世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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お待たせいたしました、後半戦です!
予想以上に長くなってしまいました…(汗)


第20話 偽りの強者と本物の強者

 無人であるはずの闘技場の貴賓室。

 バジウッドとニンブルは“四騎士”という地位を最大限に利用して秘密裏にこの部屋を確保し、閉められたカーテンの隙間からそっと場内を見下ろしていた。

 彼らの興味の対象はこの演目に出場しているワーカーチーム“サバト・レガロ”。

 先ほども“サバト・レガロ”と“テンペスト”の試合が終わり、バジウッドは張りつめていた空気を緩ませるようにどこか感嘆とした息を大きく吐き出していた。

 

「………こいつはすげぇ。……想像以上だな」

「……………………」

「だが…、こっちが調べようとしていた矢先にこんな機会が訪れるとはなぁ。なかなか運がいいと思わねぇか?」

「……………………」

 

 バジウッドの言う通り、ニンブルが調査の手助けを申し出て一日も経たぬうちに、まるで示し合わせたかのようにこの闘技場の演目の話がバジウッドたちの耳に入ってきていた。

 正に運が良い……、あるいは都合が良いともいえるのかもしれない。

 ニヤリとした笑みを浮かべたバジウッドはニンブルへと目をやり、次には訝しげな表情を浮かべた。ずっと黙り込んで顔を顰めているニンブルに思わず首を傾げる。

 

「どうしたんだ? 何か気になることでもあったか?」

「………あのレオナールという男、……戦士だと思いますか?」

「……? 思うも何も、戦士だろ」

 

 お前は一体今まで何を見ていたんだ…とばかりに訝しむバジウッドに、ニンブルは顔を顰めさせたまま場内に向けていた視線をバジウッドへと移した。

 

「良く思い出してみて下さい。そもそも貴方が奥方たちから聞いた“サバト・レガロ”の情報では、白髪の男は第三位階魔法である〈火球(ファイヤーボール)〉で多頭水蛇(ヒュドラ)を倒したとありました。第三位階魔法が使える戦士など聞いたこともありません!」

「おいおい、落ち着けよ。魔法を使う戦士自体はそんなに珍しくないだろ。確かに第三位階魔法を使う戦士なんざ聞いたこともないが、何か珍しいアイテムを持っている可能性だってあるだろ」

 

 例えば一回分の魔法を封じ込められるアイテムは、希少で非常に高価ではあるものの確かに存在する。そういったアイテムを使えば戦士が高位の魔法を放ったとしても決して不思議ではない。

 しかしニンブルの表情はいっこうに晴れなかった。

 

「私だってそんなことは分かっています。ただ……少しばかり変な噂を耳にしたのです」

「変な噂……?」

 

 これ以上変なことなどあるのだろうか…と更に首を傾げる。

 ニンブルは戸惑ったように口ごもると場内に目をやり、端に下がっている“サバト・レガロ”の白髪の男を見やった。

 

「……ワーカーチーム“サバト・レガロ”が闘技場の演目に出場したのは今回で二回目だそうです。初出場の時も、あの男は〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の魔法を放ったそうなのですが……」

「……? 何かあったのか?」

「実は………、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の光球を二十個も出現させたらしいのです……」

「……は……?」

 

 バジウッドは思わず呆けたような声を零していた。

 魔法には発動させる術者の力量によって威力や大きさ、数などが変化するものが多くある。先ほどの〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の魔法もその一つであり、術者の力量に応じて出現する光球の数が変わることはバジウッドも知っていた。しかしバジウッド自身は純粋な戦士であり魔法は殆ど使えないため、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の光球を二十個出現させることがどれだけすごいことなのかが今一理解できなかった。

 困惑の表情を浮かべるバジウッドにニンブルは呆れたような表情を浮かべて大きなため息をついた。

 

「……通常の魔法詠唱者(マジックキャスター)であれば一つ、第三位階まで使える魔法詠唱者(マジックキャスター)でも三つが限界です。三重化したとしても九個までだ」

「おいおい、それって本当の話かぁ? …ちなみに我らが主席宮廷魔法使い殿なら幾つ出せるんだ?」

「………確か、六つ出せると前に仰られていた記憶がありますが…。三重化したとしても十八個までですね」

 

 昔の記憶を掘り起こしながら答えるニンブルに、バジウッドは一気に顔を顰めさせた。

 

「……そりゃあ、ガセじゃないのか? それか見た奴らの勘違いで、実は違う魔法を使っていたかだな」

「……………………」

 

 一切迷うことなく一刀両断に言いきるバジウッドに、ニンブルも否定はせずに黙り込んだ。バジウッドが比較対象に出した主席宮廷魔法使いは、それだけ力のある魔法詠唱者(マジックキャスター)なのだ。

 名をフールーダ・パラダイン。

 200歳を超える老人で、しかし英雄の壁を超えた大陸に四人しかいない“逸脱者”の一人である。第六位階までの魔法を使いこなし、たった一人で帝国軍全軍を壊滅させられるほどの力を持つとされている。正にバハルス帝国が誇る大魔法使いなのだ。

 そんな人物よりも強力な魔法を出現させるなど、ガセか勘違いにしか思えない。

 やはりそうですかね……と小さく呟くニンブルの声を遮るように、突然大きな歓声が聞こえてきてバジウッドとニンブルは会話を止めて場内へと目をやった。

 いつの間にか試合が終わり、次の試合へと移行している。

 次の試合は第三回戦の試合。この試合で、前回の優勝者への挑戦者チームが決まる。

 戦うのはワーカーチーム“サバト・レガロ”とミスリル級冒険者“暁の武”。

 ゆっくりと向き合う両チームに観客たちが湧き上がる中、バジウッドとニンブルの鋭い視線が“サバト・レガロ”の白髪の男へと突き刺さった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 “サバト・レガロ”の白髪の男――レオナール・グラン・ネーグルことウルベルト・アレイン・オードルは目の前に対峙する冒険者チームの五人を注意深く見つめていた。

 今回の相手であるミスリル級冒険者チーム“暁の武”は非常に珍しいことに前衛職中心のチームのようだった。

 戦士職が三人とモンクが一人、神官戦士が一人。戦士職三人に関しては持っている武器からして細かいところで違いはあるのだろうが、しかし現段階ではウルベルトはそこまで見極めることができず、また見極めようともしなかった。

