世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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第39話 契約

 世界が闇に染まり始めた宵の頃。

 帝都アーウィンタールの高級住宅街にて、既に人通りが殆どなくなった大きな道を一つの細い影が足早に歩いていた。

 全身を漆黒のローブで覆い、しかしローブの上でも分かる華奢な身体つきは、その人影が女であることを示している。女が放つ気配は非常に薄く、足音も微かにしか聞こえない。気配も音も全てを極力消しながら、女は住宅街の奥へ奥へと歩を進めていた。

 やがて彼女が足を止めたのは、一軒の古びた大きな屋敷。

 既に住む者も管理する者もいなくなり空き家となって久しいその屋敷へと、女は迷いのない足取りで敷地内へと足を踏み入れていった。

 向かうのは正門玄関ではなく、裏手にある使用人用の出入り口。

 女は一度注意深く周りに視線を走らせると、次には扉に手を掛けて素早く中へと滑り込んで扉を閉めた。

 中は完全な闇色に包まれ、当たり前ではあるがひどく埃っぽい。

 女は厳重に扉に鍵をかけると、見え辛い視界と呼吸し辛い空気にローブの奥で顔を大きく顰めさせた。何度か目を瞬かせ、目が暗闇に慣れるのを待つ。暫く後、漸く少しだけ見えやすくなった視界に、女は気を取り直して屋敷内へと足を踏み入れていった。

 注意深く周りを見回しながら進む中、不意に二階から小さな光が零れていることに気が付いてそちらへと目を向ける。少しの間二階を見上げ、徐に階段へと足を掛けた。

 ギシギシと軋みを上げる階段を慎重に踏み締めながら、光が漏れている部屋へと近づいていく。

 微かな光が漏れているのは階段のすぐ目の前にある部屋で、女はそちらへと歩を進めた。頑丈そうな扉の前まで辿り着き、徐に片手を挙げて控えめに扉をノックする。

 数秒後、扉が内側からゆっくりと開かれ、現れた細い隙間から仮面の男がこちらを覗き込んできた。男は女を暫く見つめ、次には隙間から姿を消して扉が大きく開かれる。

 一気に開けた視界と勢いよく溢れ出てくるオレンジ色の光に、女は少し躊躇するような素振りを見せるものの、次には意を決するように室内へと足を踏み入れた。

 女の背後で仮面の男が扉を閉める音が聞こえてくる。しかし女は背後を振り返ることなく、ただ目の前の光景に目を小さく細めさせた。

 彼女の目の前にいたのは美しい男と美しい女。

 男は室内にある二つの内一つの椅子に優雅に腰かけ、柔らかな笑みを浮かべて女をじっと見つめていた。

 蝋燭のオレンジ色の光に濡れ染まる白い髪と、モノクルに飾られた金色の瞳。浅黒い肌はオレンジ色の光によって更に色を濃くさせており、まるで男が闇の人外か何かであるかのように見せている。

 男の傍らには白皙の美貌を誇る絶世の美女が控えるように立っており、無表情のまま静かに女を見つめていた。

 

「……こんばんは、レイナース・ロックブルズ殿。このような場所にご足労いただき、ありがとうございます。さぁ、まずはお座りください」

 

 男が向かい合うような形で置かれているもう一つの椅子を示して招いてくる。

 女は……帝国四騎士“重爆”のレイナース・ロックブルズは、ゆっくりと椅子に歩み寄りながら深く被っているローブへと指をかけて勢いよく剥ぎ取った。

 長く美しい金色の髪と、長い前髪に右半分が隠された美しい(かんばせ)が姿を現す。翡翠色の左眼も露わとなり、レイナースはゆっくりと椅子に腰掛けながら睨むように鋭く男を見つめた。

 鋭い翡翠色と柔らかな金色が、宙で鋭く甘く混じり合う。

 レイナースの目前で、男は美しい顔を妖艶に微笑み歪ませた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 時は少々遡り……――

