世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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今回は息抜きと一段落の意を込めての幕間です。
意外とこういった小話を書くのも好きだったりします(笑)


幕間 アインズ・ウール・ゴウン講座

 穏やかな昼下がり。

 パシャパシャと跳ねる水の音や、わいわいと聞こえる複数の話し声。

 陽の光に眩しく輝く尻尾をユラユラと揺らめかせながら、クルシュは集落の中を突き進んでいた。

 蜥蜴人(リザードマン)が至高の軍勢“アインズ・ウール・ゴウン”に敗れて支配下に入り、早くも一週間の時が流れていた。最初はどんな悲惨な未来が待っているのかと恐怖に支配されていたが、しかしこちらの予想に反してこの一週間はとても平和に過ぎ去っている。集落にいるリザードマンたちの表情にも恐怖の色は薄れ、今までの日常が少しずつではあるが戻ってきているかのよう。クルシュは何とはなしにすれ違うリザードマンたちの様子を見つめながら、しかし寄り道などはすることなく真っ直ぐに目的の場所へと足を進めていた。

 やがて目的の建物に辿り着き、入り口部分に垂れ下がっている布を捲り上げて室内へと足を踏み入れる。

 瞬間、目に飛び込んできたリザードマンの存在にクルシュは自然と柔らかな笑みを浮かばせた。

 

「おはよう、ザリュース。気分はどう?」

 

 ザリュースは地面に胡坐をかいて座っており、手に持つ魔法武器――“凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)”の手入れをしているところだった。忙しなく動かしていた手を止め、ザリュースの鋭いながらも穏やかな双眸がクルシュへと向けられる。

 クルシュは柔らかな笑みを深めさせると、ザリュースの元へと歩み寄ってすぐ傍らに腰を下ろした。

 

「……ああ、大分良くなった。手足も自然に動くようになったし……、そろそろ外に出ても良いだろうと思う」

「そう、それは良かったわ。でもくれぐれも無理はしないでね。あなたは……一度死んで、蘇ったのだから」

「………蘇った、か……。……ああ、そうだな」

 

 二体の間に、どこかしんみりとした重たい空気が漂う。

 一週間前のリザードマンたちの命運を決める戦いで、ザリュースは他の集落の族長たちや戦士たちと共に戦い、最終的には負けて命を落としていた。しかし“アインズ・ウール・ゴウン”の支配者の一人である死の王の奇跡の力によって、ザリュースは再び命を得た。

 代償はクルシュの忠誠と、リザードマンたちの監視。

 勿論ザリュース本人には代償については話しておらず、ただ死の王から『利用価値があるから蘇らせた』ということにしてもらっている。しかし、正直に言って頭の良い彼がどこまで勘付いているか分からなかった。もしかしたらクルシュと支配者たちが交わした契約について、ある程度予想はしているのかもしれない。

 しかし幸か不幸か、蘇って間もない頃のザリュースは上手く動くことも話すことすらまともに出来ない状態だった。

 死の王の話によると死から蘇ったことによる後遺症のようなもので、時間が経てば元に戻るものではあったらしいが……。そのため、ザリュースは今日までずっと家の中で回復とリハビリに務め、恐らく精神的にも肉体的にも何かを深く考える余裕はなかったはずである。

 クルシュがこれまでのことに思いを馳せる中、ふとザリュースが口を開いたことに気が付いて意識を彼へと戻した。

 

「……そういえば、今日は“アインズ・ウール・ゴウン”の方々が来られる日だったな。クルシュも行くのか?」

「ええ、私は代表なのだから当然でしょう。それに、主だったモノは全員集まるようにとの仰せだったし……」

「そうか……。ならば、俺も共に行こう」

 

 ザリュースの言葉に、クルシュは思わず紅色の双眸を見開かせた。咄嗟にまだ外出しない方が良いと言いかけ、しかし咄嗟に口を噤んで考え直す。

 確かにザリュースは自分たちリザードマンたちの中心的な存在の一体であり、彼の調子が戻っているのであれば今回の集まりに出席する義務がある。例えば変に隠し立てして後でバレでもすれば、それこそ厄介なことになりかねなかった。

