世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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第35話 一つの終幕

 蜥蜴人(リザードマン)たちの元から〈転移門(ゲート)〉で転移したモモンガたちは、今はコキュートスの配下たちが用意した大きな天幕の中で一息ついていた。

 

「いや~、中々に楽しめたなぁ。我らが“アインズ・ウール・ゴウン”の晴れ舞台としては、中々上手くいったのではないかな?」

 

 〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で創り出した寝椅子(カウチ)に腰かけながら、ウルベルトがピンク色の異形を抱き締めた状態で機嫌よく笑みを浮かべる。

 彼が両腕で抱き締めているのはナザリック地下大墳墓第八階層守護者ヴィクティム。体長約一メートルほどのピンクの胚子のような姿をしており、頭上には天使の輪、背には枯れ枝のような翼、臀部にはにょろっとした細長い尻尾が生えている。ギルドメンバーが創造した階層守護者NPCの中では唯一レベル100に満たない低レベルの存在ではあったが、そんな彼が何故今回の行軍に参加したのかと言えば、何か不測の事態が起こった時に備えて彼の所持している足止め特殊技術(スキル)が必要だと判断されたためだった。

 そして何故今彼がウルベルトの腕の中にいるのかというと、それはウルベルトが彼の抱き心地をいたく気に入ったためだった。

 

「はい、流石はウルベルト様! 素晴らしい演出でございました!」

「とっても素敵でありんした!」

「リザードマン共も恐れ戦いていた様子……。自分たちが挑んでいた相手が何者なのか、漸く理解したのでしょう」

「ありがとう、みんな」

 

 周りでは守護者たちが嬉々としてウルベルトの言葉に賛同してくる。

 ウルベルトも満面の笑みでそれに応えながら、しかしそこでふと、ヴィクティムを凝視している闇森妖精(ダークエルフ)の双子に気が付いた。二人の表情がどこか羨ましそうで、ウルベルトは思わずクスッと小さな笑い声を零す。

 ウルベルトは両足を開いて座り直すと、ヴィクティムを両足の間に座らせながら腰裏に装備している“慈悲深き御手”を双子へと伸ばした。悪魔の手のようになっている“慈悲深き御手”の両端が双子の小さな身体を絡め取り、そのままウルベルトの右太腿の上にアウラを、左太腿の上にマーレをそれぞれ座らせる。突然のことに身体を硬直させてされるがままになっていた双子は、ここで漸く我に返ったようで褐色の頬を真っ赤に染め上げながらワタワタし始めた。

 

「ウ、ウルベルト様っ!!?」

「あぁぁのっ、えっと、そのぉぉ……っ!!」

 

 恐れ多いと思う一方で、しかし無理に抗うことなどできる筈もなく。最後には頬を紅潮させたままビシッと石のように固まる双子に、ウルベルトはクスクスと笑い声を零した。右手をアウラの頭に、左手をマーレの頭に乗せて優しく髪を梳くように撫でてやる。

 

「フフッ、そんなに畏まることも緊張することもないのだよ。特にお前たちはまだ子供なのだからね。こういう時は大人しく甘えておきなさい」

「あ、ありがとうございます、ウルベルト様!」

「ありがとうございます! ……えへへ」

 

 双子はそれぞれ感謝の言葉を述べると、次にははにかむような可愛らしい笑顔を浮かべてくる。ウルベルトも柔らかな笑みを浮かべると、しかし不意に他の守護者――アルベドとシャルティアも羨ましそうな表情を浮かべていることに気が付いた。デミウルゴスは表情こそいつもと変わりはないものの、腰から伸びる銀の尾が心なしかしゅんっと垂れ下がっているように見える。しかし流石にこれ以上の人数はウルベルト一人では応じきることなどできず、手を貸してもらおうとモモンガとペロロンチーノに目をやり、しかしすぐにそれを諦めた。

 ウルベルトの視線の先ではモモンガとペロロンチーノがモモンガの〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で作り出した椅子にそれぞれ腰かけている。しかし二人は深く椅子に腰かけながら、モモンガは片手を額に押し当てて何やら項垂れており、片やペロロンチーノは深く顔を俯かせてフルフルと小さく小刻みに身体を震わせていた。どうやら今になって先ほどの晴れ舞台での羞恥が襲ってきたようで、落ち着くにはもう暫くかかりそうだ。

