッ! 今回は少しいつもと違うのだけれど……、モモンガ様から一つご命令を頂いたので、皆の意見を聞きたいと思うの」

「モモンガ様からご命令!?」

「ぼ、僕たちの意見って、なんのご命令なんですか?」

 

 アルベドを宥めていた闇森妖精(ダークエルフ)の双子が一番に疑問の声を上げてくる。彼らの様子に気を取り直したのか、アルベドは柔らかな微笑を浮かばせた。

 

「二人とも落ち着いて。今、モモンガ様からの御言葉を伝えるわ。『役職に応じた給金を与える計画を立てている。その給金を使って、お前たちが買いたいものを提示せよ』とのことよ」

 

 途中、モモンガの声真似をしながらモモンガからの命令を伝えてくるアルベドに、他の守護者たちは一様に驚きにも似た声を上げた。あるモノはその慈悲深さに感銘の声を上げ、あるモノは恐縮して否定の言葉を上げる。しかしそれらはアルベドが打ち鳴らした手の音によって一斉に遮られた。

 

「はい、そこまで! 皆が全員同じ思いであることは、わたくしも確信しているわ。でも、至高の御方々の御言葉は絶対。ならば、わたくしたちがどのように考えていようと、アイデアを出すべきでしょう?」

 

 守護者統括であるアルベドの言葉は正しい。

 ナザリックにおいて至高の存在の言葉は絶対であり、例え黒であるものも至高の存在が白だと言えば、それは白になるのだ。ならば、自分たちがどう思おうともそれが至高の主の意思なのであれば、それに従うのが当然のことである。

 しかし、とはいえ欲しい物があるかと問われれば……。

 

「欲しい物……。……う~ん、別にないかな~」

「ないですねぇ……」

「ないでありんす」

「無イナ」

「な、無いと思います……」

 

 彼らの言葉は一様に『無い』の一言のみだった。

 元より、彼らナザリックのシモベたちにとって至高の存在たちに仕えることは本能に等しく、存在意義であり、またそれ自体が至福でもある。彼らがそれ以上を望むはずもなく、また別に言い換えれば、至高の存在に仕える以上のことを望むようには出来ていなかった。それを思えば、彼らの意見も納得できるものだろう。

 しかし、ここにはそれを許さないモノがいた。

 

「もう、それでは話が終わってしまうじゃない! モモンガ様は欲しい物を提示するよう命じられたのよ! 何かアイデアを出すことを務めと知りなさい!」

 

 ぴしゃりっと叱りつけるさまは、正に守護者たちのまとめ役たる守護者統括に相応しい凛とした佇まいである。

 守護者たちは顔を見合わせると、う~ん……と各々で考え込んだ。

 しかし、他者に言われたからといってすぐに良い案が出るものでは決してない。

 アウラは諦めのため息を零すと、次には助けを求めるようにアルベドを見上げた。

 

「う~ん、思いつかないな~……。アルベドは何かないの?」

「わたくし? そうね……。ならば、服とかはどうかしら?」

 

 まるで名案を思い付いたかのようにアルベドが明るい笑みを浮かべてくる。

 しかしシャルティアはゆったりと小さく首を傾げさせた。

 

「ペロロンチーノ様がご用意された服が大量にあるから、私は服はいりんせんわ。ドレスにナース、メイド、バニー、セーラー、レオタード、スクール水着、体操服、ブレザー……。他にも尻尾とか耳とかもありんすえ」

 

 シャルティアが述べていったものはどれもが非常にマニアックなもので、それだけでペロロンチーノの変態ぶりが窺える。もしこの場にモモンガやウルベルトがいたなら、非常に白い目でペロロンチーノを見たことだろう。しかしこの場にいる守護者たちが浮かべたのは呆れでも軽蔑した表情でもなく、シャルティアに対する羨みの表情だった。

 

「それは羨ましいわ。わたくしはこの白いドレスを数着持っているだけ……。下着類だけは結構あるのだけれど……」

「あたしたちも、多分そんなにはないかな~。……でも、アルベドって服そんなに持ってないの? それなら、あたしたちの服着てみる? 魔法がかかっているから誰でも着られるし!」

「き、着ぐるみ系もありますよ!」

 

 アウラとマーレの嬉々とした申し出に、しかしアルベドは曖昧な笑みを浮かべるだけに留めた。彼女たちの申し出は有り難いものではあったが、しかし果たして彼女たちの服がアルベドに似合うかと言えば、それは大いに疑問の残るものだった。

 コキュートスも混ざり、守護者たちが服について真剣に意見を交わし合う。

 そんな中、ただ一人デミウルゴスだけが、会話には混ざらずに彼女たちの様子を見守っていた。

 悪魔の顔に浮かんでいるのは、少し不自然に強張った真面目顔。デミウルゴスは唇を引き結びながら、ニヤけそうになっている顔を必死に引き締めさせていた。

 実は、つい先ほどの定例報告会議の終了直後、デミウルゴスはウルベルトから魔王用にと新しい服について声をかけられていた。『魔王用に作っていた服が漸く出来たから、後で取りにくるように』と、そう命を受けたのだ。ウルベルトからしてみれば必要な物を用意してくれただけなのだろうが、しかしそれでもデミウルゴスにとっては最大の喜びだった。他のシモベたちにとっても、至高の主から何かを賜ることは最大の喜びと言えるだろう。

 デミウルゴスは必死に表情を引き締めさせながら、この事は決して彼女たちには言うまいと心に誓った。

 遅かれ早かれ彼女たちにバレるとしても、今この瞬間に言うべきことではないだろう。

 

 

「――……ねぇ、デミウルゴスもそう思うよね?」

「っ!! あ、ああ…、そうだね。私もスーツくらいしか持っていないので、他の衣装も確かに欲しいところですね」

 