 既にこちらの戦闘スタイルを見られているため今までよりかは手間取るかもしれないが、それはあちらも同じこと。加えてこちらにはユリやニグンも控えており、いざとなれば本来の魔法スタイルに戻すこともできる。あちらも未だに見せていない手札があるのかもしれないが、こちらほどの手札はないだろう。

 しかし魔法スタイルに戻すのはもう少し後が良いな……と内心で呟きながら、ウルベルトはベルトからドラゴン型の仕込み杖“サタンの憤怒(ラース・オブ・サタン)”を抜き放った。先の二つの試合の時と同じようにウルベルトだけが前へと進み出る。

 “暁の武”からも長剣と盾を備えた騎士風の戦士が進み出てきて、ウルベルトたちは無言で互いを注意深く見やった。

 

「俺は“暁の武”のリーダーのロイド・ジラルスだ! お前たちには悪いが、大いなる名声と賞金は俺たちが頂く!!」

「…それはそれは。私は“サバト・レガロ”のリーダーを務めるレオナール・グラン・ネーグルと申します。同じ言葉をあなた方にそのままお返しさせて頂きますよ」

「ふんっ、言ってくれる! お前は今までたった一人で戦ってきた、その勇気と実力は認めよう。しかし! 俺たちには一切通用せん!! 俺たちに一人で挑もうなど、無謀と侮りだと知れっ!!」

「ご忠告、痛み入ります。ですが、御心配には及びません。あなた方こそ……、全員でかかってこられることをお勧めしますよ」

「っ!!」

 

 ウルベルトの言葉に、ロイドはカッと顔を真っ赤に染めて肩を怒らせた。他の“暁の武”のメンバーも全員が顔を顰めさせて不快感をあらわにしている。

 ウルベルトとしては半分は忠告、もう半分は挑発として口にした言葉だったのだが、どうやら挑発とだけしか受け止められなかったようだ。

 ウルベルトは小さく肩をすくませると、気を取り直すようにゆっくりと(ステッキ)を構えた。

 “暁の武”のメンバーも全員が得物を引き抜いて身構える。

 彼らの得物は戦士職の三人はそれぞれ長剣と盾、グレートソード、槍。モンクは素手。神官戦士は棘付き鉄球と長い柄が鎖で繋がっているモーニングスター。

 “暁の武”のメンバー全員とウルベルトが無言で睨み合う中、漸く戦闘開始の鐘が闘技場中に響き渡った。

 

 誰よりも速く動いたのは“暁の武”のモンクの男だった。

 猪突猛進的にウルベルトの目の前まで突進してくると、拳を握った右手を勢い良く突き出してくる。ウルベルトは一切動くことなく、その細身に諸にモンクの拳を受け止めた。

 鋼鉄の硬さと弾丸のような威力を持つ拳に触れるのは硬い金属ではなく柔らかなぬくもり。

 確かな手応えにニヤリと笑みを浮かべかけ、しかしモンクの男はすぐに驚愕に目を見開かせた。

 鳩尾を狙った拳を包んでいたのは腹部の肉ではなく、中途半端に短い黒革手袋に包まれた左掌。ウルベルトは寸でのところで拳を受け止めており、その顔には柔らかな笑みすら浮かべていた。

 モンクの男は咄嗟に拳を引き戻そうとするが、しかし拳はビクとも動かない。見た目は包み込むように握られているだけだというのに、全く抜け出すことができず、逆に引き寄せられてモンクの男は体勢を崩した。咄嗟にたたらを踏んで堪えようとするも、目の前に迫りくる白銀の残像に気が付いて思わず息を詰まらせる。

 ウルベルトはそのまま腹部を強打しようとして、しかしすぐに顔を顰めさせると掴んでいたモンクの男の拳から手を離した。力を解放させた“ラース・オブ・サタン”はそのままに、強く地を蹴って後ろへと飛び退く。長く伸びた“ラース・オブ・サタン”の支柱がモンクの男の腹部を襲ったとほぼ同時に、今までウルベルトのいた空間に二つの刃が勢いよく通り過ぎていった。

 ステップを踏むように軽い足取りで体勢を立て直しながら見てみれば、二人の戦士が悔しそうに顔を顰めさせており、モンクの男は苦し気に腹部を押さえている。

 モンクの男の拳を手放してしまったがために“ラース・オブ・サタン”の威力が半減してしまったのだろうが、あのまま強行していれば二つの刃の攻撃を諸に受けてしまっていただろう。

 少し残念に思いながらも伸びた支柱を引き寄せ、次の瞬間再び後ろへと地を蹴った。

 両側から槍の穂先とモーニングスターの棘付き鉄球が勢いよく襲ってきてすぐ側を通り過ぎていく。

 槍の穂先と棘付き鉄球は先ほどまでいた地面に交差するように深々と突き刺さり、ウルベルトはそれを確認してバックステップを踏みながら柄を握っている右手首をクイッと捻らせた。瞬間、引き寄せられていた支柱がグリンっと弧を描き、未だ地面に突き刺さっている槍とモーニングスターの鎖へとグルグルと巻き付いていく。

 二つを一つに纏めて拘束するのに、ウルベルト対槍戦士と神官戦士による綱引き状態になった。

 槍戦士と神官戦士がそれぞれ武器を取り戻さんと力を合わせて引き寄せようとし、ウルベルトも二人の動きを抑え込もうと柄を引き寄せ返す。

 筋骨隆々の二人の男対細身の男一人の引き合いは、誰がどう見ても二人の男の圧勝だと思ったことだろう。しかしウルベルトはビクともせず、逆に二人の男の方が驚愕と焦りの表情を浮かべてジリッと徐々に足を滑らせていた。

 

 

「ファッジ! ノルド!!」

「応っ!」

「了解した!」

 