 ウルベルトは出そうになったため息を何とか呑み込んで小さく肩を竦ませると、守護者たちがモモンガたちの様子に気が付かないうちにさっさと話を進ませることにした。

 アルベド、シャルティア、デミウルゴスの三人の気分を紛らわせるために、彼女たちを中心にちょっとした命を下していく。

 まずはアルベドに“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)”を用意させ、シャルティアには転移させていたガルガンチュアや紅蓮などといった多くのナザリックのシモベたちの様子を報告させる。また、天幕の端にはポットや茶器などがワゴンに乗せられて用意されていたため、デミウルゴスには紅茶の用意を頼む。

 シャルティアの甘やかな声音で語られる『何も問題はない』という報告に耳を傾けながら、ウルベルトは緩やかに漂ってくる紅茶の香りを楽しんだ。シャルティアからの短い報告が終わり、数秒後にはデミウルゴスから恭しく紅茶を差し出される。

 ここまで来ればモモンガやペロロンチーノも大分落ち着きを取り戻したようで、モモンガは一度フゥッと大きな息をつき、ペロロンチーノはデミウルゴスに差し出されたカップを慌てて受け取っていた。

 

「……さて、大丈夫だとは思うが、玉座の間でコキュートスと話したように何事にも油断は禁物だ。リザードマンたちが何か良からぬことを企んでいないか、少し様子を見てみることにしよう」

 

 一つ小さな息をつくと、サッと軽く腕を振るって“遠隔視の鏡”を起動させる。

 鏡面に映し出されたのはリザードマンの集落の景色で、リザードマンたちはそれぞれ得物の手入れをしたり一カ所に集まって何やら話し合ったりと戦準備を進めているようだった。

 

「フッ、無駄な努力を」

 

 いつでも新たな紅茶を注げるようにポットを両手で持ちながら、デミウルゴスがどこか嘲るような笑みを浮かばせる。

 ウルベルトは内心ではその言葉に同意しながらも、しかし面では緩く頭を横に振った。

 

「こらこら、油断は禁物だと言ったはずだぞ、デミウルゴス」

「はっ、失礼いたしました、ウルベルト様」

 

 軽く注意すれば、すぐさま謝罪の言葉と共に頭を下げられる。

 “遠隔視の鏡”がリザードマンたちの集落の中を転々と映し出す中、共に鏡面を見つめていたモモンガが不意に疑問の言葉を零してきた。

 

「……む? 先ほど代表として名乗り出てきた、魔法武器を持ったリザードマンがいないな」

「えっと、確かザリュース・シャシャとかいう奴でしたっけ? ……そういえば、白い鱗のリザードマンも見当たりませんね」

 

 ペロロンチーノが同意するように頷き、加えてもう一体見当たらないリザードマンの存在も口にする。

 ウルベルトは少しだけ考え込むと、アイテムボックスを開いて一枚の巻物(スクロール)を取り出した。宙に放り投げて巻物(スクロール)を起動させ、宿っていた魔法を発動させる。

 宿っていた魔法は不可視かつ非実体の感覚器官を作り出すもので、ウルベルトは目となる感覚器官を作り出して“遠隔視の鏡”と連結させた。

 近くに映っていた家から順々に中へと侵入して室内の様子を鏡面へと映し出していく。しかしなかなか目的の二体が見つからず、ウルベルトは思わず小さな呻き声のような声を零していた。

 もしや本当に良からぬ作戦でも立てて実行しているのではないだろうか……と少々警戒心を湧き上がらせる。

 ウルベルトは次の家の中へと目となる感覚器官を侵入させ、次の瞬間、驚愕に目を見開かせた。

 

「「「っ!!?」」」

 

 この場にいる全員が大なり小なり驚愕の表情を浮かべる中、ウルベルトは咄嗟に右手と“慈悲深き御手”の両端でヴィクティムとアウラとマーレの目を塞ぎ、残った左手で“遠隔視の鏡”をオフにさせた。瞬間真っ暗になった鏡面を見やり、思わず安堵にも似たため息を吐き出す。因みにモモンガは頭を抱えて深いため息を吐き出しており、ペロロンチーノは身体を硬直させてワナワナと小刻みに震わせていた。目隠しをされていないアルベドとシャルティアとデミウルゴスも微妙な表情を浮かべて互いの顔を見合わせている。

 彼らが見てしまった光景……それは、はっきり言ってしまえば探していた二体のリザードマンたちによる濃厚な交尾シーンだった。

 何か良からぬことを企んでいるのではないかと警戒していただけに、この結末は非常に脱力させられる。加えてこの場に自分一人しかいなかったのであればまだ良かったが、ここには友人やNPCたちが多くいるのだ。この微妙な空気をどうしてくれる……と言うのが、モモンガたち三人ともが思う全く同じ意見だった。

 

「……あー、何だか警戒するのも馬鹿らしくなってきたなぁ。監視はこれくらいにして、後はコキュートスに任せようか」

「……そうだな。そうした方が良さそうだ」

「………ですね」

 