 唐突にアウラから声をかけられ、デミウルゴスは慌てて彼女に話しを合わせる。幸いなことにアウラたちには一切疑われることはなく、彼女たちの話は次へと流れていった。

 服は候補に上げられ、次に提示されたのは“人間”。

 シャルティアから提示されたその案に、デミウルゴスも無言で一つ頷いた。

 確かに“人間”はナザリックのモノたちにとって食用や玩具用など、用途が多数あって欲しいと思うモノも多くいた。チャックモールやニューロニストやエントマ、そしてデミウルゴスもまた、様々な用途でほしいと思っているモノの一人である。他にも、第六階層の領域守護者である餓食狐蟲王なども、近頃“巣”が足りないと嘆いていたはずだ。

 他の守護者たちもシャルティアの案に同意を示し、“人間”も当然のように候補として受理された。

 他にも転移世界特有の武器や防具。中には蜥蜴人(リザードマン)のペットであるヒュドラがほしいという案が出てちょっとした騒動になったものの、粗方案はまとまりつつあった。

 彼女が余計な案を出す、この時までは……――

 

 

「………『ペロロンチーノ様の添い寝券』」

「「「っ!!?」」」

 

 ポツリとシャルティアの口から小さく零れ出た一つの言葉。それは予想以上に守護者たちに絶大な攻撃力を発揮した。

 呟いた本人であるシャルティアは興奮したように白皙の頬を薔薇色に染め上げており、アルベドも驚愕に息を呑んだとほぼ同時に見開いた黄金色の双眸を爛々とギラつかせ始める。他の面々も彼女たち程興奮を露わにすることはなかったが、敬愛する至高の主と共に過ごせる権利という名の商品に、知らず生唾を呑み込んでいた。

 

「そ、それは! 確かに、欲しがるモノが数多くいることに間違いはないわ! ええ、そうよ! ペロロンチーノ様に限らず、モモンガ様やウルベルト様とだって!! 誰もが欲しがるわっ!!」

「正ニ……! シカシ、値段ナドツクノカ? 至高ノ御方々モ流石ニゴ自身ノ添イ寝ノ権利ニ値段ヲ付ケルノハ戸惑ワレルノデハナイカ?」

 

 コキュートスの意見にデミウルゴスも同意して一つ頷きかけ、しかしその途中で首を傾げさせた。

 確かにモモンガやウルベルトが困惑する様子は容易に想像できる。しかし、ペロロンチーノの場合は嬉々として了承する姿が頭に浮かんでくるような気がした。

 これは一度保留にした方が良いのではないかという考えが頭を過ぎる。

 しかしその一方でデミウルゴス自身もその権利が非常に魅力的に感じてしまい、中々その言葉を口に出せずにいた。

 だから、だろうか……。

 

「でもさ~。だからと言って、あたしたちが勝手に値をつけるのは至高の御方々に対して失礼じゃない?」

「……では、参考までに各位が値段を提示してゆくオークション方式で仮の金額を決定したらどうだろう?」

 

 戸惑いながらも苦言を口にするアウラに、デミウルゴスは助け舟を出すように解決策を口にしていた。

 とはいえ、一口に“オークション方式”と言っても、細部を詳しく取り決めなければ何事も成り立たないものだ。疑問や提案を各々口にしてくる守護者たちに、デミウルゴスもまた解決策などを提案しながらルールを構築していった。

 

「……ねぇ、デミウルゴス。でもこれって、あくまでも参考の値段を決定するものでしょう? なら、わざと低い値段を付けるという選択肢も出てきてしまうのではないかしら。だって、あまりに高い値段を付けてしまうと、買えなくなってしまうのでしょう?」

 

 アルベドもまた、浮かんできた疑問を口にしてデミウルゴスへと問いかける。途端に非難するような視線が周りから向けられるが、しかしアルベドにとってはそれが一番心配なことだった。

 確かにわざと低い値段を出すなど、至高の主たちに対して非常に失礼なことだ。主たちを軽視していると誤解される危険性も十分にある。しかしそれと同時に、先ほど彼らも述べた様に『主たちと共に過ごせる権利』という名の商品は、誰もが喉から手が出るほどに欲するものなのだ。その権利を今後自身が手に入れるために、わざと手が届くほどの金額に留めようと考えるモノが出てきたとしても決して不思議ではなかった。

 

「そうですね……。ならば、最高金額を提示した人物にメリットを設ければ良いのではないかな」

「……? ソレハ、ドウイウ意味ダ?」

「つまり、サンプルを御方々に提示してもらうのだよ。添い寝と一口に言っても、どこまでが範囲なのかは各々で意見が分かれるところだろう?」

「頭なでなでまでが、添い寝でありんす!」

 

 デミウルゴスの言に、すぐさまシャルティアが食って掛かってくる。

 これだけは譲れないとばかりに鼻息荒く言ってくる吸血姫に、しかしそれに異議を唱えるモノがいた。

 

「いぃ~え……。アウラやマーレが知らなくていいことまでするのが、添い寝よ……」

 

 異議を唱えたのは、粘つくほどの情欲を溢れださせた一人の淫魔(サキュバス)

 その目は爛々と輝き、その表情は妖艶でいて肉食獣のようである。

 彼女に添い寝を許せば御方が大変なことになる……と、この場にいる誰もが瞬時に確信を持った。シャルティアなどはペロロンチーノのこともあるため、アルベドに手を出させてなるものかとばかりに殺気立っている。

 しかし、デミウルゴスの提案はそれを回避させる物でもあった。

 

「……アルベドノ意見ハ、普通ニアウトダナ」

「そうですね、私もそう思います……。と、ゴホンッ! つまりですね、こういった食い違いが起こらないようにするためにも、最低ラインを決める必要があります。そのために、御方々のご意思でその商品を提供して頂こうと思うのですよ。つまり今回、最高価格を提示した人物には、その試供品を堪能してもらうと言う訳です。これなら、金額の競争も起こると思うのだよ」

 

「……し、試供品を……!」

「た、堪能……っ! くふぅぅ――――っ!!」

 

 何を想像したのか、シャルティアは息も絶え絶えになり、アルベドも変な奇声を上げる。

 瞬間、デミウルゴスはこの提案は不味かったかもしれない……とすぐさま思い至って後悔した。

 彼の頭に浮かんだのは自身の創造主の姿。

 彼女たちの相手がペロロンチーノであればまだ良い。彼の御方は非常に女性好きであるし、恐らく二人に迫られたとしても嬉々として応えるか、或いは上手い具合に躱すことだろう。相手がモモンガであったとしても、彼の御方は至高の四十一人のまとめ役を務められていたという実績があり、そう心配することはないだろうと判断できた。

 しかし自身の創造主であるウルベルト・アレイン・オードルに関してだけは、デミウルゴスも彼女たちの好きなようにさせるわけにはいかなかった。

 彼の方が望まれて積極的であるのならばまだしも、そうでない以上、彼の方を彼女たちの毒牙にかける訳にはいかない!