 二人だけでは分が悪いと判断したのか、“暁の武”のリーダーであるロイドがモンクの男とグレートソードを持つ戦士に声をかける。

 三人は同時に駆け出すと、ロイドは右、グレートソードの戦士は左、モンクは槍戦士と神官戦士の間を縫って真正面からウルベルトへと襲いかかってきた。

 前と左右から攻撃された場合、誰もが残った後ろへと逃げようとする。しかし今のウルベルトは得物同士を繋げたことにより後ろには下がれず、また同じ理由から得物を使って攻撃を受け止めることもできない。唯一できる行動としては得物を手放して離脱することだが、そうなれば次の一手が出せず窮地に陥るはずだ。

 この勝負、勝った! とロイドの顔に思わず小さな笑みが浮かぶ。

 しかしウルベルトは冷静で静かな瞳でチラッと周りを素早く見回すと、次にはあろうことか前方へと地を蹴った。

 誰もが驚きに目を見開き、綱引き状態だった槍戦士と神官戦士は急に引かれる力がなくなって大きく体勢を崩す。

 ウルベルトは目と鼻の先にまで迫ったモンクの男を見据えると、踏み込む足の重心を逸らして少しだけ上体を傾かせた。突き出されたモンクの拳の数センチ前で軌道を変え、すれすれの距離を通り過ぎていく。重心を片足一つにまとめてターンし、再び右手首をクイッと捻った。

 鞭状態になっている支柱が槍と鎖に巻き付いたまま更に宙を踊り、弧を描いて次はモンクの男と未だ体勢を崩している槍戦士と神官戦士へと襲いかかる。予想が付き辛い不規則な動きと流れるような素早さに追いつけず、モンクの男と槍戦士と神官戦士の三人は武器もろとも一つに纏めて拘束された。

 

「……リーリエ、…レイン」

 

 ウルベルトの口からポツリと小さく名が呟かれる。

 常人では聞き取れぬほどの声量に、しかし名を呼ばれたユリとニグンはすぐに行動を起こした。

 ユリは仲間を救わんとウルベルトへと向かっていく残りの“暁の武”のメンバーを牽制し、ニグンは真っ直ぐにウルベルトの元へと駆け寄った。

 

「…レオナールさん」

「新しい武器を頼む。お前はリーリエと共にこの三人を拘束していろ」

「はっ。新たな武器はどれになさいますか?」

「そうだな……。では、“レヴィアタンの嫉妬(インヴィディア・オブ・レヴィアタン)”を」

「畏まりました」

 

 ニグンは一度頭を下げると、純白のマントの中から一つの(ロッド)を取り出して恭しく差し出してきた。

 添えられた両掌に乗せられている杖を手に取り、代わりに“ラース・オブ・サタン”の柄をニグンの両掌の上に乗せる。

 こちらの会話を聞いていたのかユリがこちらに駆け寄ってくるのを見やり、交代するように再びウルベルトが前へと進み出た。

 ウルベルトの手に握られているのは一メートルほどの蒼色を帯びた銀色の(ロッド)

 名を“レヴィアタンの嫉妬(インヴィディア・オブ・レヴィアタン)”。

 先ほどまで使っていた仕込み杖である“ラース・オブ・サタン”と同じく、4割趣味、6割おふざけでウルベルトとギルドメンバーの一人であるるし☆ふぁーが二人で作成した“七つの大罪”シリーズの一つである。見た目は尾を絡み合わせた二匹の蛇が一直線に伸びており、両端の蛇の口にはそれぞれスカイブルーの宝玉が咥えられている。

 ウルベルトは注意深くこちらを窺っている“暁の武”の残りの二人を見つめると、一歩一歩足を進めながら一度クルッと杖を回した。瞬間、蛇が咥えている両端の宝玉が二つとも淡く光り始める。

 一体何事かと“暁の武”のメンバーや観客たちが注目する中、ウルベルトはまるで手遊びのようにクルクルと杖を回し続けた。

 遊んでいるのか……、ふざけているのか……。

 誰もが困惑の表情を浮かべ、ある者は顔を顰めさせる。しかし彼らの表情はすぐに驚愕へと変化することとなった。

 ウルベルトがクルクルと杖を回転させる度に、両端の光り輝く宝玉から透明な水が噴き出し始めた。しかし吹き出た水はすぐに地面に落ちることなく、まるでそこだけ重力がないかのようにふわふわと泡のように空中を漂い始める。あるものは泡のように水の球体となって漂い、あるものは水流となってウルベルトの周りを緩やかに流れる。

 まるで水の中にいるかのような幻想的な光景に、誰もが唖然とした表情を浮かべて呆然とウルベルトを見つめていた。

 

 

「………………あいつは……、奇術師か何かか……?」

 

 未だ距離のある場所に立つロイドが呆然と呟き、それを正確に聞き取ってウルベルトは思わず小さな笑みを浮かばせた。

 奇術師……、確かに何も知らない彼らからすれば今の自分はそう見えるのかもしれない。

 なんせウルベルトが今使っている“七つの大罪”シリーズは、全てが癖のある代物で、なおかつ騙し討ちを狙っているような武器ばかり。正にギルドメンバーの中で一番のトラブルメーカーであったるし☆ふぁーと中二病であるウルベルトが共に造り上げただけはあると納得させられる代物たちだった。

 

「どうしました? かかってこないのですか?」

「っ!!」

 

 挑発するように二人の男に声をかける。

 “暁の武”の二人は言葉を詰めらせながら顔を顰めさせると、しかし流石と言うべきか、激情にかられてこちらに突っ込んでくるようなことはしなかった。

 未だ注意深くこちらを見つめてくるのに、思わず肩をすくませる。

 ウルベルトは一つ息をつくと、更に回転させる杖の速度を速めた。

 

「それでは、こちらから行かせて頂きましょうか……」

 

 まるで独り言のように呟くと、次の瞬間ウルベルトは一気に地を蹴って速度を加速させた。

 弾丸のような勢いで一番近くにいたグレートソードの戦士へと突っ込むと、咄嗟に構えられたグレートソードと杖が激しくぶつかり合った。

 ガツンっと言う大きな音と衝撃。

 衝撃に反応したように杖の両端の宝玉から水が大量に溢れ、ウルベルトとグレートソードの戦士を包み込んだ。宙に漂い流れる大量の水が男の肌や装備、グレートソードに柔らかく触れて濡らしていく。