 デミウルゴスと別れたウルベルトは、一度ナザリックに戻った後にすぐに帝都アーウィンタールへと再び発った。

 ユリやニグンと合流し、次にウルベルトが向かったのは帝都の高級住宅街。

 煌びやかで大きな屋敷が並ぶこの区画は、しかし今やその殆どが無人であることをウルベルトたちは知っていた。

 元々は多くの貴族たちが住んでいたらしいが、現皇帝である鮮血帝の政策により多くの無能な貴族たちが排除され、それに伴い必然的に彼らの住んでいた多くの屋敷が空き家となった。今もなかなかに人材不足であるらしく、新たな主人を得られぬ空き屋敷が多くあるらしい。

 そんな数多くある無人の屋敷の中でウルベルトが足を踏み入れたのは、住宅街の中でも一際奥まった箇所に建てられた一つの屋敷。

 ウルベルトたちは迷いなく敷地内へと足を踏み入れると、徐に〈飛行(フライ)〉の魔法を自分たちにかけて上空へと舞い上がった。屋敷の二階部分の窓へと近づき、窓を開けて室内へと入り込む。

 中は当たり前ではあるがひどく埃っぽく、足を踏み入れたと同時にユリが大きく顔を顰めさせた。

 

「……以前掃除したというのにもうこんなにも埃が…。ウルベルト様、今すぐ綺麗にいたしますので少々お待ちください」

 

 以前この屋敷を見つけた際に使用した掃除道具一式は、隣の部屋で見つからないように保管してある。一礼と共にニグンと共に掃除道具を取りに向かったユリの背中を苦笑と共に見送りながら、ウルベルトは近くに置いてあった椅子へと歩み寄っていった。手で軽く埃を払い、そのまま深く腰掛けて足を組む。

 両手で掃除道具を握りしめながら戻って来たユリとニグンが早速掃除を始めたのを横目に、ウルベルトはほどほどにするように言葉をかけるだけに留めた。

 普通であればあまり痕跡が残るような行動は起こさない方が良いのだが、しかし多くの埃が舞っては厚く地面に積もっているような空間において、何も痕跡を残さないというのもまた無理な話である。ならばいっそのこと不自然に思われようが自分たちに繋がる痕跡を綺麗に全て消し去った方がまだマシだ。そのためウルベルトたちは敢えて自分たちが使う部屋のみ徹底的に掃除をすることにしていた。

 

 

「……ですが、この屋敷の二階の窓に鍵がかかっていなかったのは不幸中の幸いでしたね」

 

 テーブルの埃を拭き取りながら、ニグンが不意に小さく呟いてくる。

 彼の言う通り、ウルベルトたちがこの屋敷を第二のアジトとして選んだ理由は二階の窓の鍵がこの屋敷のみ開いていたからという全くの偶然からくるものだった。例え鍵がどこも開いていない屋敷しかなかったとしてもどうにか侵入方法を見つけて第二のアジトとして活用していたであろうが、しかしそうであった場合、第二のアジトがこの屋敷でなかった可能性は大いに高い。そういう意味では、ニグンの言葉通り“不幸中の幸い”と言っても間違いではないのかもしれなかった。

 

「……まぁ、確かにな。尤も、こうも埃が溜まりやすいのは考えものだがね」

 

 小さな笑みを浮かべながら、半分冗談ながらも肩を竦ませる。

 どう返答したものか測り兼ねてニグンが微妙な笑みを浮かべる中、ハイスピードで掃除をこなしている手を止めてユリが生真面目な表情でこちらを振り返ってきた。

 

「では、新たな屋敷を捜索いたしましょうか?」

「いや、この屋敷で構わないよ。それに、どの屋敷も埃問題は同じだろうからね」

 