 クルシュはザリュースに気付かれないように小さく息をつくと、次には表情を引き締めさせて一つ大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザリュースとクルシュが連れだって向かった場所は、集落の中心に存在する開けた広場のような場所だった。既に多くのリザードマンたちが集まっており、中にはザリュースと同じように死の王から蘇らされたシャースーリューやゼンベルの姿もある。広場の奥には木の板を並べて造られた大きな台が設置されており、しかし未だ“アインズ・ウール・ゴウン”のモノは来ていないようだった。

 ザリュースとクルシュは思わず安堵の息を小さく吐き出すと、台の近くに立っているシャースーリューとゼンベルの元へと歩み寄っていった。シャースーリューとゼンベルも、ザリュースとクルシュの存在に気が付いて軽く手を挙げて挨拶をしてくる。四体は横に一列に並ぶように立つと、声を低めてこれまでの状況やこれからの事について話し合い始めた。村やリザードマンたちの様子についてはシャースーリューとクルシュから、これからのことについては主にザリュースとゼンベルが報告や意見を口にしていく。

 しかし、それらは長くは続かなかった。

 不意に台の上の空間に出現する漆黒の闇。

 楕円形に揺らめく闇はザリュースとシャースーリューは見覚えがあり、思わず口を開きかけた瞬間に彼らは現れた。

 闇の中から姿を現したの三つの影。

 一つ目は山羊のような二本の角に、腰から漆黒の両翼を生やした女悪魔。

 濡羽色の髪は膝裏に届くほどに長く、全体的に細長い純白の衣服を身に纏っている。瞳は月のような金色で、肌は真珠のように白い。全体的に人間のような容姿をしており、恐らく美しい分類に入るのだろう。

 二つ目の影は、人間のような細身の男。

 浅黒い褐色の肌に木の葉のように細長い耳から一見闇森妖精(ダークエルフ)にも思えるが、しかし尾てい骨の辺りから伸びている銀色の長い尻尾がそれを否定していた。目元を覆うガラスのような装飾も、朱色の衣装も全く見たことが無いもの。しかしどちらにせよ、この男も絶対的な力を持った強者には違いなかった。

 そして最後の三つ目は、昆虫のような巨大な異形。

 蟻とカマキリを融合したような姿で、巨体は氷のように青白く光り輝いている。腕は四本で、腰から生えている太く長い尻尾。背中と尻尾からツララのようなスパイクが生えており、正に氷の化け物のような威容をしていた。

 三人ともが“アインズ・ウール・ゴウン”の支配者たちと並び立っていた存在。

 高位のモノたちの登場に、リザードマンたちは一様にその場に跪き、深々と頭を下げた。

 

「………さて、全員集まっているのかしら?」

 

 不意に女悪魔から発せられる涼やかな声音。

 まるで独り言のようなそれに、クルシュは下げていた頭を上げてそっと周りを見回した。

 彼女の目から見る限りでは、この場には殆どのリザードマンが集まっているようであった。恐らく残っているリザードマンは幼い子供と今日警備の任についている一部のリザードマンたちのみだろう。

 クルシュは一瞬迷ったものの、すぐに意を決して絶対者の三人に向けて声を張り上げた。

 

「はい、主だったリザードマンは既にこの場に集まっております」

 

 瞬間、絶対者たちの視線が全て自分に向けられて、クルシュは思わず身体を恐怖と緊張に凍り付かせた。

 隣で頭を下げているザリュースや他のリザードマンたちも思わず緊張に身体を強張らせる中、女悪魔が探るような視線でクルシュを見つめながら柔らかな笑みを浮かばせた。

 見る者全員を虜にさせるであろう、ひどく魅力的な美しい微笑。

 しかし、そこには温かな感情の色は一切宿っておらず、ただ美しいだけの微笑だった。

 

「あら、あなたは確か……。……そう、では早速始めるとしましょう。コキュートス」

「……リザードマンタチ、全員顔ヲ上ゲヨ」

 

 女悪魔の視線がクルシュから離れたことにより、クルシュと周りのリザードマンたちがほぼ同時に安堵に強張らせていた身体を緩めさせる。続いて聞こえてきた軋んだような歪んだ声に命じられ、この場にいる全員がそれに従って下げていた頭を上げた。

 クルシュたちの目の前で、向かって右側から“コキュートス”と呼ばれた青白い昆虫の異形、女悪魔、褐色の男が横一列に立ち並んでいる。

 まず初めに口を開いたのは、一歩前へと進み出た女悪魔だった。

 