 冷たく濡れる感触に男が不快そうに顔を顰めさせたその時、不意に何かに気が付いたようにハッと大きく目を見開かせた。何かを言おうとするかのように口を大きく開き、しかし喉の奥からは声一つ出ることはない。グレートソードを握る手は勿論の事、全身から一気に力が抜けて男は力なく地面へと倒れ込んだ。

 一体何が起こったのかと観客席からどよめきが起こる。

 しかしウルベルトは一切それに構うことはなく、次の獲物を定めるようにゆっくりと一人残った戦士へと目を向けた。

 ウルベルトの金色の瞳とロイドの焦げ茶色の瞳がかち合い、ロイドは反射的にビクッと大きな身体を震わせる。反射的に後退ろうとして、しかしウルベルトの方が二倍も三倍も速かった。

 気が付けば周りを漂う大量の水。

 ふわふわと漂って全身に触れてくる水に、その冷たい感触にロイドは戦慄を覚えた。まるで振り払うように濡れた部分に触れようとして、しかしその前に視界が大きく傾く。

 全身から力が抜ける感覚と、どんどんと近づいてくる地面。

 大きな衝撃から漸く倒れたことを自覚し、ロイドはパクパクと口を動かしながら、ただ大きく見開かせた目で近くに立っているウルベルトを見上げていた。

 

「これで試合は終わりましたね。……心配せずとも、時間が経てば元に戻ります。安心してください」

 

 ロイドの目の前で屈み込み、ウルベルトがそっと声をかける。

 それでいてゆっくりとウルベルトだけが立ち上がるのに、闘技場中に試合終了の鐘が鳴り響いた。

 すぐさま駆けつけてくる職員たちと、解放される“暁の武”のメンバーたち。

 ウルベルトたちもニグンを中心に動き始め、そこで漸く観客たちも思考を取り戻し始めたようだった。

 徐々に騒めき始め、拍手が鳴り、最後には大喝采となって闘技場中を震わせる。司会も前回の優勝者への挑戦者として“サバト・レガロ”の名を高らかに叫び、更に闘技場中が湧き立った。

 残るは前回の優勝者と挑戦者との最終決戦のみ。

 一度場内を整えるために長めの休憩が入り、一時間後に再び演目の続きが再開された。

 場内は綺麗に整えられ、これまでの連戦で刻まれていた戦闘の跡は綺麗に消されている。中心には“サバト・レガロ”の三人のみが立ち、これまでの参加者たちは重傷者以外は全員が場内の端へと寄っていた。

 

『さぁ、遂に最終決戦まで参りました! 今回の挑戦者は数々の難敵を驚きの速さで討ち取っていった驚異のワーカーチーム“サバト・レガロ”! 彼らは果たして前回の優勝者に勝つことができるのでしょうか!!』

 

 司会の声が闘技場中に響き渡り、この場を大いに盛り上げていく。

 多くの歓声や拍手で空気が震える中、まるでそれに応えるかのように場内の一つの大きな扉がゆっくりと開かれた。

 

『それでは前回の優勝者の登場です! 英雄級の天才剣士が率いる無敗のチーム! “天武”!!』

 

 扉が完全に大きく開かれ、四人の人物が場内へと進み出てきた。

 姿を現したのは一人の人間種の男と三人の森妖精(エルフ)の女。

 湧き上がる喝采や女性の黄色い悲鳴に手を振って応えているのは男のみで、三人のエルフたちは全員が暗い表情でトボトボと機械的に歩を進めている。

 近くまで歩み寄ってきた四人を順に見やり、ウルベルトはほんの微かに目を細めさせた。

 チームのリーダーだと思われる男は切れ長な瞳に、涼やかで端正な顔立ち。身に纏う装備は高名なワーカーチームのメンバーに相応しく、この世界の基準ではそれなりのものを纏っている。しかし同じチームメンバーであるはずのエルフの女たちは全員が必要最低限のみすぼらしい装備しか身に纏ってはいなかった。

 加えてウルベルトの目を引いたのは彼女たちの耳。

 エルフという種族は例外なく木の葉のような平べったく長い耳を持っているのだが、目の前の彼女たちは全員が長い耳を半ば辺りからスッパリと切り落とされていた。それが何を意味しているのか、未だこの世界の常識に疎いウルベルトであっても予想がつく。

 “奴隷の証”……―――

 光を一切宿さず全てを諦めたように立っている彼女たちの姿が一瞬懐かしくも悲しい二つの人影と重なって、ウルベルトは無意識にギシッと小さく歯を軋ませた。

 

 

 

「あなた方が今回の挑戦者ですか。先ほどまでの戦いは拝見させて頂きましたよ。あなたはどうやらなかなかに腕の立つ戦士(・・・・・・)のようですね」

 

 ウルベルトの胸の裡に宿った黒い感情に気付かずに、男が涼やかな声音で声をかけてくる。

 ウルベルトは一つ小さく息をつくと、いつもの微かな笑みを浮かべて改めて男を見やった。

 

「お褒め頂きまして光栄です。我々はワーカーチーム“サバト・レガロ”。そして私がリーダーを務めるレオナール・グラン・ネーグルと申します。以後、お見知りおき下さい」

「それはそれは。私のことは当然知っていると思いますが……、“天武”のエルヤー・ウズルスと申します。今日は少しでも楽しませてもらえることを期待していますよ」

 

 自信満々で傲慢な態度に言いようのない苛立ちが募る。戦士職が自分に対して大口を叩くこと自体がひどく気に入らなかった。

 徐々に剣呑な空気がウルベルトから漂い始め、ユリとニグンが気遣わし気にウルベルトに視線を向ける。

 しかしエルヤーは一切気が付く様子もなく、変わらぬ自信に満ち溢れた表情でウルベルトやユリたちを見つめていた。

 

「ここまではあなた一人で戦ってきたようですが、ここからはメンバー全員でかかって来なさい。そうすれば、もしかしたら一回くらいは私に攻撃が届くかもしれませんよ」

「……ご忠告、感謝します。ですが、心配はご無用です。この戦いも、私一人で相手をさせて頂きますよ」

「おやおや、どうやらあなたは自分の力を過信し過ぎているようですね。……その勘違いを、私が正して差し上げましょう」

 