 どこまでも真面目なユリの姿勢に思わず小さな苦笑を浮かべてしまう。とはいえ、はっきり断りを入れておかなければ本気で探しに行きかねないため、それを止めることを決して忘れてはならなかった。“やはりこの屋敷は御身に相応しくない”という進言という名の苦言を柔らかく諌めながら、みるみるうちに綺麗になっていく部屋の中で待ち人を待つ。

 掃除も無事に終わってユリが蝋燭に火をつけてから数分後、漸くノックの音と共に待ち人であるレイナースが現れ、今ウルベルトは彼女と向かい合うような形で笑みを浮かべていた。

 

 

「……まずは確認ですが、ここに来る姿を誰かに見られていたりなどはしていませんか?」

「ええ、勿論。誰にも見られないように細心の注意を払いましたわ」

「それは結構。今あなたと私たちとの繋がりがバレてしまっては、誤魔化すのも面倒ですからね」

「……………………」

「それで……、私たちがあなたをお呼びした用件は既に分かっていると思います。先日の提案への返答を聞かせて頂けますか?」

 

 睨むようにこちらを見つめてくるレイナースへと、柔らかな微笑みと共に問いかける。

 レイナースは暫く無言でウルベルトを見つめていたが、数十秒後に漸くゆっくりと口を開いた。

 

「……はっきり言って、あなた方の手を取ることを今でも迷っておりますわ。私は既に皇帝陛下と契約を交わしている身。唯のワーカーと皇帝陛下、どちらの方が私の願いを叶えられる可能性が高いのか考えれば、皇帝陛下の方が確率は高いと思わざるを得ません」

「なるほど、あなたのご意見も尤もです。……それでもここに来たということは、少しの可能性でも縋りたいという気持ちがあるからですか?」

「………否定はしませんわ」

 

 ここで初めてレイナースがウルベルトから視線を外し、目を伏せてポツリと小さく呟く。

 ウルベルトは暫くそんな彼女の様子を眺めた後、誰にも気づかれないようにそっと小さく息をついた。少しでも余裕そうに見えるように椅子の肘掛にそれぞれ両肘をつき、胸の前で両手を組み合わせる。

 

「それでは、まずはあなたの悩みの種(・・・・)を詳しく見せて頂けませんか?」

「っ!!」

「その顔の呪いが我々に解けるのかどうか……、詳しく見せてもらわねば治せる術があるかどうかも判断できないでしょう?」

 

 ウルベルト側からすれば当然の申し出。しかし女であるレイナースにとっては非常に勇気のいる言葉だった。

 誰が好き好んで醜くなった自身の姿を他人に見せたいなどと思うだろう。

 しかし理性的な彼女は、ウルベルトの申し出がどこまでも正しく、これを拒むことが自分にとってどれだけ愚かなことであるのかを理解していた。

 

「………良いでしょう。お見せします」

 

 まるで親の仇にでも挑むような形相で言ってくるレイナースに、思わず苦笑を浮かべそうになってしまう。しかしウルベルトはそれをグッと堪えると、一つ頷いて椅子から立ち上がった。レイナースへと歩み寄りながら、ニューロニストから一時回収して懐に仕舞っておいた自身の主装備の一つであるペストマスクの片仮面“知られざる(まなこ)”を取り出す。ウルベルトは着けていたモノクルを外すと、“知られざる眼”を装備して未だ椅子に腰かけているレイナースを見下ろした。どこか怯えたように瞳を揺らめかせている彼女に、意識して柔らかな笑みを浮かべてみせる。

 

「……それでは、少し失礼しますよ」

 

 一言短く断りを入れると、ウルベルトはそっとレイナースの顎に指をかけ、見やすいように上へと傾けさせた。顎を掴んでいる右手に少しだけ力を込めて顔を固定させ、左手で彼女の顔右半分を覆い隠している長い前髪をかき分ける。