 妙な使命感に突き動かされながら、デミウルゴスは彼女たちの暴走を阻止すべく、慌てて再び口を開いた。

 

「あー、盛り上がっているところ申し訳ないのだけれどね……。念のため、最高金額の限度額も決めておこうと思うのだが、どうだろう?」

「最高金額の、限度額……?」

 

 デミウルゴスからの提案に、誰もがキョトンとした表情を浮かべる。アウラやマーレなどは大きく首を傾げており、デミウルゴスは更に詳しい説明をすることにした。

 

「最高金額の限度額、というと少し語弊があるかもしれないね……。つまり、各位の持ち金額を決めておこうと言う訳だよ。例えば各位の持つ金額を100万までと設定しておけば、試供品の権利欲しさに度を越した滅茶苦茶な金額を出すモノもいなくなるだろう? また、その方が参考の金額としてより説得力のある金額になると思うのだよ」

「でもそれだと、全員が100万って提示しちゃうんじゃない?」

「そうならないために、二つほど追加で提案があるのだがね……」

 

 興味津々とばかりに向けられる多くの視線に、デミウルゴスは一つ二つと順に人差し指と中指を立てながら説明をしていった。

 デミウルゴスが追加で提案したのは、商品の追加と、一つの商品に提示する金額の回数だった。

 商品の追加に関しては言葉通り、オークションに出す商品を増やすという意味だ。今オークションに出ているのは『ペロロンチーノ様の添い寝券』の一品のみ。つまり、それに加えて更に守護者たち全員が至高の主たちにお願いしたいものを二つずつ提示し、それを商品としてオークションに出すというものだった。

 次に提示する金額の回数についてだが、これは一つの商品に対して金額を提示する回数を二回に増やすというものだった。当然、二回目に提示する金額は一回目に提示した金額よりも高額を提示しなくてはならない。

 これらを導入すれば、よりオークション方式とする意味合いも深まり、アルベドやシャルティアの無茶振りも防ぐことが出来ると思われた。

 

「……あ~、なるほどね~……。うん、その方が良いかもね……。あたしはデミウルゴスの意見に賛成だよ」

「ぼ、僕も、えっと、そのぉ、それで大丈夫です」

「私モ問題ハナイ」

 

 デミウルゴスの意図に気が付いて、アウラがアルベドとシャルティアを横目に見ながら半笑いを浮かべる。マーレやコキュートスも表情や態度自体は変わらないものの、アウラと同じくデミウルゴスの意図に思い至ってすぐさま賛同してきた。アルベドとシャルティアは何かを考え込んでいるのか無言のままだったが、デミウルゴスは反論がない(イコール)賛成していると受け取って、さっさと話を進めることにした。

 

「では、それで決まりですね」

「でもさ~。それだと、私たちの持つ金額は何円で設定するの? 100万?」

「そうですね……。アルベド、モモンガ様より給金について詳しい金額などは聞いていないのですか?」

「……ええ、伺っているわ。わたくしたちに支給される年収は1500万だということよ」

 

 デミウルゴスからの問いかけにアルベドが答えるまでに、数秒間の間が空く。少し不自然にも感じられるその間に、しかしデミウルゴスは小さく反応しながらも彼女に何かを言うことはなかった。彼女が何故間を開けたのか、その理由にある程度想像がつくため、取り立てて追及しなくてもいいだろうと判断する。

 

「なるほど。では1500万でするとしようか」

「あ、あの、えっと、金額じゃないといけないですか? その、1500ポイントの方が、分かり易いと思うんですけど」

「う~ん、確かにね……。あたしもマーレに賛成かな。金額ですると、誰かさんがすっっっごい細かい数字を出してきそうだし」

 

 半笑いを浮かべたまま意味深な視線をアルベドに向けるアウラに、しかしアルベドは我関せずとばかりに無言のまま澄ました表情を浮かべている。アウラがやれやれと軽く両手を上げて頭を振るのに、デミウルゴスも小さな苦笑を浮かばせた。

 

「よし、ではポイント制にして、上限を1500ポイントとしよう。……念のため、ルールを改めて確認しようか」

 

 デミウルゴスは周りを見回すと、改めてこれまで構築していったオークション方式のルールを一つ一つ確認していった。

 一つ、各位は1500ポイントを持ち、それを使ってオークションを行う。

 一つ、一つの商品にポイントを提示する回数は二回である。

 一つ、二回目に提示する金額は、一回目に提示された最高金額よりも同等以上を提示しなくてはならない。

 一つ、万が一同額落札者がいた場合は、落札数が少ない方が優先される。

 一つ、オークションに出品される商品は、最初に出た『ペロロンチーノ様の添い寝券』を含めた全十三品である。

 

 

「皆、問題ないかな?」

「ええ、問題ないわ」

「問題ないでありんす」

「うん、あたしも大丈夫かな」

「は、はい。ぼ、僕も、大丈夫です」

「私モ問題ハナイ」

 

 デミウルゴスの確認に、守護者全員がしっかりと頷いてくる。デミウルゴスも一つ頷くと、改めて再び口を開いた。

 

「では、これでやってみようか。……ところで、折角オークション方式にしたのだからオークショニアとして公平な第三者を呼ぼうと思うのだが、どうかな?」

「別に良いと思うけど……、誰を呼ぶつもりなの?」

「プレアデスの誰かをと考えているのだが……」

 

 途中で言葉を切り、デミウルゴスは考え込むように小さく顔を俯かせた。他の守護者たちも今ナザリックにいるプレアデスのメンバーを頭に思い浮かべ、思わず微妙な表情を浮かべた。

 