 流石のペロロンチーノもこれにはドン引きしたのか、酷く項垂れた様子で賛同してくる。

 三人はほぼ同時に大きなため息を吐き出すと、次には気分を変えるためにウルベルトが徐に口を開いた。ヴィクティムたちの目を覆っていた手を離しながら、視線はモモンガとペロロンチーノへと向ける。

 

「……そういえば、モモンガさんの名前に関して、一つ提案したいことがあるのだがね」

「モモンガさんの名前について? 一体何のことですか?」

 

 ウルベルトからの唐突な話題に、ペロロンチーノが不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げる。

 守護者たちも思わず不思議そうな表情を浮かべる中、ウルベルトは小さく肩を竦ませた。

 

「以前、謎の騎士の集団に襲われていたカルネ村を助けている際、モモンガさんが自身の名をそのまま名乗ることに不安を覚えていたのだよ」

「えっ、そうだったんですか?」

「……ああ、そういえば、そうだったな」

 

 ペロロンチーノが初耳だ! とばかりに声を上げる中、モモンガは当時のことを思い出して一つ頷いた。

 言われてみれば、確かにカルネ村を救出している時にモモンガはウルベルトに対して『この“モモンガ”という名前を名乗るのが恥ずかしい』と言った記憶があった。しかし何故この時にこの場でウルベルトがその話を蒸し返してきたのかが分からない。

 思わず小首を傾げて凝視してくるモモンガに、ウルベルトはどこか悪戯気な笑みを浮かべてみせた。

 

「あの時はモモンガさんが名を名乗らなくても別段何も問題はなかったが、今後リザードマンといった部外者を支配下に取り込む際、やはり支配者たる人物が名も名乗らないようでは問題が出てきてしまうだろう。だから、これを機にモモンガさんの余所行きの名前を決めておいた方が良いと思ってね」

「余所行き……ですか……?」

「ああ。何も我々全員の本当の名前の情報をわざわざ外部に知らしめる必要もないだろう? ならば罠の意味も兼ねて、モモンガさんの名前だけ余所行きにしてはどうかと思うのだよ」

 

 流石にNPCたちの前で“モモンガという名前が小動物と同じだから恥ずかしい”などといった理由を言えるはずもなく、ウルベルトは尤もらしい理由を述べながら提案する。

 モモンガはウルベルトの心遣いに気が付いて内心で感謝の言葉を送り、しかしペロロンチーノは今一つ分からないと言うように小首を傾げさせた。

 

「罠の意味も兼ねてって……、どういう意味ですか?」

「我々の現在の最終目標は世界征服だ。ならば、いつかは世界に進出する時が必ずやってくる。そしてそうなった時、あらゆる存在が我々に接触しようとしてくるだろう。中には我々よりも優位に立つために、まるで我々の事を全て知っているかのような素振りで交渉してくる者も現れるかもしれない。その時、ギルド長であるモモンガさんの本当の名前を相手が知っているか否かで、果たして本当に我々の事を知っているかどうか、一つの判断材料として使えると思わないかね?」

 

 ウルベルトの説明に、モモンガとペロロンチーノは理解したと言うように一つ大きく頷いた。守護者たちもキラキラとした尊敬の眼差しをウルベルトに向けてくる。

 ウルベルトは湧き上がってきた照れ臭さを誤魔化すように一つ咳払いを零すと、話を続けるために再び口を開いた。

 

「理解してもらえたかな?」

「ああ、良い考えだ」

「そうですね! 俺も良いと思います。でも、何て名前にしましょうか……。どうせなら、カッコいい名前が良いですよね! なんたって、余所行きとはいえ我らがギルマスの名前なんですから!」

 

 ペロロンチーノが賛同しながら嬉々とした声を上げてくる。

 モモンガは思わず黙り込み、ウルベルトは顎髭を扱きながら小首を傾げて考え込んだ。

 

「ふむ……、スパルトイなんてどうだ? モモンガさんは見た目がスケルトンだし」

「え~、なんか変な名前じゃないですか? タナトスとかオルクスっていうのも良いと思いますけど」

「死の神か……。それも良いな」

 

 モモンガ本人そっちのけで、ウルベルトとペロロンチーノが嬉々として案を出し合う。しかしモモンガとしては、どれもが自分には分不相応な気がしてとてもではないが頷くことが出来なかった。そもそも、元々“モモンガ”という可愛らしい小動物の名前をアバター名にしていたというのに、いきなり神話に出てくるような仰々しい名前を名乗れるわけがない。