「まずは初めに軽く自己紹介から始めましょう。わたくしは“アインズ・ウール・ゴウン”の至高の御方々に仕える階層守護者統括アルベド」

「そして私が同じく“アインズ・ウール・ゴウン”の至高の御方々に仕える第七階層守護者デミウルゴスだ」

「私モ同ジク“アインズ・ウール・ゴウン”ノ至高ノ御方々ニ仕エル第五階層守護者コキュートス。今後、オ前タチヲ直接統治スルコトトナッタ」

「今回わたくしたちがここに来たのは、コキュートスの要請であなたたちに“アインズ・ウール・ゴウン”について詳しく教えて教育するため。いと尊き至高の御方々の支配下に加わることが出来たのだから、最低限それに相応しい知識と精神と教養を身に着けなさい」

「特に至高の四十一人の御方々については今日中に全て覚えてもらうつもりなので、そのつもりでいたまえ」

 

 “アルベド”と名乗った女悪魔と“デミウルゴス”と名乗った褐色の男から異様な威圧感を感じて、リザードマンたちは思わず気圧されて再び緊張に身体を強張らせる。

 しかし彼らに拒否や逃げるという行動が許されるはずもなく、ここに階層守護者たちによる“アインズ・ウール・ゴウン”講座が幕を開けた。

 

 彼らが順々に語るのは“アインズ・ウール・ゴウン”の全て。

 “アインズ・ウール・ゴウン”の成り立ちに始まり、至高の四十一人と呼ばれる存在について。ナザリック地下大墳墓や階層守護者、領域守護者に至るまで延々と説明が続いていく。至高の四十一人については四十一人分一人ずつ丁寧に解説され、特に死の王、天空の王、魔の王の三人に関しては特に詳しく熱く丁寧に事細かに説明されていった。

 正直に言って、情報量が多すぎて全てを覚えることなど至難の業であり、また話についていくことさえできなくなっているリザードマンが多発してくる。しかし最初の褐色の男からの言葉もあり、少なくとも至高の四十一人に関しては全て覚えなくてはとリザードマンたちは必死に彼らの言葉に耳を傾け、頭に刻み込んでいった。

 クルシュも出来るだけ多くの情報を覚えようと、必死に三人の話に耳を傾ける。その中で“アインズ・ウール・ゴウン”のあまりのスケールの大きさや、至高の四十一人と呼ばれる神にも等しい絶対的な存在に対して内心で感嘆にも似た感情を抱いていた。

 至高の四十一人によって結成された“アインズ・ウール・ゴウン”という組織。

 地下深くにナザリックという十つもの世界を創り、数多くのシモベとなる命をも創り出した。正に神に等しい力を持った絶対者と言えるだろう存在たち。

 特に死の王であるアインズは、至高の四十一人のまとめ役を担う存在であるらしい。だからこそ、まとめ役たる御方の名前を取って“アインズ・ウール・ゴウン”としたのかもしれない……とクルシュは内心でそう思った。

 また、他の天空の王や魔の王もとても強く素晴らしい御方であるらしい。

 天空の王ペロロンチーノは正に空を支配する御方であり、どんなに遠い的であろうと撃ち抜く目と腕を持っているという。

 魔の王ウルベルト・アレイン・オードルは全悪魔の支配者にして最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)であるとのことだった。加えて信じられないことに、目の前の褐色の男を創造したのも彼の御方であるらしい。

 

「……こりゃあ本当に信じられねぇな」

「虚言であるとでも言うつもりか……?」

「いや、逆に納得だぜ。あの時に感じた威圧感も力も、全部本物だったってわけだな」

 

 クルシュの隣でザリュースとゼンベルが小声で言葉を交わし合っている。クルシュも二人の会話に耳を傾けながら、ゼンベルの意見に内心で大きく頷いていた。

 ゼンベルの言う“あの時”とは、三人の至高の存在が異形のシモベたちを引き連れて現れた時の事だろう。

 あの時、クルシュも確かに絶対的な威圧感と力を感じていた。

 女悪魔たちの話す内容は嘘偽りなどではなく、逆に納得させられるようなものばかりだった。

 

「ああっ、わたくしの愛しい、いと尊き至高の御方々様っ! どこまでも凛々しく、美しく、逞しい……正に生きる宝玉そのものの御方々様!!」

 