「……えっとぉ、ソリュシャンとルプスレギナはセバスと一緒に王国の王都にいるんだよね」

「ナ、ナーベラルさんは、えっと、あの、エ・ランテルにいる筈です」

「ユリハ確カ帝国ニイルノダッタナ」

「とすると、残ったのはシズとエントマでありんすね。……二人とも、あまりオークショニアっぽくないでありんすねぇ……」

 

 シズとエントマを脳裏に思い浮かべ、シャルティアがこの場にいる全員の心の声を代弁する。

 しかし、何もシズとエントマではオークショニアを務められないという意味では決してない。恐らく命じられれば卒なくこなすことはできるだろう。しかし、彼女たちの普段の様子を思い浮かべると、どうにもオークショニアっぽくないというか、向いていないと思ってしまうのだ。

 

「……なら、ペストーニャならどうかしら? 彼女なら問題なく務められると思うのだけれど」

 

 誰もが思い悩む中、アルベドも思案顔を浮かべながら一つの名を口にする。

 

「ペストーニャか……、悪くないね。ただ、彼女も忙しい身だから無理強いはしない方が良いでしょう。あと、念のためシズとエントマにも声をかけよう。ペストーニャ一人では、全てを任せるには大変だろうからね」

「そうね、分かったわ。それじゃあ、後はオークション用に使うボードとペンも用意させるわね」

 

 アルベドは一つ頷くと、素早く座っていた椅子から立ち上がった。そのまま彼女たちを呼びに行くのかと思いきや、シャルティアへと視線を向ける。

 

「シャルティア、一緒について来てくれるかしら? わたくしがペストーニャたちに取引を持ち掛けたりしていないか、あなたに保証してもらいたいの」

 

 突然のアルベドからの申し出に、シャルティアはピクッと片眉を吊り上げる。胡散臭そうにアルベドを見やり、次には小さく顔を顰めさせた。

 

「……ペストーニャなら取引なんてしないと思いんすけど……。でもまぁ、良いでありんすよ」

 

 未だ不審そうな表情を浮かべながらも、シャルティアも一つ頷いて立ち上がる。

 連れだって出ていく二つの背を見送った後、扉が閉まってから一拍後にデミウルゴスは一つ小さな息をついた。

 ここからが正念場だと、心の中で気を引き締めさせる。

 デミウルゴスは扉の向こう側に気配がないことを確認すると、のんびりとアルベドたちを待っている同僚たちへと目を向けた。

 

「……三人とも。少し話したいことがあるのだが、良いかね?」

 

 デミウルゴスの声に、アウラとマーレとコキュートスがほぼ同時にデミウルゴスへと顔を向けてくる。デミウルゴスもまた彼らを真っ直ぐ見つめると、これからのことに考えを巡らせながらゆっくりと口を開いた。

 

「君たちにぜひ協力してもらいたいことがあるんだ」

「協力? デミウルゴスがあたしたちに協力を求めてくるなんて珍しいね」

「相手が相手なのでね……」

 

 アウラからの言葉に、デミウルゴスは思わず苦笑を浮かべる。しかしすぐさま顔を引き締めさせると、改めてこの場にいる全員に視線を巡らせた。

 

「協力してほしいこととはアルベドとシャルティアの事だ。恐らく今頃、アルベドはシャルティアに協力を持ちかけていることだろう。彼女たちから至高の御方々をお守りするために、君たちにも協力してもらいたい」

 

 デミウルゴスの言葉に、誰もがキョトンとした表情を浮かべる。マーレなどは大きく首を傾げており、少し考え込んだ後、おずおずと上目遣いにデミウルゴスを見つめてきた。

 

「えぇっと、つまり……、アルベドさんはペストーニャさんにじゃなくて、その、シャルティアさんに取引を持ち掛けてるってことですか?」

「その通りですよ、マーレ」

「確かにアルベドがシャルティアにわざわざ見張るように言いだしたのは違和感があったけど……。でも、至高の御方々をお守りするためって……。アルベドとシャルティアは別に敵じゃないんだから……」

「……イヤ、デミウルゴスガ正シイカモシレナイゾ。アウラ、オ前モ先ホドノ二人ノ様子ヲ見タダロウ。特ニアルベドハ……、至高ノ御方々ノ身ガ危ウクナルカモシレン」

「う~ん、まぁ、確かに……。至高の御方々に失礼を働いちゃうかもねぇ……」

「至高の御方々がそれを望まれているのであれば、私も何も言うつもりはないのですがね……。少なくともモモンガ様とウルベルト様にとっては、今のアルベドとシャルティアは危険です」

 

 デミウルゴスの言葉に、アウラたち三人は大いに納得してしまった。納得してしまえることに、何とも言えない気持ちにさせられる。

 しかし、とはいえ彼女たちからどう至高の主たちを守るべきか分からず、アウラたちは互いの顔を見合わせた。互いに良い案がないことを表情から読み取り、言い出しっぺであるデミウルゴスへと視線を向ける。

 デミウルゴスは全員が自身に視線を向けたことを確認すると、改めて口を開いた。

 

「恐らく、アルベドはシャルティアに一つの提案を持ちかけているはずです。内容は、そうですね……。互いに利のある商品を出し合い、二人で協力し合って商品を落札していく……といったところでしょうか。今回の場合、基本的に我々が各々で落札したい商品は、自身が出した商品に限られます。自分が至高の御方々にして頂きたいことを商品として提示するわけですからね。他人が提示した商品に対して高額ポイントを提示する確率は非常に低い。となれば……、商品からオークションまで全て互いに協力し合った方がより多くの旨味があることは明白です」

「えっと、つまり、……どういうことですか?」

「ツマリ、二人トモガ共通シテ御方々ニシテ頂キタイト望ムモノヲ商品トシテ提示シ、次ハソレラヲ二人デ協力シテ落札シ合ウツモリダトイウコトダナ」

「そういうことです」

「なるほど……。でも、シャルティアなら兎も角、アルベドがそんなことするかな~。だって、これってあくまでも至高の御方々への提案に過ぎないでしょう? 至高の御方々からの印象も考えると、協力までするほどの商品も提示できないだろうしさ~。ぶっちゃけ、『ペロロンチーノ様の添い寝券』も大分ギリギリラインだろうし」