 思わず一人で悶々とする中、不意にウルベルトとペロロンチーノがこちらを振り返ってきて、モモンガは思わずビクッと小さく身体を震わせた。

 

「モモンガさんはどれが良いと思いますか? 俺なんかはアズラエルなんかもお勧めですけど」

「馬鹿を言うんじゃない。死を司るとはいえ、天使の名を名乗ってどうするんだ」

 

 ペロロンチーノが勧める名前に、すぐさまウルベルトから批判の声が飛んでくる。不満そうに頬を膨らませるペロロンチーノを尻目に、モモンガも無言のまま思考を巡らせた。

 余所行きの仮の名前とはいえ、ウルベルトやペロロンチーノと並ぶ者として相応しい名前は一体何であろうか……と。

 モモンガにとって、ウルベルトとペロロンチーノは大切で自慢なギルドメンバーというだけでなく、今やかけがえのない存在であり、胸を張って誇れる盟友である。偽りとはいえ、彼らと並んで語られる名前であれば、それ相応の名を名乗りたかった。

 モモンガは熟考に熟考を重ね、不意にポツリと言葉を零した。

 

「………アインズ……」

「……え……?」

「もし、二人が許してくれるなら……俺は“アインズ”と名乗りたいです」

 

 支配者としての口調も忘れ、ただ独り言のようにポツリと思いを口に乗せる。

 大切で、自慢で、誇りである彼らと並ぶ名前ならば、自分にとって大切でかけがえのない名前をそこに並ばせたい。“アインズ・ウール・ゴウン”は自分にとってはとても大切なものだから、許してもらえるならば、これ以上の名前は存在しない。

 静かな口調ながらも熱く語るモモンガに、ウルベルトとペロロンチーノは顔を見合わせると、次にはどちらとも柔らかな笑みを浮かばせた。

 

「良いんじゃないですかね。アインズって名前も、モモンガさんに似合いそうですし」

「そうだな。それにモモンガさんはギルド長だ。モモンガさん以外に、その名を名乗れる者も逆に誰もいないだろう」

 

 ウルベルトとペロロンチーノは文句も不満も一つも言わずに快くモモンガの言葉を了承してくれる。

 モモンガは二人へと小さく礼の言葉を口にすると、次にはこの場にいる守護者たちへと視線を巡らせた。

 自然と背筋を伸ばし、胸を張って堂々と宣言する。

 

「……ではこれより、私は外ではアインズと名乗ることとする! しかし、ここで勘違いしてほしくないのは、私が名乗るのは“アインズ”であって“アインズ・ウール・ゴウン”ではないということだ。ナザリックのモノたちにも全員にこのことを伝え、徹底させよ」

 

 モモンガの言葉に、ウルベルトとペロロンチーノはほぼ同時に理解の色をその顔に浮かばせた。

 モモンガが引いた線引きは、実にモモンガらしいもの。つまり“アインズ・ウール・ゴウン”そのものではなく“アインズ”と名乗ることで、あくまでも自分はウルベルトやペロロンチーノと同格であって上位者ではないと言外に宣言したのだ。

 傍から見れば、何のことはないほんの些細な違いでしかないのかもしれない。しかし、そこには彼らしい控えめでいて思慮深い配慮などが潜んでいた。

 ウルベルトとペロロンチーノはモモンガの思考を正確に理解して苦笑しながらも一つ頷き、しかし守護者たちは何やら壮大に勘違いしているようだった。

 アウラとマーレとシャルティアは不思議そうな表情を浮かべていたが、しかし知恵者であるはずのアルベドとデミウルゴスがひどく感銘を受けたような表情を浮かべて、その場に傅いて深々と頭を下げてきた。

 

「畏まりました。ナザリックのモノ全てに伝え、これよりは外の世界においてはアインズ様とお呼びいたします」

 

 守護者を代表してアルベドが凛とした声でそれに応え、シャルティアとデミウルゴスもそれに倣って一層頭を垂れる。アウラとマーレとヴィクティムは未だウルベルトの膝の上に乗っているため傅くことはできなかったが、しかし体勢はそのままに深々と頭を下げてきた。

 正直に言えば何を勘違いしているのか非常に気になるところである。

 しかし、それを知るのが何だか恐ろしくも思えて、モモンガたちはダメだと思いながらもまるで逃げるように頷くにとどめた。

 

「……さ、さて、これで決まったな。……後はコキュートスの戦いを見物させてもらうか」

 

 天幕に気を取り直すようなウルベルトの声音が響いて消える。

 ウルベルトは再び“遠隔視の鏡”を起動させると、守護者たちも下げていた頭を上げて主人たちに倣って鏡面へと視線を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 端的に言ってしまえば、コキュートスとリザードマンたちの戦いは、コキュートスの圧勝で終わった。