 瞬間、目の前に現れた“それ”にレイナースはビクッと肩を震わせ、ウルベルトは小さく目を細めさせた。

 目前に晒されたレイナースの顔右半分は、正にひどい有様だった。

 全体的に痣のように黒く変色しており、肌自体はまるで火傷をしたかのように酷く歪で爛れたように歪んでいる。肌の至る所からは黄色く濃い膿が止めどなく溢れだし、膿特有の異臭を放っていた。

 今にも流れて零れ落ちそうになっている膿を見やり、咄嗟に懐からハンカチを取り出してそれを優しく拭ってやる。

 瞬間、まるで怯えるようにビクッと震えるレイナースに気が付いて、ウルベルトは思わず小さな笑い声を零していた。

 

「ロックブルズ殿、宜しければあなたの事を教えて頂けませんか?」

「………私の事? それに、何の意味があるというのですか?」

「どのような環境で育ったのか、この呪いをあなたに与えたのはどんな魔物だったのか、見た目以外の症状はあるのか、これまでにどんな治療を試みたのか……。一見関係のない様な情報でも、思わぬ発見があるものです。何が呪いを解く鍵になるか分からない……、そうではありませんか?」

「……………………」

 

 “知られざる眼”を発動させながら、ウルベルトはまるで幼い子供を諭すように言い聞かせる。

 ウルベルトとしては少しでも彼女の情報を手に入れて手駒にする手札を増やすために提案したことであったのだが、しかしレイナースの方はウルベルトの言い訳に納得してくれたようだった。

 目をきつく閉じながらもポツリポツリと自分のことを話しだす彼女は、正に藁にも縋りたいと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 

 レイナース・ロックブルズ。

 恐らく彼女は、もともと正義感の強い女性だったのだろう。領地や人々を守ることを誇りとし、恐らくは親族や婚約者、そして領地に住む人々のことを愛していたのだろう。

 だからこそ、裏切られた時の反動が大きく強かった。

 彼女の話によると、彼女の領地は緑豊かな場所で森も多くあったらしい。彼女に呪いをかけた魔物は森の奥地におり、虫のような姿形をしていたという。

 魔物の外見や生息地、呪いの効果などを詳しく聞きながら、該当する魔物がユグドラシルにいなかっただろうかと思考を巡らせる。

 それでいて、悲惨とも言える境遇ながらも憎しみと怒りと希望を持って生きている彼女の生き方に、ウルベルトは知らず純粋な感心を覚えていた。

 

 

「……私は…、あなたはとても美しいと思いますよ」

「っ!? ……なっ、何を、急に……!!?」

 

 まるで悲鳴のように驚愕の声を上げてくるレイナースに、ウルベルトは逃がさないように顎を持つ手に少しだけ力を加える。それでいて再び溢れて流れそうになっている膿に気が付き、ハンカチの先ほどとは違う面で再び優しく拭ってやった。

 

「……人間は、一度どん底に突き落とされた後にどういった行動を取るかで価値が決まると私は考えています。あなたは前に進むために、自分の力でここまで駆け抜けてきた。例え最初は憎しみと怒りだけの行動であったとしても、今はそうではないでしょう? そんなあなたを、私はとても美しく思いますよ」

 

 呪いを受けてからのレイナースの生き方は怒りと憎しみに囚われた親族や婚約者たちへの復讐。それを成し遂げた後も、呪いを解くためには手段を択ばないという自己中心的で苛烈なものだった。

 決して美しいと呼べるものではないだろう。

 しかし少なくとも悪魔となったウルベルトにとっては、とても愉快で、滑稽で、そして美しく感じられるものだった。

 

「私としてはそこまで卑下する必要はないと思いますがね。……まぁ、女性としては顔に呪いを受けているというのは許し難いものではあるのかもしれませんが」

 

 ウルベルトは徐にレイナースの顎から指を離すと、横に流していた長い前髪を引き寄せて彼女の顔右半分を隠してやる。

 それでいて踵を返すと、自身の椅子へと歩み寄って、そのまま深く腰を下ろした。

 