「普段のアルベドであれば、そうでしょうね。しかし、今の彼女は随分と自分の欲に呑まれているように見えます。油断は禁物でしょう」

「ふ~ん……。まっ、デミウルゴスがそこまで警戒するのも、やり過ぎだとは思うけどね」

 

 アウラの言葉に、デミウルゴスは苦笑するだけに留めた。

 確かに彼女の言う通り、いくら至高の主たちの身を案じているからといって、デミウルゴスがここまで神経を尖らせる必要はない。今回の場合、商品に提示されるものはあくまでも案に過ぎないため、ここで落札できたとしても、必ずその試供品を味わえると言う訳ではないのだ。

 しかし、何事にも万が一というものが存在する。油断は禁物だと自身にもう一度言い聞かせると、デミウルゴスは改めて三人へと視線を巡らせた。

 

「それで……、皆さんは私に協力してくれますか?」

「うん、良いよ。仕方ないから協力してあげる」

「ぼ、僕も、その、えっと、協力します」

「至高ノ御方々ニゴ迷惑ヲオカケスル訳ニハイカナイカラナ。私モ協力シヨウ」

 

 デミウルゴスの問いに、三人は快くそれに応える。デミウルゴスは満面の笑みを浮かべると、アルベドたちが戻ってくるまで綿密に計画を立てていった。

 そして、アルベドたちが部屋を出ていってから約30分後。

 ホワイトボードとペンを持ったペストーニャとシズとエントマを引き連れたアルベドとシャルティアが漸く部屋に戻ってきた。

 

「待たせたわね。それでは、早速始めましょう」

 

 先ほどまで交わしていた会話のせいか、どこまでも美しく曇りのない笑顔が何とも胡散臭く感じられる。思わずアウラがじと目になり、マーレがそわそわと身体を小刻みに揺らし、コキュートスがフシューっと冷気を吐き出す中、デミウルゴスだけがいつもと変わらぬ態度で彼女たちを招き入れた。

 アルベドとシャルティアが自身の椅子に腰かける中、シズとエントマがホワイトボードとペンと白紙のカードを各々に配り、ペストーニャが一度深々と一礼する。ペストーニャはホワイトボードとペンとカードが全て行き渡ったのを確認すると、シズとエントマが傍らに戻ってくるのを待ってから漸く犬の口を開いた。

 

「……それでは皆さま、よろしいでしょうか?」

「ええ。では、お願いするわ、ペストーニャ」

「畏まりました。それでは僭越ながら、わたくしペストーニャがオークショニアを務めさせて頂きます、わん」

 

 再び一礼するペストーニャに、守護者たちは温かい拍手でもってそれに応える。

 ペストーニャは犬の顔を上げると、まずは自身が把握しているルールと守護者たちが把握しているルールに齟齬がないかを確認し始めた。一つ一つ丁寧にルールを確認していく彼女に、守護者たちも自身の把握しているルールと違いがないか確認していく。アルベドの伝え方が良かったのか、はたまたペストーニャの把握能力が優れていたのか、確認した内容は全て間違いなく、問題ないものだった。

 

「では、早速オークションを始めさせて頂きます、わん。皆さま、オークションにご希望される品名をお手元にお配りした二枚のカードに記入をお願い致します。……シズ、あなたは書記の準備を。エントマ、あなたは守護者様方が記入されたカードを回収して下さい、わん」

「……分かった……」

「はぁ~い、了解しましたぁ~」

 

 シズが彼女たちの背後にも設置した大き目のホワイトボードに向き直る中、エントマは品名が書かれたカードを次々と回収していく。因みに『ペロロンチーノ様の添い寝券』のカードはペストーニャが一枚のカードに記入し、全てのカードを回収し終えたエントマへと渡す。

 エントマは回収忘れがないか改めて枚数を確認すると、ペストーニャを見上げて一つ頷いた。

 

「全部回収できましたぁ~」

「ではシャッフルをお願いします、わん」

「はぁ~い、シャッフルぅぅ~」

 

 エントマが着ているメイド服は指先が隠れるほどに裾が長いというのに、彼女は一切それを苦にすることなく十三枚のカードを素早くシャッフルしていく。念入りに長めにシャッフルした後、漸くその手を止めてオークショニアであるペストーニャへと差し出した。

 ペストーニャは差し出されたカードの束へと手を伸ばし、一番上のカードを一枚とる。書かれている品名を確認するべく手に持ったカードをめくって目線まで持ち上げたその時、ペストーニャは全ての動きをピタッと止めた。

 まるで石にでもなってしまったかのように微動だにしないメイド長に、周りの面々が訝しげな表情を浮かべたり小首を傾げたりしている。エントマもまた小首を傾げながらペストーニャの袖の端をクイックイッと軽く引き、そこで漸くペストーニャが再び動き始めた。まずはうろうろと守護者たちへと視線をさ迷わせ、最終的には彼らのまとめ役であるアルベドへと目を向ける。

 

「……あ、あの……アルベド様……。これには至高の御方々にして頂きたいことを書くとお伺いしていたと思うのですが……」

「ええ、そうね。何も間違ってはいないわ」

 

 ペストーニャの確認の言葉に応えたのは、どこまでも透き通った柔らかな微笑み。一見無垢で穢れ一つなく見えるその笑みに、しかしペストーニャは確信した。

 今自身が手にしているカードに品名を書いたのは彼女である、と……――

 そして、それに続くように彼女はあることを思い出した。

 守護者たちは今回至高の主たちに要望する品名を二つ(・・)提示している。つまり、今この手に持っているカードの他にも、これと同じような内容のカードがもう一枚含まれている可能性が高いということだ。

 ペストーニャは素早くエントマに向き直ると、未だ彼女が差し出すように持っているカードの束を全て取り上げた。ぺらぺらと捲り、素早く中身を確認する。そしてすべて確認した後、ペスト―ニャの心に湧き上がってきたのは大きな混乱と困惑だった。

 ペストーニャの推測では、先ほどのカードと同じような内容の品名はあと一つだけ見つけられるはずである。しかし彼女が見つけたのは、その倍以上の四枚。これは非常にマズいのではないかと判断すると、ペストーニャはまるで助けを求める心持ちで再び他の守護者たちへと視線をさ迷わせた。