 コキュートス一体に対して、リザードマンたちは凡そ三百ほど。しかし、いくら数の差があるとは言え、あまりにもレベル差があり過ぎた。

 向かっていったリザードマンたちの中に生き残りは一体もおらず、氷漬けにされたり一撃のもとに切り裂かれた遺体がゴロゴロと転がっている。

 唯一の救いと言えば、遺体の全てが泥にまみれることなく綺麗な状態で残っていることだろうか。

 それはコキュートスの腕が非常に良いからというだけでは決してない。彼らが戦ったのが沼の中ではなく、沼地の上に突如創られた石盤のステージであったためだった。

 このステージはコキュートスに乞われてウルベルトが魔法で創り出したもの。

 沼地は紅蓮の影響で未だ熱湯と化しており、このステージがなければリザードマンたちは戦うことすらままならなかったことだろう。

 しかしいくらリザードマンたちが戦える場が整えられたからと言って、彼らがコキュートスに勝てる確率などありはしない。

 コキュートスは何事もなく勝利を手にし、リザードマンたちは同胞を生贄として滅亡を免れた。

 そして今、モモンガたちは天幕の中で戦場から戻って来たコキュートスに労いの言葉をかけていた。

 

「見事な戦いぶりだった」

「アリガトウゴザイマス」

 

 コキュートスはモモンガたちの目の前で跪き、深々と頭を下げている。

 他の守護者たちはコキュートスの両隣。

 アウラとマーレとヴィクティムも既にウルベルトの膝の上からは退いており、ウルベルトは足を組みながら長い顎鬚を扱くように弄んでいた。

 

「これでリザードマンたちは滅亡の危機を脱したと言う訳だ……。ここからが正念場と言ったところだな」

 

 ウルベルトの言葉に、モモンガやペロロンチーノは頷くことはなかったものの同意の雰囲気を漂わせる。

 彼の言う通り、リザードマンたちが生き残った以上、これからがある意味正念場だと言えた。

 

「それで……コキュートス。玉座の間でも言ったように、これからお前は奴らを統治し、我らに対する忠誠心を植え付けていかねばならない。お前はどのような形で奴らを統治しようと考えている?」

 

 モモンガからの問いかけに、自然と他の守護者たちもコキュートスへと視線を向ける。

 コキュートスは数秒間無言ではあったものの、まるで慎重に言葉を選んでいるかのようにゆっくりと自身の考えを口にしていった。

 

「……恐怖ニヨルモノデハナク、至高ノ御方々ニ対スル崇拝ト畏敬ノ心ニヨル統治ヲスベキト考エテオリマス」

「ほう、なるほど。……まぁ、確かにそれが一番の近道だと言えるな。問題は、どうやってその崇拝と畏敬を奴らに与えるかだが……」

 

 ウルベルトが言葉を切り、まるで試すようにコキュートスを見据える。

 しかしコキュートスは玉座の間の時とは打って変わり、全く怯む様子もなく堂々とウルベルトの言葉に答えていった。

 

「ハイ、ココデ是非トモ御方々様ニ進言シタキ事ガゴザイマス。今回、私ト戦ッタリザードマンノ中ニ、ザリューストイウ者トシャースーリュートイウ者ガオリマシタ」

「うん? その名前って……。ああ、あの代表として出てきたリザードマンたちか」

 

 コキュートスが出した名前に、ペロロンチーノが確認の意味を込めて口に乗せる。

 その二体は代表としてモモンガたちの目の前に進み出ただけでなく、コキュートスとの戦闘でも最後まで生き残って戦っていた二体でもあった。

 ペロロンチーノの言葉に、コキュートスが一つ大きく頷いてくる。

 

「ハイ、彼ノ二体ノリザードマン……、コノママ死ナセタママニシテオクノハアマリニ惜シイカト思ワレマス。御方々様ハ死者ノ復活ニ関スル実験ヲ未ダサレタコトガナイハズ。彼ノ二体デ実験サレテミテハイカガデショウ?」

 

 コキュートスからの提案に、ウルベルトとペロロンチーノは思わずキョトンとした表情を浮かばせた。モモンガも骸骨であるが故に表情こそ変わらないものの、呆然とした雰囲気を漂わせている。

 三人は思わずチラッと互いの顔を見合わせると、次には再びコキュートスへと目を向けてペロロンチーノがおずおずと口を開いた。

 