「……では、あなたが一番気になる話に戻りましょうか。率直に申し上げて、“それ”は厳密に言えば呪いではありません。そして……私たちであれば、“それ”を治すことは可能です」

 

 ウルベルトの言葉に、レイナースは呆然とした表情を浮かべる。しかしすぐに我に返ると、少し混乱した表情を浮かべながらもこちらに身を乗り出してきた。

 

「これが呪いではないというのはどういう……! い、いえ、それよりも……、本当に治すことが可能なのですか!?」

「ええ。準備する時間を頂ければ、すぐに治すことは可能ですよ」

 

 あまりにもあっけらかんと簡単そうに言ってのけるウルベルトに、レイナースは再び呆然とした表情を浮かべてくる。

 彼女にとって、それだけ衝撃的な言葉だったのだろう。

 ウルベルトは膿に塗れたハンカチをくるむように折り畳んで懐に納めながら、レイナースが我に返るのを呑気に待っていた。

 やがて再び我に返ったレイナースが勢いよく椅子から立ち上がってくる。

 

「なら早く、この呪いを……っ!!」

「それには条件があったはず。お忘れですか?」

 

 ウルベルトによって言葉を遮られ、レイナースは咄嗟に口を噤む。力が抜けた様に再び椅子に座り込み、しかし頭はめまぐるしく回転しているのだろう。

 大人しく返答を待つウルベルトに、暫くしてレイナースは睨むような視線と共にゆっくりと口を開いてきた。

 

「………良いでしょう。あなたと手を組みます」

「では……――」

「ただし! もし先ほどの言葉が虚言であった場合は、問答無用でその命を頂きますわ」

「ええ。勿論、心得ていますよ」

 

 殺気立った目で脅してくるレイナースに、ウルベルトはどこまでも穏やかで柔らかな笑みでそれに応える。

 二人は暫く無言で見つめ合っていたが、レイナースが目を伏せて視線を断ち切ったことでそれは終わりを迎えた。

 次に決めなければならないのは詳しい契約内容。

 レイナースは呪いを解いてもらう代わりにウルベルトの内通者となって動くことは決まってはいたが、その期限や詳しい行動内容までは決まってはいなかった。

 

「……とはいえ、正直に言って私を内通者にしてもあまり意味はないと思いますわ。私は機密情報はあまり触れさせてもらえませんから」

 

 その時、不意にレイナースから呟かれた言葉。

 そのあまりにも予想外の言葉に、ウルベルトは意味が分からず思わず首を傾げさせた。

 

「……? ですが、あなたは曲がりなりにも帝国四騎士の一人なのでしょう? 機密情報に一切触れないというのはあまりにも不自然ではありませんか?」

「ええ、普通はそうでしょうね。ですが、陛下は私の性格をよく理解しておりますので。今回のように部外者と手を組む可能性の高い私に、機密情報に触れさせるような愚を犯すほど陛下は甘い人間ではありませんわ」

「………私が言うのもなんですが、国を担うはずの四騎士の一人がそれでいいのですか……?」

「まぁ、私も当然だと思っておりますし……、仕方がないことだと理解しておりますわ」

 

(それもどうなんだっ!?)

 

 思わず声を上げそうになり、しかしウルベルトは寸でのところで何とか押し留まった。レイナースを裏切らせた自分が言えるようなことではないと自分に言い聞かせ、何とか平静を装う。

 どう考えても人選ミスをしたことに頭を痛めながら、しかしウルベルトは気を取り直して違う方向へと思考を巡らせた。

 

「……では、あなたの他に機密情報にも手を出せてこちらに寝返りそうな人物はいませんか?」

「探せばいるかもしれませんが……。そもそもあなた自身がこちら側に来てはどうなのですか? もう気付いていると思いますが、陛下はあなた方を手に入れたがっています。それを利用して内部に侵入し、欲しい情報を入手した方が手っ取り早いように思えますが」

 