 唐突に声を張り上げたかと思えば、女悪魔が恍惚とした表情を浮かべて興奮しだす。頬は紅潮し、金色の双眸は甘く蕩け、腰の両翼もパサパサと忙しなく羽ばたいている。

 突然のことにリザードマンたちが呆然となる中、隣に立っていた褐色の男がどこか焦ったような呆れたような雰囲気を漂わせ始めた。

 

「………あー、アルベド?」

「とっても慈悲深く、叡智高く、それでいて情け深くて優しくていらっしゃる! わたくしがどんなに御方々様を愛しているかっ!!」

「アルベド、分かりましたから、とにかく一度落ち着いて下さい。こんなところで我を忘れるなど……」

「どんなにわたくしが御方々様へのご寵愛を心待ちにしているか……! 御方々様のためならこの身この命、心も全て捧げられるというのにっ!」

 

 絶対的な力を持ち、悪の代名詞とも言うべき悪魔が心からの愛の言葉を叫んでいる。

 悪魔すら心酔させられる至高の存在に、クルシュはどこか感心にも似た感情を抱いた。

 しかしそんなある意味呑気とも言える感情は、突如向けられた鋭い視線によって吹き飛ばされてしまった。

 

「……良いこと? 御方々様に邪な心で近づくなど、誰であろうと許すつもりはないので、そのつもりでいなさい!!」

 

 先ほどまでの恋する乙女のようなうっとりとした表情は一変し、次の瞬間には金色の双眸がギラリとした鋭い光を帯びる。

 彼女の視線は真っ直ぐこちらを向いており、クルシュは思わずビクッと身体を震わせてピンっと尻尾を立たせていた。

 女悪魔の金色の瞳に宿っているのは、大きな嫉妬と敵意と警戒の光。間違いなく牽制されていると知り、恐怖で息も絶え絶えとなってしまう。

 しかし、それは一つの咳払いの音によって一気に霧散された。

 咳払いの主は褐色の男。

 男はやれやれとばかりに緩く頭を振ると、女悪魔の肩に手を乗せて正気に戻らせた。

 

「アルベド、正気に戻りたまえ。君の御方々様に対する情熱は分かるが、こんなところで暴走するのだけは止めてくれ」

 

 はあぁっと再び響いた大きなため息の音に、途端に女悪魔が拗ねたような表情を浮かべる。チラッとクルシュや他の雌のリザードマンを見やった後、再び金色の双眸を男へと向けた。

 

「……でも、何事にも牽制は必要でしょう? 少しでも可能性があるのなら、木っ端微塵にそれを潰すのもわたくしたちの大切な務めではないかしら?」

「しかし、こんなところで暴走しては守護者統括としての威信を疑われかねないでしょう。……まぁ、とはいえ、君のいうことも一理ある」

 

 瞬間、男がかけているガラスの装飾の奥からギラリとした光が煌めいたような……気がした。

 位置から察するに恐らく先ほどの女悪魔と同じように目に鋭い光を宿したのかもしれないが、まさか装飾に遮られないほどの光を放つなど出来るのだろうかという疑問が湧き上げってくる。

 そんな現実逃避としか思えない思考。

 しかし、それも仕方がないとリザードマンたちは声を大にして叫びたい心境だった。

 なんせ彼らの目の前では褐色の男が先ほどまでの冷静な空気をガラリと変えて鋭すぎる殺気にも似た空気を放っているのだ。褐色の男は優雅な佇まいは変わらぬままに、ゆっくりとした動作でリザードマンたち全員を見渡した。男の視線が一瞬自分に向けられた瞬間、ゾクッと全身に怖気が走る。

 

「……良いですか? 至高の御方々は至大にして何よりも尊く、神にも等しい存在。かすり傷一つは勿論の事、その御心を騒がせることすら許されぬ大罪です。それをくれぐれも忘れぬことです。例え御方々様に許された身であるからとはいえ、少しでも御方々様を煩わせるようなことがあれば即刻排除しますよ」

 

「……落チ着ケ、デミウルゴス」

 

 褐色の男の気配がどんどん鋭く重たくなっていく。

 しかし次に男を止めたのは、青白い昆虫の異形だった。

 軋んでいながらも落ち着いた声音で宥める異形に、褐色の男は徐々に落ち着いていく。まるで何事もなかったかのように霧散する鋭い威圧に、リザードマンたちが思わず少なからず安堵にも似た息をついていた。