「えっと……、どうしてその二体に? 何かあの二体に気になることでもあったのか?」

「アノ二体ハ確カニ弱者デシタガ、シカシ強者ニモ怯エヌ戦士ノ輝キヲ見マシタ。モシカスレバ想定以上ニ強クナル可能性ガアルト思ワレマス。マタ、アノ二体ハリザードマンノ集団ノ中心的ナ存在デアッタト思ワレマス。彼ラヲ復活サセテ利用スルコトガ出来レバ、他ノリザードマンタチニ御方々ヘノ忠誠心ヲ植エ付ケルコトモ容易クナルカト思ワレマス」

「なるほど。……しかし、その二体が我々に敵愾心を持つ可能性はないのか? もしそうなった場合、逆に統治が難しくなると思うが……」

「でも、どちらにしろ復活の実験は遅かれ早かれしないといけないですよ。適当な存在でするよりかは、コキュートスが必要だと判断した存在で実験をした方が無駄がなくていいと思いますけど」

 

 ウルベルトの意見に、ペロロンチーノが反論するように自身の意見を述べる。

 モモンガは二人の意見に耳を傾けながら、一番安全で利益のある方法は何であるか思考を巡らせた。

 

「ふむ、ウルベルトさんの意見もペロロンチーノさんの意見もどちらも正しいように思う。……コキュートス、先ほどお前はあの二体のリザードマンが集落の中心的な存在だと言っていたが、では今のリザードマンたちには自分たちをまとめる者はいないということか?」

「イエ。代表トナル者ハオリマス」

「ほう、いるのか……」

「ハイ、森祭司(ドルイド)ノ力ヲ持ッタ白イリザードマンデス」

「「「っ!!?」」」

 

 新たな代表者がいるのならザリュースとシャースーリューを生き返らせなくても良いじゃないか……と咄嗟に思ったものの、しかし続いて語られたコキュートスの言葉に、モモンガたちは一様に驚愕の表情を浮かべた。

 

「白いリザードマンって……、コキュートスと戦う前に楽しくイタしt……」

「ペロロンチーノォォっ!!」

「お前、ちょっと黙ってろっ!!」

 

 NPCたちの前で……、それも子供もいるような場で何を口走ろうとしてるんだ! とばかりに、モモンガとウルベルトから制止の言葉が飛ばされる。

 モモンガがペロロンチーノの嘴を握りしめて喋れなくする中、ウルベルトがはぁっと大きな息をついて気を取り直すように改めてコキュートスへと目を向けた。

 

「……なるほど。お前の言うことが本当ならば、少なくともザリュースというリザードマンに関しては利用価値があると言えるだろう。だがそれは、その白いリザードマンの選択次第だ。コキュートス、その白いリザードマンをここに連れてきたまえ。ザリュースを生き返らせるか否か……今の代表者である彼女に決めてもらおうじゃないか」

 

 ウルベルトの山羊の顔に、悪魔らしいニヤリとした笑みが浮かぶ。

 しかしそれを指摘する存在がこの場にいる筈もなく、モモンガは漸くペロロンチーノの嘴から手を放し、ペロロンチーノは一息つくように大きな息を吐き出し、コキュートスは深々と頭を下げてきた。

 

「オ許シヲ。ソウ仰ラレルト思イ、既ニ近クマデ呼ンデオリマス」

「えっ、そうなのか? じゃあ、早速ここに呼んできてくれ」

 

 ペロロンチーノの言葉に、コキュートスは再び頭を下げた後に素早く立ち上がる。大股で天幕から退出するコキュートスを見送った後、今まで無言だった守護者たちが立ち上がってモモンガたちの両隣の斜め前へと立ち位置を変えてきた。向かって右側からヴィクティム、デミウルゴス、ウルベルト、モモンガ、ペロロンチーノ、アルベド、シャルティア、アウラ、マーレの順である。

 自然とこういった行動ができる守護者たちに内心で感心しながら、数分後、入室許可の言葉が外から聞こえ、更に数秒後に白いリザードマンがコキュートスに連れられて天幕の中へと入ってきた。

 見間違えようもない、確かに“遠隔視の鏡”で見た白いリザードマンだ。

 彼女はまず玉座に座るモモンガたち三人を見つめると、何故かペロロンチーノを見た瞬間に驚愕の表情を浮かべてきた。それにペロロンチーノ自身も驚き、モモンガとウルベルトは疑問にチラッとペロロンチーノに視線を向ける。しかし彼女はすぐに気を取り直したようにモモンガたちの前まで進み出ると、そのまま地面に座り込むように傅いて深々と頭を下げてきた。そのままこちらの言葉を待つ様子に、まずはアインズが代表して口を開いた。

 

「……よく来た。まずは名を聞こう」

「はい。私はリザードマン代表のクルシュ・ルール―です」

 