 レイナースからの提案に、しかしウルベルトは嫌そうに顔を大きく顰めさせた。

 

「……残念ながら、その気は全くありませんね。私は自由を好むので、誰かの下につくなど願い下げです」

 

 まるで切って捨てるように言うウルベルトに、レイナースは小さく首を傾げながらウルベルトをじっと凝視してきた。その目は、どこか観察するようにウルベルトを見つめている。

 

「……まぁ、そうであれば難しいかもしれませんわね。そもそも、私はあなたにそこまでの実力があるのかも疑問なのですけれど」

 

 こちらに喧嘩を売っている……と言うよりかは、素直な感想なのだろう。

 ウルベルト自身、今の自分の姿がお世辞にも強そうに見えないことは理解している。

 とはいえ、言われっぱなしというのも性に合わなかった。

 

「これでも腕には少々自信があるのですがね……」

「あなたは魔法詠唱者(マジックキャスター)であると聞いていますわ」

「ええ、間違いありませんよ。私は魔力系の魔法詠唱者(マジックキャスター)です」

「……私は戦士ですので、それもあってあなたの強さを判断しかねる部分もあるのでしょうけれど……。あなたからは何も見えなかったとも聞いておりますわ」

「何も見えなかったとは? それに、誰がそんなことを言ったのですか?」

「……フールーダ・パラダインという人物を知っていますか?」

 

 レイナースの口から出てきた名前に、ウルベルトは思わず目を細めさせる。

 それをどう判断したのか、レイナースはフールーダ・パラダインという人物についてと、先ほどの言葉をどういった場面で口にしたのかを説明し始めた。

 彼女の語るフールーダの情報は既にウルベルトたちも知っているものばかりだったが、とはいえ知らなかった情報が全くなかったわけでも決してなかった。

 彼女の話によると、ウルベルトたちが初めてバジウッドたちに呼ばれて対面した時、隣の部屋には皇帝であるジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスとフールーダ・パラダインが控えて自分たちの会話を盗み聞いていたらしい。その際、フールーダは会話を盗み聞くだけでなく、ウルベルトたちが屋敷内を移動している時などに影から様子を窺っていたのだという。

 フールーダは自身の持つ“生まれながらの異能(タレント)”によって魔法詠唱者(マジックキャスター)が身に纏っている常人には見えぬオーラを見ることができ、それによりその人物が何位階までの魔法を使用できるかも見ることができるらしい。しかし、フールーダはウルベルトに対して何も見ることが出来なかった。彼が見ることが出来るオーラは魔力系の魔法詠唱者(マジックキャスター)のもののみであったため、もしかすれば魔力系の魔法詠唱者(マジックキャスター)ではないのかもしれないという意見が当時出たのだが、それは先ほどのウルベルト本人の言葉によって否定された。

 後考えられることは、ウルベルトが嘘をついているか、或いは探知系の能力を妨害する何らかの手段を取っているということだけ。

 しかし、どちらにせよレイナースにとっては納得できかねるものだった。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)であるかないかなど、嘘をついてもすぐにばれる様なものである。

 また、探知系の能力に対する妨害など、レイナースにとってはする意味が分からなかった。

 力を誇示し、他者に示すことは決して無駄なことではなく、逆に大いに意味があることだ。レイナース自身も、実際に自身の力を堂々と他者に示してきたのだ。

 だからこそウルベルトの行動も真実も何も見えず、ウルベルトの力を測り兼ねていた。

 しかしウルベルトにとっては知ったことではない。逆に探知系の対策をしていないなど考えられないことだった。

 

「彼のフールーダ・パラダインが私のオーラを見ることが出来なかったのは、探知妨害のアイテムを装備しているからですね。私は正真正銘の魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)ですよ」

「何故そのようなことをしているのですか?」

「私からすれば、逆に探知能力に対しての対策をしていない方が考えられませんね。戦いに身を置く以上、ありとあらゆる情報が戦況を左右します。相手に情報を渡さないのは基本中の基本ですよ」