 同時に全員が心の中で思う。

 もしかしたら自分たちを直接統治するというこの昆虫の異形が一番まともかもしれない、と……。

 

「……ああ、私としたことが……。すまなかったね、コキュートス」

「イヤ、オ前ノ気持チモ分カルカラ構ワナイ。ダガ、アマリ彼ラヲ怖ガラセナイヨウニシテクレ」

「でも、デミウルゴスの意見は尤もだと思うわ。御方々様を煩わせないためにも、しっかり教育をしないといけないのではないかしら」

「オ前ノハ教育デハナク警告デアリ威嚇ダ。私ハ恐怖デ彼ラヲ縛ルツモリハナイ」

「甘いのね、コキュートス。私なら、少なくとも雌のリザードマンは全て処分するけれど」

「却下ダ」

「コキュートスの言う通りだよ。それでは繁殖できずに滅んでしまうじゃないか」

 

 目の前で絶対者たちが恐ろしい会話を交わしている。

 あの女悪魔が自分たちの統治者として任命されていたらどうなっていたか……と冷や汗が流れた。

 

 

「今後、コノ沼地ニハ新タナ砦ガ建設サレル。オ前タチハソノ砦ノ建設作業ヲ他ノシモベタチト共ニ行イ、砦ガ完成シタ後ハ守備ノ一端ヲ担ッテモラウコトニナルダロウ」

 

 会話が落ち着き、コキュートスがリザードマンたち全員に向けて今後について軽く説明していく。

 彼の言う砦というものが実際にどういったものであるのかは分からなかったが、しかし恐らくは唯の簡単な施設などではないだろう。そしてまた、この沼地に彼らの施設が築かれるということは、否が応にも自分たちは逃げることが出来ないということだ。

 

 唯の支配ではない。彼らの手足……何かの一部として働き、彼らのために生きていく。

 

 恐怖を感じないと言えば嘘になる。恐らく間接的にでも彼らに不利益なことが起これば、女悪魔や褐色の男が言うようにそれ相応の処分を受けることにもなるのだろう。しかしその一方で、クルシュはある意味小さな希望のようなものも感じていた。

 大きく立派な天幕の中で実際に拝謁して言葉を交わした至高の支配者たち。

 恐ろしい噂で語られていた天空の王からかけられた、意外にも柔らかでいて温かだった言葉たち。

 そして実際に自分たちの統治者としてつけられた、コキュートスという名の真っ当な思考回路を持った存在。

 上手くすれば、リザードマンという種族は彼らの力を借りることによって今までにない繁栄を迎えられるのではないか、と。

 クルシュはゴクッと一度生唾を呑み込むと、次には地面に両手をついて深々と頭を下げた。

 

「畏まりました、コキュートス様。私たちリザードマンは至高の御方々様のため、あなたの手足となって働きましょう」

 

 瞬間、周りにいたリザードマンたちが自分を注視してくるのが全身で感じ取れる。しかしクルシュは頭を上げようとはしない。無言のまま頭を下げ続けるのに、周りのリザードマンたちも彼女に倣ったようだった。

 次々と響いてくる泥水が跳ねる小さな音と、頭を垂れる多くの気配。

 改めて“アインズ・ウール・ゴウン”への支配と忠誠を受け入れるクルシュたちの様子に、コキュートスはフシューっと冷気を吐き出し、女悪魔と褐色の男は深い笑みを浮かばせた。

 

「ふふっ、素直だこと」

「これも至高の御方々様の威光に触れたが故かもしれないね」

 

 女悪魔と褐色の男それぞれの言葉が響いてくる。

 

「オ前タチノ忠誠心、確カニ受ケ取ッタ。至高ノ御方々様ハ慈悲深ク寛大デイラッシャル。オ前タチノ働キニヨッテハ更ナル繁栄ヲオ約束シテ下サルダロウ」

 

 続いてかけられたコキュートスからの言葉に、クルシュたちは更に深く頭を下げる。

 

 リザードマンは“アインズ・ウール・ゴウン”の支配下にあり、彼らのために存在する。

 

 良くも悪くも、その事実と現実がクルシュたちリザードマンたちの心の中に強く深く刻まれた瞬間だった。

 

 


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