 その目に朱色の悪魔の姿が映り、メイド長は迷うことなく彼に縋ることにした。

 

「申し訳ありません、デミウルゴス様。幾つか不適切だと思われる品名が混ざっているようです、わん。全部で四品……。これは本当にオークションにかけても宜しいのでしょうか……わん?」

「四品、ですか……。どれ、見せてもらえるかい?」

 

 デミウルゴスが意味ありげに品数を小さく呟き、それでいて椅子から立ち上がってペストーニャへと歩み寄る。

 

「ちょっと! どうして守護者統括であるわたくしに聞かないのよ!?」

「まぁまぁ、アルベド、落ち着いてよ~」

「ちょっ、アウラ!?」

 

 傍らで騒ぐアルベドをアウラがわざとらしく宥める中、デミウルゴスはペストーニャから問題の四枚のカードを受け取って内容を見やった。

 瞬間、デミウルゴスの動きがピタッと止まる。

 デミウルゴスは数秒間四枚のカードを凝視すると、次には大きな息を吐き出した。

 ぐるっと踵を返して足先をアルベドとシャルティアへと向けると、彼女たちへ歩を進めながらズイッと問題のカードを突き付けた。

 

「……これは一体どういうことだね?」

 

 テーブルの上に置かれた四枚のカード。

 誰もが覗き込むようにカードを見やり、瞬間、一様に各々の感想を口に乗せた。

 

「……うわぁ~……」

「これはぁ、至高の御方々に対して失礼だと思いますぅ~」

「………デミウルゴスの心配が当たっちゃうとか…。ていうか、これはありえないと思うんだけど……」

「えっと、そのぉ……」

「コレハ完全ニアウトダナ」

 

 全員が全員、否定と非難の言葉を口にする。

 デミウルゴスが再び大きなため息をつく中、ナザリックの善意とも言うべきメイド長ですら犬の顔に渋い表情を浮かべて苦言を発した。

 

「至高の御方々の玉体が目当てのような商品があるというのは、御方々を卑下するも同じだと思われます……わん」

「まぁ、それは違うわ、ペストーニャ。むしろ御方々を愛しているからこそ、その寵愛を少しでも得たいと思うのは自然なことではないかしら?」

「アルベドの言う通りでありんす」

 

 こんな時にだけ仲良く反論してくるアルベドとシャルティアに、しかし他の面々からの視線は非常に冷たい。

 デミウルゴスは問題の四枚のカードを再び手に取ると、そのまま手の中に呼び出した炎で完全に焼き尽くした。

 

「ちょっ、何をするのよ!!」

「デミウルゴス、てめぇっ!!」

 

 当然怒気を露わに声を上げてくるサキュバスと吸血姫に、しかし悪魔の表情は全く崩れない。

 こちらも大きな怒気を宿した笑みを浮かべる悪魔に、更にはダークエルフの少女と氷結の武人とメイド長も加わって、アルベドとシャルティアは彼らから説明と説教のダブルパンチを受けることとなった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……『騒々しい、静かにせよ!』」

 

 所変わって、ナザリック地下大墳墓第九階層にあるモモンガの自室。

 絢爛豪華なメインルームである居室にて、現在モモンガはウルベルトから立ち居振る舞いの指導をしてもらっていた。

 

「う~ん……、もう少し大袈裟に腕を振るった方が良いですかね……。もう一度やってみて下さい」

「大袈裟すぎるのもワザとらしくなりませんか?」

「大丈夫ですよ。むしろ自分が大袈裟に感じるほどオーバーにやった方がしっくりくる場合も多いからな。はい、もう一度」

「ぬうぅ……。……『騒々しい! 静かにぃ……っ!?」

 

 ウルベルトの言う通りに今度はもう少し大袈裟な動作で先ほどの言葉を繰り返す。しかし突然背骨に走った強い寒気に、モモンガは思わず動きを止めて声を裏返らせた。

 何が起こったのか訳が分からず、ウルベルトが小さく首を傾げさせる。

 

「どうかしました?」

「いや、今すごい寒気が……。気のせいだったんですかね……」

 

 今はもう何も感じない様子に、モモンガも首を傾げさせる。

 

「……疲れてるんじゃないか? ちょっと休憩しましょうか」

 

 ウルベルトは少し考えた後、立ち居振る舞いの練習はこれまでにして休憩するように提案した。近くの椅子に腰を下ろし、モモンガも来るように片手で手招く。モモンガはなおも納得しかねる表情を動かない骨の顔に浮かべながらも、しかし何も言うことなくウルベルトの元へと歩み寄っていった。促されるがままに、テーブルを挟んで向かい合うような形で腰を下ろす。深く背もたれに身体を預けると、はあぁっと大きな息を吐き出した。

 

「随分お疲れみたいだな、モモンガさん」

「……まだやるべきことも、考えなくちゃならないことも沢山ありますからね。ウルベルトさんとペロロンチーノさんが一緒で本当に良かったです」

「まぁ、力になれているのかは分からないけどな」

 

 モモンガからの感謝の言葉に、しかしウルベルトはひょいっと肩を竦ませた。

 ウルベルトからすれば自分の思うがままに好きなように行動しているだけであるため、今一モモンガの役に立てているか大いに疑問だった。ペロロンチーノも恐らく似たようなものだろう。

 しかしモモンガは否定するように大きく頭を振ってきた。

 

「そんなことありませんよ! ウルベルトさんもペロロンチーノさんも十分すぎるほど力になってくれていますし、二人がいるだけでもとっても心強いです! それに、お金の面だって……」

 

 途中で言葉を切ると、モモンガは再び大きな息を吐き出した。項垂れるようにテーブルへと突っ伏し、そのまま深々と頭を下げてくる。

 

「……本当にありがとうございます、ウルベルトさん」

「えっ、いや、どうしたんですか、モモンガさん?」

「いや……、ぶっちゃけウルベルトさんが稼いできてくれるお金ですっごく助かってるんですよ。ウルベルトさんがいなかったらと思うと、本当にゾッとします」

「そんな大袈裟な……。というか、そんなにヤバい状況なのか?」

 