 

 まるで生徒に教える教師のように説明するウルベルトに、しかしそれでもレイナースはピンときていないようだった。訝しげな表情を浮かべる彼女の様子に、早々に説明することを諦めて緩く頭を振る。押し黙って一つ息をつくウルベルトに、レイナースも理解することを諦めたのか、気を取り直したように新たな疑問を投げかけてきた。

 

「……それでは、実際にあなたはどのくらい強いのですか?」

「強さを言葉で伝えるのは非常に難しいのですが、そうですね……。取り敢えず、第五位階魔法まで使うことはできますよ」

「っ!?」

 

 ウルベルトの言葉に、途端にレイナースが驚愕に目を見開いてくる。その顔には『信じられない!』といった言葉がありありと浮かんでいた。それでいて何かを考え込むように神妙な表情を浮かべてくる。

 レイナースは暫く顔を顰めさせて黙り込んだ後、次にはこちらに目を向けて徐にゆっくりと口を開いてきた。

 

「………もしそれが本当なら、フールーダ・パラダインに接触することくらいはできるかもしれませんわ」

「……ほう……」

 

 彼女の言葉に、ウルベルトは小さく目を細めさせる。

 無言のまま先を促すウルベルトに、レイナースは未だ何かを考えながら言葉を選ぶように先を話し続けた。

 

「……フールーダ・パラダインは英雄の領域を超えた逸脱者であり偉大な魔法使いであるというのが世間での認識ですけれど、私からすれば魔法にとりつかれた唯の狂人ですわ」

 

 そんな言葉から始まったレイナースによるフールーダ・パラダイン解説。

 あまりの言い様にウルベルトも最初は唖然となったものだが、話を聞くにつれてレイナースの意見にも納得させられた。

 彼女の話によると、フールーダ・パラダインという男はまさしく“魔法にとりつかれた男”という言葉に相応しい存在であるらしかった。

 三系統の魔術を組み合わせた儀式魔法などによって寿命を延ばしていることはウルベルトも知っていたが、その理由は“魔法の深淵を覗くため”というもの。魔法による探究心は大したものでありウルベルトも素直に感心できるものであったが、それに続いて語られるありとあらゆるエピソードに関してはドン引きするものが殆どだった。

 東に高名な魔法詠唱者(マジックキャスター)がいると聞けば仕事を放って話を聞きに行き、西に不可思議な魔導書があると聞けば、どんな手を使ってでも手に入れて一か月以上部屋にこもり……といった具合に、“魔法”のためならば手段を択ばない度を越した行動の数々。加えて皇帝や自身の弟子の前で本性を現した時の様子を次々に語って聞かされては、否でもレイナースの評価に頷く他ない。

 正に狂人そのものであり、こちらの本性を明かしたり、第十位階どころか超位魔法まで使えることを明かしたなら、即懐柔できそうな予感がヒシヒシと感じられた。

 

 

「――……ですから、その若さで第五位階魔法まで使えるのであれば興味は持たれると思いますわ。後は、そこから上手く交流を深められれば情報を聞き出すことも、もしかすれば可能かもしれません……」

 

 何も知らぬレイナースは、ウルベルトの様子にも気づかずに自分なりの考えを語っていく。それを頭の片隅で聞きながら、ウルベルトはフールーダに手を出すべきかどうか考え込んだ。フールーダを懐柔する方法も兼ねて、一度モモンガとペロロンチーノに相談した方が良いかもしれない。

 ウルベルトは考えをまとめると、レイナースが言葉を切るタイミングを見計らって口を開いた。

 

「なるほど。あなたの言い分は良く分かりました。フールーダ・パラダインについては少し考えさせてください。取り敢えずはあなたが知り得る限りで情報を収集して私に報告して頂ければと思います」