 エルヤーの端正な顔がピクッと動き、その手が腰に挿している刀の柄に伸ばされる。

 ウルベルトもベルトに挿している杖に手を伸ばすと、ゆっくりと引き抜いた。手に握られている杖は今まで使っていた“ラース・オブ・サタン”でも“インヴィディア・オブ・レヴィアタン”でもなく、いつも装備している深紅の宝玉が印象的な(ステッキ)である。

 

「……では私も、一つ勘違いを正さなければなりませんね」

「勘違い……?」

「ええ。私は腕の立つ戦士ではありません。……ただの魔法詠唱者(マジックキャスター)ですよ」

「……は……?」

 

 エルヤーの整った唇から呆けた音が零れ出る。

 切れ長の瞳がマジマジとウルベルトを見やり、次には嘲るような酷薄な笑みを浮かべた。

 

「そのような言い訳をせずとも、私に負けても決して恥ではありませんよ」

「…はぁ、更に勘違いしてしまっているようですね。まぁ、良いでしょう。最後には嫌でも理解することです」

「……………………」

 

 ウルベルトの言葉に、瞬間エルヤーの目つきが変わった。こちらを見下すようなものから、怒りと殺気が入り混じったものへと豹変する。

 ウルベルトとエルヤーが互いに睨み合う中、漸く試合開始の鐘が大きく鳴り響いた。

 

「…ふっ!」

 

 最初に動いたのはエルヤーだった。

 腰の刀を抜き放ちながら、一直線にウルベルトの元へと走る。

 爆発的なスピードでは決してないものの、それでも十分に速い速度。

 あっという間に間合いにウルベルトを捉えると、ニヤリとした笑みと共に刀を振り上げて上段から振り下ろした。

 

 ガキンッ!!

 

 大きく響き渡る硬い金属音と強い衝撃。

 エルヤーの刀は持ち上げられた杖によってしっかりと受け止められており、杖の下から金色の瞳がじっとエルヤーを見つめていた。

 一撃で仕留められなかったことに思わず顔を顰めそうになり、しかしその前にエルヤーはこちらに突き付けられている長い指先に気が付いた。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

「ぐっ!!?」

 

 どこまでも静かな音と共に、視界が真っ赤に埋め尽くされる。

 戦士としての勘に従って反射的に身体を逸らせば、焦げるような熱が顔の頬を舐めてそのまま通り過ぎていった。

 無理に身体を逸らしたため体勢が崩れ、そのまま地面を転がりながらもすぐさま顔を上げる。ウルベルトから少し距離をとって立ち上がると、エルヤーは熱を感じた右頬へと無意識に手を伸ばした。

 

「っ!!?」

 

 瞬間、頬に感じた熱と激痛。手に感じたぬるっとした感触。

 思わず弾かれたように手を離して目を向ければ、手のひらは真っ赤に染まり、所々に煤のような黒い小さな塊が複数付着していた。

 頬からの激痛と共に焦げ臭さも感じて、エルヤーはそこでやっと今の自分の状態を理解することができた。

 

「……よくも俺に血を流させたな…!! おい、何をしてる! さっさと治癒を寄越せ!!」

 

 憎悪を宿した瞳でウルベルトを睨み付けながら背後に控えているエルフに声を張り上げる。

 エルフの女はビクッと身体を震わせると、怯えた表情を浮かべながらも詠唱を唱えた。

 温かな光とぬくもりがエルヤーを包み込み、焼け焦げて赤黒く染まっていた右頬を綺麗な状態へと戻していく。

 

「まだだ! 強化魔法も寄越せ!!」

 

 監視するように視線をウルベルトに固定したまま、エルヤーは更に命令を口にする。

 三人のエルフたちは小刻みに身体を震わせながら、従順に次々と強化魔法を唱えていった。

 肉体能力の上昇、皮膚の硬質化、感覚鋭敏などなど……。淡い光が何度もエルヤーの身体を包み込み、強化と補助を行っていく。

 エルヤーはニヤリとした笑みを再び浮かべると、一度大きく刀を素振りした。

 ブンッという大きく重い音が空気を震わす。

 強い風圧も生み出した一振りに背後に控えるエルフたちは一様に怯えたように身を縮み込ませ、しかしウルベルトだけは何も変わることなく余裕の表情を浮かべてただ佇んでいた。

 まるでエルヤーなど気に掛ける必要もないと言いたげな態度が酷く気に障る。

 しかしエルヤーは何とか気を落ち着かせると、注意深くウルベルトの全身を見やった。まるでマジックの種を見破ろうとするかのように目を凝らす。

 一方見られている側のウルベルトはと言えば、エルヤーの視線を全身に感じながら内心で意地の悪い笑みを浮かべていた。

 エルヤーが自分の言葉に翻弄され始めているのが手に取るように分かる。

 彼は最初自分のことを腕の立つ戦士だと判断し、魔法詠唱者(マジックキャスター)であると言っても全く信じようとはしなかった。しかし第三位階魔法を唱えたことでエルヤー自身が疑問を感じ、怪我を治して肉体を強化したにもかかわらず次の一手に踏み込めずにいる。

 戦いというものは、相手が戦士(前衛)魔法詠唱者(後衛)かによって対処の仕方も戦い方も変わってくる。

 どんな相手だろうとも構わずに捻じ伏せられる者がいるとすれば、それは圧倒的であり絶対的な強者のみだ。

 

 

 

「く、〈空斬〉!」

 

 徐に歩き始めたウルベルトに反応し、エルヤーが咄嗟に武技を発動させる。

 

「〈風の刃(ウィンド・サイズ)〉」

 

 ウルベルトに向かって飛ばされた鋭い斬撃は、しかし静かな声によって生み出された風の刃によって跡形もなく霧散させられた。

 エルヤーは何度も連続して〈空斬〉を放つが、その度に風の刃に打ち消されウルベルトの足を止められない。

 どんどんと近づく距離にエルヤーの顔に焦りの色が浮かぶ中、ウルベルトは尚も足を動かしながら持っていた杖を構えた。

 

「――…ふっ!!」

 