 この世界に転移してきてからというもの、資金の管理や割り振りなどは主にモモンガが担当していた。ウルベルトとペロロンチーノは毎回手に入れた資金を全てモモンガに渡しているだけで、詳しい部分は全く把握していなかったのだ。とはいえ、そんなに切羽詰まった状況だったのだろうか……と首を傾げさせる。

 

「ナザリックの維持費は勿論必要ですし、それに加えてセバスへの追加資金やコキュートス要望のリザードマンの村への復興支援や道具の調達費用なんかもいるので、結構きつきつなんですよ」

「マジか……。でも、モモンガさんだって稼いできてるじゃないか。アダマンタイト級冒険者なんだし、一回の依頼料もそれなりに高額なはずだろう?」

 

 予想以上の切羽詰まったような状況に内心冷や汗を流しながらも、しかし一方で納得できかねる部分もあり、ウルベルトは怪訝に小さく眉根を寄せる。

 モモンガとナーベラルが扮している冒険者“漆黒”はアダマンタイト級に属しており、依頼料もそれなりに高額であるはずだ。ならば自分たちよりも余程稼いでいるのではないかと問うウルベルトに、しかしモモンガは力なく頭を横に振った。

 

「……いや、まぁ、そうなんですけど……。でも、時々ウルベルトさんの方が一回の依頼料が高い場合もあるんですよ。ほら、闘技場の出場依頼とか」

「………あー……」

 

 モモンガからの指摘に、ウルベルトは少しの間を置いて納得の声を小さく零した。

 確かに闘技場の演目出場依頼を受けた時は、それなりの高額が懐に入ってくる。しかしそれにはそれなりの仕組みがあり、モモンガの一回の依頼料よりも高額になるのも仕方がないことだった。

 

「まぁ、闘技場の演目出場依頼の場合は、試合に勝てば闘技場の賞金も追加でもらえるからな。モモンガさんは冒険者組合での依頼料だけなんだし、仕方がないんじゃないか?」

「……うぅ、それはそうなんですけど……」

 

 一応は同意の言葉を口にするものの、しかしモモンガの態度が納得していない気持ちを大いに物語っている。未だテーブルに顔を突っ伏し、肩を落として申し訳なさそうな雰囲気を全身から垂れ流していた。

 悲壮感漂うモモンガの様子に、ウルベルトは肩を竦ませながら山羊の顔に小さな苦笑を浮かばせた。

 

「そんなに気にする必要はないと思いますがねぇ。ワーカーである俺とは違って、モモンガさんは冒険者なんだから。他の冒険者たちの兼ね合いや周りの目もあるし、それを考えればどうしても受ける依頼は限られてくるんですから」

 

 ウルベルトの言う通り、名声を重視するモモンガは、同業者である他の冒険者たちの兼ね合いや周りから金にがめつい印象を持たれないために非常に細心の注意を払って行動している。何も気にせず依頼を受けられればいいのだが、モモンガの立場上そう言う訳にはいかなかった。

 

「……そうはいっても、ウルベルトさんだって依頼の半分以上を他のワーカーたちに譲ってるじゃないですか」

「まぁ、ワーカーの世界でも同業者への配慮はそれなりに必要だからな。とはいえ、闘技場の演目出場依頼は俺が独占しているようなもんだし、モモンガさんが気にするほどじゃありませんよ」

「………ぬうぅ……」

 

 ウルベルトの言い分に、モモンガが呻き声のような声を上げる。

 ウルベルトは一つ小さな息をつくと、未だ突っ伏しているモモンガの白い骨の頭をコツコツと軽く爪で叩いて顔を上げさせた。

 

「それに、モモンガさんはユグドラシルの時にずっと一人でナザリックを管理して守ってきてくれてたじゃないですか。維持費を一人で稼ぐのは大変だったでしょう? それを思えば、こんなのは安いもんですよ」

「それは……。……俺はギルマスなんですから、当然ですよ」

「なら、俺やペロロンチーノが資金を稼いでくるのも当然のことですよ。ここは俺たちの家でもあるんだから。誰がどれだけ稼いでこようが良いじゃないか。モモンガさんが俺たちやナザリックのために頑張ってくれるのが当然なら、俺やペロロンチーノがモモンガさんやナザリックのために頑張るのも当然の権利ですよ」

 

 胸を張りながら言ってのけるウルベルトに、モモンガはポカンとしたようにウルベルトを見つめる。暫く無言のままマジマジと見つめた後、次には小さな笑い声を零した。

 

「……ははっ、ずるいなぁ、ウルベルトさんは」

「フンッ、なんせ悪魔だからな」

 

 ニヤリと悪魔らしい笑みを浮かべるウルベルトに、モモンガも骨の顔に笑みを浮かべる。

 二人の間に和やかな空気が漂う中、不意にノックの音が外側から響き、こちらの返事を聞く前に扉がひとりでに開かれた。

 

「……ふわぁ~、おはようございま~す…」

 

 未だ眠そうに大きな欠伸を零しながら、のんびりとした足取りでペロロンチーノが室内へと入ってくる。後ろにはペストーニャと小さなワゴンを持った一人の一般メイドが付き従っており、モモンガとウルベルトはペロロンチーノを招き入れながらも、深々と一礼してくるペストーニャたちに小さく首を傾げた。

 

「おはようございます、ペロロンチーノさん。ペストーニャたちを引き連れて、どうしたんですか?」

「丁度廊下で会ったんですよ。モモンガさんに用事があるっていうので、一緒に来たんです」

 

 当然のように椅子に腰掛けながら説明するペロロンチーノに、一般メイドがすぐさまワゴンを寄せてくる。ワゴンの上には三種のサンドウィッチとティーセットが置いてあり、どうやら遅い朝食をここで取るつもりのようだった。

 少し羨ましそうにサンドウィッチを見つめるモモンガに、ペストーニャが静々と歩み寄ってくる。

 

「モモンガ様、アルベド様より給金の件についての書類をお持ち致しました、わん」

「ああ、あの件か。命じたのは定例報告会議の直後だというのに、もう返答を持ってきたのか」

 