 頭を下げたまま淡々と答えるクルシュに、モモンガは一つ頷く。

 彼らの予定ではここですぐに交渉に移ろうと考えていたのだが、しかしそれよりも先ほど彼女が見せた表情の方が気になって、まずはそれについて聞いてみることにした。

 

「ふむ……。では、クルシュ・ルール―。先ほど君は我が友を見てひどく驚いたようだったが、何をそんなに驚いていたのかな?」

「……っ!!」

 

 瞬間、クルシュから小さく息を呑むような音が聞こえてくる。

 クルシュは怯えたように小さく身体を震わせながら、まるで土下座でもするかのように一層頭を下げてきた。

 

「……も、申し訳ありません。ご不快にさせたのであれば、謝ります」

「ああ、いや、そこまで怯える必要はない。ただ、君が何故彼に対してだけあれほど過剰に反応したのか気になっただけなのだ」

 

 ここにいるのはペロロンチーノだけではなく、生者を憎むアンデッドであるモモンガや、悪の代名詞と言える悪魔であるウルベルトもいる。どちらかと言えば、鳥人(バードマン)であるペロロンチーノよりもモモンガやウルベルトの方がよっぽど怖がられそうなものである。

 しかし彼女が驚愕の奥に明らかに見せた怯えの対象はペロロンチーノのみ。

 それは何故なのかが分からず、純粋に興味が湧いた。

 

「君が何を言おうと君を罰することもリザードマンたちに危害を加えることもないと約束しよう。是非とも教えてくれないかね?」

 

 穏やかな声音を意識してモモンガが再び問いかける。

 クルシュはそれでも少し迷うような素振りを見せたが、しかし最後には頭は上げぬままゆっくりと口を開いた。

 

「……じ、実は……天空の王であるあなた様のお噂をここ最近耳にしていたのです。しかし、まさかご本人だとは今まで気が付かず……、大変な御無礼をいたしました」

 

 クルシュが口にした情報は、モモンガたちにとっては全く初耳のものだった。モモンガとウルベルトは驚愕の表情を浮かべ、ペロロンチーノは呆然とした表情を浮かべる。

 思わずどういうことだと二人がペロロンチーノを鋭く見やり、それにハッと我に返ってペロロンチーノは見るからに慌て始めた。

 

「いやいや、俺は何も知らないですよ! えっと、俺の噂ってどういうこと!?」

 

 威厳などかなぐり捨てて問いかけるペロロンチーノに、クルシュが初めて下げていた頭を上げて困惑したような表情を浮かべてくる。紅色の大きな瞳でじっとペロロンチーノを見つめ、それでいて未だ戸惑いながらも再び口を開いた。

 

「……最近、森に棲む魔物や亜人や獣たちの間で、恐ろしい黄金色のバードマンの噂が囁かれていたのです。そのバードマンは恐ろしい魔物たちを引き連れ、森に棲むモノたちを連れ去っているというものでした。そして一度連れ去れらたモノは、二度と戻っては来ないと……」

「………あー……」

 

 クルシュの説明に、ペロロンチーノは思わず気の抜けるような声を絞り出した。

 もしかしなくても、それは間違いなくペロロンチーノ自身の事だった。クルシュの語るバードマンの行動も身に覚えがあり過ぎる。

 しかし、まさか自分の事が森の中でそんな噂になっているとは思わず、ペロロンチーノははぁぁっと深く大きなため息を吐き出した。

 

「………それは間違いなく俺の事だな。いろいろと誤解を招くような噂ではあるけど……」

 

 ペロロンチーノはもう一度だけ大きなため息を吐き出すと、次には勢いよく顔を上げて改めてクルシュへと目を向けた。

 

「君が俺を見て驚いた理由は分かったよ。でも少なくとも、俺たちの支配下に加わった君たちをこれ以上傷つけるつもりはないから安心してほしい。……改めて名乗ろう。俺はペロロンチーノだ」

「ふむ、では私も名乗ろうか……。私は全悪魔の支配者であるウルベルト・アレイン・オードルだ」

「そして私がアインズという」

「…アインズ……。失礼ですが、アインズ・ウール・ゴウン様ではないのですか?」

「“アインズ・ウール・ゴウン”とは、我々が所属する……まぁ、組織のような名前だ。そして先ほども言ったように、私の名はアインズという」

 

 念を押すように重ねて言うアインズに何を思ったのか、クルシュはこれ以上何も言うことなく口を噤んだ。静かに瞼を閉じ、再び深々と頭を垂れる。

 

「……では、改めまして、偉大にして至高なる天空の王ペロロンチーノ様、魔の王ウルベルト・アレイン・オードル様、死の王アインズ様。私たち、リザードマンの絶対なる忠誠心をどうぞお受け取り下さい」