 踏み込んだ足に力を込め、手に持った杖を一度引き、短い呼吸に合わせて一息に前へと突き出す。

 それは短い鍛錬の時間の中でアルベドに教わった渾身の突き。

 右手に持った杖による鋭い突きに、しかしエルヤーは寸でのところで身を躱した。

 エルヤーが逃げたのはウルベルトの杖を持っている右側。こちらならば二撃目を放つにも反対側よりも時間がかかり、また同じようにこちらの攻撃に対応するのも時間がかかる。

 エルヤーは何とか余裕を取り戻すと、そのままウルベルトの真横まで回り込んで急ブレーキをかけるように地を踏みしめた。

 柄を握る手に力を込め、足から腰、背骨を通って腕へと。全身の流れと力を刃に乗せて振り抜こうとする。

 

「っ!!?」

 

 しかし未だ杖を突きつけて前方に伸ばされている右腕に隠れるようにして、こちらに伸ばされている左手の人差し指に気がついた。先ほどの〈火球(ファイヤーボール)〉の事がフラッシュバックし、咄嗟に動きが止まってしまう。

 

「〈電撃(ライトニング)〉」

 

 ウルベルトの抑揚のない声と共にエルヤーに伸ばされている指の先に青白い光が灯る。

 青白い光はパチッと一瞬小さな光を散らすと、次の瞬間には一本の閃光となってエルヤーへと襲いかかった。

 

「がっ!!」

 

 未だ刀を振り抜く途中で止まっていたエルヤーの右肩に深く突き刺さり、そのまま貫通して後ろへと抜けていく。

 咄嗟に左手で右肩を庇いながら後退るのに、ウルベルトもゆっくりと突き出していた杖を元に戻しながら体勢を整えてじっとエルヤーを観察した。

 腕などが小刻みに痙攣しているのを見てとり、雷による痺れがあるのだろうと予想をつける。

 ユグドラシルにはなかった現象にウルベルトは興味深そうに小さく目を細めさせると、それでいて内心では首を傾げた。

 〈電撃(ライトニング)〉は確かに雷の魔法だが、ユグドラシルでは受けた際に麻痺状態になるなどといった効果はなかったはずだ。目の前の現象はこの世界がゲームなどではなく現実だからこそのものなのかもしれないが、しかし果たしてレベルにほとんど差がなかった場合でも同じ現象は起こるのだろうか。それともその場合はユグドラシルと同じようにレベル差の緩和によって麻痺も防げるのだろうか。

 これは少し実験する必要がありそうだな…と内心で結論付けたその時、不意に頭の中で糸が繋がったような感覚に襲われた。

 

『…ウルベルト・アレイン・オードル様』

『うん? ……影の悪魔(シャドウデーモン)か。どうした?』

 

 〈伝言(メッセージ)〉を送ってきたのはこれまで多くの場所や人物などに散らしてきたシャドウデーモンたちのうちの一体。

 しかしこのシャドウデーモンはどこに送った奴だったか…と内心で考え込む中、主がそんなことを考えているなど露知らず、シャドウデーモンはどこまでも従順に報告の言葉を述べていった。

 

『監視しておりましたガゼフ・ストロノーフなる人間種の男ですが、本日王宮にて王族貴族と思われる人間たちにカルネ村でのことを報告しておりました』

『ほう……』

 

 シャドウデーモンの言葉に、カルネ村で最終的に助けるような形になった王国戦士長と名乗った男のことを思い出す。

 念のため二体のシャドウデーモンを影に潜り込ませて監視させていたのだが、漸く動き始めたようだ。

 随分と時間がかかったものだと内心で呆れながら、ウルベルトは変わらず注意深くエルヤーを見つめていた。

 未だ痺れが抜けないのか、エルヤーはこちらを睨みつけながらも突っ立って動こうとしない。背後に控えるエルフに治癒魔法を命じたのか、身体は淡い光に包まれて右肩の傷口も塞がり始めているようだった。

 

『詳しく報告を聞きたいところだが……、今は少々取り込み中だ。緊急を要するかね?』

『いえ、緊急内容は含まれておりません』

『よろしい。では、後ほど改めて詳しい報告を聞くとしよう。すまないが今夜に再度連絡してきてくれたまえ』

『畏まりました』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しでもシャドウデーモンが恭しく頭を下げているのが手に取るように分かる。

 思わず内心で苦笑を浮かべる中、〈伝言(メッセージ)〉がプツンッと切られてウルベルトは改めてエルヤーに意識を向けた。

 

「ふむ、傷は完全に癒えましたか?」

「……この程度で調子に乗らない方が良いですよ」

「一撃でも私に加えられれば慎重にもなるのですが…」

「その言葉……、すぐに後悔させてあげましょう!」

 

 漸く痺れが治まったのか、エルヤーが徐に動き出す。

 何をするのか注意深く観察する中、エルヤーは刀を構えて武技を発動させた。

 〈能力向上〉〈能力超向上〉

 強化魔法だけでなく武技によって向上した肉体能力を活かし、エルヤーが勢いよく襲いかかってくる。

 ウルベルトはわざと懐深くまでエルヤーを招き入れると、真正面から襲いくる刀を杖で受け止めた。嵐のような激しい連撃に、ウルベルトは全て杖で受け止め、弾き返していく。しかしそれは決して精錬された動きではなく、熟練の戦士が見れば分かるほど少々ぎこちない動きとなっていた。

 思っていたよりもまだまだ未熟な動きに、ウルベルトは思わず小さく顔を顰めさせた。ここでもアルベドたちとの鍛錬の成果を試してみようと考えたのは自分自身だというのに、なかなか上手くいかない動きに不満が募る。

 これは今後も練習が必要だな…と内心でため息をついたその時、不意に再び頭の中で糸が繋がるような感覚に襲われた。

 

『…なんだ、今は取り込み中だと言っただろう』

『あれ、取り込み中なんですか、ウルベルトさん?』

『!? …ペロロンチーノ?』

 

 てっきり先ほどのシャドウデーモンだと思いきや、聞こえてきたのはペロロンチーノの声で少し虚を衝かれる。

 少しだけ首を傾げてエルヤーからの攻撃を躱しながら、ウルベルトは〈伝言(メッセージ)〉で訝しげな声を上げた。

 