 ペストーニャから恭しく差し出された数枚の書類を受け取りながら、モモンガは思わず感心した声を零す。

 ウルベルトはペストーニャの犬の顔が小さく強張ったように見えたものの、それよりもモモンガの言葉の方が気になってそちらへと意識を向けた。

 

「給金の件? 何のことだ?」

「ああ、シモベたちに給金を支払おうと考えていてな。だがナザリック内の施設は全てが無料だろう。なので、まずは彼らが何を欲しがっているのか、アルベドから守護者たちへアンケートを取るように命じていたのだ」

 

 ウルベルトだけでなく、サンドウィッチに齧り付きながらも疑問の視線を向けてくるペロロンチーノに、モモンガはこれまで一人で考えていたことを手短に説明していく。

 モモンガの話を聞くにつれ、ウルベルトとペロロンチーノが納得と呆れにも似た表情を浮かべた。

 

「……なるほど。実にモモンガさんらしい考えだ。まぁ、あいつらが給金や褒美を欲しがっているとは思えないがね……」

「でも、俺もやっぱり給金や褒美は必要だと思いますよ。彼らが何を欲しがっているのか、すっごく興味ありますし」

 

 正確にシモベたちの心情を言い当てるウルベルトと、モモンガの考えに賛同するペロロンチーノ。

 二人の意見を興味深く聞きながら、モモンガはこちらを注視してくるウルベルトとペロロンチーノにも書類の何枚かを手渡した。三人で手元の書類に目を向け、その内容に視線を走らせる。

 

「……ほう、“服”か。確かに守護者たちは大抵同じような服を着ているからな。今までとは違う服を着るのは気分転換にもなるし、尤もな意見だな」

「こっちは“武器と防具”ですね。この案を出したのはコキュートスかな」

「……おい、こっちは“人間”って書かれてるぞ。確かに人間を食べる奴もナザリックにはいるから分からなくはないが……。まずは養殖しないと無理だぞ」

「ちょっと、人間を養殖とか止めて下さいよ!」

「ふむ……。賊や、我々に敵対した人間たちを褒美として与えるのも良いかもしれないな」

 

 書かれている案に目を通しながら、それぞれ意見を交わし合う。

 これらは給金をどうするか以前に、彼らの今後の褒美について大いに参考にできるものだった。加えて、守護者たちが何を望んでいるのか明確に知ることができて、何だか楽しい気分になってくる。

 しかし不意に一つの文字が視界に入り込み、モモンガはピタッと動きを止めた。

 

「………『ペロロンチーノ様の……添い寝券』…?」

「え? なに? 俺?」

 

 いきなりの名指しに、ペロロンチーノが呆けた声を上げながらモモンガを振り返る。

 しかしモモンガはそれどころではなかった。鬼気迫る勢いで、書かれている項目に目を通していく。

 視線が動くにつれて動揺と驚愕と一種の恐怖のような感情が湧き上がってくるのは果たして気のせいなのだろうか……。

 最後まで読み終わった頃には、モモンガは呆然自失となってしまっていた。

 

「うえぇっ! ちょっ、どうしちゃったんですか、モモンガさんっ!!」

 

 突然のモモンガの急変にペロロンチーノが慌てふためく中、ウルベルトが身を乗り出してモモンガの骨の手から一枚の書類を抜き取る。ウルベルトは自身の椅子に再び腰を下ろしながら、書類に目を走らせて金色の瞳を細めさせた。

 

「なるほど……、これか……」

「一体何が書かれてたんですか!?」

 

 ウルベルトの声に反応して、ペロロンチーノが椅子から立ち上がってウルベルトの元へと駆け寄っていく。

 背後に回って書類を覗き込むと、次には仮面の奥で目を見開かせて小さく息を呑んだ。

 

「……『ペロロンチーノ様の添い寝券』に続いて、『御方と一緒に食事で“あ~ん”券』、『御方と一緒にお風呂券』、『御方と二人でお空をデート券』。他にも『椅子になって御方に座ってもらう券』なんてものもあるぞ。後は『膝枕券』に『騎獣で相乗りデート券』に……。一番マシなのは『鍛錬券』だが、この“ガチバトル希望”はちょっと無理だな。俺たちと一緒に何かをする権利が欲しいって意味なんだろうが、これはちょっと内容が濃すぎるぞ」

 

 慌てふためくことなく冷静に分析できるのは、彼が悪魔だからだろうか……。

 頭の片隅でそんなことを考えながら、ペロロンチーノもモモンガと同じく現実逃避してしまいたくなった。

 本音を言えば、ペロロンチーノ個人としてはどれも別段拒否しなくて良いものだ。ものによっては逆にウェルカムなものすら幾つかある。しかしこれらを許してしまっては鳥人(バードマン)となって強くなった欲求が暴走するような気がして、それを制御できる自信がペロロンチーノには全くなかった。

 

「………はっ……!」

 

 ペロロンチーノが現実逃避する中、モモンガが漸く我に返ったように声を上げてくる。アンデッドとしての精神抑制が作用したのかとモモンガに目を向ければ、どうやら彼が正気に戻ったのは別の原因によるものであったようだった。

 モモンガはこめかみに指を添え、何もない宙へと眼窩の灯りを向けている。

 どうやら誰かから〈伝言(メッセージ)〉が来たようで、ウルベルトとペロロンチーノは無言でモモンガの様子を窺った。

 先ほどと同じようにどんどんと様子がおかしくなっていくモモンガに、非常に嫌な予感が湧き上がってくる。

 暫くして漸く〈伝言(メッセージ)〉が終わったのか、モモンガはこめかみから指を離すと、呆然とした様子でウルベルトとペロロンチーノを振り返ってきた。

 

「………今、セバスが裏切ったと……ソリュシャンから連絡が入りました……」

「えっ!?」

「……ほう……」

 

 呆然と呟くモモンガに、ペロロンチーノが驚愕の声を上げ、ウルベルトが金色の瞳を怪しく細めさせる。

 まるでこれからのことを暗示するかのように、ウルベルトの手の中で、握られていた書類がグシャッと歪に歪んだ。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。