 

 その姿も声も気配も、全てが静かに凪いでいる。まるでこちらに対する反感など最初から存在していないかのように。

 しかしモモンガもウルベルトもペロロンチーノも、彼女の言葉通りにリザードマンたちが自分たちに心から忠誠を誓っているとは思っていなかった。

 あれだけの犠牲者を出し、戦いから逃げて全面降伏することすら許さなかったのだ。これで本当に忠誠を誓っているというのなら、逆に彼らの思考回路が心配になってくる。

 モモンガたちは互いに顔を見合わせて小さく頷き合うと、次には代表してモモンガが再び口を開いた。

 

「受け取ろう。……しかし、一つだけ懸念すべきことがある」

 

 瞬間、クルシュの身体がピクッと小さく震える。

 しかしそれ以上の反応は見せない彼女に、次はウルベルトがゆっくりと口を開いた。

 

「それは君の言う、君たちの忠誠が本当に本物であるのかどうかだ」

「……っ…! ……あなた様方に忠誠を誓っていないリザードマンなどおりません!」

「フフッ、それを鵜呑みにするほど我々はおめでたくも愚かでもない。また、それが例え本当であったとしても、それを証明する術はない。だからこそ、代表である君に二つ頼みたいことがあるのだよ」

 

 ウルベルトはニヤリとした笑みを浮かべると、ゆっくりと顔を上げるクルシュに人差し指と中指を立ててみせた。

 

「一つ目は、代表者である君が率先して我々に忠誠を誓い、また誰にでも分かるような行動でそれを示すこと。そして二つ目は、我々を裏切るようなリザードマンがいないか秘密裏に監視することだ」

「そのようなリザードマンなど……!」

 

 何かを言いかけるクルシュに、しかしウルベルトが軽く手を挙げてそれを途中で押し留める。

 思わず口を噤む彼女を見つめ、いっそ無邪気なまでに小さく首を傾げさせた。

 

「残念ながら、それを証明する術はないと先ほど言ったはずだ。なに、そんなリザードマンが出なければ良いだけの話だ。それに、君の労力に対する代価も用意しよう。……この二つの役目の対価は、ザリュースの復活」

「……っ!!?」

 

 ウルベルトの言葉を聞き、クルシュが紅色の双眸を見開かせて鋭く息を呑む。

 

「そんな、ことが……」

 

 一体何を考えているのか、クルシュの紅色の瞳に宿る光が大きく揺らめいている。

 ウルベルトはまるで出番を譲るようにモモンガへと軽く手を振るい、モモンガは内心で苦笑を浮かばせながらもクルシュに向けて肯定の言葉を口に乗せた。

 

「私は死と生を操ることが出来る。死というのは私からすると状態の一種でしかないのだよ」

 

 厳密に言えば、ナザリックにあるアイテムを使えばこの場にいる誰もが蘇生魔法を使うことが出来る。

 しかしそれはこの場で言うべきものではないだろう。また、彼女に教える必要のないことでもある。

 ウルベルトはクルシュの中にモモンガの言葉が正確に浸透したところを見計らうと、次には正に悪魔の言の葉を彼女へと紡いだ。

 

「ザリュースの命はまさに君の手の中にあるということだ。彼の命を拾い上げるも捨てるも君次第……。さて、どうするかね?」

 

 ウルベルトの問いの言葉の後、痛いほどの静寂が彼らを包み込む。

 数秒とも数十分とも感じられる空白の中、不意に紡がれたクルシュの“答え”。

 モモンガたちはそれを最後までしっかりと聞き取ると、ウルベルトはニヤリとした笑みを浮かばせ、モモンガはゆっくりと立ち上がり、ペロロンチーノはクルシュの後ろに立っているコキュートスへと目を向けた。

 

「これで契約は成立だ。後は頼みましたよ、アインズ」

「ああ、任せておけ。……死体が傷ついてしまっては元も子もない。早速向かうとしよう」

「コキュートス、新たな統治者としてモm……アインズさんに同行を。アウラも念のため、着いて行ってくれ」

「畏マリマシタ」

「畏まりました、ペロロンチーノ様」

 

 ペロロンチーノの命に、コキュートスとアウラがすぐさまそれに応える。

 

 

 これにより一つの争いが幕を下ろし、新たな幕がゆっくりと開かれようとしていた。

 

 




今回、漸くモモンガさんのアインズ呼びが決定しました!
そして漸く原作四巻が終了……。
原作そのままのストーリーはここで取り敢えず終了し、次回からは再びオリジナルのストーリーに戻ります!

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