『お前が俺に連絡してくるなんて珍しいな。何かあったのか?』

『あれ、そうでしたっけ? ユグドラシルの時は良く連絡してたと思いますけど』

『だけど、こっちに来てからはそうでもないだろう? それで、何かあったのか?』

『…そうでした。えっと、それが……実はですね………』

 

 途端に歯切れが悪くなるペロロンチーノに何とも嫌な予感に襲われる。一体何が起こったのかと詳しく聞けば、どうやら前回の第一回定例報告会議であった“シャルティアに遭遇して放置された女冒険者”について大きな進展があったらしい。

 

『俺とモモンガさんとで早急に対処するつもりなんですけど、どちらにせよ対処後の報告や他に話し合いたいことも出てきてるので、一日早いですけど今夜に第二回目の定例報告会議をしようと思うんですけど……』

『なるほどな……』

 

 よくもまぁ次から次へといろんなことが起こるものだと少しだけ感心してしまう。

 しかし先ほどのシャドウデーモンから受けた報告のことを思い出して、ウルベルトは誰にも気づかれないように一度だけ小さなため息をついた。

 

『……分かった。俺も一つ二人の耳に入れておきたいことがあるし、今の用事が終わり次第ナザリックに帰還しよう』

『お願いします。あっ、今回はユリとニグンも一緒に連れて帰って下さいね』

『モモンガさんの指示か?』

『そうです。お願いしますね』

『…了解です』

 

 ウルベルトはやれやれと小さく頭を振ると、〈伝言(メッセージ)〉が切れるとほぼ同時に勢い良く刀を弾き返した。今までにない強い力に、エルヤーは対処しきれず思わず体勢を崩す。

 ウルベルトは杖をベルトへと収めると、指先をエルヤーに突き付けて無機質な音を整った唇から紡いだ。

 

「〈龍電(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 ウルベルトの魔法詠唱者(マジックキャスター)らしい細い腕に、白い(いかづち)が龍のようにバチバチと光を散らしながら巻き付いてくる。

 しかしそれは一瞬で、次にはウルベルトの腕を離れて勢いよくエルヤーへと襲いかかった。

 先ほどの〈雷撃(ライトニング)〉とは比較にならないほどの雷が空を走り、鋭い咢でエルヤーの身体に食らいつく。

 

「ぐがああぁぁあぁぁああぁあぁぁぁぁああぁっ!!!」

 

 今までにない絶叫と視界を焼くほどの光の放流。

 身体の奥まで響いて心臓を打つ爆音に、観客たちも全員が身を竦ませて縮み込んだ。

 漸く全てが止んだ後には、所々焦げて煙を上げるエルヤーが地面に倒れており、それをウルベルトがじっと静かに見下ろしていた。

 暫く動かないか様子を窺い、完全に気を失っているのを確認してからやっとその金色の瞳を呆然としている三人のエルフへと向ける。

 ゆっくりとした足取りで彼女たちの目の前まで歩み寄ると、そっと杖を引き抜いて一人のエルフの顎を杖の柄の先でクイッと持ち上げた。

 

「君たちはまだ戦いますか? それとも降参しますか?」

「……………………」

「生きているのなら意思を示しなさい。意思を示さぬ者は死んでいるも同じですよ」

 

 光を宿さぬ瞳と、無機質な金色の瞳が真っ直ぐにかち合う。

 ウルベルトと目を合わせているエルフは小さく唇を震わせると、掠れすぎて声とも呼べぬ音を、それでも必死に紡ぎ零した。

 

「……こ、こうさ…ん……です………」

 

 しんっと静まり返る場内に、掠れて震えているエルフの女の声が思いの外大きく響いて消えていく。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、そっとエルフの顎から杖の柄の先を外してサッと踵を返した。

 背を向けて歩き始める後ろ姿を暫く見つめ、そこで漸く気が抜けたのかエルフたちは三人ともが我先にと頽れて地面へと座り込む。

 完全に戦意を喪失した様子に試合終了の鐘が鳴り響き、一拍後、爆発的な歓声と拍手が闘技場に湧きあがった。

 

『信じられません!! あの無敗の天才剣士が破れ、一方は完全な無傷! こんな結末を誰が予想したでしょうか!!』

 

 更に場を盛り上げるように、司会の声が場内に響き渡る。

 ウルベルトはユリやニグンの元まで戻ると、そこで漸く湧き立つ周りの観客たちへと目を向けた。興奮したように顔を紅潮させて歓声を上げる観客たちを見やり、フッと小さな笑みを浮かべる。

 

『ここに新たな伝説が生まれました!! 彼らは“サバト・レガロ”! そして、新たな孤高の英雄、レオナール・グラン・ネーグルに盛大な拍手をっ!!』

 

 司会の声に更に場内が湧き立ち、割れんばかりの拍手の音がウルベルトたちを称える。

 ウルベルトはゆっくりと杖をベルトへと収めると、改めて観客席へと目を向けてそっと手を上げた。

 今日初めて観客たちに応えたウルベルトの姿に、場内は更に盛り上がる。

 意味のない音だけの歓声はいつしかウルベルトを称える言葉に変わり、いつまでもいつまでも続いて暫く消えることはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 闘技場の演目は無事に終わり、漸く静けさを取り戻したバハルス帝国帝都。

 すっかり夜の闇に染められて人気のなくなった路地裏に、不意に複数の人影が月の光に浮かび上がった。

 

「………私に何か御用ですか…?」

 

 柔らかな白髪の髪を月光に輝かせながら、ウルベルトは道の真ん中で立ち止まる。

 目だけで後ろを振り返って声をかければ、彼の視線の先に新たな人影が姿を現した。

 男だと思われる長身に、ヨロヨロとしたぎこちない動き。

 ユリとニグンが庇うように両者の間に立つ中、ウルベルトはゆっくりと身体ごと振り返って真っ直ぐに男を見つめた。

 

「得物を抜いている状態で現れるとは穏やかではありませんね。一体何の御用です?」

 

 ウルベルトの言葉通り、男の手には抜身の刀が強く握りしめられている。

 男……エルヤー・ウズルスは刀を持つ手に更に力を込めると、憎々し気に鋭くウルベルトを睨み据えた。

 