「……では、いつまでそれを続ければ宜しいのかしら?」

「それも、フールーダ・パラダインの件と一緒にお伝えしようと思います。そうですね……、遅くても三日後までには返答をお伝えしましょう」

「………分かりましたわ」

 

 一瞬レイナースの細い眉がピクッと反応するものの、次には静かな了承の言葉が返ってくる。

 ウルベルトはそれに一つ頷くと、“知られざる眼”を外してモノクルを着け直した。“知られざる眼”を懐へ納めた後、無言のまま勢いよく椅子から立ち上がる。

 

「それでは、今夜はそろそろお暇をさせて頂きます。ロックブルズ殿も道中はどうかお気を付けください」

「……言われずとも分かっておりますわ」

 

 ウルベルトは柔らかな笑みを浮かべると、次には軽く一礼して一歩足を踏み出した。歩き始めたウルベルトに、ユリやニグンもその背に付き従う。

 ウルベルトたちはレイナースの横を通り過ぎて部屋の扉から廊下へと出ると、そのまま階段を下りて使用人用の裏口へと向かっていった。

 手で鍵を開け、そのまま屋敷の外へと出る。

 ゆっくりとした足取りで敷地内を歩きながら、自身の影に潜んでいる複数の影の悪魔(シャドウデーモン)の内の一体へと〈伝言(メッセージ)〉で命を発した。

 

『レイナース・ロックブルズが屋敷を出たら、二階の窓以外の鍵を全て閉めておけ。我々の痕跡が残らないように後始末も忘れるな』

『はっ、畏まりました』

 

 返答の声と共に、一つの気配が自身の影から消えていく。

 それに小さな笑みを浮かべると、ウルベルトはそのまま敷地内から道路へと足を踏み出していった。

 カツッカツッと靴音が高く大きく鳴り響き、静かな夜の闇に溶けるように消えていく。道の両脇には等間隔で〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の街灯が立ち並び、ウルベルトたちを闇の中から浮かび上がらせては沈ませるのを繰り返していた。

 石畳が敷き詰められて綺麗に整備された道だというのに、ウルベルトたち以外の人影は一つもありはしない。

 しかし不意に複数の視線を感じて、ウルベルトは歩いていた足を止めて視線を感じた先へと振り返った。

 視線を感じたのは、ちょうど真横に位置する屋敷の二階の窓。美しい装飾に飾られた縦長の大きな窓に、小さな二人の少女が不思議そうな表情を浮かべてこちらを覗き込んでいた。

 年の頃は大体五歳くらいだろうか。短い金色の髪に、夜の闇に暗く染まりながらも星や街灯の光にキラキラと輝く大きな瞳。恐らく双子なのだろう、二人の少女の顔立ちはひどく似通っていた。

 二人の少女はウルベルトと目が合うと、小さく首を傾げさせている。

 どこまでも無垢なその様子にウルベルトはクスッと小さな笑みを零すと、人差し指だけを立ててそっと唇の上に添えてみせた。それを見て、少女たちもまるで真似をするかのように人差し指を自身の唇に当てる。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、唇に添えていた指を離しながら少女たちから視線を外し、止めていた足を再び動かし始めた。大股で歩を進めながら、再び足元の自身の影へと意識を向ける。影に潜んでいる気配の数を確認し、再びそれらへと〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

『先ほどの屋敷について探れ。それと、先ほどの二人の少女を監視し、我々のことを口にするようなら始末しろ』

『畏まりました』

 

 ウルベルトからの命に、更に影から二つの気配が離れて消えていく。

 ウルベルトは一つ小さな息をつくと、ユリとニグンを引き連れて夜の闇へと消えていった。

 

 




レイナースの口調が分からない……(汗)
違和感などありましたら申し訳ありません………(土下座)
あと、レイナースさんの顔右側の描写はWeb版も組み合わせた捏造になります。
そしてレイナースさんに呪いをかけた魔物に関しては当小説での完全な捏造です。

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