「貴様……、一体どんな手を使いやがった……」

「……一体どういう意味でしょうか?」

「貴様のような無名の輩が、この俺に勝てるわけがない! 一体どんな手を使ったんだ!!」

「レオナールさんは特別なことは何もしておりません。ただ単にあなたがレオナールさんよりも弱かった……、ただそれだけの事です」

「なっ!!?」

「相手との力の差にも気づけぬとは……。…尤も、私が言えた義理ではないがな」

 

 抑揚のないユリの言葉に続いてニグンも自嘲的な笑みを浮かべながら仮面越しに憐みの視線をエルヤーに向ける。

 エルヤーは大きく顔を顰めさせると、一度ユリやニグンを見つめた後、改めてウルベルトを見やった。

 

「こいつが私より強い…? ……女性の後ろに隠れているような輩が私よりも強いとは思えませんね」

「やれやれ、闘技場で私一人に倒されたことをもう忘れてしまったのですか? ……それに、あなた程度であれば彼女一人でも余裕でしょうね」

「っ!!」

 

 誰が聞いても馬鹿にしているとしか思えないウルベルトの言葉に、エルヤーは顔を真っ赤に染めて切れ長の双眸を更に鋭くつり上げた。

 瞳に宿っているのは激しい怒りと鋭い殺気。

 裏通りとはいえ凡そ街中で漂わせて良いようなものではない気配に、ウルベルトはただ無感情にエルヤーを眺めていた。

 金色の瞳には一切感情は宿っておらず、表情にも立ち姿にも一切力が入っていない。一欠けらの緊張もやる気も感じられず、どれだけウルベルトが興味を持っていないかが嫌でも思い知らされるようだった。

 それはエルヤーにとっては屈辱のなにものでもない。

 エルヤーは握り潰さんばかりに強く刀の柄を握りしめると、次には全神経をウルベルトだけに集中させて強く地を蹴った。

 昼間の闘技場での試合以上のスピードが出ているのではないかと思うほどの速度。

 しかし……――

 

 

「……ユリ、…ニグン」

 

「っ!!?」

 

 

 ウルベルトの声に従ってユリとニグンがエルヤーの前方を遮った。

 応戦して刀を振るう間もなくユリの細い手指がエルヤーの首を捕え、僅か数秒後にニグンが刀を持っている手を鷲掴み抑え込む。

 

「……ぐっ…。…な…!!」

 

 ギリギリとユリの細く長い指が喉に食い込み、気道が塞がると同時に皮膚が裂けて血が流れだす。抗い振り払おうにも両腕はニグンに取り押さえられており、エルヤーは信じられないと顔を歪めながら血走った目でユリやニグン、そして二人の奥に立つウルベルトを見やった。

 彼の視界の中で、ウルベルトの金色の瞳が怪しい光を宿す。

 

「……まったく、大人しく引き下がっていればいいものを。人間というものは本当に愚かしく、救いようのない生き物だねぇ」

 

 今までの口調とはガラッと変わり、ウルベルトは不気味な笑みを浮かべながらゆっくりとエルヤーの元へと足を踏み出した。

 肩に引っ掛けたコートの裾が怪しく揺らめき、月明りに浮かび上がる影がザワリと蠢く。

 ウルベルトは歩を進めながら無詠唱で〈静寂(サイレンス)〉の魔法をかけると、〈伝言(メッセージ)〉で自分の影に潜んでいるシャドウデーモンたちに命じて周りに人の目がないか周囲を警戒させた。

 もはやこの場は常人が立ち入って良い場所ではない。

 ウルベルトはエルヤーの目の前で立ち止まると、ユリに指示を出して身体を傾けさせ、真正面からその端正な顔を見据えた。

 

「っ!!」

 

 不意に喉から出そうになった悲鳴に、しかしエルヤーは咄嗟にそれを呑み込んだ。

 身体の奥底から噴き上がってきたのは本能的な恐怖。まるで絶対に敵わない天災を相手にしているかのような底のない絶望感。

 ウルベルトは完全に凍り付いたエルヤーを見つめると、不気味な笑みを浮かべたままゆっくりと手を差し伸ばした。

 

「私は口ばかりで無能な勘違い野郎が死ぬほど嫌いでねぇ…。特に君のような身の程を弁えない救いようのない愚者は反吐が出そうだ」

 

 いっそ優しさが感じられるほどに柔らかな手つきでエルヤーの顎を捉え、そのまま持ち上げて仄暗い光を宿した金色の瞳で奥の奥まで覗き込む。

 

「……いっそのこと、我々が有効活用してあげよう。少しは人様の役に立てて、君も嬉しいだろう?」

 

 ウルベルトはわざとらしいまでの満面の笑みを浮かべると、顎から指を離してそのまま人差し指をエルヤーの額に押し当てた。

 

「〈人間種束縛(ホールドパーソン)〉」

 

 整った唇から紡がれるのは拘束魔法。

 ウルベルトは完全に動きを止めたエルヤーをニグンに担がせると、踵を返して〈転移門(ゲート)〉を唱えた。

 彼らの目の前に底の見えない真っ黒な闇の扉が口を開く。

 

「……フフッ、モモンガさんたちへの予想外のお土産ができたなぁ」

 

 夜の闇に染まった路地裏にウルベルトの不気味な笑い声が響いて消える。

 ウルベルトはシャドウデーモンたちを自分の影に戻らせると、ユリとエルヤーを担いだニグンを引き連れて闇の扉を潜って壮大な大墳墓へと足を踏み入れた。

 

 




フールーダなどの〈魔法の矢〉の本数は私の想像です。間違ってしまっていたら申し訳ありません…。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“レヴィアタンの嫉妬《インヴィディア・オブ・レヴィアタン》”;
“七つの大罪”シリーズの一つ。最上級武器の杖。二匹の蛇が尾を絡ませて一つになったような長い杖で長さは約一メートルほど。両端にある蛇の頭は二つとも宝玉を咥えている。力を発動させると両尖端の二つの宝玉から水が噴き出し、衝撃を加えたり回転させると水の勢いや量が増える。水は多くの水滴や放流となって宙を漂い、敵の攻撃阻害や毒、麻痺などの効果を持っている。
・〈風の刃〉;
第二位階魔法。かまいたちのような風の刃を放つ。

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